No.641475

落日を討て――最後の外史―― 真・恋姫✝無双二次創作 34

ありむらさん

反董卓連合篇 開始!!

独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。

2013-11-30 21:25:07 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:5203   閲覧ユーザー数:4146

・・・・・・(略)

 董仲穎、宦官ト結ヒ、貧富ノ差ヲ問ワス洛陽ノ民ヨリ金品ヲ強奪シ、私兵ヲシテ恣ニ女官ヲ陵辱サセ、周ク辺リニ営マレタル村々ヲ焼キ払ヒテハ逃去スル村人ヲ虐ケ殺シタリ。

 又、疫病ノ蔓延、先帝ノ崩御、何進大将軍ノ逝去ト立テ続ケニ生シタル大事ニヨリテ惹起サレシ混乱ニ乗シ、陳留王劉協殿下、卑シキ私宅ノ隅奥ヘ軟禁セシ董相国ノ乱心、此処ニ極マレリ。

 何進大将軍ヘノ報恩ノ心、先帝、現帝ノ御膝元ニテ尽クシ奉リ仕ル忠誠ノ魂、是ラ尽ク忘却シ、外道ヲ踏ミ、魔道ヲ行ク相国、捨テ置キタルハ忠臣ノ態ニ非ス。

・・・・・・(略)

 此処ニ誠ノ忠臣タル諸賢集ヒテ盟ヲ結ヒ、悪鬼董卓ヲ討滅シ、以テ天都ヲ覆ヒタル暗雲ヲ拭キ拭フヲ良シト考ス。

司徒閣下、司空閣下、太尉閣下ニ於カレテハ、連盟ノ趣意、是ニ、甚ク賛同召サレ、我ヲシテ諸賢ヘ周知セシムル仕儀トゾ相成リタル。

現帝ノ御代ヲ汚ス王敵相国ヲ討伐シ、天都ノ民ヲ救ヒ、又、劉協殿下ヲ奪還シ申シ上ゲ奉ラント欲スル者、其ノ清廉ナル魂ヲ燃ヤシ、勇猛ナル同胞ヲ率ヒテ、結集サレタシ。

 

以上、橋瑁の檄文より抜粋。

 

     1

 

 陳宮は怒り狂っていた。

「一体何なのですか、これはッ!!」

 檄文の記された竹簡を叩き折り、書斎の壁に投げつける。ただ、竹簡はそれ以上砕けることなく壁に跳ねてころりと床に転がった。竹簡がこちらを小馬鹿にしているように見えて、陳宮はいよいよいらだちを募らせた。

「まあまあ、音々ちゃん。おちつきなって」

「そうですね。あたくしたちですら、こうして椅子に腰を落ち着けるだけの我慢はしているのですから」

 さらに癇癪を起こして、陳宮――音々は茶の満ちた椀を放って叩き割った。竹簡とは違い、大きな音を立てて潔く砕け散ったその茶碗を見て、音々は少しだけ血の温度を下げることに成功した。

 書斎には客が二人あった。

 かたい赤毛を二つに結った少女、徐栄と、あだっぽい猫目の女性、高順であった。音々のもとに、檄文を齎したのは、この二人の可憐な客である。

 日輪はすでに中天を過ぎて、洛陽の街は赤々とまぶしく切ない、黄昏時を迎えようとしていた。窓から差し込む日光線は、徐々に朱色を増し、もうまもなく、濃厚な命の色を帯びるだろう。

 檄文の内容と相まって、夕暮れの色合いが不吉なものに思えて仕方がなかった。

「――高順殿」

 荒い息を収めてから、音々は言った。

「はいな」

「恋殿の屋敷に、華雄と霞を」

「霞殿にはもう連絡を差し上げました。華雄殿はすでに恋殿のお屋敷におられるようです。こういうとき、華雄殿は気が利きますわね」

 高順の品の良い声を聞きながら、音々は深呼吸をすると、訳が分からぬという顔の徐栄に視線を向けた。

 徐栄という少女は、戦場にあれば天才的な感働きと統率力を見せるのだが、こうして書斎に放り込まれると、途端に頭の回転が鈍くなる。

 それが徐栄の愛嬌でもあったりするのだが。

「なんで恋ちゃんのトコに華雄が行ってんのさ」

「諌めに赴かれたのですよ、華雄殿は」

 高順が音々に代わってそう答えた。

「恋殿は寡黙ではありますが、稀代の激情家でもあります。愛すべき月殿の名がこの檄文によりどれほど傷付けられたか。それを知れば、ひとり駆け出して、橋瑁に賛同した諸侯を殺しに行くでしょう」

「え? いいじゃん、殺そうよ。あたいも行く」

「それが出来るのであれば、あたくしだってそうします。ですが、今は動くべき時ではありません。恋殿には堪えて頂かなくては」

 音々の考えを、高順はすべからく代弁した。

 音々の仕える相手、呂布は寡黙で普段は穏やかに過ごしている、極めて無害な少女である。だがひとたび戦場へ出れば、天下無双の武を持って、敵に等しく死を与える災禍と化すこともまた事実であった。

 飛将軍呂布は、人に非ず。

 人中の呂布。

 化け物。

 怪物。

 これらはすべて、呂布に向けられた称賛の語である。

 その呂布は――極めて苛烈な心の持ち主でもあった。

 普段激怒したり、横暴であったりということはまるでない。けれどもひとたび怒りに火がつくともはや止められぬ。

 自然鎮火を待つしかない。

 黄巾党を相手に、一人で三万人を斬ったという噂がある。敵の死骸を勘定した訳ではないから、その噂が正確であるのか否か、何とも言いがたい。

 けれども、呂布がひとりでおびただしい数の黄巾兵を殺したのは事実である。

 何も語らず、雄叫びも上げず、黙したまま、けれどもその双眸に火焔のように熱い怒りを滾らせて、呂布は敵の一団を鏖殺した。

 理由は簡単だった。

 黄巾兵がさる村を襲い、そこでとらえた幼女を輪姦していた現場を目撃したのである。辺りにはすでに『使用』され『損壊』した男児や女児の遺骸が無残に転がっていた。

 賊徒が女を凌辱するのは戦場の常である。呂布とてそれは諒解している。けれども、その場で慰みものにされ、壊された子供たちは、戦場の常識として断じてしまうには、あまりに幼かったのだ。

 呂布は一瞬にして目の前の黄巾兵を殺害し、幼女を保護した。

 だが遅かった。結局、幼女は呂布の腕の中で苦しげに息を引き取った。

 ――ちんきゅ。いってくる。

 その時の声音を、音々は今でも時折夢に見る。

 いつも通り、呂布の可憐な声に違いはない筈であったのだが、その時音々は、赤く煮え滾った鉄の池に溺れているような錯覚を覚えたのだ。

 本当に三万人を斬ったのか、それは分からない。

 だが、呂布の怒りが静まるには、多くの敵の命を消費した。それは事実だ。

 そして今、そうなって貰っては困る。

 まだ堪えなければならない。

 音々は軍師である。

 呂布の屋敷へ華雄と張遼を向かわせ、怒りの爆発だけは阻止させなければなるまい。華雄や張遼を切り捨ててまで出陣しようとは、呂布も思わないだろう。

 ――恋殿、堪えてくだされ。

 音々の胸が鋭く痛んだ。

 呂布は。

 恋は。

 その優しい心根ゆえに、時には激怒し、鬼となって敵を斬るのだと知っているからだ。

 今もきっと、この唾棄すべき檄文のために心を痛めていることだろう。

 あの、純朴な少女(あるじ)は。

「さしずめ、反董卓連合、とでもいったところでしょうか」

 高順が呆れたように言った。

「反吐が出るほど的確な表現なのですよ、高順殿」

「あっはっは! 確かにねえ。つーかさ、その檄文ってもう結構出回ってんだよね?」

 肩を竦めながら、赤毛の徐栄が問うた。

「それはそうでしょう。連合の攻略目的地は、ここ洛陽なのですから。ここへ檄文が流れ着いたということは、余所にはすでに行きわたっているはずです」

「……後手に回ったのです」

 音々は苦々しげに奥歯を噛んだ。

「仕方のないことです、音々殿。洛陽は混乱していましたし、あたくしたちは都をはなれていました。檄文に先んじて月殿の賢政を宣伝している余裕は、時間的にも物理的にもなかったのです」

 高順の言う通りでは確かにある。音々たち三人は仕事のために帝都を離れていたし、何よりその帝都はここしばらく混乱の渦中にあった。

 不可思議な病が流行し、先帝が崩れ、何進がその先帝の招客に謀反の疑いを掛けて火刑に処した。

 それに反発したのが董卓――月であり、劉協であった。また時を同じくして、徐州で陶謙が兵を起こしたものの公孫瓉に討たれ、その最中、何進が暗殺された。

 何進の死に激怒した『ていを装った』袁紹や袁術らが、ここぞとばかりに宦官どもを皆殺しにしたのが、つい先月のことである。段珪は討たれ、張譲は行方知れずとなった。

 洛陽は激動の時勢に翻弄され、身動きが取れなかった。

「立テ続ケニ生シタル大事ニヨリテ惹起サレシ混乱ニ乗シ――だってさ。混乱に乗じたのはこいつらの方だよねー、あはは」

「まったくなのです。それで高順殿、この檄文に賛同した諸侯は現れやがったのですか?」

 音々が問うと、高順は首肯した。

「明確な意思表示はありません。ですが、袁紹と袁術が兵団の増強を行っているとの情報がありますね。それから、馬騰が月殿のところから軍馬と将を引きました。すでに月殿には挨拶を済ませ、洛陽郊外の城塞から撤退したと」

「ど、どういうことなのですか! 馬騰は月を裏切って、連合に参加すると……ッ」

 洛陽内の混乱に対応するため、月は馬騰から軍馬と将を借り受けていた。将は、馬超、馬岱、龐徳の三名である。

 これらを引き上げさせたということは、暗黙裡に存在した月との盟友関係を凍結、あるいは解消するとの意思表示に他ならない。

「馬騰の関心はあくまで涼州の安寧と帝への義にありますから。かならずしも月殿のために動くとは限らないでしょう」

「月殿は――孤立無援なのですね」

「他の勢力に助力を願えないという点においては、そう言えるでしょう」

「ええ……月ちゃん、ぼっちなの?」

 徐栄は心底可哀そうだと言わんばかりの顔で音々に訊く。

「別にひとりぼっちではないのです。月には恋殿も霞も華雄も詠も、それから音々も高順殿もあなただってついているではありませんか。ただ、高順殿が言った通り、馬騰殿が兵を引いた以上、他の勢力からの支援は受けられないと考えるべきなのです」

「袁術はアレだけどさ、袁紹も駄目なの?」

「あんなの一番信用できないのです! それにしても早急に手を打たなければなりませんね。このままでは音々たちは確実に敗北します」

「はあ? ないない、ないって。恋ちゃんだって霞ちゃんだっているし。華雄も高順もあたいもついてる。音々と詠の脳味噌で上手いこと動かしてくれれば、勝てない敵なんていないっしょ」

「名将の俊才でどうにかなる物量差ではないのですよ。袁紹のもとには顔良、文醜。袁術のもとには張勲、そして孫堅。あと連合に加わる可能性があるとすれば、幽州の公孫瓉。陳留の曹操。最悪の場合として、馬騰、劉備の参加も考えなければならないのです」

「袁紹、袁術傘下の孫堅、あとは曹操が厄介ですね」

 高順が唸って続ける。

「ただ、劉備の参戦はないとみて良いでしょう。彼女は今、徐州牧に就いたばかり。旧陶謙勢力の駆逐に手一杯のはずですから」

「ねー、誰か味方に引き入れられないの?」

「無理ですね。出来ることとすれば、参戦の意思表示をしないこと、連合への参加を保留にしてもらえるよう働きかけることでしょうか」

 高順の意見に、音々も賛同する。

「それしかないみたいなのです。態度を保留してくれそうなのは、公孫瓉、馬騰、劉備――くらいのものですか」

「音々殿の意見に賛同します。袁紹、袁術は確実に連合へ参加するでしょう。野心家の曹操もこの機を逃さず洛陽を陥れたいと考えるはず」

「なんかまどろっこしいなあ。もうさ、敵になりそうなやつ、こっちから攻めてやっつけちゃえばいいのに」

「そんなことをすれば月の正当性がますます損なわれるのです!」

 徐栄を叱り飛ばしながら、音々はどこかで自分も本当はそうしてしまいたいと願っていることに気付いていた。

 正直な徐栄に対して、軍師である自分はただ、うそつきなだけなのだ。

 音々はひたすらに守りたいと思う。

 洛陽で過ごす、仲間たちとの穏やかな日々を。

 民たちのために、懸命に奔走する同志たちとの日々を。

 きっと守ってみせる。

 外敵をことごとく、叩き潰すことで。

 

     2

 

「こら、あかんかもしれんで」

 目の前で張遼――霞が唸った。

 恋は屋敷の応接間で、霞と華雄の両名に会っていた。彼女たちの用件は、大陸中に撒かれた、打倒董卓の兵を募る檄文についてである。

 先に屋敷を訪れたのは華雄であった。檄文を見た恋が、怒って飛び出して行くかもしれないと危惧したらしい。

 ちょっと心外だ。

 華雄の言う通り、齎された檄文を恋も目にしたし、腹立たしくも思った。けれども、今自分が感情的になって暴れたところで、意味がないことくらい承知している。むしろ恋は当初、華雄が激怒して自分を戦場に誘いにきたのかと思ったくらいなのだ。

 確かに自分はあまり頭がよくない。恋もそれは自覚している。ただ、今、月に何が必要なのか、それは分かっているつもりだ。

「何を言うか、張遼! 貴様がそんな弱腰でどうする!」

 恋を止めに来たはずの華雄は、自分の役目を忘れたかのような顔で怒っていた。

「別段、弱腰になっとるわけやない。現実的に物をみとるだけや。ええか? この檄文は、諸侯にとったらええ口実や。大義を持って洛陽へ攻めのぼれんねんからな。本格的に群雄割拠の時代のはじまりはじまりやで。野心を持っとる奴で、動くべき時をわきまえとる賢い連中はこぞって参加しよるやろ。物量がちゃうわ」

「物量など、知略と武勇と根性でどうにでもなる! 月のもとにはそれを為し得るだけの仲間が揃っているではないか!!」

 仲間――なんて素敵な言葉だろうと、恋は思った。

「それも程度問題や。袁紹、袁術の膨大な兵数、曹操の巨大な財力。これだけでも大概や。特に曹操のゼニやな。ぐっさり物資揃えたら、季節も関係なしに攻め立てられる。幾ら汜水関や虎牢関があるいうてもな。洛陽丸ごと干上がってもうたらどうしようもない」

「……どういうことだ」

「揃うメンツにもよるやろうけどな。下手こいたら、連合で洛陽封鎖も出来るっちゅうことや。疫病騒ぎがあったからな、自給自足はむりやろ。――武人が戦で死ぬんは本望や。大将や軍師が死ぬんは条理や。せやけどな、民を飢えさせるわけにはいかんで」

「――民、か」

 華雄は悲しそうな表情でつぶやく。優しい顔だった。

「ならば、籠城はまかりならんということか」

「それや。ぶっちゃけた話、連合に誰が参加するかによる。袁紹、袁術、曹操は止められんやろ。ただ、馬騰と公孫瓉、それから劉備が――」

「仲間に引き入れるか!」

「そら無理や。馬騰は月に貸しとった騎兵を引き上げよった。今朝一番で、馬超も馬岱も龐徳もかえってしもたで」

「何だそれは!! 馬騰は月の盟友ではなかったのか!」

「ただの知り合い程度やったっちゅうわけや。けどな、連合に参加するかどうかは分からん。参加する諸侯が少なかったら、大々的な展開作戦はでけへんからな。それこそ、連合に旨味がなくなったら、曹操辺りは参加を見送るかもしれんしな」

「うむむ……話がややこしくなってきたぞ。結局、我らはどう動くのだ」

「……てがみ」

 ぽつりと恋が呟くと、我が意を得たりと言わんばかりに、霞が手を打った。

「せや、恋。手紙には手紙で対抗や。連合不参加を呼び掛ける弁明文を出すしかあらへん。檄文の悪評は真っ赤なウソ。董仲穎は漢の忠臣である。これに反逆せし者は、すなわち王敵と見做す――てな具合や」

「弁明、というあたりが気に食わんが、まあ良い案ではあるようだな。よし! ここはひとつ、私の名文で――」

「やめやめ! 華雄が書いたら決起状になってまうわ。こういうんはやっぱり、やんごとなきお方の名前で出してもらうんがええ」

「やんごとなき……」

「帝と劉協さまの姉妹連名や。これしかあらへん」

「なるほど! 張遼、貴様、やるではないか」

「せやろ? これは情報戦や。実際の戦になってしもたらウチらの負け。戦いになる前に、連合を不成立に終わらせなあかん。詠も同意見ぽかったし、上手いことやりおるやろ」

「そうか……戦働きしか出来ん私は、まるで力になれん。歯がゆいが――」

「今回に限っては、ウチらの出番はない方がええ」

 霞の言う通りではある。

 今の月に必要なのは、方天画戟の切っ先ではない。

 戦端が開かれるその前の、論戦(くちいくさ)の段階で勝ちを得なければならない。そして華雄の言った通り、それは恋にはできないことだった。

 身体を動かすのは好きだ。

 つわものとの戦いも大好きだ。

 仲間を傷付ける敵は、ことごとく切り捨てたいと思う。

 でも――味方が死ぬのは好きじゃなかった。

 だから、戦は好きだけれど、好きじゃない。

 敵を斬る機会は欲しいけれど、味方を死なせる契機はあまりいらない。

 複雑だ。

 応接間の窓から、恋は何気なく外を見た。

 外景はすっかり、夕焼けの赤に染まっている。

 命の色だと思った。生と死の境目の色だ。一日は、二度、その命の色に染まる。

 一度目は朝焼けのとき。一日が生まれる時。

 二度目は夕焼けのとき。一日が死ぬ時。

 早起きをしなければならないから、朝焼けに立ち会うのはむずかしい。けれども夕焼けを見るのは簡単だった。

 自分の人生の同じだな、と恋は思った。

 命の誕生に立ち会うことはあまりない。けれども、命の断絶には数多く立ち会った。そのほとんどは、恋がその手で自ら創出した死だった。

 美しく尊ぶべき死もあった。

 蔑むべき、醜い死もあった。

 ただそのどちらも、死という瞬間を迎えた後は、みな等しくなった。虚無になった。空っぽになった。うつろになった。

 月にはそうなって欲しくない。

 詠にも霞にも華雄にも陳宮にも徐栄にも高順にも――。

 ぼんやりと願いながら、恋は思い出したように、腹の虫を鳴かせた。

 

 

     3

 

「弁明文の必要はありません」

 董卓――月が厳然とそう言った。詠は何も言うことは出来なかった。彼女の口からその答えがもたらされるのを、半ば覚悟していたからであった。

「抗弁は、すなわち対決の姿勢」 

 細く可憐な声は言葉を紡ぐ。

 何進による虚の処刑があってから、いよいよこの健気な少女は気品を増し、凛然とした空気を纏うようになったが、同時に心を閉ざし、内罰的になった。

 月は瞼を閉じている。

 豊かで長い睫毛はそっと伏せられ、彼女の意思以外の何者によっても、それを開くことは出来ないように詠には感じられた。

「帝、および劉協さまの連名を賜ったところで、偽造だと撥ねつけられてしまえばそれまで」

「偽造はあっちの方も同じじゃない。三公の文書をでっち上げてまで――」

「だからこそなのです」

 詠の言葉を、月は静かに遮った。近頃は詠に対しても安い口を利かなくなった。月は徐々に月でなくなり、董仲穎相国へと抽象化されつつある。

 月の私室は暗い。

 洛陽の街はすでに日没を迎え、群青に染まった空からは、淡い闇がそろそろと降りてきている。闇はしずかに、この部屋へと浸潤しつつあった。

 燭台で、炎が小さく揺れた。

 部屋の壁には、姿勢の良い月の影とうなだれる詠の影が対照的に刻まれていた。

「この戦いの中で飛び交う文書はすべて偽造の疑念を掛けられる。それは向こうもこちらも同じこと。そしてそれこそが向こうにとっての好都合。論戦(くちいくさ)を省略して、戦端を開くことが出来る。交わされる言葉がすべて偽りならば、議論に実はないのですから」

「それでも! 偽造と言われたのだとしても! 連合への参加を躊躇する勢力がひとつでもあれば、弁明文を出す意義はあるわ!」

「檄文は私を逆賊と断定しています。そうした以上、最早退くことはないでしょう。あちら方が漢の忠臣を名乗るのであればなおのこと、逆賊を放置する態度は前言と矛盾するばかり。参加する諸侯が少なくとも、袁紹さん袁術さんが出兵なさるのは必定。開戦は必至でしょう。ならば、私に出来ることは一つだけ」

「月、馬鹿なこと言わないで」

「詠ちゃん。涼州へ戻るしかないと思います。洛陽を捨てて」

 その意見には賛同しかねる。

 洛陽に執着があるわけでは決してない。

 詠には月の真の意図が分かっている。

「馬騰さんにも助力をお願いしましょう」

「待って、月。悪いけど、涼州へ退くのはナシよ」

「何故です」

「月は、ひとりこの洛陽に残るつもりなんでしょ! そんなの受け入れられるわけない!」

 すっと、月の眸が開かれる。

 光のない双眸が、詠の心を凍えさせた。

「だめだよ、詠ちゃん。詠ちゃんがみんなをつれて逃げてくれなきゃ」

「いい加減にして! 月が一人死んで誰が喜ぶのよ!」

「喜ぶ人はいないかもしれない。でも、泣かなくちゃいけない人はきっとずっと少なくて済むと思うから」

「そんなことない!」

「あるの、詠ちゃん。天子様も劉協様も、きっと私を気に掛けて下さると思う。でも、禁軍に諸侯連合を押さえる力はない。天子様が何をなさっても、私が操っていたのだと言われてしまえばそれまでなの。私が死んで、諸侯連合を洛陽に受け入れれば、みんな上手くいく。まかり間違えば、天子様は廃位になるかもしれない」

「じゃあ何? 袁家に朝廷の実権を握らせるの?」

「袁術さんはよく知らないけど、袁紹さんならきっと洛陽を守ってくれると思う」

「そんなわけない。第一、月が死んだら、すぐに諸侯連合の分裂が始まる。最後の一人になるまで共食いを続けるの。蠱毒の呪いとおんなじよ!」

 議論は平行線であった。

 月が言った通り、連合の檄文が飛び、袁紹、袁術が兵力を整えている現状において、回線を回避する方法はたったひとつ。

 降伏だけである。

 その降伏の巻き添えにしないよう、月は詠にみなをつれて洛陽を去れという。

 月は洛陽を戦火に晒したくないのだ。

 短い間であったが、懸命に守り、尽くしてきた天都である。月の気持ちは十分理解出来るものだ。

 この街には、多くの人間の尽力が重々しく堆積している。

 それらを蔑ろにするような、軽々しい開戦など選べるはずもない。

 確かに袁紹は優秀である。彼女が実権を握れば、あるいは洛陽の安寧も保たれるかもしれない。月が汚名に穢れ、死に埋もれることを代償に。

 ただ、袁紹が平穏に実権を掌握できる保証はどこにもない。

 やはり――洛陽は戦の渦中におかれることになるのだろう。

 ならば、月がむざむざ死を選ぶ意味はまるでないことになる。

 或いは彼女もそれを理解しているのかもしれない。分かった上で――死にたがっているのだ。

「虚のことを気に病んでいるのなら、よしなさい、月」

 月の表情が苦々しく歪んだ。

 虚が何進に逮捕された容疑は、謀反であった。天を名乗り、相国をたぶらかし、劉協に讒言を働いたのだという。

 月はそのことを気に病んでいる。

 何より、虚が身柄を拘束されたのは、月や詠たちと密談をしたその直後であったのだ。彼が去ろうとしたとき、もし皆で見送っていれば。あるいは誰か人を、霞なり華雄なりを付けていれば――。

 結末は違ったのかもしれない。

 そんな思いが月の胸の中にはある。

 彼女は虚の死について、きわめて自罰的になっている。

「私は無力だったの」

 力なく月は言った。

「何も出来ないくせに洛陽まで出て来て、結局私がしたことは、あの人を殺してしまったことだけ」

「よしなさい! 月は宦官を退けるために――ッ」

「違う! 違う! がんばったのは私じゃない! 本当にがんばったのは、結果を出したのは、何進さんと袁紹さんと虚さんと、詠ちゃんと霞さんと恋さんと華雄さんと、それから、それから――」

 両手を顔に当てて、月はついに泣き出した。

「でも月、あんたが死んでも、もう戦いは避けられないわ、きっと。月が戦わなくても、他の連中がこの都で争いごとを始めてしまう」

 面と向かって告げるには、あまりに残酷な事実だった。

「長安まで引いたらどうかとも思ったけど――洛陽の街が荒らされないとは限らないわ」

 月から返事は帰ってこない。

 彼女は強い女だ。

 それでも生きた人間なのだ。

 もし月が先にこうして取り乱さなければ、錯乱していたのは詠の方だったかもしれない。

 ならば自分がここにきた意味が少しはあったのだろうと詠は思う。

 ようやく――月を、思うがままに泣かせてやることが出来たのだから。

「……ごめんなさい」

 涙に潰れた声で、月が漏らす。

 

「ごめんなさい――『ご主人様』」

 

 詠もまた、その言葉の意味するところを確かに理解していた。

 

 

 

     4

 

 ――ところ変わって陳留――

 

 軍議の場には、召集の掛かった面々(荀彧、程昱、徐庶、夏候惇、夏候淵)がすでに集まっている。

 華琳はゆっくりとその場に歩み入ると、円卓の、中央の席に着いた。

「さて、そろそろあの趣の欠片もない駄文の扱いを決めなくてはね」

 発言すると、皆が首肯する。

 華琳はとくに、三人の軍師に注目した。

 虚の処刑から相応の時間が経ったからか、三人とも平静を取り戻しているようだった。少なくとも外面上はそう見える。

 桂花には肌のつやが戻り、神里(徐庶)もクマが取れたようだった。風はいつもと変わらない。彼女だけは、虚の死を耳にしても内面的な変化を表に現さなかった。

「桂花」

「は」

「あの駄文に諸侯がどのような態度を取っているのか、報告なさい」

「御意」

 桂花は席から腰を上げて、一同を見まわした。

「まず袁紹、袁術は檄文に賛同、連合への参加を表明しています。袁術の客将、孫堅もこれに追従。また、袁紹の言葉に公孫伯桂も連合への参加を決めたようです。涼州の馬騰は今のところ態度を保留、劉備は公孫伯桂から参加の是非を問われているようですが、明確に返答した形跡は見られません」

「桂花」

「はい」

「孫家の末姫、孫尚香はすでに親の元へ戻ったのでしょう。それでもまだ、孫堅は袁術のもとにいるのかしら」

「御意。今のところそのようです」

「――そう。何を考えているのかしらね。まあ、楽しみは後にとっておきましょう。続けなさい」

 華琳は足をそっと組んで、桂花を促した。

「は。洛陽の董卓にも動きが見られます。馬騰が軍馬を引き上げたすぐのち、涼州の自領より騎兵を呼び寄せたようです。また、汜水関、虎牢関の防備も強化したとの報告が」

「なるほど。董卓のことだから、あるいは降伏もあるかと思ったけれど。賈詡がしっかりしていたようね。いいでしょう、それで私たちは今後どう動くべきか。意見を聞きましょうか――神里」

「――へ? あ、は、はい!」

 自分に水が向けられると思っていなかったのか、美しい少女はわたわたと慌てて腰を上げた。

「えっと。利を取るのであれば連合への参加を、義を取るのであれば董卓への助力を選択すべきであると考えます」

「なるほど」

 この局面において、董卓への助力の可能性を主に進言するだけの胆力をこの少女は今持ち合わせているらしい。

 短期間で大きな成長を遂げつつある神里を愛おしく思いながら、華琳はつぎに双子の姉妹へと視線を向けた。

「春蘭はどう思う?」

「義を取るべきかと」

「秋蘭はどうかしら」

「利を取るべきではない、と愚考いたします」

 この姉妹は、神里の提案のうち、そろって後者を推すようである。武人らしい、潔い回答を華琳は嬉しく、頼もしく思う。

 最後に、華琳は桂花と風の二人に視線を向けた。

「風、あなたの意見を聞かせなさい」

「おおせとあらばー。風が思うにですね、連合参加の利は、利に非ず――かと」

「どういうことかしら」

「仮に連合に参加し、董卓さんを滅ぼしたところで、『天道』が華琳さまの御前に現れることはありません」

 風の言葉に、「なんのこっちゃ?」と呟いた春蘭のために、華琳は風へ更に促す。

「春蘭がこまっているわ、風。分かるように言って」

「はい。連合に紛れて洛陽へ上ったところで――天子様を手中に収めることはできません」

 風の言葉に、双子の姉妹、神里が息をのんだ。

「では、連合には参加すべきでないと風は言うのね」

「はいはいー」

 眠たげな風の声は、どこか楽しげでもあった。

「桂花はどう考えるのかしら」

「董卓を攻撃すべきと考えます」

「なら、風と同じ考えということなのね」

「御意」

 桂花の答えに、他の面々は分からぬという顔をする。

「私も同じ考えよ」

 華琳は鋭い眼光を一同へ向けると、高らかに宣言した。

 

「我らは連合には参加せず、これより『単独で』洛陽へと進撃する!! 兵は少数精鋭、黒騎衆二千を率いて山道を行き、汜水関、虎牢関を迂回して、洛陽の街を横撃する!! 各自、支度へかかれッ!!」

 

 

     5

 

 ――ところ変わって南陽、とある天の楼閣の頂点より――

 

「曹操様は一体どのように動かれるでしょうか」

 女は夜風に吹かれながら男に問うた。男は女の腰を抱いて支え、黒々と深い夜天に輝く、青白い月の光に見惚れているようであった。

「きみはどう思う」

「今回の連合は、曹操様に相応しいものではありません。利も、義も、品位もない。溝鼠の屎尿にも劣る」

「手厳しいな。袁紹辺りが聞いた日には、あの金髪が天を突くぞ」

 男は楽しげに笑いながら、肌寒そうに女の華奢な身体を引き寄せた。

「さて、俺たちもそろそろこの街を離れなきゃな」

「陳留へ向かいますか?」

「いや、直接洛陽へ向かおう。華琳のことだ、もう出陣の準備を始めているに違いない。留守番を残して、明日の夜、闇に紛れて出立するはずだ」

「出陣、ですか?」

 女は男の横顔を見上げて問う。

「ああ。華琳は連合へは参加しない。だから、単独で董卓を攻撃する――俺ならそうする」

「それは……なるほど。狙いは――」

「天子か、あるいは劉協か。どちらかが手に入ればいい。というわけで、先回りして華琳を待っていよう。きっと、恐ろしく美しい顔で、俺のことを叱り飛ばすに違いない」

「恐ろしく……美しい顔……曹操様……ぶはっ!!」

 男の腕の中で、女は勢いよく鼻血を噴き出した。勿論、鍛え上げられた男の身体に淫慕を滾らせたからではない。

 よこしまな思いを巡らせた相手は、また別にある。

「ああもう、またか。手が掛かるなあ、きみは。はい、とーんとーん」

「ず、ずみばぜん」

 男は手早く女の鼻に詰め物をすると、その女の身体を抱き上げ、夜陰に向けて婀娜っぽく、細い息を吐いた。

「では、いきましょうか」

 ふがふがと言いながら、女は眼鏡の位置をなおす。

「そうだな。行くとしよう。――愛すべき我が主のもとへ」

 気障に言い放って、男は静かすぎる夜に、その身を躍らせた。

 

 

《あとがき》

 

 ありむらです。

 

 まずは、ここまで読んでくださっている読者の皆様、コメントを下さったかた、支援をくださった方、お気に入りにしてくださっている方、メッセージをくださった方、えっとそれから……兎に角応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます!!

 

 

 皆様のお声が、ありむらの活力となっております。

 

 今回は反董卓連合導入篇、といったところです。

 

 ついに鼻血とタラシが帰って来ます。

 

 さて、華琳さんの思惑とは。

 

 連合の行くえは。

 

 次回も乞うご期待!!

 

 ありむらでした!!


 
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