No.471273

竜たちの夢3

ここからオリキャラが少しずつ増えていきます。


この話は色々と知識が不足している上に、独自設定などもあります。

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2012-08-17 00:14:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:7660   閲覧ユーザー数:6696

 

 死を恐れるのは生命にとって当然の本能だ。己の死を恐れ、他者の死を恐れ、そうして生命は必死に死から逃れようとする。

人間はまさにその典型的な例だ。死を最も恐れるのが人間であり、死を最も軽く見るのもまた人間だ。

 

 表向きは禁忌とされているが、戦争などの特別な条件下では決して禁忌ではないのが、その証拠であろう。

確かにそれは罪であり、軽蔑されて然るべき行為ではあるものの、許されないものではないのだ。

 

 だから、北郷一刀が振り上げる剣が次々と命を奪っていくことは決して悪いことではない。

今彼が置かれている状況は、まさにそういう特殊な状況であり、彼を罪に問う者は彼自身以外には居ない。

 

 

「な、なんなんだこいつは!?」

 

「こ、この化け物がああ!!!」

 

「その化け物に殺される己の不幸を呪え」

 

 

 彼の圧倒的な戦闘力に驚き、恐怖しながらも生きる為に立ち向かってくる賊の首を刎ねる。

あまりにも軽く、簡単なその行いをすることに、一刀は迷わない。

最も確実に殺せる方法で殺すのが、殲滅における基本なのだ。

 

 

「……これでここの盗賊は全滅したか?」

 

「はい、恐らくこれで最後でしょう」

 

 

 一刀は布で剣についた血を拭き取ると、そのまま布を放り投げる。

現状の確認を行う一刀と愛紗の周りには五十人程の賊の亡骸が転がっていた。

彼らが現在居る場所は、荊州義陽郡のとある山中にあった山賊の本拠地である。

そう、過去形だ……何故ならば今しがた二人の手によってここは壊滅したのだから。

 

そもそもの始まりは、前日に立ち寄った邑で賊が出没することを聞かされたことであった。

それまで通ってきた道中で愛紗と手合せはしていたものの、どうにも欲求不満であった一刀はこれの壊滅を申し出、現在に至る。

もはや、人を切ることへの後悔も痛みも無いことを、彼はしっかりと受け止めていた。

その姿は、もはや歴戦の勇士にすら見える。

 

 

「こいつらの死体は纏めて燃やしておく。疫病の元になられては困るからな。愛紗はその間に、こいつらが奪ったものを邑の皆に与えておいてくれ」

 

「御意。しかし……随分とあっけないものですね」

 

「仕方ない。将たる資質の持ち主が居ない烏合の衆などこの程度だ」

 

「はい。それでは、街でお待ちしております!」

 

「ああ、また後で」

 

 山賊達が集めていた略奪品を愛紗に委ねると、一刀は死体を一ヶ所に集め、予め用意しておいた薪を並べた。

死人の体は重いものだが、しかし今現在の一刀にとってそれは大した重さでは無かった。

恐らく今の一刀ならば複数人で開ける城門を一人で開けることすら可能な筈だ。

 

彼が益州を出て既に五ヶ月が経つが、その間も彼は血を吐き続け、その度に鱗は大きくなっていた。

その度に確かに強まっていく力と、鋭くなっていく目に最初は戸惑ったものの、愛紗という存在が彼を冷静にしてくれた。

 

 彼女曰く、竜の成長は何十年もかかるものらしく、一刀が竜として成熟するにはまだまだ時間がかかるそうだ。

しかし、既に彼の力は人間の領域を外れ始めている。今ですら規格外に近いものが、成熟すればどうなるのかは、想像できない。

 

 

「……力ある者が生き残る時代、か。」

 

 そう、この時代は力ある者が生き残る弱肉強食の時代だ。いつの時代もそうではあるが、国が形を成さない時代においては、それは顕著に現れる。

だからこそ、一刀は力を求めるのだ。武と知の双方を求め、喰らっていく。

片方だけでは生き残れない。双方を極めることで、初めて後ろ盾の無い彼は生き残れるのだ。

 

 今後のことについて考えながら、一刀は氣を右手に貯めた。

成長していくに従って、彼は益々できることが増え、現在は氣を操ることもできるのだ。

指先に氣を集中させ、薪にその衝撃を叩きこむと、一瞬で火が上がり、良く乾いている薪を燃やしていく。

 

 

「安らかに眠れ。次は、こうならないで済む時代に生まれるように祈るんだな」

 

 あっという間に広がっていく業火によって燃えていく亡骸達にそう言いながら、彼は蜃気楼に乗った。

蜃気楼の如き幻、つまりはこの世のものではない存在――それが彼だ。

この黒馬が彼の馬になることはもはや運命であったとしか思えない。それ程に、彼の存在の歪みを言い表している。

 

 いずれ彼もあの業火に焼かれて死に逝くのかもしれない。もしかしたら、泡のように消えてしまうかもしれない。

彼の終わりがどんなものかは彼自身には分からない。だが、少なくとも幸せな終わり方は叶わないだろう。

 

 彼は人を殺し、北郷一刀という人間すらも殺した。もはや、彼には人間としての終末は有り得ない。

彼は竜としての己を選び、人間としての己を殺した。そんな彼に、人間としての結末は来てはいけない。

他者がそれを許しても、彼には許せない。

 

 

「行くぞ、蜃気楼」

 

 多くの思いを胸に抱える一刀に応える様に、蜃気楼は駆け出す。

その痛みも苦しみも何もかもを振り切れとでも言わんばかり、彼を風にぶつける。

蜃気楼は賢い。この五ヶ月程の間、蜃気楼は一刀の言うことをしっかりと理解し、動いてくれた。

これ程の名馬を得られたのは僥倖と言わざるを得ない。

 

 この六ヶ月で彼が会えた名のある武将は皆無であったが、それに関して彼は特に気にしていない。

元々会えるか会えないかは定かでなかったのだから、そこまで期待はしていなかったのだ。

それに、次に向かう予定の豫洲では、かなりの高確率で有名な者達に会える筈だ。

 

 豫洲出身の者で有名な人物と言えば、覇王曹操を初めとする、夏候惇、夏侯淵、曹仁、荀彧、荀攸、郭嘉などの後の魏の主要メンバーが居る。

特に曹家と荀家はかなり有名なので、一刀もいずれかの家の者の誰か一人とならば会えるかもしれない。

 

 

「……時代通りになっていれば、の話だが」

 

 現在は大凡黄巾の乱が起こる十年前だ。となれば、正史では曹操はそろそろ洛陽の北武尉に任命される頃であった筈。

一刀の記憶が正しいかは定かではないが、史実通りならば、曹操に会うのは洛陽で、ということになる。

 

 しかし、今の処正史通りなのは司馬懿などの名前程度で、その実態はかなり異なっている。

それを考慮すると、やはり今までと同じく会えるかどうかは分からない、ということになってしまう。

 

勿論、一刀はそれでも構わない。いずれ黄巾の乱か、若しくは反董卓連合で主な武将とは会える筈なのだから。

そういった大きな出来事すらも史実とは異なるのだとすれば、流石に彼にはどうしようもないが、それに関しては信じるしかない。

 

 

「……ん?」

 

 蜃気楼の風のような速さによって瞬く間に山のふもとについた一刀は、近くの小川の傍に座り込んでいる者の存在に気付いた。

何やらう~う~と言っているので、何か困ったことでもあったのかもしれない。

ここからだと邑まではそれなりの距離がある為、道に迷ったならば送っていった方が良いだろう。

 

 蜃気楼に速度を落とすように示しながら、一刀は小川の近くに辿り着き、改めて座り込んでいる人物を見る。

後ろから見ている為顔などは見えないが、背格好を見る限り思春と大差ない年齢のようだ。

際どいスリットから生足が見えているので、恐らく女性であろうが、これで男性であったならば、ちょっと関わりたくない一刀であった。

 

 

「何かお困りかな?」

 

「ひゃうっ!? だ、だだだ、誰でしゅか!?」

 

「……旅をしている者だ。何やら座り込んで唸っているようなので、声をかけたんだが……要らぬ世話だったか?」

 

「ひゃあ!? ま、まってくだひゃい!!」

 

 背後から声をかけられたことに驚いたのか、飛び跳ねながら一刀の方を振り向いたのは、やはり思春と同年代の少女だった。

足の筋肉を見る限り、それなりの運動量をこなしている肉体のようだ。

しかし、この少女―――慌て過ぎである。

 

少女の反応が面白かった為、一刀は申し訳なさそうな表情を作って蜃気楼の進行方向を反転させてみた。

そんな彼の姿に、慌てて制止の声をかける少女に、一刀は心の中でチョロいな、などと不謹慎な思考をしていた。

 

 

「それで、こんなところに座り込んでどうした? この季節にその恰好は寒いだろう」

 

「あうぅ…母上と父上と一緒だったのでしゅが、はぐれてしまったのです……近くの邑に泊まるとは聞いたんですが」

 

「ふむ。なら邑に行けば会えるかもしれないな。連れて行こう」

 

「えっ!? 良いんですか!?」

 

「ああ、俺も邑に連れを待たせているからな。そのついでだ」

 

 やはり一刀の予想通り迷子だったようだ。この辺りは似た風景が多いので、村に近付くつもりが却って遠ざかってしまったのかもしれない。

下手に獣道に入らずに進むように、今後は教育してもらいたいものだ。

 

 

「あ、ありがとうございましゅ!」

 

「なに、気にするな。それよりも、俺が本当は悪い人だった時のことを考えることだ。知らない大人についていくのはあまり関心しないな」

 

「もう知り合ったので良いんでしゅ!」

 

「お、おう。そうか」

 

 ドヤ顔で言う少女であるが、もう何回「す」を噛んでしまっているのか分からない。

一刀はそんな少女に少しばかり引きながらも、少女を自分の前に乗せた。

少女を持ち上げる際に、その重さをあまり感じなくなっている自分に気付いた彼であったが、苦笑しながらも蜃気楼を進めた。

 

 思春や愛紗の例を考慮すると、この少女も案外後に後世に名を残す武官か文官かもしれない。

一刀としては、この年齢で出会ってもせいぜい自分を印象付けるくらいしかできないのが悔やまれる。

この年齢ならば、彼に依存させてしまうという手もあるが、それはリスクが高過ぎて行う気になれない。

 

 何よりも、思春のように生き別れてしまった場合の彼自身へのダメージも大き過ぎる。

 

 

「そうだ……君はここに住んでいる子か?」

 

「ひゃう……違いましゅ……あぅ、また噛んだ…」

 

「となると、俺と同じ旅の途中か?」

 

「あっ……はい。江南に向かっているんです。姉の処にお世話になろうかと」

 

「そうか……かなりの距離を行くことになるが、大丈夫か?」

 

 江南というからには交州まで行くのであろうが、こんな齢の子にそこまでの長旅はきついであろう。

幸い、一刀達は道中で山賊を潰し続けている為、路銀には困っていない。

少しくらいは楽に辿り着けるようにしてやりたい……そんなことを考えながら、一刀は少女に外套をかけてやった。

 

 勿論、このようなことを出会う人全員に行うのは無理だし、一刀もそうするつもりはない。

飽く迄彼がそうしようと思ったのは、この少女が家族を頼りにしているからである。

家族に会えない彼としては、その絆は大切にしたい。

詰まる所、これは彼の自己満足であって、それ以上の意味は無い。

 

 だからこそ、文句は言わせない。例え愛紗であったとしても。

 

 

 

「大変ですけど、お姉さんの知り合いの人が助けてくれてるので、大丈夫でしゅ!……あぅ、また噛んだ」

 

「そうか。頑張れ」

 

「はい!」

 

 一刀の励ましの言葉に、眩しい笑顔で答える少女の笑顔が眩しい。そこに思春の影を重ねてしまう彼に、罪は無い筈だ。

この五ヶ月で愛紗に教えられた竜についての知識は、何故これ程までに彼が思春を思い出してしまうかを教えてくれた。

 

 思春は彼にとっての逆鱗なのだ。彼にとって誰にも触れて欲しくない大切な一枚の鱗なのだ。

逆鱗は竜が大切に思う者であったり、物であったりする。一刀の場合、それが家族であり、思春だった。

逆鱗は上書きできるらしいが、今の彼には中々に難しいことだ。

 

 思春は、彼の心に深く入り込み過ぎた。彼にとって、彼女を忘れることはあまりにも難しい。

例えそうなるように仕組まれていたのだったとしても、彼のこの思いは変わらないだろう。

自然と生じたものであろうが、作られたものであろうが、それは彼の思いなのだから。

 

 

 

 

 この後、一刀は少女の両親に彼女を送り届けたが、その際に彼女の名前が呂蒙であるということに驚いた。

まさか、後の孫呉における主要人物の一人に出会うとは思いもしなかったのだ。

呂蒙は陸遜や周瑜の影に隠れがちだが、間違いなく呉における主力だった。

 

 そんな者まで女性だったのだから、やはりこの世界の有名な武官文官は双方とも女性なのかもしれない。

一刀はその可能性に苦笑しながらも、呂蒙の家族に少しばかりの路銀を分け、その上で別れた。

 

 呂蒙とその両親には何度も礼を言われたが、一刀は甘寧という少女に会うことがあったら彼のことを話してくれることを交換条件として出しておいた。

多少の誤差はあれども、いずれ呉に彼女達は終結する筈なのだから、こうすることで思春に自分の無事を伝えたかった。

 

 

 

 

 

 

そして、その二週間後、一刀と愛紗は豫洲の穎陰県に来ていた。

 

 

 

「遂に来たか……荀家に行きたい処だが、あそこは面倒そうだな」

 

「そのようですね。一見さんはお断りでしょう」

 

「愛紗は入れるか?」

 

「……難しいですね。あそこは、私のことを敵意していますから」

 

「敵意?……ああ、司馬家だからか?」

 

 荀家は荀子の子孫であり、確かに名門だが、殷王司馬卭の子孫である司馬家もまた名門だ。

互いが互いを敵視していても不自然ではない。双方共に、実力をしっかりと持つだけに、余計にいがみあうのかもしれない。

 

 

「いえ、私個人の問題です。以前少しばかり荀家の方を論破してしまったので」

 

「ああ……そういうことか。なら、止めておこう。今日は宿でゆっくりとするか」

 

「その方が宜しいかと。夕飯までは時間が大分あります故、少し邑を歩かれては如何ですか?」

 

「ああ、そのつもりだ」

 

 愛紗の話を聞く限り、どうやら個人的な問題であって、家どうしの仲が悪い訳ではなさそうだ。

一刀としては、それが分かって安心した。家そのものの仲が悪いと、この邑に居る間に色々と妨害される可能性が出るからだ。

しかし、その心配が無用ならば、一刀としては有難い。

 

 

「それじゃあ、蜃気楼のことは任せた。」

 

「御意。視察も程々に、お楽しみください」

 

「善処する」

 

 愛紗に蜃気楼を任せると、一刀は邑を回ることにした。どのように邑の経済が回っているのかを知る為だ。

こういうことは役所で聞くよりも酒場などで聞いた方が早く情報を得られる。

更にぶっちゃければ、街を歩き回れば、ある程度の形態は理解できるのだ。

 

 商店の配置、住宅地の配置、警邏の拠点の位置――そういった様子を一枚の地図に纏めれば、その場所の形態は大凡掴める。

一刀はそれを知っている。栄える場所には人間が集まり、寂れた場所からは離れていくのと同じだ。

 

 

「とは言え……どうしたものか」

 

 この邑はかなり広い……というよりも膨大だ。いつもならば丸一日も使えばかなりの形態を把握できるが、この邑は二日必要と見た方が良い。

一刀がその気になれば一日で把握できなくもないが、まだ時間はあるのだからゆっくりとしたい。

 

既に真冬に入っている為、流石に露店などはあまり開いていない。寧ろ開いている店の店員は流石と言わざるを得ない。

皆外套を着ているが、それでも冷える時は冷える。

現在の一刀は竜故か、あまり寒さは気にならないが、やはり人間だった頃は寒かった。

ここはまだ良いが、涼州などもう極寒であろう。

 

 取りあえず一刀はある程度歩き回ると、この邑の四分の一程を地図として纏めることにした。

城壁の近くにある高台に昇り、紙を広げてそこに簡易な地図を書き込んでいく。

紙はこの時代では貴重なものだが、竹簡ではかさ張ってしまう為、一刀は紙を使っていた。

 

 

「ふむ……やはり、ここは他の邑よりも区画がしっかりとしているな」

 

 一刀は今までかなりの邑を見てきたが、ここまで見事に区画が整理されている場所はそうない。

一刀から見れば、まだまだ粗が多過ぎる区画整理ではあるが、それでもこの時代においてはかなり進んでいる部類だろう。

 

 洛陽もこのようにしっかりと区画が整理されていれば良いのだが、恐らく今は荒廃してきている筈だ。

まだ首都としての機能だけは果たしてはいるが、黄巾の乱が起こる頃には完全に瓦解しているに違いない。

 

 現時点では、既に皇帝は宦官の操り人形同然と思って良いだろう。

 

 

「……まだ時期ではないのが、悲しい所だな」

 

「時期、というのは?」

 

「乱世の幕開けだ、お嬢さん」

 

「……なんだ、気づいていたんですか」

 

 一刀は後ろから声をかけられ、振り向いた。どうやら彼は背後から声をかけられることに縁があるようだ。

既にその気配には気づいていたが、やはり彼の背後に居たのは少女であった。

年は十二近くといったところか。

 

 翡翠色の眼と、少しばかりウェーブがかかった輝きの弱いブロンドが目立つが、何よりもその眼の奥に潜む理知的なものが特徴的だった。

一刀は、この少女が高い知能を持ち、彼を値踏みしていることを理解した。

彼の予想では、彼女は恐らく荀家の者だろう。

 

 

「一応こう見えても武の心得はあるものでね。それで、君の望む答えは得られたか」

 

「はい。どうやら貴方もまた、滅びを予感している者のようですね。私達も、そう思っているのです」

 

「達……とは、向こうにある立派な屋敷の持ち主達のことか?」

 

「! お気づきでしたか。私は姓を荀、名を攸と申します。字はまだ受け取っておりませぬが故、名乗れぬことをご承知ください」

 

「ふむ。俺は姓を北郷、名を一刀と呼ぶ。訳あって字と真名は持っていない。言っておくが、そういう類の者ではないぞ」

 

 一刀は、まさか魏の主要メンバーの一人である荀攸とこのような形で出会うことになるとは思いもしなかった。

荀攸と言えば、叔父である荀彧と共に魏の内政において活躍した文官の一人だが、この世界では叔母のようだ。

 

一刀の知る限りでは、荀攸の方が荀彧よりも年上であった気がするが、気のせいだと思いたい。

どの家にも黒歴史と言うものはあるのだ。荀彧は、自分よりも年上の荀攸に叔母様などと言われているのだろうか?

荀彧の立場に自分を当てはめると泣けてくるので、一刀はそっとしておくことにした。

 

 

「むぅ……では、異国から来られたのですか?」

 

「そういうことだ。少しばかり雰囲気が違うだろう?」

 

「はい。ですが……私からすれば、その違いは人の違いではなく、格の違いに思えます」

 

「格の違い? これはまた随分と奇なことを言ってくれる」

 

「私には、貴方が竜――つまりは、王の器に見えます」

 

 荀攸の言葉に、一刀は沈黙せざるを得なかった。この少女の眼の奥底に潜んでいるものに漸く気付いたからだ。

彼女は彼を竜だと見抜いた。そして、その眼の奥に潜む色は――思春のそれと似通っている。

 

 思春程綺麗なものではないし、真っ直ぐなものでもない。だが、それは確かに彼を求める者の眼だった。

愛紗が言っていた。王へ心酔する者は、その中に在る竜の血に心酔しているのだ、と。

荀攸は彼にそれを感じ取り、心酔して良いものかどうか見極めようとしているのだろうか。

 

 もしそうならば、一刀は彼女に曹操と会うことを勧めたい。

 

 

「……王に仕えたいのか?」

 

「はい。今は未だ半人前ですが、いずれはそうしたいと思っています」

 

「ならば、曹孟徳という人物から誘われた時会ってみろ。恐らくそれで君は満足する筈だ」

 

「……断られた、と考えて宜しいのでしょうか?」

 

 少しばかり悲しそうな表情と共に一刀に問う荀攸の姿は、まさに年相応のものだった。

だが、それは本物ではない。それは演技でしかない。作られた表情でしかない。

だから、一刀は荀攸に告げるのだ。その覚悟を試す為に。

 

 

「字を得て、一人前になった上で俺に会いに来ると良い。その時には受け入れても良いぞ。まぁ、会えたならばの話だが」

 

「……そのお言葉、違えませんか?」

 

「ああ、違えない。だが、君も違えるな。俺は、能力の無い者を抱え込める程の余裕は無いし、優しくもない」

 

「御意」

 

 異形のものへと変わっていく一刀の眼を真っ直ぐと見据えながら、荀攸は臣下の礼を取った。

一刀は本気ではないが、彼女に重圧を加えているにも関わらず、だ。胆力に関しては次第点と言える。

しかし、一刀としては史実と異なる展開は望んでいなかった。

 

 彼の持つ知識が役立つの、は飽く迄史実の通りにこの世界が進んだ場合であって、それ以外の分岐に世界が行ってしまうと、どうしようもなくなる。

その原因を自分自身で作り出すのは得策ではない。

歴史を変えられる程の変化を恐れるのならば、自分で変えてしまうのも手だが、上手く遣り繰りできる程の知は彼には無い。

 

 仮に一刀がこの世界を史実と異なる展開にする為には、目と耳が大量に必要だが、裏切りを考慮すると、そこまで多くの者を配下にするのは危険だ。

眼の前に居る荀攸などを利用してそれを行うのも良いが、やはりその為にはかなりの者を抱え込む必要がある。

今の彼には、群雄になるつもりは更々無いのだ。

 

 

「いつか、再び合見えることを心待ちにしております」

 

「精々期待しておくことだ」

 

 一刀の捨て台詞に少しばかり悲しそうに微笑みながらも、荀攸は臣下の礼を解いて去って行った。

一刀としては歴史を変えたくない為、かなり突き放した言い方をしたつもりであったが、やはり悲しそうな顔をされると辛いものがある。

 

 いかに王の器への嗅覚が優れているとはいえ、彼女はまだ子どもと言える年齢なのだ。

あまり冷たくしたくはないが、これも彼女の為だ。曹操は人材の正当な扱いに定評があるので、彼女はその能力に見合った役職につける。

 

 一刀もそうしたい処だが、彼としてはあまり群雄として曹操達と肩を並べたくないのだ。

愛紗に加え荀攸までも臣下に加えてしまえば、最低限の力は揃うし、二人の縁で他の者もついてくるかもしれない。

それでは駄目なのだ。彼は飽く迄群雄の臣下と言う立場を貫きたい。

先の見えぬ分岐は危険過ぎ、彼にもどのような展開が起こるか予想できないからだ。

 

 

「……宿に行くとするか」

 

 あまり考え込んでいても何も始まらないので、一刀は愛紗が待っている宿に向かうことにした。

既にこの旅を続けて半年が経つが、そろそろ彼の武は愛紗では物足りなくなってきていた。

単純な力においてはまだ彼女に分があるかもしれないが、総合力では既に一刀は彼女を追い抜いている。

 

 そろそろもう一人武の相手として欲しいというのが一刀の本音であるが、愛紗以上は愚か彼女と肩を並べる武将など恐らく存在しない。

良い勝負をする者は居るかもしれないが、彼女に勝てる者となれば、可能性は限りなく零に近いと思われる。

彼の知る限りでは、その可能性があるのは呂布だけだろう。

 

 

「おっ、あそこか」

 

 青竜偃月刀の柄が窓から出ている部屋を確認し、一刀は宿の受付に事情を説明し愛紗の居るであろう部屋に向かった。

軽くノックをすると中から返事が聞こえてきたので、扉を開けて、後ろ手で鍵をかける。

荷物を整理し終わっていた愛紗は臣下の礼をとって一刀を出迎えたが、彼は苦笑しながらそれを止めるよう身振りで示した。

 

 

「愛紗、いつもありがとう。お蔭で土地について纏めるのに集中できる」

 

「いえ、当然のことでございます。一刀様の望みが私の望みですから」

 

「……嫌だったら、いつでも言ってくれ。俺は嫌がる者に強いるのは嫌だからな」

 

「はい。承知しております」

 

 既に一刀の口調は以前のものとは大分変ってしまったが、時々昔と変わらぬものに戻ってしまうことがある。

彼はできれば愛紗とは対等な立場で接したいが、彼女がそれを望まないが故に、口調も大分変ってしまったのだ。

竜としての自覚と、環境が齎した変化だと言える。

 

 それが、時々昔のような無邪気なものに変わることがある。まだこの世界に馴染めなかった頃の彼の口調に戻るのだ。

もう戻れないであろう世界。戻るつもりはない世界。そこは、確かに彼にとっての故郷だった。

彼はこの世界にとって異邦人だ。歪な存在だ。だが、それでも生きなければならない。

 

 この世界を飲み込み、消し去りたいという食欲にも似た何かが一刀の中にはある。

あらゆるものを蹂躙し、喰らい尽くしたいという破壊衝動にも似た闇が彼にはある。

それでも生きねばならない。生きて、その命の意味を彼は知らねばならない。

 

 居なくても良い存在だ、などとは誰にも言わせない。例え神であろうが、否定させない。

一刀は確かに歪だ。本当の名を持たない、行き場の無い竜だ。

それでも―――彼は居なくても良い存在ではないと思いたい。それを証明したい。

 

 

「なぁ、愛紗」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「愛紗は、俺のことをどう思う?」

 

「私にとって、全てです。私のあらゆるものは一刀様の為に捧げております」

 

「そうか。愛紗にできるのは肯定だけ、か」

 

 一刀が欲しかったのは絶大なる肯定の言葉ではない。彼が欲しいのは、彼の在り方が正しいかどうかの、愛紗の正直な意見だ。

彼にとって、肯定者である彼女の存在は確かに有難いものだが、否定する要素を持たないのならば、やはりその部分を他者で補う必要がある。

 

 

「成程、一刀様は第三者から見た正確な評価を知りたいのですね」

 

「そうだ」

 

「では、申し上げます。北郷一刀は王としての器を持ちながらも、同じ王の器を持つ者に仕えようとしている軟弱者である。彼がその気になってくれたならば、大陸が平和になるのはもっと早い筈だ……大まかに言うと、このような評価になるかと」

 

「……本当に、俺にそこまでの力があるのか?」

 

「あります。一刀様がついた勢力の勝利が確約される程度には」

 

 一刀についてしっかりと第三者の視点から述べた愛紗に対して、彼は少しばかり驚いた。

愛紗は絶対的な肯定者でしかないものと思っていたが、どうやら一刀は彼女を見くびっていたようだ。

やはり、彼の取ろうとしている行動は第三者からすれば歪なのだということを再認識できた。

 

 

「そうか。それで、愛紗は俺にどの勢力について欲しい?」

 

「できれば一刀様には己の手で一旗揚げていただきたいですが……それが叶わないならば、道は五つです」

 

「孫家、曹家、袁家、董家、劉家、か?」

 

「はい。孫家は既にかなりの力を持っていますし、曹家に関しては近い将来頭角を現す筈です。袁家に関しては、力はありますが、裏から牛耳るつもりでいないと厳しいでしょう。董家は、最も腐敗に縁の無い場所に居ますので、力は確かなものかと。劉家は――まだ未知数です」

 

 どうやら愛紗は一刀と同じ考えのようだが、彼とは違い歴史の予備知識無しでここまで予測する彼女には驚きだ。

彼と違い、彼女は本物の天才のようだ。やはり司馬懿仲達の名を持つのは伊達では無かった。

 

 

「愛紗はどの勢力につくのが良いと思う?」

 

「それを決めるのは早計でしょうが……できれば劉家が宜しいかと」

 

「血か?」

 

「はい。漢王朝の血を持つ者は幾人か居ますが、その中で一刀様の御眼鏡に叶う方につくのが、近道かと」

 

「確かに血も大切だが、最も重要なのは実力だ。それが伴わないならば、切るぞ」

 

「御意」

 

 確かに劉家の血は漢王朝の崩壊の後は実に有用だ。皇帝の身柄を確保して禅譲を行って貰うのも良いかもしれない。

元来禅譲とは血縁者でない有徳の人物に天子がその地位を譲ることだが、別に遠い血縁者でも構うまい。

劉備が一刀の知る仁徳のある者ならば、劉備へ禅譲して貰うのも良いだろう。

 

 やはり、一刀としては劉家では劉備を主として仰ぐのが妥当だと思うが、今現在劉備はまだ無名だ。

いかに愛紗といえども、全く聞いたことが無い劉備の下につくことには反対するだろう。

そもそも、劉備は王としての風格が現れるのがかなり遅かった筈だ。

 

となれば、一刀は王として大成していない劉備を主として仰ぎ、尚且つ成長を促す為に引っ張り出すくらいの気概が必要になる。

彼の知る劉備は確かに強かな部分もあるが、流れに乗らねば動けない部分が大きい。

彼がその流れを生み出さねば、早く台頭する曹操達には勝てない。

 

 

「ああ、そうだ。先ほど荀家の者と会ったが、あれは中々良い。将来引っこ抜くかもしれない」

 

「ふふ……一刀様は本当に人を惹きつける力がおありのようで」

 

「どうだか。荊州では目ぼしい人物には一人以外会えなかったしな」

 

「そういうものです。いずれ会う時もありましょう」

 

「……そうだな」

 

 

 

 一刀は日が暮れ始めたのを窓から見ながら、愛紗と話を続け、夕食を済ませるとすぐに寝た。

ちなみに、路銀の節約の為に宿は一室のみしか借りていなかったので、二人は同じ布団で寝ることになっている。

どちらが床でどちらが布団かで色々と意見の相違があったが、最終的に同じ布団で寝るという選択肢で落ち着いたのだ。

 

 最近睡眠欲が薄れてきた一刀は別に眠れなくとも構わないので、寝た振りをして愛紗が寝るのを確認すると起きて様々な考えを巡らせているのだが、今回は久しぶりに寝ることにした。

この日、彼が久しぶりにとった睡眠は実に心地が良く、暖かいものだった。

 

 

 

 翌日、一刀はすぐさまこの邑の形態を把握し、その次の日には邑を出ることになったのだが、その様子を愛紗は後にこう語った。

 

――荀家司馬家を揺るがす鬼才ここにあり、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 豫洲沛国譙県は、曹操達魏の主要メンバーの出身地だが、荀家のある潁川郡穎陰県に負けないくらいしっかりとしている――それが一刀の感想であった。

 

 

 遠目から見ても曹家の屋敷はかなりの大きさだったが、大き過ぎる程ではなく、どことなく慎ましやかさが感じられる。

潁川郡を出てから既に二ヶ月が経過していたが、それまでに見た汝南郡の袁家はなんとも言えないものだった。

 

 一刀は袁紹などに直接会った訳ではないが、遠目から動向を見守っている限りでは、あまり伸びは良く無さそうだ。

愛紗の言った通り、裏から牛耳るつもりで居なければ、袁家での天下統一は難しいだろう。

 

 

「愛紗、今回も俺は直接当主には会わないが、それで良いか?」

 

「御意。会うのは、どなたですか?」

 

「そうだな……夏候家の者か、曹家の者が良いな。悪いが、愛紗はこの邑の形態把握を頼む。ここには数日間は居るつもりだから、じっくりしてくれて構わないぞ」

 

「お任せください。ご期待に添えるように尽力いたします」

 

 

 一刀は愛紗にこの地の産業などの形態把握を頼むと、彼女が買って来てくれた肉まんを頬張った。

飯が美味い場所は栄える、とは誰の至言であっただろうか?やはり、栄えている場所は食の質が高い。

一刀が元々居た世界程整備されてはいないが、時代が1800年も離れていては仕方がない。

 

 一刀としては、ここに居る間に魏の主なメンバーの姿を拝んでおきたい処だが、果たして何人会えることやら。

幸いこの世界の曹操はまだ洛陽には士官していないようなので、遠目に眺めるくらいはできる。

曹家の者と夏候家の者は、屋敷を見張っていれば会うことは可能だろう。

 

 

「ああ、美味い。洛陽でもこのような飯を喰えれば良いのだがな」

 

「それは難しいでしょうね。見切りの良い商人は中央から抜け始めているようですし」

 

「まぁ、そうなるだろうな。洛陽もそうだが、司隷そのものはなるべく避けた方が良さそうだ」

 

「腐敗の真只中に関わりたくなければ、それが賢明な判断でしょう」

 

 一刀としては、司隷にはかの有名な関羽などが居る筈なので是非とも会いたかったのだが、あまり長居しない方が良さそうだ。

とはいえ、今は未だ豫洲であって、この後は徐州、兗州、青洲、冀州、幽州、并州、と来て漸く司隷だ。

あまり遠くのことばかり考えて身近なものを疎かにするのは良くない。

 

 

「……時々、滅茶苦茶をやりたくなるよ」

 

「では、滅茶苦茶にしてみますか? 例えば、曹家と夏候家を根絶やしにする、など」

 

「それはそれで面倒なことになるから、止めておこう」

 

「そうですか」

 

 

 

 この後、一刀は夏候家と曹家を見張って幾人かの様子を見たが、明らかに一人だけ雰囲気の異なる少女が曹操であろうと判断し、沛国を後にした。

荀攸の例がある為、下手に曹操の未来の部下達に関わると、魏がかなり弱体化してしまうのを恐れての行動であった。

不注意で曹操に似た少女に遭遇してしまうアクシデントがあったものの、それ以外は何事も無く豫洲を去ることになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 徐州では特に何の成果も無く横断を終えた一刀と愛紗は、そのまま青洲に入ったのだが――ここはかなり酷い状態だった。

青洲には後に黄巾党が最も流行する場所になるだけの下地が、悪い意味で整っていたのだ。

政治はガタガタで行政も商業もなっていないという、酷い有様だった。

 

 お蔭で、一刀と愛紗は豫洲では無かった山賊狩りを再開することになってしまった。

大した力を持たない者達を蹂躙するのは好きではないが、民にかかる心的負担を考えると止めることはできない。

まだ青洲における行程の半分も行っていないにも関わらず、彼らが滅ぼした賊の数は両手で数えられない量になっている。

 

 人数に例えたならば、一刀も愛紗も既に千近くの命を奪っていることになるが、二人に動揺は無い。

悲しい時代ではあるが、そうしなければ生き残れない。彼らは形こそ違えども、賊達とそう変わらない。

だから、一刀は人殺しだと罵られても、それに動揺はしない。

 

 この時代は無力であることこそが罪なのだから。

 

 

 

「ふぅ……」

 

「お疲れ様です、一刀様。この邑の近くには賊は居ないそうですから、今日はゆっくりできましょう」

 

「ありがとう、愛紗。それで、ここは何処なんだ?」

 

「東莱郡黄県にある邑のようです」

 

 連日の山賊狩りに飽きを感じてきた一刀は、茶屋で深いため息と共に茶を飲んだ。

あまり美味しいものではないが、仕方がない。郷に入らば郷に従え、だ。

最近はもはや賊の討伐が旅の目的かと思える程に討伐ばかりして居た為、この邑に来たのは偶然であった。

 

 一刀としては、青洲に関してはもう盗賊討伐に専念しても良いのではないかと思える程度には、ここは盗賊が多い。

青洲と言えば太史慈が有名な武将として居るが、もう会えなくても良い、などと一刀は考えていた。

 

 太史慈は江東の麒麟児と言われた孫策と互角であった筈なので、部に関しては次第点と言える。

孫堅を殺害した黄祖討伐の際には大変活躍したそうだが、一刀としては弓の名手である太史慈は是非とも欲しい所だ。

しかし、会えなければ無理に引き抜くつもりはないし、仮に会えたとしても今すぐ引き抜くつもりはない。

 

 この旅で彼が行うのは、飽く迄唾をつけることなのだから。

 

 

「蜃気楼と空蝉は大丈夫そうか?」

 

「はい、全く持って元気です。寧ろ元気過ぎるくらいですね」

 

「そうか。かなりの強行軍だったんだが、流石だな」

 

「それくらいの馬でなければ、我々についていけませんから」

 

「はは、違いない」

 

 一刀と愛紗は非常に体力がある……それこそ、一週間不眠不休で動けるくらいには。

そんな彼らが利用する馬は自然と通常よりも負担が大きくなってしまうのは明白だ。

乗っている人間がかなり無理をできるのだから、それをついつい馬にも強いてしまう。

そういう意味では、彼らが蜃気楼と空蝉に乗っているのは、非常に幸運だ。

 

 特に、蜃気楼に関してはまさしく規格外の体力、運動量、破壊力に加えて、一刀の氣を恐れないのが良い。

通常の馬では一刀が氣を使うと、その強大さに驚いて暴れてしまうが、蜃気楼は悠然とそれを受け入れる。

一刀としては、まさに彼自身の為に生まれたのではないかと錯覚する程の馬なのだ。

 

 

「さて、まずは――」

 

「すみませんが、お茶を一つお願いします」

 

「あいよっ!」

 

「……愛紗」

 

「心得ております」

 

 言の葉を紡ごうとした一刀は、茶屋を訪れた十二前後の少女の姿を見てそれを止めた。

愛紗に確認を取ると、やはり彼女も気づいていたようだ。

あの少女はかなりできる。一刀や愛紗には遠く及ばないが、既に並みの将に匹敵する武は持っていると見た。

 

 気付かれないように様子を窺うと、少女は背筋をピシッと伸ばした状態で茶が来るのを待っているのが見える。

その姿勢は整っており、かなりバランスの取れた筋肉を持っていることが窺える。

仕草を見る限り、育ちも良さそうだ。

 

 かなりの武人であることは容易に分かるが、最も特筆すべきは彼女が背負っている弓であろう。

かなり使い込まれているようだが、質が良い。しっかりと手入れが行き届いているようだ。

彼女は弓使いで、しかもかなりの使い手なのだろう。

 

 

「無名ならば、今の内に唾をつけておくか」

 

「そうでなくとも、唾はつけておくのが最善かと」

 

「そうだな。しかし――「賊が出たぞおおおお!!」……またか」

 

「なんですって!? おじさん! 後でまた来ます!」

 

「おう、いってらっしゃい!」

 

 一刀は賊には食傷気味な為、賊の襲撃に関してあまり良い気分ではなかった。

暇つぶしにもならないのだから、邑の皆の為にも、さっさと終わらせてしまうに限る。

愛紗に目配せで出ることを示すと、一刀は食事の礼と共に代金を店主に渡して、茶屋から出た。

 

 

「愛紗。今回は俺一人で出るから、蜃気楼の用意はしなくて良い」

 

「御意。楽しんできてください」

 

「ああ、楽しんでくる。運動不足になるのは困るからな。宿屋で待っていてくれ」

 

「はい。待っています」

 

 

 綺麗な微笑と共に見送ってくれる愛紗に、微笑で以て応えると、一刀は駆け出した。

竜である彼は速い。本来ならば蜃気楼すらも必要無い程にその速度は風に近いのだ。

いかに武将と言えども、風のような速さを維持できるのはせいぜい数尺程度の距離であって、それらは攻撃そのものに関してだけだ。

 

 武器そのものは風の速さを超えるかもしれない。音に近付くかもしれない。

だが、その本人はその領域まで到達できない。できたとしても、それを持続することなどできない。

何故ならば、彼らは人間だから。

 

 しかし、北一刀は違う。二度の死を経て竜となった彼は、肉体も精神もあらゆる面において各上の存在となった。

だから彼は風のように走り、跳び、馬よりも速くこの世界を駆け抜ける。

彼はまだ成熟していないが、いずれ成熟したならば、その速度は音に達するかもしれない。

 

 

「……あれか」

 

 門を抜け、地平線を歪める土煙に一刀は口元を歪めた。

どうやら馬を持っている賊のようなので、官軍崩れかもしれない。

しかし、腐敗した官軍など大した戦力ではないし、たかだか数百相手にやられる道理もない。

数は数百。この村に辿り着くまでの時間は四半刻も無いだろう。

 

 しかし、それすらも数百の肉を引き裂き、血を地面に染み込ませ、その命を奪い尽くすには多過ぎるくらいだ。

一刀としては、あまり邑の皆には見られたくない。待つよりもこちらから迎えに行った方が早い。

 

 そう判断した一刀はすぐさま駆け出した。腰に差した剣には手を付けず、全身の氣を増幅させていく。

彼はまだ氣を完全に扱えはしないが、それでもただ氣の固まりを放り投げることはできる。

増幅させた氣を右手に集中させて、イメージを展開していく。

 

 

「残念だが、お前たちはここで終わりだ」

 

 生み出す形は一本の剣だ。

一里に匹敵する巨大な剣を氣で以て想像する。右手で爆ぜようとする氣を抑え込み、展開する時を待つ。

間合いまで後十数秒―――その時になって初めて彼は抑え続けていた氣を解放した。

彼の右手に収束した膨大な氣が伸びに伸び、まさに一里に及ぶ氣の剣が生成される。

 

 

「なんだありゃ!?」

 

「こけおどしに違いねぇ!! ぶっ殺せ!!」

 

 

 

「―――ここで死ぬ己の不幸を呪うがいい」

 

 

 

 そして、一刀は、何の迷いも無く右腕を横薙ぎに振った。

 

 

 右手に纏った氣の剣はそのまま範囲内に居る賊を、乗っている馬を切り裂き、全てが派手な血飛沫を上げて死んでいく。

あまりにも綺麗な切断面に、一刀は氣を極めることで剣が必要なくなることを確信し、同時に恐怖した。

こんな彼を見てしまった者達は彼から離れてしまうのではないか?―――そんな考えが彼を襲う。

 

 彼の練度がまだまだだった為、賊の末尾に居た者達にまでは刃が届かなかったようだ。

その結果生き残った者達は、目の前で行われた大量殺戮に目を見開き、静止していた。

現実を受け止められないのも無理はない。突然前方の仲間が皆体を真二つにされて死んだのだから。

 

 暫くの間、呆けていた賊達であったが……一刀が再び氣を溜めながら近づいてきたことで、大混乱となった。

皆逃げ出そうと必死に方今転換し、馬を走らせようとするが、その間にも前の方に居た者達は氣の刃で死んでいく。

 

 

「ば、化け物だあああ!!」

 

「逃げろおおおおお!!!」

 

「これを見られて生きて逃がすと思ったか?」

 

「ひ、ひいいいい!? 止めろ!! 止めてくれ!!」

 

「死ね――お前が今と同じように命乞いをした者達を殺したように」

 

 一人、また一人と確実に殺しながら一刀は残党の清掃に入った。逃げ纏う山賊達は必死に生きようとしている。

だが、一刀はその必死さに免じて逃がしてやるつもりは更々無かった。

こういった人種は生かしておいて良いことは無い。

信念も実力も無い人間は、いずれ同じことを繰り返すのだかあら。

 

 一人一人確実に命を奪い、その表情を苦悶のものにしていることすら無視して彼は切り続ける。

血の染みついた戦場の中で、彼は己の存在価値を少しだけ見出すことができるのだ。

こうして殺すことで、他の誰かを助けることになるのならば、彼には己の手を汚すことなど安いものだった。

 

 

――気付けば、賊は一人残らず全滅していた。

 

 

 

「……はぁ。」

 

 血の匂いの充満する殺戮の痕はその道の者を昂らせるかもしれないが、少なくとも一刀にはその気は無い。

寧ろ、苛立ちばかりが込みあがってくるのは、彼の元来の性質なのかもしれない。

賊になるしかない状況になった者も居るだろうが、そうでなかった者だって居るのだ。

ここで彼に一人残らず殺された者達は皆後者だ。

 

 まだ黄巾の乱までは後九年ある筈なのだ。九年前ですらこの状態ならば、黄巾の乱の際に百万以上の者が参加したというのは無理も無い。

その時も彼は皆殺しにするかもしれないし、しないかもしれない。

直属の部下しか持つつもりはない彼には、どうでも良いことだが。

 

 

「さて、取りあえず死体を燃やしてから、報告に――」

 

「……」

 

「……」

 

 死体の片づけをしようと思い振り返った一刀は、馬に乗った状態のまま驚きで固まっている少女に気付いた。

先程の茶屋に居た少女に間違いないが、どうやら彼の行いか、もしくは結果のみを知られたようだ。

気配を今まで感じなかったのは彼が少しばかり呆けていたせいであろう。

 

 一刀は取りあえず現状を少女に報告しようと、体を少女の方に向けたのだが、少女に反応はない。

不思議に思った一刀が近づいてみると、どうやら少女は固まっているようだった。

真横まで歩いていくと、軽く顔の前で手を振ってみるが、気づかない。

このままでは状況が進展しない為、仕方なく一刀は声をかけることにした。

 

 

「大丈夫か?」

 

「……はっ!? も、申し訳ありません!! な、何の用でしょうか!?」

 

「はぁ……見ての通り賊は全滅した。死体の処理は俺がするから、邑に報告を頼む。もう安全だと、安心させてやってくれ」

 

「わ、分かりました!!」

 

 一刀の声によって漸く現実に戻ってきた少女は慌てながら彼の用を聞いてきた。

それに苦笑しながらも、一刀が邑の方を示して報告を頼むと、少女は慌てて了承し、馬を走らせていく。

その後ろ姿を苦笑と共に見送ると、一刀は死体を燃やすことにした。

 

 一刀の予想通り、この規模の大きさはいくつかの賊が纏まっていたからのようで、食糧などは殆ど持っていなかった。

恐らくギリギリの状態にあった複数の賊が纏まって、一番近くにあったこの邑を襲うことにしたのだろう。

このまま燃やしてしまうのが一番良い。

 

 即座に火葬することを判断した一刀は、今までしてきたように氣を指に溜めると一番身近な死体の衣服を発火させた。

氣は使い方によってはこのようなことも可能になるが、消費量が多過ぎる為一刀としてはあまり使いたくない。

しかし、通常の手筈で火を起こすよりもこうやった方が圧倒的に速いので、こちらを多用しているのだ。

 

 

「……地獄の業火、か」

 

 今現在彼の前で死体を焼いている炎は不思議なことに中々消えない。勿論消火作業を行えば消せるが、そうでない限りは対象を燃やし続ける。

いずれ彼もまた、この業火によって焼かれて死に逝くのかもしれない――そう思える程に一刀は多くの命を奪った。

 

 一刀にとって人間は今までと同じ存在の筈だが、竜としての自覚が出てきた今は非情になることも簡単になった。

この世界に来る前の彼であれば、この光景を見て吐いたであろうし、そう簡単に慣れることは無かった筈だ。

 

 しかし、今の彼は全く動じない。殺さずとも済んだ可能性を認めながらも、殲滅を選んだ。

以前の彼には出来なかった行為であり、同時に憎悪すべき行為でもあった。

それが今の彼には出来てしまうのだ。人間としての彼は地獄に落ちるしかあるまい。

 

 

「投降すれば殺さないんだがな……」

 

 

 これは言い訳だ。一刀はそうする余裕すら賊に与えなかったのだから。

この台詞は飽く迄彼にとって戒めの言葉であって、他者にその答えを望んではいない。

今回に関しては数が多過ぎた為、彼一人では投降させるのは難しかった。

そうでなければ、投降させるのは不可能ではないのだ。

 

 事実、これまで壊滅させた盗賊では可能な時は投降させ、更正を村の者達に任せた。

今回も邑の者達と協力すれば投降させることは出来なくは無かった。

しかし、それに伴う危険性を考えて一刀は個人での殲滅を選んだのだ。

勿論、そこに彼の暇つぶしがあったのは否定できない。

 

 

「……さっさと戻るか。」

 

一刀は全ての死体を燃やしたのを確認すると、邑に向かって歩き出した。

体中にこびり付いた血の匂いはもはや取れそうにないが、それでも構わない。この匂いが取れてしまえば、彼は殺しの罪を忘れてしまう。

例え竜という人外であったとしても、彼は人間としての感性を失いたくは無かった。

 

 既に感性が竜のそれになり始めているとはいえ、彼は元々人間だったのだ。

これからも人間との関わりは続いていくのだから、人間としての感性を失うのは避けたかった。

愛紗だけは彼を理解してくれるだろうが、それでも彼は怖かった。

 

 誰からも受け入れられぬ存在になるのが、怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「「ありがとうございました」」」」」」

 

「これは……どういうことだ?」

 

 四国半程後に邑に戻った一刀を待っていたのは、城門の処で彼を待っていた者達の感謝の言葉であった。

先程の少女も含む数十人が彼の帰りを待っていたのだ。

このような展開を予想していなかった彼は驚き、一番近くに居た先程の少女に聞いてみた。

 

 

「貴方のお蔭で私達の邑を守ることができました。この邑全体の代わりに、ここに居る皆で貴方に感謝の言葉を述べに来たのです」

 

「降りかかる火の粉を払ったまでだ。それに、ここは寧ろ怯えるべき場面ではないのか?」

 

「そんなに優しい目をした方に怯えることはできませんし、その必要もありません。貴方がいかなる者であっても、この邑を守ってくれた事実は変わりません」

 

「そうですぞ。貴方のお蔭で、この邑は無傷。負傷者も居ませんでした。寧ろ誇るべきことでしょうに」

 

「では、感謝の言葉だけでも確かに受け取っておきます」

 

 少女とこの邑の責任者らしき老人の言葉と態度に毒気を抜かれた一刀は、微笑しながらもその言葉を受け取ると静かに一礼した。

そんな彼の姿に安心したのか、村の皆も各々が再び礼を言ってくる。

一刀はこの光景を見ていると、思わず泣きたくなってきた。

 

かつて一刀は甘家に居た時に思伴から誰かの未来を奪うことで他の誰かの未来を救うこともできる、と言われたことがある。

甘家で教わったことは確かにその通りで、彼の中で生きていた。

知らぬ内に、甘家は彼に道を教え込んでくれていたのだ。

 

それが、彼にとってどれほどの救いとなっているのかは筆舌に尽くしがたい。

例えそう教えてくれた甘家の者達が、彼がこうなることを知っていたとしても、一刀は嬉しかった。

あの時思春に見つかり、甘家に彼が招かれたのは決して無駄ではなかったのだから。

 

 

「我々としては、是非とも貴方に礼をしたいんじゃが、如何ですかな?」

 

「礼、ですか? なら、上手い飯を頂けると助かります。昼飯の前だったものでして」

 

「その程度訳ありません。知華や、頼んで良いか?」

 

「お任せください。私が責任を以てこの方のお世話をしますから、皆様は安心してお仕事にお戻りください。ささ、旅の方こちらです」

 

「あっ、連れを連れて行きたいから先に宿って行っても良いか?」

 

「はい、分かりました」

 

 笑顔で一刀についてくる少女の地位はかなりのものらしく、数十人も居た者達は彼に再び一礼すると皆戻っていった。

一刀の見る限り、少女はまだ十二程度のようだが、既に何か職を得ているのかもしれない。

彼の眼から見てもはっきりと武芸に秀でているのは分かったので、恐らく武官の立場だろう。

 

 

「皆随分とすんなり引き下がったが、君はこの街で武官でもやっているのか?」

 

「はい。まだ元服してはいませんが、一応この街の警邏に参加させて貰っています」

 

「それは凄いな。見た所かなりの武の持ち主のようだし、将来は有望だな」

 

「そんなことありません。私なんてまだまだです……貴方が居なかったら、今日もどうなっていたことか」

 

「今はまだそうかもしれないが、後十年もすれば君も歴史に名を残す程の武将になっているかもしれないぞ」

 

「と、とんでもありません! こんな未熟者が将に、しかも歴史に名を残す程なんて!」

 

 一刀は既にかなりの邑を回ってきたが、彼女の年齢で警邏に参加している者など一人たりとも見たことが無い。

しかも、その場所がこの青洲なのだから、彼女がいかに優れているのかが良く分かる。

もしかしたら、彼女は一刀も良く知る武将かもしれない。

そうでなくとも、唾をつけておいて損は無いだろう。

 

 

「ああ、そうだ。俺は姓が北郷、名が一刀と言う。異国から来た為字や真名は持っていない」

 

「異国の方なんですか。真名や字が無いというのは珍しいですね。私は姓を太史、名を慈と言います」

 

「……ほぅ、良い名だ。」

 

「北郷さん? なんだか目付きが変わりました?」

 

「気のせいだ。ああ、ここだ。少し待っていてくれ」

 

 一刀は今目の前に居る少女が太史慈であることに若干の驚きと、面白くなったという期待を込めた表情になった。

目的の宿についたので、愛紗を呼びに行く為に太史慈には待って貰うことにした。

青竜偃月刀の柄が見えた部屋に行くと、ノックをする前に中から「どうぞ」と愛紗の声が聞こえてくる。

どうやら、一刀の気配に感づいていたようだ。

 

 一刀は静かに扉を開けて部屋に入ると、愛紗を見遣った。いつもと同じように待つ彼女が、今日はいつもよりも綺麗に見える。

随分と現金なものだと、己の単純さに苦笑しながらも一刀は彼女に事情を説明した。

愛紗はそんな彼に微笑みかけると、静かに頷いて了承するのだった。

 

 すぐさま愛紗を従えて太史慈の元に戻ると、一刀は太史慈に彼女の紹介をした。

太史慈は愛紗の姓名を聞いて驚いたものの、彼女の待遇を聞くと気まずそうに謝ってきた。

愛紗は太史慈に対して気にしないで良いと言い、そのまま食事に向かう流れに戻すと、三人とも食べ処に向かうことになった。

 

 

「仲達さんは、本当にお綺麗ですね。同じ女性として羨ましいです」

 

「ふふ、ありがとうございます。でも、そういう太史慈さんも将来は美人になると思いますよ? ですよね、一刀様?」

 

「ん? ああ、そうだな。後五年くらいしたらお嫁さんに貰いたいくらいだ」

 

「ええ!? ま、まだ心の準備が!?」

 

「いや、本気にしないでくれ。飽く迄そう思う程に綺麗だと言いたいだけであってな……」

 

「一刀様。太史慈さんは真面目なお人みたいですから、そういう言い方は誤解を招きますよ?」

 

 道中は会話が弾み、久しぶりに愛紗以外と全く策略なく話すことができたので、一刀には有難かった。

今まで訪ねた邑でも商人達と話したりはしたが、それらは全て邑の経済などの回り方、区分整理を知る為のものだった。

 

 そういう目的の無い、本当のただの世間話をするのは一刀にとって実に久しぶりなのだ。

こういう完全に気を抜ける時間はもっとあっても良いかもしれない。

やはり愛紗が言うように、無理をせずに自分のペースで進んでいくのが一番だ。

 

 目当ての店についても、やはり三人の会話は途切れることなく続き、一刀は元々太史慈を見極めるつもりであったことも忘れていた。

彼女は不思議な雰囲気を持っており、愛紗とはまた違うタイプの安らぎを得られる。

一刀としては、彼女ならば是非とも仲間として加えたいと思うが、中々に難しいところだ。

 

 

「お二人はこれからどうなされるおつもりなのですか?」

 

「まずは冀州に行くつもりだ。その後は、幽州、并州などを回る」

 

「大陸を横断するのですか? 時間も路銀も大層かかるのでしょうね」

 

「ああ、この旅は数年かけて行うつもりだからな。幸い俺も愛紗も文武双方共それなりにできるから、仕事はある」

 

「あれだけの武に、文官の仕事もできるなんて凄いですね!」

 

 目を輝かせながら一刀達を見てくる太史慈の眼は非常に眩しく、一刀にはもう無い純粋さが窺える。

この少女は純粋だ。それ故に、一刀達がいかに恐ろしい存在なのかを理解していない。

 

 

「俺達には力が必要なんだ。だから、使えるものは全て手に入れる」

 

「力……ですか? でも、どうして?」

 

「このことは他言するな。良いか? 近い将来漢王朝は崩壊し、群雄の争う時代が来る」

 

「ええっ!?「声が大きい」あっ、すみません……」

 

「それで、だ。その時に俺達はこの大陸を平定し得る者の下につく。その為に力が必要だ」

 

 一刀が顔を近づけて太史慈にだけ聞こえる様に今後の予想を言うと、彼女は驚きのあまり声をあげてしまった。

それを注意する一刀に対してしょんぼりとしながら素直に従う様は、まさに年相応だ。

こんな光景を守る為にも、一刀は更に力をつけねばならない。

 

 戦乱の時代は長くは続かせない。天下三分の計にまで持って行くのは大層骨が折れるが、出来るだけ史実の通りに、だがそれよりも迅速に世界を変える。

一刀がこの世界に来た理由は彼にはまだ分からないが、そんなものは無くても構わない。

ただ、彼がこの世界に不必要な存在ではないことを証明できれば良いのだ。

 

 彼はそれを証明してみせるし、いずれ来る戦乱もいつかは納めて見せる。

史実をなぞることは必須だが、それ以外に関しては一刀なりに歪めていくことも辞さない。

そう、例えば眼の前に居る太史慈に唾をつけておくような。

 

 

「もしもそんな時代が来るならば、私もお力になりたいです」

 

「そうか。ならいずれ力を借りるとするか。なぁ、愛紗?」

 

「そうですね。太史慈さんも後十年もすれば有名な武将になっているでしょうし、その頃にでもお力を貸していただきましょう」

 

「えっ? 私なんかで良いんですか?」

 

「太史慈はいずれ武将として大成する。だから、その時に是非とも力を貸して欲しい」

 

「わ、私なんか北郷さんの足元にも及びませんよ!」

 

 一刀は会話の中で気付いたが、やはり太史慈の彼を見る眼の奥に潜むものは、潁川郡穎陰県で彼が出会った荀攸のそれに近い。

彼女もまた一刀に何かを感じているのであろうが、それは恐らく王の器ではない。

太史慈は史実では孫策と互角に戦った強者だ。恐らく一刀の武に対して惚れ込んだのだろう。

 

 一刀としては、それを利用させて貰うだけのことだ。

彼女は呉に加わることになるかもしれないが、その流れを変えられるかを彼女で試す。

太史慈が史実通り孫策の元に降るか、それとも彼の元にやってくるかを実験しておくのだ。

太史慈が孫策に降るのは十年以上後だが、歴史の強制力を試しておくのには良い機会だ。

もしも、強制力が無いならば、天下三分の計も歪めに歪めて速めることができる。

 

 

「俺よりも強いか弱いかなど問題ではない。大切なのは、俺についてきてくれるかどうかだ」

 

「そうですか。なれば、この太史慈いずれ北郷様の元に馳せ参じることを真名の元にお約束します。私の真名は――」

 

「待て、真名は教えてくれなくとも良い。受け取るのは君が本当に俺の部下になった時だ」

 

「御意。北郷様は、本当に真名を大切にするのですね。異国の方とは思えません」

 

「最初に世話になった家の人達が色々と教えてくれたからな。そのお蔭だ」

 

 甘家は一刀がこの世界で生きていく際に大切なことを沢山教えてくれた。当時は大量の情報の一つでしかないと思っていたが、今の彼ならば分かる。

思春も、思秋も、思伴も、彼が生きていく為に必要なものを沢山くれたのだ。

改めて、甘家がいかに優秀な家だったのかを実感する。

 

 やはり甘家は彼にとって忘れられない大切な存在だ。

例え一刀が彼らと過ごした時間が短かったとしても、彼にとってあの家族は特別なのだ。

多くの者と出会い、別れていくだろうが、一刀は恐らくあの家族以上に喜び、悲しむことは無いだろう。

そうある彼が居る。そうありたいと思う彼が居る。そうでなければいけないと思う彼が居る。

 

 

「真名は重いものだが、絶対ではない。呼ばれない名に意味は無い。これが、その家で俺が教えられたことだ」

 

「成程。至言ですね。確かに呼ばれない名は無価値です」

 

「そうだ。しかし、真名は重い。俺が真名を預かるのは、俺が抱え込むと決めた者だけだ。俺には真名が無いのだから、態度で誠意を示すしかない」

 

「太史慈さん。一刀様はこの通りですから、真名をお預けになるのは暫く我慢してください」

 

「はい、その時が来るのを心待ちしております」

 

 やはり太史慈は良い子だ。一刀の言葉に素直に思ったことを言い、人懐っこい。

嘘がつけない損な性格であるとも言えるが、その真直ぐさは必要だ。

戦乱の時には口約束などゴミのようなものだが、だからこそ約束を違えない者は重宝される。

 

 一刀に必要なのは圧倒的武を持つ者でもないし、神算を行う軍師でもない。彼が最も必要としているのは、同志だ。

同じ志を持つ者であれば、彼が足りない部分を埋めて見せる。彼に足りない部分を埋めて貰う。

 

 

「次に俺が君と会うのは恐らく十年以上後だ……その時もその気持ちを忘れずに居たのならば、その時真名を預かろう」

 

「十年ですか……そんなに待たせたら、他の人の処に行っちゃうかもしれませんよ?」

 

「構わないさ。太史慈がそれを望むのならば、そうすれば良い。そういう可能性も考慮して、今は真名を預からない訳だからな」

 

「そういうことです」

 

「むっ……絶対にその時が来れば、馳せ参じます! 絶対に約束は違えません!!」

 

 一刀達をからかうつもりが、冷静に返されてしまった太史慈はむっとした表情で約束を違えないことを宣言した。

一刀はそんな太史慈の素直さに苦笑しながらも、同時にその言葉を違えないことを祈る。

いかに太史慈が約束を守ろうとしても、状況がそれを許さないこともあるのだ。

 

 一刀は飽く迄唾付けをするだけで、その結果に関しては、期待はしていない。

歴史を変えられるのならば、彼はより良い方向に変えたいが、下手に変えれば彼自身の首が締まる。

決して天才ではない彼の唯一のアドバンテージである未来の知識も意味をなさなくなる。

それだけに固執するのは却ってマイナスだが、アドバンテージを簡単に捨てるのは止めた方が良い。

 

 

「その言葉、信じよう。君の合流を心待ちにしている」

 

「ご期待に添えて見せます!」

 

 

 

 こうして、一刀はかの太史慈子義に唾をつけることに成功したが、果たしてそれが歴史を変えるものになるかどうかは、まだ定かではない。

そして、彼がこの世界にどのような影響を齎すのか、また世界が彼にどのような変化を齎すかもまた定かではないが……たった一つだけ分かっていることがある。

 

 北郷一刀という天から降り立った竜が、誰かの為に何処かで向かおうとする時、時代は大きく変動する。

その牙で誰かを傷つけ、その体で誰かを守り、その叫び声で誰かを求める彼は、この世界を大きく変化させていく嵐だ。

 

その嵐が回す風車は、まだ見つかっていない。だが、もしもそれを見つけたならば―――彼はそれを回し続けるだろう。

彼が望む力と、知恵と、勇気を兼ね備えた者へと成長する日は遠いかもしれない。

だから、一刀はそれを早める。彼という歪みで以て、嵐で以て、加速させる。

 

 

 

 

 

 

 そして、一刀がその風車に会う日は―――近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
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