No.686185

ある夢とある春の朝

適当にお題になりそうな言葉を漁ってきてさーっと書き上げてみましたが、案外どうにかなるものですね。

2014-05-12 09:26:01 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:639   閲覧ユーザー数:628

 自分の身体が言うことを聞かない、というのは、こんなにも恐ろしい事なんだな、と他人事のように彼女は思う。空からは無数の航空機が迫る。まるで渡り鳥の群のよう。

 だがそんな渡り鳥達は、彼女の身体を勢いよくついばんでいく。左足をやられ、膝をつく。脇腹に走る激痛。出血。ゆらり、と世界が眩みかける。生きながらにしての鳥葬。

 しかし彼女は、飛行機への抵抗をやめようとはしなかった。もはや大勢は決している。彼女の行動は限りなく無意味に等しい。それでもなお、飛行機に対して、迎撃を続けていた。

 ぼやける視界。やがて何も見えなくなる。もはや、自分が立ってるのか、それとも倒れ、沈みゆくだけなのか、それの判別すらつかない。

 しかし彼女は、不思議と自分が、どんな状態かが分かった。ほとんど倒れかかりながら、それでも、まるで地獄に落とされ、そんな刑罰でも与えられているようかのに、ずっと対空砲撃を続けているのだろう、と。

 

 それはつまり、夢だから。

 

 春のある涼しい朝。がばっ、と勢いよく起きあがる。日向だ。呼吸は荒れ、汗で濡れた下着が、彼女の肌に張り付いている。冷たく、気持ちが悪い。恐らく、寝汗ばかりではないに違いない。

 しばらく呼吸を荒げていた日向は、しかし、ようやくのことでそれを沈めると、段々頭にも血がめぐってきたらしい。小さくため息をつく。

「夢……か」

 ふと日向の視線が、自分の手に落ちる。小さく、震えていた。ぎゅっと握りしめ、そして柔らかにその手を開く。震えは、どこかへと去っていた。

 

 ベッドから抜け出した日向は、着替えとタオルを片手に、共同浴場へと向かった。

 既に世の中が明るいとはいえ、まだ五時を少し回ったばかり。静かで、涼しく、少し霧がかかっている。聞こえるのは、どこか遠くで新聞配達をしている原付の音と、鳥の鳴き声程度。

 脱衣所に入った日向は、適当な籠を取り、着替えとバスタオル、自分の脱いだ服を、丁寧に分けて入れる。

 そして――ふと、日向の目が、ある一点で止まる。中身入りの籠。着替えも脱いだ服も、すべて一緒くたに放り込まれているように見え、どれがどれだかわからない。そしてその服は、どこか見覚えがあった。いや、この浴場は艦娘専用の浴場である以上、見たことがあるのは至極当然なのだが、しかし、これは。

 嫌な予感がよぎったが、ここまで来てしまった以上、後には引けない。日向はゆっくりとした足取りで、浴場への引き戸を開けた。

 目の前の大浴場の真ん中に、人影がある。湯煙で少々見えにくい。日向は既に察してはいたが、出来れば気付かないふりを貫き通したかった。

「あ、日向じゃん。今日非番なのに早いねー」

 そして起こらないでほしい事ほど、よく起こるのも世の常だ。大浴場を一人で満喫していた伊勢は、大きな声で日向に呼びかけ、手を大きく振っている。

 日向は額に手を当て、軽く首を振る。

「それはこっちの台詞だ。何でこんな時間に居るんだ、伊勢」

「何でって、そりゃあ夜勤明けだからよ。全くもう、昨日も言ったじゃない」

 それを聞いて、ああ、と日向は思い出す。そういえば昨日、夜勤だから酒が飲めないだのなんだのと、わざわざ部屋に来て愚痴っていた気がする。

 だがそれを素直に認める気にもなれず、日向は伊勢を軽く無視して、シャワーへと歩いていく。適当な位置を確保して、蛇口をひねる。暖かい雨が、彼女の身体に降り注ぎ始めた。シャワーを取り、全身を洗い流していく。

 それから日向は、手際よくシャンプーとボディソープを使って、全身を洗い清めていった。伊勢にしては珍しい事に、日向にちょっかいをかけには来なかった。普段ならば、もう少し何かがあっても良いのだが――と、日向は軽く物足りなさを感じていた。と同時に、自分は何を思っているんだ、とも思う。あの面倒くさいのが無いのは有り難いことではないか、と。

 手早く身体を洗い終えた日向は、湯船の中へ歩み入る。そして、伊勢から軽く距離をおいて、そこへ腰掛けた。

 伊勢は、珍しいほど静かに、風呂を満喫している。それはそれで日向にとっては有り難い事なのだが、逆に何かがあるのではないか、と思うとそれはそれで恐ろしい。

「どうだったんだ?」

 ふと、独り言のように日向が呟く。

「そりゃここにいるくらいだから、何もなかったに決まってるじゃない」

「ああ、それもそうだな」

 会話は途絶える。肩まで湯船に沈み、日向はぼんやりとしている。

 じゃばじゃば、という音で、日向は現実に引き戻された。見れば、伊勢が隣までやってきている。

「らしくないじゃん日向。なんかあったの?」

 割合心配そうな顔で、伊勢は聞く。

「なんか、と言ってもな。誰かさんが色々とやらかしてくれるおかげで、その『なんか』が何か、特定出来ないな」

 わざとらしく、あきれたような口調で日向は呟く。

 が、これまた珍しい事に、伊勢が何も反論をしてこない。普段で有れば「うっさいうっさい!」等々ばたばたしながら言ってくるはずなのに、だ。

「日向って、ホント隠し事は向いてないタイプよね」

 逆に伊勢が、あきれたような口調で呟いた。それを聞いて、今日初めて、日向は笑みをこぼした。

「……バレていたか。やはり伊勢に隠し事はできんな」

 日向は、口まで湯船に沈む。そして、ぶくぶくと泡を出して遊び始めた。日向にしては、珍しい光景だった。

「ま、何があったか聞いてもしょうがないから聞かないけどさ。姉妹の間くらい、もうちょっと緩くてもいいじゃない、ね?」

「どの口が言うんだそれを。人の事は言えないだろう、伊勢」

 うっ、と伊勢は顔をしかめる。心当たりが色々とあるらしい。

「まあ、いいさ」

 その顔を見て笑いながら、日向はまたぼんやりと、浴室を眺め始めた。

 

 静寂を破ったのは、六時を知らせる時報だった。それを耳にした日向は、おや、と顔を上げる。

「もうこんな時間か。そろそろ他のも起き出すだろうし、私は先にあがるぞ」

「私もあがるって。これ以上浸かってたらふやけちゃう」

 ゆっくりと立ち上がり、歩き始めた日向の後ろを、慌てて立ち上がった伊勢が追いかける。

「たまには二人で朝食でも食べにいくか?」

「いいねー! あ、日向のおごりね」

 あのな、と日向はため息をつく。無料の朝食に、おごりも何もあったものではない。だが、言うだけ無駄なのを、日向はよく知っている。

「まあ、いいか」

 ぼそり、と呟く日向。並び歩く二人の顔には、笑顔が輝いていた。


 
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