No.557676

七面鳥のパパたちへ・ 陣野紘秋 著  

迂闊十臓さん

「戦え!スーパーシップムツウラ」を作ったスタッフに送る・・・  ツイッターで盛り上がった「ムツウラ」に携わった人達をえがいた私小説というトライアルです。 作者はフォロワーさんのじんさんです

2013-03-21 21:58:34 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2003   閲覧ユーザー数:1992

 

『七面鳥のパパたちへ』原作です。

 陣野紘秋 著

 序文

 今、改めて見直すと実に煙草をふかすシーンが多いことに驚く。誰も彼も。一人になりたくて、あるいは誰かとくつろいだ話をしている描写の記号としての煙草。生きるか死ぬかの緊張の後、大きく吸い込み吐き出される紫煙こそが危機を乗り越えた安堵の証であり、それはあの時代の私達にとっては平和の象徴でもあった。

 戦いが終わった。つかの間の休息。

 ムツウラの艦長が「一服してくる」と告げてブリッジを降り、ムツウラの海上へと突き出た喫煙エリアへ。

 それまで命令には従うが、悪態はつきまくる機関部の連中と共に、潮風に向かって共に目を細めて煙を吐く。

「あの艦長め、次に嵐が来たらどさくさまぎれに俺が!」「いや、その時は俺が!」と言っていた機関士たち。「命令を聞かん奴は」と腰の南部改S2の遊底を引いて副艦長に差し出した艦長。

 それが笑い合う。

 上も下もない時間。

 いったいいつの頃から、この大人が煙草を吸うという風景が描かれなくなったのだろうか?

 いや、喫煙の描写だけではない。ふっとしたなにげないシーンにドキドキしてしまう。

 流れる血の量もそう。そして、未来の乗り物、最新鋭の戦艦のはずが、食堂に並べられた献立の貧しさ。

 あの頃は良かった、だとか、だから今は、と言うつもりは毛頭無い。あの頃はあの頃で子供心に嫌なことはたくさんあった。もちろん、大人たちだってそうだったろう。

 海の向こうからやってくる驚きのなにか。

 ムツウラの時代。

 物語の中の話だけではない。

 実際にイギリスのITC、ハマーフィルムのクリーチャー、ハリーハウゼンのダイナメーション。次から次に驚くばかりの映像が海外から流れ込んできていた。

 もちろん、海外だけではない。

 ゴジラ、ウルトラマンの円谷プロが独自の路線を開拓して邁進していた。

 ムツウラのスタッフたちにとっては砧でさえ遙か外洋に思えたことだろう。

 ノウハウはない、だが、やりたい、という情熱はあった。

 情熱しかなかった。

 なにを、どうすれば…

 その時の彼らが、のちのムツウラのメインスタッフとなる人々が、どれほどの焦りと憧れに押し潰されそうになっていたことか。

 今のようにメイキングを手軽に覗き見ることなど夢のまた夢だった頃。

 手探りで試行錯誤しながら、フィルムで見たものや、オンエアされた瞬間にブラウン管の前で瞳に焼き付けたものを、なんとかして、再現したい。いや、再現ではダメなんだ、それを越えるモノにしなければ、と目を血走らせていた大人たち。

 あれから40年。

 『ムツウラ』を見直した時、その作り手たちがつかの間、スタジオの隅で煙草を手に疲れきった顔で言葉少なに談笑している姿が目に浮かぶ。

 レイヤーがなかった頃の特撮。

 プラグインでなく、本当に水で水しぶきを作っていた頃。

 ワイヤーはスプレーで消していた頃。

 カツ丼を麦茶で流し込んでた頃。

 そうだよな、コンビニがなかった頃、人はどうやって映画を作っていたのだろう?

 子供だった私達が大人になって無くしてしまったのはそんな想像力かもしれない。

 『ムツウラ』を見直すたびにそんなことを考える。

 街で煙草を吸える場所は少なくなった。

 喫煙者は片隅に寄り添い立ちつくしたまま煙草をただ煙に変える。

 知る人が少なくなった『ムツウラ』という番組。

 それをDVDで見直している自分。

 「あれは良かったよね」とSNSでつぶやきく人たちに巡り会う。

 みな、立ちつくして煙草の煙ののろしをあげる。

 その数に互いが驚いている。

 『ムツウラ』。

 あの頃の僕たちへこの本を送る。

 大丈夫さ、君たちの目の前には蒼い海、蒼い空が広がっている。

 だから、その胸の、

 蒼い心を失うなよ。

   昭和七十二年十二月八日

 有限会社ポンプロダクション。映像企画開発製作、特殊撮影、各種技術者斡旋業。

 東京都府中市是政。

 西武多摩川線の終点是政が最寄り駅で側には競艇場がある。

 歩いて三分で多摩川の河原に出ることができる。散歩には好都合の立地、であるからポンプロがここにあった多摩川撮影スタジオ、通称タマスタの一角を占有していたわけではない。

 あの当時は河原でミニチュアを爆破しても通報されることがなかったからだ。

 火薬の量も黙っていれば大丈夫だった。

 

 JR武蔵境の駅の一番南に西武線のホームがある。そこから是政まで二十分少々で多摩川の側に辿り着ける。

 この本の構想を夕焼け書房の若き編集者の高槻嬢にまるで彼女への恋心を告白する勢いで語た。

 それから二年が過ぎた春。ようやく私の携帯に「あれ、書いてください」という留守電が入っていた。

 あれ、で、私は理解した。

 あれ、が書ける!

「よし!」と、小さくつぶやいて握りしめた携帯に感謝して思わず頭を下げた。そして、私はまずポンプロの守衛さんだった大川孝さんに連絡を取った。家電の番号しかわからず、何度か鳴らすとファックスが起動してしまうために、時間をおいて掛け直すということを続けた。

 夕方、若い男の子が電話に出た。「はい、大川です」礼儀正しいはきはきとした受け答えに感心した。お孫さんの翔太君であった。

「おじいちゃんと代わります」そう告げられて、待つ間に手に汗がにじんだ。

 

 是政の駅の改札の正面で大川さんが待っていてくれた。

「はじめまして」と告げると「ようこそ、こんな田舎まで」微笑んでくれ「じゃあ、行きましょうか?」と先を歩き始めた。

 守衛さんとしてタマスタに勤務すること三十年。姿勢は正しくその足取りもしっかりしたものだった。

「五年前に総入れ歯になって喋りにくくてね」とおっしゃるわりには声の通りはよく、間に挟まれる笑い声も爽快だ。

「すぐそこに競艇場があるもんですからね」と、大川さんは一つ今でも忘れられないという笑い話を披露してくれた。

「『ムツウラ』がドックに入港する回がありましたよね(注 第八話)あの時、作業員のエキストラをまだ撮り残しがあるのに帰しちゃってね。どうすんだ、どうすんだって話になって、そのチーフの坂本君がね、彼は偉かったな、この是政の駅で競艇場帰りのおじさん達を急遽スカウトして作業員の制服着せてね。ちょっとレースに勝ってチューハイひっかけて良い気分になってるおじさんをいい気分にさせておだててね、あとはすっからかんになってるおじさんに電車代、欲しくないかって」

 電車代がなくなるまでやってる人がいたんですか。

「いたいたいたよ。それも一人や二人じゃない。自分のね、靴の片方を持って、十円でどうだ、十円でどうだ、って売ってる奴もいたくらいで」

 そんな男達をエキストラとして芝居させるには、また独特な演出方法があったという。

 監督の通称、にのヤンは後に合成されるはずのムツウラを作業員達が仰ぎ見る彼方を示して言った「出遅れたと思ったボートがまくりにまくって、こうあがっていくんだ! その時のあんたらの顔が撮りたい!」

 作業員達の目線を決める棒の先に折り紙のボートらしきものを貼り付けて「回しちゃえ! 溜息はオンリーで!」

 第八話、満身創痍のムツウラがそれでも必死の操船によってドックへと辿り着く、あの作業員たちの瞳に映っていたのは棒の先についた紙のボートだったというわけだ。

 見えればいい。

 それもリアルに見えればなおいい。

「それが、にのヤンの口癖でね」

 大川さんは顔を崩して笑った。

 

 ポンプロがタマスタの一角を借りた当初、あたりは田んぼが広がっていて、近くの一番大きな通りといえば府中街道。北へ向かうと府中刑務所がある。そう、三億円事件が起きた場所。

「ちょうど第1話のクランクインの日でしたよ」

 府中街道は現場検証のために通行止め、資材のトラックも遅れに遅れ、大混乱だった。

 にっかつ、大映の撮影所からやってくる役者達は多摩川沿いの道を使ったために定刻入り、その後、八時間待ち、十時間待ち、出番なしとなった者もいたが、その後、帰ろうにも渋滞は解消されず、町田に出るか立川に出るかした方が早いという状態だったという。

 急遽、スタジオの一部で仮眠が取れるように平台を箱馬で一尺あげた簡易宿泊所が美術によって作られたのだった。

 風呂は多摩の湯。

 『ムツウラ』を陰で支えたのはこの玉ノ湯とタマスタ食堂であると言っても過言ではない。

「『ムツウラ』ってのはね。戦艦が主役だから、役者が水を浴びたりすることが多くてね。カットかかってOKが出たらすぐに着替えが積んであるロケバスにみんなで駆け込んで、すぐそこにあった多摩の湯に搬送してたんだけどね」

 三億円事件のとばっちりは十日続いたという。

「しかたないっちゃしかたないんだけどね。あの時はみんなで、三億円犯が逃げ場を失ってポンプロに助けを求めて来ないかな、って。そしたら三億円を横取りして、みんなで映画を作ろうってね。あの当時の三億円ですからね」

 不謹慎と思われるかも知れないが『ムツウラ』のスタッフは正真正銘の三億円事件の被害者であり、この第1話の遅れが十三話を過去回想する総集編にするという苦渋の決断となるのだ。

「現場がぎすぎすするのだけはやめようと。俺たちは金がない、時間もない、だからといってイライラして八つ当たりすることだけはやめよう、ってね。笑って受け止めようってね。そんなところでしたよ、あの頃のポンプロは」

 

 つづく

 

 
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