No.410785

Just Walk In The ----- ep.1『Mist ~五里霧中~』・2

ども、峠崎ジョージです。
投稿84作品目になりました。
能力者SF第1章、その2をお届けします。
意見感想その他諸々、一言だけでもコメントして下さると、そのついでに支援ボタンなんかポチッとして下さるとテンションあがって執筆スピード上がるかもです。
では、本編をどぞ。

2012-04-19 00:22:42 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:5218   閲覧ユーザー数:4607

上智並(かみちなみ)大学はその名の通りこの町、智並町の北に位置する私立大学である。

世界最大の教育機関運営組織でもあるカトリック修道会イエズス会が開設し、現在は学校法人が経営しているこの大学は“Men and Women for Others, with Others”すなわち『他者のために、他者とともに』真心を込めて研究活動や教育活動や社会的活動を行える人の育成を建学の精神として打ち出している。欧米の大学の学部レベルにおける一般教養(リベラルアーツ)重視の姿勢に倣い、他学部・学科の講義の多くを卒業単位に含められるカリキュラムを取っている一方で、学内での一般教養の学習を強要せず多くの学科で専門性を重視する傾向もある。またアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、ラテンアメリカ諸国、北欧、ロシア、韓国、香港など多くの国に交換留学協定大学があり、年間多数の学生が留学してくる。その特徴から留学生は勿論の事、帰国生徒や留学経験者、外国人教員は多い事で知られており、英語やドイツ語などの外国語の講義も各学部で多く開講されている。当然ながら、日本語の学科も。

『ごりら食堂』を後にしてここまで徒歩二十分弱。通学に遠すぎるという事もなく程良い距離。それに、

 

「校舎、結構綺麗ですね」

 

「歴史のある大学ですけど、改築されてから10年も経ってないそうですからね。在学中は向こうの保健管理センターで簡単な診察や処方は無料でしてもらえますし、食堂も安くて美味しい料理が沢山ありますよ。後で行ってみますか?」

 

「あ、はい。お願いします」

 

マリアさんの案内はとても解り易かった。大学までの道順や目印。自分が使うであろう教室や施設。生協のサービスや学割証なんかの使い方。そもそもアメリカと日本じゃ学校のシステム自体が全く違うから、ただ説明を聞かされただけじゃさっぱり解らなかったと思う。やっぱり、実際に利用している人からの話は有難い。

それに、

 

「あれ、鞠原さん」

 

「わぁ、鞠原先輩よ!!」

 

「おっす、鞠原。今日はどうした?」

 

春期休業中だけあって行き交う生徒の数はそれほど多くない。多分、サークルや研究室に所属している人達なんだろう。それでも、いや、だからこそか、マリアさんは物凄く目立っていた。擦れ違う人が男女問わず皆、こっちを向いては笑顔で呼びかけて来る。無理もないとは思う。言ったらまず間違いなく『魔裏悪』様が御降臨されるだろうから言わないけど、これだけの美人が歩いていれば、そりゃ見てしまうというものだ。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、だったかな。

 

「有名人なんですね、マリアさんって」

 

「そう、ですね……あんまり、嬉しくないですけど」

 

「? どうしてですか?」

 

「その、私が有名になった経緯が、ちょっと……」

 

ある程度の案内を終えてもう間も無く正午になろうという頃。僕達は件の食堂で早めの昼食をとる事にした。僕はてんぷら蕎麦、マリアさんはきのこの和風スパゲティの食券を自販機で購入してカウンターで渡し、料理を待っている最中にそう尋ねてみると、マリアさんは苦笑を浮かべながら想いを馳せるように何処か遠くを見つめてそう言った。どういう事なのかと首を捻っていると、

 

「きゃっ、ひょっとしてあの人が噂の『マリア様』!?」

 

「えっ、嘘!? わ、本当だ!! 本物を見れるなんて、今日は本当にラッキーね!!」

 

「男でありながら異例の4年連続『ミス上智並コンテスト』で優勝したってのは間違いじゃなかったのね……あんな綺麗な人見たら、女としての自信失くすわ」

 

「聖母マリア様の再臨、なんて言われてるんだっけ? ホント、色も白いしスタイルもいいし。本当に男なのかな?」

 

「しっ!! 聞こえるわよ!! あの人、女扱いされるの大嫌いらしいから」

 

「そうなの? だったらどうして4年連続ミスコン優勝なんてしてるのよ?」

 

「何でも、最初の1回は間違えられたから、らしいわよ? ほら、ウチのミスコンって予選の通過は自薦他薦問わず写真だけの投票で決められるじゃない? その時に誰か推薦したらしくて、その後の本戦もその人に『ミスコンだ』って教えられずに参加させられて、気が付いたら優勝しちゃってたんですって」

 

「ふわ~……でも、その後の3回は? 流石に最初の1回で『ミスコンだ』って事は解ったんでしょ?」

 

「それがね……その時のミスコン参加者が『男に負けたなんて悔しすぎる』って事で、それ以降のミスコンは『誰が一番を競う』んじゃなくて『マリア様を越えられるか』っていう雰囲気になったらしいのよ。女の参加者の中から一人を決めて、1回目の『マリア様』の映像を流して『どっちがより女らしいか』で優勝者を決めてるんですって」

 

「それって、本人は1回目しか参加してないって事? それでもずっと優勝してるって……どれだけ凄いのよ?」

 

「だからこその『マリア様』よ。あのイエス・キリストのお母様に例えらえるくらいの完璧超人って事」

 

「はぁ……世の中って広いのね」

 

「………………」

 

「………………」

 

通りすがりの名も知らぬ女生徒さん、頼んでもいないのに大声でのご説明、本当に有難う御座いました。お陰で漂う空気が最悪です。

もう何を言えばいいのやら。兎に角、受け取った料理をトレーに乗せ、本当に端っこの席で向かい合わせに座って、

 

「はぁ……」

 

「……さっきのって、本当なんですか?」

 

「……本当、です。最初は冗談の積もりで私の写真を送ったらしいんですが、まさかの予選通過。それで悪戯心を刺激されたらしく、私に『これはミスではなくミスターコンテストだ』と嘘を吐いて本戦にも参加させ、『男らしい』と評価されるのならと私自身も息巻いて参加して、気がつけば表彰台の一番上に……あぁ、思い出しただけでも気が滅入ります」

 

彼にしては盛大な溜め息を吐きながらフォークをパスタに刺しくるくると回すマリアさん。それでも姿勢も仕草も綺麗なままなのは流石だと思う。

 

「その、途中で気付かなかったんですか? これが『ミスコンだ』って」

 

「そうですね、普通なら気付くんでしょうね。私自身も途中でおかしいと思う事は何度もありましたが……恥ずかしながら、当時の私は上京し立ての世間知らずで、舞台の上では緊張で周りが良く見えていませんでしたし、しきりに『これくらいは普通だ』と聞かされていたものですから」

 

「誰に、ですか?」

 

「光くんです」

 

「……あ~」

 

そういう事か。という事は、予選の応募もあの人の仕業なんだろう。そう言えば昨日、彼は最終学歴は『大学中退だ』と言っていた。

 

「私の家は、その……少々特殊でして。世俗とは縁遠い環境で育られてきたので、その時は彼の言葉を鵜呑みにしてしまっていたんですよ。彼はこちらに来て初めての友人だったので」

 

「そうだったんですか」

 

「結局気がついたのは最後の優勝者発表で参加者全員が舞台に勢揃いした時でした。周りにいるのは皆女性で、舞台にも大きく『ミス上智並コンテスト』と書かれていて、なのにスポットライトは私に当たるし、幾ら『男なんだ』と言っても誰一人として信じてくれませんでしたし……」

 

その様子が容易に想像できてしまった。水着審査とかはどうしたんだろうかとも思ったけど、これ以上を本人に訊くのは流石に躊躇われて、僕は蕎麦を啜るのに戻る事にした。

 

「その後の事には、私自身は関与していません。皆が勝手に私を持ち上げているだけです。まぁ嫌われている訳ではありませんし、友人やコミュニティが増えたりもしたので、悪い事ばかりという訳でもないんですが……」

 

「……ですか」

 

さっきまで擦れ違っていった人達の、そして今もちらほらといる、こっらを見ている人達の反応を思い浮かべてみる。マリアさんを見て瞳を爛々と輝かせたり黄色い声を挙げる一方で、隣にいる僕を見て『アンタ誰よ?』的な、嫉妬や憎悪といった負の感情に満ちた視線や言葉を向けて来る人も多かった。……その反応が異性だけならまだしも同性が結構な人数いた事を考えると、マリアさんの理想が現実化するのはまだまだ先の話になりそうだ。

 

「だから、HNも『マリア』なんですか?」

 

「……まぁ、そうですね。何の偶然か、私の名前にも含まれてますし」

 

まり(・・)はら ()きら。成程、確かに。

 

「戦国くんこそ、それこそ戦国武将みたいな、もっと男らしい外見なんだと想像してましたよ。丁度、丈二さんみたいな」

 

「あ~……よく言われます。アメリカ(むこう)でも自己紹介の度に『刀や鎧は持ってるか?』とか『馬には乗れるのか?』とか、色々訊かれましたし」

 

「ふふっ。そういう点では、似た者同士なのかもしれませんね、私達」

 

「かもですね」

 

それからは暗い雰囲気は霧散し、僕達は互いの過去話に花を咲かせた。名前から受ける誤解や外見とのギャップ。それにどう反応して、どう対処したかなんて事を、とりとめもなく。

僕はずっと能力者である事を隠して生きてきた。ずっと気を付けて、気を張って、他人との間に一線を引いて。友達がいなかった訳じゃない。それでも、完全に心を開くのは、心を許すのは、怖かった。あの頃のように畏怖され、恐怖され、排除されるのが、怖くて仕方がなかった。何が切欠で今が壊れ、崩れ、無くなってしまうのか、心の何処かで怯えながら毎日を生きていた。

でも、今は違う。まだ明かす事への恐怖は拭いきれないけれど、この人になら、この人達になら、知られても構わないと、そう思える。そう思って話せると言う事が、こんなに心地良いものなんだと、初めて知った。知る事が出来た。

楽しかった。嬉しかった。周りの人達には悪いけど、ほんの少しの優越感に浸りながら、この時間が少しでも長く続けばいいと、伸びかけの蕎麦とふやけきった衣のてんぷらを咀嚼しながら、僕は思っていた。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

あれから暫くして、ランチを食べ終えた僕達は大学に程近い自然公園を訪れていた。ベンチや木陰も多く日当たりも良好な為、昼休みなんかはここでお弁当や購買の戦利品を広げて食事を摂る人も結構いるそうだ。

 

「ダンスサークルやラジコン研究会なんかも、よくここで活動してるみたいですね。それに、そろそろ休日はお花見の予約のシートで一杯になりますよ」

 

「でしょうね……すごく広いし、あんなに桜の木もあるし」

 

辺り一面に広がる若々しい青緑。黒い幹の上、今にも花開かんと自己主張する蕾達が薄桃色の花弁を微かに覗かせている。満開までの時間はそう長くはないだろう。舞い散る桜の中で食べるご飯はきっと格別だろうなどと、思わず考えてしまうのも無理はないと思う。

 

「ここに生えているのはソメイヨシノですね。一面を埋め尽くす桜吹雪は圧巻ですよ。毎年、研究室やサークルの新人歓迎会なんかで、朝早くから見張り番がいたり、買い出しの人がいくつも袋をぶら下げてきたり、お酒や空気に酔って乱痴気騒ぎなんていうのも恒例ですね」

 

「いいですね!! 流石は日の本、最っ高ですっ!!」

 

想像するだけで大和魂が燃え上がる。陣羽織を脱ぎ捨て晒されるのは右の肩。刻まれた舞い散る薄紅色と、高らかに叫ぶ決まり文句。

 

「数ある花のその中で、大江戸八百八町に紛れもねえ、背中に咲かせた遠山桜、散らせるもんなら散らしてみやがれぇ!!」

 

「……杉○太郎さんとは、また渋いチョイスですね。というか、放送当時に生まれてませんよね?」

 

そうは言われても出てきてしまったのだから仕方がない。思わず見得を切ってしまったのは大ファンだからだと言う事で納得して欲しい。小学校の時に父さん母さんに頼みこんで買ってもらったDVD―BOXは今でも最高の宝物だ。というか、マリアさんこそよく知っていると思う。

 

「少し、休憩しましょうか。何か、飲み物でも買ってきますね」

 

「あ、有難う御座います」

 

「いえいえ。何か、希望はありますか?」

 

「それじゃ、お茶で」

 

「解りました。ちょっと待ってて下さいね」

 

そう言って、自販機のある方へと歩いていくマリアさんの背中を見送って、僕はもう一度、未だ開かぬ蕾ばかりの桜並木を眺める。冬を越えた漆黒の幹は力強く根を張り巡らせ、大地にどっしりと腰を据えていた。越冬、台風、地震と、四季の豊かさに恵まれている一方で自然の猛威が直撃する日本にあって尚、傾く事無く直立不動。『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』という言葉の通り、桜は傷口が痛み易く、枝が折れるなり折られるなりされてしまうと、そこから一気に腐食が進み、あっという間に枯れてしまう。元々、それほど弱い植物ではないが、枯れ枝が出てきてしまうと適切な剪定を施さなければ人間と同じく木肌は崩れ芯は曲がり、正しく老化の様を見せてしまうのだ。しかし、ここの桜の木々のなんと気丈なことか。適切な保護と育成、そして見物客達がマナーを順守しているという何よりの証明。

 

「……いいなぁ、本当に」

 

ぱっと咲き、さっと散るその様は古くから諸行無常、そして儚き人生を投影する対象として親しまれ、実に多くの歌人達が『日本人の精神の象徴』と例え、数々の歌を詠んだ。江戸時代以降はしばしば『武士道』の例えにも使われ、旧5000円札を飾った新渡戸稲造もまた、著書にて『武士道とは日本の象徴たる桜の花のようなもの』と冒頭に記している。が、その散り様から家が長続きしないという想像を抱かせた為に、桜花を家紋とする武家は余り多くは無かったりもする。

実の所、アメリカは首都、ワシントンDCにも桜が植えられている場所はあるし、訪れた事も何度かある。けれども、やはり本場ともなれば感慨は一入だ。未だ一輪も開花してはいないが、

 

「咲いたら、絶対に見に来よう」

 

きっと、今以上に心が躍るに違いない。丈二さんに頼んでお弁当でも拵えて貰おうか、などと考えると、自然と笑顔が浮かび上がってくる。

と、

 

―――ドンッ

 

「っと、御免なさい」

 

「あぁ、いえ。私の方こそ不注意で、済みませんでした」

 

桜並木に意識が行き過ぎて視野狭窄になってしまっていた。背後、軽い衝撃に振り返ると、一人の男性がこっちを向いて微笑んでいて、

 

「あれ?」

 

「……どうしました?」

 

見覚えがあった。百貨店の紙袋と真白の杖。そして、一文字に閉じられた両の瞼。確か昨日、光さんに付き添って行った商店街の肉屋の前。

 

「あ、いえ、何でも。……あの、ひょっとして、目が?」

 

「え? ……あぁ、これですか。そうですよ。小さい頃に、病気で」

 

「大丈夫ですか? 行先は? 良ければ、付き添いましょうか?」

 

「あぁ、いえ。大丈夫です。行先は駅の向こうの病院ですから」

 

「病院……」

 

流石に一度擦れ違った事があるだけで気安く話しかけるほど、僕は図々しくはなれなかった。随分と軽装な格好からして定期検診か何かだろうか、その分を邪推してしまうのは悪い癖だと解ってはいるが、してしまうものは止められないし、これくらいは許されてもいいだろうと思う。

それはそうと、病院ならばそこまで心配するほどでもないかもしれない。ここから駅まではさして遠くはないし、この公園からの道は大通りに面した場所ばかりだから迷うような事もないだろう。何より、今思えば土地勘のない自分が着いていっても余計に時間がかかるかもしれない。

 

「お気遣い、有難う御座います。それでは」

 

「あ、はい。お気をつけて」

 

そんな事を考えている内に彼は杖の先で左右の地面をコツコツと叩きながら歩いていく。ゆったりとした足取りは全く危うく無く、しっかりと確実に一歩一歩を踏み出している。どうやら心配するまでもなさそうだった。

と、

 

「お待たせしました、戦国くん。これで良かったですか?」

 

「あ、マリアさん。有難う御座います」

 

戻って来たマリアさんが差し出してくれるペットボトルを受け取る。淡い緑と白を基調としたラベルに毛筆の書体でプリントされた商品名は、

 

「『十億茶』……何がどれだけ入ってるんだ、これ?」

 

人口で言えば日本どころか世界一の中国にすら迫らんばかりの数値なのだが。果たしてこんなに茶葉の種類は存在しているのだろうか。

 

「ま、いっか……あれ?」

 

途方もない思案になりそうだったので取り敢えず考えるのを止め、栓を開けて一口含んで、ふと向けた視線の先に、公園の外れへと向かう人の群れ。その表情は正に興味津々と物語っており、彼等の向かう先にその対象があると思えば、見ている自分もそれに対して少なからずの興味をそそられるのは当然とも言えて、

 

「マリアさん」

 

「はい?」

 

「向こうって、何かあるんですか?」

 

指差す先を見るマリアさん。しかし、

 

「……私もちょっと心当たりがありませんね。あの、済みませ~ん!!」

 

どうやらマリアさんも解らないらしく、向かおうとしている一人を声を挙げて呼び止めた。

 

「はい~? って、うをっ!? 鞠原先輩!?」

 

「何かあったんですか? 皆さん、何処へ?」

 

「あ~、えっとっすね……向こうでトラックが事故ったらしくて、第4課が来てるってんで、ちょっと見に行こうか~なんて話になりまして」

 

成程、要は出歯亀という訳だ。多少の後ろめたさは感じているのだろう、呼び止められた男子学生はしどろもどろになりながらそう言い、周囲の生徒達も何処か居た堪れなさそうにしていた。

 

「マリアさん。第4課って、確か」

 

「えぇ、狼さんの部署ですね。……行ってみますか?」

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

現場は自然公園からさして遠くなかった。人通りの多い昼間の大通りの交差点。ドライバーはやはり重傷でこそあるものの命に別条はなく、奇跡的に周囲の通行人に被害者は一人もいなかったらしい。そして、事故にあったトラックと言うのが、

 

「やっぱり、また『あのトラック』みたいですね」

 

「の、ようですね」

 

昨日も間近で見た、同じ運送会社のイメージキャラクター。可愛らしい筈のそれはものの見事に(ひしゃ)げ、歪められてしまっていた。そして、

 

「なんだ、お前達も来たのか?」

 

「乾さん」

 

パトランプの包囲網の外、奇異の視線や携帯のカメラを向けながら群がっている野次馬達を押し退け散らせている警官達の間を縫いながらやって来たのは、見知った紺色のスーツ姿。人混みの中なので流石に煙草は咥えていないが、随分と辟易しているようだった。

 

「ったく、どこから聞きつけて来るんだろうな、俺達が来るってよ」

 

「最近のトラックの交通事故となると、皆にはもう『そういう事』なんだという認識が広まってしまっているんですよ。ニュースでも取り上げられてますし、何よりここ数日、こうして狼さん達を街で見かける事が増えてますし」

 

「ったく、余計な報道してくれやがって。俺達は見世物じゃねぇっての」

 

「人は、非日常に惹かれるものです。一度、世間に根づいてしまった価値観はそう簡単には揺るぎません。仕方のない事ですよ」

 

「まぁ、解っちゃいるんだがな。そういう職業だってのも……さて、やるか。お前ら、スペース開けてくれ」

 

なんとか自分を納得させたのだろう、乾さんは呆れ混じりの溜息と共に軽く髪を掻き上げ肩を落とした後、周囲の警官達に場所を広げるよう指示を出して、

 

「戦国くん、少し離れましょう」

 

「えっと、何が始まるんですか?」

 

「見てれば解りますよ」

 

言われるがままに距離をとる。半径10メートル程の人の円の中、乾さんは地面を、正確には自分の影を見下ろしながら場所を確認するように小さな右往左往を繰り返し、

 

「……この辺か」

 

呟いて立ち止まると同時、ゆっくりと瞼を閉じて、

 

「―――っ!!」

 

カッと。見開かれた双眸は深紅に煌めき、肉体を包む碧玉にも似た輝きが微かな上昇気流を生み出しているのか、衣服の裾や袖、昔ながらの長髪をふわりと浮かび上がらせていた。能力者である事の証明。未だにメカニズムが把握されていないが、能力を行使している間の能力者特有の現象である。

初めて、他人が能力を使っている瞬間というものを目の当たりにした。昨夜も見せては貰ったが、あくまで説明程度の軽度なレベル。本気で、人前で、何の躊躇いもなくというのは、今までひた隠しにしてきた自分にとっては結構な衝撃だった。そして、

 

「来ますよ、狼さんの能力の真骨頂が」

 

マリアさんの言葉の直後、乾さんの影が徐々に重力に逆らって隆起し始め、

 

「っ、うわっ!?」

 

次の瞬間、その影が噴水のように空中で飛び散った。拳大のそれは軽く見積もっても30はあり、やがて飛沫のように地面に落ちて、

 

―――グルルルル……

 

幾つもの低い呻り声が耳朶を擽ったかと思うと、そこには昨夜と同じ、宵闇のような漆黒の毛並みに身を包んだ狩人達が所狭しと蠢いていた。

ただし、

 

 

 

 

 

―――――きゃ~っ、可愛い~~~っ!!

 

 

 

 

 

何処からともなく聴こえたそんな黄色い声を皮切りに、同意するように多くの歓声やシャッター音が沸き上がる。それを止めようと警官達が必死に抑え込む中、当の乾さんはと言うと、

 

「はぁ~……」

 

先ほどよりも、実に盛大な溜息だった。

無理もないと思う。何せ彼の分身たる影の犬達は昨夜のような大型犬サイズではなく、

 

「……手乗りわんこ?」

 

「そこ、わんこ言うな」

 

耳聡く聞き取った乾さんが僕を睨みながら言う。

そう、そのサイズは僅か5センチ程度。掌に収まらんばかりの置物やマグネットのような小さな小さな黒い影があっちへ行ったりこっちへ来たり。想像してみて欲しい、視界全てを埋め尽くす愛らしい子犬達を。そりゃあ黄色い声も上がるというものだ。

 

「狼さんはああして、自分を影を幾つにも分けて操る事も出来るんです。その総量は、最初に創り出す時の影の大きさで決まってしまうので、なるだけ大きな影を作る必要があるんですよ」

 

「あぁ、だからさっき、自分の影を見ながら色々動いてたんですか」

 

人払いの理由はなるだけ大きな影を作れるよう、余計な遮蔽物を避け、適切な角度と位置を探す為だった、という事か。

しかしまぁ、なんと言うか、

 

「随分と可愛らしい真骨頂ですね」

 

「ふふっ、そうですね。でも、見た目に反してとても有用的な能力なんですよ、乾さんのは」

 

「というと?」

 

「昨夜も仰ってましたけど、狼さんはワンちゃん達と全ての感覚を共有しているんです。つまり、彼等が見た事、聞いた事、嗅いだ事、触った事、何もかも全部、狼さんは感じ取る事が出来るんです」

 

『犬』発言に関しては地獄耳なのか、だからワンちゃん言うなっつに、という乾さんの反論を尻目にマリアさんの説明は続く。

 

「そして、狼さんは彼等を指揮する事が出来る。と、言う事は?」

 

「……あ」

 

そうか。そう考えると、これほど捜査に向いている能力はない。

つまり、調査や警邏、鑑識などの大人数を割かなければならない広範囲の情報収集をたった一人で行う事が出来ると言う事だ。

 

「現場でくまなく証拠や痕跡を探したり、次に事件が予想される場所で犯人が来ないか見張ったり、狼さんの能力は幅広い応用が利くんです。正に、警察にうってつけの能力と言えますね」

 

「確かに、そうですね……」

 

改めて乾さんへと視線を戻す。いつの間にやら手乗りわんこ達は四方八方に疎らに散っていき、乾さんは深紅に染まる瞳を虚空へ向けたまま意識を集中させているようだった。

 

「…………」

 

格好いいと、素直に思った。何の衒いも、戸惑いも、躊躇いもなく、能力を許容し、許容されている現実は、今の僕には眩しくて、羨ましくて、心の底から憧れるものだった。

自分も、こうなれたのだろうか。あの時、僕が逃げなければ。僕が俯かなければ。僕が諦めなければ。

いくら仮定を案じた所で、その過程は変わらない。いくら後悔を重ねた所で、その結果は変わらない。僕達が行先を選べるのは現在以降の交差点であって、過去の分岐点へ遡る事は未だ不可能とされているのだから。

でも。だけど。それでも。だとしても。

思いつく限りの逆説が鼓膜の中で木霊する。埋め尽くし、溢れ返り、零れ落ちていく。

開いた掌を見下ろした。この手は触れた物質の形態を、形状を、自在に変化させる事が出来る。紙や粘土で細工でもするかのように、いとも容易く簡単に。

 

(もし、僕が心から望んだなら……)

 

この力は、僕を助けてくれただろうか。この力は、僕を助けてくれるだろうか。

この力は、僕を支えてくれただろうか。この力は、僕を支えてくれるだろうか。

 

「……戦国くん?」

 

心配の表情で問いかけるマリアさんに答える事も忘れて、僕はただ、仄かに脳裏を過る『新しい選択肢』の存在に、小さな困惑と希望を覚え始めていた。

 

 

 

 

 

…………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

………………………………

 

 

 

 

 

同時刻、場所は『ごりら食堂』その2階。

最低限の家具と筋トレ器具に囲まれた部屋の中、PCの前に鎮座する巨大な影の主、峠崎丈二は太く無骨な指で、通常の大きさでありながら相対的に小さく見えてしまうマウスやキーボードを使いながら、その資料に目を通していた。

 

「……ふむ、確かに妙だ。ただの事故にしては不自然過ぎる」

 

一通り読み終えたのか、その画面を閉じ、データが記録されているUSBメモリを抜き取って呟く。細めたサングラス越しの瞳は何と焦点を合わせる事もなく、静寂が飽和する部屋で彼は独り、思案に耽る。

やがて、数分も経った頃。

 

「……決めつけるのは尚早だな。如何せん情報が足りん。断定には程遠い」

 

徐に立ち上がり、取り出したるは携帯電話。

 

「アイツに頼むか」

 

開き、何度も繰り返される呼び出し音。そして、

 

 

 

―――――久し振りだな、『うたまる』

 

彼は早速、本格的に動き出す事にした。

 

 

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

 

『Just Walk』久々の最新話です。取り敢えずキリのいい所まで書き上がったので更新。

イラスト描いて貰えるようになってから一気にテンション上がって書き進めてしまいました。

研究室生活が始まり、就職活動やサークルの新歓準備なんかも忙しくなってきて、充実していると言えば充実している日々ですかね。

しかし、今まで3年間物理化学勉強してきたのにいきなり生物分野とか、どうなってんだウチの大学はww

 

 

さて、

 

 

今回は『マリア』のちょっとしたエピソードと『狼』の仕事風景、『戦国』の心境の変化、そして新キャラ登場の布石と、色々と詰め込まれた1回となりました。

徐々に事件と関わりを深めていく二人。意図的に。偶発的に。その違いもまた、どうすれば上手く書けるだろうかと思案中。う~む、難しいが楽しい。

 

さてと、こんなに早くに登場とは思ってなかったかな?

結構、というかかなり重要な役割を担ってもらおうと思っているので、お楽しみに。君のイラストもいずれは頼む予定なんで、希望があったらお早めに。

 

では、次の更新でお会いしましょう。

でわでわノシ

 

 

 

…………『じょうちなみ』ではなく『かみちなみ』です、お間違えの無いように。


 
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