No.457841

天馬†行空 十六話目 凶兆

赤糸さん

 真・恋姫†無双の二次創作小説で、処女作です。
 のんびりなペースで投稿しています。

 一話目からこちら、閲覧頂き有り難う御座います。 
 皆様から頂ける支援、コメントが作品の力となっております。

続きを表示

2012-07-23 00:28:00 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:6192   閲覧ユーザー数:4608

 

 

 

 

 

「おらぁ!! 邪魔だ! どけどけぇ!!」

 

 大通りに響き渡る大きな濁声(だみごえ)に足を止め、そちらに視線を遣ると、

(いか)つい顔つきの、まるで牛のような体躯の若い男が周りの人間を突き飛ばしながらこちらの方へ走って来る。

 ……いや、その後ろから走って来る鎧姿の警備兵らしき二人の男性を見るに、逃げているのだろう。

 

「ふむ、物盗りのようだな。一刀」

 

「だね。こっちに来るけど……やるの? 星」

 

 当然、と答える星に頷きで返すと俺はその場に足を止め、荷物から縄を取り出しに掛かった。

 

「おらどけぇ! 邪魔だぁ!!」

 

 周りの人達が慌てて道を開ける中、暴漢はすぐに俺達の前まで迫って来て――

 

「――――げあっ!!?」

 

 ――星の膝が男の鳩尾(みぞおち)にめり込む。

 暴漢の手から落ちる小さな袋(おそらく財布)を星は上手くキャッチ、盗られたと思しき女性が走ってくるのを確認するとそちらへと向かった。

 

 俺はと言うと、

 

「はいはい、悪い人は縛っちゃおうねー」

 

 その場に崩れ落ちた暴漢の手足を拘束に掛かる。

 さて、腕をひねり上げてっと――

 

 

 

「あちゃー……もう終わっとったか」

 

「!?」

 

 ――手首に縄を掛けようとしたその時、突然声が聞こえたかと思うと、肩越しにすっと紫色の何かが通り過ぎて、

 

「あ、続けててええよ? ウチもちゃんと見張っとくし」

 

 振り向くと目と鼻の先、緑色の瞳がどこか面白そうに俺を見つめていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄巾の乱が終結してからしばらくは白蓮さんの下で北平の治安活動に勤しんだ。

 その間、白蓮さんに部下が出来たので丁度いい機会かな? と思い、再び見聞の旅に戻ることを星と白蓮さんに伝えて出発の準備に取り掛かったんだけど……。

 星には「なぜ私に一々断りを入れるのだ? 共に行くに決まっているだろう?」と返され。

 白蓮さんに告げると直立姿勢のまま硬直され、(三分ぐらいしてから)復帰した直後、

 

「な、何か待遇が悪かったか!? ……はっ! まさか、この前の酒家で酔っ…………と、兎に角! 私が何か不味いことでもしたのか!!?」

 

 と怒涛の勢いでまくしたてられた。

 涙目で迫る白蓮さんを必死に宥め、なんとか落ち着いたころに事情を説明。

 交趾からこちら、あちこちを見聞して歩くのが俺の本来の目的だということや、その中でも特に都を訪れて、現在のこの国の中心がどんな感じなのかを見てみたいことを話した。

 

 流石に、『三国志』の物語通りにいけば洛陽が焼かれるから今の内に行っておきたい、とは言えないけど。

 

「そ、そうか……。あ、じゃ、じゃあそれが終わったら帰って来てくれないか?」

 

 話し終わると白蓮さんからお誘いが来た、もし良かったら正式に仕えてくれないか? と。

 ……とりあえず、愛紗さんの時と同じく「縁があれば」と返しておいた。 

 都に仕官しに行く訳ではないので、そこまで長居をする気は無いけれど、もしもの時があるかもしれないし。

 それに、夕との約束のことを考えると幽州と益州は離れすぎている……白蓮さんに仕官すればいくら友人の頼みとは言え、迂闊(うかつ)に北平を離れる訳にもいかなくなるだろう。

 

 加えて、反董卓連合が史実通りに終了し群雄割拠の時代に突入したとして、白蓮さんが積極的に他国へ攻め入って勢力の拡大を図るようにも思えない。

 ……実際のところ、益州や法正というキーワードを考えると、やはり劉備の名前が真っ先に頭に浮かんでくるので、桃香さんに仕えるのが夕の作戦を成功させるのに一番良いのかもしれないのだけれど……。

 ひょっとすると董卓がすごく良い人だったりして、史実通りの流れにならない可能性もある。

 そもそもこの世界は俺の知ってる『三国志』の世界じゃない、と交趾に居た頃から考えていたのに、『黄巾の乱』などの『知っている』事件が起こると思考がどうしても先入観にとらわれ易くなっていけない。

 

 ……ともあれ、北平を旅立った俺と星は道中、陳留にて洛陽まで行く商隊の護衛を引き受けて都へと向かった。

 で、朝方に到着してすぐ先程の騒ぎに巻き込ま……いや、首を突っ込んだ訳だが、

 

「いやー、ウチの出番あらへんかったなあ。お二人さん、わざわざ手間掛けさせてごめんな?」

 

 縄を打った男を駆けつけた警備兵の人達に引き渡した後、星が暴漢をのしたのとほぼ同じタイミングで現れた関西弁? の女の子に手を合わせられている(星は取られた財布を持ち主に返して戻ってきたところだ)。

 警備兵が去り際に女性に一礼していたところを見るに、この女性も警備の、それも上の人間のようだ。

 下手に触ると刺さりそうなトゲ付きの髪留め? で紫色の髪をアップにしていて、服装は髪の色に合わせているのか全体的に紫色を基調としていた。

 肩に引っ掛けただけの羽織と袴、プラス下駄履きとどこか日本風な格好なんだけど、いかんせん着こなし方が斬新過ぎると言うか目の遣り場に困る。

 

 ……いや、だって羽織の下はさらしだけでおへそまで全開だし、袴の腰の辺りを見る限りはひょっとして穿いてな――やめよう、これ以上は危険な気がする。

 

「いや、こちらが好きでやったこと」

 

「そうですよ。なので、そうかしこまられなくても良いですよ?」

 

「…………」

 

 あれ?

 

 星と俺がそう返事をすると女の子はびっくりしたように目を大きく見開き、ぱちぱちと瞬きをした。

 

「む? どうされた?」

 

「……あ、ああ。……えっと、自分ら、旅人か何か?」

 

 女の子は星の問い掛けには答えず、逆に訊ねてくる。

 

「はあ、そうですけど……それが何か?」

 

「ああ、いや、変な意味やないんよ? そうや無くて、えらい丁寧な返事やったから、ちょっとびっくりしてな?」

 

 疑問に思いながら問いを返すと、疑心が顔に出ていたのだろう、俺の顔を見て女性は慌てた様子で両手を胸の前でぱたぱたと振った。

 

「いやな? ここらはあんま治安が良くないんよ。せやからさっきの自分らとちがって物盗りをのしても盗品を持ち逃げする奴等や、持ち主に目が飛び出るような謝礼金をたかろうとする奴がいたりしてな」

 

「ふむ。では我等に声を掛けたのは、その見極めの為か」

 

「せや……ごめんな。ウチらもピリピリしてて、つい……」 

 

 すっ、と目を細めて低い声で返答した星に、女性はばつが悪そうに眉根を伏せ、頭を下げる。

 

「ふっ、頭を上げられよ。そのような事情であれば致し方あるまい? なあ一刀」

 

「だね。そういう理由なら納得ですよ。えっと……」  

 

 名前を呼ぼうとしてまだ教えて貰っていない事に気付く。

 

「おっと! そういや自己紹介がまだやったな。ウチは張遼(ちょうりょう)、字は文遠(ぶんえん)や!」

 

 言いよどんだ俺の反応を見て、女性は合点がいったらしく照れくさそうに頭をかきながらそう名乗った。

 

 

 

 

 

 お互いに自己紹介を済ませた後、文遠さんの提案で茶店に寄ることに。

 卓を囲んで団子をぱくつきながら話を聞いたところ、文遠さんは非番で街をぶらついていて、先程の事件に出くわしたそうだ。

 さっきみたいなのは洛陽では日常茶飯事らしく、またか、とぼやきつつも押っ取り刀で駆けつけ、今に至ったのだとか。

 

「しっかし、二人がいてくれて助かったわ。あのままやったら怪我人が出てたかも知れへんかったし」

 

「ふむ。あの者、猪の様な勢いであったからな。捨て置けば、通りにいた他の者達に被害が出たであろう」

 

「文遠さん、そう言えば突き飛ばされてた人達がいたと思うんですが……」

 

「そっちはやっぱ怪我人がなんぼかは居たそうやけど…………なあ北郷、ウチのことは呼び捨てにしてくれへん? さんづけされると何や、こそばゆいわ。あ、後、敬語も別にいらへんよ?」

 

「ふふ、分かったよ。文遠」

 

 彼女の話し振りはどことなく獅炎さんを思い起こさせるな、とか思っていると案の定というべきか、敬語禁止令が出された。

 思わず笑いが漏れてしまい、文遠が怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「? 北郷――」「――喧嘩だ喧嘩だ! また酒家でゴロツキどもが暴れ始めやがった!!」

 

 文遠が口を開いたと同時、通りに男性の大声が響き渡った。

 

「――ちっ、またかい! ちっとは大人しゅう出けへんのか!!」

 

「ふむ、私も行こう」

 

 間髪入れず立ち上がり、声が上がった方角を向いて舌打ちしながら走り出す文遠と音もなく彼女に併走する星。

 

「あちゃー、出遅れたか…………すいませーん! オヤジさん、お勘定お願いします!」

 

「へいっ!」

 

 とりあえず全員分の代金を支払って星達が消えた方へと足を向ける……着いた時には終わってそうだけど。

 

 幸い、広い通りに居た殆どの人達は道の脇に寄って、騒ぎが起きている酒家があるであろう方向を見ている。

 走っても問題な――って!?

 

「ぐっ!?」

 

 視界の端、茶色の着物が見えたと思った途端、右肩に軽い衝撃と、男性のくぐもった(うめ)き声が聞こえた。

 

「――っ!? すみません! 大丈夫ですかっ!?」

 

 振り返ると片膝を付いて立ち上がろうとしているお爺さん――歌舞伎とかの黒子が着けている様な覆面をしていて判り辛いが、手は(しわ)だらけだ――の姿が。 

 竹の籠が横倒しになって、葱や大根などが散らばってしまっていた為、急いで拾い集める。

 

「…………よし、これで全部か。……本当にすみません、駄目になった分の代金はお支払いしますので……」

 

「……」

 

 幸い、量がそこまで多くなかったのですぐに集め終わり、竹籠を差し出すと老人は無言で受け取った。

 覆面に隠れて表情はわからないけれど、やっぱり怒っているのだろうか……老人は籠の中身に視線を遣るとまた俺の方に向き直る。

 

「え、ええっと。その――」 

 

「――怪我は無い。金も要らぬ。それより小僧、急いでいたのではないのか?」

 

 逡巡していると、想像していたよりも若々しく、はっきりとした声で返事をされた。

 

「! いいんですか?」

 

「良い。()びは受けた……行くがいい」

 

 再度、すみませんでした、と老人に頭を下げ、今度はしっかりと周囲の確認をしてから走り出そうとしたその時。

 

 

 

 

 

「――――――――だ」

 

 

 

 

 

「――っ!!?」 

 

 あのお爺さんの、俺に向けたであろう『その』呟きが耳に入り、つんのめりそうになりながら慌てて振り返る。

 

 !? 居ない!?

 

 さっきまですぐそこに居たのに!? 一体何処に――

 

「どーん」

 

「うわっ!?」

 

 消えた? と思った瞬間、腰の辺りに何かがぶつかっ…………ん? この声、どっかで聞いたような?

 ぶつかった何かはそのまま腰に手を回し、がっちりとホールドすると……うお!? 背中を登って来た!?

 

 ――あ、でもこの感覚はやっぱり、

 

「風さん?」

 

「はいー、風なのですよー」

 

 首だけで振り返ると予想通り、視界に入る金色の柔らかそうな髪と特徴的な形の人形。

 半年前、北平で別れた風さんが背中に張り付いていて、眠たそうな(みどり)の瞳で俺を見つめていた。

 

「久し振り。元気そうだね、風さん」

 

 言いながら、腰を落として彼女がしっかり肩を掴める様にする。

 

「よ……っしょ。はい、お久し振りですお兄さん。あ、もう立っても大丈夫ですよ」

 

 立ち上がり、そして、こちらに歩いてくるもう一人の姿を認め、手を振った。

『彼女』は背中に居る風さんを見て、苦笑しながら目の前までやって来る。

 

「久し振り、稟さん」

 

「ええ、お久し振りです一刀殿。……風がご迷惑を掛けてすみません」

 

 久し振りに見る幾何学的な模様の意匠が施されたチャイナドレス。

 眼鏡をクイッと上げながら稟さんは会釈する。

 

「ははっ、いいよこれくらい。……あ」

 

「? 一刀殿?」

 

「……稟さん、風さんも。黒い覆面を被っていて、茶色の着物を着たお爺さんを見なかった? さっきまでこの辺りに居たんだけど……」

 

 立て続けに知り合いに再会した為、頭の中から消えかけていた老人のことを思い出す。

 ほんの少し前に聞いたあの呟きが頭の中で再生されて、背筋にゾクリと悪寒が走った。

 

「覆面の老人、ですか。……いえ、私は見ていませんね」

 

「風はお兄さんしか見てませんでしたからー」

 

「そう……」

 

 やっぱり、か。後から来た稟さんは兎も角、あの時俺の近くに居た風さんなら見掛けていたんじゃないかと思ったんだが。

 

「そのお爺さんがどうかしたんですかー?」

 

「ああ、実は――」「――む、ここに居たか一刀」

 

 肩口からひょっこり顔を出して、風さんが尋ねてきたと同時、横合いから星の声が聞こえた。

 

「随分と遅いから道にでも迷っていたのかと思ったが……成る程、そう言う事か。久しいな、稟、風」

 

「星殿もお久し振りです」

 

「あ、星ちゃん、久し振りー」

 

「ふむ…………相変わらずだな、風」

 

 俺におんぶされている風さんを見てやや半眼になる星。

 

捕物(とりもの)は終わったの、星?」

 

「ああ、騒いでいたのは性質(たち)の悪いごろつきが七人だけだったのでな。すぐに方が付いた」

 

「文遠は?」

 

「屯所から来た兵と何か話していたが、それが終わると急用が出来たとかで、その場で別れた。おっと、そう言えば茶店の代金を預かっているぞ。一刀が立て替えてくれたのだろう?」

 

 袖口から小袋を取り出した星に頷く。

 

「ありがと……なあ、星?」

 

「どうした?」

 

「ここに来る途中、黒い覆面を被った人を見なかった? 茶色の服のお爺さんなんだけど」

 

「む? …………いや、見なかったな」

 

 問われた星は怪訝そうな視線を向けてきたが、自分でも判るくらい強張っている俺の表情に気付いたのだろう、少し思案すると首を横に振った。

 

「その老人がどうかしたのか?」

 

「いや、なんでもないよ。多分、そう、気のせいだと思うから……」

 

 …………きっとそうだ。俺は、耳に残ったあの言葉をかき消す様に、二、三度、頭を振った。

 

「あ、そうだ。風さんと稟さんはどこに泊まってるの? できれば同じ所に宿を確保しときたいんだけど」

 

 お? 肩の上から身を乗り出した風さんが稟さんに向かって親指をぐっ、と立ててるな。何だろ?

 

「その質問を待っていたのですよ。星殿と一刀殿が洛陽に来たら案内するように頼まれていましたから。私に着いて来て下さい」

 

 稟さんはくすり、と笑うと踵を返して街の中心の方へと歩き始める。

 

「行けば解りますよ星ちゃん、お兄さん。では、出発進行ー」

 

 ハテナマークを浮かべた顔を見合わせる俺と星を急かすように、風さんは俺の肩をぽん、と叩いて稟さんの向かう先を指差した。

 

 

 

 

 

 稟さんに着いて行く事約三十分、たどり着いたのは洛陽の城が見える通りで、目の前には結構な大きさのお屋敷が。

 周りには同じ様な建物や、目の前の屋敷の二、三倍の広さはありそうな大邸宅がちらほら見えるし、通りの一キロくらい先には洛陽の城門が見える。

 

 道幅は広く、且つ、掃き清められていて、俺達以外には朝服を着た人が時折、通り過ぎて行くだけで閑散としていた。

 この辺りは街の喧騒が嘘のように静まり返っている。と言うより、静か過ぎる。

 

 ……何か、落ち着かないな。

 それに、さっきからやけに胸騒ぎがする。あんな言葉を聞いた所為だろうか?

 

「これは……。稟、風。どこの名士と知り合ったのだ?」

 

 流石に面食らったのだろう、星は圧倒されたように声を絞り出した。

 

「……くすくす」

 

 と、耳元で風さんが微かに笑――うひっ!? い、息が耳に!?

 

「ふふ、星殿。実はですね――」

 

「――稟、風! 屋敷に入って!!!」

 

 風さんと同じく、微笑みながら眼鏡に指を当てた稟さんの言葉を遮って、通りに鋭い声が響く。

 弾かれたように声の元に向き直ると、

 

「士壱さん!?」「士壱殿!?」

 

「北郷!? 子龍さんも! ――――っ! 話は後! 速く屋敷に入って!!」

 

 そこには血相を変えた士壱さんの姿があった。

 相当急いで走って来たのか朝服の裾がまくれ、膝まで足が見えてしまっている。

 

「分かりました! 一刀殿! 星殿! 中へ!」

 

「はい!」「承知!」

 

 そのままの勢いで走ってきた士壱さんに背中を押されるようにして門の中に転がり込んだ。

 士壱さんはすかさず門を閉じて、(かんぬき)を下ろすと、大きく息を吐き出す。

 

(しょう)殿、一体何が……?」

 

 しばらくして、士壱さんの呼吸が整うと稟さんが躊躇いがちに尋ねた。

 士壱さんはふうっ、とまた息を吐き出すと顔を上げて全員を見回すと、無言で側に来るように手招きをする。

 全員が顔を突き合せるくらいに近づくと、士壱さんは声を潜めてこう言った。

 

 

 

 

 

「大将軍、何進(かしん)殿が十常侍に暗殺されたんだ。宮中は今、それに報復しようと突入した何進殿の部下によって混乱が広がってる」

 

 

 

 

 

 誰かの、息を飲む音や、ゴクリと喉が鳴る音がする。

 

 だけど、俺はそれらの音を意識する事すら出来無い。

 

「? お兄さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「災いを(こうむ)りたくなければ、今すぐにでも洛陽から立ち去ることだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――脳裏に、あの時の老人の言葉が再び木霊(こだま)していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 洛陽の郊外、水田が広がるその地で、十数名の男女が田んぼの中へ横倒しになった馬車の周りに集まっている。

 鎧姿の男達十二名が泥の中に腰まで浸かりながら馬車をあぜ道まで押し上げている傍ら、二人の少女がその作業を見ながら話し込んでいた。

 

 二人共に同じくらいの小柄な体躯だ。

 一人は肩口まである藤色(ふじいろ)の髪に葡萄色(ぶどういろ)の瞳の少女で、それぞれ黒と藤紫色の重ね着した朝服を、瞳と同じ色の帯で留めていた。

 

 一人は腰まで届く青磁色(せいじいろ)の髪を二房、肩の高さで編んで垂らしていて、上部のみ縁取りされていない桃色の縁の眼鏡の下には焦げ茶色の瞳がある。

 こちらは白の長袖の上着に黒の肩掛け、太股の半分の丈もない短い黒のスカート。

 胸元には少し斜めに着けられた黄色の線が入った赤いリボン、両脚はスカートと同色のタイツを穿いている。

 

 初めの一人は、押し上げられる馬車を心配そうに見つめており、後の一人は作業する鎧姿の男達に指示を出していた。

 

(えい)ちゃん、(きょう)皇子は?」

 

「大丈夫よ(ゆえ)。さっき連絡があって、丁原(ていげん)殿が護衛を付けてくれたって」

 

 緑髪の少女、詠の言葉に月と呼ばれた少女はほうっ、と安堵の吐息を漏らす。

 

華雄(かゆう)さんは大丈夫かな……?」

 

「そっちも問題なし。宮中で起こっていた騒ぎを(れん)(しあ)と一緒に鎮めたそうよ」 

 

 打てば響くその受け答えに月の紫の瞳は安堵の色を浮かべるが、視線が再び馬車へと向くとその表情は悲しみに曇っていった。

 

「…………詠ちゃん、後は」

 

「うん……」

 

 月と詠は頷き、顔まで泥に塗れながらもあぜ道まで馬車を押し上げた兵士達の方を見る。

 見つめる二人の視線の先、引き揚げられた馬車の中から、全身が泥に塗れた子供と女性の遺体が兵士達の手によって慎重に地へと下ろされていく光景があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 夕焼けに染まる土壁。所々にひびの入った粗末な家屋の中で、一人の老人が軋む音を立てる椅子に座っている。

 ……もしここに北郷一刀が居合わせたならば、朝方にあの不吉な警告をしてきた覆面の老人だと判るだろう。

 

「『三番』か…………動きは」

 

 何かに気付いたのか、身じろぎもせずに老人は誰も、いや、何も居ない室内で『誰かに』声を掛けた。

 

 

 

 

 

「…………『石』が入り、『羽虫』がそれを迎えた。『羽虫』は依然、『(ぎょく)』に(たか)ったまま」

 

 

 

 

 

 二呼吸の後、その声に応えるように老人の背後から女性の、低く、小さな声が聞こえてくる。

 

「他には」

 

 唐突に聞こえてきた女性の声に微動だにせず、老人は端的に言葉を返す。

 

「『猿』と『小猿』が立ち去る様子。『三将』は動けず、『昼行灯(ひるあんどん)』は準備を整えた」

 

「……よし、また動きがあれば知らせい。『二番』にも動くよう伝えるのだ」

 

「…………御意」

 

 何かの隠喩(いんゆ)なのか、暗号めいた言葉の遣り取りを終えると、老人の背後の気配は霞のように消え去った。

 

「さて、『石』は『傀儡(くぐつ)』と成るか、それとも『生贄』と成るか」

 

 一人、老人は座ったまま、ぼそぼそと覆面の下で呟く。

 

 

 

「願わくば…………となればよいが」 

 

 

 

 最後の呟きは小さく、覆面の内へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 薄暗闇の部屋の中、光沢が浮かぶ年季の入った木製の机の輪郭を、卓上の蝋燭はおぼろげに照らしている。

 

 かしゃり、かしゃり。

 

 窓の外は暗闇。月は雲に隠れ、一筋の光も差し込んではいない。

 

 かしゃり、かしゃり。

 

 部屋の中、机の上。橙色の儚げな光に映し出されるのは竹簡を()る白い繊手(せんしゅ)

 

 かしゃり、かしゃり。

 

 虫の音も無い薄い闇の中、竹簡を繰るその音だけが規則的に室内に響く。

 

 かしゃり、かしゃ……。

 

 どれくらいの時が経ったのか、ふと、音が止んだ。

 

「……へ密かに物資と兵を移動させた形跡がある……か。しかしこれは…………成る程、そちらに目を向けた理由は五胡への備えなどではなく……」

 

 ぽつり、と吐息交じりに吐き出された声は小さく、次いで鳴り始めた音に掻き消される。

 

 かしゅっ、かしゅっ。

 

 微かな光に照らされている机上、部屋の(ぬし)である女性は円形の(すずり)に水を垂らし、墨をすり始めた。

 

 かしゅっ。

 

 じきに音は止み、主はさらさらと紙に筆を走らせる。

 ゆらゆらと揺れる蝋燭の火が小さくなり始めた頃、女性は筆を置くと卓上の鈴を軽く振った。

 りん、と澄んだ音が短く響き…………しばらくして、部屋の戸が軽く叩かれる。

 

「お呼びですか?」

 

「入りなさい」

 

 扉越しに低い男の声が聞こえると、女性は入室を促した。

 扉が音も無く開かれて、朝服(ちょうふく)姿の小柄な男がするりと部屋の中に入ってくる。

 

「これを西涼の馬寿成(ばじゅせい)殿へ。早馬を使うように」

 

「御意」

 

 (ひざまず)く男に女性が封書を渡すと、来た時と同じく男は音も立てずに素早い動作で退室して行く。

 

「……先ずは一手」

 

 いつの間にか、月は雲の切れ間から顔を覗かせていて、

 

「後は袁家のいずれか……或いはその双方が動く前に準備が整うか、ですね」

 

 青白い月光に照らされて、女性――士威彦――は夜空を見上げ小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 

 お待たせしました。天馬†行空 十六話目をお届けします。

 今回は、反董卓連合の前兆、そして各方面で動き始めた『何か』の部分となります。

 早ければ、次回は連合が組まれる段階まで話が進むかと。

 現段階で連合が発生しそうなことを知る人物は今回登場した中では二人です。

 また、月たちが引き揚げた死体については次回で判明します(解る方も多いと思いますが)。

 

 次回予告

『正史』にある『暴君』とは違い、董卓は洛陽の治安回復に取り掛かる。

 落ち着きを取り戻していく街の姿に安堵する一刀。

 ……しかし、胸騒ぎは収まる事無く、士壱が告げたある話でそれは加速するのであった。

 

 

 

 

 

 熱中症には気を付けないといけませんね……身をもって知りました。

 

 

 

 

 


 
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