No.472639

竜たちの夢6

桃香との再会と、ちょこっと思春な話です。

相変わらずキャラが崩壊してますので、注意をば


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2012-08-19 22:17:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:6620   閲覧ユーザー数:5695

 鈴が鳴り響く。

 

 

 地獄の業火を纏う馬が進む度にその背中の主の体が揺れ、それに合わせて鈴がチリンチリンとなる。

鈴の音は馬の蹄の音と相まって、酷く不安を駆りたてる音楽を生み出す。

その鈴の音は単体であるならば小気味の良いものである筈が、それを持つ者とセットになった途端に、精神を摩耗させる音へと変わる。

 

 満月が美しい深夜、馬は月明かりに照らされながらも駆けていく。

通常のものよりも二回りも大きなそれは、闇夜の中でさえもその地獄の業火を隠すことなく曝け出し、遠目にはまるで炎が走っているようにすら見えるだろう。

そんな幻のような馬の背中に、彼は居た。

 

 白い鎧で全身を覆う彼の、風に揺れる茶髪の間から覗く血の様に赤い眼が、酷く美しい。

その眼は深淵を想起させ、凝視続けることを躊躇う程に深い赤を宿している。

何処や怪しげで、だが見続けたいと思わせる何かを感じさせるその眼は、鈴の音に合わせて揺れていた。

 

 

「……愛紗。この鈴が気になるか?」

 

「正直に申し上げれば、非常に気になります」

 

 彼が口を開くと、それに合わせて彼の隣に黒髪の女性が現れた。

今まで彼だけのように見えたその空間には、確かに彼女も最初から存在したのだ。

これは隠密技術でも何でもなく、単純に彼――北郷一刀の存在感が大き過ぎたが故の結果である。

 

 愛紗――司馬懿仲達はただ彼の後ろで彼女の愛馬、空蝉を走らせていただけだ。

まるで今まで存在しなかったように見えたのは、一種の錯覚であって、彼女は確かにそこに居た。

その艶やかな黒髪を風で揺らしながら黄金の眼で主を見つめる彼女は、その動作一つ一つが美しい。

 

 

「この鈴は――約束の印だ」

 

「約束、ですか?」

 

「そうだ。守れなかった約束を忘れない為の証だ」

 

「明日、劉備さんにお会いすることと関係があるのですか?」

 

「ああ、その通りだ。言っただろう……約束を忘れない為の証だ、と」

 

 

 愛紗の言う通り、明日北郷一刀は劉備と会う。

 

 そして、一刀が今日になって突然腰につけた鈴は、思春――甘寧との約束の品だ。

一刀が迷った時は思春が彼を見つけ、彼女が迷った時は彼が見つける……そう約束した。

その約束は叶わなかった。彼らは生き別れてしまい、互いの生死すら定かではない。

 

 彼が二度目の死を迎えた日から既に十年の時が経った。

既に漢王朝の力は衰退し、遂に数ヶ月前に黄巾党が発生を始めた為、一刀達は行動に移っている。

十年の間で中国大陸の全土を見て回った彼らは、かつての約束を果たす為に劉備の元に向かっているのだ。

 

 だからこそ、一刀は思春のことを忘れて劉備を代わりに逆鱗にしてしまわない為に、鈴をつけている。

この十年間の間愛紗にすら一度も見せたことすら無いその鈴は、彼への戒めなのだ。

楽な方へ行くことを拒む彼の、不器用な思春への誠意の示し方であり、同時に安易に劉備に縋らず、思春を思い続けることの証なのだ。

 

 

「約束は絶対、ですか。一刀様らしいですね。ですが、約束とは人の心を守る為にあるのです」

 

「ああ、分かっている」

 

「いいえ、分かっていません。その約束を守ることで一刀様が傷つくのならば、その約束はただの枷です。約束の方が生きていらっしゃるならば別ですが」

 

「愛紗……これは楔だ。俺という竜を人間に留めてくれる楔なんだ。だから、取り払う必要は無い」

 

 一刀は十年もの間共に過ごしても尚色褪せない愛紗の忠誠に、微笑しながらも答える。

彼女は思春との約束が彼を縛り付けるだけの枷でしかないと思っていたようだが、彼にとっては違った。

まだ人間だった頃の記憶が詰まった大切な約束は、彼の心がまだ人間のものであることを示してくれる証なのだ。

 

 十年の時を経ても老い処か殆ど変化しない一刀と愛紗には、もはや人間としての要素は心にしかない。

愛紗はまだ人間らしいが、一刀は既に多くのものを失ってしまった。

竜としての彼はもはや天災と言える程の暴力を備える化け物だが、その心はまだ人間に拘っている。

 

 思春という逆鱗を欠いたままでは彼は完全な竜にはなれない。

一刀は彼女への負い目を振り払わない限り未熟な竜のままだ……それを分かっているからこそ、愛紗は劉備へと乗り換えろと言う。

竜になることは確かに価値観を変化させるが、何も別人になる訳ではない。

彼は彼のままであれるのだ。

 

 

「愚かだと思ってくれて構わない。それでも、俺はそうしたいんだ」

 

「……分かりました。それでは急ぎましょう」

 

 一刀は大抵のことならば愛紗の忠告を聞いてくれるが、唯一思春――甘寧のことに関しては頑なに意見を変えない。

 

実を言うと、愛紗は甘寧という存在を知っている。

彼女が既に呉の孫権の臣下となっていることを、彼女は確かな情報筋から知らされていたのだ。

だが、彼女はそれを一刀には教えていない。

甘寧興覇が生きているという確定情報を、愛紗は彼に知らせたくなかったのだ。

 

 

 理由は単純――彼が呉に降る可能性が高いからだ。

 

 

 いかに北郷一刀が劉備玄徳に甘寧以上の安らぎを感じたとしても、彼は一度甘寧を選んだ。

それだけならば、彼の逆鱗を劉備に上書きしてしまえば良いだけのことだが、それもさせてくれない。

彼が甘寧に対して誠実であろうとするのは分かるが、それは彼を苦しめるだけだ。

 

 確かに、彼は呉に行くことで、甘寧という逆鱗を取り戻し完全になるだろう。

しかし、その後は一刀を苦しめる展開が待っているだけだ。

孫呉の理念は彼に合わない……竜という存在を軽視して、彼の心を殺しにかかる。

 

 

「……なぁ、愛紗。この十年で、俺は変わってしまったか?」

 

「確かに、一刀様はお変わりになられました。ですが、その根底は昔と変わりません」

 

「そうか。愛紗……こんな俺について来てくれて、ありがとう」

 

「そんな貴方だからこそ、私は傍に居るのです。一刀様」

 

 

 孫呉が考えているのは飽く迄孫家の百年の安寧であって、この天下の統一ではない。

そんな所に一刀が放り込まれたならば、孫家繁栄の為にその血を求められるのは明白だ。

孫呉に竜を理解している者は居ない……ただ一人、甘寧興覇を除いては。

彼女一人では孫家は止められないだろうし、彼女はそもそもそれが叶う立場ではない。

 

竜は確かに人間とは異なる存在だが、竜と人間の間に子は生まれる。

確かに確立は低くなるものの、妊娠したならば、皆健康体のまま生まれてくるのだ。

ならば、何がいけないのか?――――答えは、その不完全性である。

竜と人間の間に生まれるのは、皆愛紗のように何処にも行けぬ竜だけだ。

 

 ここまで来れば、聡明な者は何が問題なのかに気づくだろう。

不完全な竜は完全な竜を求める。それこそ、生まれたばかりの竜達は親である一刀を求めるのだ。

最初は良い……幼い頃ならば、子は自分の感情に気付かない。

だが、愛紗のように人間の段階から竜に移行した時気づくだろう―――己が父親に抱いている感情に。

 

 そこから先は一刀にとっても、子達にとっても地獄だ。

 

 

 

「一刀様、時には不誠実であることも必要です。それをお忘れなく」

 

「……そうだな。愛紗の言う通りだ」

 

「ですが、女性関係については誠意であることを推奨します。刺されますので」

 

「お、おう」

 

「冗談ではありませんよ? 名のある武官文官は女性ばかりですから、本当にお気を付けください」

 

 

 北郷一刀は竜である。

 

それ故に大部分の人間にとっては恐怖の対象であり、恐怖されこそすれ、求められることはない。

だが、中には竜を異常なまでに求める人間も存在するのだ。

愛紗の知る限りでは、荀攸公達、太史慈子義はほぼ確定で、曹家の誰か――恐らくは曹仁子孝であろう――もその候補に挙げられる。

 

 彼女達は飽く迄王としての北郷一刀を求めている為、どうにかなる。

しかし、問題はこれから会いに行く人物達だ。特に、同一の存在に関しては注意せねばならない。

愛紗は不完全ながらも竜である為問題ないが、その前身はそうではない。

 

 竜は人間の形と心を備えて生まれてきながらも、やがてそこから逸脱していく。

いつの間にか変化していく己に戸惑い、やがて受け入れていくが、それでも人間としての己は捨てられない。

だからこそ、自分の子に求められることに、一刀は耐えられない。

その現実に恐怖し、心が壊れてしまう。

 

 竜は絶大的な力を持ちながらも、何よりも不自由な生き物なのだ。

 

 

「!……愛紗」

 

「!……御意」

 

 ふと一刀から声をかけられた愛紗は、彼が見据えている方向に火の手が見えるのを確認し、空蝉の速度を上げた。

それに一瞬だけ遅れて蜃気楼もまた速度を上げるが、その加速は空蝉の比ではない。

恐らく燃えているのは村であろうが、この速度ならばあっという間に着くであろう。

 

 空蝉と蜃気楼は愛紗が己の血を与えることで生み出した竜馬である。

一刀も既に気づいているであろうが、空蝉と蜃気楼には生殖機能は無く、完全に“竜の足となる為だけに存在する一代限りの馬”だ。

元々二頭共に名馬であったが、千里を一日で走れる程の馬では無かった。

 

 それを、竜の血はここまで変えてしまうのだ。

 

生命としての本能すら書き換えて、竜だけの為に存在する道具に変えてしまうのだ。

特に蜃気楼は、常に一刀の氣を全身に浴びている為、もはや彼だけの為に在る馬になっている。

恐らく、今の蜃気楼はかつてのように愛紗を乗せてくれはしないだろう。

蜃気楼はもはや完全に、北郷一刀だけの為に走り続ける馬なのだ。

 

 

「ふむ……やはり黄巾党のようだな。愛紗、村人の安全の確保を頼む」

 

「御意」

 

 

 燃え盛る炎の中を、黄巾を被った者達が暴れているのを捉えた一刀は更に蜃気楼の速度を上げる。

彼の眼が捉えた黄巾党の数は百余り……小さな村にそこまで数を割くとは、余程自信が無いと見える。

思わず滲み出る苦笑をそのままに、一刀は両手に氣を溜めた。

 

 彼の両手に集まった氣は指に集中して、その先に小刀を生み出す。

一刀はそれを村の周りで誰か来ないか見張っている黄巾党に向かって構えると、そのまま撃った。

一里程の距離から撃ちだされたそれは、寸分違わず見張りの黄巾党全員の脳天に突き刺さり、完全に葬った。

 

 村に侵入される前ならば一振りで全員を真二つにしているところなのだが、今回はそれをすると村人も巻き込んでしまう。

つまり、一人一人殺していくしかない訳だ。

少しばかり面倒ではあるが、一刀ならば簡単にできることは変わりない。

 

 

「まったく……面倒なことだ!」

 

 

 未だ一刀の襲来に気付かない者達を次々と氣で生み出した小刀の餌食にしていく。

その間に蜃気楼は更に距離を詰めていき、ついに黄巾党にも彼の姿が認識できる距離まで来た。

風のように走る蜃気楼は流れるように減速し、背に乗る主が声を上げるのを待つ。

 

 一刀は軽く蜃気楼を撫でながら、それに応えた。

黄巾党と一口に言っても、その中には無理やり参加させられた者や仕方なく参加している者も居る。

そういった者達を奮い立たせる為の演出を彼は行うのだ。

 

 

「我が名は北郷一刀!! 黄巾党よ、その浅ましい行動を恥じて悔やむのならば我が前にひれ伏せ! この蛮行を是とする者は、この刃の餌食となるが良い!」

 

「いきなり出てきて何言ってやがるんだ!! お前ら、やっちまえ!!」

 

「その鎧高そうだな! 置いてけよぉおお!!」

 

「……ふん。ならば、呪え。ここで終末を迎える己の運の無さを!!」

 

 

 一刀の言葉に黄巾党の一部は動きを止めている……その部分に関しては、彼の読み通りの境遇の者達に違いない。

彼らは、一刀が本当に彼らの行く先を任せられる人物であるかどうか値踏みしているのだ。

後は、彼がそれを示せば全て終わる。

 

 彼はすぐに動いた―――それこそ、音が伝わるのと同じ速度だと誤認する程の速度で。

両手に氣を集中させ氣刃を生成すると、彼は一番近くに居た男の首を切り裂いた。

その間に彼を囲む黄巾党達を見て、彼は真紅の眼を細める。

 

 そのまま彼に襲い掛かる者達に対して、片方の刃を伸ばして横薙ぎするだけで、彼の周りの黄巾党は全滅した。

彼の戦い方は元来一人で万、十万の位を相手にする為のものだ……彼を囲もうとした時点で黄巾党の敗北は必至だったのだ。

 

 

「この程度か? 俺を殺してこの鎧を貰う、と誰かが言っていたが……どうする?」

 

「ば……化け物……」

 

「褒めるなよ。照れるじゃないか」

 

 一刀は彼を化け物呼ばわりした者に笑顔でそう言うと、瞬時に氣刃を伸ばして首を刎ねた。

彼に敵対していた者達はこれで全滅、残りは仕方が無く黄巾党に従っていた者達だけの筈だ。

一刀は、神妙な表情で武器を捨てて彼に近付く者達を見遣った。

 

 

「お前達は、黄巾党に参加せざるを得なかった者達か?」

 

「……はい。村を奴らに滅ぼされ、そうしなければ生きていけない状態でした」

 

「成程。それで、お前達はここでは何をしていた? 俺の眼には略奪をしていたようには見えなかったが」

 

「略奪はどうしようもありませんが、女子どもに手を出させない為に動いていました」

 

「ほう……随分と気骨があるな。名は、何と言う?」

 

 

 黄巾党に属しながらも、そのやり方を疑問視する者は案外多いものだ。

一刀はその一部と相対している訳だが、中々どうしてこの代表の者は面白いことを言う。

声からして女性のようだが、随分と若いことが窺える。

 

 黄巾党に属しながらも、その行いを良く思わず所々でその妨害をしていたというのならば、使える。

邪魔をするからにはそれなりの情報を掴んでおくことと、かなりの実力を示しておく必要が出て来るものだ。

 

 この女性は幹部クラスとまではいかないが、それなりの実力を持っていることが予想できる。

一刀としては、劉備には一刻も早く力をつけて欲しい為、この女性の存在は有難い。

 

 

 

「名はございません。黄巾党に加わった時、捨てましたが故」

 

「そうか。ならば、今後は程遠志と名乗れ。ついて来い」

 

「御意。お前達! 我々はこのお方のお蔭で黄巾党から解放された! 今後はこのお方のお供をするぞ!」

 

「「「「「「応!!!」」」」」」

 

 程遠志は演義にのみ登場する架空の人物だ。

関羽に一合も持たずに切り殺されたという所謂噛ませ犬のポジションだったが、この時代に恐らく同名の人物は居ない。

一刀は遠慮なくその名を使わせて貰うことにした。

 

 

「愛紗! この村の被害状況は?」

 

「死傷者が数人出ていますが、建物が燃えている以外には特に被害はありません」

 

「そうか。では、この者達に村の見張りをさせてくれ」

 

「……成程。黄巾党に属しながらも、その行いを良しとしない方々ですか。御意」

 

「お前達には早速働いてもらう! 黄巾党の他の部隊がここを襲ってこないか見張りをしろ!」

 

「「「「「応!!!」」」」」

 

 

 一刀の言葉に一斉に答える数十人に、彼は思わず苦笑した。

竜には人の心を揺らすことなど容易く、人心掌握に関してはその気になれば訳ないのだ。

しかし、狂信者達を引きつれるのは趣味ではない為、このように志について来てくれる者達の方が彼には有難い。

 

 それに、万が一彼らが裏切ったとしても、愛紗一人で掃除は容易にできる。

確かに彼女は一刀には敵わないが、それでも間違いなく竜としての強さを誇るのだ。

彼が十万単位の軍を一人で相手取る将ならば、彼女は一人で万単位を相手にできる将である。

比喩でもなんでもなく、単純にそれだけの実力がある。

 

 

「一刀様はどうなされるおつもりですか?」

 

「この惨状を放っておくわけにもいかない。幸い被害は建物だけのようだから、その手伝いだ」

 

「では、その旨を村の方々にお伝えしておきます」

 

「ああ、頼む」

 

 

 一刀は蜃気楼に飛び乗ると、近くの森目指して走らせ始めた。

彼はこの十年で多くのことを学んだ。それこそ、何でもできると言っても良い程に多くのことを。

彼は自分が生き残る為に多くを吸収した筈が、誰かの為にそれを惜しげも無く使う。

 

 愛紗はそれが彼の美点だと思うし、今後もそうあるに違いない。

北郷一刀はどんなに冷徹になった振りをしても、その本質は優しいものであることはどの世界でも不変だった。

時に泣いて、時に笑って、時に怒って……そんな彼の姿に何度救われたことか。

 

 愛紗は何度だって彼に惹かれる。最初に出会った時からずっとそうだったのだ。

ある時は彼の一の臣下として共に大陸を平定し、ある時は彼と義姉を主として仰ぎ、ある時は曹操の元に居る彼とぶつかり、ある時は呉に居る彼と共闘し―――彼女の世界に彼が居ないことは一度たりとも無かった。

 

 

「では、皆さん。私の言う通りの配置で見張りについてください」

 

「「「「「応!!!」」」」」

 

 

 しかし、同時に彼が彼女と結ばれたこともまた、彼女の世界には無かった。

 

 互いの信念を確かめ合い、何度も分かり合い、何度も笑い合い、何度も同志となった。

だが、どの世界でも彼女は選ばれず、彼と別れる運命を強いられ続けた。

何度生まれ変わっても、彼女は北郷一刀と添い遂げることは許されなかったのだ。

 

 

 外史とは、可能性の数だけ存在する。

 

 だからこそ、彼女は何度も何度も……それこそ、四桁にも及ぶ繰り返される焼き増しに抗い続け――それが無理だと悟った。

このままの自分では、北郷一刀と結ばれることも、添い遂げることも敵わない。

そう悟ってしまった彼女は、しかし外史の管理者の一人に抜け道を教えられた。

 

 それは、彼女が人を捨て竜になる道である。

 

可能性は天文学的なものでしかなかったが、五桁に及ぶ失敗の末に、遂に彼女はその外史に辿り着いた。

そこから先は簡単だった。

管理者も歴史の強制力も無い、外史ですらない世界の構築に成功したのだ。

 

 

そう、この世界の管理者は―――彼女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄巾党は中国大陸のほぼ全土で活動しており、幽州涿郡涿県にある楼桑村にもその手は回っていた。

 

先日県令の不正を暴いたこと、でこの県は県令が交代しており、経済も治安も以前より向上していた。

この涿県に、その安寧さを羨んだ黄巾党の一派が攻めてきたのはある意味仕方なかったのかもしれない。

その数は千を上回り、百行くか行かないかの人数しか居なかった楼桑村にとって、壊滅は必至であった。

 

村人達が農村を賊が蹂躙する光景をありありと思い浮かべてしまう程に、その差は絶望的であった。

確かに黄巾党はつい最近現れたばかりなので練度は低い。しかし、それは農民も同じだ。

質が同じならば、数が多い方が勝つのは常識である。

村人達にとって、この状況は絶望的なもので、もはや抗う気力すら湧いてこない。

 

 しかし、そんな中でも諦めない者達が居た。

この楼桑村に住んでいる劉備玄徳と、先日彼女と義姉妹の契りを交わした関羽雲長、張飛益徳である。

彼女達は村人達に徹底抗戦を促し、また黄巾党に打ち勝つ策があると言うのだ。

 

 

 だから、彼らはその希望に縋った。それが甘い果実であると知って尚、縋るしかなかった。

 

 

 

こうして、楼桑村における戦いが―――劉備玄徳初の戦が始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楼桑村に千余りの黄巾党が向かっている―――程遠志から齎されたこの情報は一刀を驚愕させた。

史実では、そのようなことは無かった筈だったからだ。

彼が知る三国志では、劉備達は義勇軍を結成した上で、鄒靖に従って黄巾党と戦っていた。

楼桑村で初戦を味わうことになる筈が無いのだ。

 

 

 この歪みに違和感を覚えた一刀は、愛紗に程遠志達を任せると、蜃気楼に乗って楼桑村に急いで向かった。

蜃気楼は彼の焦りを感じるのか、いつにも増して、まさしく風のように走っていく。

劉備達が居た楼桑村に居る人間は百人足らずだと言うのに、千もの黄巾党に攻め込まれては堪ったものではない。

 

 一刀ならば千余りの賊など一人で皆殺しにすることは容易だが、劉備にはできない。

彼女の傍に既に関羽と張飛が居るならば、まだマシだが……それすらも居なければ、絶望的だ。

彼女はまだ死ぬべき人間ではない……生きねばならない。

 

 

「……二度目は御免だ」

 

 かつて思春達を、彼を受け入れてくれた邑を、彼は守れなかった。

もう二度とあんな思いはしたくない……そう思ったからこそこの十年間ひたすらに精進したのだ。

力を手に入れたのに、それを揮うこともできずにまた失うつもりは、一刀には無い。

 

 思春と同じ、一刀を癒してくれる笑みを浮かべる劉備を殺させはしない。

思春との約束は守れなかった。これで、劉備との約束も守れなかったとすれば、彼はもう一生誰かの真名を受け取ることなどできない。

 

 

「―――! これは……楼桑村に向かっているのか?」

 

 ふと、一刀は彼の右側の前方に数千の黄巾党が進軍しているのを発見した。

その進行方向には楼桑村がある……あのまま進めば、あの数千の黄巾党も楼桑村についてしまうだろう。

数はざっと見て三千――楼桑村に向かっている千余りは先遣隊だったのかもしれない。

 

 

「……狙った村が悪かったな」

 

 

 一刀はすぐさま蜃気楼の進路を右側にずらして、右手に氣を溜めた。

氣刃の長さは一里もあれば十分過ぎる程だ……後は、蜃気楼の足が全てを解決する。

一刀は黄巾党の最後尾の真横に追従すると―――そのまま氣刃を横に構えた。

 

 

「ん? なんだあれ?」

 

「おい、どうした?」

 

「おい、あれ――」

 

「悪いが―――全員死んでくれ」

 

 一刀が蜃気楼に更なる加速を要求すると、蜃気楼はそれに従って更に加速した。

蜃気楼が横を駆け抜けていくのに合わせて、黄巾党は後列から皆真二つになって死んでいく。

時間があれば程遠志のような境遇の者達は殺さなかったかもしれないが、今の彼には時間が無い。

 

 最前列が見える辺りになって、彼は一瞬たりとも躊躇せずに、蜃気楼の速度をもう一段階上げた。

それによって、一人残らず命を奪い、そのまま楼桑村に向かっていく。

かつては茶色だった双眸も今は真紅で、その形も人間のものではない。

 

 全身から漏れ出す氣が空気を震わすのを感じながら、一刀は限界まで蜃気楼の速度を上げた。

もはや、常人には視界が失われる程の風圧を彼に叩きつけながら、蜃気楼はそれに応える。

かつて彼が居た世界の車にすら匹敵する速度は、もはや馬のそれでは無かった。

 

 

「……見えた!」

 

 遂に彼の眼は、一里先で楼桑村に向かおうとしている黄巾党の姿を捉えた。

しかし、進軍速度が遅い上に動きがおかしい……前で何かとぶつかっているようだ。

恐らくは関羽か張飛のどちらか、もしくは双方か。

 

 確かにあの二人は史実でも強かったのだから、この世界でもそうなのだろう。

しかし、いくら強かろうとも数が多過ぎれば敗北は必至である。それくらいは分かっている筈だ。

一刀はすぐさま両手に氣を溜めると、威力を抑え目にして、黄巾党の密集している場所に放った。

 

 氣刃とは違い、殺傷力よりも貫通力を優先した鈍器のように重い一撃は、ぽっかりと二つの道を開けた。

その向こう側に見える村人達の姿に多少の驚きを覚えながらも、一刀は声を張り上げた。

 

 

 

「聞け、黄巾党の者達よ! お前達の本隊三千余りはこの北郷一刀が全滅させた! 死にたくなければ投降しろ! 投降しない者は―――皆殺しだ!!」

 

 

 一刀の声は、黄巾党は愚か村人達にも聞こえたようで、皆目を丸くしている。

前者は本当に本隊がやられたのか分からないからであり、後者は今戦っている黄巾党が先遣隊でしかないことを知らなかったからだ。

彼はその混乱に乗じて、村人達の安否を確認するが、どうやらまだ大部分は無事のようだ。

 

 このままでは状況は何も変化しない為、一刀は右手に氣を溜めながら再び口を開けた。

黄巾党にどちらの立場が上なのかを分からせてやれば、事態は急変する。

しかし、この位置取りだと必死に逃げようとする黄巾党が村人の方に行ってしまう。

彼がこれからしようとしていることは、それだけの衝撃を与えるのだ。

 

 

「信じられないか!? ならば、その体に教えてやる!! 死にたいものからかかって来い!!」

 

「ふざけんなよおおお!!」

 

「大法螺吹いてんじゃねえええ!!」

 

「―――死ね」

 

 

 襲い掛かってきた二人の首を一瞬で刎ねると、一刀は残りの黄巾党を見遣った。

皆、恐慌状態に陥っている。これから、彼が皆殺しだと言えば、瞬時に彼から逃げる為に背後の村人達に襲い掛かるだろう。

しかし、それはさせない。

 

 一刀は蜃気楼の手綱を握ると、跳べと命じた。

それに嬉しそうに鳴きながら蜃気楼は応えた―――黄巾党の軍勢の真上を飛び越えることで。

助走があったとは言え、その跳躍は明らかに馬にできるレベルを上回っている。

そのことに満足しながらも、一刀は蜃気楼の向きを変え、再び黄巾党達に向き合った。

 

そしてその口から放ったのだ―――死刑宣告を。

 

 

「もう一度言ってやる!! 投降しろ!! 投降しない者は―――皆殺しだ!!!」

 

 

 一刀のその言葉を引き金に、黄巾党は大混乱に陥った。

突然現れた男は彼らの本隊三千余りを壊滅させたと言い、瞬時に襲い掛かった二人を殺し、更にはその駆る馬が彼らを飛び越えたのだ。

これだけで、一騎当千の武将が相手方にもう一人加わったという事実は理解できる。

 

 そもそも、彼らは一刀が来る前も関羽と張飛の二人に苦しめられていたのだ。

劉備が村人達と後方から支援をして、その前衛を関羽と劉備が務めると言う至って単純な策であったが、あまり広くない場所で戦闘が展開されていた為、大した損害も与えられずに彼らにばかり被害が出ていた状況だった。

 

 そこに、もう一人彼女達と同格であろう一刀が加わったのだから、混乱しない方がおかしい。

彼らはすぐさま元々一刀が居た方向へと走り出した――が、その一角が突如弾け飛んだ。

一刀が放った氣弾によって薙ぎ払われたのだ。

 

 

「……これで、もう二度とここに来はしないだろう」

 

 逃げ惑う黄巾党を眺めながら、一刀は呟いた。

投降しない者は殺すとは言ったものの、逃げる者までも殺すとは言っていない。

今のは飽く迄最後の一押しであって、致命傷を与える為のものではないのだ。

その証拠に、氣弾をまともに喰らった者達も、よろけながらも起き上がり逃げている。

 

 一刀の目的はこの村を黄巾党から守ることであって、黄巾党を滅ぼすことではない。

確かに黄巾党を滅ぼすことも彼ならば不可能ではないが、それをするのは劉備の下についてからだ。

彼自身の功績ではなく、劉備の功績である方が、後々都合が良いのだ。

 

 

「一刀殿、と仰いましたか? 助太刀頂き感謝の言葉もありません」

 

「気にするな。それと、一刀は字ではなく名だ。字は無い」

 

「そ、それは失礼しました。北郷殿、で宜しいですか?」

 

「ああ」

 

 一刀は青竜偃月刀を持つ女性――恐らくは関羽であろう――と会話しながらも、内心驚いていた。

彼女の容姿は、差異はあるが愛紗とそっくりだったのだ。

艶のある黒髪を横に纏めていることもそうだが、何よりも顔が殆ど同じ形をしている。

 

 容姿も得物も同じとは、中々偶然とは言い辛い共通点だ。

これで真名までもが同じだったならば、彼は愛紗が以前言っていた言葉の意味をもっと深く考えるべきなのだろう。

そして、彼はそうなる予感を拭えない。

 

 

「お兄ちゃんのお蔭で助かったのだ! 鈴々からもお礼を言うのだ!」

 

「気にするな。そもそも、俺が手を貸さずとも撃退はできていただろう? 両側の崖にも伏兵が居る」

 

「なんと……気づいておられましたか。確かにその通りです」

 

「それよりも、劉備は何処だ? 姿が見当たらないが」

 

 一刀は一丈八尺の長さの獲物を持つ少女――恐らくは張飛であろう――の言葉に肩を竦めながら、伏兵の存在を語った。

それに彼が気づいたのは、地形がそれに適していることからの予想と、彼の察知能力故である。

氣は生物毎に異なる為、崖の両側にそれなりの人数が居るのは容易に感知できるのだ。

 

 張飛と関羽がここに居るのは、偶々居合わせたからか、それとも移住したからなのかは分からない。

しかし、前者ならばこの策を考えたのは劉備しか居ない。

大方両側の崖に大きめの木材でも置いておき、引きつけて上から潰すつもりだったのだろう。

 

 恐らくこれが劉備の初戦となる筈だが……予想以上に冷静な判断を下せている。

一刀はそのことに少しばかり驚いたが、怪我人が出たものの死亡した者は居ないようなので、良しとした。

どうやら、しっかりと勉学に励んでいたようだ。

 

 

「おや、北郷殿は桃香様の御知り合いなのですか?」

 

「ああ、ここに来たのは元々劉備に会いに来る為だ。黄巾党が迫っていると聞いて予定よりも半日程早く来てしまったが」

 

「そうですか。それで……先程黄巾党の本隊三千余りと仰ったのは真ですか?」

 

「ああ、本当だ。しかし、安心してくれ……もう全滅している」

 

「……分かりました。それでは、こちらに」

 

 関羽は愛紗と比べると何処か柔軟さに欠けるが、表情の作り方はかなり似ている。

微笑の仕方も、声の調子も、同一ではないものの、やはり愛紗と似通っているのだ。

そのことを尋ねて良いものか一刀は迷ったが、今は未だ止めておくことにした。

 

 彼にとって今最も大切なことは劉備の安否の確認であり、愛紗の言葉の意味を確かめることに重要性は無い。

関羽について歩きながらも、一刀は横から興味深そうに彼を見てくる張飛と目を合わせた。

すると、張飛は無邪気な笑みを浮かべてくる。

 

 一刀としては、張飛のこの行動は実に褒めたくなるようなものだった。

誰かを観察している時に、ふと目が合ってしまった場合、大体は目を逸らしてしまうものだ。

しかし、そうされるよりも笑顔で会釈するなりした方が、目が合った方としても有難い。

そういう意味では、彼女の取った行動は正解だと言えよう。

 

 

「申し遅れました。私は姓を関、名を羽、字を雲長と言います」

 

「鈴々は姓を張、名を飛、字を益徳と言うのだ!」

 

「いきなり名を許してもらえるとは光栄だ」

 

「ふふ、確かに中には真名は愚か名すら許さない方も居ますね」

 

「鈴々はそういうことは気にしないのだ!」

 

 関羽の笑い方はやはり愛紗のそれに酷似している……そう思いながらも一刀は張飛の笑顔の無邪気さとその得物のギャップに苦笑した。

蛇矛は一丈八尺の長さを持つ得物だ。

それをまだ二十歳は愚か十八も言っていないように見える少女が扱っているのだから、無理はない。

 

 無邪気さも相まって、少しばかりアホの子に見えなくもないが、そう判断するのは少しばかり軽率だ。

一刀の知る張飛は、戦闘だけでなく軍略、政治もある程度まではこなせる者だった。

この世界でもその通りだったならば、この見た目を利用した策を講じることも容易い。

 

 あの張飛が策を使う筈が無い……そう思わせて、油断し切った者の喉元をズブリといくのだ。

張飛は軍神とまで謳われた関羽の影に隠れてしまうこともあるが、有能であったことは間違いない。

この世界でも、その線を考慮しておくことは必要であろう。

 

 

「あ、愛紗ちゃんに鈴々ちゃん! 無事だったんだね!」

 

「鈴々は無敵なのだ!」

 

「桃香様もご無事で何よりです。我々は、このお方のお蔭で難を逃れることができました」

 

 暫く歩いていると、一刀は関羽達の真名であろう名を呼ぶ声を聞いた。

その声のする方を見遣った彼は、こちらに近付いてくる女性の姿に思わず笑みを浮かべる。

そこに居たのは、昔と同じ透き通った目を持つ劉備だった。

大分成長しているものの、彼が知っている彼女の面影は思いの他、色濃く残っている。

 

 劉備が呼んだ愛紗という真名は、関羽のものなのだろうが――愛紗と同じ読みだった。

これで文字までもが同じならば、一刀は彼が考慮した可能性の一つが現実のものになったと考えざるを得ない。

勿論他人の空似という可能性もあるが、二人はあまりにも似過ぎている。

 

 そのことは気になるが、一刀は今は劉備との再会を喜ぶことにした。

 

 

「……ほえ? お兄ちゃん?」

 

「久しぶりだな、劉備。俺がここに居たのは二日だけだったろうに、良く覚えていたな」

 

「本物?」

 

「偽物だと思うなら、俺は帰らせて貰おう」

 

「ええっ!? ちょ、ちょっと待って!!」

 

 劉備が自分のことを覚えていることに驚きながらも、一刀はその浅葱色の瞳を見据えた。

彼の眼はこの十年で遂に元々の茶色から真紅へと移行した……劉備が違和感を抱くのも無理はない。

竜としての覚醒は彼の眼を変え、見える世界すらも変えてしまったのだから。

 

 どんなに一刀が必死に人間らしさを保とうとしても、変化を拒絶することはできなかった。

愛紗は竜も人間もそう変わらないと何度も諭すように言ってくれたが、彼と彼女では状況が異なる。

最後までたどり着けなかった愛紗とは違い、間違いなく一刀は成熟に向かっているのだ。

 

 愛紗は確かに人間らしさを色濃く残して成長を止めているかもしれない。

だが、彼は彼女とは違う。彼は既に愛紗と同じ段階を既に超えてしまっている。

ここから先は彼女には理解できない領域であり、彼にしか体感できないものが待ち構えているのだ。

 

 

「冗談だ。劉備、この八年間は遊んでいた訳ではないようだな」

 

「うん、私もお兄ちゃんみたいになりたかったから、頑張ったの!」

 

「……そのお兄ちゃんというのは止めてくれないか? 俺には北郷一刀という名がある」

 

「うう~ん……じゃあ一刀さんで良い?」

 

「ああ、別に構わないぞ」

 

 劉備は八年前と変わらぬ笑みで彼を迎え入れてくれるが、彼にはそれが辛い。

いっそのこと彼のことを忘れてくれていたならば、もっと気楽に彼女の下に仕えることができるだろうに、それは叶わない。

彼を兄と呼んで良いのは思春だけであり、彼女がそう呼ぶのもまた一刀だけだ。

 

 劉備はなまじ思春と同じ雰囲気を持っている為、同じ呼び方をされると一刀には辛い。

思春という逆鱗を捨ててこの娘を逆鱗とするべきだと愛紗は言外に言っていたが、彼にはできない。

その為に、彼は十年前に買った鈴を再び身に着けたのだ。

しっかりと手入れをしている鈴は、十年もの時を経ても錆びつかず、音を鳴らし続けている。

 

 十年前愛紗に助けられた後、彼は最初に思春を探すべきだった。

彼女が死んだ可能性があまりにも高過ぎたが故に、一刀はその選択肢を選べなかったが、今の彼ならば分かる。

あの時、彼が最初に行くべき場所は始まりの邑だったのだ。

彼は思春を探すべきだった。

 

 だが、後悔しても何も変わらない――これは選択肢を誤った報いだ。

 

 

「……お二人は、どういう関係で?」

 

「愛紗ちゃん、前に話したでしょう? とある旅の人が八年前に私の家に泊まったって。一刀さんがその人なの」

 

「そうでしたか……では、桃香様が学を志した理由が北郷殿なのですね」

 

「うん、そうなの。一刀さんはどうしてここに?」

 

「要件はただ一つ……この北郷一刀、劉備殿に仕えたく思い、馳せ参じた次第でございます」

 

 

 劉備にここに来た理由を聞かれた一刀は、気を引き締めると彼の目的を告げた。

臣下に加えて欲しいと言うからには、それ相応の態度を示さねばならない。

北郷一刀は飽く迄劉備玄徳の配下でなければならないのだ。彼女と同格以上であることは後に弊害を生む。

 

 

「え、えっと……私なんかで良いのかな?」

 

「貴方だからこそ、自分はこうして馳せ参じたのです。自分に、貴方の夢の為に共に戦うことをお許しいただきたい」

 

「う~ん……愛紗ちゃんと鈴々ちゃんはどう思う?」

 

「私は、構わないと思います。北郷殿の眼は、嘘はついていません」

 

「鈴々も賛成なのだ。お兄ちゃんは良い人そうなのだ!」

 

 

 意見を求める劉備への関羽の返答に、一刀はまた一つ彼の予想が正しい証拠を見つけてしまう。

張飛は単純に彼の持つ氣を感じて言っているのだろうが、関羽の言葉は違った。

彼の眼は嘘をついていない――確かに彼女はそう言ったのだ。

 

 

「そうだよね…うん! それじゃあ、これから宜しくお願いします、一刀さん!」

 

「御意」

 

 

 笑顔で彼を迎え入れる劉備に、彼は臣下の礼を取って応えた。

一刀の予想ではもう少し甘ちゃんに育つと思っていたのだが、中々どうして強かな面も備えている。

元来ここはもっと慌てるべき場面だ。

 

 しかし、劉備はそこまで慌てずにすぐさま関羽と張飛の意見を聞き入れた上で、一刀を迎え入れた。

彼女は自分の理想を叶えるために力が必要だ。

それを分かっているからこそ、慌てずに彼を受け入れたのだろう。

 

 

「えへへ……一刀さんが私の臣下になるなんて、夢にも思わなかったな」

 

「お姉ちゃん、頬が緩みきっているのだ」

 

「あ、そうだ! 一刀さんは今後一切私に敬語を使わないでね? これは命令です!」

 

「桃香様……そういうのは、権力の濫用と言うのです」

 

 

 前言撤回――――特に何も考えていなかったようだ。

 

 一刀は苦笑しながらも、劉備がそういう人間なのだと改めて認識した。

彼女は考えて行動するのではなく、感じて行動している。

一刀を受け入れたのは、彼の竜としての力を感じたからか、それとも縋る為か分からない。

しかし、劉備は彼を臣下として迎え入れた……今はその事実だけあれば良い。

 

 一刀はじゃれ合う三人を見ながらも、三人の美点と欠点を探し始める。

劉備は思いの外強かに育ったようなので、後は彼女の理想の歪みを指摘していくだけで良いだろう。

関羽は、恐らくは戦う理由を外に求める人間だ。そこを克服して貰えば、更に強くなる。

張飛は……三人の中では一番年下なのだろうが、最も人間として完成されている。

 

 一刀は張飛の人間としての強さに少しばかり驚いた。

張飛はその力を揮う理由も、より高みを目指そうとする理由も内側に持っている。

危うさがここまで少ないのは素晴らしいことだ。

この先、劉備達を陰ながら最も支えるのはこの張飛であろう。

 

 

「御意……この口調で良いか?」

 

「うん!」

 

「劉備、怪我人の手当は?」

 

「それはもうしておいたから大丈夫だよ。私に大した武は無いから、こういうことしかできないもの」

 

「いや、そういうことをできるのは美点だ。誇って良い」

 

 

 傷ついた時、誰かがその傍に居てくれるというのはとても有難いことだ。

それを王がしてくれるのならば、一刀ならば王に益々の忠誠を誓い、生き残って見せる。

人間は誰かに守られていると実感できた時、誰かを守りたくなるものなのだ。

だから、劉備の行動は間違ってはいないし、寧ろ良いことだ。

 

 

 王は大きく分けて慈しむ王、律する王、鼓舞する王の三種類に分けられる。

 

 慈しむ王は今一刀の目の前に居る劉備元徳のように、誰かの傷を癒す為に戦い、慈しむことで治める王だ。

律する王はかの曹操孟徳のように、ルールを定め、律することで民に平和を齎し、治める王だ。

鼓舞する王はかの孫堅文台や孫策伯符のように、自ら先頭に立って民を引っ張り、治める王だ。

 

 もう一つ、侵略する王というものも存在するが……これは一国の王になるのは難しい。

 

これは、侵略することに関しては他の追随を許さないが、多くの者には理解されない王である。

既存のものを破壊し、新たな世界への幕開けを行う王でもあるのだが、その異常さ故に理解されず、謀殺される。

一番これに近い者は、日本の戦国時代で活躍した織田信長である。

 

 

「そうかな?」

 

「そうです、桃香様。北郷殿の言う通り、それは中々難しいことです」

 

「う~ん……そうだと良いんだけど」

 

「お兄ちゃんの言う通りなのだ!」

 

「張飛、その呼び方はどうにかならないのか?」

 

 一刀は張飛が彼を兄と呼ぶことに、若干の痛みを覚えながらもそう問うた。

張飛は桃香と違い、彼に思春の面影を感じさせはしないが、それでもあまり呼ばれたい呼び方ではない。

張飛に呼ばれてもダメージが少ないのは、恐らく張飛が思春とは方向性の違う人間だからであろう。

 

 一刀の知る思春は、無邪気で、明朗快活なようで実は根暗な一面もあって、単純を装って悩む子だった。

彼女は自立心のあるようで、実は依存心の強い、強く振舞おうとして己の弱さに苦しむような娘だった。

だからこそ、一刀は張飛に呼ばれてもそこまでダメージがないのだ。

 

 

「うにゃ? お兄ちゃんはこの呼び方は嫌いなのだ?」

 

「いや、無理に変えろとは言わないが、駄目か?」

 

「う~……鈴々はこのままが良いのだ!」

 

「そうか。なら、構わない」

 

 張飛がこの呼び方に拘るのは、恐らく彼女が甘えん坊だからなのだろう。

劉備や関羽とのやり取りを見る限り、張飛は単純に兄妹のような関係でありたいと思っていると予想できる。

一刀は、そんな細やかな願いを切って捨てる程冷徹ではない。

 

 この世界では誰にだって実現したい願いがあって、皆その為に生きている。

毎日を無為に過ごせるのは平和な世界だけの特権で、この世界にはまだその権利は無い。

皆必死に生きて、夢を追っている。どんなに辛くても生きようと、必死に抗っている。

そんな世界に、北郷一刀は降り立ったのだ。

 

 彼がすべきことは、その夢を踏みにじることではない。

彼は確かに彼の夢の為に、他者の夢を踏みにじることになるだろう。

だが、その重さは受け止めて見せる。

どんなに彼の矛盾を責められても、その行いを弾劾されても、彼は進む。

 

竜は、人間に理解されなくても良いのだから。

 

 

 

「ああ、そうだった……半日程で俺の配下がここにやって来る。数は二十余りだ」

 

「ほえぇ……随分と増えたんだね。前は一人だけだったでしょう?」

 

「昨日までは一人だったんだが、二十人程増えた。黄巾党の情報を持っているから、義勇軍の役に立つ筈だ」

 

「おお、それは有難いことです」

 

「一刀さんはやっぱり凄いね!!」

 

 

 劉備の微笑みに安らぎと痛みの双方を抱きながらも、一刀はそうでもない、とおどけて応える。

程遠志が持っている情報は現段階での黄巾党の動向のみだが、それに関しては特に問題は無い。

ある程度の動きは史実に則る筈なので、桜桑村のようなことにならなければ、大部隊の動きは掴める筈だ。

 

 そもそも一刀が程遠志を部下にしたのは、今後細作とする為である。

情報の鮮度と信頼度が高ければ高い程有利なのは、今も昔も変わらないのだから、今の内に育てておいて損は無い。

今後の行動指針を固める為にも、細作は育てておくべきなのだ。

 

 

「劉備、今後の方針は決まっているのか?」

 

「他の州はもう他の人達が動いているから、私達は幽州の黄巾党に集中しようと思うの」

 

「ああ、それが良いだろう。幽州だと、主な部隊は公孫賛の処で相手をしている筈だ」

 

「白蓮ちゃんの所に? それじゃあ、すぐに助けに行かないと!!」

 

「まぁ待て。しっかりと準備をしなければ、足手まといになるだけだ」

 

 

 史実では、劉備が公孫賛の元に向かうのは袁紹との戦いであった筈だが、この世界は少しばかり違うようだ。

一刀としてはあまり歴史と違う流れになるのは好ましくないのだが、この世界にはこの世界の流れがあるのだろう。

下手に弄ろうとする方が危険かもしれない。

 

 

「まずは、俺の配下達が到着してからだ。それまでに方針だけは決めておこう。雲長殿と益徳殿はどう思う?」

 

「関羽で構いませんよ、北郷殿。私は、桃香様に賛成です。幽州は匈奴のことも考慮しなければいけませんから、手は多い方が良いでしょう」

 

「お兄ちゃん、鈴々も張飛で良いのだ。鈴々も公孫賛の助けに行った方が良いと思うのだ」

 

「ふむ……では、今の内に準備を始めておこう。この村には馬は何頭居る?」

 

 

 迅速に行動すれば、それだけ後々に余裕ができる。

人数が増えれば増える程足が遅くなることを知っている一刀は、馬などの機動力を確保することにした。

馬はそれなりの維持費を必要とする為簡単には用意できないが、ある方が良いのは当然のことだ。

 

 それに、馬の使い方は人を乗せるだけではない。食糧などを馬車に乗せて運ぶという使い方もあるのだ。

重い物を馬車で運び身軽な状態で進むことで、ただ徒歩で移動するよりも遥かに速く移動できる。

維持費に関しては、この十年で一刀達が一財産築いているので問題ない。

 

 彼は劉備達の手の届かない部分を補うためにここに居るのだ。

こういったしっかりとした準備が必要な部分は彼が担う。

暫くの間は諸葛亮、徐庶、龐統無しでやるしかないが、その程度訳ない。

彼は蜀の軍師達が集うまでの繋ぎであれば良いのだ。それ以上の役割を担う必要は無い。

 

 

 

―――北郷一刀は、蜀において代替可能な存在でなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴が鳴り響く。

 

 

 持ち主が歩く度に、それに合わせて鈴が鳴る。

鈴の音はその持ち主の放つ刺々しさと相まって、酷く不安を駆りたてる音楽を生み出す。

その鈴の音は単体であるならば小気味の良いものである筈が、それを持つ者とセットになった途端に、恐怖の音へと変わる。

 

 鈴音と呼ばれる剣を器用に両手で持ちかえながら、彼女は夜空に浮かぶ満月を見上げる。

満ちた月は人を狂わせるというが、その迷信は案外本当なのかもしれない。

あの月に手が届くならば彼女は彼の元に行けるだろうに、それは叶わぬ夢だ。

 

 彼女は月に手を伸ばす―――が、それはあまりにも遠い。

彼女の求める存在は今や行方も知れぬ状態だ。生きているかすら定かではない。

彼が竜として覚醒していたのならば、この世界のどこかで生き延びてくれているだろう。

しかし―――ならば、何故彼は彼女を探してくれないのだろうか?

 

 

 

「月に手を伸ばしても、届きはしないわよ、思春」

 

「! 蓮華様」

 

「そのままで良いわ。それで……どうして月に手を伸ばしていたの?」

 

「……ふと、あの月のように届かぬ者に手を伸ばしたくなったのです」

 

「それは……以前貴方が話してくれた男性のことかしら?」

 

 

 主である蓮華に声をかけられた彼女――思春は、いつもならば絶対に見せない柔らかな笑みを浮かべていた。

その笑みは蓮華の知る思春からは想像もできない儚い表情で、今にも消えてしまいそうな錯覚を抱かせる。

 

 

思春――甘寧興覇は蓮華――孫権仲謀の臣下である。

 

 全ては十年前のあの日、彼女が北郷一刀という竜を失ったことで始まった。

失意の彼女に追い打ちをかけるように彼女の故郷である邑は大火事で燃え去り、彼女が元服した頃には両親が殺害された。

北郷一刀を彼女から奪ったのも、邑を焼いたのも、両親を殺したのも、全ては一刀が纏めた政策に嫉妬した文官であった。

 

 それを知った思春は既に並みの将以上となっていた己の暴力で以て、その文官を殺し、その後は江賊の首領となった。

所謂義賊として活動していた彼女は、ある日孫家の孫堅文台に見初められ、彼女の娘である孫権仲謀、つまりは蓮華の臣下となり、今に至る。

 

 

「はい。かつて私が兄と慕っていたひとです。優しく、強く、誰よりも美しいひとでした」

 

「思春はその人の話になると、本当に表情豊かになるわね……そんなに好きだったの?」

 

「はい、愛しています。将来を誓い合うことに何の躊躇いもなかった程に」

 

「ふふ……日頃からそれくらい表情豊かだと皆貴方を怖がらないでしょうに」

 

「……それは難しいです」

 

 孫堅文台に見初められた時、思春は何故彼女に孫呉へ招かれたのか分からなかった。

しかし、後に孫堅から彼女が一刀と会ったことがあり、その際に思春にも会っていたことを聞かされた時、思春は彼女の厚意を拒絶できなかった。

彼女が思春を呉に引き入れた理由は――北郷一刀が大事にしていた者だったからだ。

 

 言うなれば、思春は北郷一刀の代わりであり、同時に彼が生きていた場合の人質でもあるのだ。

孫堅文台は北郷一刀が死んでいるならばその代わりとして思春に働くことを、彼が生きているならばその人質として生きることを求められている。

 

 一刀が生きているならば……そして、もしも彼が今も彼女を逆鱗として求めてくれるのならば、思春は喜んで彼の下に降るつもりだ。

彼が孫呉に来るのは歓迎できない……彼女は、そうさせたくない。

一刀の心を最も壊しかねない勢力がここ、孫呉なのだ。

 

 

「それよりも、宜しいのですか? こんな夜中に外に居てはお風邪をひかれます」

 

「それは貴方も同じでしょう?」

 

「いえ、私は江賊をしていたのでこういったことには慣れていますので」

 

「ふふ……思春が戻ってくれるなら、私も戻るわ」

 

 

 蓮華は優しい。

 

思春が彼女の臣下となって既に数年が経つが、彼女は非常に真面目で優しい女性だ。

母である孫堅、姉である孫策と己を対比しがちで、王たる資質を常に自問自答しては、苦しんでいる。

思春は彼女が王というものを理解しきれていないことを知っていたが、それは言えない。

まだ彼女には思春の言葉を理解できないであろうことは容易に分かる。

 

 そもそも蓮華の場合は比べる王を間違えているのだ。

彼女が参考にすべきなのは孫堅文台や孫策伯符のような鼓舞する王ではなく、慈しむ王だ。

蓮華は侵略などによる領土拡大よりも、領土の保持と安定化、つまり平時における政治を得意とする。

彼女は孫堅や孫策のようにはなれないし、なろうとすることが間違っているのだ。

 

 彼女が二人から学ぶべきは王としての胆力と、王という立場の重さの扱い方である。

蓮華はその重さを受け止めるつもりで居るが、真正面から何の準備も無しに受け止めるのは無謀だ。

共に受け止める人物を得ることの重要性も、重さを時に受け流す不誠実さが必要であることを、彼女は知らない。

 

 

「そうですね。では、戻りましょうか」

 

「あら、もう良いの?貴方の月に思いを馳せなくて?」

 

「はい」

 

「そう……それじゃあ、戻りましょう」

 

 

 孫呉は今のままでは、やはり一刀にとって害悪にしかならない。

 

 彼はこの十年で思春の知る彼とはかなり変わってしまっているだろうが、その根底は変わっていない筈だ。

そんな彼がこの孫呉に加わってしまえば、孫呉は彼に何も与えられず、孫呉は彼から奪えるだけ奪うだろう。

孫呉が彼を貪り喰らうだけで、彼にメリットが少しも無いのだ。

 

 思春の行動原理は北郷一刀であり、彼が幸せになれない道を選ぶつもりは無い。

なればこそ、思春は彼がこの陣営に参加せずして彼女と会える状況を望む。

彼女のことをまだ逆鱗としてくれているならば、それが彼にとって最良の道なのだ。

幸い思春は細作などの任務も多々受けている為、彼が動けばその情報を得るのは難しくない。

 

 彼が現在活動している黄巾党を黙って見ている可能性は零だ。

必ず何処かの勢力に参加するか、もしくは己自身で勢力を形成して戦っている筈。

思春は名を上げる勢力達の動向を事細かに確認して一刻も早く彼の所属勢力を発見するつもりだ。

そして、できるならば思春は一刀の元へと急ぐ。

 

 

逆鱗は、竜の傍に居なければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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