No.451381

廃墟

己鏡さん

2012年7月12日作。偽らざる物語。

2012-07-12 00:41:46 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:462   閲覧ユーザー数:461

 次の目的地までまだ三分の二ほども行程が残っているところで、激しい雨に降られて足止めをくらった。

 幸い雨宿りする場所が近くにあったことを思い出し、急いで引き返す。

 修道院らしき建物はすでに使われなくなって相当な歳月を経ていると思われ、ところどころ屋根が崩落し、壁なども風化が激しかった。それでもなんとか雨風はしのげそうだ。

 とりあえず中に入り、さほど意味もないが体に纏った水気を絞るように払う。

 幸いかばんの中のタオルは濡れていない。全身をよく拭いてランプに灯を入れた。

 崩落の危険があるのであまり動き回るのはよくないと思いつつも、落ち着ける場所でもあればと期待して探索することにした。

 院内はところどころ宗教的な装飾が施されているものの全体的に質素で、あくまで修行の場であることをうかがわせる。

 部屋の戸はほとんど残っておらず、場所によっては天井に大きな穴が開いて雨ざらしになっているところもあった。廃棄されたか盗まれたのか、家具らしきものはひとつもない。

 回廊を進んで礼拝堂に入る。

 ここも大理石で出来た祭壇以外、何も残っていなかった。破れてただの穴と化した窓から風雨の侵入を許していたが、隅の方なら直接体を打たれることもない。

 私は壁際に寄ると、床に積もった塵を払い、一息つくために腰を下ろした。

 少し休んだら火を熾そう。このままでは風邪をひいてしまう。しかし、肝心の燃料はどうしようか、などと頭の隅で考えつつ何気なく暗い天井を見上げる。

 ゆっくりと、静かに、深呼吸を繰り返して目を閉じれば、雨音がいっそう際立って聞こえてくる気がした。

 雨粒が建物や地面に当たって砕け散る音。絶え間なく続くその音は、まるでひと繋がりの音色のように、耳の奥まで沁みこんでくる。

 頭のなかを空っぽにして聞いているうちに、意識は深淵へと落ちていった。

 

「もし。キミ」

 肩を叩かれてはっとした。

 すぐそばに、ぼんやりと灯に照らし出された男の顔があった。思わず身がこわばる。身構えようにも一瞬のことで、思うとおりに体が反応しなかった。

「これは失礼。べつに驚かせるつもりはなかったんだが」

 男性は苦笑しつつすっと身を引いた。

 その間にもなんとか思考を回転させて現状把握に努める。

 いつの間にか眠りに落ちていたらしい。どれくらい経ったかわからないが、それほど短時間というわけでもなさそうだ。少し体が冷えてしまっている。

「あの……あなたは?」

 恐る恐る問う。どうやら暴漢などとは違うようだが、まだ油断はならない。

 白髪で皺のよった顔。小柄で少し丸い体型。薄暗いのでわかりにくいが目つきはわりと優しげだ。 風体からは旅慣れた行商人のようにも思える。

 彼は両手を軽く上げて危害を加えるつもりはないという意思表示をした。

「私は商用でこの先の山間の町に行く途中だったんだが、雨に降られましてな。あまり積荷が濡れては困るので雨宿りする場所を探していたところ、ちょうどこの建物があったので立ち寄ったというわけです。そちらは?」

「……旅の写真家です。あなたが目指す町から出発して、いまは隣国に向かう途中です」

 互いに素性を明かし終えると、男性は「暖を取れるようにしよう。服も乾かしたい」と私を誘って修道院内を歩き始めた。修道士たちの個室に暖炉はないが、調理場に行けば調理用の窯くらい残っている。うまく代替できるのでは……とのことだった。

 途中、彼は荷馬車を引く馬にエサと水を与えた。積荷には雨よけの応急処置として布がかぶせてあったため、何を積んでいるのかは見えなかった。気になったので質問すると「塩を積んでいる」という答えが返ってきた。

 彼の後をついていくとほどなくして食堂、さらに隣接する調理場にたどり着いた。

 大きな調理窯は鉄製の蓋こそなくなっていたが、火を熾すにはとくに問題なかった。燃料となる薪は、かの塩商人が積荷と一緒に載せていたものを使うことになった。

 湿気てしまったようでなかなか火はつかなかった。それでも根気よく続けているうちにようやく薪へと火が移った。

「よければこれを。あまり量はないが」

 そう言って干し魚と炒った胡桃を分けてくれた。私も先の町で買ったりんごがいくつかあったのでお返しのつもりで渡すことにした。

 彼とはいろんな情報を交換しあった。どうやら彼は近くの町の出身らしい。一定の順路を回って商いをしているそうで、この元修道院の前も定期的に通るということだ。

 こちらが世界の情勢やさまざまな文化、これまで撮ってきた写真の話などをすると、彼は熱心に聴いてくれた。

 しばらくして話も一段落ついた頃、窯の火を残したまま休むことになった。

 私は薄い毛布に包まり、彼はフードつきのマントを体に掛け、互いに背を向けるようにして横になる。

 時折、薪の爆ぜる小さな音が聞こえてきた。

 中途半端に眠ったせいか、なかなか寝付けなかった。

 壁に向かって寝転んだまま、すぐ後ろにいる男性のことを考える。

 何かしっくりとこないところがあるのだ。

 なぜか? よく考えてみると答えはすぐに出た。不自然なのは行動の迷いのなさだ。まるでこの修道院の内部構造をよく知っているかのように調理場までまっすぐやってきた。

 自己紹介のとき、たまたまここをみつけたようなことを言っていたはずなのに。

 長年、行商でいろいろな場所に立ち寄ってきた者の勘や経験によるものなのか、それとも……初めからわかっていたのか。

 何度もこの修道院の前を通ったことがあるなら、休憩のために利用したこともあるかもしれない。知っていても不思議ではない。しかし、なぜごまかす必要があるのだろう?

 考えれば考えるほど不信感が募り、眠気は遠ざかっていく。

 と、背後で動く気配がした。

 こちらの様子を伺いながら、音を立てずに部屋を出て行く。

 私も気づかれないように起き出すと、そっとあとを追った。

 彼は一度馬車に寄って積荷から一抱えもある何かを取り出すと、そのまま礼拝堂へと向かった。なかに入ったのを確認してから少し遅れて覗き込む。

 暗い礼拝堂にランプの灯だけが揺れている。

 彼は降り込む雨に濡れるのもいとわず祭壇の前まで進むと、燈火を置いて抱えてきた何かを掲げた。

 目を凝らして見ると、ようやくそれが一体の像であることがわかった。

 細かい造形までは判別できなかったので、もう少し近寄って見ようと足を踏み出したときだった。

 小石でも落ちていて蹴飛ばしてしまったのだろう。かすかに音を立てて転がっていく。

 びくりと肩を震わせて男性が振り返った。隠れる間もない。

 しかし、彼は私の姿を認めると、特にこちらに何をするわけでもなく、むしろ穏やかな表情を浮かべた。

「キミか。起きてたのかい?」

「……ええ。ここで何をされているんです?」

 私が近づくと、彼は祭壇に置かれていた像をこちらに向けてみせた。

 男女が抱きあった姿は、なまめかしくも神秘的な雰囲気をまとっている。

「古くから、ここら一帯で熱心に信仰されてきた生命をつかさどる神だ。ここも元々はこの神を祀る教会だった。それが……ある宗教の弾圧によって強制的に改宗させられた。もう五十年も前の話だ。最後まで抵抗した者たちはみんな迫害され、秘密裏に殺されたよ。そう……みんな、ね」

 彼はたしかにそこにいるのに、目だけははるか遠く、私には知りえない過去を見据えているようだった。

「ではこの修道院は?」

「その侵略者とも呼べる者たちが増築したものだ。といっても、すぐ別の場所に新しい修道院を建てて移ったから、ここは廃墟になってしまったけどね。わしはここを通るたびに、積荷に紛れ込ませたこの像を祭壇に祀り、祈っているわけさ。死んでいった仲間の分も、生き残った人たちの分も。まあ、当時を知らない若い世代には理解されないことだがね」

 噛み締めるように吐き出される彼の言葉は、心の支えを無理やり奪われた者たちの魂の叫びでもあった。

「……そうだ、よかったら写真を一枚撮ってくれないか? 祈っているうしろ姿を。そして世界に伝えてほしい。わしらのような者たちも、たしかにいるということを」

 一つ間違えば怨嗟の応酬になりかねない。それが宗教問題だ。

 私は慎重に構図を選んでカメラを構えた。彼はある意味、命がけの選択をした。この行為を世に知らせるということは、自らを危険にさらすことでもあるのだから。

 

 ――私はシャッターボタンに指を掛けた。その一押しは、いつになく重たいものだった。

 


 
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