No.551035

真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~第三十四話 御遣い犯科帳!? 後篇

YTAさん

 どうも皆さま、YTAでございます。
 また、長くなってしまいましたが、お付き合い下さい。
 では、どうぞ!

2013-03-03 23:01:10 投稿 / 全24ページ    総閲覧数:2593   閲覧ユーザー数:2070

                                   真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

 

                                  第三十四話 御遣い犯科帳!? 後篇

 

 

 

 

 

 

「お見事な太刀筋です。ご主人様」

 関羽こと愛紗は、片膝を付いて、昨晩、北郷一刀が返り討ちにした刺客の遺体を検分し終えると、そう言って立ち上がった。

「何だかなぁ。天下の関雲長にそんな風に褒められても、皮肉じゃないかと勘繰(かんぐ)っちまうよ」

 

 一刀は、微苦笑を浮かべてそう答えると、愛紗の隣に並び、遺体を見下ろした。男の顔は、地面に倒れ伏した時と同じに驚愕と狂気を湛えたままだが、目だけは閉じていた。

 恐らく、この役所まで運んだ人間の誰かが、情けを掛けてやったのだろう。下履き一枚にされた身体には、左肩から袈裟斬りに鎖骨と肋骨ごと胴を両断し、鳩尾の辺りで止まった傷と、同じく左の脇腹を真横に切り裂かれた傷が、黒く乾いた血をこびり付かせたまま、生々しく口を開けていた。

 

 だが、その他にももう一つ、胸板の辺りに刃物で付けられたらしい、古い傷独特の光沢を持った傷が、斜めに走っている。

「愛紗。この、古い方の傷はどう思う?」

「そうですね……短い刃物で付けられたものと見ます。恐らく、短刀か包丁の様な物ではと推察致しますが……」

 

 一刀は、愛紗の答えに満足そうに頷いた。

「俺も、そう思う。まぁ、他にはこれと言った身体的特徴はなさそうだ。一応、役人達に、この辺り一帯の前科者の人相書きを調べてもらってるんだが、当たりがあるかどうかは微妙なトコだな」

 一刀が、そう言いいながら首を振って、マールボロのパックを懐から出しながら外へと続く扉に向かって歩き出すと、愛紗はその後を追いながら、眉間に皺を寄せて腹立たしそうに唇を噛んだ。

 

「しかし、全く以て忌々しい!事もあろうに、天の御遣いたるご主人様の御命を狙うとは、何たる不敬!何たる不遜!!私がお側に(はべ)っておりましたならば、息絶える迄の間に彼奴の身体をコマ切れにしてくれましたものを!!」

 

 

「いや、その気持ちは嬉しいんだけど、後から背後関係を調べなきゃいけない役職の人間としては、証拠死体が挽肉(ミンチ)になってるってのは勘弁して欲しいなぁ……」

 一刀は、いきり立つ愛紗を宥める様にそう言って苦笑すると、パックから振り出した煙草を咥えてオイルライターで火を点け、空を見上げて眩しそうに目を細めた。如何に弱々しい冬の日差しとは言っても、薄暗い遺体安置部屋から出て来た後では、随分と眩しく感じる。

 

「しかし、ご主人様と桃香様にお怪我がなくて、本当に(よろ)しゅうございました。もしもの事を考えると、今こうしていても肝が冷える心持(こころもち)が致します」

「どうだかねぇ……ともあれ、これ位はしてみせないと、普段から練習相手になってもらってる軍神さんだの万夫不当さんだのに会わせる顔がないでしょ?」

 

勿体(もったい)ない御言葉、痛み入ります」

 愛紗は、僅かに頬を染めて誇らしそうに微笑むと、豊満な乳房の下で腕を組み、表情を引き締めた。

「しかし、何故、態々(わざわざ)ご主人様と桃香様の御命を……そんな事をすれば、大罪人になると言うのに……」

「実感なかったんじゃない?大体にして前科モンだし、無法者にしたら、世が乱れてた方が好き勝手出来るって、その程度だと思うよ。最も……俺なら、そんな華琳の顔に馬の糞を塗りたくる様な恐ッろしい真似、絶対にしたくないけどな」

 

「あ、あはは……」

 愛紗は、一刀の不敵な笑顔に対して乾いた笑いを浮かべ、小さく頷き肯定した。この一帯は、今や魏の領土である。そこで三国同盟の盟主を暗殺などしたとなれば、正しく一刀の言葉通り、覇王曹操の顔に馬糞を投げつけるに等しい暴挙であろう。

 

「当人達は、今迄通り逃げ(おお)せられると思ってんだろうけど、まぁ、そこから間違ってるわなぁ……」

「ですねぇ……」

 曹操こと華琳を知る者ならば、読んで字の如く、草の根分けてでも下手人を探し出し、死んだ方がマシだと思わせる様な責め苦の限りを尽くして、その罪を償わせるであろう事は容易に想像がつく。無知とは罪であると、愛紗はつくづく思った。

 

「ともあれ、これからどう致しましょう?」

「そうだな、まずは―――」

 吸い殻を携帯灰皿に突っ込んだ一刀がそう言いかけると、慌てた様子の役人が、一刀と愛紗の名を呼びながら、二人の元へ走って来た。

 

 

「如何したのか?」

 愛紗が、怪訝そうに息を切らせた役人にそう尋ねると、役人は、如何にか息を整えて、口を開いた。

「に、人相書きに、あの男らしい者が載っているのを見つけまして――それから、簡擁老人が、是非に御遣い様にお話がしたいと、裏の勝手口から――」

 

「へぇ。あの親父さん、逃げたと思ったんだがな」

 一刀が意外そうにそう呟くと、それを耳聡く聞いた愛紗が、訝し気に眉を(しか)める。

「ご主人様。まさか、あの老人が――」

「いや、そうじゃない。別口さ。でもまぁ、色々とな――よし、それじゃあ取り合えず、人相書きの方から確認してしまおうか。申し訳ないけど、簡擁さんにはお茶でもお出しして、お待ち頂いてくれるかな?」

 

 一刀がそう言うと、役人は大きく頷いて包拳の礼を取り、勝手口の方へと走って行った。

「さて、何やら一気に動き出して来たな。面白くなりそうだ」

「ご主人様。どうか、程々になすって下さいね。私の心の臓が持ちません……」

「あはは。分かってるよ、愛紗。じゃ、取り合えず書庫に行って見ようか」

 

 一刀は、心配そうな愛紗の言葉に朗らかな微笑みを返すと、軽やかな足取りで書庫へと歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 二人が書庫に入ると、分厚い人相書きの束を整理し直していた三十絡みの役人が礼をして、「こちらで御座います」と言いながら、一枚の人相書きを一刀に手渡した。そこには、当然ながら男の似顔絵と、その罪状が端的に書き記されている。

「えぇと――姓名、陳英。生国、冀州・河間郡。幼い頃より剣術を習い頭角を現すも、性、粗野にして卑俗也。数えで十七の年、情を通じていたとされる遊女と痴情の(もつ)れの末に口論となり、短刀で胸部を斬られた事に逆上。その場で遊女を斬り捨てて出奔し、後に多くの盗賊団の助け働きとして畜生働きに(くみ)する。その凶行、周辺諸国で確認されただけでも八度に及ぶ――か。間違いなさそうだな」

 

「えぇ。随分と派手に暴れ回っていた様ですね、この外道は」

 愛紗が、不愉快さを隠そうともせずに、一刀の横から人相書きを覗き込みながら同意した。

「あぁ。こんな小さな村にまで、手配書が回って来る訳だ」

 一刀は、読み上げた箇所以降も延々と続く陳英の罪状を目で追いながら、深い溜息を吐いた。

 

 

「こんな悪党だと知ってたら、斬り捨てたりせずに、きっちり獄門台に上げてやりゃ良かったよ」

「盗賊の助け働きが主な収入源となると、やはり、ご主人様と桃香様を暗殺せしめんとした裏には、黒幕が居る可能性が高くなって参りましたね」

 愛紗がそう言うと、一刀は深く頷いた。

 

「あぁ。だが、此処じゃあ、これ以上の事は分かりそうに無いな。一度、この辺りの刺史の所に問い合わせて、最近の陳英の動向を詳しく訊いてみないと――しかし、それをやるにしても、まさか華琳の頭越しと言う訳にもいかないからな」

「そうですね。此処は魏領、如何なご主人様とは言えど、勝手に刺史に調査協力の要請などしては、流石に華琳への礼を失する事になりましょう」

 

「あぁ。将来的には、国を越えて犯罪を犯す奴等を相手にする為に、そう言う権限を持った調査組織と法律を作れればと思ってるんだけどね。今はなぁ……まぁ、“あちらさん”から来てくれる分には問題ないんだけどさ」

 一刀が頭を掻きながらそう呟くと、愛紗は苦笑して頭を振った。

 

「随分と、不穏当な事を仰られます。ご自分の命が掛っているのですよ?」

「なぁに、その時は、愛紗と鈴々が守ってくれるんだろ?」

「残念ですが、桃香様お一人で手一杯です。御自分の身は、御自分でお守り下さい」

「へぇへぇ……最近、愛紗が冷たいんだよなぁ。あれか、倦怠期?」

 

 一刀は、おどけた様子でそう言うと、自分を待っている筈の簡擁に会う為に、役人に礼を言ってから書庫の扉を開けた。だが正直、一刀は今の愛紗の言葉が嬉しかった。何やら、漸く独り立ちを許された様に思えたからだ。

 愛紗も、一刀の後ろに付いて歩き出しながら、軽口に調子を合わせる。

 

「さて、どうでしょうね。少なくとも貴方の傍に居ると、“怠”は兎も角、“倦”を感じる事はありませんよ。今の所は」

「そりゃどうも。お褒めに預かり恐悦至極――」

 一刀は慇懃にそう返すと、微笑みながら扉を押さえ、手で愛紗に先に行くよう促した。愛紗も、それに合わせて慇懃に会釈をすると、クスクスと笑いながら、一刀の横をすり抜けて外に出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 応接室に通された簡擁が、すっかり(ぬる)くなってしまった茶を飲み干すのと同時に扉が開いて、昨夜も聞いた快活な声が、老人の名を呼んだ。

「いやぁ。すっかりお待たせして、申し訳ない」

「いえ。こちらこそ、お忙しい中、不躾にお尋ね致しまして申し訳ありません……」

 

 一刀は、簡擁老人の言葉に「ふぅん」と言う様な、言葉にならない呟きを漏らすと、立ち上がっていた簡擁に改めて椅子を進めた。簡擁の様子は、言葉遣いも、身に纏う雰囲気も、昨夜、桃香と一緒に会った時とは別人の様だった。

 一刀はまるで、名のある将軍とでも謁見している様な気分になっていたし、愛紗も簡擁の纏う空気の違いを察してか、背筋を伸ばして胸を張り、大将軍然とした面持ちで老人を見詰めている。

 

「――正直、逃げたんじゃないかと思ってたよ」

 一刀は、軽く牽制(ジャブ)するつもりで、簡擁に向かって微笑みながら、そう切り出した。

「……何時頃から、お気付きでしたか?私が、見た通りの人間ではない事に」

「最初から」

 

 一刀は、僅かの逡巡もなく即答すると、懐から煙草を取り出して火を点けた。

「最初、と言うと――」

(ひざまず)いた貴方を立たせる為に、貴方の身体に触れた時に」

「あの時から、ですか?」

 

「えぇ。貴方の身体は――失礼だが、とても平凡に生きて来た老人の物とは思えなかった。一切の無駄なく引き締まり、筋肉だって(しなやか)過ぎる位だ。これは、効率的で実戦を想定した訓練を継続して来た人間にしか、為し得ない事です。そこまで察してしまえば、元文官だなんて、とても信じられたもんじゃない」

 

御見逸(おみそ)れ致しました……」

 簡擁は、それだけ言うと、空になった湯呑を手に取って手の中で軽く回しながら、考え込む様な表情をして黙り込んだ。その様子を暫く見ていた一刀は、取り出した携帯灰皿に煙草の灰を落とすと、再び簡擁に質問をしてみる事にした。

 

 

「俺は、貴方の身のこなしや見事な気配の消し方から察するに、元間諜……いや、隠密に類する仕事に付いていたんじゃないかと踏んでるんだが、当たってるかな?」

 一刀は、質問を受けた簡擁が、ちらりと愛紗に視線を投げたのを見て、安心させる様に微笑んだ。

「大丈夫。彼女は、誠実な人間だ。貴方が桃香に知られたくないと思っている事を、裏であの娘に告げ口したりはしないよ。なぁ、愛紗?」

 

 水を向けられた愛紗は、部屋に入って来た時と同様に仁王立ちのまま、簡擁から視線を逸らす事なく頷いた。

「はい。無論、桃香様が知らずにいても不利益にならない内容であれば、と言う条件は付きますが」

「だ、そうだよ?」

 

 一刀が微苦笑を浮かべながら簡擁にそう言うと、簡擁は大きな溜息を吐いてから、背筋を伸ばした。

「御遣い様の、ご推察の通りで御座います。私は(かつ)て、漢の王朝にお仕えする隠密で御座いました。しかし、どうしてそこまで……盗賊上がりだとは、お考えにならなかったのですか?」

 

「それにしちゃ、貴方が俺にしてくれた挨拶は、堂に入り過ぎてた。それに、他の村人達の様に、俺に対して“万能の神様”みたいな幻想を抱いてる様子もなかったしね……だから、実際に俺達みたいな立場の人間に、日常的に接していたんだろうと踏んだんだ。で、桃香にそれとなく訊いてみたら、昔は文官をしてたらしいって言うじゃないか。人にばれない様に嘘を吐くコツは、偽りの中に数滴の真実を混ぜる事……それなら、貴方が宮仕えをしていたのは十中八九、間違いない。で、宮仕えで身体を鍛える事が習慣化しており、何十年も隣人として接していた村人達にも尻尾を出さずに嘘を信じ込ませる事ができ、尚且(なおか)つ類稀なる追跡技術を持っている様な役職、となれば――」

 

「……隠密、と言う答えに行きつくと」

「そう言う事。しかも、一流のね」

 一刀は、自分の言葉を引き継いで結論を口にした簡擁に、満足そうに頷いてみせた。

「逃げ切れぬもので御座いますね。自分自身からは……」

 

「――名前も偽名なのかい?」

「……いえ、本名で御座います。無論、“お役目”の時には、偽りの名を幾つも用いておりましたが。『百足(ムカデ)の簡擁』と言えば、その筋では、それなりに名が売れていたのですよ」

 一見すると武勇伝のようで、隠し切れない自嘲の込められたその言葉に、今まで沈黙を守っていた愛紗が、不意に口を開いた。

 

 

「では、何故その様な人物が、こんな小さな村で酒家の店主などしておられた?」

「嫌になったので御座いますよ。言われるがまま、人を殺めるのが。それで、逃げました。華々しく戦場で命の遣り取りをしてこられた関羽様に御理解頂けるかどうか分かりませんが、私どもは、殺せと言われなければ人など殺しません。それは殺す理由がないからです。矜持だの面子だのは、我等が命の遣り取りをする程の理由にはならないのですよ。しかし、然るべき存在から『殺せ』と言われれば、それは相手を殺すに足る、十分な理由になるのです。例えその相手が、乳飲み子であろうが、年端も行かぬ娘であろうが……」

 

「簡擁殿、それは――」

「関羽様。どうか、これ以上はお察し下さい」

 簡擁は、愛紗の言葉を遮ってそれだけ言うと、背筋を伸ばしたまま、顔を僅かに俯かせる。数瞬の後、簡擁の語る様子をじっと見つめていた一刀が、重々しい空気を払う様に、簡擁に語りかけた。

 

「で、そうして平穏無事に暮らしていた貴方は昨夜、桃香の危機だと思い、咄嗟(とっさ)に昔のくせで気配を殺して俺達の所に駆け付けた、と」

「はい。本当に危ない様なら、御助勢するつもりで御座いました。最も、そんな気遣いは、いらぬ事で御座いましたね」

 

態々(わざわざ)、家に着くまで見守ってくれていたね。どうもありがとう」

「いえ……重ね重ね、差し出がましい真似を致しました」

 一刀は、苦笑を浮かべて頭を掻いた。

「正直、家に入った後で、『失敗したな』って思ったよ。気付かない振りをしとけば良かった、ってね。さっきも言ったけど、逃げちまったんじゃないかと思った」

 

「昔同様、完璧に闇に溶けた心算(つもり)で御座いましたが……流石は北郷様。御慧眼(けいがん)、恐れ入りまして御座います」

「いや。あれは、斬り合った後で神経が昂ぶってたからさ。今、同じ様にされたら、見破れる自信なんてこれっぽっちも無いよ」

 

「お声を掛けて頂いた時には、肝が冷えました……帰り道では、仰られた通り、このまま逃げてしまおうかとも」

「どうして、逃げなかったんです?」

 一刀が、愛紗に簡擁と自分の茶を注ぐ様に身振りで頼みながらそう尋ねると、簡擁はどこか達観した様な、穏やかな微笑みを浮かべて答えた。

 

 

「それは、北郷一刀様。貴方様に――心底“惚れた”からに御座います」

「へ?」

 一刀は、予想外の答えに間抜けな声を出してしまった。それを聴いていた愛紗も、目を見開いて急須を持ったまま、簡擁を見詰めている。

 

「貴方は、折角のお里帰りの最中だと言うのに、薄汚い百姓達の頼みを親身に聞いて下さった。身体を売る夜鷹も同じ人、と言って、真心で接して下さった。私は、長いこと漢の王朝にお仕えしていて、そんな御方にお会いした事がない。人様に胸を張れる様な事など、何一つしてこなかった人生でしたが……どの道、あと何年生きられるかも分かぬこの老骨、最後位は心服した御方の御役に立ちたい、と、そう思い決めたので御座います」

 

「それは……ありがとう」

 一刀が、どう言ったら良いものか悩みながらそう口にすると、簡擁は小さく首を振って、茶を注ぎ足した愛紗に礼を言い、ちびりとそれを啜ってから、再び口を開いた。

「やはり、覚悟を決めてお尋ねして良かった。北郷様は、こうして私の話を聞いて下さっている」

 

「つまり、その言い回しから察するに、俺達に役に立つ何かしらの情報を持って来てくれた、と考えて良いのかな?」

「はい」

 簡擁は一刀の問いに簡潔に頷き、顔を上げた。

 

「北郷様があの無法者を斬り捨てなさった後、近くの茂みに、人の気配をお感じになられまたでしょう?」

「えぇ……家に着くまでは、貴方だったのかと思っていたのですが、後で思い直しました。貴方の技術の方が、ずっと洗練されてる」

「ありがとう存じます――私は、あの時、北郷様よりも“あの連中”の近くに居りました。それで、あやつ等の会話を、聞き取る事が出来たので」

 

「それは(まこと)ですか!?」

 愛紗が勢い込んでそう尋ねると、簡擁はゆっくりと頷いた。

「はい。連中はこう申しておりました。『天の遣いの腕がここまでとは思わなかった。関羽や張飛を相手にするよりは楽だと思っていたのに』と」

 

「いやまぁ……実際、随分と楽だとは思うけどな……」

 一刀はそう言って、微笑みながら自分の茶に口を付けた。愛紗や鈴々ならば、陳英を指一本で叩きのめしたとしても、一刀は決して驚かないだろう。

「そして、こうも申しておりました。『これは、“お頭”に報告しなければ』と」

 

 

「お頭……ね」

 一刀は、噛み締める様に簡擁の口から出た言葉を呟いてから二本目の煙草に火を点け、悪戯っぽい目付きで、簡擁を見た。

「それで?」

 

「は?」

「この話をしだした時から、貴方の(まばた)きが多くなった。人は迷うと、外部の情報を締めだそうとするんだ。だから、脳に情報が入らない様に、目を閉じる……まだ、話すべきかどうか迷っている事があるんじゃないか?」

 

「それは……」

 簡擁は、そこで言葉に詰まって息を止めてから、大きく肩を落としながら、息を吐き出した。

「そんな事は、私の師も教えてはくれませんでした……」

「それはそうだよ。俺の居た世界でも、こう言った事が本格的に研究され始めたのは、ここ百年程度の事だからね」

 

「――仰る通りです。私は……話をしていた二人の内、一人の方の声を、よく知っているので御座います」

「それはつまり、この村の人間……と言う事かい?」

 一刀が、俯いた簡擁の顔を覗き込む様にしてそう尋ねると、簡擁は顔を上げずに、小さく頷いた。

「はい。李洪と申す十六の男で……あれが、まだ母親の腹の中に居る時から存じております……」

 

「そうだったのか……」

 一刀が、遣る瀬無さそうに簡擁の言葉に相槌を打つと、愛紗が一刀の方を見て言った。

「ご主人様。では昨日、私の追跡を巻いたのは……」

「あぁ。多分、その李洪だろうな。土地勘があると言う点でも一致するし」

 

「李洪は、昨日は集会所には来ておりませんでした。御遣い様がたに、神隠しについて相談に行こうと話している時には、確かに居たのですが……」

 簡擁が、一刀と愛紗の話を補足するかの様に、溜息と共にそう言った。

「ほぼ確定――ですね。しかし、だとすると何故、村の若者が村人を(さら)う盗賊の片棒を担ぐ様な真似をしたのでしょうか?」

 

「そりゃ多分、今迄の被害者に、李洪に繋がる何らかの共通点があるからじゃないかな」

「共通点、ですか」

「そ。答えは、簡擁さんが知ってるんじゃないかと思うよ。どうです?」

 一刀が、煙草を揉み消しながら簡擁にそう水を向けると、簡擁は、またも小さく頷いた。

 

 

「えぇ……。神隠しに遭った、『花嫁衣装を取りに行った母娘』の娘と言うのは、李洪の幼馴染で、瑞麗(るいれい)と申します。張瑞麗……」

「続きを当てようか。その瑞麗さんが花嫁衣装を着て微笑む相手は、李洪じゃない。だろ?恐らく他の被害者の中に、そのお相手が居る筈だ」

 

「はい。瑞麗の相手は、最後に行方知れずになった警備隊の中の一人――部隊長の高仁で御座います。三年ほど前に許昌から赴任して来たのですが、正義感の強い、人当たりの良い若者で……」

「都会の匂いのする朗らかで正義感溢れる好漢、か。まぁ、こう言う牧歌的な村で育った十五、六の娘には、さぞ魅力的だったろうな」

 

 一刀が、どこか冷やかしめいた口調でそう呟く様に言うと、簡擁は微苦笑を漏らした。

「えぇ。李洪は、幼い頃から瑞麗に惚れておりました。それはもう、(はた)から見ていても分かる程に。李洪も私達も、当然、二人は夫婦(めおと)になるものと思っていましたが……」

「二人の間では、婚約などの約束が?」

 

 愛紗がそう尋ねると、簡擁は首を振った。

「いいえ。少なくとも、私はそう言った話は聞いた事はありません。まぁ、こんな小さな村ですから、酒家を営んでいる私が知らないのであれば、十中八九、他もそうでしょう」

「なら、暗黙の了解の上に胡坐(あぐら)をかいてフラれた揚句の横恋慕、って事になる訳か。俺や桃香を狙ったのは、恐らく盗賊どもが企んだ事なんだろうけど……同情の余地が無い訳じゃないが、大分やり過ぎちまったなぁ」

 

 一刀が、困った様にそう言うと、愛紗は鼻から息を吐いて腕組みをし、呆れた様子で眉間に皺を寄せた。

「やり過ぎどころの話ではありません!ご主人様と桃香様を闇討ちせしめんとするなど、最早、国賊と同等――いえ、国賊そのものではありませんか!」

「まぁまぁ、愛紗。そう言ってやるな。李洪は、盗賊どもに良い様に利用されてるんだろうさ。で、にっちもさっちも行かなくなって、今もつるんでるんだろうよ」

 

「しかし――!!」

「それに、だ」

 一刀は、尚も言い募ろうとする愛紗の顔の前に人差し指を掲げてそれを制すると、考え込む様な表情で天井に視線を投げた。

「どうにもまだ、納得が行かない。そもそも、李洪が人攫い目的の盗賊に協力して一連の神隠しをやらかしたにしても、“被害者に男の方が多い”と言う事に対しての説明が付かないしな」

 

 

「うっ。それは確かに……盗賊どもならば、若い女を攫うでしょうしね」

「あぁ。男なんか攫っても、何の得もありゃしない。ま、一味揃って男好き――なんて盗賊が居ないとは言い切れないけどな。それにしたって、全てが盗賊と李洪の犯行だとしたら“順番”が合わないんだよ」

一刀はそう言って視線を戻し、自分の茶に口を付けた。

 

「順番、ですか」

「そう。だってさ、考えて見ろよ。『お前の惚れてる女を攫って来てやるから、他の人攫いも手伝え』なんて言うより、『邪魔な男を始末してやるから、後はお前の好きにしろ。その代わり、俺達を手伝え』の方が、ずっとシンプル……いや、単純だろ?」

 

「成程……確かに、ご主人様の仰る通りですね。第一、攫ったところで女――瑞麗が、李洪に惚れ直すとも思えませんし」

 愛紗が得心した表情でそう言うと、一刀は我が意を得たりと頷いた。

「そう言う事。それなら、婚約者が行方不明になって落ち込んでる瑞麗を優しく慰めて上げる幼馴染を演じた方が、遥かに芽はあるだろうしな」

 

「つまり、こう言う事で御座いますか?」

 二人の話を黙って聞いていた簡擁が、不意に口を開いた。

「もしも盗賊が李洪を使って全てを仕組んだとするならば、真っ先に高仁が行方知れずになっていなければおかしい。そして、残りの被害者は全て若い女でなければならない筈だ、と」

 

「その通りだよ、親父さん」

 一刀が微笑んで簡擁にそう答えると、愛紗は難しい顔で、首を捻った。

「では、ご主人様は、この神隠しについて、どうお考えに?私には一向に見えて来ないのですが……」

「そうだな。可能性の極めて高い答えは、二つあると思う」

 

「二つ――」

「そう。まず一つ目は、盗賊の目的が人攫いじゃない、って事だな」

 一刀はそこまで口にすると、立ち上がって窓を開け、窓際で三本目の煙草に火を点けた。

「人攫いでないなら、一体――」

 

「まぁ、村の財産を略奪する――ってのが、一番“らしい”線ではあるな」

「そんな……こんな小さな村に、盗賊に狙われる様な財産など!!」

 簡擁が驚いてそう声を荒げると、一刀はわざとらしく意外そうな表情を作ってみせた。

「へぇ!蜀漢王の母君が居らっしゃるのに?」

 

 

「あ……!!」

 簡擁の驚きの声を聞いた一刀は、微笑みながら紫煙を吐き出した。

「そう。下衆な人間なら、『あの村には、劉備の母親が一人で住んでいるらしい。見た目は質素に見えても、劉備の実家や村の有力者の家には、劉備から送られたお宝が唸ってるに違いない』、とか考えたって、全然おかしくない。神隠しの一件だって、村の男達や警備隊員を少しずつ減らして行き、“仕事”の後に(かか)る追手を減らそうとしてるからだと考えりゃ、一応の辻褄は合う」

 

「そうですね。戦力を分散しての各個撃破は、戦の常道ですし……」

 愛紗も大きく頷いて、顎を掻いた。

「二つ目は、瑞麗とその母親を攫った存在と他の人物を攫った存在は、全く別ものだ、って事。最も、まだ“誰が誰を攫ったか”の比重は、推測出来てないんだけどね」

 

「ふむ。二つの集団の思惑が入り乱れている、と。ご主人様、それはもしや――」

「まぁ、今は口に出すのはやめておこうよ、愛紗。禄な証拠も無い内に決め打ちなんかしても、良い事はないって。差し当たっては、解り易い方から片付けちまえばいいさ。そうすりゃ、残りも尻尾を出すだろ」

 一刀は、そう言って三度煙草を揉み消し、窓を閉めて席に戻ると、改めて簡擁を正面から見詰めた。

 

「で、だ。それに関して、貴方の力を貸して欲しいんだけどな。親父さん」

「私の――ですか?それは、私でお力添え出来るのでしたら……」

「出来るも何も、親父さんの十八番(オハコ)さ。得意だろ?情報操作♪」

 訝し気な顔の簡擁に、一刀はそう言って悪戯っぽく微笑みかけた。

 

 

 

 

 

 

「おぉい、洪!」

 日も中天を過ぎて暫く経った頃、家も前に設えてある切り株の台を使って薪を斬っていた李洪は、後ろから自分名を呼んだ声に振り向いて控え目に笑い、手を上げて答えた。

「こんにちは。周さん……」

 

 『周さん』と呼ばれた、農具の入った籠を担いだ四十絡みの男は、「おう」と返事をして手を上げ、興奮気味に李洪に話しかけた。

「お前、もう聞いたかよ?」

「……何を、ですか?」

 

 

「御遣い様の話さ」

「御遣い様の?」

「あぁ。俺も今さっき、簡擁の爺さんから聞いたんだけどさ。何でも、例の神隠しの一件を重く見た御遣い様が刺史様の所に使いを出して下さって、明後日には大軍が応援に来て、山狩りをしてくれるんだとよ!」

 

「え……!?」

「いやぁ。良かったなぁ、洪!お前も瑞麗の事、随分と心配してたし、御遣い様にご相談して本当に良かっ――?洪、お前、顔が真っ青だぞ。大丈夫かよ?」

「え?あぁ、大丈夫です!ちょっと安心して、気が抜けちゃって……」

 

 李洪が、曖昧な笑顔を作ってそう答えると、周は『そうだろう』とでも言う様な顔で何度も頷いた。

「だよなぁ。まぁ、ともあれこれで一安心だ。お前、親父さんとお袋さんにも伝えてやれよ?」

 周は、言いたい事だけ言うと、李洪の返事も待たずに手を上げて、さっさと歩いて行ってしまった。きっと、他の村人達にも今の話をしたくて仕方がないのだろう。

 

「…………」

 周が去った後、李洪は、暫く呆然とした様子でその場に佇んで居たが、不意に、鉈を握り締めていた自分の手を不思議そうに眺めてからそれを放り投げ、首に掛けていた手ぬぐいを取ると、家の戸を開けて、中に声を掛けた。

 

「母さん。少し出掛けて来るよ。夕飯は要らないから――じゃあ」

 李洪は、母の「気を付けてね」と言う返事を背中に聞きながら、足早に歩き出き出す。その十丈(約20m)ほど後ろを、二つの影が音も無く追いかけて居る事など、知る由もなかった――。

 

 

 

 

 

 

「ここら辺は泥濘(ぬかるみ)になってるから、気を付けるのだ。お兄ちゃん、愛紗」

 張飛こと鈴々は、そう言いながらも、自分自身は意にも介さぬ様子で、ひょいひょいと身軽に山道を突き進んでいた。

「まったく、猿娘め……少しは人間の事を考えろと言うに……」

 

 

愛紗は、腹立ち紛れにそう言って、手頃な場所に生えていた若木を掴むと、体重を掛けた勢いで次の岩に足を着けた。最初は意地を張って手に持っていた青龍偃月刀も、流石に今は、布で背中に()わえられている。

「ははは。猿娘は酷いなぁ。まぁ正直、こんなに険しいとは思わなかったけどさ」

 

 愛紗の後ろに続く一刀は、僅かに息を切らせながら、愛紗の言い様に思わず笑みを浮かべながら答えた。二人は今、簡擁と共に李洪の後を尾行していた鈴々の案内で、盗賊たちの隠れ家に向かう為に、山登りの真っ最中なのである。

「しかし、宜しかったのですか、ご主人様。桃香様をお連れしなくて。随分と、お気に病んでおられた様でしたが……」

 

「どの道、誰かが義母上(ははうえ)を人気の多い場所に連れ出して、守ってなきゃいけないしな。仕方ないだろ」

 一刀は、愛紗の通った道とも言えぬ急斜面を慎重に辿りながらそう答える。時たま、前方の愛紗のスカートから淡い緑色の物体が見えている事は、一遍も表情に出してはいない。

辛い登山の中のささやかな楽しみまで奪われては堪らないし、第一、責められるとしたら、登山にスカートなど履いて来る愛紗の方なのだから。自分にその中身が見えてしまうのは、誰が何と言おうとも、あくまでも不可抗力である。

 

 出来うるならば、成長した鈴々のマイクロミニスカートの中身も見てみたかったが、流石に距離が有り過ぎて、それは出来なかった。

「それはそうですが……」

「盗賊どもが、全員アジトに揃ってくれてれば良いけどさ。二手に別れられて、片っぽに桃香の実家でも襲われたら、目も当てられない。幾ら簡擁の親父さんが凄腕だって言ったって、流石に分身の術なんて使えないだろうし、保険は掛けて置くに越した事はないよ」

 

 一刀は、至極真面目に愛紗にそう言ってから、魅惑の三角地帯を観察する事に意識を戻した。大きく脚を動かしている為、見事な肉置(ししお)きの尻臀(しりたぶ)の線までくっきり見える所が、また何とも悩ましい。

 その中身は今や適度な運動で程良く蒸れ、さぞ甘やかな匂いが――。

 

「ご主人様!」

「ひぃ!?ごめんなさい!!?」

「??どうなさったのです、ご主人様。そんな、シメられそうになった鶏の様な声を上げて……」

「へ?あぁ……い、いや。済まない。美しいものに対する詩的な表現についての考察なんかを、つらつらと考えていたもんだから、つい……」

 

 

 突如、立ち止まって声を掛けて来た愛紗に、一刀はしどろもどろになりながらもそう答えた。愛紗は訝しそうにしながらも、握った右手の親指で、ぐいと前方を指し示す。

「はぁ……?まぁ、そんな事は兎も角、鈴々が、『静かにして此処まで来い』と身振りで示しております。どうやら、着いたようで御座いますよ」

 

 一刀が、愛紗の指し示した方角――上方、と言った方が正しそうな前方――では、確かに鈴々が、こちらに向かって腕を振り回して、口をパクパクと動かしていた。

「あー、そう見たいだな。実にざんね……ゲフンゲフン!助かった。漸く、山登りから解放されるな」

「その様ですね。次に待っているのは、斬り合いかも知れませんが」

 

「終わりの見えない山登りよか、なんぼかマシだろ。そっちの方が」

「ふふっ、かも知れませんね。さぁ、参りましょうか」

 二人は、そんな事を言い合ってから、鈴々の指示通りに口を閉じて、残りの急こう配を黙々と登り続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 鈴々の隣まで来ると、その先は、結構な広さの平地になっていて、岩肌に、二丈半(約5m)程の大きさの空洞が、ぱっくりと口を開けていた。一刀が素早く周囲に視線を走らせると、その空洞をしっかりと見張れる位置にある大振りな岩の陰に簡擁の姿があり、こちらを手招きしている。

 三人が身体を屈めてそこまで行き着くと、簡擁は軽く頭を下げ、不思議と通る割に静かな、独特の口調で話をし出した。恐らく、この喋り方も隠密の技能なのだろう。

 

「お待ちしておりました。李洪が入ってからは、特に動きらしい動きはありません」

「敵の数は分からないのか?」

「漏れ聞こえて来た声から、最低でも五人は確認しました。唯、気配はそれよりも遥かに多いかと――」

「ふぅん。他に、出入り口は?」

 

 一刀が、空洞から視線を外さずにそう尋ねると、簡擁も、それに倣いながら答えた。

「この空洞は元々、地元の猟師の休息所の一つとして山小屋代わりに人の手を入れたものです。裏手に、大き目の空気穴が御座います。が――大人の男が入れる程の大きさでは……」

「そうか。なら、鈴々。お前、そっちに回ってくれ。挟み撃ちにしよう。ついでに、もし攫われた村人が生きている様なら、人質にされる前に助け出すんだ」

 

 

「了解なのだ!」

 鈴々が、豊かに膨らんだ胸をドンと叩いてそう応える。

「簡擁の親父さんは、鈴々を案内したら、こっちに引き返して後詰めに回ってくれ。俺と愛紗は、今から二百数えてから、正面突破を仕掛ける」

 

「御意!」

「畏まりました」

 愛紗と簡擁も、それぞれに一刀の言葉に応えると、素早く動き出した。一刀はそれを頼もし気に眺めながら、ゆっくりと小さく、カウントを呟き始めた。

 

 

 

 

 

 

「チッ、言わねぇ事じゃねぇ。こんな事なら、この暗いガキなんざ使わずに、さっさと押し込んでりゃ良かったんだ!」

 垢の浮いた髭面の男が、イライラした口調でそう言いながら、じっとりとした目で、正座をしてガクガクと震えている李洪を睨み付ける。

 

「今更、グダグダ言うんじゃねぇ!それともテメェ、お頭の御指図(おさしず)に文句があるってのか、あぁ!?」

 細く鋭い目をした長身痩躯の男が、ドスの利いた声で髭面の男を怒鳴り付けると、髭面は急に勢いを無くして、壁から()り出した岩に胡坐をかいている、初老の巨漢を、恐る恐る見遣った。

 

「そ、そんなんじゃねぇよ、兄ぃ……ただ、折角のお宝の山を前にして尻尾まいて逃げるなんざ、悔しくてさ……」

 髭面の男の言葉に、周囲に居た二十人ばかりの男達も、異口同音に肯定の言葉を吐いた。

「まぁ――何だ」

 

 それを黙って聞いていた巨漢は、胡坐を解いて足を床に降ろすと、太い指で、ぼりぼりと頬を掻きながら口を開いた。

「今回の事に関しちゃ、俺のしくじりだった。慎重に事を運ぼうなんて慣れねぇ考えをしちまったばかりに、やれ神隠しだ、御遣いと劉備が帰って来ただと、予想外の事態が続いちまったからな……」

 

 

「お頭……」

「頼みの陳英先生にまで死なれちまったのは痛かったが、済んじまった事は仕方がねぇ。こうなりゃ、さっさと“後始末”をして、引き挙げた方が良さそうだ――命あっての物種、だからな」

 巨漢の頭目は、そう言ってやおら立ち上がり、俯いたままの李洪の傍までゆっくりと歩を進めると、その肩を叩いて、にっこりと微笑んだ。

 

「御苦労だったな、李洪。安心しな。何だかんだで先延ばしにしちまったが、約束通り、お前の女ぁ寝取った野郎は、キッチリ始末してやるからよ」

 その言葉を聞いた李洪は、弾かれた様に顔を上げ、巨漢の丸太の様な脚に(すが)りついた。

「ま、待って下さい、お頭!おいら、そんな事は……それだけは!!」

 

「チッ、煮え切らねぇガキだぜ、ったくよぉ!河で死のうと飛び込んで、溺れたお前ぇを助けて話を聞いてやった時、お前が自分で言ったんじゃねぇか。『幼馴染を寝取った高仁て男が、殺したいほど憎い』ってよ?」

 髭面の男が、虎の様に李洪の周りを回りながら苛立たし気に怒鳴る。李洪は、その声に怯えながらも、声を振り絞った。

 

「で、でも!本当に殺すなんて!!そんな事したら、そんな事!!それに、御遣い様や桃香おね――劉備様まで殺そうとするなんて、おいら、聞いてなかった!昨日の晩だって、ただ様子を見に行くだけだって!!」

「グダグダ五月蠅ぇなぁ、ったくよ。お頭、どうするんで?魏の正規軍が相手となりゃ、時間はどんなにあっても足りませんぜ?」

 

 長身痩躯の男が、面倒臭そうに李洪を見詰めながらそう言うと、巨漢の頭目は、わざとらしい溜息を一つ吐いてもう一度、李洪の肩を叩いた。

「李洪よ。お前ぇ、そんなにあの男が死ぬのを見たくねぇのかい?」

「は、はい……」

 

「そうかい、そうかい。俺も鬼じゃねぇ。それじゃ、仕方がねぇなぁ」

「お、お頭!?」

 李洪が、僅かな期待を込めた眼差しで巨漢を見上げると、巨漢は穏やかに微笑んで、李洪の肩から手を離した。

 

 

「なら、李洪。お前ぇが先に、死ぬしかねぇやな」

「え!?」

 表情を無くした李洪が、訳が解らずに周囲を見渡すと、下卑た笑いを湛えた男達が一斉に立ち上がった。

「え?あの、お頭……?」

 

「なぁ、李洪。考えてもみねぇ。今の所、俺達の顔を知ってるのはお前と、奥に居る男達だけなんだぜ?企みが一から十まで上手くいったってぇなら兎も角、こうなっちまっちゃ、誰一人生かしておける道理なんか、ありゃしねぇ。だろ?」

「そ……んな……」

 

「恨むな、とは言わねぇよ」

 巨漢がそう言って視線を外すのと同時に、髭面が、腰に履いた盤刀を引き抜いて、動くことさえ出来ずに居る李洪の頭上に、高々と振り上げた。

 

 

 

 

 

 

「人様の持ちもん掠め取って飯食ってる盗賊風情が道理を語るたぁ、随分とご立派なこったなぁ、おい」

「誰だッ!!?」

 突然に聞こえて来た男の声に、盗賊達は一瞬、動きを止め、一斉に洞窟の入り口に視線を集めた。そこから、白い外套を着た男と濡羽色の髪の女が、陽光を背にしてゆっくりと姿を現した。

 

「問われて名乗るのおこがましいが、天下に聴こえた桃園の四兄妹たぁ、俺達の事よ!若干二名ほど足りないが、そこンとこは気にしない方向で夜露四苦!!」

「何なのですか、そのイマイチ締まらない名乗りは……」

「いやぁ、今回は警備隊の仕事じゃないし、少し違う方向性でいってみようかと思ったんだけど……ダメ?」

 

 呆れ顔の愛紗の問いに、一刀が決まりの悪そうな笑顔を向けてそう応える。愛紗は、黙ってこめかみを揉むばかりだった。

「あ!て、てめぇ、北郷一刀!!」

 二人の妙に緊張感のない遣り取りを聞いていた盗賊の一人が、不意に一刀を指差してそう声を上げた。自分の顔を知っていると言う事は、昨晩、陳英と共に一刀と桃香を襲撃したのはこの男なのだろうと、一刀は内心で当たりを付けた。

 

 

「それじゃあ、その黒髪の女は――」

「如何にも!北郷一刀様が第一の矛、関雲長とは私の事だ!!」

 巨漢の言葉を継ぐように愛紗が名乗りを上げると、盗賊達が一斉にざわめいた。

「あぁ、“こういうの”がやりたかったのね、愛紗さん……」

 

 盗賊達を満足げに睥睨(へいげい)する愛紗を横目に、一刀がぼそりとそう呟くと、愛紗が僅かに顔を赤らめながら一刀を睨み付けた。

「何か仰いましたか、ご主人様?」

「いえ、何も!一切何も!!」

 

「てめぇら、舐めしくさって……」

 長身痩躯の男が憎々し気にそうそう言うと、一刀は軽く鼻を鳴らして肩を(そび)やかした。

「はッ!だぁれが、お前等みたいな小汚ぇ野郎なんか舐めるか。ったく、横恋慕の手伝い位のヤボ天なら洒落でも済むがな、茹で上がってゲスになっちまったんじゃあ、放って置く訳にもいかないんだ――よッと!!」

 

 襲いかかって来た盗賊の手下の柳葉刀を抜刀ざまに弾いた一刀は、備前長船兼光を蜻蛉に構えて峰を返し、盗賊達を見渡した。

「――殺すなよ、愛紗。あとで、華琳からネチネチ皮肉を言われたくなければ、な」

「それは恐ろしい。では……善処いたしましょう!」

 

 愛紗は、不敵に微笑みながら一刀にそう返すと、先んじて突貫し、短く持った青龍偃月刀の石突きと刃の腹で、瞬く間に三人の盗賊の意識を刈り取って見せる。その手際たるや、賊どもに一合の刃を合わせる事も許さないと言う峻烈さであった。

「ほれほれ、ぼさっと座ってるとケガすんぞ!」

 

「え……うわ!!?」

 一刀は、二人ばかりの盗賊の腕と脚に剣撃を叩き込んで無力化すると、ツカツカと李洪の元に歩み寄ってその襟首をつかみ上げ、力一杯、出口の方に放り投げた。地面の固い感触を覚悟した李洪はしかし、力強く暖かい感触に受け止められていた。

 

「あ――簡擁爺ちゃん!!」

「無事か、李洪。この馬鹿者め!」

「爺ちゃん、どうして……」

「今は、何も訊くでない」

 

 

簡擁は、李洪の頭を乱暴に撫でると、戦局を鋭い眼差しで見詰め直した。

「うりゃりゃりゃりゃ~!!」

「な、なんだ、あがッ!!?」

 何とも間の抜けた気勢の声と共に、洞窟の奥から小柄な影が躍り出て、盗賊の顔面に拳骨を突き出す。盗賊は、まるで砲弾の様に吹き飛びながら、壁にぶつかって跳ね返り、そのまま地面に突っ伏した。

 

「燕人張飛、推参!なのだ!」

「おぉ、鈴々。ちょうど良い時に来たな。首尾は?」

 一刀が、組みかかって来た盗賊の延髄に柄頭を打ち込んで引き離しながらそう尋ねると、鈴々は、二人同時に襲いかかって来た盗賊を軽々と殴り飛ばし、ニヤリと笑った。

 

「じょーじょーなのだ!皆、かかれ~!なのだ!!」

 鈴々の号令と共に、洞窟の奥から気勢が沸き上がり、六人の男達が、一斉に盗賊達に殺到した。

「御遣い様、楼桑村警備隊部隊長、高仁です!遅ればせながら、御助勢(つかまつ)る!」

「へぇ。君が噂の色男か――ともあれ、無事で良かった」

 

 背中を合わせた一刀が愉快そうにそう言うと、棒切れを持った青年は、「はぁ?」と間の抜けた声で、それに答えた。

「いや何、こっちの話だ。じゃ、さっさと片付けて帰るとしようか!」

「はい!」

 

 そんな遣り取りから数分の後、一刀は、たった一人残った巨漢の男に、兼光の切っ先を突き付けていた。そもそもからして、愛紗と鈴々だけでも喧嘩にもならない程の圧倒的な実力差であるのに加え、頭数の差まで埋められては、盗賊風情に勝ち目など有る筈もない。

「さぁ、これで王手だ。神妙に縛に付きな――」

 

 一刀は、そこで言葉を切って、横に居た高仁を突き飛ばそうとした。叩きのめされて床に転がっていた痩躯の男が、懐に隠した短刀を抜いて、高仁に襲いかかったのだ。その場にいた全員が、勝利を確信していた故に、数瞬、対応が遅れてしまっていた。

「(間に合わない……!!)」

 

一刀だけでなく、愛紗も鈴々も、そう思った。だがしかし、高仁の身体に凶刃が届く事はなかった。何故なら――。

「お前……李洪?どう……して……」

 高仁が、状況を理解出来ずに、自分の前に立ちはだかった李洪の背中を、茫然を見詰めながらそう呟いた。

 

 

「あ……うぁぁぁ!!」

 李洪は、渾身の力を込めて痩躯の男を突き飛ばすと、ぱっくりと割れた脇腹を押えて、両膝を突いた。金縛りの解けた高仁が、急いでその身体を抱き止める。突き飛ばされた男が、尚も起き上がろうとすると、巨漢が男に向かって、厳しい声で叱咤した。

 

「もう止めろ!これ以上足掻いたってどうにもならねぇんだ。この“泰山の徐完”の手下(てか)なら、みっともねぇ真似をするんじゃねぇ!!」

「うぅ……お頭ぁ……」

 痩躯の男は、その言葉を聞いて心が折れたのか、短刀を放り投げ、力無く座り込んだ。

 

「――“泰山の徐完”。それが、お前の名か」

 一刀がそう尋ねると、巨漢の男は、小さく頷いた。

「へぇ……お手前、御見逸れいたしやした」

「縄に掛るんだな?」

 

「こうなりゃ、逃げも隠れも出来るもんじゃ御座いませんでしょう?」

 巨漢がそう言って、両手を揃えて差し出すと、一刀は愛紗と鈴々に目配せをした。一刀は、それを受けた二人が、警備隊員達と協力して盗賊達を縛り上げて行くのを確認してから、簡擁と高仁に抱えられている李洪の元へと向かう。

「傷の具合は?」

 

 一刀がそう尋ねると、振り向いた簡擁が、緊迫した顔で答える。

「何とか内臓は逸れた様で御座いますが、出血が酷く、助かりますかどうか……」

「手当は出来るのか?」

「はい。応急処置程度なら、何とか……」

 

 一刀は黙って頷き、李洪の脂汗の滲んだ顔を見詰めるしかなかった。一方、高仁は、必死に李洪に向かって話しかけている。

「李洪!李洪!!何故、俺を助けた!?殺したかったんじゃないのか!!?」

「こ……殺してやりたいよ……今でも……でも……そんな事したら……瑞麗が……泣く……から……」

 

「お前……」

「おいら……ガキの頃から……瑞麗……の……泣く顔……見るのが……だい……嫌い……」

「解った。もう喋るな!」

 抱いた腕に力を込めた高仁がそう叫ぶように言うと、李洪はその腕を掴み、力の限りに握り締めた。

 

 

「高……じん……瑞麗を……泣かせる……な……あいつは……」

「解った。泣かせたりしない!」

「誓う……か……?」

「誓う!!」

 

「そう……か……良かっ……た……」

 李洪は、どこか安心した様子で高仁に微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。

「李洪?李洪!!」

「親父さん、どうなんだ?」

 

 一刀が、高仁の叫びを聞きながら感情を殺した声で簡擁に尋ねると、素早く李洪の脈を取っていた簡擁がほっとした様子で答えた。

「――気を失っただけで御座います。傷を縫い合わせるなら、この方が都合が良いでしょう」

「そうか……」

 

 一刀は、それだけ言うと、大きく息を吐きながら視線を上げた。周囲を見渡すと、囚われていた警備隊員達も、固唾を呑んで事態を見守っていた事が初めて解る。

「――さて、徐完」

 一刀は、弛緩しそうになる自分を鼓舞するかの様に、敢えて事務的な口調で徐完に声を掛けた。

 

「へぇ」

「楼桑村で起こった、一連の神隠し――あれも、お前達の仕業か?」

「滅相もねぇ。御遣い様と劉備様を襲った事を除いたら、あっし等が此処でしたのは、そこの警備隊の連中を捕まえたって事だけでさぁ」

 

「貴様、嘘を吐くと為にならんぞ!」

 愛紗がそう言って、厳しい目で徐完を睨みつけると、徐完は面白そうに笑って首を振った。

「この後に及んで、嘘なんざ申しませんよ。関羽将軍様。大体、今の御時世、人攫いなんかしたって、旨味なんぞ殆どねぇ。足が付く怖さばっかりでね。そんな事する位なら、“お勤め”で稼いだ金で極上の妓嬌と遊んだ方が、よっぽど良いってもんでさぁ」

「お兄ちゃん。コイツ、嘘吐いてる様には見えないのだ」

 鈴々が、頭の後ろで腕を組んでそう言うと、一刀も頷いて、義妹の頭を撫でた。

「あぁ。俺もそう思うよ、鈴々。なら、やっぱり――!?」

 その瞬間、一刀の言葉を遮る様に地面が揺れた。その場に居る人間達のざわめきの中で、愛紗がそっと、一刀に耳打ちをする。

 

 

「(ご主人様、まさか、これは――)」

「(あぁ。地震にしちゃ、揺れ方が妙だ。どうやら、まんまと(おび)き出されたらしいな、俺達は)」

 一刀は、愛紗に小声でそう答え、警備隊員達を見渡して言った。

「済まないが、俺達は一度、村まで戻らなきゃいけなくなった。ここは皆に任せるから、疲れているとは思うが、もうひと踏ん張りしてくれ!」

 

 一刀は、自分の言葉に勇ましい返事を返してくれた隊員達の顔を、微笑みながら見回してから、李洪の傷の手当てをしている簡擁の肩に手を置いた。

「親父さん、そのままで聞いてくれ。いいか、貴方が此処に来るまでに何を考えていたのか、俺には何となく察しが付いてる」

 

 その言葉を聞いた簡擁の肩が、ビクリと震えた。だが、一刀はそれに構わず喋り続けた。

「だが、俺が戻ってくるまで、行動には移すな。貴方が俺の言う事を聞いてくれないなら、俺も貴方の気持ちを斟酌(しんしゃく)はしない。いいね?」

「……はい」

 

 簡擁が、縫合の手を止めずにそう呟くのを聞いた一刀は、小さな溜息を吐いて簡擁の肩から手を離し、二人の義妹を振り返った。

「さぁ征こう、二人共。どうやら、時間はそんなに無いらしい――!!」

 

 

 

                     あとがき

 

 はい。今回のお話、如何でしたか?また、変身はしなかったんですが……。

 私、こう言った人間関係の込み入った話が好きな方なものですから、どうしても話が膨らんでしまって……orz

 ともあれ、今回で日常パートは本当に終わりなので、次回こそは確実に変身します……本当ですよ!!

 

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 では、また次回お会いしましょう!

 

 

 


 
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