No.661543

お得意様は裁判官! 第4巻(初版修正ver.)

瀬高 澪さん

 
モブヒロインが月活動を手伝うお話。

第4巻(2013/5/4刊行)の全文公開です。
現在は頒布を終了している為、全文をweb掲載させて頂きます。

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2014-02-08 11:34:57 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:525   閲覧ユーザー数:525

【十八】

 ユーリさんの実家に招かれた翌朝、裁判官はかなり早い時間に私を叩き起こした。病院で一睡も出来なかったせいで前日は部屋に案内されると同時にベッドに倒れ込んだ為、ほとんど彼と会話していない。多分この家で過ごすにあたっての注意点やら何やらを話すつもりなのだろう。その証拠に彼はまたしてもあの“隠れ家”に私を連れて来た。

「貴女の自宅には今もマスコミが張り込んでいます。当分はここに居て下さい。その方が心も休まるでしょう」

 席に着き紅茶を受け取る。「ありがたいですけど、でもお母様がいらっしゃるでしょう。あんまりご迷惑は掛けたくないし、せめてユーリさんの自宅だとまだ心苦しくないんですけど……」

「……この家には誰が居ますか?」

「え? え、えーと……ユーリさんのお母様」

「ではわたしの自宅には?」

「え? え、えと……誰も居ない?」同棲してるって聞いたことないし、この人ぼっちだしなぁ。

「……だから実家を勧めるんですよ」

 こちらの考えが伝わったのか裁判官はむっとした様子。だって本当にぼっちじゃない。それにしても何だろう、二人きりになるのが嫌なのかな。私お喋りだしモニターとかモニターとかモニターとか壊すし……あ! もしかして! 2人きりになると「こう見えてわたしも男なんですよ?」みたいな、乙女御用達ゲームやアニメや漫画でありがちな、あの甘酸っぱいお約束イベントが起こるかもしれないからそれを危惧して――!?

「痛っ!」

 ユーリさんが無表情でデコピンをしてきた。おでこを摩りながら恨みがましく見上げると、相手は口の端をほんの少し上げて言う。「考えてることが丸分かりなんですよ、貴女」

 その言葉にヘインズが脳裏に甦る。彼は最期にルナティックに縋り、その正体に気付いたかのような台詞を吐いていた。ルナティックも決して振り払うことなく最期を見届けていた。

「ユーリさん」

「はい」

「ヘインズとは知り合いだったんですか?」

 2人の男に考えていることが筒抜けだと言われたのは伊達ではなかったらしい。ユーリさんはその問い掛けに動じることなく、私の向かいにゆっくりと腰を下ろした。「……大学時代の学友でした」カップに視線を落としながら彼が答える。「かつては互いに司法に夢を見ていた同志でもあります。夢破れて後、彼は人身売買に手を染めるようになりました。幾度か諌めましたが溝を深めるばかり、遂にはヒーロー管理部に飛ばされました。重労働で人気のないポストだから左遷のつもりだったのでしょうが、ヒーローを観察したかった自分には願ってもない異動でしたよ」

「そんな権限があったんですか?」

「父親の威光と本人の努力のおかげでその頃には上級幹部でしたからね。立ち回りも上手かったからあちこちに顔が利いたようですし」

「ヘインズはルナティックの正体に気付いたみたいでしたけど、そういう過去があったからだったんですね」

「……“正義”について昔良く論争していましたし、勘の良い男でしたから」ユーリさんは軽い溜息を吐いた。「それよりも今後のことです。わたしはヘインズ事件の処理が残っていますから暫く帰れませんが、それをいいことに勝手に家を出ないように。事件で貴女は目立ってしまった。貴女の努力を認める声もある一方、余計な行動をしたと責め立てる者も居る。そんな輩に見付かったら面倒だ。それにゴールドより数が少ないとはいえ、そういった輩が貴女に詰め寄る瞬間を狙ったり、或いは貴女自身を取材せんとするマスコミがまだシルバーをうろついています。無用のトラブルを避ける為にも是非ここに留まって欲しい」

「了解」

「それからくれぐれも母の前でHERO TVを見ないで下さい。ヒーローについての話題は厳禁です。彼女は精神を病みわたしを10代と考えている。貴女もそのつもりで接して下さい。級友ということにでもして」

「分かりました」

「通いの看護師が9時から18時まで居てくれます。何かあればすぐ彼を呼ぶように。もし母が発作を起こした場合、貴女1人ではとても押さえ切れませんから」

「はい」

「発作さえ起こさなければ普通の人です、あまり心配する必要はありませんよ」腕時計を見て立ち上がる。「取り急ぎこれぐらいですね。ではわたしはそろそろ行かないと」

 ユーリさんに誘導されながら隠れ家を文字通りすり抜けた。どうやっているのか尋ねるが未だに彼は教えてくれない。書斎に寄って書類鞄を手にし玄関へと向かう彼について行く。ドアノブを握ったところで、裁判官は何かを思い出したかのように振り返った。「手を出して下さい」

「へ?」

「いいから早く」

 言われた通りに右手を差し出すとむぎゅっと掴まれる。何をするのかと瞬きを繰り返しながら見守っていると、ユーリさんはあろうことか私の手の甲に口付けを1つ落とした。

「ひゃあっ!」急いで手を引っ込めた。「な、なな、何するんですかいきなり!」

「おまじないですよ」意地悪く笑いながら言う。「貴女が言い付けに背かないように。そしてわたしが傍に居ない間、決して無茶をしないように」

「それぐらい言葉だけで充分でしょ! 何もここまでしなくたって!」

「インパクトがあればそれだけ注意を守るでしょう? 勝手な真似をしたらこれ以上のことをしますからそのつもりで」では失礼。そう言って彼は正義の女神像へと出掛けて行った。

「あら。ユーリはもう行ってしまったの?」食堂に入るとオリガさんが居た。車椅子を操作してこちらに向き直る。「朝ご飯も食べないで一体どうしたのかしら」

「あ、あーと……あれですあれ、ラジオ体操! 今クラスで流行ってるんですよ、朝一で運動して、そのまま学校に行くのが!」

「まぁ。流石はパパの子だわ、身体を自主的に鍛えるなんて。ねぇ、あなた」

 我ながら苦しい言い訳とは思ったものの、案外すんなり彼女は受け入れて空中に嬉しそうに話し掛けている。目を凝らしてもやっぱり何もないけれど自分には見えない物が見えるんだろうか。あ、やっぱりあんまり見るのはやめておこう。見えるようになったら怖過ぎる。怖い物はルナマスクのどアップだけで充分だ。

「あなたは随分ゆっくりだけどいいの? ユーリと同じクラスなんでしょう?」

「え! あ、あーと……あの、この間のテストで満点を取ったから休暇が貰えたんですよ! だから暫く学校がお休みなんです、私!」

 流石に無理かと首を竦めたけれど、これまたあっさりオリガさんは受け入れ頷くだけ。「最近の中学校は優秀な子には優しいのねぇ」なんて言っている。どうしよう、心がちくちく痛い。

「じゃあ一緒に朝ご飯を食べましょう。ユーリはね、最近反抗期なのか一緒に食べてくれることが少なくなってしまって」

「あ、は、はい、いただきまス……」

「それに女の子が居てくれるとそれだけで家の中が華やかになるわ。ねぇ、あなた」

 極力彼女が見ている方向から目を逸らしつつ朝食の準備を手伝う。といっても作り置きされたスープを温め直し、冷蔵庫からサラダを取り出すだけ。ユーリさんが朝ご飯を食べない主義なのは、ひょっとしてこのダイエットしている女子高生みたいなメニューに関係しているんだろうか。というより私どうしよう。これだけだと確実にお腹空くんですけど……コンビニで何か……でも外に出るなってユーリさんに言われたしなぁ……。

 席に着こうかとしたところで電話が鳴った。車椅子のお母様に断りを入れ代わりに出る。「はい、ペトロフです」

「……」

「あ、あれ? もしもーし?」

「……今後2度とそう名乗らないように」

「へ? え、ユーリさん?」

「今後2度とそう名乗らないように」

「え、はい、気を付けます」どうしたの急に。

「そうして下さい。全く心臓に悪い……。ところで母はどうしました?」

「お元気ですよ。車椅子だから電話に出るの大変そうで、それで断って私が電話に出たんです」

「成程。丁度良かった、どのみち貴女に話すつもりでしたから好都合だ。つい先頃ブロックスブリッジで爆破テロが発生しました。犯人もその目的も明らかになっていないし、かなり規模が大きい。絶対に家から出ないように。通いの看護師に連絡しましたからもう間もなくそちらに着く筈です。外出しなければならなくなったらまずは彼に頼むようにして下さい。彼で対処出来ない状況であるならわたしの指示を仰ぐこと。

「実家には独自回線を引いているのでそれを使用すれば混線時いつでも電話が可能です。何かあれば以前お教えした直通番号に掛けて下さい。最優先で取ります。不在の場合でも部下が応答するので伝言をくれれば折り返します。真夜中だろうがいつだろうが構いません。すぐに電話して下さい」

「はい」

「それと携帯電話は常に手元に置いておくこと」

「はい」

「宜しい。取り急ぎ以上です。それでは」

 慌しく通話が切り上げられる。ヘインズ事件の残務もまだまだ山積みだと話していた上にテロが発生。ユーリさん、今度はどれぐらいで家に帰れるようになるんだろう。

【十九】

 食堂に戻るとオリガさんがOBCチャンネルでテロ事件のニュースを見ていた。「電話は誰からだった?」

「ユーリさんからでした。ほら、今ニュースでやってるでしょう、テロのこと。爆破を知ってすぐに帰ろうとしたけれど、テロ警戒の為にモノレールが止まっていてすぐに戻れないそうなんです。でも無事だから安心して欲しいと伝えてって言ってました」

「そう……ああもう、何て恐ろしいのかしら」首を振るとキッチンを指した。「取り敢えず落ち着きたいわ、紅茶を飲みましょう」

 言われて車椅子をキッチンに移動させるオリガさんから、ペトロフ家では紅茶が欠かせないのだと聞かされた。「主人が好きだからつられて私もユーリも良く飲むの。ユーリは蜂蜜を入れるのが好きなんだけど、実はそれは主人の真似なのよ。あの子ったら父親っ子だから」

「ちなみにご主人はどちらに……?」

「レスキューの仕事をしているの。だから今はテロ現場に行っていると思うわ」

 紅茶を用意し食堂に戻ったところでチャイムが鳴った。きっと看護師さんだろう。出て来ますと告げて向かえば果たして、やけに体格の良い男性が立っていた。ユーリさんから事情は聞いていると彼――アドルフ・クーパーと名乗った――は話した。

「もう朝食は済みましたか?」

「あ、はい、サラダとスープだけですけど」

「ペトロフ夫人はそれぐらいしか召し上がりませんからね。あなたは足りましたか?」

「あ、あのぅ……」

 クーパーさんは笑った。「だと思った。まずは夫人にご挨拶して様子を見てから、コンビニに一っ走りしてサンドイッチでも仕入れて来ますよ」

「助かります! 良かったぁ、今日1日サラダとスープだけで凌がないといけないかと――」

 突如家中を悲鳴が包む。驚きに身体が強張る私とは裏腹に、看護師はすぐさま食堂に駆けて行った。遅ればせながら後を追って食堂に飛び込む。

「出て行きなさい!」

 途端叱責が投げ付けられた。クーパーさんに両腕を拘束されながら奇声を上げるオリガさんの姿が目に入る。辺りにはカップの破片が散らかっていた。クーパーさんの頬には引っ掻き傷もある。

『……爆破テロの首謀者であるこの女テロリスト、及びウロボロスが解放を要求したジェイク・マルチネスですが、今から15年前にMr.レジェンドにより捕らえられ、現在はアッバス刑務所に収監されています』

 部屋に流れ込んで来たキャスターの言葉に益々オリガさんが喚き暴れ始める。クーパーさんが目線で出て行くよう再度促した為、数度頷いて食堂から出た。それでも宛がわれた部屋に戻る気になれなくて廊下でじっとしていると、少しずつオリガさんの声が小さくなっていき、やがて看護師に支えられて出て来た。げっそりとした表情の彼女はぶつぶつと何事かを呟きながら、2人して廊下の奥に消えて行った。

「大丈夫ですか」戻って来たクーパーさんに問う。

 彼は頷き「ええ、今は鎮静剤でおとなしく眠っています。今の内に買い出しに行って来ますね」

「あ、はい、お願いします……」

「食堂と居間ではOBCも見ない方がいいでしょう。今HERO TVのモバイルサイトを見たら第2、第3のテロが起きたそうです。未だかつてないこれ程大規模なテロとなれば、HERO TVでなくともヒーローについて言及するでしょうし、ペトロフ夫人はヒーローにとても敏感な人ですから」

「気を付けます」

「部屋でこっそり、なら大丈夫ですよ。イヤホンあります? 良ければ買って来ますよ」

「あります、持ってます。すみません、色々お気遣い頂いて……」

「それが仕事ですからね。それじゃあ戸締りはしっかりして下さい。合鍵持ってますから適当に入るのでご心配なく。さっきチャイムを鳴らしたのは、いきなり入るとあなたが僕のことを変質者と間違えて警察に通報するんじゃないかと思ったからなんです。もう僕の顔覚えてくれたから大丈夫ですよね?」

 早口で捲し立てながら支度を整えると、私の「顔覚えました」の言葉に笑って頷き、クーパーさんは出て行った。

 せっかくお許しが出たので部屋に入り、携帯でHERO TVをイヤホンで視聴することにした。時間の経過と共に情報は次々と明らかになっていく。テロ事件首謀者の名前はクリーム。彼女の要求通りジェイク・マルチネスは解放されたものの、交換条件であった市民解放をジェイクは拒否してしまった。〈ルナ様のスカートを捲り隊〉の掲示板を覗いてみれば市長へのバッシングの嵐。そりゃそうだ、犯罪者の言いなりになった上に市民の命は未だ危険なままとくれば誰だって罵りたくもなる。

 そんな中マーベリックCEOの会見が14時に行われると発表があった。14時、あと1時間後か……あれ? そういえばクーパーさんやけに遅いな。ひょっとしてイヤホンしてたから帰宅に気付かなかったのかも。部屋を出て食堂、キッチン、居間、書斎を覗いて回ったけれどどこにも居なかった。おかしいとは思ったけれど連絡先を教えて貰っていない。おとなしく客室に戻り携帯を手に取った。

 BBJの会見が終わった頃にクーパーさんが戻って来た。よれよれの格好でかなり疲弊した様子だ。聞けば市民の避難合戦が苛烈しているせいでコンビニを始め食料品店やスーパー、デパート等は当座の食料日常品を求める人が殺到し、一部が暴徒化しているらしい。警察も出動して鎮圧に当たっているものの、テロの方に人員を割かれているせいでほとんど機能していないとか。

「ゴールドで食べ物と飲み物を、少しだけですけど何とか仕入れました。早目に行ったおかげでしょう。交通機能が全て麻痺している上にいつテロが終わるとも分からない。当分は外部からの物資も期待出来ないし、持久戦を覚悟しておいた方がいいですね」

 シュテルンビルトの犯罪発生率は世界でも類を見ない。市民は普段からそれなりの事態を想定して備えているけれど、かつてここまでの事件は起こり得なかった。ヒーローがいるからだ。けれどパワードスーツに彼らは苦戦を強いられていた。OBCのダイジェストを見ていた限り、あの女テロリストがジェイク何某の解放を命令するべく途中で出て来なかったら、ひょっとしたら負けていたかもしれない。

 相手がNEXTであれば警察では歯が立たない。更に頼みの綱のヒーロはもしかしたら勝てないかもしれないとくれば、どうして軍が来なかったんだろう。パワードスーツのような兵器が相手ともなれば完全に、市ではなく国が対処すべき事件になる。最初にブロックスブリッジが爆破された時であればまだ市民は人質に取られていなかったし、軍が出動する機会があったとしたらあの時を於いて他になかった筈なのに。

 市が要請をしなかったのなら話は別だ。ヒーローがいるからと慢心して軍の手を撥ね退けたのかもしれない。シュテルンビルトは時としてまるで独立国であるかのように振る舞うことがある。だから政府とも良く衝突し、互いの関係は良好とは言い難かった。

 クーパーさんは戦利品を3等分し――ユーリさんは当分戻らないから勘定には入れていない――自身とオリガさんの分を持って彼女の私室に向かった。残りを持って私は客室へ。外に出られず、クーパーさんの手伝いが出来るわけでもないので、当面はテレビと仲良くするぐらいしか選択肢はなさそうだ。

 クーパーさんは買い出しのついでに携帯の充電器も買ってきてくれていた。OBCとHERO TV視聴、〈ルナ様のスカートを捲り隊〉の掲示板チェック、悪友やお店の常連さんからの安否確認の電話と酷使していて電池がガリガリ減っていたので本当に助かった。

 ニュースはめまぐるしく様々な情報を流している。テロによる死傷者数や行方不明者、被害状況、市民の避難苛烈化による2次災害。パワードスーツの出現場所、市議会や市長からの公式発表、7大企業の声明。ウロボロスの出現からこれまでの経緯、そしてヒーローたちの活動など。前代未聞のテロだけにキャスターも戸惑いを隠せぬ様子で原稿を読み上げていた。

 ウロボロスによる人質解放の拒否から6時間後、HERO TVで動きがあった。解放されたジェイクからの提案でテロリストVSヒーローズの勝負を行うというのだ。カメラに向かって終始ふざけた態度を取る男は人質解放を拒否した時と比べて随分と様変わりしている。髭と髪は刈り込まれ染めてあり、誇示する如く塗りたくった水色の唇、素肌に毛皮を纏って不敵な笑みを浮かべていた。

 現役のヒーロー相手にいくら1対1とはいえ何故あれ程自信たっぷりにしていられるのだろう。余程の秘策があるか、或いは太刀打ち出来ない程の能力なのかもしれない。ジェイクが収監されていたアッバス刑務所には対NEXT用の特殊独居房があることで有名だ。Mr.レジェンドが捕まえたということはジェイクは過去ヒーローが出動するぐらいの犯罪を起こしたということ。それを踏まえれば多分その予想は間違っていないだろう。

 けれど本当にあの男の言葉を信じて良いものなのか。約束を守らない人間であるということは先頃証明されたばかりだ。ヒーローが負けてしまった場合シュテルンビルトは海に沈むことになる。街の歴史上シュテルンビルトを支配しようとした輩はいたが、街そのものを滅ぼすことも厭わない犯罪者は初めてだ。

 画面の中でクリームが円盤ボードを回転させる。そういえばヒーローは8人なのにどうして“セブン”マッチなんだろう。そんなことを思いながら見つめているとジェイクが対戦相手を選んだ。結果を見るべくボードの回転が遅くなった時に気付いた。折紙サイクロンのカードが見当たらない。擬態能力者では対戦するのにつまらないから外されたんだろうか?

 第1戦目の対戦相手はスカイハイだった。ジェイクは忌々しげにヒーローカードを握り潰す。『いきなりド本命って空気読めない奴だなぁ!』つまらなそうに口を尖らせた。『最初ぐらいザコで楽しませてくれよ、身体鈍ってんだからよぉ。まぁいいか、さっさと来いよキングぅ。待ってるぜぇ~!』ひらひらと手を振るとジェイクはソファにだらしなく横たわった。

 その傍に腰掛けたクリームが問う。『そんなこと仰って、内心では喜んでいらっしゃるのではありませんの? キングをさっさと倒してしまえばヒーローに頼り切っている市民の怯えた顔が見られますものね』

『さっすがオレの相棒! 考えてることはお見通しってわけだなぁ?』

『ふふ。伊達に付き合いが長いわけではありませんことよ。ところでジェイク様、お腹が空きましたでしょう? 久し振りに召し上がって頂けると思って腕に縒りを掛けましたわ。ほらほらクマちゃんたち、ジェイク様に食事をお持ちして』

 初戦がキングオブヒーローなのに余裕たっぷりな態度を崩さず、2人はのんびりと夕食を取り始めた。ザ・イエローこと名実況マリオも絶句している。

 ジェイクは獄中生活故にキングの実力を知らないからとしても、クリームは絶対に知っている筈だ。テロを起こせばヒーローが制圧に来る。対策として調べ上げるは常套。

 スカイハイは伊達でキングになったわけではない。操る風は刃にも盾にもなる。常はのんびりとした様子を見せるが、犯罪者の前に立った途端機敏に反応し、時に容赦なく叩きのめすこともある。そんなヒーローとジェイクが対峙しようというのに、どうしてああもクリームは平然としていられるのか。

『来ました来ました。我らがエース、スカイハイの登場です』

 味噌汁談義に笑みを浮かべる二人の映像が消え空を舞う王者の姿が映し出された。それまで沈黙を守っていたザ・イエローが漸く息を吹き返し、実況を開始――しようとしたのだが。

『さあ、それでは第1戦目スタート!』

 取って代わったクリームの掛け声を合図にスカイハイが先手を掛ける。しかし息付く暇も与えない攻撃は全くジェイクに届かず、それどころか王者は犯罪者の前に頽れてしまった。

『チェックメイト』スカイハイの磔姿の映像をバックに、カメラに向かってジェイクがにんまりと唇を吊り上げた。

 攻撃を防ぐ能力だけで、ああも容易くキング・オブ・ヒーローに勝てるものなのか。その後のロックバイソンはバリアを打ち破ることが出来ず、続くワイルドタイガーはかすり傷を負わせたものの完膚なきまでに打ちのめされた。その頃には時間も遅くなり、HERO TV側からの申し入れで残りの試合は翌日に持ち越された。放送を終えた画面には「Ouroboros TV」のロゴが浮かんでいる。

もう今夜は動きはなさそうだ。握り締めて成り行きを見守っていた携帯電話をベッドに放ると自身も身を投げ出した。今までにもヒーローが苦戦することはあったけれど、ここまで絶望に彩られることはなかった。

 枕元に落ち着いていた携帯を掴んで掲示板を見に行く。やはりルナティックを待ち望む声は多かった。ジェイク・マルチネスは正に、ルナティックが最も憎み最も裁く対象として選ぶであろう卑劣な犯罪者だ。それなのに何故彼は姿を見せないのだろう。

 天井を眺めながら無心に時計の針が進む音を聞いていると、日付が変わる30分前、携帯が着信を告げた。相変わらず天井を見つめたまま電話に出るとユーリさんだった。状況について問われたので、オリガさんは朝に1度発作を起こしたもののその後は落ち着いていて、クーパーさんも時間外ではあるけれどついていてくれていると報告する。そうですか、と平素の声音が応じた。ふと沈黙が落ちた。時計の針が2回、かちっと音を立てる。

「……ユーリさん」

「……はい」

 目を閉じて彼の声に集中する。「明日のセブンマッチ、もしヒーロー全員が負けたらどうなるんでしょう。やっぱりジェイクが言っていた通りこの街は――」

「その時にはわたしが出ます。シュテルンビルトを犯罪者の思うがままに破壊させるわけにはいきません」

「どうして今じゃないんですか? ヒーローでは出来ない粛清を行うのがルナティックだった筈。今回のクリームによる爆弾テロでは死傷者が出ているし、ジェイクは何人もの人を殺してきた犯罪者です。いつもであればこんなヒーローの茶番劇なんて無視してとうに葬り去っていてもおかしくないのに」

「……ルナティックとして市民の前に姿を現したのは、ヒーローの掲げる正義が如何に危ういバランスの上に成り立っているかを証明する為であって、彼らの存在そのものを否定するつもりではありませんでした。ヒーローは市民にとって、この街にとって、そしてNEXTの未来にとって必要です。その考えは今も変わらない。彼らは一種の、正義の象徴であるべきだ。

「そう思うからこそわたしは今、彼らにこの現状を委ねているのです。悪を憎む気持ちは彼らとて同じこと。しかし非情になり切れるかどうか、全ての事象を単純化出来るかどうかだけが異なる。割り切れないからこそヒーローは中途半端に正義を振り翳す。だがそれでは人は救われない。それでは悪は決して滅びない。故にルナティックが存在するのです――正義を象徴するが為に正義そのものになり切れないヒーローへの、1種の問い掛けとして。そして悪をその身に宿す者たちへの、抑止力として。

「ヒーローが無事此度の事件を解決出来れば良し。そうでなければ――或いはその“正義”に偽りの影が差し込むならば、その時は蒼の炎を纏うこととなるでしょう。尤も管理官としての立場から言わせて貰えればヒーローがジェイクを捕らえるのが最善ではありますが」

「ユーリさんはヒーローを……信じて、いるんですね……」

 長い長い沈黙が落ちる。電波の彼方に在るこの人は、どんな顔で聞いたのだろう。どんな思いで話しているのだろう。

「……信じていた時期も、ありました」

 震える声が静かに答えて、そうして通話は切り上げられた。

【二十】

 翌朝行われたバーナビーとジェイクとの対戦。始まる前、バーナビーが負けた場合街を半壊するとの不穏な発言はあったものの、WTの機転とBBJの執念とが勝利を収め、シュテルンビルトはテロの脅威から無事に脱した。ヒーローズの女子組は軽傷で済んだ為セブンマッチ翌日からは復帰。続いてロックバイソン、折紙サイクロン、スカイハイの順で活動を再開した。重傷であったワイルドタイガーは無茶が祟ったせいで入院を余儀なくされているらしい。

 シュテルンビルトはテロからの復興にすぐさま取り組んだ。三層構造を支える柱を強化、警備体制の見直しが行われた。復興の混乱から無法地帯となることを避ける為軍が出動し滞在することとなった。実に3ヶ月に亘って滞在していたのだが、その期間中シュテルンビルト史上最も犯罪発生率が低かったのは当然のことといえるだろう。

 ユーリさんから「まだ暫くは実家に滞在していなさい」と電話があり、それからずっと彼の生家に泊まっていた私は、セブンマッチ終了から凡そ2週間後に漸く裁判官と顔を会わせた。本人曰く一時帰宅だそうで、着替えやら身の回りの品やらをスーツケースに詰め込んでいる。

「当分は司法局住まいになりそうです」

 チェストの前に立ち引出に手を掛けたところで彼はこちらに向かって眉を吊り上げる。見られたくない物を取ろうとしているのだと正しく読み取り、レディらしくきちんと背を向けた。数拍置いて支度を再開したユーリさんが言葉を続ける。

「そういえばワイルドタイガーですが、ブルックスJr.の対戦の際に無理をしたせいで長期療養となりました。下手をすれば今シーズンの復帰は絶望的かもしれません」

「ええっ!? そ、そんな! せっかくタイガーのファンになったのにっ!!!」

 こんなことならもっとトレーニングセンターでタイガーに甘えておけば良かったなぁ。あの人に頭撫でられるの好きだったのにぃ。むぅむぅぼやいていると途端に後頭部を鷲掴みにされた。

「い……いででででっ! ちょ、ユーリさん! 痛いです痛い痛い勘弁して!」

 振り返ると無表情の裁判官が私を見下ろしていた。じいっと私の目を見つめていたかと思うと自身の左手を見遣り、それからほんの少し頬を染める。

「ユーリさん?」

「……何でもないです」ぶっきらぼうにそう答えると裁判官は顔を赤らめたまま支度を終え、早々に家を出て行った。

 2日後、許可が下りたので久し振りに自宅に戻った。窓を開け放って空気の入れ換えをしていると店の呼び鈴がけたたましく鳴らされる。一息入れさせてくれと思いながらも店に向かうと、入口のガラスから見えるのは悪友マリアの姿。驚いてドアを開ければ両肩を掴まれ勢い良く揺さぶられた。

「生きてるのね! 怪我はないのね! 操は無事なのね!」

「酔う酔う酔う酔う! タイム! マリア、本気でタイム!!」

「何がタイムよこのお調子者が! ここんとこ男の家にしけこんで連絡もほとんど寄越さないかと思ったら、昨日いきなりメールで『明日やっと家に帰れるよ~』とか。馬鹿にしてるにも程があるわ! あんたね、いい男がいたら逐一報告しろってあたしが何度言ったら分かるのよ! いい男の周りにはいい男が群がる、これ世界の常識! あたし早く結婚したいんだから紹介しろって前からずーっと言ってるでしょっ!」

「分かった! 分かったからちょっと待って! 頭シェイクしないでー!」

 漸く解放され、頭を両手で支えながらマリアのお小言という名の愚痴を聞かされる。確かに良さそうな人がいたら紹介すると約束は以前させられたけれど、ここ最近は異常事態だったんだから大目に見てくれてもいいのに。そう思ったままを告げたら呆れられた。

「吊り橋効果って知らないの? テロの最中だったからこそさくっと恋が芽生えて結婚出来るって可能性が高かったのよ? チャンスはモノにしなくちゃ駄目なの。だからあんたもあたしもいつまで経っても結婚出来ないのよ。ここぞという時に男を逃しちゃうの。分かる?」

 恋だ結婚だと、そちら方面になるとてんで常識が通用しなくなるこの女性の職業は検察官。普段は鬼検事として鳴らしているらしい。結婚出来ない理由はそこにあるのではないかと毎回やんわり問うのだが、絶対に有り得ないと一蹴されていつも終わる。

「まぁいいわ、あんたも大変だったみたいだし。次の女子会で改めてその男について聞かせて貰うから」住居スペースに入り込み、とっておきの茶葉で勝手に紅茶を淹れながらマリアが言う。

「別に付き合ってるわけじゃないんだけど……」

「付き合ってないのにどうして実家に呼ばれるのよ? ご両親と会ったんでしょ?」

「あ、うん。まあ」お父様の方には多分会ってないと思いたい。姿が見えなかったし。

「結婚前提じゃないの、それって?」

「いやだから、そもそもお付き合いないんだってば」

「友達ってこと?」

「友達……うーん……」カップを受け取りながら眉を寄せる。友人というよりは親戚の兄ポジションなのかな。いやでも、じゃあ何であの日ユーリさんはキスしたんだろう。いつもの無表情から一変、色を滲ませた顔で何度も。思い出して頬が熱くなり、手を押し当てればマリアがにんまりと笑った。

「単なる友達ってわけじゃなさそうね。もう寝たの?」

「ちょっと!」

「あー。その反応だとまだなのね。はいはい」

「だから私とユーリさんはそういう関係じゃないんだってば!」

「……ユーリ?」マリアは眼鏡をくいっと上げる。「そういや前に子ヘインズから聞いたことがあるわ。司法局の美人な鬼判事補がゴールドの店でスーツを仕立ててるんだけど、どこの店なのか教えて貰えないんだって。確かその美人鬼の名前がユーリ何ちゃらだったわね。まさかその何ちゃらなんじゃないでしょうね?」

「そのぅ……」

「何ちゃらなわけね。参ったなぁ、よりによって裁判官か! それだと“ユーリさん”の周辺の男を紹介してくれてもお付き合い出来ないわ。1度判事と付き合ったことがあるんだけど、別れた後も顔を会わすからお互い仕事がやりにくくってね。以来裁判官とはプライベートな関わりを持たないことにしてるのよ」

 マリアは残念そうに何度も「裁判官かぁ。裁判官なぁ」とぼやきながら紅茶を飲み干し、「まだ仕事残ってるから帰るわ」と慌しく出て行った。とっておきの茶葉は量が少なく、入手の目途も立っていなかったからユーリさんと飲もうと思っていたのにほとんど飲まれた。ちぃっ。今度の女子会でクランベリーソーダのメガサイズ奢らせてやる。

 自宅に戻ってからの珍客はマリアぐらいのものだった。ヘインズ事件直後であれば興味本位の人間もいただろうが、それよりもジェイク&クリームによるテロのインパクトは凄まじく、既にメディアも市民もヘインズ事件については忘れ去っていたらしい。ヘインズ事件をネタに絡んでくる困ったお客――ユーリさんもこれを心配して帰宅させたくなかったと話していた――が来ることもなく年内は平穏に過ぎ、例年通りの年明けを迎えることが出来た。お得意様が9割を占める中、新規顧客もちらほらといて、まぁ大抵は普通の人だったけれど、それでもやっぱりちょっと変わったお客さんもいた。その筆頭といえばバルドーさんだ。

 バルドーさんは年が明けてから訪れた。カラーコンタクトでも着けているのかルビー色の綺麗な瞳をしていて、抑揚のない声、感情のない表情をしているのに実にフレンドリーな口調で話す不思議な男性だ。こちらからの問い掛けに対し2拍遅れて返答するという面白い癖がある。初来店の時はスーツ1着をご注文、以来ちょこちょこ来てくれるようになり今では上得意様。無表情なのに陽気な口調というミスマッチにすっかりハマってしまい、彼が来店するとついつい長話をしてしまう。何をしているのかは訊いたことがないけれど、それなりの値段がするスーツをさくさく発注し、平日真昼間に来て長居出来る立場なのだから、まぁそういう地位の人なんだろう。

 そんなバルドーさんのスーツを仕立てていた夜のこと。HERO TVの再放送をBGMにしていると突如生中継に切り替わった。マリオ・ザ・イエローの実況によれば先の爆弾テロの模倣犯が今回のターゲットとのことで、復旧中のブロックスブリッジに爆弾を仕掛けたようとしたところを巡回中の警察官に見付かり逃走したらしい。3秒間だけ相手の動きを止められる能力を持っていることが判明し、こうしてヒーローの出番と相成ったと、マリオが70秒できっちり経緯を説明して直ちに実況に入った。

『さーて、本日1番乗りは……来ました! バーナビー・ブルックスJr.です! セブンマッチ以降はバディであるワイルドタイガーが長期療養中の為、1人でのヒーロー活動を余儀なくされていますが、流石あのジェイク・マルチネスに打ち勝っただけはあります! 現在ランキング2位をキープ。1位も既に射程圏内です! 続いて氷の女王が登場! さあ今宵はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか!?

『……ん? あそこに居るのは……何と! ルナティックです! ルナティックが3ヶ月の沈黙を破って現れました! 犯人が危な――これは! どういうことでしょう、ルナティックがバーナビーの前に立ちはだかりました! 狙いはシュテルンビルトの英雄か!? マントを燃やしながらバーナビーに話し掛けている様子。何を話しているのでしょうか、もっと近付いてみましょう。おや、ルナティックがボウガンを構えました! バーナビー、ピンチです――ええっ!?』

 淀みなく語り続けていたマリオが言葉に詰まった。蒼の断罪者はバーナビーにではなくOBCのヘリに向かって矢を放ったからだ。途端画面に走る砂嵐。数秒の後HERO TVのロゴが表示される。

『な、何ということでしょうか! ルナティックによってOBCのヘリが破壊されてしまいました。今回の犯人は爆弾を所持していたことから安全を考えヘリは無人機を飛ばしており、またヘリの破片は全てイーストリバーに落ちた為、幸いにも負傷者は出ていません。新たな無人機が2台現場に向かっております。あと数分で到着予定です、それまで今暫くお待ち下さい! 尚現場スタッフの連絡によると爆弾犯はブルーローズが捕まえたとのことです。犯人逮捕で200ポイントを獲得しております!』

 現場スタッフからの報告をマリオが話し続けること6分。漸く画面からロゴがなくなり現場映像が映し出された。赤の閃光と蒼の炎が空中を舞っている。どうやら会話の時間は既に終了して実力行使へと突入したようだ。

 宙を飛ぶ2人はやがてビルの屋上へと落ち着いた。ルナティックのボウガンから発射される矢を跳躍で躱してバーナビーはルナティックの背後に降りる。そのままルナティックの足を払うが、断罪者は屋上に左手を翳して炎を出し、その勢いで宙返りをしつつボウガンを構えた。しかしハンドレッドパワーを発動していたルーキーは既にルナティックに迫っており、繰り出された蹴りをルナティックはボウガンで受け止める。反動で吹き飛ばされたところへ先回りしたバーナビーがGOOD LUCK MODEの飛び蹴りを見舞おうとした。そこへルナティックの炎が吹き荒れた為に飛び退る。炎の舌が宙からなくなった時、バーナビーの眼前には蒼の炎を絡み付かせた拳があった。両腕をクロスして防御しようとするも一瞬間に合わず、ヒーローは顔面にパンチを食らってよろめいた。

『貴様の言葉聢とこの耳に届いた。然すれば今宵の邂逅は最早充分』無人ヘリのマイクがルナティックの声を拾う。『虎の咆哮が星の街に響き渡るその時、緋色の影を背に今1度舞い降りよう』ルナティックの全身を蒼火の波が覆い隠し、炎が掻き消えると同時に彼の姿も見えなくなった。

 そこまで見届けてからテレビを消し、真っ暗になった画面を眺める。ルナティック活動再開かな。ここ暫くはマスクとマントの生産ペースを落としていたけれど、こうなると量産体制に戻した方がいいかもしれない。良し、とばかりに膝を1つ叩いて立ち上がると隠し部屋へと足を運んだ。

 部屋はマスクとマントで溢れ返っていて、ルナマスクに360度見守られながらの作業になりつつあったから、正直あんまり入りたくなかったんだよね。でもこうなったら鬼の勢いでマントを燃やしまくるだろうから、やっぱり前のペースで作った方がいいんだろうな。扉を開けて中に入ると、極力ぎょろ目のマスクと視線を合わせないようにしつつ作業に取り掛かり始めた。

 翌朝突撃して来たユーリさんは朝食を持参していた。有難く頂くことにして、お礼にと紅茶を淹れてつつ昨夜の出動について話を振ってみる。

「いえ、当分はルナティックは休業です」

「そうなんですか? でも昨日はやけにノリノリだったのに」

「最後にちゃんと言ったでしょう、ワイルドタイガーが復帰してから活動を再開させると」

 そんなこと言ったかな……あ。あれか、虎の咆哮云々。あれがそういう意味だったのか。相変わらず難しいな、タナ語は。解答が分かったから後で掲示板覗いてみよう。翻訳班が訳してる筈だから確認しないと。

「そういえばユーリさん、また有言実行したんですね」

「また?」

「T&Bを殴りたいって前に言ってたでしょ。タイガーは既に実行済、漸く今回BBJにも果たせたわけですし。凄いですよね、言ったことはちゃんとやるんですもん」

「……言った記憶があります。良く覚えていましたね」

「そりゃあ紅茶カップ一客をあの時駄目にされてますから。しかもお気に入りでしたから。ついでに言うと今ユーリさんが使ってるカップと対になってるやつで、クレイトン社20周年限定の品だったものですから。忘れたくても忘れられないんですよねぇ?」

 裁判官はぎょっとしてカップに目を落とす。程なくして恐る恐るといった体で私を見た。「……その……すみません。それ程に高価な品だったとは」

 うわー。鬼検事曰く鬼裁判官らしいこの人の上目遣いとか。これ貴重なんだろうなぁ、写真撮ったら怒るかな。

「……今の会話のどこに貴女がわたしを撮る要素があったのですか」むすっとした表情でユーリさんが尋ねる。

「この写メ1回分で示談成立とします。ありがとうございます、ユーリさん」

 益々訳が分からないと顔を顰めるものの、示談という言葉に一先ず私の恨みは霧散したものと判断したらしい。その証拠に「言質を取りましたからね」とか言ってる。可哀想に、もう職業病なんだなこれって。嬉々として紅茶を飲む彼を頬杖しつつ――行儀が悪いと注意された――眺めながら、この人が愛おしくて仕方のない気持ちに胸が溢れる。はたと視線が交わり、オリーヴグリーンの瞳が「何か?」と問い掛けてくるのを見た瞬間悟った。私はこの人が好きなのだと。

【二十一】

 想いを自覚したからといって2人の距離感も、彼への態度も変わらない。今のユーリさんの様子を見ているとそれどころではないと分かるからだ。相変わらず忙しいようでトレードマークの顔色の悪さに拍車が掛かっている。目の下の隈も酷いものだ。それにルナティックとしての活動を一旦取り止めている理由が気になって仕方がない。彼にとって重要な出来事が起こり、その結果としてルナティックの出動見合わせに繋がっているのだとしたら、色恋沙汰で煩わせたくはない。

 言い出すのは別として、どう切り出そうかと考えてしまうのは恋心の常。駆け引きはあまり上手くないけれど、マリアが話していた吊り橋効果やら――多分あの日のキスはそういうことだろう――秘密を共有しているという親近感やらを利用してみるのもいいかもしれない。そう頭を過らなかったといえば嘘になる。だけど正々堂々と勝負を仕掛けないのは気が咎めるし、何より企みがばれた後の裁判官殿が非常におっかないことになると予測されるので、熟考するより早くその案は却下した。

 諦めることは絶対にしない。人生は1回だけしかないのだ。今はタイミングが悪そうだから言い出せないけれど、いつ袂を分かつ時が来るとも限らないし、そう遠くない未来にあの人にきっと告げよう。真摯な想いには真剣に応える人だから彼なりの結論を必ず出してくれる。その回答を待ってどう行動するか再検討すればいい。

「……百面相って言われたことない?」

「へっ!?」我に返って正面にピントを合わせるとバルドーさんが立っていた。いつ入って来たんだろう、全然気が付かなかった。「す、すみません、バルドーさん、私気が付かなくて」

「……ううん。おかげで面白い物が見れたからいいよ」

「はぁ……?」

「……ああ、そうだ。これお土産。メルブリンの紅茶が好きなんだったよね」

「わぁっ! いいんですか! ありがとうございますっ!!」

「……どう致しまして。そんなに喜んでくれると嬉しいな。選んだ甲斐があったよ」

「あ、あの! もしお時間があったら、良かったらご一緒に如何ですか?」

 バルドーさんは微かに首を振ってみせた。「……うーん、ちょっと都合が悪いんだよね。でも気持ちは有難く頂いておくね。いつかあなたとお茶を飲む未来が訪れたなら素敵だな」

 どことなく恐怖を覚える。ほとんど瞬きをしないせいなのか、それとも全く感情が読み取れない平坦な話し方のせいなのか。いけないいけない、今は接客中。気を取り直して奥から注文品を持って来る。仕上がりを確認して貰い、了承が出たので料金を頂いてスーツを手渡した。

「……じゃあ今日はこれで帰るね。ちょっと急いでるから」

「はい。お土産ありがとうございました!」

 いつものように手を軽く振って背を向ける。と、こちらを振り返った。「……そうそう。ねえ、ルナティックに助けられたことがあったよね。彼を間近で見たことがあるあなたに訊きたかったんだ。彼のことをどう思う?」

「え……?」

「……簡単な質問だよ。だってあなたと彼はとても良く似ているでしょ?」

 言葉を失った。私とルナティックを結び付ける要素なんて有り得ない。あってはならない。それなのにこの人は何故。

「……74年の夏、休日の午後。とある中流階級の家に強盗犯が押し入った」バルドーさんは目を閉じて話し始める。「銀行で一仕事やらかしたグループの一員だったその男は、自宅で寛いでいた一家を人質に立て籠もった。ヒーローが突入してみると既に夫妻は殺害された後。娘も手に掛けようとしていたところで取り押さえられ、辛くも彼女は生き延びた」

 紅の瞳が開かれ真っ直ぐに私を見据えた。星ですら霞むあの緋色の月のように真っ赤に輝く瞳が、ただ無心にこちらを見つめている。

「……命を助けられた娘は裁判の庭で盛んに主張した、死に値する償いは死あるのみと。無論シュテルンビルトに死刑制度は現存していない。結果男は終身刑を言い渡された。あの時わたしは裁判所に居たんだよね。あなたの顔は今でもこの目に焼き付いている。良く似た顔をこれまで幾度も見てきたから。きっとこれからもだろうけど」バルドーさんは右手で耳に触れた。しかしすぐに手を下ろすと先を続ける「……それから4年、彼女の主張に良く似た主義を持つ男が現れた。だから訊いてみたかったんだ、あなたが彼をどう思っているのかを。メディアも市民も散々議論を交わしてきたよね。彼のしていることは結果として人殺しに相違なく、欺瞞と偽善に過ぎないのだと。或いはルナティックこそが正義の使者なのだと言う者もいる。けれど誰がどう言おうとルナティックという男の行為は止まらなかったし、正義の象徴であるヒーローたちですら止めることは――」

「――他人が何と言おうとルナティックを止めることは出来ないし、止め得る可能性を秘めたヒーローはあくまで正義の象徴に過ぎません。彼らは正義を司っているわけじゃない。でもルナティックは違う。揺るぎなき信念の下、公平に、罪の重さに相応しい粛清を行っている。そう私は思います」

「……それが君の答えってことかな? ふーん……」またもバルドーさんが右耳に触れる。今度は先程よりも長く。「……ありがとう、君の考えが聞けて良かった。お礼に1つ教えておいてあげよう。強過ぎる想いの反動はいつか必ず身を滅ぼす――覚えておいで」

 バルドーさんが私の頭を撫でた。力加減が上手くないのか少し痛い。最後にじっくりと目を合わせた後、軽く手を振って出て行った。


 
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