No.627377

七十七鬼目 百目鬼

どうめき。 どどめきじゃないですwどうめきです。 一説には石燕御大のドドメキの元ネタ、だとかなんとかって聞いたことがあります。 有名な栃木の鬼です。 地名や人名にも使われる、ポップな鬼ですね。 以下WIKIより>秀郷は下野国・宇都宮の地に館を築き、ある日その近くで狩りを行った。狩りの帰り道、田原街道・大曽の里を通りかかると老人が現れ、「この北西の兎田という馬捨場に百の目を持つ鬼が現れる」ことを告げられた。秀郷が兎田に行って待っていると、丑三つ時の頃、俄かに雲が巻き起こり、両手に百もの目を光らせ、全身に刃のような毛を持つ身の丈十尺の鬼が現れ、死んだ馬にむしゃぶりついた[3]。秀郷は弓を引いて最も光る目を狙って矢を放った。矢は鬼の急所を貫き、鬼はもんどりうって苦しみながら明神山の麓まで逃げたが、ここで倒れて動けなくなった。鬼は体から炎を噴き、裂けた口から毒気を吐いて苦しんだため、秀郷にも手が付けられない状態となった。仕方なく秀郷はその日は一旦館に引き上げることとした。翌朝、秀郷は鬼が倒れていた場所に行ったが、黒こげた地面が残るばかりで鬼の姿は消えていた。 それから400年の時が経って、室町幕府を立ち上げた足利氏が将軍となった時代、明神山の北側にある塙田村・本願寺の住職が怪我をするとか寺が燃えるといった事件が続いた。その中、智徳上人という徳深い僧が住職となると、その説教に必ず姿を見せる歳若い娘がいた。実はこの娘こそ400年前にこの辺りで瀕死の重傷を負った鬼の仮の姿で、長岡の百穴に身を潜め傷付いた体が癒えるのを待ち、娘の姿に身を変えてはこの付近を訪れて、邪気を取り戻すため自分が流した大量の血を吸っていたのであった。本願寺の住職は邪魔であったため襲って怪我を負わせたり、寺に火をつけては追い出していたという。智徳上人はそれを見破り、鬼は終に正体を現した。鬼は智徳上人の度重なる説教に心を改め、二度と悪さをしないと上人に誓ったのであった。

2013-10-12 15:27:24 投稿 / 2664×2963ピクセル

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