No.626903

真・恋姫†無双 真公孫伝 ~雲と蓮と御遣いと~ 1-44


しばらく投稿期間を空けてしまいました。申し訳ない。

この話にて第1幕は終了。
次の話から第2幕に入ります。

続きを表示

2013-10-10 23:30:52 投稿 / 全12ページ    総閲覧数:7547   閲覧ユーザー数:5610

 

 

【 不可解な感情 終わりを告げる平穏 】

 

 

 

 

 

 

 

「くそ……何故俺がこんな……」

 

 

街の中を歩きながら一人悪態を吐く少年がいた。

数日前まで冀州へと諜報活動に行っていた左慈である。

 

結局その後、特別有益な情報は得られなかったため冀州から早々に、やはり数日かけて引き揚げて来た次第であった。

 

未だ数人は冀州――つまり袁紹の領内に潜伏させてはいるので問題は無いが。

 

当たり前ではあるが、重要な報告は諜報部隊の長である左慈が受け持っている仕事の一つだ。

何の成果も得られませんでした、そう報告をした左慈。結果として失望するだろう、と思っていたのだが実際は違った。

 

一刀や雛里に労われ、戸惑っているうちに久々の休暇を貰うに至っていた。

普通の人間なら休暇が貰えれば喜ぶのだろう。しかし、左慈としてはそんなものを貰ったところで持て余すだけだった。

 

仕事とて、ある意味では暇を潰す為にやっているだけ。

傍から見れば意欲的に働いているように見えるらしいが、本人的にはただ淡々とこなしているだけに過ぎない。

 

だが、貰ったものは仕方ない。

労いという厚意によって得た休暇を無下にも出来ず、仕方なしに街を散策しようと決めたのだった。

 

それが結果的に、休暇に結びつかないということにも気付かず。

 

 

ぶつぶつと悪態を吐きながら左慈は懐から一枚の紙切れを取り出す。

 

そこには城の主要人物達(殆んど女)からの依頼――つまり、街に出た際に買ってきてほしいものが明記されていた。

 

未だに一刀や星、雛里や于吉、直属の部下の前以外では記憶を失っていた頃の人格が出てしまうという嫌な癖。

 

慇懃無礼で暴言を吐く左慈という少年は、前述の数人にしか見せない顔。

それ以外の者達の前では品行方正、眉目秀麗、物腰穏やかな少年という人格が出てしまう。

 

殆んど二重人格に近しい何かだった。

 

意識して人格を変えているわけではないので、本人的にもどうしようもない。

 

まあ……だからこそ、このようなことが起こり得るのだが。

 

一度ざっと目を通した左慈は苦々しそうに奥歯をギリッと鳴らし、次いで大きい溜息を吐いた。

 

 

――自分は変わった。否、変わってしまったというべきだろうか。

 

 

 

そうでもなければ、こんなこと思うはずもない。

 

 

 

――仕方がない。

 

 

 

こんなことを、思うはずがないのだ。

 

 

 

 

億劫そうに紙切れを懐にしまった左慈は、モヤモヤとした何かを抱えながら歩き出した。

 

“仕方なく”頼まれた物を買っていってやるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わり、公孫賛居城の城内。

東屋の椅子にぐったりと背中を預けている少年がいた。

 

 

「……ちょっと」

 

「ん~?」

 

 

少女の声に、間延びした声を返しながら少年――北郷一刀は頭を上げ、逆さだった景色を元に戻す。

 

視界に入った対面。そこに座るメイド服姿の少女、詠は少しだけ不満そうな表情と視線を一刀に投げ掛けていた。

 

 

暫し、会話の無い時間が過ぎる。先に口を割ったのは詠だった。指を一本立てる。

 

 

「もう一局」

 

「えー。これでもう三局目だぞ? いやまあ、付き合うって言ったのは俺だけどさ」

 

「それならいいでしょ。ほら、準備しなさいよ。ボクだって給仕の仕事ばかりやっていて、軍師の腕を錆びつかせたくないのよ」

 

「了解了解」

 

 

仕方ない、と苦笑しながら卓の上に置かれた戦戯盤の駒を戻す一刀。

 

詠の隣にちょこんと座り、お茶を飲みながらそれを見ているもう一人のメイド服少女が、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

 

 

「ごめんなさい、一刀様。その、詠ちゃん久しぶりに戦戯盤やるから多分、楽しくなっちゃってるんだと思います」

 

「ちょ、ちょっと月! べ、別に全然楽しくなんてないわよ!」

 

「じゃあ止める?」

 

「ぐっ」

 

 

冗談交じりの問い掛けに言葉を詰まらせる詠。どうやら楽しいと感じているのは事実らしい。

対局を続ける理由なら、一刀にとってはそれだけで十分だった。自分の時間を取られている、なんて微塵も思わない。

 

一刀は安心させるように、月に微笑みかける。

思わぬ不意打ちに月は顔を赤らめ、顔を俯かせた。それをなんだか面白くなさそうに見つめる詠。

 

 

「さて、やろうか」

 

「いいわよ。ボクの頭脳でコテンパンにしてやるんだから!」

 

「もう既にコテンパンにされてるんだけどね。三戦三敗――まったく我ながら酷い結果だなあ」

 

「そ、そんなに気に病むことじゃないと思います。一刀様は軍師じゃありませんし……」

 

「はは、ありがとう月」

 

「早く始めるわよ!」

 

 

犬歯を剥き出しにして一刀を警戒する詠の姿に、隣に座る月は二つの理由で溜息を吐いた。

一つは気になる異性との会話を邪魔されてしまったこと。もう一つは詠が一刀に対してそういう対応をしていること。

 

 

(……詠ちゃんももっと素直になれればいいんだけどな)

 

 

そうは思うも、すぐに思い直す。

少なくともそこに至っては自分が意見できる立場ではないのだから。

 

 

月は改めて、溜息を吐いた。

 

戦戯盤を挟んで対峙する二人はそれに気付かず、黙々と盤上で駒を動かす。

やはり元軍師である詠の方に分があるのか、時折止まるのは基本的には一刀の手だった。

 

 

「そういや、さっき左慈が外に行くのを見たな」

 

 

そう一刀が呟く。

 

集中していないわけではないのだが、詠や月と過ごせる時間はお互いの立場もあり案外少ないので、つい会話を求める気持ちが口に出た次第だった。勝負の最中に何を、と言わんばかりに一刀を睨む詠。しかし何か思うところでもあったのか、再び盤面に眼を落として相槌を打つ。

 

 

「そう」

 

「うん。昨日の夜に帰ってきたんだけど、最近あいつ働き通しだったから休暇取ってもらったんだよ」

 

「へえ。まあ、確かに左慈はよく働くわよね。ボクも正直あいつは優秀だと思う」

 

「左慈さんは物腰が柔らかくて誰にでも好かれている気がしますし……良い人です」

 

「嫌ってるやつはそういないんじゃないかな、月の言う通り。能力とか立場とかを妬んでるやつとかなら少しくらいはいそうだけど」

 

「その辺、于吉はどうなの? ボク、あんまりあいつの仕事ぶりって見ないんだけど」

 

「于吉もよくやってくれてるよ。でもまあ、あいつはムラがあってさ。やるときはやるんだけど、やらないときは何にもやらない。あと、仕事中とかプライベートとか――じゃないな。ええと……自分の時間とか関係なしに左慈を追い掛け回してる」

 

「変態ね」

 

「え、詠ちゃん……」

 

 

淀みの無い会話を続けながらも一刀と詠の眼は盤面に向けられたまま。駒を動かしながら他愛ない世間話に興じていた。

 

詠の放った直接的で辛辣な言葉に、月が少しだけ焦りの表情を浮かべる。

 

 

「――で、あんた達。最近こそこそと何やってんの?」

 

 

スッと盤面から顔を上げた詠が、戦戯盤という仮想の戦場を見ていたままの眼で一刀を見据えた。

 

一刀も盤面から顔を上げ、詠の視線を真っ向から受け止めた。それでいて、申し訳なさそうに笑う。

 

 

「やっぱり気付いた?」

 

「当たり前でしょ。あんたの行動が一番分かりやすいのよ」

 

「まあ確かに、俺って隠し事苦手なんだよな」

 

「隠し事、ですか?」

 

 

何についての話なのかを理解できていない月は二人に向けて疑問の声を上げる。

それを機としたのか、詠は一刀に向けていた鋭い視線を唐突に外した。そのまま、再び盤面に視線を落とす。

 

 

「まあ別に詮索する気は無いけど。何かあったらボクにも頼りなさいよね。これでも口は固い方だから」

 

「詠……」

 

「べ、別に教えてもらえなくて拗ねてるとかそういうんじゃないからね?」

 

「詠ちゃん。それバレバレだよぅ……」

 

 

まったく隠せていない――というか殆んど自分から教えたに等しい行為に対して月がツッコむ。

 

詠はそれを聞いて口をへの字に曲げながら、無理矢理にでも対局に集中しようと盤面に顔を近付けていた。

 

ある意味で微笑ましいと言えるような、そんな光景を見ながら一刀は月と顔を見合わせて苦笑し合った。

 

 

パチン、と駒を動かす音が、静かだが強く響く。

 

 

「ありがと、詠」

 

「……別に」

 

 

何気ない自然な調子で口にされた感謝の言葉に対し、詠は素っ気ない台詞で応える。

しかしこれもまた、詠という少女の持つ独特の良さなのだと理解している一刀にとっては、何の問題もない応えだった。

 

 

「にしても……左慈が街に出るなんて案外珍しいな」

 

「そうなんですか?」

 

 

ふと、左慈の話を出したことを思い出してそれに連なる感想のようなものを口にする。

ここに来てからまだ日が浅いからか、月は可愛く小首を傾げて一刀に疑問を投げ掛けた。

 

 

「ああ。でも最近は色々なところに行ってもらってたからな。もしかしたら久しぶりに、ゆっくりと街を見て回りたかったのかもしれない」

 

「あ……じゃあ悪いことをしちゃったかもしれません」

 

「うん?」

 

 

申し訳なさそうに月の表情が歪む。怪訝に思った一刀が首を傾げると、その話題に反応した詠が顔を上げた。

 

 

「さっき偶然会ったのよ。会うなり、『何かお手伝い出来ることはありますか』って聞いてきたから、城内で使うお茶とお茶請けの買い出し頼んだの。ボク達は誰かの付き添いがないと外に出れないし」

 

「なるほど。それでか」

 

 

一刀は詠の話に納得し、頷いた。

そして左慈を思って苦笑いを浮かべた。つまりは、良い人な人格が出たということなのだろう。

 

 

気にしないように、と月を慰めながら少しだけ左慈に同情する一刀だった。

 

 

 

 

 

 

 

「まずは……この店か」

 

 

左慈は店を確認し一度頷くと、暖簾を潜って中へと入る。

 

 

『いらっしゃい――って、左慈様! どうも御無沙汰してます』

 

「こんにちは、店主さん。景気の方はどうですか?」

 

『いやー左慈様のお陰で繁盛してます! やっぱり場所が良かったみたいでね。お客さんが結構入ってくるんですよ!』

 

「いえ、僕は何もしていませんよ。僕はあくまでこの場所を紹介しただけ。繁盛は店主さんの働きによるものでしょう」

 

『左慈様はいつも謙虚ですねえ。そんなんだから街の若い女どもに付き纏われちまうんですよ』

 

「あれは少々困り気味なんですけどね。でも無下には出来ませんし――あ、そうだ。今日は普通にお客として来たんです。いつも城に届けてくださっている物はありますか?」

 

『ええ、ええ。用意してありますよ。この間、城に務めてる可愛い子二人と華雄将軍が連れ立って来ましてね。その時に頼まれた品なんですが……っと、ちょっとだけお待ちいただけますか』

 

「ええ、構いません」

 

『それじゃあちょっとだけ失礼して』

 

 

言うと店主はイソイソと店の奥に消えていく。品物を取りに行ったのだろう。

有難いことに店内は無人。この場には自分しかいない。左慈は無意識に出ていた人格を無理矢理引っ込めた。

 

そして疲れたような表情で、眉間に寄った皺を押さえながら呟く。

 

 

「……殆んど病気だな、これは」

 

 

お前は誰だ、と自分に問いたくなるほどに本来の自分とは真逆な人格。

記憶を失っている間に構築されたそれを、どちらかといえば受け止めている自分が更に腹立たしかった。

 

 

しばらくそうしていると、やがて店主が奥から戻る。

その手には布に包まれた品物があった。一礼と共に差し出されたそれを軽く開いて、左慈は中を改める。

 

 

「はい。確かに月さんと詠さんが言っていた物のようですね。確かに受け取りました」

 

 

左慈はにこやかな表情でそう店主に告げる。

その言葉に店主は苦笑し、ふいに感慨深そうな表情になる。

 

 

『左慈様は本当に珍しい方だ。城で働いている方なのに俺のようなもんにも分け隔てなく接してくださる』

 

「どうしたんですか、急に」

 

『いやね。実は俺、ここに来る前は洛陽で店を出していたんだよ』

 

「洛陽と言えば帝のお膝元。凄いじゃないですか。……ですが何故、今はここに?」

 

 

驚くような表情を浮かべる左慈だったが、実際そのことは既に知っていた。店を出したい、と申し出て来た者の素性は、ほぼ全て把握している。個人的な性分でもあり、諜報部隊の長としての側面もあるというわけだ。

 

しかし、確かに普通であれば当然尋ねられる疑問に店主は苦笑したまま答える。

 

 

『俺が店を出していた通りの向かいに商売敵がいたんだが……こっちの店の繁盛ぶりを妬んだのか、そいつに嫌がらせをされてな。しかも運の悪いことにそいつは悪い役人と繋がってやがったんだ』

 

「酷いですね。ですが、なるほど。それで圧力を掛けられたと」

 

『一言で言っちまえばな。結局、俺には家族もいた。だから家族に嫌な思いをさせてまで洛陽にはいられなかったって話さ』

 

 

優しげな表情で店主は笑った。ギリギリで三十代には見えない年齢にはそぐわない皺が目元に強調される。

おそらく今ここで話を聞いただけの者には想像できない何かがあったのだろう。それを店主は笑って語ったのだった。

 

 

「僕が言えることではないかもしれませんけど……」

 

『うん?』

 

「それは、店主さんにとっても店主さんの家族にとっても正しい決断だったのではないかと思います。護るために逃げるというのは、恥ずかしいことではありませんから」

 

 

左慈の言葉に一瞬呆気にとられた店主だったが、やがて照れ臭そうに頬を掻いた。

 

 

『……ありがとうございます。左慈様。そう言ってもらえると少しは気が楽になりましたよ』

 

「いえその、生意気なことを言いました。言わずにはいられなくて――と、そういえば不思議に思ったんですけど、なんで洛陽からこの幽州に? 少し距離があると思うんですけど……」

 

『ああ、それですか。俺が洛陽で店を開いてた時に幽州から流れて来たっていう服があったんですよ。これがまた見たこともないような意匠の服でしてね。こんな素晴らしいものを考えたり、作ったりしている人に一度は会ってみたいな、なんて思ってしまって。妻には反対されましたけどね』

 

 

バツが悪そうに笑う店主。

 

反対を押し切ってここに来たから今は前以上に尻に敷かれているんです――そんなことを、やはり笑いながら店主は口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとうございましたー!』

 

 

用のあった最後の店を後にした左慈は店の暖簾を潜って外に出る。

存外、最初の店で時間を使ってしまったので他の店では用件を済ませるだけに至った結果だった。

 

 

しかし既に空はオレンジ色に染まり、時間は夕刻。

そもそも街に出た時間が昼近くだったので仕方がないと言えばそれまでなのだが。

 

 

しかめっ面のまま、その表情を俯くことで隠し、左慈は足早に通りから路地へと入る。

辺りに誰もいないことを聴覚、視覚を使って素早く確認するとヒュッ、と短く鋭い口笛を吹いた。

 

 

待つこと数十秒。

平民らしい服を着た男が路地の奥から姿を現した。

 

左慈は無言で両手に持った荷物を突き出す。男は何も言わずにその荷物を受け取った。

 

 

「数人で手分けして城まで運べ。北郷か趙雲将軍、鳳統軍師に渡せば後は適当にやってくれる」

 

『は』

 

 

男は左慈の淡々とした指示に文句ひとつ言わず頷く。

すぐにその場から去ると思いきや少しの間、左慈の顔を凝視する。左慈は訝しげな視線を男に向けた。

 

 

「なんだ」

 

『いえ……お疲れのご様子でしたので』

 

 

男の言う通り、左慈の顔には疲労が色濃い。明らかに疲れている様子だった。

しかし左慈は、本人的に色々なことに対しての溜息を吐きながら迷惑そうな表情を浮かべる。

 

 

「お前には関係の無い話だ。構うな」

 

『は。その、申し訳ありません』

 

「……別にいい。それよりもそれ、頼んだぞ」

 

『了解です』

 

 

今度こそ男はその場から立ち去った。それを見届けて再び左慈は大きな溜息を吐く。

 

 

「ちっ……結局、今日は休む暇なぞ無かったな」

 

 

しばらく黙って何かを思案していた左慈は、やがて寄り掛かっていた壁から背を離し、路地から出る為に歩き出す――が、その足が路地の入口でピタリと止まった。

 

 

「……」

 

 

耳を澄ませる。

感覚を研ぎ澄ました左慈の耳には自分の背後――路地の最奥辺りから複数の人の声が届いていた。

 

 

逡巡した後にくるりと踵を返す。

どうしてそうしたのかは自分でも分からない。ただ何かに突き動かされ、左慈は路地の奥へと歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

「……俺も焼きが回ったか」

 

 

苦々しげに呟かれた一言。

左慈は遠目に見る光景と、自分の愚かさや迂闊さに舌打ちをしたい気分だった。

 

――こういうのは奴の、北郷一刀の性分だろうに。

 

今まさに吐き捨てたい言葉を飲み込む。

自分にとって遠目に見ている光景は心底どうでもいいものだったが、特に見過ごしてやる義理も無かった。

 

――ストレスの発散。

 

そう無理矢理、自分の心を納得させて左慈は歩を進めた。

別段、足音を隠す必要も気配を消す必要もない。普段と変わらぬ歩調。

 

だからだろうか、路地の奥で少女に乱暴を働こうとしていた二人の男の内一人がギョッとした顔で振り向いた。

 

 

少女の服に伸びていた相方の手が止まったのを訝しく思ったもう一人がやはり同じく後ろを振り向く。

左慈の記憶上、この街では見たことの無い輩。おそらく街を出ていた数日の間に流れて来た者なのだろう。

 

まあ追放だな、と左慈は心の中で冷静に断じる。

 

第三者に見つかったという事態から、暫し動きを止めた男二人だったが左慈の容姿を上から下まで無遠慮に観察すると、やがてニヤリと下卑た笑いを浮かべた。

 

 

『おう兄ちゃん。なんだ、おこぼれに預かりにでも来たのかい?』

 

『良い子はそろそろ家に帰んねえと悪い人に襲われちゃうぜえ?』

 

 

明らかに自分たちの方が立場が上だと言っているような侮りの口調。

 

不思議と左慈は冷静だった。やはり流れ者か、と改めて男二人の立場を自分の中で確立させる。

 

自分は残念ながら、この街では有名人の部類に入るだろう。

 

諜報部隊の長になった今も暇を見てはこうして街に出る。

城で文官をしている物腰柔らかな少年――それが街の民達の共通見解だった。

 

自分を知らない――その時点で、最近ここに流れて来た者であるということを想像するのは容易だった。

 

あくまで客観的な見方でそういう結論を出した左慈。

慕われているとは思わない。ただ注目されているだけ。そう断じて左慈は思考を閉じた。

 

そして改めて目の前の男二人に目を向ける。

 

辛うじて男二人が並んだ隙間から見える少女はぐったりとしていた。

服は上着を無理矢理千切られたらしく、白い肌が露出している。左慈の眉間に皺が寄った。

 

 

「いいか、一度しか言わん。さっさと消えろ」

 

 

端的に命令を下す。そこに民と接する時の温和な左慈はいなかった。

 

 

『ああ? なに調子に乗ってんだ小僧』

 

『そんな可愛い顔で言われてもねえ……正直怖くもなんともないぜ』

 

 

愚かな男二人は左慈の身体から滲み出る殺気にも気付かず、顔を見合わせながら再び嘲りの言葉を重ねる。

 

一度だけという言葉が、左慈にとっては最大限に譲歩した温情だったというのに。

 

つまり、ここに男二人が辿る末路は決まった。

 

 

 

「――そうか」

 

 

その台詞と共に男の一人が横合いから飛んで来た蹴りによって吹き飛ばされた。

まさに一瞬の内に起こった情け容赦ない出来事。吹き飛ばされた男は壁に激突し、骨が折れたような嫌な音と共に崩れ落ちる。

 

 

『え――』

 

 

自分の隣から相方が消え去ったことを遅れて理解したもう一人の男は呆けた声を上げる。

 

左慈という人間に、獲物をいたぶる趣味は無い。

たとえ色々なことでストレスが溜まっていたとしても、それとこれとは別の話だ。

 

次の瞬間、男は顔を掴まれていた。

 

 

『がっ……ああああああ!!!!!!』

 

 

握り潰されんばかりの強さで顔を掴まれ、男は悲鳴を上げる。

男の身長が存外低かったことが仇になったのか、その身体が持ち上げられた。

 

腕の力だけで男を掴み、持ち上げた左慈。

さらにその手に力を込める。ミシミシと音を立てて指が男の顔面を圧迫していく。

 

あまりの痛みに目を固く閉じ、声も出せなくなった男は死に物狂いでもがく。しかし効果は無かった。

 

自分に何が起こっているのか、男は分からない。だからこその本能だったのだろうか。

男はなんとか自分の置かれた状況を把握しようと必死に痛みに耐えながら、薄らと目を開けた。

 

自分の顔を掌が覆っていた。

幸いにも掌が覆っていたのは目より下だったため、男には自分の顔を掴んでいる左慈の姿が見えた。

 

 

――否、見えてしまった。

 

 

『ひ――』

 

 

男の喉が明確な言葉を出さずに、恐怖で収縮する。

男が見たのは可愛い顔をした少年などでは無かった。

 

 

「どうした? 何か恐ろしいものでも見たって顔だな」

 

 

左慈は笑う。獰猛に。今の彼は捕食者以外の何者でもなかった。

 

だが男の眼から見えた彼は捕食者――獣などでは無かった。

ただ、得体の知れない恐怖を植え付ける悪魔でしかなかった。

 

完全に男の眼から戦意が消えうせたのを確認すると、左慈は興味を無くしたように鼻を鳴らす。

 

そのまま軽く腕を横に振るいながら力を抜いた。すっぽ抜けのような形で男は飛んでいき、やがてその身体は壁に叩きつけられる。

 

壁に激突し、白目を剥いた男。

最初に蹴りで吹き飛ばし、壁に激突してどこかの骨が折れた男。

 

それを一瞥した後、壁にもたれ掛かり意識を失っている少女に近付いた。

上半身が露わになったまま、気絶している少女。所々が土に汚れているものの顔立ちはそう悪くない。

 

磨けば光る――というやつだろうか。薄く茶色が混じった黒髪がさらりと流れる。

しかし女の容姿には詳しくなく、また興味もない左慈は少女の肌を見ても特に何も思わず、全く動じない。

 

そのまま無言で上着を脱ぎ、少女の身体に掛ける――と、その時。

 

 

「う……ぅん」

 

「っ!?」

 

 

少女が身じろぎをし、小さな声を上げた。唐突だったがために、一瞬だけ取り乱す左慈。

しかし少女が意識を取り戻し、ゆっくりと目を開け始める頃には普段と変わらない不敵な佇まいの左慈の姿があった。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

左慈の視線と少女の視線が交錯する。どちらも“ただ相手を見ているだけ”の視線。故に場は沈黙が支配する。

 

 

「あ、あの……」

 

 

意外にも、先に声を発したのは少女だった。小さく細い声。少女の瞳は不安げに揺れていた。

 

 

「なんだ」

 

 

仕方なしに左慈はそれに応じる。左慈の声が少しばかり冷たいものだったからだろうか、少女は萎縮するように身を竦ませた。

 

 

「……聞きたいことがあるなら言え。答えてやるから」

 

 

面倒そうな、しかし同時にバツの悪そうな顔をした左慈は萎縮した少女に、先程とは違う声色で話し掛けた。

何故こういう時に限ってあの忌々しい人格が自然に出てこないんだ――胸中ではそんなことを思いながら。

 

先程とは違う声色が効いたのか、少女はおずおずと口を開く。

 

 

「そ、その……どちらさまですか?」

 

「左慈元方」

 

 

簡潔かつ明確な答えを提示する。さじ?と少女の口が動くも、その名を理解できているわけではないようだった。

 

 

「貴様、最近この街に来たばかりか」

 

「は、はい。つい先日ですけど」

 

「……なら仕方のない話か。まあいい」

 

 

どうしたものか、と左慈は頭を悩ませる。

正直こういうのは苦手だった。暴漢に襲われている女を助けるなんてことは、最初に言ったように北郷一刀という忌々しい少年の領分だろうに。

 

 

その間、左慈の思考からは少女のことが一瞬だが抜け落ちていた。だからこそ、少女の些細な変化に気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……これ……?」

 

 

気絶状態から覚醒したばかりだったからか、半分近く寝惚けていたような少女が自分に掛けられている服に気付く。

 

白く、そこそこ上等な布。少なくともそれは自分のものではない。

着ているわけではなく、上から掛かっているだけなので大きく身じろぎすれば簡単に下に落ちる。

 

少女はそこで初めて自分が上半身に何も身に着けていないことに気付いた。

 

 

「――ぁ」

 

 

そして自分が気絶する前に、誰に何をされかけていたのかを思い出してしまった。

 

途端にその身体が震えだす。

自分の身体を掻き抱き、痙攣を止めようとするも、効果が無い。パニック状態に陥りかけ、呼吸も乱れ始める。

 

自分ではどうしようもない、自分の身体と心の状態。得体の知れない恐怖から逃げようと、少女は固く目を閉じる。

 

それも根本的な解決には至らない。だがその時、唐突にその身体が誰かに抱きしめられた。

 

 

えっ、と小さな声を発する少女。

 

頭と背中に誰かの手が置かれ、優しく撫でられる。

 

 

「大丈夫だ。落ち着け。何も怖いことはない。お前を害そうとするやつはこの場にいない。大丈夫だ」

 

 

優しく、しかし強い意志に満ちた言葉が耳元で囁かれる。

背を摩る手つきも、頭を撫でる手つきも、今まで経験したことの無い柔らかなもの。

 

自分の身体の震えが止まっていくのを感じた。自分の中で自分に言い聞かせる。

 

ただ自分は乱暴をされそうになっていただけ。されてはいない。大丈夫。この人の言う通り、大丈夫。

 

 

不意に背と頭から手の温もりが離れた。

名残惜しさを感じてしまう自分に戸惑う。それから少しだけ自分を落ち着かせ、改めて目を開けた。

 

目の前には変わらず、黒い肌着を着た栗色の髪の少年が立っていた。こちらをじっと見つめたまま。

 

 

「落ち着いたか?」

 

「は、はい」

 

 

夢か幻かと思いかけていた先程の出来事がそのどちらでもないと知る。

耳元で囁いてくれた声の人。それは間違いなくこの人だ、と自分の中で何かが明確に訴えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの……すいませんでした。取り乱してしまって、その」

 

「何故お前が謝る。ああいうことをされかけたんだ。取り乱すのは当然だろう。もしこの一件で謝る義務があるとするなら、それはあのクズどもだ」

 

 

左慈は路地の奥に向けて顎をしゃくる。

少女が釣られて目を向けるとそこには二人の男の――

 

 

「ひっ……!」

 

 

少女は尻もちをついたままの状態で後ずさる。

そういうことをされそうになっていた記憶がはっきりと蘇ってしまったらしかった。

 

 

「し、死んでるんですか……?」

 

「いや、死んではいないだろう。残念ながら手加減をしてしまったからな」

 

 

骨の二、三本は間違いなく折れてるだろうがな、と左慈は興味無さそうに締め括る。そのまま少女のことを一瞥した。その視線に気づき、キョトンとした表情を浮かべる少女。やはりまた、興味が無さそうに軽い調子で左慈は言う。

 

 

「それ、お前にやるからさっさと着ろ」

 

「えっ? ……わああああっ!」

 

 

それ、と言われているのが自分の上半身に掛かっている(後ずさりのせいで半分以上が下にずり落ちている)服だと知って、自分が改めてどういう状況にあるのかを再確認した少女だった。

 

慌てて服をずり上げ、両手で持ったままの状態(上半身を隠しながら)で、上目づかいで遠慮がちに尋ねる。

 

 

「……み、見ました、か?」

 

「見てない。いいから早く着ろ」

 

 

顔色を変えず即答し、命令を下した左慈。

親しい者というか、于吉や一刀辺りが見れば気付いただろうが凄く微妙に眼が泳いでいた。

 

 

「そ、そうですか……ご、ごめんなさい」

 

 

左慈の即答に納得した少女は、立ち上がりながらイソイソと左慈の上着に袖を通す。

 

少女はそこそこ身長が高かった。とはいえ左慈の方が腕の長さや身長は上。

体格の差も相まって、少し大きめな服に着られているという図が出来上がった。

 

 

「……(くんくん)」

 

「何をしている?」

 

 

少女の不可解な行動に純粋な疑問として物申す左慈。

少し恥ずかしそうにして、少女は丈の余った袖部分から顔を離した。

 

 

「匂いを嗅いでいました……えへへ」

 

「何をしているんだお前は!?」

 

「ひうっ! ご、ごめんなさいぃ!?」

 

 

怒鳴られたことに驚き、萎縮してしまった少女は両手で頭を押さえてしゃがみ込む。

 

 

やはり、どうにもこういう手合いは苦手だった。

左慈は溜息を吐きつつ、バツが悪そうに頭を掻く。

 

こういう時にこそ北郷一刀かもしくは公孫賛のようなお人好しが――

 

 

「あれ? 左慈じゃないか」

 

 

――来た。

 

 

「……どんなタイミングだ」

 

 

苦虫を噛み潰したように呟く。路地の入口側、つまり男たちが倒れていない方から白蓮が姿を現していた。

 

路地の入口からここまでは少しだけ距離がある。何か用事でもない限りは踏み込まない筈なのだが。

 

 

「うん? 何か言ったか、左慈」

 

「いえ、なんでもありません。それより公孫賛様、どうしてここに?」

 

 

自然と人格(人格と言うよりも対応)が変わった左慈に驚きの眼を向ける少女。

 

そんなものはお構いなし。左慈はその視線を無視することに決め込んだ。

 

 

「それはこっちが聞きたいくらいなんだけどな。この路地の入口でさ、警備のやつらが集まってたんだよ。どうしたんだーって近付いてって話聞いたら、路地の奥で争っているような音が聞こえるってんでさ」

 

「ああ、なるほど」

 

 

なんで君主自ら乗り込んでくる必要があるのか、というツッコミを飲み込んで、左慈は事情を理解したというポーズを取る。そしてそのまま路地の奥を示した。

 

 

「僕も同じですよ。路地の奥から声が聞こえたので入っていってみたら、この女の子が襲われてたんです。ですから少し……その、実力行使で」

 

「はあ!? おいおい大丈夫かよその娘!」

 

 

事の経緯を聞いた白蓮。倒れている男二人を路地の奥に確認したものの、すぐさま少女の傍らに跪く。

 

 

「大丈夫だったか? どっか痛いとこないか?」

 

「は、はい~その~大丈夫です~だから~肩を~掴んで~揺~ら~すのは~」

 

 

肩を掴まれ、揺らされ、ガクガクと振られる少女は、自分は大丈夫だと必死に白蓮に伝える。

 

女の子が襲われたと聞いて黙っていられる白蓮ではない。

とはいえ少女の言葉は存外明確に伝わったらしく、白蓮は慌てて肩を掴んでいた手を放すのだった。

 

 

「ご、ごめん! 大丈夫か?」

 

「公孫賛様。彼女をお願いできますか?」

 

 

これ以上関わるのは面倒だという考え。こういう問題は同じ性別のやつに任せた方が良いだろうという考え。

その二つの意を込めて、左慈は他の意見を挟ませないよう素早く白蓮に提案する。白蓮は一も二もなく頷いた。

 

 

「それじゃ左慈。お前はそこに倒れてる二人を城の牢へ。入り口にいる兵達を使っていいから、手早く頼んだ」

 

「はい。了解しました」

 

 

少女に手を貸し、路地の入口へと歩いていく白蓮の背に左慈は丁寧な一礼を返した。

クズどもがここで野垂れ死のうと別に構いはしないのだが君主からの命なら仕方ない、と内心では思っていたが。

 

 

「あ、あの……」

 

 

さてこのクズ二人をどう乱雑に運んでいこうか、と思案し始めていた左慈の耳に、白蓮のものではない少女の声が届く。この場に少女といえば二人だけ。それが白蓮でないということが明確であるなら、つまりはそういうことだった。

 

特に言葉を発さぬまま、左慈は白蓮に手を貸されている少女に目を向ける。

呼び止める際に発した声も先刻とは違い、細く小さくはあるものの遠慮や不安といった色は微塵も感じられない。

 

 

「その、助けて頂いて、ありがとうございました」

 

 

ぺこり、と律儀にお辞儀をして、少女は左慈に改めて礼を言った。

ここまで純粋に礼を言われた経験は無かった。故に一瞬だけ戸惑う。

 

やがてどこか拗ねているような、自分の中にある感情を持て余したような表情で頬を掻きながら――

 

 

「……普通の女の一人歩きは危険だ。これからも気を付けろ」

 

 

――普段は絶対に口にしないような労りの言葉をぶっきらぼうに言い放った。

 

 

虚を突かれたように数秒の間、左慈の横顔を凝視していた少女。

えへへ、とはにかみながら、今度は小さくお辞儀をした。了解の合図として。別れの挨拶として。

 

 

「へえ……左慈もそんな話し方するんだな」

 

 

軽い驚きに見開かれた目と共に、意外そうに呟かれた白蓮の声。

 

今まではこの女の前でも猫を被っていたが結局無駄になったな、と少々憂鬱になりながらも左慈は特に否定しない。交差する左慈と白蓮の視線。そんな中で白蓮は普段通り、一刀と同じような人好きのする笑顔を浮かべた。

 

 

「うん。そういうのもいいんじゃないか?」

 

「は――?」

 

 

呆気に取られたのは左慈である。まさか前向きに受け止められるとは思っていなかったのだから当たり前なのだが。

 

しかし流石にこれは予想外だったらしい。白蓮と少女が路地から去っていくまで、左慈の呆気に取られた口が塞がることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

その後、城へと戻った左慈は牢に男二人を乱雑にぶち込んで一日の仕事の絞めとした。

他にも書類の整理や諸々の仕事をしたが、それを話すと少し長くなるので割愛させてもらおう。

 

既に時は夜深く。

空に輝く星々をなんとなく見つめながら、その頭の中には昼間会った少女のことが浮かんでいる。

 

 

(……あの女)

 

 

単純に客観的な立ち位置で見れば、この城に詰める女共からは一段落ちた容姿だろう。

元々、女に興味は無いため容姿に惹かれて記憶に残ったとかそういう話では無い筈。だが、妙にあの女のことが気にかかるのもまた事実だった。

 

そしてもう一つ。

 

董卓や賈駆、街で会った店主。

その他諸々や街の人間に出会ったときは間違いなく、忌々しい外面の良い人格に無意識の内に変わっていた。

 

 

だが――

 

 

「……何故俺はあの女の前で人格が変わらなかった」

 

 

人格が変わるといっても解離性同一性障害のような二重人格では無い。

ただ単に左慈元方という人間が、対する相手によって柔と剛を使い分けているようなもの。

 

それが無意識の内に出てくるというだけで、それほど深刻な話ではない。

だからこそ。そういう単純な話だからこそ腑に落ちない。何故、あの女には素の自分を素の状態で見せたのか。

 

何故、あの女がただ震えているだけだったというのに抱き締めてまで安心させたのか。まったくと言っていいほど理屈に合わなかった。

 

 

「――何故だ」

 

 

空に向けて重々しく呟く。だがそれに答える者は誰もいない。

その質問に対する答えを見つけられる者は左慈以外にはいない。それは言わば、自分に対しての問い掛けなのだから。

 

 

「左慈様!」

 

 

物思いに耽っていた左慈は突然の声に我に返る。

自分の名を呼ぶ声。振り向けばそこには片膝を付き頭を垂れた部下の姿があった。

 

悟られぬよう心の中で舌打ちをする。

思考の底を彷徨っていたせいで、まったくと言っていいほど気配に気付かなかった自分に対して。

 

 

「報告しろ」

 

 

もう一度言うが、既に時は夜深い。早い者であれば既に床に就く時間帯。

それにも拘らず大きな声で名を呼んだ部下に対し、左慈は注意もしない。呆れもしない。

 

常に平常心を心掛けろ――そう教えている部下が少しばかり取り乱した状態で報告に来た。

 

注意もせず呆れもしない理由はそれだけで充分だった。

頭を垂れたまま、部下は気負いこんで報告をする。安穏としていた日常が終わりを告げる報告を。

 

 

「袁紹軍が南下! おそらく青洲を越えて徐州へ侵攻したものと思われます!」

 

「なに? ……ちっ、曹操が力を蓄える前に外堀を埋めようという腹か? だが後方には俺達の存在……後方には備えをしてある……?」

 

 

冀州から引き揚げて来るタイミングをミスったか、と眉間に皺を寄せながらも報告の内容を頭の中で整理する。

 

もし袁紹が徐州を落としたら、次にどう動くか。

その徐州に詰めている州牧や太守は誰だったか。

 

報告にいくつかの情報を加え、先を読もうとする左慈。しかし唐突に、諦めたように頭を振った。

 

適材適所。先を読む役、先を考える役なら自分意外に適任がいる。

とにかく今はこの報告の真偽を明確にし、更なる情報を得ること。そして、他の人間にも伝えること。

 

それが諜報部隊の長たる左慈の務めだった。自分の動きを確立した左慈は部下に向けて命令を下す。

 

 

「今すぐ将軍格の人間に情報を回せ。それと人員を増やし、袁紹軍の動きを追い、すぐに報告しろ」

 

「はっ!」

 

 

命令を受けた部下は了解の返答をし、すぐさまその場を去った。

おそらく報告を聞いた人間――公孫賛もしくは鳳統辺りがすぐに軍議を開くだろう。

 

 

「動き出したか……」

 

 

反董卓連合が終息し、束の間の平穏が訪れていた。

しかしそれがいつまでも続くはずがないことは分かっていた。

 

平穏が去り、騒乱の足音が聞こえ始める。

袁紹の動きはある種の起爆剤になるだろう。大陸全土を動かす起爆剤に。

 

これから忙しくなるだろう。諜報部隊の長として。

 

 

 

――平穏が去る。

 

 

 

そのことを不思議と残念に思う自分がいることに、左慈はただ戸惑うことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

――これより、平穏は終わりを告げる。残酷に、唐突に。

 

 

 

 

 

 

 

 

第1章――閉幕

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

 

 

お久しぶりなあとがきです。

もしかしたら今後、この話をちょっと書き直す可能性があります。

 

それに伴ってこちらの投稿が若干滞る場合も。ご了承ください。

 

まあ、その。言うなればあれです。

恋姫の原作ストーリーと三国志のストーリーが大分かけ離れてるなあ的なアレです。

 

統治している領地とか、色々な矛盾とか―わ、ちょ、止めっ……!

 

 

 


 
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