No.479549

黄泉姫夢幻Ⅰ

闇野神殿さん

同人誌で発表しておりますオリジナル小説シリーズ「黄泉姫夢幻」の1巻目を試験的に全文公開致します。続きが読んでみたいなど、ご意見ご感想等ありましたらどうぞよろしくお願いします。

2012-09-04 00:11:19 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:1020   閲覧ユーザー数:1020

 プロローグ

 

 あたしはずっと夢に見ていた。

 あの人のこと。

 一度も出会ったことがないのにずうっとあたしの心のいちばん大事なところに住んでいたあの人のことを。

 お兄ちゃん。

 あたしのお兄ちゃん。

 あたしが死んだときにずうっとあたしの手を取って名前を呼んでくれたお兄ちゃん。

 あたしとあたしが一人になったときから、彼のことがずうっと頭から離れたことがない。

 そう。元々のこの身体の、そして半分の心のあたし、根本夜見子。

 そして、いっぺん死んでこの身体に入ったもう半分の心のあたし、洋子の。

 血の繋がっていない実のお兄ちゃん。

 もうすぐ逢える。ううん、逢いに行く。

 夢に見ていた、夜見にみていた彼のところへ。

 

 * * *

 

「……なーんて思ってたワケなんだけどねェー」

 あたしは大きくため息をつく。でも、まあ、うん、お兄ちゃんのこたァいいのョ。お兄ちゃんのことは。だって、だってさー、この街来て初めて実物のお兄ちゃん見たとき……マジで胸がきゅーん、って鳴った気がしたもん。

 つーか、ほとんど一目ぼれみたいな感じョね。元々好きではあったけど、改めて一目ぼれし直したっつーの?

 それに、その後のことにしたって、知れば知るほどお兄ちゃんのことどんどん好きになってく。まあアレよね。よくラブコメ漫画なんかでホントは好きなくせに素直になれないー、みたいなンってよく見るけどさ、アレって何かしら相手に屈託があるせいで素直になれないワケでしょ?

 例えばなんかで相手に幻滅したとか、でもホンネは好きだとか何とか。最近よく聞くツンデレ? ってやつみたいなの? 

 けど、別にあたしの場合お兄ちゃんにそんな幻滅も屈託もぜんぜん無いわけだし、なーんの問題もなくお兄ちゃん大好きなワケよね。だいたいさー、本気で好きだったら、余計な意地張ってツンケンなんてしてるヒマなんてないっつーのョ。ひょっとして、明日なんて無いかもしんねーのョ?

 それ考えたら、逡巡なんてしてねーでアタックあるのみ! よね!

 ま……そりゃ、あんまりあたしの方からベタベタしたり抱きついたりなんてなー……流石にちょっと照れくさいっつーか恥ずかしいからそこまではしないけどさ。

 だ、け、ど、さー。

 うん、これだって考えてみりゃーあたしがウカツだっただけって言っちゃえばまあそりゃそうなんだけどさあ。

 まさか、すでにお兄ちゃんの周りにあたしの恋敵が居るだなんて思ってなかったっつーのョ!

 第一章 根本夜見子

 

 俺の前に彼女が姿を現したのは、ある夜のことだった。

 俺はそのとき、追われていた。そう、突如として俺の目の前に顕現した文字通り正真正銘の『鬼』に。

「はぁ……はぁ、ぜぇ……」

 俺は月明かりだけを頼りに雑木林を走る。柔らかい腐葉土に靴底が沈み込み、木の根や枝が足に絡みつくようにして俺の体力を奪ってゆく。

 何故こんなことになったのか。心当たりは……僅かながらではあるが、実は無いこともない。

 実は、俺は、幼い頃に妹を亡くしている。

 名前を洋子といった。ある日突然に高熱にうなされ出し、悪夢に魘されながらその幼い命を散らしたのだ。死の床で、必死で俺の手を握り返しながら、『鬼がくる、鬼がくるよ』と言いながらついに力尽きた妹。

 その胸、心臓のあたりにくっきりと浮かび上がった鬼の手の形の痣。それは、妹の死とともに、まるで獲物を捕らえて満足したかのように消えていった。

 医師の治療も祈祷師の祈祷もなんの効力ももたらすことはなかった。

 それからというもの、俺は、幼心にどうにかして妹の死の理由を知りたいと思い、オカルティズム、魔術、神秘学、神智学、人智学、心霊主義、超常現象、民俗学、心理学などに関心を抱くようになった。膨大な文献や資料を読みこなすために勉強もした。そういった体験をした人や、事件の現場などで取材も行った。いくつかの事件には直接かかわり合いを持ったこともある。

 やがて、俺の周りに奇妙な現象が起こるようになった。どうやら、俺は以前から多少の……本当に多少のだが霊感があり、つまりは軽度の心霊体質だったようで、それもあってか深夜に奇妙な気配を感じたり、金縛りに遭うなどということが起こり始めるようになった。無論のこと、眠りの浅い状況下で起こる生理的な原因での『金縛り』については熟知しているし、そちらの体験もあるため、霊的な『金縛り』とははっきりと区別も出来ている。

 他、電話の混線、ガリガリといったノイズの混入、郵便の混乱、異常な偶然の連鎖といった、オカルトなどにのめり込んだ人々がしばしば経験する現象が周囲に発生し始めた。もっとも、この手の現象は多くの場合反映的な現象であり、当人が不安、恐怖を感じるほどエスカレートしていくのが常であり、判っていればどうということはない、と受け流していたところ、やがて沈静化していった……というのがつい最近のことだった訳だ。

 だから、いずれまた次の段階として、何らかの現象が起こるようになるんじゃないか、ということは想定していないでも無かった。まさか、その次の段階でいきなりこれとは想像も出来んかったけどなド畜生!

 

 その『鬼』は学校の帰り、委員会活動のため帰りが遅くなり、いわゆる『彼は誰刻』、『逢魔が刻』、などとも言われる頃。夕刻、人の姿が曖昧となり、『彼は誰』なのか曖昧となる時刻。『魔に逢う』とも言われるその時刻に突如として俺の眼前に現れた。

 いつものように帰り道をショートカットしようと足を踏み入れた雑木林、その中の、ごく細い……とてもではないが、どんな小柄な人間でも到底隠れられる余地などないような立ち木の影から、そいつはその巨体をぬっ、と出現させ、俺の方へその目を向けた。

 気の弱い人間なら、それだけですくみあがるか、下手をするとそのまま失神しかねない程のそれは殺意。純然たる殺意そのものがその視線には込められていた。そいつは、赤い銅の……金属色の肌を持ち、頭には二本の短いが太く、骨がそのまま突き出たような角を生やしていた。岩のような筋肉を持ち、虚ろな眼窩から殺意だけを放射している。

 俺の方へ向き直るや、ゆっくりと歩き出し、目の前に生えていた立ち木の一本を無造作に薙ぎ払う。ばきっ、という音を立てて簡単にへし折られた木を見るや、俺はくるり、と踵を返し、とっととその場を逃げ出すことにした。

 

 ……などと、まるで俺が落ちついて対処したかのように思われるかもしれないが、その時の俺は、半ばパニックを起こしかける頭にどうにか最低限の冷静さを必死で保ち、もつれかける足を操ってどうにか『鬼』から逃れるべく死に物狂いになっていたのである。

『鬼』は、俺の方へ向って真っ直ぐに歩いてくる。走ることはなかったが、巨体からくるコンパスの差、木々を避けながら、あるいは足を取られながら走る俺に対して障害物など物ともせず一直線に向かってくる『鬼』は、少し引き離したかと思えばまたすぐにその差をあっさりと詰めてくる。

 奴は素手ではあったが、その両腕だけでも十分に金棒同然の威力を持っていることは容易に判る。それにしても……いくら逃げても雑木林から出ることが出来ないことが不可解だった。かれこれ数十分は走っているであろうにもかかわらず、真っ赤な空の色がそのまま変わっていない。相変わらず『逢魔が刻』のままだ。学校帰りに見慣れているはずの雑木林はどこかよそよそしく、虫や野鳥の鳴き声も聞こえない。

 ……どうやら、この雑木林から出るためには、奴をブッ殺すか、俺がブッ殺されるかするしかないらしい。あまりにも唐突にわが身を襲った事態に天を仰ぎたくもなるが、ンなことしている暇などあろー筈もない。全く分の悪い勝負にも程があるってモンだ。ドチクショウめ。

 

 †

 

 ……あたしは、どうしようもない胸騒ぎに導かれるように、初めて来たこの街の、初めて来たこの雑木林へとやって来ていた。

 なにかが変だ。こんな、昼間だったらちょっと離れれば一目で全体が見渡せそうなくらい小さな林なのに。

 見たところ、何が起こっているわけでもなさそうなのに。

 あたしは、何故か今ここで、お兄ちゃんが危険な目に遭っている、ということをほとんど確信していた。

 ……だったら、あたしは行かなくちゃなンない。そうして雑木林に足を踏み入れた途端、何か、すべてがおかしくなったよーな異様な感覚があたしを襲う。小さいハズの林がまるで無限の広さになったかのよーな錯覚。いや、振り返って背後に見えたのは、さっき来た歩道じゃなく目の前に広がるのと同じ林の光景。

 まァいいわ。どーせお兄ちゃんを助けるまでァ引き返すつもりなんてこれっぽっちもねーンだから!

 

 †

 

 俺は、少し奴を引き離せたところでいまだしっかりと手に持っていたカバンからカッターナイフを取り出した。もちろん、こんなモンが直接奴に対して有効な武器になるなんてこたァ欠片ほども思っちゃいない。俺は、ここでようやくカバンを捨て、代わりに手頃な長さ、太さの枝を拾い上げた。そこで奴の気配を背後に感じ、カッターナイフと棒だけを手にし、再び逃避行に移る。

 焦るな、焦るなよ俺。こちとらまだやらなくちゃいけねェことを何一つ成し遂げちゃいない。そぉ簡単にくたばる訳にゃあいかねーんだからな……。

 

 少し走っては、カッターナイフで固い枝を少しずつ削り、追いつかれそうになってはまた走る。神経も体力もごっそりとそれとともに削られてゆくがやむを得んだろう。そうやって俺は杭……というか即席の手槍を作り上げてゆく。こいつが今の俺にとって唯一の命綱となる。慎重に、確実にやり遂げないといけねェ。あとは、いつどうやってこいつを奴の急所……いったい何処だろうねえ……にブチ込んでやるかってことだ。難問にも程がありやがるぜドチクショウ。

 まあ、たとえばこれが吸血鬼とかだったら心臓だろ。とはいえ、あの分厚い胸板の筋肉突き通して心臓に届かせられる気がしねぇ。となると……頭か? つーても俺より頭二つ分は余裕で高い相手の頭にどうやってブチ込んでやるか。投げるなんてな論外だ。外したりしたらそれでジエンドでハイそれまでよ。威力だって乗せられねぇ。となると、あとは……捨て身で行くしかねーってこと……だな。くそ。

 

 何度目かの作業の末、どうにか枝の先端を実用になりそうな程度に尖らせることが出来た。あとは仕上げとして……。

 

「汝が上に、御国と力と栄えあれ、永遠に、かくあれかし!」

 

 右手の人差指と中指を揃えて伸ばす『剣指』で十字を切りながら、俺は力ある言葉を空間に刻みつけるように『振動』させる。

 これは、カバラ十字の祓い、といい、儀式魔術の際、周囲の穢れを浄化し、『聖別』を行うためのものだ。おっと、だからっつーて、別に俺は実は魔術師だとかそーゆー訳じゃない。超常的な存在を相手にする以上、物理的な手段以外に少しでも効果が上がる手段があるならやっとこーってだけのことだ。だが、俺のささやかながらの心霊体質を介し、真剣に意志を込めることで、何もしないよりは絶対にマシになるはずだ。いや、こいつで絶対にヤってやる。俺はこの場を生き伸びてやる。

 俺は、完成した杭と、大ぶりな石をひとつ拾い上げ、このふたつを強く握りしめて奴の前へと姿を見せた。

 

 こんないきなり訪れた死と隣り合わせの状況だというのに、奇妙に頭の中がクリアになる。覚悟を決めたせいか、肚が据わったというべきか。これまでに関わったいくつかの事件でも似た感覚を味わったことはあるが、今回は特に著しい。

 問題は、奴がどう出てくるかだ。殴りかかってくるか、掴みかかって来るか、それとも突進してくるか、あるいは蹴りかかってくるか。俺は、さっきまでの追ってくるときの奴の動きから考えて、ひとつの選択肢に賭ける。

 奴……『鬼』は、いきなり目の前に飛び出してきた俺に訝しげな反応を示した(ような気がする)が、絶対的なまでに力の差がある者の余裕だろう、そのまま構わず俺の方へ、少し早足になりつつ向かってくる。そして邪魔な立ち木を薙ぎ払うのと同じように、俺の頭を薙ぎ払おうと……けっ、予想通りにも程がありやがるぜ。普通の人間様舐めてんじゃねえや。

 俺は、唸りをあげて振り下ろされる腕を間一髪で避けながら、杭で振り下ろされたその腕を逆に薙ぐ。

「!?!?!?!」

 声にならない叫びを上げる『鬼』。俺自身も驚いたことに、杭の先端で奴の腕は切り裂かれ、しゅうしゅうと焼かれたように煙を上げている。カバラ十字による聖別の効果だろう。だが、無論それはそれだけのことでしかない。この傷は、単に奴を怒らせただけである。

 ……そして、それこそが俺の狙いだった。

 怒りにまかせ、猛然と掴みかかろうと襲ってくる『鬼』

 奴の姿勢は前かがみとなり、俺の肩と同じくらいの位置に頭が来る。俺は、真っ直ぐに杭を持った右手を奴の左目にカウンター気味に突きたてた。

「!!!!!」

 さっきとは比べ物にならない絶叫。まだ、もう一発!

 左手で握った石で、奴の目に突き立った杭を思いっきり打ち付ける!

 がきいん、と音を立て、杭が奴の頭蓋を貫通する。やったか!?

 ぶぅん。

 そんな唸りを上げて奴の腕が再び振りまわされる。もっとも、狙いもへったくれもない、苦痛にうめいたブン回しだ。しかし、なんてこった、杭で頭ブチ抜いてもまだ生きてやがるのか……!

 そのとき、奴の腕が薙ぎ払った立ち木が、膝立ちで身構えていた俺の方へとブッ飛んできた。

「ん……な!?」

 思わぬ出来事に慌てるが、茂った枝葉がパラシュート代わりになって、思わぬ軌道を通り俺に直撃する。

「ぐぁ……っ」

 それほどの重さという訳ではないものの、勢いがついていることもあり、想像以上の衝撃が身体を震わせる。俺は、木の下敷きになり、たまらず地面に転倒してしまう。

『鬼』の奴は、荒げた息をようやく整えると、俺の方へと憎悪に満ちた片目を向ける。杭にブチ抜かれた左眼窩には、いまだ聖別された杭が突き立っており、しゅうしゅうと煙を上げてその周囲が焼けただれているが、少なくとも今すぐの致命傷にはなりそうになかった。

 俺は、必死で身体の上に載った立ち木を退かそうとするが、奴の突進に間に合うとは思えない。だが、俺はそれでも奴の顔から眼を離そうとはしない、いや、最後まで離してやるものか。最後の最後まで抵抗してやる。簡単に殺されてやると思うんじゃねえぞドチクショウ。

 そのときだった。

「お兄ちゃんに何しやがンのョ! こンの化け物!」

 突如として夜気を切り裂くように響く声とともに、俺の目の前に立ちはだかった『鬼』が突然青白い炎に包まれる。

 空ろな穴のような両目を大きく見開き、喉も張り裂けんばかりの絶叫を上げる。

 見ると、『鬼』は炎の中で次第にその体躯を縮ませてゆく。それは、焼けているというよりも、紅茶に落とした角砂糖のようにぐずぐずに融け崩れていくようで。

 やがて、『鬼』の身体が原型を留めなくなるほどに崩れ、小さくなるとともに、その背後に隠れていたものが俺の目に飛び込んでくる。俺は、その少女を見た途端、先ほどの『鬼』に負けず劣らず大きく目を見開くことになる。

「よ……洋子?」

 洋子。俺の幼い頃死に別れた、たった一人の妹。

 物心つくかつかないかの頃、『鬼の祟り』に遭い、幼い命を散らした洋子が……いや、洋子の面影を色濃く感じさせる少女、というべきか……。

 毛先がひざ裏くらいまで届くほど長く伸ばした真っ直ぐな黒髪。艶やかで、まるで夜空の色のような綺麗な黒髪。前髪の生え際あたりからぴょんと一房上に撥ねているのがちょっとした愛嬌になっている。

 その髪と同じ色の大きな瞳。すこしつり目気味だが、ぱっちりとして仔猫のような愛らしさを持つ、それでいて意志の強そうな目。その上に細く、すっと長く伸びた眉。もっとも、今は怒りの表情のためきつくつり上がっているが。

 白く、だが健康的なピンク色をその下に隠した肌、まだ小さいがすっと通った鼻筋、小さな口と柔らかそうな唇。

 見たところ小学生中学年くらいだろうか? 身長は一四〇センチも無いだろう。それでも細くしなやかな手足や指、腰などは女の子らしさをはっきりと感じさせ始めている。

 青いデニム地の上着とミニスカートの上下に赤いTシャツ、紺色のオーバー二―ソックス、頭には赤いカチューシャを着けている。洋子の面影を持っていること、ハッと目を惹かれずにはいられない程の美少女であることの他は、本当にどこにでもいるような活発そうな女の子の格好だ。

 そう、その右手指が『鬼』の背中であったであろう箇所に突きたてられ、その唇に『鬼』を融かし崩した炎がするする、と吸い込まれていることを除けば、だが。

 やがて、炎の最後の一片までが少女の唇に吸い込まれたとき、彼女の足元に残されたものは、ぐずぐずに崩れた腐肉の残骸でしかなく、それも数瞬の後には塵となって風に吹き散らされ、跡形も無く消え去っていた。

 少女は、ぺろっ、と唇を赤い舌で嘗め、ふふっ、と笑みを浮かべる。その笑みは一見無邪気でありながら、どこか妖艶でさえあり、彼女の正体が判らない今は、服装の普通さとはあまりにかけ離れていることのミスマッチも相まって、ある意味不気味でさえある光景だった。

 そして、彼女は俺に対して向き直り、満面の……心からの歓びを耀くような笑顔に載せてこう言った。

 

「お兄ちゃん、ただいま。あたし……還って来たよ!」

 第二章 根本夜見子・二

 

 うーン、一体なにが悪かったンかしらネ……。お兄ちゃんのピンチにサッソ―と現れて化けモンやっつけたンはいーけど、あんな風にお兄ちゃんに警戒されちゃうなんて……。

 あの後……お兄ちゃんをあの化けモンから助けた後のことは、あたしとしちゃやっぱりちょっと悲しかった。

 あたしンことを『洋子』に似てるってことァ認めてくれたものの、警戒心バリバリで「お前、何者だ……」だもん。あー、でも、考えてみりゃそりゃそうかもね。確かに死んだはずのあたし……『洋子』が死んだときよか育った(年齢の割に育ってないとかゆーのはナシな)姿で現れて化けモンやっつけるトカ、どー考えてもフツーじゃないわよねフツーじゃ。

 でも、あんときゃお兄ちゃんのピンチ助けンのに夢中だったし、助けたら助けたで、お兄ちゃんに逢えた嬉しさが先に立っちゃって、思わずあんな風に呼びかけちゃったンだもん。しょーがないわョね。はァ……。

 ううー、でもお兄ちゃんカッコ良かったよぉー。あの化けモン相手にしても、もちろん敵うはずなんでなくっても一歩も退かず、何とか反撃の機会をうかがって、しかもあんな風に痛烈な一撃をくらわして。ホント……怖くなかったのかしら。ぶっちゃけ、アレが無かったらあたしだってあんな簡単にあいつを『喰っちゃう』なんてこた出来なかったァよ? あンときのダメージで出来たアイツの『構造』の綻びがあったから、そっから不意打ちに干渉して『吸収』出来たんだから。

 まあ、あんなコトしたンはあたしとしても初めてなんだけどネ……。あんとき、ヤツを目の前にして、お兄ちゃんを助けなきゃ、って思った途端、不意に頭ン中にやり方が浮かんできたのョね。実のトコ、あたしには昔っから不思議な力があって、小さい頃は感情が高ぶったりすっと周囲のものが燃えたりはじけ飛んだりとかってことがあったりしたのョ。まァこれはだんだん自分の意志で制御できるようになったけど。

 他には、夢でお兄ちゃんのコトが断片的に判ったりトカ。ホントに断片みたいに閃くだけなんだけどネ。お兄ちゃんがこの街に住んでンの知ったのもその夢でなんだけど、断片の情報コツコツとメモって積み上げて、よーやく調べが付いたンがつい最近だったのョね……。

 けどまァ、今までだって、『発火』くらいァ出来たけど、化けモンの『構造』の綻びに『発火』で口火を付けてそいつの全エネルギーを吸収しちゃえるだなんて……考えてみりゃとんでもねー能力なんじゃね? ホント、あたしって何なんだろ……? 今回はそれでお兄ちゃん助けられたから、まあ良しとしとくとしてもね。

 と、ともかく、明日はちゃんとお兄ちゃんに会って、あらためてきちんとあたしンこと判ってもらうんだ。落ち込んでる場合じゃないわョあたし!

 

 †

 

 俺は、あの後さすがに後悔の念に襲われた。

 あのとき、いくら異常な状況下とはいえ。

 仮にも自分を救ってくれた相手に、あの夜見子という子に「お前、何者だ……」などと言ってしまった後の、あの満面の笑顔がみるみる曇っていく様を……あの、ひどく傷ついた顔を見てしまったせいなのは言うまでも無いだろう。

 あの『鬼』があの子によって滅ぼされ(喰われ?)た直後、そこからほんの数歩のところに落ちていた俺のカバンを拾ってくれ、おずおずと差し出してきたあの子。

「あの……お、お兄ちゃん……こ、これ」

 そう、何か怖がるように俺の目を上目づかいで見上げ、ふっ、と目を逸らしたあの子。俺も、さすがにあの顔を見てしまっては思わずとってしまった厳しい態度を改めざるを得なかったが、あの子を怖がらせてしまったことには違いなく、かけるべき言葉を探しているうちに、

「あ、あのね、あたし……信じてもらえるかどうかわかんないけど、はんぶんだけ、お兄ちゃんの妹の洋子、なんだ……いまのあたしは、根本夜見子っていうんだけど……何て言ったらいいのかな、半分だけ、洋子の心を持ってるの……って、上手く説明できないや」

 と、にわかには信じられないながらも、真剣な面持ちで彼女は呟いた。

「ぁう……ご、ごめんなさい、また……また来るから!」

 と、最後にそう言って、制止する間もなく、彼女は俺のそばから走り去って行った。

 

 打撲だの筋肉痛だのの痛みに耐えながら、どーにかその日の授業を終えた、放課後の帰り道。

「……」

 うろうろ、きょろきょろ、ひょこひょこひょこ……。

「……なにやってるんだろう?」

 あの、根本夜見子って子が、俺の住んでる下宿の前で、俺の帰って来た方向とは逆の方向を伺いながら、実に挙動不審なご様子を見せておいでになられていたのだった。

 ぴょこぴょこと頭を揺らすたびに撥ね毛が一緒にぴょこぴょこ揺れるのがなんだか微笑ましい。それにしても、俺の来た方を振り向きもしないで、もじもじしたり背伸びして遠くを伺ったりしてるのは何なんだろう?

「おーい?」

 と、背後から声をかけてみた途端。

「ぴゃああっ!?」

 なんて素っ頓狂な声をあげて跳び上がったのだった。

「お、おおおおお兄ちゃん? え? なんで?」

 驚きのあまりか、路面にぺたんこと座り込みながら、俺の方を振り返ったりさっきまで見てた方を見直したりしながら慌てた声を上げる夜見子。まあ……なんとゆーか憎めない感じの子なのは間違いなさそうだな、と思った。

「えっと……あ、あれ? こっち? あっち?」

 どうやら、俺の帰って来る方向を勘違いしていたらしいな。つーか、どうして俺の下宿の場所知ってるんだ?

「……で、こんな所で何をしてるんだ?」

 と尋ねるが、

「……あ」

 また叱られたみたいな顔でしゅんとしてしまう。う、いかん、また厳しげな言い方になってしまったか。

 俺は、表情を和らげて言い直した。

「……ごめん、怒ってるわけじゃない。どうしてここに来たのか聞きたかっただけだから。あと……昨日ちゃんと言えなかったけど、助けてくれてありがとうな。君がいなかったら、俺は死んでいたと思う。本当にありがとう」

 彼女の頭に優しく手を置きながら、俺はそう心からの言葉を伝えてあげた。

「あ……」

 彼女の顔が幸せそうな微笑みで耀く。

「ほん……と?」

「ん?」

「ホントに……あたし、お兄ちゃんの助けになれたんだよね?」

 その『お兄ちゃん』は気になるが、助かったこと、感謝していることに嘘偽りなどあろうはずがない。

「ああ、本当だよ。ありがとう」

「良かった……」

 そう言って、彼女はようやく初めて逢ったときの満面の……名前とは裏腹なお日さまのような笑顔を見せてくれた。だが、これで話を終わりにする訳にもいかない。これから、彼女には大事なことを訊かなくてはならないからだ。

「でも……君には、いろいろと話を聞かなくちゃならない。その……洋子のこと、とかな」

 なるべくきつくならないように、だけどきっぱりと俺は伝える。彼女も、恐らく初めからそのつもりで来たのだろう。表情を少しこわばらせながらも、はっきりと頷いた。

「そうだな……どこかゆっくり時間を取れるところ……そこの公園じゃダメか?」

 俺は、下宿のすぐ近く、ここからも見えるくらいの場所にある公園を指差した。

「お兄ちゃんの部屋じゃ……ダメ?」

 おそるおそる上目づかいで尋ねてくる夜見子。

「それとも……まだ信用してくれてない……から?」

 少し沈んだ顔で付け加える。

「い、いや! そういうことじゃなくて、だな。あ、会ったばかりのお、女の子を部屋に連れ込むなんてのはだなごにょごにょ……」

 俺としてもこれは最後まではっきりと口に出し辛く、言葉を濁してしまうが、さすがに真意は彼女にも伝わったようだ。

「あ……ご、ごめんなさい、そ、そりゃそーョね、ぴぃ……」

 彼女も真っ赤になって納得してくれた。ああ良かった……?

 とまあそんな訳で公園へと足を運ぶ。幸い人気もなく、屋外とはいえ、人に聞かれたくないような話もしやすい状況が用意できたことになる。俺は、ベンチに向かおうとしたが、思い直し、二つ並んだブランコの方へ行き、片方に腰かけた。

 夜見子の方も、すぐに俺を追いかけて来て、もう片方へと腰かける。

「それで……だな、君が言っていた、自分が『半分だけ洋子』だ、ってのを、もう少し詳しく話してもらっていいかな?」

 僅かに腰かけたブランコを前後に揺らしながら俺は訊く。

「……うん。信じてもらえっかどーかわかんないけど、ホントなの。えっと……ね、あたし、小さい頃、寝室からさらわれて行方不明になってたトキがあるんだって。そんでね、しばらくして戻って来たとき、あたしは『ふたり』になってたの。つーか、多分そんときにそうなったはずなの、って言うべきなのかな?」

 夜見子は、両手でブランコの鎖を握って俺よりは大きく、だがそれほどではなく揺らしながら訥々と話し始める。

「そーね……洋子の記憶の方で言うなら、あたしが死んだ後……どっかトンネルみたいなのを通って……なんかおっきな光が見えた……と思ったら、今の身体に入ってた……ってゆーのかな?」

「生まれ変わり……とは違う……のかな」

「うーん……あたしもちっちゃい頃だったから、そんな詳しく覚えてるわけじゃないんだけどネ……夜見子だけだったトキってのも、あったのは覚えてンのョ。すっごくちっちゃい頃のことだろーけど。でも、ほとんど物心ついたときには、ずっとこの身体で過ごしてきた夜見子と、もう一つの記憶……洋子の記憶の両方がたしかにあたしン中にあったの。そして……洋子の記憶の中で、いちばん印象に残ってた……ううん、いちばん大切な記憶だったンが……」

 そこで、俺の方を見て、頬を染めながら、

「ずっと苦しんでたあたしの手を握りしめて、あたし……洋子の名前を呼んでくれてた男の子のコト……お兄ちゃんの……コトだったの」

「……」

 ……やべぇ可愛い……とかいう場合じゃないが……。ともかく、この子が真剣に話してくれている、というのは俺にも伝わって来ている。だが、とはいうものの。それでも。

「……正直に言うとだな、俺は、まだ君の言うことを全面的に信じることが出来ない」

「うん……そうョね、そりゃそーよね……」

「出来れば……信じてやりたいって思う。君が悪い子じゃない……っていうか、むしろ良い子なのは……だな、なんつーか、すごくよく判るし、俺の願望としても、信じてやれればどれほど良いかって思う」

 俺は少し顔を赤くしながら続ける。

「でも……それでも、すぐには信じられない。気持ちの整理が出来ない……って言う方が近いのかもしれないし、悪いとは思うけど……な」

「……ううん、そりゃそうだと思う。あたしも、ここ来るまではすぐ信じてもらえるってなんとなく思い込んでたかも。でも、ンなわけないわョね……こんな、自分のことだから当たり前みたいに感じてたけど、こんな話、フツー信じらんないわョね。お兄ちゃんは悪くない。うん、悪く……ない……から。ぐしゅ……」

 いつしか俯いていた夜見子の顔の下の地面に、ひとつ、ふたつと濡れた跡が出来ていった。俺は、そんな彼女にかけてやる言葉を見いだせず、ただ、勝手な言い分かもしれないが、それでも、ずっと傍にだけは居てやりたい、と思った。

 こんな、会うたびにこの子に酷いことを言ってしまう自分に嫌気がさしてきそうになるが、それでも、こんな俺にこんな風に好意を寄せてくれているこの子に惹かれ始めているのも、否定することが出来なかった。俺は……本当は彼女の言うことを信じているんだろうか? それとも信じていないんだろうか?

 

 そして、俺は果たして彼女が妹であって欲しいと思ってるんだろうか? それとも……。

 正直なところ、自分でもよく判らなかった。

 第三章 根本夜見子・三

 

「ね、お兄ちゃん、こんどの日曜、一緒にどっか遊びいかない?」

 あれから数日、お兄ちゃんの学校帰りをつかまえたあたしは、意を決してそうお兄ちゃんに切り出した。

 ええい、これでも精いっぱいの勇気振り絞ってンだかんね? でも、お兄ちゃんの答えは、

「悪いな、その日は用事があるんだ」

 とつれない感じ。ううー、壁を感じるよお。やっぱ……まだあたしンこと信じてくれてないのかなあ。あたしがたしかにこの前初めて出会った根本夜見子だけど、あたしの心のはんぶんはお兄ちゃんの妹の洋子でもあるってこと……。

 と、あたしが精いっぱいのお願いを断られたことと、まだ信じてもらえないことの両方に、ちょっと沈んだ気持ちでしょげ返っていたのを眺めてたお兄ちゃんが、こう言ってくれた。

「……はあ、判ったよ、日曜は駄目だけど、その次の祝日でよければ……」

 その言葉にどんよりと曇ってた気持ちが一気に晴れ渡る。

「ほ、ホントに!?」

「ああ、ホントほんと、だからそうしょげないでくれ」

 はうー、お兄ちゃん優しいよう……。

 あたしってばこれだけでもう天にも昇る気持ちになってしまう。安いオンナとでも何とでも呼んでちょーだい。別にお兄ちゃんが好きなんだからトーゼンのことなんだもん。

 

 †

 

「……で、こうなるわけだ」

「あ、はい、わかりました。やっぱりお兄さまに教えていただくとすごくわかりやすいです」

「……そうか?」

 でもってその日曜日。俺は、昔からの知り合いである、カメちゃん……亀井三千代ちゃんという、俺よりひとつ下の、中学三年生の女の子のところへ家庭教師のバイトにやって来ている。夜見子の誘いを断ったのは言い訳でも何でもなくこのためだった。

 やや小柄で、大人しくて女の子らしいやわらかな雰囲気を持った子だ。

 髪は真っ直ぐな黒髪を長く伸ばし、ゆるやかな三つ編みにまとめている。前髪は向かって左側にやや大きく流し、右側だけを大きめの髪留めでとめている。今も付けているが、どうやらカメさんデザインのものがお気に入りらしい。目はややたれ目気味だが、彼女の性格そのままに優しい光をたたえている。もっとも、ちょっと……というかかなりの近視のため、小ぶりなレンズの眼鏡をかけている。

 それにしても、俺のことを『お兄さま』と呼ぶのはどうにかならんのかこの娘は。いや、慕ってくれてるのは嬉しいんだけどね。

 なんでも、俺と同じ高校を志望しているとのことで、在校生にして(自分で言うのもなんだが)それなりに成績のいい俺が見込まれたってわけだ。元々知り合いでもあったしな。実際、幼なじみ……というほどではないが、昔から彼女のご家族にはいろいろと良くして頂いている。その関係で、今回のバイトを別にしても、カメちゃんの勉強を見て上げたりしたことは度々あった。もっとも、彼女は結構成績はいいので、受験に関してもそれほど心配は必要ない気もするが。

 それにしても、もう外はすっかり寒い季節だというのに、この部屋はよく暖房が利いているというのか、いや、暑いとまでは言わないが、彼女がノースリーブのゆったりしたワンピースで平気な顔で過ごせる程度には暖かい。彼女は、身体を締めつけたり重かったりしない、わりと軽くゆったりした服装を好むようで、毎年のことだが早めに暖房を入れて、部屋ではこんな風な軽装で過ごしたがる傾向がある。だが……。

 ふと、近視のせいかやや前傾姿勢で机に向かう彼女をふと横から見たとき、俺の目に飛び込んできたものがあり、俺は一瞬固まった。

 ゆったりとしたワンピースの脇。ノースリーブ、というか……単に袖がないだけでなく、むしろ肩を幅広のストラップで吊っているのに近いデザインのため、前傾したりすると、その……服の中身がかなり覗けてしまうのである。しかし、だ。それだけならまだいい。問題は、彼女が身体を締めつけるようなものを好まない、という点にある。

 つまり……彼女は、私服のとき、特に自宅にいるときは、ほとんどブラを付けることが無いのである。必然的に、そんな状態で脇から覗けてしまうものといえば……彼女の、あまり大きくない……というよりかなり控えめながら、それでも女の子らしいふくらみはハッキリと描き始めている、まあ要するに……。

 カメちゃんの……む、胸が。しかも、その先端の淡く色づいた―までが……。

 ハッキリと、俺の網膜に焼き付いてしまったのであった。

 正直、ホントについ最近まで子供だと思っていたカメちゃんに、こんな風に女の子を意識させられるとは思っていなかった。全くもって不意打ちにも程がある。考えてみりゃ、それにしたって一つしか歳違わないんだけどな……。

 俺は、顔を真っ赤にしてぎぎぎ、と首を動かしてカメちゃんの顔に視線を移す。ところが、カメちゃんと来たら平気な顔で問題集に集中していたりする。ぜ……全然気が付いてませんですョこの娘……。

 ちら……。ちら……。い、いかん、駄目だ、ダメだ俺、気付いてないからって、いや、だからこそこれ以上見たりしちゃダメだろ俺。だが……どうしても視線はカメちゃんの胸の方へ行きたがってしまう。俺は理性を総動員してその衝動に抗っている。

 うう、ここは指摘してやるべきなのか、それとも見ないふりしてやるべきなのか……。

「どうかしましたか、お兄さま?」

 俺の不審人物っぷりを怪訝に思ったのか、カメちゃんが顔をあげて尋ねてくる。うゎあい、カメちゃんの無垢な信頼の瞳が今の俺には痛いのですよう。

「その……だな、カメちゃん、み、見えそう、だから」

 果たして、自分の胸元を見下ろしたカメちゃんは、ハッと気付いて真っ赤になる。

「あ……あの、お兄さま……み、見えちゃい……ました?」

「い、いや見えてない見えてない! 見えそうになってたから、な?」

 この場合『見えた』とはさすがに言えませんでしたがこの俺のささやかな嘘をどうかお許し頂けますと幸いでございます。

「はぁぅうー……」

 胸元を押さえて顔からぽっぽと湯気が出そうなくらい真っ赤になるカメちゃん。いつの間にこんな女の子らしい顔出来るようになったのかなあ……。

 ところが、その後のカメちゃんの行動は、俺の想像を真っ向から裏切るものだった。何故かぐっ、と両の拳を握りしめると、頬をほのかに染めたままで、なんとさっきと同じ姿勢になって問題集の続きを始めだしたのだった。

「え、ちょ、か、カメちゃん? いやだから、見え……そうに」

 俺はさすがに慌てて言う。

「で、でも、い、今はお勉強のお時間……ですし。それに……お、お兄さまにだったら見られても……」

 後半がほとんど聞き取れないが、俺だったら……見たりしないって信じてくれてるのかな? うう、無垢な信頼が痛い。

 その後はどうにか理性を失わずに勉強時間を終えることが出来(まあ少々予定のペースは狂ってしまったが)、よくあることなのだが、食事を頂いて帰宅することになった。

 だが、亀井家の玄関を出る俺を見送ってくれるカメちゃんが、ふと足元に落ちていた紙片を拾い上げ、それを見た瞬間表情が硬くなったのを、そのまま大したことはないと見逃してしまったことを、俺は後悔することになった。

 

 †

 

「お兄ちゃん、ドコ行くの?」

 約束の祝日。お兄ちゃんと約束の場所で待ち合わせしていたあたしは、約束の十分前にやって来たお兄ちゃんに駆け寄ると(ちなみにあたしァ一時間前に来てました。だって嬉しかったンだもん)、ちょっと恥ずかしかったけど、思い切ってお兄ちゃんの右腕を抱くようにしがみついて、甘えるように……コレもあたしらしくないカモだけど、気持ち的には嘘じゃないし思い切ってネ……訊く。

「お、おい夜見子ちゃん」

 お兄ちゃんが戸惑うようにあたしの名前を呼ぶ。困ったような……でも拒絶するような雰囲気はないと思う。あ、困った感じだけど笑ってくれたし……。

「そうだな……夜見子ちゃんはどんなとこに行きたい?」

「……お兄ちゃんの行くトコならドコでも良いァよ……なんて言っちゃうとヤッパ困るわよネ?」

「ま、まあな……でも、それなりに考えては来てるからそんなに心配しなくていいよ」

「そ、そお? それじゃネ……ゆ、遊園地とか?」

 やっぱデートの定番のひとつョね?

 すると、お兄ちゃんはホッとしたような顔で、

「そ、そうか。実はちょうど家主さんからタダ券貰ってな。誰も誘う相手とか居なくて困ってたんだ。丁度いいよな、うん、丁度いい」

 と言ってくれる。

 ……もちろんそんなコト真に受けるよーな空気嫁もとい空気読めないあたしじゃない。家主さんから貰ったとかまではホントーだろけど、きっとお願いして貰ってくれたんだろーくらい察しはつくァよ。けどそんなこと言うのもそれはそれで空気読めてないかンね。

「ホント? それじゃ決まりョね? えへへ……お兄ちゃんと遊園地ー」

 って、嬉しいって気持ちの部分だけ素直に出すのがいちばんョね!

 

 †

 

 夜見子が素直に喜んでくれたのを見てホッとする俺。無理言って新聞の販促チケット譲ってもらった甲斐があったかな。まあ、向こうの方も使い道には困ってたつーてたし、俺が女の子誘う(実態としては誘われた、だが)なんて珍しいから行って楽しんできなさいって感じで、(相手の年齢以外)事情話したらむしろ積極的に押しつけて来てくれた。本当にお世話になってます。

 まあその辺の事情はさておくとして、少し恥じらいながらも僅かな躊躇いを置いて、思い切って俺の腕にしがみ付いてきた夜見子の仕草が愛らしくて思わずどきっとしてしまった。

 うう、どー見ても小学校中学年くらいの子に何考えてんだろーね俺。

 まあ……夜見子は俺のこと『お兄ちゃん』って呼ぶんだし、仲良し兄妹だと思って……もらえるよな?

 もちろん、『妹』に関しての俺の複雑な心境はとりあえず置いておくとしても。

 

「そういえば夜見子ちゃんはどうやってこっちに来てるんだ?」

 道すがら疑問に思ってたことを訊いてみる。

「ん、電車で二十分くらいで来れるのョ。お兄ちゃんの住んでっトコうちからもそんなに遠くないのはラッキーだったァね」

「でも大変じゃないのか? 無理ってほどでなくても往復考えるとそれなりだろ」

「んー、お兄ちゃんに会えると考えれば全然へーきだァよ。ずっと……ちっちゃい頃からずっとお兄ちゃんに逢えるンを夢見てきたんだもん。どってことないわ」

 そう言って笑った夜見子の顔は、心からの幸福感に耀いていた。

 こんな風に俺のことを慕ってくれているこの子に、未だに複雑な思いを捨てきれない自分が、なんだかひどく冷たい人間に思えてしまう。

 だが……幼い頃に妹……洋子を喪ってから、ずっとそのことに、やり場のない怒りとも憎しみともつかない気持ちをかかえ続け、オカルト研究の原動力としてきた(いまでは俺自身の興味も決して少なからずあるのだが)俺としては、突然自分のことを『妹』だ、『洋子』だ、と言って現れた女の子のことを素直に受け入れろ、と言ってもそう簡単にはいかないのである。

 この夜見子という女の子が本当に洋子の心を半分でも持っているのか、その真偽を別にしても、彼女が俺の中である意味聖域といってもいいところに位置する『洋子』の存在を冒瀆しているような気持ちさえ、時に沸いてくることを抑えることが出来ないでいた。もし、この子が単に『根本夜見子』とだけ名乗って現れたのなら、単に妹によく似た女の子として素直に受け入れられただろうか?

 

 ともかくも遊園地である。さすがに祝日だけにそれなりの人出はあるものの、楽しむのを大きく阻害するほどでもない。

 ジェットコースターだのフリーフォールだのの絶叫マシンにきゃーきゃー言いながら連続して乗りまくって楽しむ夜見子。最初「身長制限とか大丈夫か?」なんて冗談で聞いたらさすがにぷんすかしていたが、乗り始めたら夢中でふくれていたことなどすっかり忘れていた。

 とはいえ……流石に五~六回立て続けに絶叫系マシンにばかり乗り続けとゆーのは正直参ったので、ここいらで休憩させて頂くことにした。

「あー楽しかったァねー」

 ベンチに座って、俺の買ってきたソフトクリームを美味しそうに食べながら笑う夜見子。まあ、この顔見れただけでも連れて来て良かったかな……。俺の内心の蟠りは別にして、素直にこの子を見ていれば、本当に良い子だってのはすぐ判る。俺だってそのくらいは判っている。

 つーか……むしろ可愛くて仕方ないとさえ思い始めているような。胸の奥をちくりちくりと刺してくるこの蟠りさえ無ければ。本当に厄介なものだ。

「ね、次ァ何に乗る?」

 夜見子が目を輝かせて周囲を見回す。うう、流石に絶叫系は少しお休みさせて頂きたく思う所存なり。

「そ、そうだな……たまには目先変えてみないか? 例えば、そう、あれなんかどうだ?」

 俺の指差した先を見て、何故かぴしっ、と固まる夜見子。そこにあったのは……。

 

「お化け……屋敷?」

「ホーンテッドハウスってやつだな。ここのは結構よく出来てるって評判だし、入ってみるか?」

 と、何気なく誘ってみるが……。

「そ、そーね……で、でももーちょい、ほら、あっちのバイキングとか……」

「あ、ああ、でも俺はバイキング苦手でな……絶叫系は少し休ませてもらえると助かるし」

「そ、そぉネ……、お兄ちゃんがそう言うなら……ぴぃ」

 てなわけでホーンテッドハウスに入ることにしたのだが。

「ひゃあっ、ぴぃ……」

 さっきまでの元気な叫び声とはまるで違う気弱な感じの悲鳴が横から。しがみついてくる力もかなり本気な感じだ。確かに仕掛けとかホログラフとかふんだんに使われたこのホーンテッドハウスは俺が見てもなかなか怖い。とはいえ……。

「ひょっとして……お化け苦手?」

 正直意外ではある。あの『鬼』を『喰らった』というか『吸収した』というか、そんな子がまさかお化け屋敷で怖がってるなんてなかなか想像し辛い絵面ではある。

「ふひゃん、ぴゃ……う、うん、ちょっと……ちょっとだけ……」

 まあどう見てもちょっとだけっつー感じではないが。

 よくあるように、スキンシップの口実として怖がってるフリをしているようでもない。どう見てもマジ怖がりとしか思えない。

「ほら、大丈夫大丈夫。俺がついてるんだから、な」

 そう言ってやると、また少しぎゅっと強くしがみ付いてきて、

「うん……」

 と小さく少し安心したような声がした。

 

 †

 

 こ……怖いよう……。あたしは昔っからお化け、っていうより幽霊が苦手なのだ。鬼門って言っていい。どーしてそうなんかは……いまは秘密。

 それでも、お兄ちゃんの腕にしがみ付いてっと少しは怖さもやわらいでくれる。おかげでいくらかは余裕も出て来たワケだけど……こ、コレって考えてみりゃーすっげーチャンスなんじゃない? ここで思い切ってお兄ちゃんとのカンケーを一気に進めるセンザイイチグーの大チャンスョ! こ、怖いけど……ガンバレあたし!

 あたしは、お兄ちゃんの腕をぐいっと一層抱きしめて自分の胸に押しつける。うきゃあああ……ぴぃ、なんかあたしとんでもねーコトしてるァよね?

 もーアタマぐるぐるして顔熱いし恥ずかしいし。心臓のドキドキがお兄ちゃんの腕に伝わっちゃいそう。まァあたしの抱きついてンのはお兄ちゃんの左腕だから、押しつけてンのは右側だし、さすがにそこまではいかないかな?

 とはゆーものの、恥ずかしさとドキドキでもうアタマから湯気が出てそーだァよ? もー周りのコトなんか目にも入らないし……なんて思ってたら。

 がたこん。

 多分、このホーンテッドハウスのクライマックス的な仕掛け。それが……。

 

 †

 

 ……っておいおい、夜見子のやつ、こんなに胸押しつけて来て……。

 いくら、最低限小さい女の子の身体に備わってる以上の柔らかさは全くぜんぜん一切これっぽっちも無い、なだらかな平地のような胸だからって、まがりなりにも女の子の胸をこうまで押しつけられて落ちつけるほど俺は人間が出来てはいませんよ?

 うう……よ、夜見子の心臓の鼓動が微妙に伝わって来てるし……。夜見子の方も結構ドキドキしてるのかな?

 ……というところで。

 がたこん、と大仕掛けが俺たちの目の前で作動する。

 さすがの大仕掛けにぎゅっと目を閉じていた夜見子も思わずそっちを見る。

「ぴゃあああああああーっ!」

 夜見子が、ちょっと独特な悲鳴を上げて、今度は俺に正面から抱きついてくる。それも、俺の身体をよじ登るように俺の頭を真正面から抱くようにしてだ。

「お、おいおいおいおい、夜見子ちゃん、それじゃ前が見えない、危ないっての」

「ぴゃわあああああーん!」

 聞いちゃいねえ。しかも、ずり落ちそうになるとまた俺によじ登って……なんてやってるから、俺の顔が夜見子の胸とかお腹とかに押しつけられるわこすりつけられるわもみくちゃにされるわでこっちの方もいろんな意味で冷静でいられなくなってくる。

 ずるっ。

 ……っておいおいおい、しゃ、シャツが……夜見子の赤いTシャツの裾がめくれあがって!

「ぴゃあああーん、お兄ちゃーん!」

 よ、夜見子の白いお腹が、おへそが直接俺の目の前に……

 幼いながらに肉付きの薄い、ほっそりとした腰回り。すべらかで肌理の細かい肌。可愛らしいおへそ……。

「お、落ちつけ夜見子ちゃん、こ、こら、そんなに頭抱え込んで、ば、バランスが」

 いくら小柄で軽い夜見子とはいえ、人ひとり分の重さはそれなりであることに違いは無い。かといって転倒したりしたら夜見子が怪我をしてしまうと思えばそう簡単に倒れるわけにもいかないし、夜見子がもがいているので座り込むことも難しい。どうにか立ってバランスを取るしか……。

 ずるっ。すぽん。

 不意に視界が閉ざされる。

「……え?」

 頭に袋でもかぶったような……え? 赤いシャツの布地が……顔にお腹とは違う……お腹より少し固い、平たい……。

 少し暗さに慣れて来た目の前にあったのは。つんと突き出た小さな小さな可愛らしい……。

 

 さ く ら ん ぼ。

 

 そしてそれが夜見子の動きとともに、目の前に来たり、あろうことか直接顔に触れたり……。ちょ、ちょ、ちょ!

 いくらなんでもこれはシャレにならなさ過ぎだってのー!

「お、落ちつけ、頼むから落ちついてくれー!」

「ぴゃあああーっ!」

 しかし、仕掛けによる驚きから立ち直ったら立ち直ったで、この現在の状況を認識したことによる新たなパニックに襲われた夜見子なのであった。

 

 †

 

 ふにゃあ……え、エラいことになっちゃったァよ……。

 そ、そりゃあ、お兄ちゃんにアピールするつもりではあったケドさ、まさか、直接む、胸をお兄ちゃんの、か、顔に……。ううー、しばらくお兄ちゃんの顔見られないよぅ。

「み……見た……ァよ……ね?」

 ホーンテッドハウスを出て、ベンチに並んで座る。あたしは、半分泣きそうになりながら、お兄ちゃんに尋ねる。

「み、見てない見てないから! しゃ、シャツの中だし暗かったし!」

 とは言ってくれてるけど、たとえ見られてはいなくても、お兄ちゃんの顔に直接触れちゃってたことは間違いないのョね。さ、先っちょ、とか……(なんの、かは聞かないでお願い)。は、恥ずかしくて死んじゃいそうだァよう……。

 まァ……嫌なわけじゃ……ない……けど、ね?

 うん……お兄ちゃんに、だし。

 ……あ、『嫌じゃない』って自覚したら少しだけ落ちついてきたみたい。うん……そ、そーョね、お兄ちゃんにだもん、そりゃ恥ずかしいことはもうこの上なく恥ずかしいけど、嫌じゃ……ないもん……ね。

「お、お兄ちゃん……」

「な、なんだ?」

「その……パニクっちゃって、ゴメンね?」

「あ……いや、しょうがないだろ……こっちこそ、なんつーか、ゴメン」

「……ううん、えっとネ……お兄ちゃんにだから」

「え?」

「お兄ちゃんにだから……いいの……ョ」

 消え入りそうな声だけど、どーにかそう伝える。我ながらとんでもネー発言だとァ思うけど。

「気にするな……とは、言えない……よな?」

 ま、まァね……でも。

「でも、あ、あたしとしては……むしろ気にしてほしい……かも」

 顔赤くしながら、ぼそっ、とそう呟いた。

「え?」

 あたしは、ようやく気を取り直せたんで、まだ顔はあっついケド、お兄ちゃんの顔を見てにかっ、と笑った。

「えっと……ネ、恥ずかしかったケド、嫌じゃ……なかったかンね、お兄ちゃん」

「……な!?」

 お兄ちゃんの真っ赤になった顔。ちょっとだけ、可愛いなんて思っちゃった。

 

 てな感じで、まあイロイロあったケド……いっぱい遊んだ後の締めはお約束だけどやっぱし観覧車……ョね。

 季節がら日が落ちンのも早いだけに、だんだん西の方が赤く染まり始めてる。さっきまで走り回ってた遊園地の様子が高いトコから一望できて、楽しかった充実感と、ほんの少しの寂しさで胸がいっぱいになる。

「楽しかったか?」

 お兄ちゃんが優しくそう聞いてくれる。

「うん、もっちろんョ!」

 あたしは何のためらいも無く即座にそう答える。

「また……遊んでくれる?」

 あたしはお兄ちゃんにそう尋ねる。

 彼は少しだけ迷ったみたいだけど、

「ああ、もちろん」

 と言ってくれる。やっぱ……まだ完全にはあたしに気持ち許してくれてないんだな……とは思ったけど、落ち込んだりなんかしないもん。少なくとも、間違いなく昨日までよりお兄ちゃんとの距離は縮まったって思うもん。まだまだこれからョ、うん!

「あ、あのネ」

 あたしは、向かい合って座ってたトコから揺れすぎないよう気をつけてぴょこん、と立ち上がり、お兄ちゃんの横に座り直す。

「ん?」

「ちょ……ちょっとダケ、じっと……してて?」

 そう言って、中腰に立ちあがってお兄ちゃんのほっぺに顔を近づけて……きゃー。

 あたしの唇がほっぺに触れそうになったとき。

「え?」

 とお兄ちゃんの顔が反射的にあたしの方を向く。え?

 ちゅ……。

「よ、よよよ夜見子ちゃ……?」

 お兄ちゃんが真っ赤になってうろたえる。

「あ、あああのごめんなさいあのあのほっぺにしよーと思っただけなのでもあの……」

 えェいここまで来ちゃったらオンナはどきょーョ夜見子、思い切って行ったんさい!

「ごめん……ね。でも、お兄ちゃん大好きだから……えへへ」

 ちょっと顔がにやける。恥ずかしいケド嬉しさが止まんないんだもん。

 第四章 亀井三千代

 

 そろそろ本格的に夕暮れ近く。夕焼けで真っ赤に染まった街をお兄ちゃんと手を繋いで歩く。腕組みもいいけど、手と手が直接触れ合ってる手つなぎも良いァよね。えへへ……とか思っていると。

「……カメちゃん?」

 お兄ちゃんの訝しげな声がする。

 見ると、公園の入り口近くのトコに、女の子がひとりたたずんでいた。小さめなレンズのメガネをかけた、あたしに負けないくらい長い髪を、ゆるやかな一本の三つ編みにまとめたとっても綺麗な子。誰……なんだろ。お兄ちゃんの知り合い?

 まさか……カノジョとかじゃ……ないわよ……ね?

 と思うなり、彼女はあたしらを誘うように公園の中へと入って行った。

「……誰?」

 すこし不安になったあたしはお兄ちゃんに尋ねてみる。けど、そんな不安をよそに、

「いや……知り合いの子だけど」

 と、どうっていうことは無さそうに答えてくれる。けど、胸騒ぎはますます大きくなってくる。

「ついてこいって言ってたみたいな感じだけど……」

「そうだな……どうしたんだろう」

 そう何気なく公園へと足を踏み入れた途端。

 ……この感覚には覚えがあった。そう、あの化けモン……お兄ちゃん言うトコの『鬼』をやっつけたトキ、あの雑木林に足を踏み入れたトキとおんなじ感覚だ。

 

 †

 

「この感覚は……結界か? どうしてこんな所に結界が張ってあるんだ、それにカメちゃんが何故?」

「お兄さま」

 俺たち三人以外は誰一人居ない公園の真ん中で、夕日を浴びて立っていたカメちゃんが声を発する。俺は、理由が不明なまま背筋にぞくり、と冷たいものが走るのを感じた。

「お、おにーさまって何ョ? あんた何お兄ちゃんのコトおにーさまとか呼んでやがンのョこら!」

 逆上した夜見子がカメちゃんに悪態をつく。

 ……いや問題はそこか?

 カメちゃんは流石に眉をひそめて言う。

「お兄さまはお兄さまです。小さい頃からこう呼ばせて頂いてますもん。今さらどうこう言われる筋合いはありません、黄泉姫」

「よみひめ? 誰ョそれ、まさかあたしのコトとかゆーんじゃないでしょーネ? あァん?」

 妙にドスの効いた声で夜見子が言う。

「ひ……も、もちろん貴女です、黄泉姫」

 あ、一瞬びびった。

「おい、カメちゃん、一体どうしたんだ? この子……夜見子が一体どうしたって言うんだ」

「ひゃう……よみこ、だって……初めて名前呼び捨て……えへへェ……」

 ……あのう夜見子さん?

 どーにも緊張感が長続きしないがまあそれでも異常事態であることには違いない。

「彼女……黄泉姫は私たちの結社にとって重要な存在です。私は、導師より彼女を捕らえるよう指令を受けました」

「……結社? なんだそれ、指令とか一体なんなんだ、カメちゃん」

 訳のわからない事態に俺はカメちゃんを問い詰めるように質問を発する。

「小さい頃から……私の導師となってくださっていた方からの指令です。拒むわけにはいきません」

「導師だって? 一体なんの導師だっていうんだ」

 とさらに訊くが、実のところ俺にはこの時点である程度の目当てはついていた。

「私の……霊能者としての導師です。小さい頃、寝室に現れて、定期的に私の秘められた霊能を伸ばすため導いてくださった方です」

秘めたる師(ヒドン・マスター)ってやつか……あるいは寝室の侵入者ケース……」

「……あたしの場合に似てるみたいだァね……あたしン場合は誘拐されたワケだけど……つーことは、あたしを小さい頃ユーカイしたんが、そのどーしとかゆー奴かその仲間だっつーコト?」

 夜見子がそう言うと、カメちゃんは少し目を丸くする。

「察しの良い方ですね……その通りです」

「導師ってのは……何者だ?」

「それは……言うわけに参りません。ごめんなさい、お兄さま」

 と目を伏せて申し訳なさそうに言う。

「だけど、夜見子が一体どうしたって言うんだ? 捕らえるとか、この子を一体どうしようって言うんだ」

「詳しいことは聞かされていません。けれども、彼女はいちど死んだ女の子の魂と生きている女の子の魂とを、ともに霊的素養に優れたふたりの女の子の魂を人為的に合一させた『霊的改造体』だと聞いています。その力が結社のために必要なのだそうです」

「れーてき……かいぞーたい?」

 意外な形で明かされた自分自身の秘密に茫然とする夜見子。

「心当たりがあるはずです。貴女には、普通の人間とは違う特殊な力があるはず。その力を結社のために役立ててもらうためにと、私に指令が下ったんです」

「そりゃ……あッけどサ……だからってハイそーですかとか言うと思ってンの? あ?」

「ふぇ……い、言うとは思ってません。だから……強引にでも導師のもとへお連れします」

 夜見子の声色にビビりつつも、カメちゃんは三つ編みを留めていた紐を解く。

 長く綺麗な黒髪がふわっ、と解けて拡がる。と、カメちゃんの頭のあたりの髪がぴょこっ、と撥ねあがる。

「え、ナニ?」

 夜見子がその様子を訝しげに眺めている。

 ぴょこっ、と再び撥ねた髪が、ネコミミのような形となり、次の瞬間、黒く大きなものがカメちゃんの頭……髪から飛び出てくる。

「ね……ネコ?」

 それは、カメちゃんの髪と同じ色をした、大型の黒豹ほどはありそうな巨大な黒猫であった。だが、飛び出た後のカメちゃんの髪には、あんなに大きな黒猫が飛び出てくる前と変わった様子は無い。

 ……うん、ネコだよなあれは。デカいけど。黒豹……とかみたいな感じじゃない。

「にゃー」

 ……ほら、にゃー、って。

「……ほ、ほら、ノワ、しゃんとして、ノワ」

 格好良く呼び出したものの、当の黒猫は……だらけ切っていた。

 ふにゃー、と締りない声で鳴いたりぐーっ、と思い切り伸びをしたり毛づくろいをしたり。ノワってのはこいつの名前か? さしずめ『黒』から取ったってとこかね?

「あーん、しっかりしてってばノワぁー」

 カメちゃんがでっけえ黒猫の背中をばんばん叩く。それでようやく黒猫……ノワが夜見子の方を見る。ネコはネコなりに肉食の獣ならではの鋭い瞳で夜見子を見据える。さっきまでのだらけっぷりが嘘のようだ。何と言ってもデカいし。いや、体躯の大きさだけでなく、俺の目にもノワに秘められた力の大きさは容易に見て取れる程だ。

「えっと……こ、こほん。こ、この子……ノワは私が今まで少しずつ蓄積してきた霊力で創り出した人工的精霊(エレメンタルズ)です。この子の力で……貴女を捕えます、黄泉姫」

 カメちゃんは、今までに見たことも無いような厳しい(彼女的にはそのつもりではあろう程度の)瞳で夜見子に言った。

「……ふん、やれるモンならやって見やがれっつーの。簡単に思いどーりになるなンて思ってンじゃねーわョ」

 夜見子が怒りに燃えた瞳でカメちゃんをにらみ返す。

「ひゃ……ふぇ」

 ……つーか思い切り気押されてますが。

 

 †

 

 ううー、黄泉姫……あの子ってば、お兄さまと遊園地で、で、デートだなんて……私だってデートなんてしたことないのに……はっ、そ、そーじゃなくて。

 ヤキモチ焼いてる場合じゃない。ともかく、あの子を捕らえなくては。

 私は、ノワと意識を同調させてゆく。

 

 †

 

「夜見子、あぶない!」

 お兄ちゃんの声に咄嗟の反応が間に合った。黒猫……ノワって奴が突然あたしの方に跳びかかって来たのだ。

 あたしは、思い切り右手の方へ横っとびしてノワの爪を逃れた。好きこのんで小さいワケじゃねーけど、この場合は幸いと言っていい小さい身体をさらに小さく丸めて転がり、その勢いのまま起き上がって、カメとかゆーオンナとノワの両方を視界に捉えられる位置で身構える。あたしだって何も好んで戦いてーとァ思わねーけど、売られたケンカは買ってやンだかんね。

 あたしは、右手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、その先端へ意識を集中する。これは、あたしが小さい頃は不安定だった発火能力を自分の意志で抑えるンに自力で学んだ方法だ。

 少なくとも、これ覚えてからはあたしの意志に反して発火が起こるよーなことは無くなったし、ある程度自分の意志の制御下に置けるよーになる。

 ンで、これで何が出来るかっつーと……。

 あたしは、体内の『火』の気を集中させ、ぷっと口から小さな火の玉を吹く。目の前に浮かぶ火球を伸ばした剣指(お兄ちゃんに教えてもらった呼び方なのョ)で指揮をするようにあたしの意志を込める。と。瞬時にして爆発的に膨れ上がった炎が、二メートルくらいはあろーかという巨大な人の姿を取る。

「……あのときの」

 お兄ちゃんが呟く。そうョ。あンときあたしが喰らってやったあの化けモン、お兄ちゃんが『鬼』って呼んでたヤツ。まだあたしン中である程度の形を残してたんで、外に出してやったのョ。ただし、完全にあたしの意志で動くんだけどネ。

「ふぇ……こ、こんなの聞いてません……」

 おービビってやんの。だけど容赦なんてしてやる義理ァないわね。

「とりあえず、二度とあたしとお兄ちゃんに手ェ出そーなんて気は起きないよーにしてやンだかんねオラ!」

 あたしは、剣指をカメ子の方へと向ける。あたしの意志に従い、『鬼』がカメ子の方へ突進していく。ぶっとい腕を振り上げてブン殴ろうとするけど、

「ひゃあん」

 主人のトコへ戻っていたノワがカメ子の襟首を銜えてゴーインに避けさせる。

「避けてンじゃねーわョカメ子!」

「だ、だれがカメ子ですか! わ、わたしの名前は亀井三千代っていうんです!」

 ……あ、そーなんだ。苗字の方なンね由来。まあどーでもいいわ。

「待てっつーのお前ら!」

 あたしとカメ子の間に飛び込んできたのはお兄ちゃんだった。

「お兄ちゃんどいて! そいつブッ飛ばせねーから!」

「お兄さま、お願いですから下がってください!」

「そんなワケいくか! お前らなにやってんだ!」

 お兄ちゃんがあたしたちを怒鳴りつける。真剣な声で。だけど、頭に血が上ったあたしはそれを聞こうとはしなかった。

 

 あたしは『鬼』を操ってカメ子を追いまわさせる。

「ふぇ、ひゃ、ふゃあああー」

「ちょ、コラ、待ちやがれっつーの!」

 カメ子はノワに襟首銜えられたまま振りまわされて気の抜けるよーな悲鳴を上げて、それでも風車みたいにブン回される『鬼』の拳から逃れている。

「こン……のぉ」

 あたしは『鬼』へより力を送りこむ。炎の揺らぎのようだった『鬼』の姿が次第に実体化し始め、かなり固体化されてきてる。

「よせ、夜見子! それ以上ヤツに力を与えたりしたら制御が効かなくなるぞ!」

 お兄ちゃんの声もアタマに血が上った今は耳に届かない。逃げ回るカメ子を一発ブン殴ることしか頭に無くなったあたしは、さらにもう一段……。

 

「な……なに?」

 がくん、と膝が崩れる。一瞬、全身から力が吸いだされるように失われる。すぐに一旦は持ち直すけど、ずず、ずず、とあたしの力が引きずり出されるように抜けてゆく。

 ……どこへ? 認めたくァないが、あの『鬼』の方へだ。それにつれ、まだ多少曖昧さを残していた『鬼』の輪郭がくっきりと形を成しはじめ、より実体に近づいてゆく。

 ぶるっ、と身体に震えがくる。体力とか……生命力とかがアイツの方へと奪われているみたいだ。

「……っ、はやくその『鬼』を再吸収するか切り離しなさい、黄泉姫!」

 カメ子が焦ったように言うのをあたしは遠くからの声のように聞いた。

「く……ンなろー……」

 あたしは指剣を振り上げて『鬼』に言うことを聞かせようとするが、腕が重い。

「自己流であんな無茶な力の使い方するから……いけない、このままじゃ暴走します、わ、私の言うことなんて聞きたくないのは判ります、でもお願い、はやく……」

「夜見子、無茶するな! カメちゃんの言うことを聞くんだ!」

 そうお兄ちゃんが言う。カメ子なんかの肩持つなんて……そう一瞬だけ苛立ちを覚えたそのときだった。

「え……」

 あたしは、一瞬なにが起きたのか理解することが出来なかった。いや、理解したくなかった。けど、目の前にひろがる光景があたしの襟首を引っつかむように見ろ、これを見ろ。これはお前のせいで引き起こされた出来事だ、いや、お前がしでかしたことだ、と非情なまでにあたしに告げていた。

 宙を舞うお兄ちゃんの身体。その頭から流れる血が空中に……夕日よりなお紅い飛沫を散らした。

 彼の身体は、自分の意志を持たない人形のように地面に落ち、少し転がって、止まった。

 少し離れた場所に、完全にあたしの意志から離れた『鬼』が、振るった右腕を戻すところが見えた。

「……あ」

 声が出ない。

「ノワぁあ!」

 絶叫に等しい声が上がり、黒猫が怒りを込めた前脚の一振りで『鬼』を引き裂き、喉首に喰らいついた。『鬼』は、意外なほどにあっさりと炎に戻り、消えた。

「お兄さま、お兄さま!」

 カメ子がお兄ちゃんのところへ駆け寄ってゆく。あたしは……両膝を地面についたまま、がくがくと震えていた。

 なに……これ、なんで、なんでこんなコトになっちゃったの。あたしは……お兄ちゃんを助けるためあの『鬼』をやっつけて『喰らって』やって……なのに、またあたしが出した『鬼』がお兄ちゃんを……お兄ちゃんを……嘘、嘘……。あたし、なんで、なに……。

「しっかりして、お兄さま……ノワ、お願い、お兄さまを……」

 カメ子の声にノワがお兄ちゃんの頭の傷……側頭部みたいだ……をぺろぺろと舐める。なんだか、ノワの身体が少しずつ小さくなっていくように見える。

「黄泉……夜見子さん、お願い、あなたの力を貸して、お兄さまを……お兄さまを助けるのに、あなたの力を……貸して……くださいぃ、おねがいですぅ……ひっく、えぐぅ……」

「あ……」

 身体に力が入らない。怖い。あたし……あたし……。

「お願いですぅ……でないと、でないと……おにいさまがしんじゃうぅ!」

 びくっ。カメ子のその言葉があたしにショックを与え、少しだけ我に返った。あたしは、震える膝を無理やり立たせて、何度か転びながらお兄ちゃんのもとへ文字通り転がって行った。

「お兄ちゃん、たす……かる……の?」

「わかんないです! でも、このままじゃほんとにしんじゃう……」

 カメ子は、ノワに傷口を舐めさせながら両手をお兄ちゃんの胸に当てて必死で力を送りこんでいる。ノワは動顛したあたしでさえハッキリと判るくらい小さくなってる。もう少し大き過ぎる猫くらいだ。

「お……お兄ちゃん」

 彼をかすれた声で呼ぶ。土気色の顔。右側頭部に大きな裂傷。ノワとカメ子のおかげか血は止まってるみたいだけど……。

「おにいちゃん、へんじして……」

 弱々しい声で呼びかける。その声に何の反応も無かったのを自覚した瞬間、あたしを本当の恐怖が襲った。このままじゃお兄ちゃんを失ってしまう。

 そう思った途端のあたしの行動は自分でも信じられないものだった。

 あたしは、本能的にお兄ちゃんの首にかじりつくように抱きつき。口と口を合わせた。唇を重ねた……なんてそんなんじゃなく、口うつしであたしの力をぜんぶお兄ちゃんに捧げるために。

「……っ!?」

 カメ子の動揺する気配が伝わってくるけど、あたしのしてること判ったんだろう、何も言わずお兄ちゃんの胸……心臓に力を送り続けてる。

 でも、カメ子も顔が真っ青になってきてるし、ノワに至っては普通の猫より小さいくらいになってきてる。あたしも……さっきの『鬼』に逆に吸い取られてるからただでさえ普段より消耗してるくらいだ。でも……みんなお兄ちゃんに自分の全てを捧げるつもりで全力で力を送り続けている。

「お兄ちゃん、ごめんなさい、お兄ちゃん……」

「お兄さま、目をあけてください、お兄さま……」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、おきてよう、おにいちゃん……あたしをぜんぶあげるから、おねがいだからめをあけて、おにいちゃん……」

 

 †

 

 呼んでいる。誰かが俺を呼んでいる。カメちゃん? 洋子? それに……夜見子?

 呼んでいる。俺が洋子を呼んでいる。必死な声で。俺……だよな。まだ小さい頃の俺が洋子を呼んでいる。

 カメちゃんと夜見子が俺を呼んでいる。

 小さい頃の俺が洋子を呼んでいる。

 現在と過去が重なり合う。洋子の……夜見子の記憶が俺に流れ込んでいるんだろうか。

 洋子の顔が。俺の大事な妹が俺を呼んでいるのが見える。

 夜見子の顔が入れ換わるように重なる。洋子と夜見子の顔が重なりながら入れ換わる。俺の、俺の、大事な……?

 俺はゆっくりと手を伸ばす。俺の、一番大事な存在に向けて……。

 第五章 根本夜見子と亀井三千代

 

 あたしの手に触れる感触。弱々しいけれども、それでも確かな意志であたしの手を握りしめる手。

「……おにいちゃん?」

 お兄ちゃんの手が、あたしの手を握りしめていた。うっすらとだけど、目を開けてあたしの顔を見てくれていた。あたしの頬を今まで抑えていた涙がぼろぼろと転がり落ちていく。

「お兄ちゃん!」

 あたしは、再びお兄ちゃんに抱きつき、生まれてからこのかたこんなに泣いたことなんてないくらいに泣いた。

 

 †

 

「二人の……声が聞こえた。二人が呼んでくれたから、戻ってこれたよ」

 まだ完全に明瞭とはいえないが、次第に晴れて来た意識の中で俺は二人に言った。

「夜見子さん、ありがとうございます……私たちだけでは、お兄さまを助けられませんでした」

 カメちゃんが言う。

「お礼なんて……そもそもあたしが悪いんだもん。あたしが調子に乗っちゃったせいでお兄ちゃんを傷つけて……あんたが励ましてくれなきゃ、あたしはあのままなんにも出来なかったわ。お礼を言わなくちゃいけないのはあたしの方ョ……」

 夜見子が彼女らしからぬ沈んだ様子で言う。

「いいえ……私が……こんな風に貴女を連れ去ろうだなんてしなければ、こんなことに最初からならなかったんです。いくら導師の命だって、聞いちゃいけないことは聞いちゃいけなかったんです。それに、きっと、私、夜見子さんに嫉妬していたんだと……思います。だから、こんなことを……」

「あんたァ、それでいいの? なんかマズいコトになっちゃうんじゃないの?」

 夜見子が心配そうに言う。

「そうかも……知れません。でも、もう迷いませんから。いくら恩のある導師の命でも、こんなことはしちゃいけないんです。だから……もう夜見子さんを狙ったりなんてしません。これからどうなるかは……判りませんけど」

「カメ子……ううん、三千代……さん」

「夜見子さん?」

 はじめて夜見子がカメちゃんの名前をちゃんと呼んだ。

「ンな弱気なこと言うんじゃねーわョ。これから……お兄ちゃんのコトまかせなきゃいけねーってのに……」

 真っ直ぐにカメちゃんの目を見て言い終えた後、夜見子は目を伏せる。

「……え?」

「だって……こんなコトしちゃったあたしがこれ以上お兄ちゃんのそばになんて居られないし……悔しいけど、あんたに任せるしかないじゃないのョ。あんただったら……他のヤツよりちったァマシだと……思うし」

 夜見子の目に再び涙が浮かんでくる。……ったく。

「おい」

 俺は今の状態なりにドスを効かせた声で夜見子と……カメちゃんに声をかける。

「ふゃい?」

「ぴゃい?」

「勝手なこと言ってるんじゃねーよ。勝手に俺ンとこ現れてかき回しっぱなしで行っちまうなんて、許すと思ってンのか夜見子コラ」

「……お兄ちゃん?」

「カメちゃんも、そこでどーして俺に守ってくれって言わない? あ? そんなに俺は頼りになんねーか? ……まあ、こーしてブッ倒れてお前たちに助けてもらってんだからしょーがねーかも知れねーけど」

 俺は、身を起してぺたんと座りこんでいる二人の肩に手を置く。

「な、小さい頃からずっと妹みたいにしてきた子がマズいことになりそうだなんて、黙っていられるワケねーだろ? 遠慮しねーで俺に頼れよ。どんだけ力になれるかは判らないけど、その……結社か? 魔術結社みたいなものか? それに手出しさせないようにさせるくらい……たぶん、俺になら少しは力になれると思う」

「お兄さま……」

「それに夜見子……あのとき、俺の中に、お前の記憶も一緒に流れ込んできた。洋子を呼んでいた俺の顔が見えた。俺を呼んでくれた洋子の声が聞こえた。俺に命をくれたお前の……夜見子の声も聞こえた。なあ……俺に、二度も妹を失わせないでくれよ……頼むから、な」

 夜見子が俺のその言葉を理解するのに、少しだけ時間が必要だった。

 夜見子の顔にみるみる喜色が浮かぶ。

「……ホント? あたしンこと……妹だって信じてくれるの、お兄ちゃん」

「信じるとか信じないとかじゃない。お前は……夜見子は誰が何と言おうと大事な俺の妹だ。その……だな、洋子だからとかじゃなく、今ここにいる、これからずっと俺のそばにいてくれる夜見子が……だ」

「お兄ちゃん……そ、それじゃ、ね……ずっと……ずっと言いたかったコト、思い切って言っちゃうケド、お、大人になったら……あたしンこと……その、お、お嫁さんに……して、くれる?」

「……」

「…………」

「………………」

「な……なんでそうなるんだちょっと待て落ちつけ夜見子」

 突然の言葉に俺は大いに慌てる。

「そ……そうです根本さんそんな妹とか言っておきながらそんなおよめさんだなんてなんでなんてことを」

 カメちゃんも同様に動揺する。(いやシャレでなく……)

「そ、そうだぞ夜見子さっき妹だって言ったばかりでそんなどんなあんなこんな」

「大丈夫!」

「いやだからなにが大丈夫なんだ……」

「だって、たしかにあたしの心の半分は洋子だけど、身体は一〇〇%根本夜見子だもン、つまりお兄ちゃんと血は繋がってないのョ! だからお嫁さんにだって何の問題も無くなれるンだかんネ!」

「いやいやいやいや問題アリ過ぎだろ! いくら血が繋がってないからって半分は実の妹なんだから!」

「あたしァ気にしないのに……」

「俺は気にするっつーの!」

「わ……私だって気にします!」

 ……ってなんでカメちゃん。

「……ふ……うん、それァあたしへの宣戦布告と判断していいっつーことネ?」

「う……は、はい、わ、私だって……負けません……から」

 語尾はややよわよわながら、それでも最後まで言い切るカメちゃん。え? え?

 夜見子は、にやり、と笑って言った。

「……いーわ、売られたケンカは買ったげる。当方に迎撃の用意アリだァよ。最後に勝つのは……あたしなんだかンね」

「……っ、じゅ、じゅっさいくらいの女の子になんていくらなんでも負けてられません!」

 とカメちゃんが言うが。

「し、シツレーね! あ、あたしこれでも十二歳だァよ、しょーろく、小六ョ! しょーがっこーで一番上なのョ!」

 ……あ、そーなんだ。いやだがそれ俺から見たら大差無いから夜見子。小学生とは流石にヤバいんじゃないかとか思わないでもないとゆーか。

「私は中三ですから。お兄さまとはひとつ違いですし、春には同じ高校へ行くんです!」

 立ちあがってにらみ合う二人。

 いやだから本気で張り合わないでくれカメちゃん。ついさっきまでは協力して俺を助けようとしてくれてたのに……。

「ぬぐぐ……」

「むむぅー……」

「……あらら?」

 かくん、とカメちゃんと睨みあってた夜見子がひざを折った。

「ぅおい、大丈夫か!?」

 俺は慌てて夜見子を抱きとめる。まだ身体が悲鳴を上げるがそんなこたァ構っちゃいられない。ぽてん、と俺の腕の中に転がり込むちっちゃくて軽い身体。

「だ、大丈夫ですか、夜見子さん?」

 カメちゃんも睨みあっていたのを忘れて心配そうに夜見子の顔を覗き込む。

「あ、あはは、ちょっと力抜けちゃって……」

 ちょっと青ざめた顔で、それでも気丈にふるまう夜見子。こんな小さな身体で俺のために一生懸命になってくれたんだな……と思うと愛おしさがこみ上げてくる。も、もちろん妹として、なんだからな。勘違いしないでくれよね? ってなんでツンデレ風ですかー。

 

 エピローグ

 

 春。三月。

「お兄ちゃん!」

 夜見子が、新しく入学するこっちの方の中学の制服を着て、俺の方へと駆けてくる。手には小学校の卒業証書が入った筒。

「お兄さま」

 カメちゃんが、同じ中学の制服を着て……やはり卒業証書の筒を手にたたずんでいる。こちらは四月から俺の後輩だ。

 俺の右側頭部、髪の生え際近くにはまだ傷痕が残っている。夜見子がそれを見るたび悲しそうな目になるので、少し髪を伸ばして隠している。

 春休みが明けたら、夜見子は中学生に、カメちゃんは高校生で俺と同じ学校に通うことになる。

「お兄ちゃん、どぉ? あたしの制服似合ってる?」

 夜見子が下ろしたての制服を胸を張って俺に見せようとする。

 比較的ぴしっとした感じの紺のブレザータイプの制服だ。まあカメちゃんがこれまで三年間着てたわけだから服自体は見慣れているものの、改めて夜見子が着ると意外に新鮮だ。そういや小学校の卒業式では中学の制服で出る子が多かった覚えがある。

「ううー、私は高校の制服で出るわけに行かないのに……」

 カメちゃんがちょっとふくれている。

「そっちは四月からのお楽しみにしとくよ」

 と言ってやると、

「そ、そうですよね、楽しみは後に取っておいた方がいいですものね……」

 なんて言ってたり。

「ナニよ、あたしが前座扱いだとでもゆーの?」

 ああ、今度は夜見子がふくれちゃって。

「ンなことないって。ほら、折角可愛いんだからそう膨れるなって」

「……え、か、可愛い? えへへ……」

 ああ、こんな一言で顔緩ませちゃって……本当に可愛いなァもう。

「まあ、とにかく二人とも卒業おめでとう。四月から新しい学校だけど、しっかりな」

「うん、まっかせといてョ! 放課後毎日お兄ちゃんに会いに行くかンね!」

「……いや、それはそれで嬉しいけど中学での友達の方も大切にな?」

「えっと……お兄さまと同じ委員会に入れて頂いても……よろしいですか?」

「ん? ああ、大歓迎だよ。カメちゃんにも向いてそうだからな」

「こンのぉ、同じ学校だからってお兄ちゃん一人占めなんてさせねーンだかんね!」

 ……って、おいおいおいおい、そんなにしがみ付いて……む、胸が腕に……いや、全然柔らかくないんですけどね? 言ったらタダじゃ済まなさそうだけど。しかし、普段はそんなベタベタしない子だけど、こうやって対抗意識燃やされると周りが見えなくなるよなあ夜見子は。

「そんなことありません、夜見子さんこそ……そんなにお兄さまにくっついて」

 ああ、カメちゃんまでそんな……こ、こっちは控えめながらもふにゃん、と柔らかな感触が、腕に、腕に!

「お兄ちゃん」

「お兄さま」

『これからも、よろしくね!』

 どうやらこれからも、いや、これまで以上に賑やかな日々が続きそうである。

 


 
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