【ⅳ】
1
不条理と云うのは突然にやって来る。お知らせが届くわけでもなく、アナウンスがかかるわけでもない。唐突であるからこそ、不条理は不条理たり得るのである。
逗留していた村から随分とはずれた森の端、一際大きな木の枝の上で、望遠鏡を覗きながら、北郷一刀はぼんやりとそんなことを考えていた。
望遠鏡により拡大された視界には、ぞろぞろと連なって歩く盗賊の一団――そして、彼らに連れられて歩く、若い女たちの姿があった。彼らは根城である砦に向かっている。
一刀が滞在していた村では幸い、死人も出なければさらわれた者もいない。だから、あの若い女たちは恐らく、他の村、他の集落からさらわれてきたのだろう。とすると、その村の男たちは皆殺しにでもなったか。碌でもない予想が脳裏をかすめる。
この時代では、そのような碌でもないことがまかり通っている。悲劇は人々の暮らしの傍らに常に座り、気まぐれに肩を組もうとする。
そう思い至り、けれども、と考え直す。
この時代に限ったことではないのだ。理不尽な悲劇と云う者は、一刀が数日前まで生きていた時代にも確かにあった。ただ、それが一刀の周囲になかったと云うだけで、世界中のあちこちに、悲劇はあったのだ。
しかも、それらは肥大し過剰に発展した科学技術のために、恐らくはこの時代のそれらよりもずっと悲惨なものである筈だ。ただ、一刀が知らぬだけで。見たことがないだけで。
勿論悲劇の大小など、比べるようなものでないことは分かっている。分かっているが、こうして粗野な盗賊に連れられる女たちが俯き歩いている姿を見ると、そんなことを考えてしまうのだ。
一刀は望遠鏡を顔から離し、ひと息つくと、自らの持ち物を再確認する。
こちらの時代に持って来たのは酒瓶の入った布袋だけではなかった。身に纏っている制服のポケットに、いくつか見覚えのある品が入っていたのである。
望遠鏡が一つ、三本二百円のボールペン、雑記帳代わりにしていた手帳、携帯電話、煙草がひと箱に、猫の衣装が施されたオイルライター――これらである。
どれも思い入れのある品だった。どうしてこれらが制服のポケットに入っていたのか――大学に入ってから手に入れたものだから、ポケットに入れっぱなしになっていたと云うわけではなさそうである。
ひとつ、思い浮かぶ理由としては。
これらの品々は北郷一刀の一部として時間逆行に巻き込まれたのではないかと云うものである。
どれも大切な思い出の詰まった品々で、例えば小ぶりな望遠鏡は、初めてお年玉で買ったものだったりする。かさばらず、けれども性能は十分で、大学生になっても手放せずにいたものだ。
これらの品々がどれほど役に立つか分からないけれども、着の身着のままと云うよりは心強い。
さて――と。
北郷一刀は短く嘆息し、懐に手を差し入れる。そこには礼だと云って趙雲から譲り受けた品がしまってある。曰く、秘宝であるらしい。
さっそくではあるが、その秘宝とやらに役に立ってもらおう。
そう決意すると、北郷一刀は木の枝から飛び降り、盗賊の根城らしい砦へとひとり、歩を進める。
2
近頃、酒が不味くて仕方がない。奪い、殺し、犯し、燃やし――そんなことを繰り返すようになってからどれだけの時が経っただろうか。
盗賊の首領は杯の酒を飲み干すと、眼前で怯えている女たちに冷めた視線を送った。こういった女たちを一体どれだけ売り飛ばしてきただろうか。
始まりは、飢えだった。飢餓は単純で、だからこそ残酷な脅威だった。打てる術は全て打った。老いた親を殺し、望まれぬ子供を殺し、食い扶持を減らした。
鬼畜の所業である。ただ、そう云ったことに及んだのは自分の村だけではなかったらしい。そんな話は嫌と云うほど聞いた。手下たちは酔うたびに、襲った村の話と、穢した女の話と、そして――昔話ばかりするから。
首領は生まれた時から身体が大きく、成長するにつれ、周囲の者たちとの体格の差は、歴然としたものになった。勿論力も強く、今まで一度たりとも喧嘩で敗れたことはない。
そして、気が付くと盗賊の首領などをやっていた。畑を耕すことはなくなり、代わりに村々に貯蓄された収穫を奪うようになった。動物を狩ることがなくなり、代わりに人間を狩るようになった。
もう――それでいいと思っている。
自分は獣となった。人であることを捨て、散々に生きてきた。もう戻れぬことは知っているし、戻るつもりも毛頭ない。首領はぼんやりと、そんなことを考える。
「カシラ!」
小柄な手下が、黄ばんだ歯を見せながらこちらに声を掛ける。ただ、あえてそれを無視した。
時を重ねるごとに不味くなる酒の味に、ウンザリしていた。ただ、美味く感じるはずもないのだと、そんなことは分かっていた。
酒は、人間を酔わすためのものだ。人間が味わうために作られるものである。獣に成り果てた自分に、その美味さが分かろうはずもない。
「カシラ! なあ! カシラ!!」
しつこく呼ぶ男を見る。にやにやと下衆な笑みを浮かべ、部屋の中央に縛られた女たちに視線を送っていた。
首領は、首領だけが数段高いところに座っている。嘗て砦であったらしい根城には、玉座の間とでも呼べばいいのか、そう云った意匠のこらされた部屋がある。
煌びやかではない。むしろ、色褪せ枯れ果てている。しかしその有様が、自分にふさわしく思えた。首領は今、その玉座もどきに腰掛けている。
また、呼ばれる。こちらを呼ぶその小柄な男が何をしたいのか、それはもう云うまでもない。だから、その男に答えるように、下卑た笑みを返してやる。盗賊の首領の顔をして見せる。否、もうそんな顔しかできない。
「なんだ?」
問うまでもない。この男は、売る前に味見をさせろと云っているのだ。
「へへへ、カシラ。ちょっとだけならいいだろ?」
そう云って前歯を撫でるように舐める。醜い。大して美しい男など見たことがないが、それでも目の前の男は醜かった。自分はきっと、あれに輪をかけて醜いのだろう。
「なにがだ?」
わざと、問う。
「分かってるくせによぉ。味見だよ。あ、じ、み」
その男の声に、玉座の間にいた他の男たちも反応する。今ここにいるのは百五十ほど。残りの五百は――どこかにいるのだろう。所詮は盗賊、統率がとれているでもない。それに出払っている者たちも多いから、この砦にいるのは全てではない。
百五十の男たちが喉を鳴らす。
首領は太い声を上げる。
「馬鹿野郎。壊すつもりか」
「ひとり一発くらいなら大丈夫だって。女は七匹。ひとり頭二十人も相手してくれりゃぁよぉ」
冗談ではない。ここで騒ぎになれば他の連中も集まってくる。そうすれば、女たちはたちまちに売り物にならなくなる。
手下どもの考えることも分からなくはない。今日さらってきた女どもは、数は少ないがどれも上玉ぞろいで、しかも全部オボコ臭い。男を知らない娘を高く買いたがる連中もいる。
「オボコは高く売れる。今日は数が少ねえんだ。我慢しろ」
首領は投げやりに云い放つ。しかし、手下の男は収まらぬのだろう、手近なひとりのを捻り上げ、こちらに突き飛ばす。
「じゃあよ。こいつだけ。こいつ以外は綺麗に売ろう」
そして舐めまわすようにその娘を見る。娘の着物ははだけ、白い胸元が露わになっている。見えそうで見えぬ乳房が、扇情的だった。
それにしても一番年若く見える娘を選ぶあたり――。
――こいつ、そーいう趣味だったか。
下らない考えがよぎる。
投げ出された娘は、こちらを見つめる。その視線は気丈にも鋭く、睨み付けるよう。自分よりもずっと大柄なこちらを見てもひるまず、負ける者かと気を張っている。
声も上げぬ。助けを乞うこともしない。
――気の強い小娘だ。
苦笑が漏れる。
その娘に、死んだ妹の影を見た自分が馬鹿らしくなった。
それに――だからと云って、どうと云うこともない。
ひとりくらいなら構わないか。そう考える。この娘には、壊れるまで、否、壊れても手下たちの相手をしてもらうとしよう。死体相手でもいいと云うやつもいる。そうすると、この娘は死してなお、凌辱の嵐から抜け出せぬのか。
しかし、それもどうでもいいこと。
首領は杯に酒を注ぎ、ひと息にあおると。
「好きにしろ」
そう告げた。
手下が、大きく笑う。
裂けたような口から、臭そうな乱杭歯が覗いている。
百五十人が、ぞろり、ぞろりと立ち上がる。
得物に迫る肉食獣のような、緩慢な動作で、哀れな小娘に、妹の面影を宿す少女に迫る。ただ、首領はそのことに何も感じない己を自覚していた。
哀れに思うこともなければ、欲情することもない。ただ無興味に、狂演を眺め、腐ったような味のする酒をただ課せられた作業であるかのように、啜り続ける。
似たようなことは今までもあった。壊したは女は、百や二百ではない。
この娘が特別ではない。
そう思った、時だった。
「そこまでだッ!!」
馬鹿げたことが起こった。
ふざけたことが起こった。
下らないことが起こった。
けれども、ああ、この小娘は特別であったのだ。
――こいつは、救われるのかッ!
首領は可笑しくなる。手下どもは硬直している。女どもは唖然としている。今まさに喰らわれようとしていた小娘は驚きに言葉を失っている。
玉座の間、その入り口に、影がひとつ。
黴臭い仮初めの王座を睨み付ける、男がひとり立っている。
見たこともない風体。
白く輝く着物、黒く照る履物、そして――深紅の蝶を象った仮面。
狂人、奇人。
今眼前で怒声を上げた、恐らくは若いだろうその男は、見るからに狂っていた。珍妙な格好は、伊達か、酔狂か。
しかし仮面の奥――男の眸には確かな意思の光が宿っていた。
男は更に声を張り上げる。
「愛と勇気の名のもとに、艶美な蝶が舞い降りる! たとえ時代は違えども、名乗る名前はただひとつ! 華蝶仮面零号ッ!! 参上ッ!!」
馬鹿だ。
この男は、馬鹿だ。
けれども首領は悟った。本当で知った。
――ついに来たか。
そう感じる。
胸の奥が、わなないている。震えている。
男の馬鹿さ加減ゆえではない。
瞬時に直感した、終わりの時の訪れゆえである。
――俺たちは終わる。
それは動物的直感であった。ただ、揺らぐことのない確信であった。
「とうッ!!」
男は――華蝶仮面は跳躍し、勢いを殺さぬまま、小柄な手下を蹴りつける。手下はそのまま飛ばされ、壁面に激突すると動かなくなった。
気を失っているらしい。
華蝶仮面は哀れな小娘を庇うように立つ。そのふざけた格好とは裏腹に、その立ち姿の何と頼もしいことか。何と勇ましいことか。何と力強いことか。
「貴様が首領か」
華蝶仮面は問う。言葉の裏側に、静かな炎が燃えている。
「いかにも」
「俺は華蝶仮面。義によって、この娘らをいただきに参上した」
――真面目くさった調子で、何云ってやがる。
本当に馬鹿げている。
だが、この男は本気なのだ。この砦に何人いるのか、それを知ってか知らずか、このイカレた仮面男は至極真面目に、女たちを救うと云ってみせたのだ。
「面白い」
首領は楽しげに笑い立ち上がると、腰から曲刀を抜く。
「しっぽを巻いて逃げ出せば、見逃してやるぞ」
華蝶仮面は生意気にもそんなことを云う。
そこへ背後から、手下が斬りかかった。しかし、華蝶仮面は背中に目でもあるかのように、その手下を殴り飛ばし、その先に群がっていた十数人を巻き込んで打倒した。
恐るべき強打。
恐るべき猛撃。
手下どもは、途端にひるみだす。
「面白い。面白いぞ伊達男! どりゃあ!!」
首領は正面から斬りかかる。
華蝶仮面は転がっていた先ほどの小娘を抱え上げると、ひらり素早く跳び退き、曲刀の一線を交わす。
「やるな」
首領は笑う。
「鬼畜に言葉は通じぬか」
華蝶仮面も嗤う。小娘を女どもの中に下ろし、拳を握る。手下どもはまるで人とは思えぬ華蝶仮面の動きに、完全に腰が引けていた。
――こいつらはだめだな。
首領は曲刀を握り直し、深く構える。次の一撃で、仕留める。そう心に決めて。
首領は走り出す。
華蝶仮面は動かない。
「もらったァ!!」
鋭く振るわれた曲刀――それは華蝶仮面の首を跳ねる直前に、止まる。
つまんでいるだけなのだ。
華蝶仮面はその白く細い指先で、曲刀の刀身をそっとつまんでいるだけ。
しかし、曲刀はまるで動かない。
「これではハエも取れんぞ」
云い放つと同時に、華蝶仮面は蹴撃を放つ。鋭く迫るそれは首領の腹に吸い込まれ、その巨躯を弾き飛ばした。
薄汚い床に、首領は転がる。
息が出来ないどころか、飲んだ酒が逆流し、喉を焼く。
敗北の味がする。
直感が知らせた通り、終わりが迫っている。しかし、ただで終わってやるものか。人間を捨て、鬼畜に堕ちた者は生き汚いのだ。
首領は立ち上がると、後ずさりする。
砦は、南にまだある。
ここの手下たちは恐慌状態寸前であり、今自分がやられれば後は蜘蛛の子を散らすように壊滅するに違いない。
だから、もうひとつの砦に退き、態勢を整える。仮面男も女どもを保護せねばならないはずであるから、その時間は稼げよう。
だがここに思いがけない声が入る。
「去れ」
華蝶仮面がそう告げたのである。
その言葉が合図だった。
迷いはなかった。
初めての敗北を味わいながら、首領はやられた小柄な手下を抱えて逃走を始める。ひとりが、しかも頭目が逃げ出したとあっては、手下がそうせぬわけもなく、瞬く間に、玉座の間から野盗たちは消えうせた。
逃避行のさなか、首領はそれでも感じていた。
もうひとつの砦に逃げても、恐らくは無駄だろう。
もはや自分たちは、終焉に捕らわれている。逃げることは敵わぬ。
しかしこれまで多くの命を奪い、多くの幸福を奪って繋いできたこの命を、簡単にあきらめるわけにはいかない。
足掻く。
醜く足掻く。
それこそが、鬼畜にふさわしい生き様であり、死に様ではないか。
逃走にあえぐそんな思考とは別なところで、けれども首領は先ほどの男を思い出す。
中々に、美しい男だったではないか、と。
《あとがき》
ありむらでございます。読んでくださった方、コメントをくださった方、メッセージをくださった方。皆々様、本当にありがとうございます。とても励みになっております。
いや、もうなんだかすみません。いえね、北郷君も考えがあってのことなのですが、いやはや。彼にはよく云って聞かせておきますので。今回ばかりはご勘弁を。
次回はついに華琳様と邂逅ですかね。次は真面目にいきます。
ではこれからも応援よろしくお願い致します。
コメント、お気に入り、感想――その他諸々、ご遠慮なく、どしどし下さいまし。
ありむら
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独自解釈独自設定ありの真・恋姫†無双二次創作です。魏国の流れを基本に、天下三分ではなく統一を目指すお話にしたいと思います。文章を書くことに全くと云っていいほど慣れていない、ずぶの素人ですが、読んで下さった方に楽しんで行けるように頑張ります。
魏国でお話は進めていきますけれど、原作から離れることが多くなるやもしれません。すでにそうなりつつあるのですが。その辺りはご了承ください。
あと私の描く一刀さんは少々お強くあります。苦手な方はごめんなさい。
今回は短いかもしれません。あと、少しあれです。今回は。次は真面目にします。すいません。