No.466666

人類には早すぎた御使いが恋姫入り 三十二話

TAPEtさん

曹孟徳は覇王とは孤独と言った。

劉玄徳は孤独を知らずにここまで来た。
一刀は玄徳に孤独を知れとは言ったが、それに独りで耐えろとは言っていない。彼女がそれに気づくのが、そして周りがそれに気づくのが早ければ早い程、劉玄徳という英雄の覚醒は加速する。

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2012-08-07 19:49:30 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:7028   閲覧ユーザー数:5102

愛紗SIDE

 

「どういうことだ」

「申し上げた通りです。私はここに残ります。皆さんは桃香さまの元へ帰ってください」

 

夏侯惇、夏侯淵姉妹が去った後、楽進殿はそう言った。

 

北郷が連れ去られたのだ。衝撃が大きいだろう。

私が楽進殿だとしても、もし自分が不甲斐ないばかりで桃香さまが敵に攫われたりなどしたら、そのまま単身で関に攻め込もうとして犬死になってもおかしくない。

 

しかし、だ。

楽進殿をここに一人で置いていくわけには行かないのだ。

ここに一人に置いて我々が去ったら、それこそ何が起きるかわからない。

 

「楽進殿」

「関羽殿の言いたいことは分かります。でも大丈夫です。馬鹿な真似は致しません。ただ、少しでもあの方に近い場所に居たいだけです。関羽殿なら分かったくださるはずです」

「……」

 

他の者ならそんなことしてもどうにもならない、と言い返しても良かっただろう

でも、私には楽進殿の気持ちが良く分かった。

だから、私はそれ以上彼女を止めることは出来なかった。

 

「分かった。あちらを片付けて戻ってくる。行くぞ、鈴々、星」

「ああ」

「…わかったのだ」

 

そうやって我ら三人は残った兵士たちと一緒に自陣へ戻るため楽進殿が仰いでいる虎牢関を後にした。

 

 

 

 

「愛紗、桃香さまにはどう言うつもりだ」

「どうも何も見たまま話すしかあるまい」

「だからどう説明する気だ?北郷殿が裏切ったと言うつもりか」

「アイツが桃香さまを裏切るはずがないだろ!星、まさかあの曹操軍の将が言ったことを信じているわけではないだろうな!」

 

私が星に怒鳴りながら振り向くと、星は笑っていた。

 

「…貴様、私を誂ったな」

「いや、すまん。でも愛紗のことだからな。万が一にでもそっちに耳を傾けたのではないかと思ったまでだ」

「ふん!あんな乱心になった人間の話聞けるか。それに、アイツは桃香さまの真名を呼んだのだ」

 

アイツは今まで誰一人、楽進殿以外には我々の真名を呼んだことがない。

そんなアイツが桃香さまの真名を呼んだのだ。

我々にとって真名とは真の名。それは友には信頼の証であり、主には忠誠の誓いになる。

逆を言えばアイツがそんな真名を受け取っているにも関わらず今まで呼んでいなかったのは、我々への侮辱となるものだった。

でもそんなアイツが桃香さまの真名を呼んだ。つまりそれは奴なりの覚悟が篭ったものであろう。

 

だとすれば、あの時桃香さまに言ったアイツの言葉、決して軽く言ったわけではないはずだ。

 

しかし、だとしたら何故だ。

何故アイツは危険を背負ってまで単身であそこまで行ったのだ?

 

『……同じ『化物』だからな』

 

「……」

 

アイツが呂布を話を済ませ私たちより先に消えていったあの時、アイツの顔をもっとちゃんと見るべきだった。

あの顔は何かを決心した顔だった。

アイツは、何か取り返しの付かない橋を渡ってしまったのかもしれない。

 

「愛紗、アレを見るのだ」

「うん?」

 

鈴々が指す方を見ると、陣から桃香さまが私たちの方に走ってきていた。

あの方はまたあのような危険な真似を…

 

「愛紗ちゃーん!」

「桃香さま!またそうやって護衛もなく単身でこんな所まで!」

「皆無事だった?怪我はない?」

 

私たちの前まで走ってきた桃香さまはいつも以上に心配性な動きで私の体をまさぐった。

 

「ちょっ、桃香さま!や、やめてください!私は大丈夫ですから。どこ触ってるんですか!」

「腕は大丈夫かな…ああ、ここ太ももに傷できてるじゃない。全然大丈夫じゃないよ!」

「そ、それぐらい傷のうちに入りません!」

「駄目だよ。愛紗ちゃんも女の子だったらちゃんと自分の体のこと心配しないと。ほら、早く帰って治療受けて」

「分かりましたから少し落ち着いてください、桃香さま!」

 

いつも以上に強引な桃香さまのなんとか離れさせて、私は乱れた服を直した。

 

「どうだったか、愛紗?主に積極的に心配された感想は」

「余計なお世話だ!」

 

まったく、さっきまで悩んだのが馬鹿馬鹿しくなってきたぞ!

 

「鈴々ちゃん、大丈夫だった?」

「鈴々は大丈夫なのだ。でもお腹空いたのだ」

「うん、そうだろうと思って用意しておいたよ。中に朱里ちゃんと雛里ちゃんがおご飯用意して待ってるからね」

「わーい」

 

…あれ?

 

「桃香さま」

「うん?何、星ちゃん?あ、星ちゃんは大丈夫か聞かなくて拗ねたんだね?ごめんね。星ちゃんは大丈夫だった?」

「北郷殿が敵将張遼に攫われたらしいです」

「………」

 

ああ、そうか。

桃香さまはわざと大げさな行動なさっていたのだ。

私たちが北郷と楽進殿無しで帰って来るのを見て、二人の身に何かが起きたと感づいて。

 

「…攫われたらしいって?」

「はい」

「…なんで『らしい』なの?誰からそんなことを聞いたの?」

「曹操軍の夏侯淵将軍からです。私たちが行った時には既に…」

「何で!?」

「っ!」

 

一瞬、桃香さまは爆発した。

 

「なんで一刀さん一人に居させたの?一刀さんが攫われた時愛紗ちゃんたちはどこに居たの!」

「申し訳ありません、桃香さま!私の責任です」

「責任とってなんて言ってないよ!」

 

私は頭を下げたが、桃香さまの怒りを鎮めるには足りなかった。

 

「一刀さんが一人で動こうとすることなんて十分考えられることでしょ?だったらいくら一刀さんが無茶言っても一人ぐらい付いて行ったら……」

 

桃香さまは戦ったこともないその両手を握りしめて私の胸をポカポカと叩きはじめた。そんなもの痛くも痒くもなかったが、むしろ桃香さまの目から落ちる涙が私たちの胸をもっと苦しませた。

 

「…申し訳ありません」

「…何なの」

 

桃香さまは手を止めて、そのままゆらりとその場に座り込んだ。

 

「やっと、やっと認めてもらったのに…真名で呼んでくれるようになったのに……」

「…桃香さま」

 

返す言葉もなかった。

何故私たち誰一人、アイツに付いて行ったり、独りで行こうとするアイツを止めなかったのだろう。

答えは簡単だ。そういうアイツの独断な行動があまりにも自然だったからだ。

アイツなら大丈夫だろうって。いや、そもそもアイツがどうなろうが私には関係ないという気持ちがあったのかもしれない。

桃香さまがアイツに付いて我々ほど、いやそれ以上にも気にしておられることぐらい分かっていたはずなのに……。

 

「桃香さま…」

「………」

「申し訳ありません、桃香さま。どんな罰でも受けます。ですから…」

「…ううん、愛紗ちゃんを責める気はないよ」

 

ところが、そんな桃香さまは突然立ち上がった。

まるでなんともないかのような清々しい顔をなさっていて、さっきまで泣いていた方だとは思えないほどだった。

 

「取り敢えず、三人とも疲れているだろうから、早く戻ろう。朱里ちゃんと雛里ちゃんも心配しているから」

「は、はい…」

「…」

「お姉ちゃん……」

 

我々三人は皆そんな桃香さまの変化に恐れつつも、桃香さまの後に付いた。

 

 

 

 

雛里SIDE

 

以前、楽進さんが来た時に私は北郷さんにこう言ったことがあります。

今からでもあなたが新しい君主と立ち上がる気があるなら、私は迷いなくあなたに付いて行くって…。

 

私と朱里ちゃんはこの乱世を鎮め、人々を幸せに出来る英雄を求めました。そして見つけたのが桃香さまなんです。

ですが北郷さんに出会って私は嘆きました。

この人なら誰よりも早くこの乱世を終わらせてくれるはずなのに。

なのに北郷さんは…

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「単なる夢に過ぎない」

「夢じゃありません。ただ北郷さんがそんなことに『興味がない』というだけです」

「『だから』夢なんだ」

 

「お前は玄徳を選んだ人間だ。俺はこれ以上お前に興味ない」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

北郷さんは二つの意味で私のそういう希望を打ち砕きました。

 

一つは自分はこの天下の平和などに何の興味も持たないこと。

北郷さんにとって、すべての行動はそれが自分に興味のあることか否かで決まります。

そしてこの天下は北郷さんにとって『興味を持つに値しない』ものにされたのです。

あの人にとって、天下とはまるで将棋盤の上なのかもしれません。

そこに立った瞬間、あの人にはこれからどうすれば勝つか、どの風に局面が動くかが分かるのです。

だからそういうものを知った上で天下を勝ち取っても、北郷さんにとっては何の意味もないことなのです。

 

そして、もう一つ、北郷さんが否定したことは、私自身のことでした。

そう。私は北郷さんではなく、桃香さまを選んだ人です。

あの人の家臣になることを誓い、あの人の理想のために智謀を振るうと朱里ちゃんと誓ってしまったのです。

北郷さんはそんな私に自分に付いて行く機会すら与えてくれませんでした。

 

…どうして楽進さんの前には現れて、私の前にはこうも遅く現れたのですか。

 

「はわわ、雛里ちゃん!火が強すぎるよ!」

「え?…あわわ!!」

 

その時私はやっと火に置いておいたくっきぃが丸焦げになっていることに気付きました。

急いで板を外に出しましたけど、もはや炭になっていました。

 

「あわわ…どうしよう」

 

北郷さんが帰ってきたら食べてもらおうと思って作ったのに…。

 

「作りなおせば大丈夫だよ」

「今のが陣地にあった最後の砂糖を使ってものだったの。それにもう作りなおす時間もないよ。そろそろ帰って来る頃だし…」

 

朱里ちゃんがそう言ったけど、そろそろ北郷さんたちが帰ってくる頃。

 

あれ?

 

「桃香さまは?」

「さっき出掛けたよ。陣からは出ないようにしてくださいって言ったけど…」

 

桃香さまも心配しているのは同じ。

北郷さんだけじゃなく、愛紗さんや鈴々ちゃん、星さんまで。

もちろん私だって愛紗さんたちのことも心配してるけど……北郷さんのことがもっと心配になるのは仕方ない。

だって、北郷さんはいざとなれば自分の体のことなんて全然気にせずに行動するから。

 

「私も行ってみようかな」

「…じゃあ、一緒に行こうか」

「うん」

 

私は焦げたくっきぃを捨てて、朱里ちゃんと一緒に厨房を出ました。

でも陣の外に行く前に、私たちは桃香さまが愛紗さんたちと帰ってくるのを見かけました。

 

「桃香さま!」

「…!」

 

私たちは桃香さまの前に行きました。

そして、愛紗さんと鈴々ちゃん、星さんの方を見ました。

…二人、足りません。

 

「…楽進さんと北郷さんはどうしたんですか?」

「……」

 

愛紗さんは何も言えずに視線を逸らしました。

まさか……

 

「愛紗さん」

「…済まない」

 

なんで謝るんですか…。

北郷さんに一体なにがあったのですか。

 

「北郷は…敵将に攫われた」

「…え?」

 

攫われた…?北郷さんが?

 

どうしてそんな……

じゃあ、北郷さんは今虎牢関の中に居るんですか?

 

「北郷さんは大丈夫なんですか?一体なにがあったのですか!」

「詳しいことは判らない。だが曹操軍の将が言うには、北郷が夏侯惇将軍を打って、それから夏侯淵の矢に打たれて落馬、その後董卓軍の将、張遼に攫われたらしい」

「…!!」

 

曹操軍の将というこの話を聞いた時、私の脳裏によぎる考えがありました。

 

「嘘です」

「…雛里、済まない。しかしこれは…」

「だって曹操軍の将から聞いた話じゃないですか。信用できません!いつも北郷さんのことを連れ戻そうとしていた曹操さんのことです。きっと私たちの目がないところで、北郷さんを無理矢理連れて行ったんです!そして敵将が連れて行ったなどと嘘をついているんです!」

「雛里ちゃん、幾らなんでもそんな直ぐにバレるようなことを曹操さんがするはずは…」

「絶対そうだよ!だって北郷さんですよ?そんな容易く敵将に攫われたりなんてするはずありません。きっと曹操さんが最初からそうするつもりで…」

「雛里ちゃん」

 

そんな時、桃香さまが私の前に来ました。

そして、その場に膝をついて私を抱きしめました。

 

「大丈夫。一刀さんはきっと大丈夫だよ。どこに居ても一刀さんならきっと大丈夫。だから、落ち着いて…」

「桃香…さま…私…」

「約束するよ。どこに居ても必ず連れ戻すから…だから、ね?」

「うっ……」

 

否定しようとしていたものが、桃香さまの優しい声に崩れます。

分かってます。曹操さんがそんなことをするはずがないということぐらい…でも、だとしたら北郷さんは…

 

「桃香さまぁ…!」

「うん、解ってる。解ってるから」

「北郷さんが…北郷さんが死んじゃったりしたら…」

「きっと大丈夫だから…ね?だから今は泣かないで」

「ひぅっ…えぐ……」

「雛里ちゃん…」

「……」

 

例え拒まれても、想いを弾かれても私にとって北郷さんは朱里ちゃんや桃香さま程大切な人です。

そんな人に万が一にでも何が起きるとしたら…私、耐えられなくなっちゃいます。

このいつまでも人々の大切なものを奪ってばかりの戦いなんて……

 

いつまで…いつまで続くんですか。

 

北郷さん…

 

 

 

朱里SIDE

 

私たちの軍に置いて、北郷さんという存在は常に異様な存在でした。

初めには家出していた桃香さまが連れてきたある奇人から始めて、その人の正体を知って、どんな人であったかを知りました。

 

私たちは彼を利用することは考えましたけど、普通の人とは違う北郷さんに心から近づこうとはしませんでした。

それこそ人の和でここまで来た桃香さまの軍のものだとは思えないぐらい、私たちは事務的な接し方をしていました。

でもそれは私たちのせいばかりではありません。北郷さんは普段自分に人が近づくことを拒んでいました。

北郷さんに心より近づこうとする人は、桃香さまだけでした。それも北郷さんはいつも罵倒と嘲笑で返すまででした。

 

そんな時、次に北郷さんに近づいたのが雛里ちゃんでした。

いつも人見知りで恥ずかしがり屋だった雛里ちゃんがどうやって北郷さんみたいな、典型的な『怖い人』にあんな風に近づくことができたのか今でも不思議です。

でも、何はともあれそれを切っ掛けに雛里ちゃんを通って私たちは北郷さんに付いてもっと知ることが出来ました。

 

だけどそれが残りの私たちが北郷さんに近づく切っ掛けになったかというとそういうわけではありません。

事情を知っていてもまだ北郷さんという人は近づきにくい人で、何より北郷さん自身が私たちに壁を作っていたのです。

 

そんな時反董卓連合軍に参加して、北郷さんが常に桃香さまに危険なことをさせたり、愛紗さんを挑発したりなど異様な行動をし始めました。

最初に私はそれが曹操軍に戻るための下準備だと思っていました。

でも今になってみると、それは誰でもない私たちのため、桃香さまのためでした。

桃香さまに自分の力で天下を見させるため。自分の理想の重さを知り、自らの力でそれを背負うようにさせるため。

 

今になって考えてみると、北郷さんは私たちにこう言っていたのかもしれません。

 

『お前たちはいつも桃香を天下の風波から守ろうとばかりする。そうやってはアイツの夢はいつまでも始まらない。いつまでもそうしていては桃香はいつまでも天下を取るに相応しい英雄にはならない。お前たちが今やっていることは桃香の理想を咲かせることではなく、奴の夢に寄生して自分たちの夢を咲かせようとしているだけだ』

 

愛紗さんにもそう言っていました。

今お前たちがやっていることはただ自分たちの理想に主を合わせようとしているだけだって。

考えてみるとそれも間違った表現ではありません。

現に今まで、私たちは桃香さまが優しすぎると思ったばかりに、桃香さまの考えすらも皆甘すぎると思い、その考えを潰して私たちがやりたいようにしてきました。

それもそれがまるで桃香さまのためであるかのようにしながらです。

 

桃香の優しさに惹かれたと言っていた私たちは、何時の間に桃香さまを傀儡のように扱っていたのです。

 

北郷さんはそんな私たちの目を覚ませてくれました。

 

 

 

「雛里ちゃんは?」

「自分の部屋で寝ています。…申し訳ありません」

「愛紗ちゃんのせいじゃないよ。それ以上謝ったら私に本当に怒るからね」

「はい……」

 

そして、これが今の桃香さまの姿です。

今までと何が変わったのか、はっきりとは言えません。寧ろあまり変わっていない?…そうかもしれません。

だけど明らかに変わったのは、そんな桃香さまに接する私たちの心がけです。

私たちが桃香さまをお守りします。でも桃香さまはもはや私たちに守られてばかりの籠の中の鳥さんではありません。そうなってはいけません。

 

「じゃあ、愛紗ちゃん、鈴々ちゃん、星ちゃん」

「はい」

「にゃ……」

「……」

 

 

 

「皆で一緒おご飯食べようか」

 

それを聞いて愛紗さんはその場ですっ転けて星さんは顔を横に逸らして笑いを堪えました。

 

「わーい、おご飯なのだー!」

 

うん、鈴々ちゃんは平常運転です。

 

「と、桃香さま!」

「だって、せっかく朱里ちゃんと雛里ちゃんが作ってくれたのに冷めちゃったら勿体無いじゃない。話はその後だよ」

「しかし」

「別に良いだろ、愛紗。少しは気を抜け……桃香さまの心を察しろ」

「む…」

 

星さんが小声で愛紗さんに後の話をすると、愛紗さんもそれ以上言わず口を閉じました。

 

雛里ちゃん以上に北郷さんに気をやっていた桃香さまのことです。

桃香さまはいつもここの皆のことを大切にしています。

この中の誰一人にでも何かが起きたら、桃香さまは耐えられないぐらい苦しむのです。

さっきは雛里ちゃんを励ました桃香さまですが、心の中では雛里ちゃん以上に悲しんでいるはずです。

それでも部屋に篭って泣きじゃくる代わりに私たちの前で、例えそれがわざと作り上げた笑みだとしても、その笑顔で私たちを見ておられる桃香さま。

桃香さまをこんなに強くしてくれたのも、北郷さんでした。

 

「雛里ちゃんの分も残さないと駄目だからね。鈴々ちゃん、全部食べたらだめだよ」

「分かったのだ。早く食べたいのだー」

「鈴々、お前絶対全部食べるだろ。桃香さま、雛里の分は先に取っておいた方が宜しいかと」

「そうだね。じゃあ、朱里ちゃん、私と行ってとって来ようか」

「私だけでも平気です」

「ううん、私が一緒に行きたいの。ね?」

「はわ?」

 

……あ。

 

「…分かりました。じゃあ、お願いします」

「じゃあ、三人はここでちょっと待っててね」

「はい」

「お姉ちゃん、早く帰ってくるのだ?」

「まったくお前は……」

 

愛紗さんたちが居る軍議場(という名のお茶会の場)を後にして、私は桃香さまと一緒に厨房に向かいました。

 

・・・

 

・・

 

 

軍議場での桃香さまの目を見て、私は桃香さまが単にお料理を運ぶために私と一緒に来たわけじゃないことを察しました。

 

「朱里ちゃん」

「はい」

 

冷やしておいた饅頭を皿に移しながら私は答えました。

 

「…北郷さんは大丈夫かな」

「………」

 

結局、桃香さまも雛里ちゃんみたいに、いや、それ以上に心配なさっていたのです。

私の何の当てにもならないはずの意見を聞きたくなるぐらい…

 

「きっと大丈夫ですよ」

「……そうだよね」

「北郷さんのことです。きっと攫われたのも策のうちです」

「あはっ、一刀さんらしいね」

 

でも、正直に言うと北郷さんが攫われたのは結構不味いです。

北郷さんは口では言っていませんでしたが、袁紹さんを潰すための策―アレは結果的に失敗しましたが―アレを成功させるには単に大規模に撤退する袁紹さんの軍だけでは足りません。

つまり、それを見た虎牢関の董卓軍動いてくれなければなりません。

その適時を突くようにするには、その内側の董卓軍にそうなることを伝えた者、つまり『内通者』が居たということです。

そしてそれが北郷さんだとしたら……?

その時は私たちの軍は連合軍から裏切り者に決めつけられ排除されるでしょう。

 

それについて北郷さんが何か考えがあるのかどうかは判りませんが、今の状況では危険な要素であることには違いありません。

それこそ北郷さんが虎牢関で死ななければ……。

 

 

 

 

桃香SIDE

 

『俺は俺が認めた人間じゃないと真名で呼ばない』

 

『俺は認めた人間の真名しか呼ばない。今日がその日だ。今日感じたそれを忘れるな』

 

一人で自分のあるべき姿に悩んでいた時、一刀さんは天より降りてくる代わりに河に流されて来ていましたけど、確かに私にとって天の御使いでした。

一刀さんは私に君主としての色んなことを教えてくれました。

私がどんな存在で、どんな風に行動するべきなのかを示してくれました。

 

そして、やっと私のことを認めてくれました。

お前はもう立派な君主だって。お前にはその資格があるって。

愛紗さんたち以外の偉い人からにはいつも呆れられて、笑われてきた私の存在が認められることがこんなに嬉しいことだったって知りませんでした。

 

そう言ってくれた一刀さんが帰って来ないのです。

いつもよりもずっと、他の娘たちよりももっと心配になっちゃっても仕方がないと思います。

 

愛紗ちゃんたちがどうして一刀さんを放っておいたのかは分かっているつもりです。

皆一刀さんに対して、あの人ならきっと大丈夫だって安易にそう思っているのです。私自身もそう思っていました。

 

でも良く考えてみると、そうじゃないんです。

一刀さんは実は私たちの中で一番危険を背負っている人なんです。

常に危ないことをして、何かのために自分を犠牲にすることばかり。

そんな人を独りにして安全なはずがないのに……。

 

どうして私たちはこうも簡単に一刀さんから目を離してしまったのでしょうか。

 

頭の中では数々の考え浮き出て、心の中は色んな感情が騒ぎます。

でも、最初に愛紗ちゃんに怒鳴った時に気付きました。

ああ、私がこうしちゃ駄目なんだって。私がこうすると皆を更に不安にさせるばかりで、一刀さんには何の頼りにもならない。

私の真名を呼んでくれた一刀さんが私に望んでいたもの、私があるべき姿はこれじゃないと。

 

私は君主であるべきです。

一刀さんが居ても、居なくても、私は皆を束ねる存在、皆が安らぐ場所でなければなりません。

 

「お姉ちゃん、食べないのだ?」

「え?」

 

ふと我に返ったら、隣の鈴々ちゃんが物欲しそうな顔で私の前の桃まんを見ています。

 

「あ、うん、鈴々ちゃんが食べてもいいよ」

「わーい!いっただきーなのだ!」

 

鈴々ちゃんは嬉しそうに桃まんを取って大きく口を開いて桃まんを齧りました。

 

「……」

「……」

 

その中、私を心配そうに見ている視線が幾つ。

 

「皆どうしたの?」

 

私が何気ない顔でそう皆を見回しました。

 

「桃香さま…」

 

愛紗ちゃんが心配そうな顔で私を見ている。

 

「私は大丈夫だよ、愛紗ちゃん」

「そうは仰りますが…私の目にはどうしても桃香さまが無理をなさっているようにしか見えません」

 

………。

 

「信じてるから、一刀さんなら大丈夫だって」

「……」

「だからそんな顔しないで。愛紗ちゃんがそんな罪人のような顔しても、私ちっとも嬉しくならないから」

「……はい」

「愛紗ちゃん」

「はい」

「…これからも私のこと守ってくれるよね?」

 

私は愛紗ちゃんにそう聞いた。

すごく当たり前のような返事が聞きたくて、

それが私を、愛紗ちゃんを元気つけてくれるから。

 

「はい、何が起きようが、この関雲長、何時如何なる時でも姉上のことをお守りします」

「…うん!」

 

それでこそ私の愛紗ちゃんだね。

 

 

 

 

愛紗SIDE

 

あくまでも笑顔でいらっしゃった。

桃香さまのいつもと何も変わらぬその笑顔を見て私は思った。

 

この笑顔に今まで傷をつけた者は誰なのかと。

黄巾党?董卓?北郷?

違う、私だ。

 

桃香さまは悲しい顔で死んでいく人々、それが苦しむ民でも、元は民であった盗賊でも、桃香さまはいつも彼らの死を悲しんでいた。

そんな桃香さまに向けてあなたは甘すぎると、彼らを殺す以外に方法はないと言ったのは誰だ?

 

北郷と私が喧嘩をする度にそれを止めたのは誰でもない桃香さまだった。

民を守るためでなくただ醜い身内喧嘩をしている時桃香さまの顔にいつもの笑顔は欠片もなかった。

 

そして、仲間である北郷に見失ったくせになんともない顔でノコノコと帰ってきた私に桃香さまは叫んでいらっしゃった。

 

なのに、さっきの悲しみが滲み出る顔が嘘のように消えさって、今こうして私の前に笑顔を見せてくださるこの方に、私は何をすればいいのか。

幾ら桃香さまが大丈夫だと仰っても、この笑顔に偽りが入ってること、桃香さまが我慢していることを知らないと言うのなら私は部下としても義妹としても失格だ。

 

「愛紗ちゃん」

「はい」

「…これからも私のこと守ってくれるよね?」

 

…嗚呼。

 

守らなければならない。

桃香さまの純粋な笑顔。ただ民と私たちを心配してくれるその笑顔を。

桃香さまが成長なさったように、私も成長しなければ、いつまでも桃香さまだけに辛い思いをさせるだけだ。

 

「はい、何が起きようが、この関雲長、何時如何なる時でも姉上のことをお守りします」

 

私は守るぞ、北郷一刀。

お主が生きていても、万が一死んだとしても、私はこれからも桃香さまをお守りする。

 

だが、出来ることなら、

 

無事に帰って来てくれ。

お前はもうこの軍に置いて欠かせない仲間だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃香SIDE

 

虎牢関の城壁の上でなびく一刀さんの服。

そしてその上に刺さった首を見た時、私の頭の中は真っ白になりました。

 

私の中の何かが崩れそうだったその時、私をたたき起こしたのは曹操さんの声でした。

 

「劉備!!」

「!」

「しっかりなさい!あなたも一軍の君主ならこういう時こそ気をしっかり持ちなさい」

 

華琳さんを見ると、とても平然な顔で私にそう言っていました。

 

「曹操さん…でも、」

「まだ決めつけるには早いわ……とにかく凪のところへ行きなさい。見たところ、恐らく今虎牢関は空になっているわ。あのまま放っておくと凪が何をするか分からないから早く!」

「は、はい!」

 

そうでした。

今この中で一番衝撃を受けたのは私ではありません。

私よりももっと長らく一刀さんのことを知っていた人が居ます。

 

凪ちゃん。

何があっても一刀さんのことを守ると言っていた凪ちゃん。

もしそんな凪ちゃんが一刀さんの死に直面したら壊れてしまうかもしれません。

 

私は関門に向かって走りました。

中には人が一人も居ませんでした。

でも私はそんなことは全く来にせず全力で城壁に上がりました。

そして、下ろした旗の前に跪いている凪ちゃんを見た瞬間、私は叫びました。

 

「凪ちゃん!」

「!」

「凪ちゃん」

 

私は元々うまく話なんて出来る人間じゃないです。

私が曹操さんのようにペラペラ自分が思っていることを話せるような娘だったら、きっともっとうまく凪ちゃんを慰めれたでしょう。

でも、私はそんな器用じゃないから…

 

「…桃香さま…」

「凪ちゃん、大丈夫だよ…凪ちゃんのせいじゃないから…」

 

私はそう言って跪いてる凪ちゃんに抱きしめました。

その時、

 

 

 

 

「偽物です」

 

 

 

 

 

「え?」

「一刀様ではありません。だから桃香さまも合わせてください」

 

一刀さんじゃ…ない?

 

「城壁を見上げながらずっと考えました。私が何故残されたのかを。一刀様が私に何を期待していたのかを…そして、これがその答えです。一刀様は死んでいません」

 

私は凪ちゃんを抱きしめたまま槍に刺さっている一刀さんだと思ったその首を見ました。

皮が剥かれて、一刀さんなのかそうでないのか判りません。

でも、凪ちゃんは一刀さんじゃないと言います。

じゃあ、一刀さんは…?

 

「凪ちゃん、本当に…一刀さんじゃないの?」

「はい。ですが、一刀様はこんなことをしてまで自分が死んだことにしておきたかったのです。だから、連合軍の諸侯たち、袁紹殿たちが一刀様が死んだと信じさせるためにこんなことをしたのです」

 

他の人たちに一刀さんが死んだと思わせる…

 

「そうしたらどうなるの?」

「そこまでは判りません。ですが幾ら離れていても、私はあの方に従います。ですから、桃香さまも他の皆さんに一刀様は死んだことにしておいてください」

「愛紗ちゃんたちにも…?」

「はい、無駄に事実を言っても意味がありません。万が一の場合は話しますが、その前までは事実を知っている者を限らせるべきです」

「…とにかく、一刀さんは生きているんだよね。本当なんだよね?」

「………」

 

凪ちゃんは口を開けず目で答えました。

凪ちゃんの目はさっき会ったばかりの時と一変して自信に満ち溢れていました。

 

その目だけでも、凪ちゃんの「あの方が死んだはずがない」という確信がビシッと伝わりました。

 

「あそこに首をしまうための箱があります。あそこにこの首を入れて、戻りましょう。

「…うん」

 

一瞬絶望しそうになったけど、一刀さんが生きているなら、また会えるのなら

 

私ももっともっと頑張らなきゃ。

 

それが一刀さんが認めてくれた私のあるべき姿だから。

 

・・・

 

・・

 

 

 


 
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