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真・恋姫†無双 異伝 ~最後の選択者~ 第二十三話

Jack Tlamさん

今回はスーパー一刀タイム、スーパー朱里タイム、

そしてスーパー月タイム(!?)です。どうぞ。

2013-11-29 02:18:39 投稿 / 全11ページ    総閲覧数:7539   閲覧ユーザー数:5223

第二十三話、『結盟の証、月明かりに煌めく』

 

 

―上洛した俺達を、試練が待ち受けていた。

 

賈駆文和、陳宮公台によって課された試験である。これをパスしなければ、俺達は董卓と結盟できない。

 

当然、俺達は受けることにした。もはや単なる意地っ張りとなってしまった二人を打ちのめす意味でも、ね。

 

上洛した翌日、まずは軍師による試験から始まった。まずは軍人象棋を用いた軍略の試験、そして政治分野の

 

筆記試験が続く。そして、俺達は既に二つの試験を終えていた―

 

 

 

「―こ、これは…!」

 

試験中ずっと嘲るような笑みを浮かべて俺達を眺めていた賈駆の顔色が驚愕のそれに変わる。陳宮も目を丸くし、

 

俺達の回答を見ている…正直言って、ここまでなめられていたとは。確かに試験の難易度は相当高かったと言えるが、

 

論述問題なので特定の解というのは設定されていない。公平を期すため董卓もそれに目を通していたが、ややあって

 

笑顔を浮かべ、俺達に声をかけてきた。

 

「こんな方法があったのですね。びっくりしました…でも、これなら涿郡が発展したことにも合点がいきます。

 

 こんな手法は、私たちには思いつきません…すごく斬新でした。とっても勉強になります…詠ちゃん、どう思う?」

 

「あ…う…」

 

「…はぁっ。ねねちゃんは?」

 

「…」

 

「…固まっちゃった」

 

賈駆と陳宮は完全に石化してしまっていた。賈駆はわずかながら反応を見せているが、言葉になっていない声が出る

 

ばかりでロクな返答が無い。陳宮に至ってはその小さい手を両頬に押し当て、驚愕の表情のまま固まっている。董卓が

 

目の前で手を振って見たりしているが、完全に反応が無くなっている。

 

…まだ武官の試験が残ってるのに、これかよ。

 

「ごめんなさい、二人とも固まっちゃいました」

 

「完全に固まってるみたいだな」

 

「…まったくもう…意地になって上手くいったためしなんてないのに、詠ちゃんったら…」

 

呆れたように苦笑する董卓。幼馴染なだけに、これまでに似たようなことが何度かあったのだろう。

 

そのたびに賈駆は失敗してきたと見える…不幸体質もあるだろうけど、大半は自分で招いてないか、詠の場合…。

 

「早めに終わりましたし、休憩は長めにとりましょう。武官の試験に移る前に着替えられますか?」

 

「ああ。この服のままでもいけるが、できれば着替えておきたいかな」

 

「わかりました。お部屋をお貸しします。午後の試験を担当されるのは呂布将軍と張遼将軍です」

 

「そうか…わかった。どういう形式で行う?」

 

「一人ずつ、仕合をしていただきます。お二人は二名の将軍の内一名を指名してください」

 

「なるほど。朱里、君が先にやるといい」

 

「…そうですね…わかりました」

 

朱里はどちらを相手にするのか決めたらしい。俺は朱里が選ばなかった方になるな。さて、呂布が出るか張遼が出るか。

 

…なんか『鬼が出るか蛇が出るか』みたいな表現の仕方だな。後者はともかく、前者は間違ってないとは思うけど。

 

だって呂布だぜ?あの、天下無双の飛将軍。

 

何もかもが規格外の、正真正銘の怪物。たった一人で一軍に匹敵する戦闘能力は、凄まじいの一言でしか表現できない。

 

「…ごめんなさい。私では二人の暴走を止められませんでした…」

 

「そこで止まらないのは完全に目が曇っている証拠ですね。お二人は完全に冷静さを欠いています…特に、賈駆さんは」

 

「詠ちゃん、昔からこうなんです。私のことになるとすぐムキになって…」

 

「…それは、董卓さんに依存しているというのではないですか?」

 

「…そうかもしれませんね…ほとんどいつも一緒だったので気付きにくかったんですけど…」

 

「あまりこういうことを言いたくはありませんが…こういう人達が、組織を崩壊させてしまうことはままあることです」

 

「…はい」

 

そう…賈駆や陳宮のように、特定の誰かさえ…という思考回路を持っている人間は、組織の人員としては不適格なのだ。それは

 

なにも能力が不適格という問題なのではない。そういう目的意識そのものが不適格なのである。現実的に見れば、そんな考えは

 

通用しない。個人でやっているならともかく、組織で動く場合は他者との連携が必須になる。そこで自分の我を通そうと躍起に

 

なって、それで『誰か』を守っていると自負するのは、灯里がいみじくも指摘したように、単なる自己満足なのである。そして

 

そうやって組織の中で我を通した挙句、他者を使嗾するというのは、それこそ賈駆が言っていたような、良いように利用する、

 

ということになる。つまり、自分のやっていることの本質を隠そうとして、かえって露呈してしまったという結果なのである。

 

確かに、賈駆は真剣に董卓を守りたいと思ってはいるのだろう。しかし、その過程で董卓自身の意志が無視されているという、

 

ある意味最大の矛盾が生じてしまっている。自分が守っているのだから、自分の意見が通らなければ納得できない。そういった

 

無意識の考えが、彼女の態度に滲み出ていたと感じるのは、果たして邪推に過ぎることであろうか。

 

「先ほどの軍人象棋も、お二人に不利なように条件を決めていたようですし…」

 

そう、軍人象棋をやるのは良いが、軍師二人は俺達にかなり不利な条件を突きつけて来たのだ。戦場ではこんな困難など日常

 

茶飯事だと言って。有り体に言えば俺ルール状態である。こんな無法が通るのかと正直怒りたくなったが、それでは彼女達の

 

滅茶苦茶な態度を砕けない。まあ、勝つことが不可能なほどには不利ではなかったし、俺は賈駆、朱里は陳宮を相手にして、

 

苦も無く勝利を収めることができた…俺の本領はここじゃない。どっちもできるけど、俺の本領は武だ。軍略を学ぶのは何も

 

軍師だけではない。優秀な指揮官たろうとするなら、武官でもしっかり軍略を学ばなければいけないのだ。

 

「まあでも仕方ないさ。本音では何が何でも排除したいし、今すぐにでも…といったところだろう」

 

「…陛下も度々、あなた方にお会いしてみたいと仰っていました」

 

「陛下が?」

 

「…先代の劉宏様が崩御なされてまだ間もなく、劉協様は私のような若輩者を相国に任ずるほどに不安に駆られておられます。

 

 私は陛下と二人きりでお話をすることが何度かありましたので…その度に、陛下は仰っておられました。会ってみたい、と。

 

 劉宏様が崩御される以前から、そうお思いになられていたそうです」

 

「なるほど…」

 

「…この試験が終わったら、陛下とお会いしていただいてもよろしいですか?」

 

「…ああ。今まで黙っていて悪かったが…俺も、劉協様にお話ししなければならないことがある」

 

「お話ししなければならないこと?」

 

「それは今は言えない。それよりもまず、試験を突破しなければそれも叶わないだろう。さて、俺達は着替えて来るよ」

 

「あ…はい」

 

色々と会話をした後で、まだ固まっている軍師二人を残し、俺達は董卓と一度別れた。

 

 

―午後、遂に武官による武力試験…要は腕試しに臨むことになった。

 

場所は董卓軍が普段使っているらしい訓練場。流石に都のものだけあって広い。これなら大きな動きも存分にやれそうだ。

 

試験には董卓、賈駆、張遼、呂布、華雄、陳宮…つまり董卓軍の幹部全員と、俺達の側に灯里が見届け人としている。流琉や

 

三羽烏、張三姉妹には可哀そうだが、まだ彼女達を董卓達の前に連れてくることはできない。特に張三姉妹は。驚いたことに

 

天和が天然を発揮せず、外に出たいとは言うものの、宿屋に篭っている。地和や人和もそんな姉の手前、宿屋に篭るより他に

 

することがなかった。一応、沙和や真桜が外に出ては土産を買って帰っているので退屈はしていないようだが。

 

「変わった装束ですね」

 

「ああ。俺の国ではこういう装束があってね。もっとも、かなり工夫を加えてあるけど」

 

「昔の伝統、ですか…」

 

俺と朱里は共に和風の戦装束を身に付けている。体術を併用する戦法を考慮し、動きを妨げないようにばあちゃんが独自の

 

アレンジメントを加えているので、時代劇なんかでよく見るごく一般的な武士の服装と比べ、特に下半身の動きを阻害しない

 

工夫がなされている。淋漓さんから教わった体術には蹴り技も多いからだ。朱里に至っては下はスカートである。普段着の

 

制服のそれではないけど、そこは朱里の自己主張というべきだろうか。下着が露出しないようスカートの下にスパッツらしき

 

何かを穿いているので、別に激しく動き回っても問題ないわけだ。余談だが、灯里もスカートとスパッツの組み合わせである。

 

「じゃあまずは、北郷朱里、あんたからよ」

 

順番はまず朱里からとなった。

 

「はい。もとよりそのつもりでしたので、問題ありません」

 

「ふん。戦いはお遊びじゃないのよ。せいぜい死なないように気をつけるのね」

 

賈駆は午前の試験から何とか立ち直ったようだが、相変わらず嘲るような口調だ。完全になめきっている様子である。

 

彼女の顔はまもなく驚愕に彩られることになるだろう。しかし、「軍師が戦えるわけがない」とは言わなかったのは、やはり

 

灯里の存在ゆえであろう。灯里は相当な剣の使い手だ。あれで「戦えない」なんて言ったら灯里が憤慨する。そこまではもう

 

承知の上らしい。軍師の本領は戦闘ではないにせよ、戦闘をこなせる軍師が存在することは賈駆も既に知っているからだ。

 

「呂布殿か張遼殿、どちらかお一人を選ぶのですぞ」

 

陳宮もさすがにそれは否定しなかった。とはいえ、陳宮にとっては呂布以上の強さを持つ武人の存在というものが考えられず、

 

ましてやそれが自分達と同じく軍師だなんて全く考えていないだろう。というより、呂布が負けることそのものを考えていない

 

彼女は、勝敗は兵家の常という軍師どころか武人にとっても基本的な心得さえないと言っていい。

 

「…私のお相手は…呂布将軍、お願いできますか?」

 

「…ん、わかった」

 

…呂布を選んだか。

 

まあインパクトとしては絶大だろうなぁ。天下無双との呼び名も高い呂布に勝てば否が応でも認めざるを得ないだろう。

 

張遼の力量が劣っているとは言わないが、ネームバリューでも呂布は圧倒的なのである。行く先々で噂を聞いたけど、その

 

強さは確実に民にも伝わっている。やったこともとんでもないしな…張三姉妹はガクブルものだろうが。

 

先の話の続きになるが、呂布は確かに桁外れに強力な武将だ。それだけ、強大過ぎる力というのは思考停止を生んでしまうのだ。

 

それは同時に致命的な脆弱性を抱えている。

 

確かに、呂布に一対一で真っ向勝負して勝てる武人は、少なくとも俺達が知る限り、いないと言える。

 

組織化された軍隊で物量戦を仕掛ければ勝てるかもしれないが、多大な損失が出ることは避けられないだろう。

 

一騎打ちで負けるはずもない…五虎将全員で連続して仕掛け、疲弊したところをようやく、という化物なのだ。

 

単独で勝利する武将など、いるはずがない…それが陳宮の主張である。

 

賈駆でも、集団戦ならともかく個人戦で呂布が負ける事態というのは想定しない、あるいはしてもごく僅かな割合だろう。

 

それだけ、呂布は強力な武将なのである。

 

だが。

 

「(『この世のものに絶対性はない』…それについては絶対だと断言できる)」

 

事実は小説より奇なり。

 

この世の中には俺達の想像が及ばないことが数多存在し、そしてそれは全て現実なのである。

 

よって、呂布の強さがどれほどであろうと、絶対に勝利する、というのは有り得ない。それは万人に共通する事項だ。

 

同時に、呂布が絶対に負ける、ということもまた、有り得ない。『絶対』がないのだから、これは当たり前の結論である。

 

一方、朱里の強さに関してはあの軍師二人にとっては当然ながらまったく未知数のものである。

 

だが、呂布の強さという事実があるのと、それ以上に二人の朱里への悪感情が軽視を生み、朱里が勝利するという可能性を

 

考えたとしても、それを否定してしまうのである。

 

「…武器は…双剣?」

 

「はい。お願いします、将軍」

 

「…」

 

「どうかされました?」

 

「…ううん…恋の回り…みんな長物ばっかりだから…新鮮」

 

呂布の感想には「ああ、なるほど」と納得できた。

 

確かに、董卓軍の武将が使う武器は全て長物である。董卓軍によらず、長物を使う武将は多い。

 

華雄の『金剛爆斧』しかり、張遼の『飛龍偃月刀』しかり、そして呂布の『方天画戟』しかり。

 

ポールウェポンの有効性は集団戦での間合いの取りやすさや遠心力による攻撃力増大にあるが、個人戦で使用するには優れた

 

技量が無ければならない。集団戦で用いるなら剣よりも扱い易く、練度の低い兵でもある程度戦える。間合いが取りやすいので

 

相手よりも先に攻撃できるし、相手を近寄らせないわけだ。しかし、これが個人戦となると取り回しの悪さが仇になってくる。

 

今回は模擬戦なので当然それ用に作った武器を使用してはいるが、刃が潰されている以外はいつも通りの武器だ。

 

一方の朱里は一般的な剣…よりかはいくらかマシであるが、それでも強度でははるかに劣っている。それしか用意できなかったと

 

董卓から説明は受けているので、これは別に賈駆らによる理不尽な措置というものではないだろう。第一、朱里が普段使っている

 

『陽虎』や『月狼』並の強度の武器なんて用意できるわけがないのだ。そこは仕方がない。

 

「恋殿ーっ!そんなチビスケのやわっちい剣なんて、叩き潰してやるのですー!ついでに体もズタボロにしてやるのですー!」

 

…お前が言うな、お前が。

 

どうやら俺の予想通り…というかいつものことだが、呂布が勝つこと以外の可能性をまるで考えていない様子である。例えその

 

可能性が頭の隅にあったとしても、朱里への悪感情以上に呂布への依存心がそれを否定してしまうのだろう。だが、それこそが

 

仇になることを、教えてやれ…朱里。

 

ややあって、今回は審判役に回った華雄が進み出る。

 

「それでは仕合を開始する!両者構え!…はじめっ!」

 

 

(side:朱里)

 

「(―相手より優位に立っていると思い込むのは危険ですよ…それがわかっていないようでは、ね)」

 

私は董卓軍の軍師二人の言葉を、どこか遠くから聞こえてくる言葉のように思っていた。説得力がまるでないので、聞く価値も

 

ありはしないと判断してのことだ。虎の威を借る狐、という言葉がこれほど似合う人も中々いないと思う。特に陳宮…あの子は

 

呂布さんの強さに頼り過ぎる。それはかつての経験からよく知っている。あの子の勝利の根拠は呂布さんだけだ。それを突いて

 

彼女のその滅茶苦茶な考えを打ち砕いてやろうと、この時の私は正直言ってらしくない感情に燃えていた。

 

「…」

 

とはいえ、相手はあの呂布奉先。決して楽な相手じゃない。彼女の攻撃は鈴々ちゃん以上に無秩序だ。読み違えたら負ける。

 

私は息を整えながら、体内に流れる『氣』を確かめる。変調はなさそうだけど、得物は模擬戦用の刃を潰した剣だ。呂布さんは

 

模擬戦用とはいえ、本来のものとほぼ同じ重量を持つ戟。まともに打ち合っては折れる。かといって強度向上のために氣を剣に

 

流し込んでも、出力調整を誤れば剣が融け出してしまう。

 

そうなると…剣の強度向上はほどほどに止めておいて、まともに打ち合わず、躱したり受け流したりしながら勝負するしかない。

 

『剛柔不撰』。北郷流剣術の極意其の二だ。力で押し込むだけが剣術ではない。剛柔併せ持つ事こそが肝要だとおじい様は仰った。

 

私がこれまで培ってきた剣技の数々…それが試される時が来た。

 

「…行く」

 

呂布さんの声が聞こえた。向こうから仕掛けてくる―!

 

「……ふっ!」

 

「せいッ!」

 

凄まじい重量感を持って迫る戟を、「五分の見切り」で躱し、そのまま剣で彼女の胸を狙う。

 

「―っ!」

 

防がれる。この程度のことは想定済みだけど、あれだけ重い武器をこうも軽々と振り回すなんて…自分が戦えるようになった分、

 

彼女の凄さが改めてよくわかる。無秩序な攻撃、しかしそれこそが彼女の持ち味。そして、それでいて冷静に戦っている。

 

―私、軍師を廃業した方がいいのかな…戦争は大嫌いだけど、こうやって競い合う分には楽しくなってきた。

 

ともあれ、私は軍師であり、武人でもある。途方もない年月の中で培ってきた分析能力と噛み合った武技は…甘くない!

 

「ッ!」

 

恐るべき速度と威力を以て振り抜かれる戟を躱し、縮地で死角に回り込み突き上げた剣は躱され、私たちは閃光の如く擦れ違う。

 

時に躱し、時に受け流す。呂布さんの腕力は凄まじいから、流すにも一苦労だ。剣の強度も高くないから、慎重にやらないと…。

 

「ふっ!ふんっ!」

 

「ッく!はッ!せいッ!」

 

手を変え品を変え、私と呂布さんの攻防は続く。そこで不意に来る回し蹴りを躱し、彼女の軸足の膝裏を氣を込めて蹴り飛ばす。

 

「っ!」

 

生物の弱点は関節…そこを固めてしまえば動きは止まる。いわゆるサブミッションという技だけど、私にその心得は無い。だけど

 

関節を云々という概念は、応用できる。関節部はどうあがいても脆弱性を抱えるものだから、そこを突けばダメージが通る。

 

呂布さんが膝をついた。思った以上に効いたらしい。今になってやってみただけの技だけど、今度から取り入れてみよう。私は

 

そのまま距離を取り、一瞬の静止の後、再び突進する。彼女もそれに応え、戟を振りかぶって襲い掛かってくる。そのまま再び

 

打ち合いに持ち込む。さっきまでとは気配が違う…膝をつかせたことで本気になったみたいだ。

 

「―今ッ!」

 

何十合目かの攻防で私は戟を受けてそのまま刃を滑らせ、呂布さんの腹部を剣の柄で思い切り突き、そのまま後方に抜ける。

 

「っああっ!」

 

呂布さんは素早く身体を回転させ、遠心力で加重した戟を振り上げてくる―私はそれを、敢えて剣で受けた。

 

私は吹き飛ばされる。振り上げを喰らったのだから当然斜め上方へと。そこで私は、わざと単に吹き飛ばされたかのような格好で

 

自由落下に任せ、地面が近づいてくるのを待つ。

 

「やりましたぞー!これで終わりなのです!己の分をわきまえろです、不届き者めぇ!!」

 

遠くに陳宮ちゃんの勝ち誇ったような声が聞こえる。呂布さんが負けることなど天地がひっくり返っても有り得ないといった風だ。

 

…しかし、なるほど。不届き者…か。ねねちゃんらしいといえば、らしいかな。

 

 

 

―いよいよもって鶏冠に来たのでもういいでしょう。演舞の時間は終わり。その勝利の予感、幻に変えて差し上げます!

 

 

 

私は落下寸前、地面に向かって氣弾を放つ。盛大な土煙が上がり、まるでそこに落ちたかのように演出する。

 

「恋殿の攻撃の威力なら、あんなに土煙が上がっても仕方ないのです。あの土煙が晴れれば、あいつが伸びているのです」

 

「あの辺り、まだ踏み固めてなかったかしらね。ちょっとはやるようだけど、やっぱり誇張だったようね」

 

ざまあみろ、とでも言わんばかりの陳宮ちゃんの声が聞こえた。賈駆さんの嘲るような声も聞こえる。

 

「…いない?」

 

でも、私が落下した地点に突進してきた呂布さんは私を見つけられなかった。

 

それは当然だ。

 

 

 

私は既に、空中に陣取っているのだから。

 

 

 

「―上っ!?」

 

呂布さんが気付くと同時、私は全身のバネを使いつつ、空中で『幻走脚』を発動した。さっき氣弾を撃った後も、そうやって

 

上空まで舞い上がった。今度は重力も加わる急降下…ただ急降下するわけじゃない。『空歩術』と氣の放出を連動させながら

 

不規則な多角形軌道を描き、攪乱する。そしてその速度と動きのまま空中を駆け回りながら呂布さんに連続攻撃を仕掛けていく。

 

「っ!くっ!ふっ!んっ!」

 

呂布さんの戟に向かって加速を乗せた斬撃を連続で繰り出す。常識外れの加速によって加重された私の剣は、確実に呂布さんの

 

腕を痺れさせている。蹴りを繰り出そうとしても私を捉えられていないのだから無駄に終わる。そして、隙を見せれば―そこ!

 

「はぁぁぁぁあああッ!!」

 

鹿児島での修業でよく使っていたあの技…最近は使っていなかったけど、いまならあの時以上の威力が出せる!

 

私は氣を瞬間的に限界まで高め、最後の『幻走脚』と同時に爆発させる。瞬間、私は疾風となった―

 

 

 

『―幻走!剛牙重撃!!』

 

 

 

―私が呂布さんの背後に着地すると同時。訓練場に、戟が地面に落ちる鈍い音が響いた。

 

 

(side:一刀)

 

「―し、勝者!北郷朱里!」

 

華雄の声が、訓練場に響き渡った。決着はついた。勝者は朱里。最後は俺も見失いかけた…凄い速度だった。

 

「…………」

 

陳宮の顔から血の気が無くなり、元々色白なのがさらに白くなっている。もはや幽鬼の肌と何ら変わらない。触ってみたら

 

冷たいに違いない。賈駆も完全に腰砕けになってしまい、朱里のいる方向を指差したままわなわな震えている。アホ面で。

 

「…アカン、ウチ、途中で見失ってもうた」

 

「私もです…速過ぎてもう目で追うなんてできませんでした…」

 

「諦めた方がいい。朱里の速度を目で追っていたら目を回して倒れてしまうぞ」

 

俺の忠告に、二人とも疲れたような様子で頷く。これは現実感を喪失した人間の表情だ。まあそりゃそうだよな。あんな、

 

常識外れの…どころか、まるで慣性の法則を無視したかのような超絶…いや、変態機動を見せられては。常識を外れまくった

 

空中からの強襲は凄まじかった。『幻走脚』と『空歩術』を連続で行いつつ、敵を的確に捉え続ける恐るべき超高速連続攻撃。

 

俺の『散華ノ辻』と同様に、氣の放出を全身から適宜少量ずつ放出することで『空歩術』での軌道変更の際の姿勢制御を行い、

 

あれだけの動きを生み出したんだろうな。最後の氣の爆発は応用的なもので、上手く姿勢を制御できなければあれは使えない。

 

それを全て完璧に成し遂げたさっきの朱里の動きはまるで…もうあれだ、物理法則もあったもんじゃねぇな。

 

「…あれが軍師なん?」

 

「ああ。勘違いしないでほしいが、朱里の本領は戦闘じゃない。政治や軍略…そっちが本領なんだよ」

 

「本領やない!?せやかて、あんなありえへん動きで呂布ちんをあっさり負かしよったんやで!?」

 

「事実は小説より奇なり…だ」

 

「…ホンマになんなんや。ウチ、夢見とるんとちゃうか…」

 

「…」

 

董卓も茫然自失気味だ。張遼に至ってはそれはもう見ていて面白い顔でこちらに戻ってくる朱里を首で追っていた。

 

「…ふぅ…流石に無理をしてしまいました…」

 

「軌道がもはやUFOのそれだったぞ。俺も現実感を喪失するところだった」

 

もうここまで来ると武技がどうだとかそういう領域の問題じゃなく、どうやったらここまでのことができるのかという、

 

根本的な問いになってくるな。俺の事を含め、何故ここまでのことができるのだろうか。何かがおかしい気がする。

 

「…」

 

「…ん?呂布、どうした?」

 

ふと顔を上げると、呂布が近寄ってきていた。相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。

 

「…」

 

じっと朱里を見つめている。

 

「…」

 

「…あの、呂布さん。私に何か…?」

 

さすがに朱里も焦れたのか、呂布に問いかけた。すると、呂布は手に持っていた手拭いを朱里に手渡した。

 

ちゃんと水で濡らして絞ってあるものだ。華雄は何かを考え込んでいる様子だし、董卓含め後の面々は呆然としていて、

 

動いているのは呂布だけだ。つまり、この手拭いは呂布が濡らして絞り、朱里に持ってきたということになる。

 

「…強かった」

 

「え?」

 

「楽しかった」

 

見ると、呂布はかすかに口角を上げていた。表情の変化が非常に少ない呂布だが、喜色は割と表に出すことが多い。

 

そして彼女に「楽しかった」とまで言わしめるとはな…凄いことになった。あの天下無双の飛将軍を打ち負かしたとなれば。

 

しかもそれをやったのが軍師。あの意地っ張り軍師二人には大ダメージである。

 

「ありがとうございました、呂布将軍」

 

「…恋でいい」

 

「…はい。あなたの真名、確かにお預かりしました。私には真名がありませんので、朱里、とお呼びください」

 

「うん…あと、もう一人の御遣い様も」

 

「俺も君の真名を預かっていいのかな?」

 

「…うん…ちんきゅ、止めなきゃいけなかったのに…止められなかった。それに…御遣い様…優しそうな人だから…」

 

なるほど…陳宮を止められなかった詫びも含めてのことか。しかし、ここまで呂布…恋が多弁なのも珍しいな。ともあれ、

 

真名を預かったからにはやるべきことがあるな。

 

「ありがとう、恋。俺のことは一刀でいい。それが真名みたいなものだから」

 

「ん…ありがとう、一刀…」

 

恋はそれだけ言って、俺達から離れて陳宮のもとに向かい、小さな石像と化している彼女の解凍作業にかかった。しかし、

 

様子を見る限り苦戦している様子である。さっきから数分経っているのに瞬きすらしない…もうあれか、手を合わせるか?

 

そんなことを思っているうちに、正気を取り戻した張遼がこちらに歩み寄ってきていた。

 

「…ほな、行こか」

 

「ああ…皆固まってしまってるけどな…」

 

「ねねはもうアカンかもしれんけど、他の面子はだいたい戻っとるで」

 

「…その陳宮なんだが、あれってちゃんと息とかしてるのか?」

 

「…考えたらあかん。ほっとき」

 

「そうだな…」

 

張遼の意見に従う方が建設的だと判断した俺は、訓練場の真ん中へと歩を進めていった。

 

 

しばしの間があって、俺と張遼の仕合が始まった。

 

「―両者構え!…はじめっ!」

 

華雄の合図が訓練場に響きわたるや否や、俺と張遼は互いに突進する。

 

「でりゃあああああああっ!!」

 

「だぁあああああッ!!」

 

振り下ろされた神速の刃を弾き、薙ごうとした刃はいなされ、一瞬の擦れ違いの後、再び激突する。

 

張遼の偃月刀の動きの合間を縫うように、俺は時に刀を振るい、時に拳を繰り出し、時に蹴りを繰り出して攻撃する。

 

「やるなぁ、アンタ!次の攻撃がまるで読めへん!」

 

「そりゃどうも!」

 

そう言いながら、右から薙ぎ払い、連続して回し蹴りを入れる―が、これも防がれる。

 

―さすがだな。この程度では駄目か。

 

俺は時折フェイントをかましつつ、素早く刀を操りながら、隙を見て強めの攻撃を織り交ぜる。

 

「はッ!せい!だぁッ!!」

 

打ち込み、防がれ、躱し、また打ち込む。この繰り返しだ。

 

「おぉりゃああああっ!!」

 

張遼の方も、薙ぎ払い、突き、振り上げ、叩き落とし…と連続で攻撃してくる。流れるような連続攻撃、そのすべてが神速。

 

常人では見ることも適わぬ槍の舞。優雅というわけではない。しかしその舞は鮮烈にして流麗。

 

「さすが『神速』の張遼だな!」

 

「褒めてもなんも出ぇへんで!」

 

だが、俺とて速度では負けない。

 

北郷流剣術の極意其の一、それは『神速』…奇しくも『神速』の異名を持つ張遼との戦い。

 

負けるわけにはいかない。北郷流の継承者として、そして二つの世界を救う使命を負った戦士として。

 

「おりゃあああああっ!!」

 

張遼が頭上で偃月刀を高速回転させたかと思うと、次の瞬間には凄まじい威力の斬撃が飛んでくる。

 

「だぁッ!」

 

偃月刀が最大の速度と威力を得る前に、俺は偃月刀を思いきり弾く。

 

まさか弾かれるとは思っていなかったのだろう、張遼が驚いている一瞬の隙を狙って回し蹴りを叩き込む。

 

「らぁああああッ!!」

 

「ぐぁっ!」

 

姿勢を回復しきれていない張遼は俺の回し蹴りをまともに喰らい、横方向に吹っ飛ばされた。

 

しかし、張遼は辛うじて受け身を取ることに成功し、地面を転がることはなかった。そこまで強く蹴ったわけでもないのだが、

 

姿勢を回復できていない状態で喰らったのが響いたか、思った以上にダメージが入っているようだ。

 

「終わりか、張遼!?」

 

挑発するように問いかける。すると張遼は自身の健在を見せつけるかのように頭上で偃月刀を振り回し、そして俺に向かって

 

偃月刀を向け、構える。その顔には、戦いを楽しむ修羅の笑みが浮かんでいた。

 

「…アカン、ウチもう自分を抑えとられへんわ。もう試験も何も関係あらへん。アンタの本気、受け止めたる。来いやぁ!!」

 

―断る理由はない。リクエストにお応えするとしよう。

 

「応!行くぞ張遼!うおおぉぉぉぉおおおおッ!!」

 

「でぇりゃぁぁああああああああッ!!」

 

互いに全力で突進する。得物がぶつかり合う轟音と共に派手に火花が飛び散るが構わず、俺達は激しく切り結んだ。

 

 

 

(side:月)

 

ようやく正気を取り戻した私は、訓練場で繰り広げられている仕合をじっと見つめていた。

 

「…すごい…」

 

口にできる感想はそれだけ。どこがどうすごいのか、そういう細かい表現は必要ないと思う。ただ、すごい。すごすぎる。

 

さっきの仕合を見ていても思ったけど、二人の御遣い様の戦いはあまりにも凄まじい。恋さんも霞さんも、追随してはいる。

 

でも、明らかに相手の速度のほうが上回っている。足運びも、剣の速度も。あらゆるものが異常に速い。あの霞さんが徐々に

 

押されてきている。

 

あるきっかけを境に、御遣い様は全力を解放したように見えた。今は霞さんが相手に求めたから、一刀さんも全力で霞さんと

 

ぶつかり合っているけど、朱里さんの場合は詠ちゃんとねねちゃんの嘲けるような言葉がきっかけだと思う。

 

正直なところ、そこが申し訳なかった。軍人将棋や政治関係の試験で御遣い様お二人に完全に打ち負かされたから、その反動で

 

ますます盛り上がってしまっているのはわかるけど、詠ちゃんたちがどうあっても認めないという態度を取り続けているのは、

 

いずれ…いえ、もうすでに確執を生んでしまっていると思う。少なくとも、その種はできてしまった。

 

これを解決しなければならない。危険を冒して危機を知らせに来てくれたお二人と詠ちゃん達の間にしこりが残っては駄目。

 

それなら―

 

「(私がするべきことは…)」

 

心は決まった。でも、まずはこの仕合を見届けてからにしようと、私は思った。

 

 

 

(side:一刀)

 

「―つぉぉぉぉおおおおおッ!!」

 

「くぁああああああっ!な、なんちゅう速さや!」

 

自分でも不思議なくらいだ。ここまでの速度が出せるなんて、思ってもみなかった。

 

しかし、あまりやりすぎると刀の方が限界になる。いくら氣を流し込み、それを纏わせて強度を向上させているとはいえ、

 

そういつまでも保つものではない。かといって氣の出力を誤れば刀が融けてしまう。武器が損壊したら負けだ。

 

―この辺りで決めるか。

 

「だりゃぁッ!」

 

「んなっ!?」

 

俺は脚に気を込め、『幻走脚』を使って急速後退する。追ってくる張遼を見据え、鞘は無いが居合の姿勢をとる。

 

再び脚に気を込めつつ、刀に氣を許容量限界まで流し込んでいく。刀が淡く光りだし、バチバチと紫電が散りはじめる。

 

「なぁめるなぁあああああっ!!」

 

張遼が凄まじい勢いで迫ってくる―が、これで終いだ!

 

「北郷流『電瞬』が崩し―」

 

『幻走脚』を繰り出すと同時、足裏で氣を爆発させる。瞬間、俺は閃光となった―

 

 

 

『―居合!紫電走刀!!』

 

 

 

―俺が張遼の背後に抜け、かなり離れて停止したと同時。二つに折れた偃月刀が地面に落ちる乾いた音が、響きわたった。

 

 

「―勝者!北郷一刀!」

 

試合結果を告げる華雄の声が、偃月刀が地面に落ちた音の次に、訓練場に響いた。

 

「…ふぅ。よく保ったな、この刀」

 

俺は手元の刀を見つめる。形状は保っているから修復は可能だろうが、それまでは訓練で使うこともできないだろう。

 

観戦していた面々の中で、朱里と灯里が待っている方に歩いていく。朱里が濡れた手拭いをくれたので、それで汗を拭う。

 

…しかし、模擬戦用のもので本来のものではないとはいえ、張遼の偃月刀を叩き折るとは…何かがおかしい気がする。その

 

違和感はどうしても消えない。いくらじいちゃんや淋漓さんの特訓で人外の戦闘能力を得たとはいえ、それだけでは説明が

 

つかない部分があるような気がする。これは一体何なのだろうか。

 

「うあ~負けてもうたわ~」

 

張遼が情けない声をあげつつ、折れた偃月刀を拾いながら、観戦していた面々の方によろよろと戻ってくる。また何かを

 

考えている様子だった華雄が、そんな張遼に声をかけた。

 

「張遼、貴様とも長い付き合いだが、あれほどの速度は見たことが無いぞ」

 

「あ~…華雄、ウチもうあかんわ。話す気力もほとんどあらへん…今は堪忍してや」

 

「む、そうだな。しかし、先ほどの仕合を見ていても思ったが、『天の御遣い』とはこれほどまでに強いのか…」

 

…これまでの外史の印象だと、猪突猛進な将だという印象しかなかった華雄だが、俺達の戦いを見て、武人として何か思う

 

所があったのだろう。恋や霞を軽く凌駕する強大な力について、考えずにはいられないようだ。

 

…いつだったか卑弥呼から聞いたが、華雄は今はともかく、修行をすれば貂蝉や卑弥呼並みに強くなるらしい。とんでもない

 

逸材だ。猛将にして良将という評は伊達ではなかったようだ。結局、三国統一まで彼女はどの陣営にも属さずにいたけど…。

 

「…さて…詠、ねね。ちょっといいかしら…?」

 

「な、なによ、灯里…」

 

ふと見ると、灯里が賈駆と陳宮に怒気と共に迫っていた。いつのまにか陳宮は石像状態から復帰したようだが、まだ顔色が

 

優れない。賈駆の方は全身をわなわな震わせている。両者共に、じりじり迫ってくる灯里から逃れるように後退りしている。

 

「私の主君と大切な友人を罵り、嘲り、誹謗中傷した挙句、ちっぽけな見栄をズタズタにされて、さぞいい気分でしょうね?」

 

「う…あ…」

 

「くっ…」

 

「あなた達なりに真剣だったのかもしれないけど…思い上がりも甚だしいわ。詠、それで月を守ったつもり?」

 

「…っ…で、でも!」

 

「都を立て直した実績もあるし、相国である月の近くに不審な人間を近づけるわけにはいかない。そういう事情を理解した上で

 

 私はあなたの間違いを指摘しているの。一刀さんと朱里はちゃんと、信頼に足る根拠を提示したじゃない。だから月も二人を

 

 信頼して、受け入れることを決めたのよ。なにも、『天の御遣い』なんて大仰な虚名や噂に惹かれてのことじゃないわ」

 

「…」

 

「あなた、そんなこともわかってなかったの?それで『名軍師』ですって?笑わせないで。人を見る眼も無い軍師が、そんな

 

 見栄を張ってるのなんてみっともないだけよ。おまけに、小さい頃からずっと一緒にいる月の真意もわかってあげられないで、

 

 それで『守ってる』なんて言えるの?それでもあなたがそう主張するのなら…顔の皮、何枚か引き剥がしてあげましょうか?

 

 そうしたら、もう少しまともな思考ができるでしょう。あなたの我儘で組織内に不和を齎して、それで連合に敗北したなんて

 

 ことになったら、あなたどうやって落とし前をつける気?」

 

「…」

 

「それと音々音。あなたのその恋に頼り切りな見栄張り癖、いい加減に直しなさい。虎の威を借る狐、とはよく言ったものだわ」

 

「あ…あ…」

 

「あなたの能力は認めるけど、口にする言葉に気をつけるのね。そうでないと、要らぬ争いの種をあなたが作ってしまうわよ」

 

灯里の口調はいつも通り落ち着いたものだったが、所々彼女の怒りが滲み出ている。

 

物騒な発言まで出ているのはちょっとまあ、あれだ。意外と過激な性格なのかもしれないな、灯里って。

 

どちらにせよ、董卓のことになると周りが見えなくなるようなところがある賈駆は、董卓の真意すら見失い、結果として暴走して

 

しまったのかもしれない。長い付き合いだ、そのくらいはわかる。でも賈駆は基本的に董卓が決めた事には反対せず、抗議の声を

 

上げることはあっても、最終的にはその決定を受け入れていたように思うが…今回はこれまでにないケースなので、過去の情報は

 

本当に参考程度にしかならない。

 

陳宮は…まあ、灯里もそちらはあまり長々と言うつもりもなかったらしい。短くバッサリといったな。陳宮が優秀であることは

 

認めるが、恋が関わると途端にああだもんなぁ…補佐役として頑張っているのは確かだが、それにしても依存し過ぎである。

 

灯里は決して怒鳴ったりはしないが、あくまで冷たい口調で淡々と、しかも相手の心を滅多刺しにするような内容をはっきりと

 

言っている。それがかえって賈駆や陳宮を黙らせてしまっているのだろう。

 

「…あれ、月がおらへんな?」

 

そんな雰囲気をぶち破るように、張遼の間の抜けた声が聞こえた。それにつられて全員が辺りを見回す。

 

「…本当だ、月がいない!」

 

「月、どこ行った…?」

 

「どちらに行かれたのだろうか」

 

「先に戻ってしまわれたのかもしれませんなー…」

 

「…」

 

そうやって全員が混乱している最中、灯里だけは冷静だった。

 

「(…灯里、どうした?何か知っているのか?)」

 

俺はそっと小声で灯里に話しかける。

 

「(知っているっていうより、わかっている、という表現が適切ですね。月が何をするつもりなのか)」

 

「(それって何?)」

 

「(まあ見ていればわかります。あの子、着替えるの早いからすぐ戻ってきますよ)」

 

「(着替える?)」

 

「(きっとびっくりしますよ)」

 

灯里は答えを教えてくれなかった。教えてくれたのは「着替える」というキーワードだけ。

 

しかし、これまでは見届け人として試験会場に居ただけの彼女が何をするというのか…って、まさか。

 

俺の予想を裏付けるように、しばらくして訓練場に董卓が戻ってきた。

 

いつもの衣装ではなく、戦装束を身に纏って。

 

そして、腰には剣を佩いて。

 

「―御遣い様、最後に私がお相手いたします」

 

予想もしていなかった言葉を、口にした。

 

 

「ちょ、ゆ、月!?な、なんで月まで戦装束着てるの!?」

 

まだ震えている賈駆が咎めるが、董卓は賈駆の言葉にただ微笑を浮かべて、優しい声で答えた。

 

「詠ちゃん、まだ御遣い様を認めたくないみたいだったから。私が負けたら、詠ちゃん、もうそれで納得してね」

 

「月!」

 

「…これは董卓軍大将としての決定です。異論は認めません」

 

「じゃあなんで試験なんて認めたの!?」

 

「…あの時に私がそう言っていたら、詠ちゃんやねねちゃんと御遣い様方との関係に大きなしこりが残っちゃうでしょう?

 

 だから敢えて試験を認めたの。詠ちゃん。二人が納得する形で、御遣い様方を受け入れてくれるようにって思って」

 

「…!」

 

それだけ言うと、董卓は俺の方に歩み寄ってくる。そして一礼すると、すっと模擬戦用の刀を差し出してきた。

 

「…俺と仕合をするということか?」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「…わかった。受けて立とう…」

 

俺は刀を受け取る。彼女の真意は分かったが…董卓の強さは正直未知数だ。どこまで強いのかはまったくわからない。

 

だけど、彼女の眼の光は完全に本気だ。ならば、この勝負は受けなければならない。彼女はおそらく、董卓軍の大将として、

 

そして一人の武人として戦いを挑んできているのだろうから。そうであるなら…こちらも全力を以て応えよう。

 

訓練場に進み出、華雄の合図で互いに得物を構える。そのまま数瞬の静止―その静寂を先に破ったのは、董卓だった。

 

「董仲頴、参ります…えぇぇぇえええい!!」

 

その華奢な身体からは想像もつかない速度で俺に接近し、右下方から左上方へと斬り上げてくる。剣速も驚異的だったが、

 

俺はそれをいなし、右からの薙ぎを繰り出す―が、神速で防御態勢に移った董卓の剣に防がれる。

 

「(―張遼より速いだと!?)」

 

俺は彼女の技量に驚いていた。確かに董卓の得物は剣。偃月刀などよりもよほど取り回しは良い。だが、それ以上に速度が

 

速い。攻撃から防御に移るまでが早すぎる。董卓は武人としてかなり完成されているようだ。これは楽な相手ではないな。

 

「せいッ!らぁッ!シィッ!だぁッ!」

 

「っ!ふっ!くっ!はっ!」

 

振り下ろし、薙ぎ、斬り上げ、また振り下ろす。数瞬の間に繰り出したこの連続攻撃を、董卓はことごとく受け止めて見せた。

 

「これも止めるか!やるな、董卓!」

 

「これでも一軍の大将ですから!てぇぇえええええい!!」

 

言いながら、董卓は連続で突きを繰り出してくる。凄まじい連続突きだったが、俺はこれをさばききった―途端、神速の斬撃が

 

襲い掛かってくる。即座に反応して防ぐ。刃がぶつかり合う轟音が響き、董卓の一撃の勢いに、受け止めた俺の刀が押される。

 

「(―重いッ!?)」

 

あれほど華奢な腕だというのに、なんという重い一撃だろうか。身体のバネを使い、より重い斬撃を繰り出したのだろう。腕に

 

伝わってきた重い衝撃がその証左だ。単純な腕力だけではここまでの威力は出せない。そしてそれをやってのける技量も凄い。

 

董卓は俺に受け止められた剣を即座に構え直し、再び攻撃を仕掛けてくる。先ほどよりも一撃が重くなってきている上に、その

 

手数も速度も半端ではない。それでいて、まったく息切れした様子を見せない。

 

それに、闘気の強さも相当なものだ。チリチリと肌が焼けるような感覚。決して殺気ではないが、それほどまでに強い闘気。

 

―認識を改めなければならない。彼女は…呂布並みだ!

 

「やぁぁぁぁあああああっ!!」

 

「うぉぉぉぉおおおおおおッ!!」

 

腕に、脚に氣を集中させ、董卓のそれを凌駕する速度で連撃を繰り出す。董卓は多少苦戦しながらも、すべて受け止めて見せた。

 

先の張遼との仕合でも氣を四肢に流していたが、脚を重視して腕にはそれほど流していなかった。だが、董卓はそれが通用する

 

相手ではなさそうだ。さっきは恋並みと言ったけど、これはもしかしたら恋以上かもしれない。

 

あんな儚げな少女が、これほどまでに強かったとは―!

 

「(―ならば!)」

 

俺は董卓の剣を思い切り弾き、『幻走脚』で一旦距離を取る。接近してくる董卓に狙いを定め、居合の姿勢で刀に氣を集める。

 

黄巾党の討伐で使って以来、使う機会が無かったが…あの技で押し込む!

 

『鳴風・(つらね)!!』

 

刀を振るい、数発連続して『鳴風』を放つ。連続する分一発一発の威力は下がるが、数が多いので総合的な威力は向上する。

 

当然、今は模擬戦用の刀なので切れ味は生じない。だが、それでも連続して放たれる斬撃の氣弾をまともに受け止めようとすれば

 

腕が痺れるだろうし、俺の動きにも一瞬目が行かなくなる。それが、永遠にも等しい分水嶺となる。

 

「くぅぅぅううううっ!」

 

董卓は全て受け止めて見せたが、氣弾の威力に押され、大きく後ろに押し戻される―俺は再び居合の姿勢を取り、突進した。

 

「あっ…!」

 

俺の突進に董卓が反応し、対処しようとするがもう間に合わない。

 

そして―

 

「でぇりゃああッ!!」

 

―董卓の剣を、弾き飛ばす。剣が落ちる乾いた音が響き渡った。

 

「…ふぅっ」

 

即座に息を整えながら、構えを解く。華雄が固まってしまっているのが見える。その他の面々も朱里と灯里以外は固まっている。

 

そりゃそうか。仕合とはいえ一勢力の大将が負けてしまえばこういう反応になるわな。あの恋まで固まってしまっているのには、

 

ちょっと笑いが漏れそうになってしまったがどうにか堪える。ここで笑ったら雰囲気台無しだからだ。

 

ふと董卓に目を向けると、息を整え終わったのか、微笑を浮かべてこちらを見上げている。

 

「ありがとうございました。久しぶりでしたけど…御遣い様のお力を間近で感じることができて良かったです」

 

「ああ。しかし、人は見た目によらないな…君があそこまでやるとは思わなかったよ。正直、びっくりした」

 

「ありがとうございます。でも…ふふっ。私の負け、ですね」

 

そう言って、董卓は屈託のない、柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

俺と董卓が皆の所に戻ってくると、張遼と恋、朱里と灯里が出迎えてくれた。

 

「ホンマになんなんや、アンタ…ウチだけやのうて、月まで負かすなんてなぁ…ウチ、月に勝ったこと無いんやで?」

 

「…恋も、二本に一本は取られる」

 

おいおい…張遼が一本も勝ちを取れず、恋でさえ二本に一本は負けるとはな…董卓の実力は恋に匹敵するという俺の見立ては

 

間違いではなかったようだ。恋が強いのは殲滅力が桁外れに高いからだろう。しかし、純粋な戦闘技術では董卓と互角と見た。

 

つまり、一人で三万人の軍団を壊滅させるほどの殲滅力は無いにせよ、それ以外の部分では董卓も負けていないということだ。

 

…驚愕の新事実、と言ったところか。

 

「恋がその頻度で勝ちを取られるってことは…董卓は恋と同じくらい強いってわけだな。すごいな、董卓は」

 

「へぅ…あまり持ち上げないでください…」

 

両手を頬に押し当てて俯き気味に真っ赤になる董卓。とてもさっきまであんな激しい剣技を操っていた人間とは思えない。

 

恋もそうだが、これぞギャップ萌えというやつだ。そんなどうでもいいことを考えていると、張遼が驚いたように訊ねてくる。

 

「おろ?恋はアンタらに真名預けたん?」

 

「ん?ああ、朱里の仕合の後にね」

 

「そうやったんか…せや、ウチもあんな楽しい仕合させてもろうたさかい、アンタらにウチの真名…霞って言うねんけど、

 

 この名、アンタらに預けるで。もう血が滾ってたまらんかったわ。あんな熱うなれる仕合、ホンマに久しぶりやった」

 

「確かに預かった。俺達には真名が無い。一刀という『名』が真名みたいなものだから、それで呼んでほしい」

 

「私も一刀様と同じです。朱里、とお呼びください」

 

「確かに預かったで、一刀、朱里」

 

張遼…霞から真名を預かると、董卓と恋がそれぞれ賈駆と陳宮を引っ張ってきた。

 

「「…」」

 

二人ともだんまりを決め込んでいるな…董卓までもが敗北したことがよほどショックだったのか、それともまだ俺達を認める

 

気にならないのか…どっちもなんだろうな。特に賈駆は何が何でも認めたくない、といった表情だ。激怒したような表情で、

 

きつく俺達を睨んでいる。だが、俺達はそれを無視したし、董卓もそれを無視して話し始めた。

 

「此度の事、本当に申し訳ありませんでした。状況が状況とは言え、賈駆と陳宮の言動に不適切なものがあったのは事実です。

 

 この件については何らかの形で責任を取らせるよう罰則を科しますので、ご追及はご勘弁願いたいのですがよろしいですか?」

 

「ああ…疑われることにはもう慣れてるからいいよ…感情的にはともかく、事情はちゃんと理解しているから」

 

「ありがとうございます…ほら、詠ちゃん、ねねちゃん」

 

「「…」」

 

「…ちんきゅ、謝る」

 

董卓と恋に促されても、二人は黙したまま口を開こうとはしなかった。だが、少しすると陳宮が申し訳なさそうな表情になる。

 

「…ごめんなさいなのです」

 

そして割と素直に謝ってきた。声は小さかったが、周囲にはっきりと聞こえる声だったので恋も特に何か言うことはなかった。

 

一方の賈駆は完全にだんまりを決め込んでいるようで、一向に口を開こうとしない。

 

「…詠ちゃん…どうしてそこまで意固地になるの?」

 

「…」

 

董卓に問われても、相変わらずのだんまりである。ここまで董卓に反抗的な賈駆も珍しい。某番組に投稿できそうな光景である。

 

「…詠、意地を張っても仕方ないのです。ねねは…思い知らされたのです。それは詠も同じはずなのです」

 

陳宮までもが促し始める。さすがにまずいと思ったらしい。本来ならもっと早く思い至るべきだったのだが、自分のやった事を

 

省みた今、はっきりと理解したのであろう。賈駆とて気付いていないわけではないだろうが…あくまで自分の意地を通すのか。

 

気持ちはわからないわけではないが、こういう場合はそんな意地を通そうと思っても自分の立場を危うくするだけだ。

 

そんな重い空気が数分、続いたが…

 

「……………ごめんなさい」

 

…ようやく、賈駆も謝罪を口にした。不本意、という気持ちは見て取れたが、少なくとも俺達の噂が掛け値なしの事実だと知り、

 

灯里に言われたことを心底理解して落ち込んでいる、といった雰囲気が勝っている。董卓の真意を見失っていたことが、相当に

 

ショックだったようだ。眦が下がり、普段釣り目になっている彼女の目が垂れてしまっている。

 

「それではあの、お貸ししたお部屋でお待ちください。二人への措置の詮議に入りますので…」

 

董卓にそう言われたので、俺達は着替え用にと貸し出された部屋に戻る。詮議が終わってから話したいことがあるのだろう。

 

とはいえ、もうまもなく夕刻である。用事を早めに済ませないと、宿屋に戻れなくなる。あるいは、詮議というのは名目で、

 

実際の所は罰則の内容は董卓の中でほぼ決まっているのだろうか。どちらにせよ待てと言われたからには待たなければならない。

 

俺達三人は部屋で雑談をしながら、呼ばれるまで待っていた。

 

 

 

―その後、我を通し過ぎた賈駆と陳宮には董卓から罰則が言い渡された。

 

董卓曰く、今後のことを考えて敢えて認めたということがあるので重い処罰はしないが、それでも状況をいたずらに混乱させ、

 

組織内に不和を齎しかけたということで何らかの形で責任は取ってもらわなければならないということで、それぞれ罰せられた。

 

俺達は部外者なのでその内容は知らないが、侍女に呼ばれて広間に向かうと、ちょうど広間を出てくる二人と会った。

 

二人とも虚脱したような表情で、無言のままふらふらとどこかに行ってしまった。おそらく自分達の部屋に戻ったのだろう。

 

武官達も、二人に続いてそれぞれ部屋に戻っていく。審判役の華雄はともかく、俺達と全力で仕合をした恋と霞の顔には疲労が

 

色濃く、早く休みたいという風だったので、声をかけるのはやめておいた。挨拶はしたけどね。

 

そして、俺達は董卓の希望で城壁の上に登り、そこで話をすることになった。

 

 

長安の方向に夕陽が沈んでいくのを、皆しばらく無言のまま見つめていた。ややあって灯里から口を開く。

 

「…それで、結局私達は受け入れてもらえるのかしら?」

 

「はい。昨日申しましたように、私はあなた方と結盟したいと思います」

 

「いろいろと迷惑をかけてしまったな…すまない、董卓」

 

「いえ…こちらこそ、ご迷惑をおかけしました…半分は私の我儘もありましたから…」

 

部下への配慮を『我儘』と言い切るあたり、内罰的というかなんというか、控えめなのは変わっていないようだ。

 

それで上手くいったのだし、覚悟はしていたから俺達は別に気にしていない。いくら実績を上げていても、嫌悪感を示すような

 

人間はいるだろうから。疑うことは簡単なのだから、そっちを選択する人間が多いのもよくわかっている。傍から見れば甘言を

 

弄して董卓に取り入ろうとしているように見えたかもしれない。もっともらしい証拠を出してもっともらしい言葉を言う、胡散

 

臭い男。それが賈駆の俺に対する第一印象だろう。最初から「胡散臭い」なんて言われてちょっとムカっと来たが、理由自体は

 

理解できる。ただし、そういった態度を最初から出してしまうのは要らぬ争いの種になる。

 

「結盟ということは…つまり、一刀さんと朱里を対等の関係として遇するということ?」

 

「はい」

 

「あなた相国でしょ?それは大丈夫なの?」

 

「…困難な状況の中、長旅をして危険を冒してまでここまで来てくださり、なおかつあらゆる手段を駆使してくださった方を

 

 配下に迎えるなどという真似はできません…もとより、『天』を名乗る方を配下にするなどと、考え付きませんでしたから」

 

「祭り上げるわけではないのね?」

 

灯里の問いに、董卓は首を横に振る。これは灯里の問いを否定するのではなく、俺達を祭り上げることを否定する仕草だろう。

 

「そのようなことは…お二人の御意志を無視するような真似は致しません。お二人がいらっしゃるから、などということは…」

 

「それで安心したわ…あなたには二人を利用するなんてつもりがないのはわかっていたけど」

 

「どのような虚名を持っていても…どのような実績を上げられていても…私は、その方自身を見ることに意義があると思います」

 

「じゃあ、皆に言っていたことは…」

 

「私の立場上のこともありますので、それを優先しなければなりませんでした。ですが…私個人は、そう思っています。でも、

 

 一刀さん達については一つの疑問を感じていたんです。恋さんに問われた時、私は何故急に現れたお二人を…いくら根拠を

 

 示してくださったとはいえすぐに信じたいと思ったのか…そう思ってずっと疑問だったのですが…今日の仕合で、なんとなく

 

 わかったような気がします」

 

「…」

 

「…私、お二人とどこかでお会いしたことがある気がするんです。お二人が幽州に降り立ったと耳にした時から、幻覚のような、

 

 夢のような…はっきりしないのですが、そういうものが見えるようになったんです。昨日お二人に会って、昨晩見た夢では…

 

 一刀さん、あなたのことがはっきりと見えました…朱里さんは、見えなかったのですが…」

 

…やはり、か。彼女もまた『超越者』…そういった感覚を抱いてしまうのは自然なことだ。そして俺達に出会い、ビジョンがより

 

鮮明なものになって見えたのだろう。朱里についてはどうしようもない。当時の朱里は仮面など着けておらず、背は彼女と同程度。

 

今とは雰囲気も違うのだから。

 

「…月…そうね、あなたもそうだったのよね…」

 

「灯里さん…?」

 

「…いえ、今はいいわ」

 

事情を知っている灯里も、俺と同じ結論に至ったようだ。董卓は首を傾げていたが、ややあって居住まいを正して口を開く。

 

「…一刀さん、朱里さん。私の真名を、お預けいたします。私の真名は…月、です」

 

「…確かに預かった。だけど…何故急に?」

 

「自分でもよくわからないのですが…あなた方を、心から信じられると思ったからです。それに…董卓、と呼ばれているのには

 

 違和感を感じてしまったんです…私は…夢の中の話で申し訳ないのですが…あなた方には、その名で呼んでほしくないんです」

 

彼女は寂しそうな表情を浮かべ、こちらをじっと見つめていた。董卓…月はかなり以前からビジョンを見ていたようだ。それは

 

愛紗や鈴々よりもタイミング的には早いはずだ。二人が俺達の前に姿を現すより前に、涼州にまで俺達の名は伝わっていたのだ。

 

白蓮や星も見たと言っていたが、それは黄巾党との戦いが始まって少し経った頃からであるらしい。個人差はあるのだろうが、

 

同じ『超越者』である白蓮はともかく、『大超越者』である星や愛紗、鈴々よりも早いなんてことがあるのだろうか。

 

「…一刀さん、月の疑問を解決する手段はあなたしか持っていません…」

 

「灯里…」

 

「…私は、あなたと『今回』初めてお会いしましたから、そのあたりの機微を理解しきれていないのかもしれません。ですけど、

 

 月がここまで信頼を示してくれたんですから…まず彼女には、すべての真相を話しておくべきではないですか?『あれ』の事は

 

 別にしても…私見ですが、月が抱いている違和感はかなり強いように思います」

 

そう言って、灯里は一旦言葉を切り、次に月に向かって問いかけた。

 

「月…その夢の正体を、知りたい?」

 

「え?」

 

「あなたが望むなら、その夢の正体を知ることができるのよ」

 

「本当ですか…?」

 

「ええ…」

 

月は少しの間逡巡していたようだが、やがて決然とした表情になり、言葉を紡ぎ始めた。

 

「…身勝手かもしれませんが…もし、あの夢の真実を知ることができるのなら…私は、知りたいです…」

 

「一刀さん、私からもお願いします。月は自分の気持ちを、どちらかと言えば押し殺してしまうほうですから…どうか」

 

「…」

 

「…一刀様…」

 

朱里も灯里の意見に賛成のようだ。はっきりそうとは言っていないが、そういうニュアンスであることはわかった。

 

よくよく考えてみれば、確かに灯里の言う通り、どちらかと言えば引っ込み思案で自分の感情を押し殺しがちな月が今ここまで

 

言っているということは、もう違和感が極致にあり、どうしようもない状態になっているということであろう。そして、その

 

違和感の正体がはっきりとわからないというのは非常に不安なはずだ。

 

…それなら、これ以上苦しい思いはさせられないな。

 

 

「…わかった。月、目を閉じておいて…」

 

ここは野外だが仕方がない。どういうわけか今は兵がいない。おそらく月が人払いさせたのだろう。

 

俺は月の額に手を当て、言霊を込めて真言を紡ぐ。

 

 

『―数多の想い宿せし、理を超越せしものよ。今こそ封印の枷を解かれ、現世と幻世の狭間より舞い戻れ!』

 

 

眩い光が俺達を包み込んでいく。

 

無数の想念粒子が奔り、不可思議な音色が奏でられる。外史の外側に漂う『過去』の月の想念が、『現在』の彼女へと輝く

 

粒子となり吸い込まれていく。俺は過去の『記憶』を心に浮かべ、月の心と同調していく。かつて彼女と紡いだ『時』の欠片が

 

俺の心を、そして想念粒子を導く。『時』の欠片が満たされていくのが感じ取れる。

 

これまでとは違い、月は悲鳴を上げなかった。粒子の音色が最大限に高まり、現世から切り離されたかのような感覚に襲われる。

 

やがて―

 

 

『―私があなたの傍にいることが……償いの一つとなるのでしょうか?』

 

 

―かつての記憶…出会いの記憶がフラッシュバックしたかと思うと、次の瞬間には光が収まっていく。

 

俺の手にはいまだに月の額の感触と、彼女の体温が伝わってきている。月は倒れてはいないようだ。光が収まりきったところで、

 

俺は手を放す。するとそれを合図にしたかのように、月はゆっくりと目を開いた。

 

「…あ………ご主人様………?」

 

そう呼ばれるのは久しぶりだった。平原では散々呼ばれていたけど、こうして月に呼ばれるのとは明らかに中身が違う。

 

「思い出すことができたみたいだね、月…そうだ。俺は間違いなく、君が知る『北郷一刀』本人だよ」

 

「あ…はい…お久しぶりです、ご主人様………また、お会いできて…嬉しいです…」

 

アメジストの如き大きな瞳が揺らぐほどに涙を湛え、声を震わせる月。不意に傍らの朱里に腕を軽く叩かれる…そういうことか。

 

朱里の意図を悟った俺は、月を腕の中に迎え入れる。そして暫くの間、あまりの嬉しさからかすすり泣く月を抱き締めていた。

 

月と初めて出会った時…俺は管理者の謀略によって洛陽におびき出され、当初民間人として保護した彼女と出会った。責任感の

 

強い少女だと思った。彼女自身に罪はないというのに、自ら罪を被ろうとしたほどに。名より命を重んじる俺としては、彼女を

 

死なせたくなかった。いろいろ言った記憶もあるが、何より彼女を守ろうとした董卓軍の猛将達や兵達に報いるためにも、月に

 

生きてほしかった。結果的に『始まりの外史』では彼女を置き去りにする結果となってしまったが…一度は、俺達がいた天界に

 

彼女も行っている。『前回』は会うことも無かったし、劉備陣営で保護されたわけでもないと朱里から聞いているので、涼州に

 

戻って静かに暮らしていたのかもしれない。最後に彼女と会ったのはいつだったか…。

 

やがて泣き止んだ月が、俺から離れ、手で涙を拭う。俺はタイミングを見計らい、話を再開した。

 

「…月、最早すべてを知っただろう。君が見ていた夢の事も、俺の隣に立つ彼女が誰であるかということも…」

 

月はしばし考えていたが、ややあってはっとしたように口を手で覆う。そして、おずおずと朱里に問いかけた。

 

「…あ…もしかして……朱里、ちゃん…?」

 

「…はい。お久しぶりです、月ちゃん…」

 

そう言って、朱里は仮面に手を掛け、外した。月の顔が更なる驚きに彩られる。

 

「どう…して…?」

 

「…『聖フランチェスカ』という名を、覚えていますか?」

 

「…うん。じゃあ、朱里ちゃんは…天の国で、ご主人様と…?」

 

月の問いに朱里は頷き、これまでの経緯を説明し始める。説明が終わる頃には日はすでに西へと沈み、月の光が辺りを照らし

 

はじめていた。月は朱里の説明を黙って聞いていたが、やがてすべてに納得がいったかのように、ゆっくりと頷いた。

 

「そんなことがあったんですね…今ならすべてが理解できます…また、繰り返されたんですね…」

 

「そうだ。でも、今度は『規定』の縛りが非常に緩くなっているため、俺も自由に行動することができた。どちらにせよ俺達は

 

 君を救うためにあらゆる手段を講じた。そして今、こうして桃香の許を離れ、上洛してきたんだ…真の戦いに備えるためにね」

 

「真の戦い…?」

 

「ああ…だけど、それについて説明するのは詠を含め、他の面々の記憶を甦らせてからだ。だが、これだけは言っておく…。

 

 俺達は『救うため』に戦っている。その戦いを戦い抜くためには、月、君の…君達の力が絶対に必要になる。これまでにない

 

 形で、この外史で紡がれる物語を『規定された』終端を越えて紡いでいくための力として。未来のために、力を貸してほしい。

 

 そして、君達を助けに来たのはそのためだけじゃない…もう、君達が生贄にされるような展開は、許しておけなかったから」

 

「…」

 

「返事は今でなくともかまわない…まだ詳しいことは何も話していないしな。それに、今は君の方が立場が上だから…」

 

「…いいえ」

 

「月?」

 

「…ご主人様の仰ることに、どうして私が疑いを持つというのでしょう…私は、あの時は何もわかっていなかった…あなたは、

 

 私に仰ってくださいました…生きることが償いになると。私は…私を助けることで何の得があるのだろうと思いましたけど、

 

 接していくうち、ふと思ったんです。人間は時として理屈に合わないことをするものだって。ご主人様は心の底から、私の

 

 生を願ってくださいました…感謝しても、しきれません。確かに今の世は疑心暗鬼に満ちています。でもだからこそ…私は

 

 そんな中で、ともすれば異質なあなたに惹かれていったんです。信じるということを愚直なくらいに貫いていらしたから…」

 

「…月、俺はそんな大層な人間じゃないんだ。右も左もわからない世界に墜ちて、俺は周囲を信頼しないことにはどうにも

 

 ならない状況に置かれていたんだよ。身を守るための手段だったんだ…それはいつしか、俺の信念に変わったんだけどね」

 

「ふふっ…そうやっておごらず、自分のこととなるとすぐに謙遜なさるから…私は、惹かれてしまったんですよ?」

 

「…」

 

「…私達はもう、昔のような関係には戻れないかもしれませんけど…」

 

「!」

 

まさか…朱里はそれについて説明はしていなかったが、まさか朱里が再び別外史へと渡ったことからそれを類推したのか…?

 

なんという洞察力。「かもしれない」という仮定の言葉が入ってはいるが、彼女の中ではおそらくもう確信されたことなのだ。

 

「…私は、ご主人様を信じてついていきたいです」

 

そう言って、月は右手を差し出してきた。彼女は相国である以上、今は臣下の礼を取るわけにはいかない。だから、握手という

 

形で「対等の同盟関係」を結ぶ、ということだろう。結盟することそのものは、試験の結果から既に決まっているのだから。

 

「…ありがとう、月」

 

俺は月の手を握る。より高く昇った月の光が、結盟の証となった俺達の手を柔らかく照らしていた。

 

 

 

その光はまるで、月自身の心の光であるかのように、今の俺には思えた。

 

 

あとがき(という名の言い訳)

 

 

寒くなって参りましたね。Jack Tlamです。

 

今回は試験の模様(といっても政治・軍略の試験はほぼ完全にスルーしましたが…)と、月の記憶が甦るところまでを

 

お送りしました。本当だったら次の話でやるべきことだったんですが、予定変更しました。

 

 

朱里と一刀は…もうあれだ、化物だとかチートだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてない。もっと恐ろしい何かです。

 

生身で○ッターをやらかす朱里と、そんな技は出さなかったけれども新技を披露し、二人の武将を圧倒した一刀。

 

もう恋姫武将たちの中で二人に勝てる人がいません…

 

 

そして、多少リミッターを掛けていたとはいえ一刀に迫る実力を示した月。

 

強くし過ぎてしまったかしら…恋相手に勝率五割って…滅茶苦茶高いような気がするんですが。霞では勝てないと。

 

あの一刀が「重い」と驚いたのですから、その実力のほどはわかっていただけるかと思います。

 

 

最後の方はいつもながらクサいこと言ってるなぁ。

 

でも、私個人としては月の一刀に対する思慕の情っていうのはすごく強いと思ったので、こうして一人特別待遇と相成り、

 

今回で記憶が甦りました。月が語っているように、一刀の影響の方が強いので、桃香についてはこの場では言及しません。

 

あるいは、彼女もどこかで桃香の致命的な欠点を理解していたのかもしれません。

 

 

さて、次回は…おっと、ここで申し上げるのも野暮というものですね。

 

 

ではでは。


 
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