No.618439

真・恋姫✝無双 想伝 ~魏✝残想~ 其ノ十五


前回の続きです。

黄巾党を追っている軍勢とは一体?

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2013-09-11 17:28:49 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:9175   閲覧ユーザー数:6512

 

 

 

 

【邂逅・弐】

 

 

 

 

 

 

 

 

『兄貴! 賊を視認しました!』

 

「ああ、見えてる。それついでに聞きたいんだけどさ」

 

『へい』

 

「あれはどこの軍だ?」

 

『……さあ?』

 

 

 

 

斥候からの報告を受けて一刀達は郡境へと急行した。

 

移動している間に斥候からの情報は既に更新されている。

状況が完全に明確でない以上、情報は何にも優先して手に入れ、更新されなければならない。

 

そして更新された情報によると、どうやら賊は郡境を何者かからの追撃を受けて移動。

 

郡の境を越えて南郷からここ、魏興に侵入していた。

 

そして今もその何者かが黄巾党を絶賛追撃中というわけだった。

 

こちらと同じく少数の軍。そこに印となる旗は見受けられない。

 

どうやら向こうもこちらと同じく発見した賊の討伐及び追撃をしに来ただけみたいだな、と一刀は推測する。

 

 

 

「しかし郡越えまでするか。いつかの春蘭を思い出すな」

 

 

 

確かあれも黄巾党相手の戦いだった気がする。そう懐かしく思った。

 

遠目にだが、黄巾党を追い立てる軍を見据える。見たことがある気がした。同時に郡や州の地図を頭の中に思い浮かべる。

 

 

 

「まさか袁術……いや、孫策の軍か?」

 

 

 

未だ内部のことで手一杯な為、他地域の州牧や刺史や太守を全て把握しているわけではない。

 

紫苑から多少の情報は得ているが、それも益州や荊州南部。涼州や雍州などの、一部地域の物だけだ。

 

故に一刀は前の外史の記憶を引き出して、考えることしか出来なかった。しかしなんとなくだが、自分の勘は当たっている気がする。

 

 

 

どちらにしても、と一人思って一刀は頭を掻いた。

 

 

 

「黙って見てる道理は無い。あの軍の素性を知るためにも加勢するぞ」

 

『はっ!』

 

「あ、それと戦闘指揮はお前に任せる」

 

『へい! ……え?』

 

 

 

勢いよくノリで返事を返した元山賊の頭だったが、少し遅れて一刀の台詞を理解し、呆気に取られた表情になる。

 

 

 

「何事も経験だよ。まあ、俺もだけど。それにお前、元々こいつらの頭だったんだからさ」

 

 

 

後ろに控える部隊。元山賊の男たちを指して一刀は言う。それを聞いた元山賊の頭の表情が今度は情けないものへと変わった。

 

 

 

『……兄貴、俺に半分任せてもよろしいんで?』

 

「はあ? なんでさ」

 

 

 

山賊の元頭。今は一応、一刀率いる隊の副官的な立ち位置にいる男が複雑な表情で尋ねてきたのを聞いて、一刀は首を傾げる。

 

 

 

『だって俺ぁ、元山賊ですぜ?もしかしたら後ろから兄貴のことを攻撃するように指示するかも……痛っ!!』

 

 

 

頭を小突いた。

 

 

 

「馬鹿なこと言うなよ。信頼してるぜ?」

 

『兄貴……』

 

「賊を正面から迎え撃つ。奴ら追われてるからな、死に物狂いで来るぞ。気を付けろよ。あの軍と俺達の軍、それと賊。混戦になるだろう。だが絶対にあの軍には攻撃をするな!分かったな!」

 

『おう!!!!!!』

 

 

 

一刀の指示に元山賊の頭を含め、隊の全員が声を上げた。

 

 

部隊は一刀を先頭に整然と移動を始める。

 

 

小競り合いレベルとはいえ、これは紛れもない殺し合い。

そんな中で部隊の指揮を執るということ、それは。味方を生かすも殺すも、自分次第ということ。

 

託された部隊の命と、期待に身震いし、元山賊の頭は粗野な顔にギラギラとした眼光を湛えて一人強く頷いた。

後ろを移動していた兵の一人、元は山賊だった者が小さな声で元山賊の頭に話し掛ける。

 

 

 

『良い人でさあね、兄貴は』

 

 

 

その言葉に元山賊の頭は笑った。

 

 

 

『ったりめーよ。俺達の兄貴だぞ?』

 

 

 

 

言って、気を引き締める。

 

 

 

『行くぜ野郎ども!!俺達の事を信じてくれた兄貴に報いるためにも!!』

 

 

『おおおおおおおおおっっっっっ!!!!!!!!!』

 

 

 

聞こえて来た台詞と大音量の轟声に、一刀は徐々に接近する敵軍を見据えながらも少し照れくさそうにしながら苦笑する。

 

 

士気は最高潮。

太守、北郷一刀指揮下の元山賊達が、戦場を駆ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ祭。あれ、どこの軍だろ?」

 

 

 

前と後ろを思わぬ形で挟み撃ちにされ、自棄になって見境なく襲い掛かってきた黄巾党を切り伏せながら、桃色の髪をした女性は尋ねた。

 

女性の横から迫っていた敵の眉間を、まるで尋ねられたことへの返事のように矢が射ぬく。

矢を射った人物。桃色の髪をした女性に、祭と呼ばれた銀髪の女性は警戒を解かぬままチラリと前方を見据えた。

 

 

その鋭い眼光の先には、お世辞にも綺麗とは言い難い戦をする一団の姿。

 

前方と後方からの挟み撃ちだった為、戦場を同じくしていても未だその姿は少し離れた場所にある。

しかし、徐々に敵を倒してこちらに近付いて来ているのも見て取れた。祭と呼ばれた女性は訝しげな表情で鼻を鳴らす。

 

 

 

「分からんな。一見して山賊か何かと見紛うほど荒々しい戦い方だが、不思議と統率が取れている。指揮官が優秀なんじゃろう」

 

 

 

その言葉に桃色の髪をした女性は苦笑する。

しかしその手は止まることなく、敵の息の根を確実に止めていた。

 

 

 

「祭。それ、私の質問に答えてないって」

 

「む? 分からんと言ったはずじゃが」

 

「あ、それ感想じゃなかったんだ。でも確かにそうね。所属を表すような旗も無いし――って私達もか」

 

「同感じゃな。しかし、官軍の類では無いじゃろう」

 

 

 

言いながら手に持った弓で敵を払い、もう片方の手に持っていた矢でそのまま敵を刺す。

 

矢を直接刺した敵が怯んだのを彼女は見逃さない。その矢をそのまま弓に番えて敵に放った。

 

 

 

『ぐえっ……』

 

 

 

――百発百中。祭と呼ばれる女性の矢は、敵の喉笛を貫いた。

 

 

 

『死ぃ――ぁ?』

 

 

 

矢を放った後の隙を好機と見た敵の一人がその背後から掛け声と共に切り掛かり、軽く振るわれた剣によって絶命する。

 

 

桃色の髪をした女性は再び軽く剣を振って、刃に付着した血を払った。

 

その隙の無い戦闘に、周囲の黄巾党は恐怖を覚える。驕ることも、誇ることもしない。ただ淡々と敵を殺すその在り方に。

 

 

恐怖によって頭が冷えた敵。仲間を殺された怒りによって頭が沸騰した敵。

 

しかし、どちらにしてもその末路は変わらない。

 

 

「ふふふっ――あはははっ!」

 

 

鈍い光が戦場に血を撒き散らす。桃色の髪をした女性は、笑っていた。

 

 

 

「……策殿」

 

 

 

その姿を見て憂いの表情を浮かべる銀髪の女性の、どこか沈んだようにも聞こえるその声は、今の彼女の耳には入らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄の匂い。血の匂い。

自分の中の価値観が塗り替えられていきそうな、そんな匂いが辺りに充満している。

 

ここが屋内でなくて本当に良かったと思う。誰しも好き好んで血に塗れたくはないし、可能ならば極力匂いもあまり嗅ぎたくはない。

 

しかし充満するとはいえ、それも一瞬のこと。

すぐに吹く風がその匂いをどこかへ運んでいく。しかしそれでもその匂いは完全に消えはしなかった。

 

 

『おら、野郎ども!! 気合で負けたらそこで死ぬぞ!! 俺達の力見せてやろうぜえ!!』

 

 

『おおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!』

 

 

どこからか聞こえて来た大音量の台詞。それに呼応するように上がる鬨の声。

 

俄かに周囲の敵がどよめいた。下がり掛けていた手が上がる、自軍の兵達。ニヤリ、と一刀は笑った。

 

 

 

――機を逃す手は、無い。

 

 

 

北郷一刀は迷わず敵の渦中に突っ込んだ。それを見ていた数人の兵達が慌ててその後に付いていく。

 

 

未だ銘の不明な刀を振って、敵を斬っていく一刀。

時にそれは銀色の閃光になり、敵が気付かぬままにその命を奪っていく。

時にそれは銀色の流星となり、敵の防御の上から敵を敵の得物ごと両断していく。

 

刀の切れ味も冴えたるものだが、同様に一刀の技量もまた一角の実力者の物だった。

 

 

 

前と後ろ。勝手に取らせてもらった挟撃という形。

敵を斬り、味方に支持を出し、鼓舞し、時には部下を助けながら前に進んでいく。

 

前方にちらほらと見えるようになった自分達とは違う軍の兵を見て、やはりと確信する。

 

あれは、呉軍。あの外史で最後まで華琳率いる魏と戦った二勢力の内の一つ。

今はまだあの時ほどの練度も気迫も無いが、どこかその戦いぶりに懐かしいものを感じた。

 

一年半というたったそれだけの歳月で色褪せるほどこの世界、この時代は温くない。改めてそれを痛感する。

 

 

既に半数以上の敵を討ったせいか、周囲には黄色い布の集団よりも、統率された兵達の姿が多い。

 

お互いに敵意は無い。黄色い布を巻いていない、ということが明らかな状況なので同士討ちのようなものは起こらなかった。

 

 

何となく赤壁の戦いを思い出す。

 

あの時は敵を識別するために黄色い布を使ったんだっけか。

 

 

それが招いたこと。ある意味では必然だった、しかし歴史的には起こらなくてもよかった筈の事象を思い出す。

 

 

そのことを憂い、しかし自分に憂う資格は無いと言い聞かせて一刀は未だ黄色が濃い集団の中に再び単身で突っ込む。

 

刹那、その集団が鮮血を迸らせ倒れ伏すのが見え――

 

 

 

 

 

――ザワリ、と背筋に悪寒が走った。

 

 

 

 

 

殆んど条件反射で、下段から上段に刀を振り上げる。

 

 

 

ガキン!

 

 

 

鉄と鉄のぶつかる音。両手に走る鈍い衝撃。恐ろしく容赦のない一撃を受け止めたのだと、一瞬遅れて悟った。

 

 

一撃を防いだ際、条件反射のせいで追い付いていかなかった顔を上げる。

 

そこには――

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 

 

――今の恐ろしい一撃を放ったとは到底思えない程に綺麗な、桃色の髪と浅黒い肌を持った女性がいた。

 

 

 

知っている。その顔を。

 

知っている。その声を。

 

知っている。この女性の名を。

 

 

 

――彼女の名は孫策。字を拍符。

 

彼女は無垢な表情で頭の上に疑問符を浮かべていた。血に濡れた姿で。俺の刀に、剣を当てている状態で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あははっ、ごめんね。いきなり斬り掛かっちゃって」

 

「まあ、怪我も無かったし別に気にしてないよ」

 

 

 

戦とは呼べない小競り合い。

どこか一方的なものに近かった戦いが終息した戦場で、孫策と一刀は相対していた。

 

 

既にお互いの得物は納められている。

二人の周囲では互いの隊が忙しなく動き回り、負傷者の手当てに奔走していた。

 

走り回る兵達がチラチラと横目で一刀と孫策のことを見るが、二人は気にせずに見つめ合う。

それは決してロマンチックなものではなく、値踏みとまではいかないが互いが互いを量るような視線。

 

 

奥に眠る何かを見定めようとしている眼だった。

しかしてそれを気負っているわけではなく、戦いの後だというのに二人の表情は基本的に穏やかだった。

 

 

 

「一応、役目だから聞いておきたいんだけど」

 

 

 

既に知っている答えだが、こういう場のテンプレとして一応聞こうと前置き、尋ねる。

 

 

 

「君はどこの誰かな? 出来れば所属を聞かせてほしい」

 

「それは当たり前よね。あ、でも出来ればだから言わないっていうのも有りかな?」

 

「……勘弁してくれ。分かった、俺が悪かったよ。是非、君の名前を聞かせてほしい」

 

「あははっ、冗談よ冗談。私は孫策、字は拍符という者。今は荊州南陽郡の太守、袁術の客将をしているわ」

 

 

 

朗らかに笑いながら孫策は名乗る。

台詞の後半部分に多少の力が籠ったのを感じたが、取り敢えずここはスルーすべきだろう。

 

そして名乗らせたのだからこちらも名乗らなければならない。

 

 

 

「俺は北郷一刀。北郷が姓で一刀が名前。字は無いし、真名も無い。言ってみれば名前が真名に当たるのかもしれないけど俺はそういう意識が薄いから好きに呼んでくれ。あと、一応この郡の太守をしてる」

 

「太守? ……うわ、ヤバいかも」

 

 

 

真名が無いということに驚きはしたがそれ以上に太守、という言葉を聞いて孫策の眼が泳ぎ始める。

 

郡をひとつ分越えた上、さらにその先の郡に入り込み、その郡を治める太守に出くわしたのだ。

 

その反応は当たり前といえば当たり前だった。

 

 

とはいえ目下、彼女の心配は別のところにあるのだろう。例えば、怖い軍師殿に怒られるとか。

 

 

 

顔を合わせたのは戦乱が終結したあの日、華琳との別れの日。

 

宴の席での一度きりだったが、調子に乗ってはっちゃけようとした孫策に周瑜が説教をしていたのを思い出す。

 

 

つい、クスリと笑ってしまった。

怪訝な表情を浮かべた孫策に、何でもないと手を振る。

 

 

 

「本来なら問題にすることなのかもしれないけどな。俺はまだ新参だし、この件は不問にしとくよ」

 

「え!本当!?」

 

「ああ。実際加勢したのも、数が多ければお互いに被害が少なくて済むと思ったからだしな。まあ、もし孫策がこの一件を借りだと思ってくれるんなら、それはそれでいいけど」

 

 

 

一刀の言葉に喜色を浮かべた孫策の表情が、一瞬呆気に取られたものになった。そしてそれはすぐに含みのある笑顔へと変わる。

 

 

 

「案外強かね、北郷」

 

「そういうところも両立させていかないとって言われててね」

 

 

 

一刀も笑いながら肩を竦めた。

それが会話の節目だと捉えたのか、報告をする機を窺っていた互いの副官が近付く。

 

 

 

『兄貴。負傷者の手当て、終わりましたぜ。隊も纏めて、あとは兄貴の指示待ちでさあ』

 

「策殿。負傷者の手当ては終えた。帰るのが遅れると公謹にドヤされかねんぞ」

 

 

 

別段、声を潜めて行われる報告ではないので特に耳打ちなどされることはなく、互いの副官は報告を終える。

 

 

 

「分かった。少しだけそのまま待機しててくれ。それと助かったよ。いいタイミングの号令だった」

 

『たい……みん、ぐ?なんですかい、そりゃ』

 

「ははっ、とにかくいい仕事をしたってことだよ」

 

『……へへっ、褒められるってなあ嬉しいもんだ』

 

 

照れ臭そうに頭を掻いて、男はその場を後にした。

 

それを見送って、一刀は孫策とその副官らしき人物。未だ少しだけ心に残るしこりに目を向ける。

 

 

 

「分かったわ、祭。……どちらにしても冥琳には説教食らうでしょうけどねー」

 

「それに関しては諦めるしかないじゃろうな。せめてその時間が短いことを祈ろう」

 

 

 

報告を終えた銀髪の女性が、こちらを一瞥する。

この時ばかりは女性らしさを強調しているその胸部には、関心がいかなかった。

 

 

 

「あ、祭。郡に入ったお咎め無しだって!」

 

「むう? ということはそこの童は郡の太守か何かか?」

 

 

 

驚きと疑いが混じった表情が一刀に向けられる。

ふむ、と何かを考えるような仕草をした後、銀髪の女性は口を開いた。

 

 

 

「儂の名は黄蓋、字を公覆という者じゃ。このじゃじゃ馬娘の御守りをしておる」

 

「……俺は北郷一刀。字も真名も無い。言ってみれば名前が真名に当たるのかもしれないけど俺はそういう意識が薄いから好きに呼んでくれ。それと孫策にも言ったけど、この郡の太守をしてる。まだ新米だけどな」

 

 

 

孫策にした自己紹介を繰り返す。

紅蓮の炎が辺りを焦がす中で一人の女性がちょうど胸の中心を矢で貫かれている映像が、脳裏に浮かんだ。

 

赤壁の戦いと呼ばれるべき戦いで、その姿を目に焼き付けた。炎の中、自身の在り方を貫き通して逝った女性の姿を。

 

覚えている。彼女を殺したことに憤っていた呉勢の声を、怒りを。

当たり前だ、と心は囁く。俺だって仲間の誰かが死ねばそうするだろう。仇を取りたいと思うだろう。

 

しかしあの時、その呉勢の怒りに対して憤っていたというのもまた、俺の心の真実だった。別の心が囁いていたんだ。

 

 

 

――お前達、俺達がしているのは戦だ。何を今更、勝手な事を言っている。

    死んだのはお前らの仲間だけじゃないんだ。自分達の事を棚に上げるなよ。お前らは――

 

 

 

「北郷?」

 

「えっ?」

 

 

 

孫策の声でふと我に返る。少しの間呆けていたらしい。

 

脳裏に浮かんだ映像と鬱屈とした心を払うように頭を軽く振る。訝しげな表情を向けられた。まあ、そうだろう。

 

 

 

「悪い。ちょっと呆けてたみたいだ。それで、何か言った?」

 

「ううん。私達もう引き上げるけど、一応あなたはここの太守みたいだし、改めて郡を出て行く許可をもらおうかなって」

 

「ああ、そういうことか。了解、許可するよ。黄巾党――いや、賊の討伐助かった」

 

「私達の方こそ。被害が少なくてすんだわ、ありがと。あと、急に襲い掛かっちゃってごめんね」

 

「いや、気にしてない。それじゃ、またな」

 

 

その言葉を節目として、一刀と孫策は互いに背を向けて歩き出した。後ろ手に軽く手を振って別れの挨拶とする。

 

 

 

「痛っ――!」

 

 

 

振っていた手に痛みを感じ、苦笑いをした。

少し捻ったのか、未だにズキズキと痺れたような痛みを感じる。

 

どんな威力だったんだよ、あれ――と思いながら一刀は徐に刀を抜いた。

 

あれだけの衝撃を受けたにも関わらず、刀にはひとつのヒビも入ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何とも覇気のない童じゃったな」

 

 

 

孫策と二人、連れ立って歩きながら黄蓋は呟いた。

 

しかしその言葉は嘲りの類ではなく、ただの単純な感想。

 

顔付きがそれなりに精悍なのはともかく、黄蓋としてはあの北郷という青年が太守で、しかもあの荒々しい手勢を率いていたことにちょっとした疑問を感じずにはいられなかった。

 

 

 

「のう、策殿」

 

 

 

同意を求めて真横を歩く孫策へと話を振る。しかし

 

 

 

「……」

 

 

 

孫策は深い思索の中にいるようで、まったくと言っていいほど話を聞いていないようだった。

 

それを訝しげには思ったものの、人の話を聞いていないとは何事か、と黄蓋はさっきよりも少しだけ大きい声を出して、孫策を呼んだ。

 

 

 

「策殿!」

 

「わっ!……何よー、祭。驚かせないでよ」

 

「驚かせるつもりなど毛頭無い。策殿が話を聞いておらなんだせいじゃろう」

 

「え、話しかけてたの?全然気付かなかった」

 

 

 

それを聞いて黄蓋は、また孫策に訝しげな目を向ける。

 

人の話を全く聞いていないというのは、この娘にとって珍しい。

ましてや今は戦闘の後。嫌でも感覚が鋭敏になっている筈なのだが。

 

 

 

――特に、策殿は。

 

 

 

そう思ったところでふと、黄蓋は思い出したことを口にする。

 

 

 

「そういえば策殿。今回の“アレ”は珍しく短いものじゃったな」

 

「ああ、あれね。うん、なんでか知らないけど今回は短かったし、後にも残ってないのよ」

 

「ほう?それは本当に珍しいのう。儂では“あの”策殿を鎮めることは出来んからな。正直な話、少々肝を冷やしたぞ」

 

 

 

孫策の暴走。それは血の暴走。

 

孫策自身も完全には制御できない、血を見続けることによって身体が一定以上の熱を持つようになる特異体質。

 

 

それは狂気に近い。制御しきれない、抑えきれない。孫策本人としても忌み嫌う体質だった。

 

そしてそれは今回の戦いでも起こった。

普段なら孫策の親友であり軍師の周瑜がその暴走を収める為に一肌脱ぐのだが、今は周瑜と別行動の身。

 

 

これはマズイか、と黄蓋が思い始めた矢先にその暴走は急速に終息した。驚いたことに孫策の身体に禍根も残さぬ状態で。

 

 

このように、気になることは多々あれど。

ともあれ、今は大事に至らずに済んだ、という安心感が黄蓋を満たしていた。

 

 

 

一方、その横を歩く孫策は再び自分の思考の中に埋もれている。

 

 

 

 

あの時――

 

 

 

 

いつものように身体が熱くなって、抑えが効かなくなった。

 

血、血、血。辺り一面の、血。夥しい数の死体。その殆んどは賊のものだったけど、血は味方のものも混じっていた。

 

私の眼に映っていたのは黄色い布を巻いていた敵の姿。瞬きする間にその姿は物言わぬ骸と成り果てる。

 

どこか遠くから聞こえてくる笑い声。私を苛立たせるその笑い声。それが自分のものだと、少し遅れて理解した。

 

 

変わらない。何も変わらない。いつもと同じ。敵を殲滅するまで止まらない。自制が効くようになるのはそうなってから。

 

それでも身体の火照り、疼きは止まらない。例を挙げるとするなら一番近いところで、性欲。その欲望に似た衝動は残ったままだ。

 

火照り。疼き。そして乾き。

こんなにも血を流しているというのに、潤わない。常に乾いたまま。

 

私の身体は私の言うことを聞かず、自分の周りの敵を殲滅した後に新たな獲物を探して動き始める。

 

 

 

ガキン!!

 

 

 

――ただ殺していくだけの流れだった意識に、音と手応えが混じった。鉄と鉄がぶつかる音。腕に走る鈍い衝撃と僅かな痺れ。

 

 

意識の外でどこか他人事のように起こっていた戦闘。

この状態。言わば暴走した状態になってから初めて、目の前の敵に興味を持った。

 

 

今までの敵は視界に入っているようで入っていない。見ているようで、見えていない。

 

どちらにしても視認した一瞬の後には死体になっているのだからそもそも意味が無い。

 

 

だけど今、目の前にいる敵は違う。

 

偶然か、それとも実力か。とにかくそいつは私の一撃を受け止めた。殺気以外は篭っていない無慈悲な斬撃を。

 

 

身体の中から沸々と湧き上がる衝動。

それは火照りでも疼きでも、渇きでもない。しいて言うなら――悦び(よろこび)だった。

 

 

 

私の一撃を受け止めた敵がこの後どうなるのかは分からない。

何事も無かったように私に殺されるか、それとも私が殺されるのか。

 

奇特にも、その敵の顔を覚えておこうという気になった。記憶に留めておこうという気になった。

 

敵を視界に、意識の内に納める――

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 

 

――首を傾げた。

 

 

遅れて、間の抜けた声を自分のものだと認識する。

身体の自由が効くようになっていた。視界に映る景色が綺麗になった。私を支配していた様々な衝動が消えていた。

 

 

視界に入ったのは、白い服に身を包んだ青年。

 

 

――彼は南海覇王の一撃を、細身の剣で受け止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「策殿」

 

「何?」

 

「いやなに。何か良いことでもあったかと思うてな」

 

「へ?なんで?」

 

 

 

妙に唐突な問い掛け。黄蓋の苦笑交じりな質問に孫策は首を傾げる。

 

 

 

「口の端が上がっとるからの。その表情を見ると成程、無意識じゃったか」

 

「あれー?」

 

 

 

首を傾げたまま、孫策は口の端に指を当ててみる。黄蓋の言う通り、確かに上がっていた。

 

 

 

「良いこと、ねえ……」

 

 

 

口の端に指を当てたまま考える。

口の端が無意識に上がるほどの良いことがあったのか、と自問する。

 

 

 

「北郷……」

 

「む?」

 

 

無意識に呟いた一言。

 

その単語に黄蓋が反応する。確かそれは、さっき別れたばかりの青年の名。ふと黄蓋の表情が、からかうようなものへと変わった。

 

 

 

「なんじゃ策殿。一目惚れでもしたか?」

 

「う~ん……そういうんじゃないと思うんだけどねぇ」

 

「ほう?」

 

「でも気になるのは確かよ。また会うことになるかもね、北郷とは」

 

「いつもの勘か?」

 

「うん、勘」

 

「……なんじゃ、つまらんな」

 

 

 

そういう反応を求めていたわけではない黄蓋はつまらなさそうに肩を竦めた。

 

そういう反応を求められていたことを知っている孫策はそんな黄蓋を見て苦笑いを浮かべる。

 

 

 

 

「……借りも返さないといけないしね」

 

 

 

 

記憶と意識の中に色濃く残った相手を思い浮かべて、孫策は二つの意味を込めた言葉を呟いた。

 

 

 

 

 

 


 
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