No.407091

明日に向かって撃て! 【ロクデナシ】

健忘真実さん

探偵小南の大活躍! 第四弾

2012-04-12 11:55:12 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:403   閲覧ユーザー数:402

【ロクデナシ】

 

 

「こんにちわァ、お久しぶりィ」

 喫茶“憩い”の扉が開かれた。

 

「わっ、めずらしい。いらっしゃいませ~」

「うちの子、外に繋がしてもろたけど、かまへん?」

「連れて入ってもろてかましませんよ、ペット専用席あいてますしィ」

「そらあかんわ。ゴールデンはぶるぶるってしたらものすごい毛が舞うし、葉っぱやら

種がいっぱい付いてるから。えっと、ホット」

 海老出鯛子は小型リュックを肩からはずして床に置き、ヨッコラショと言いながら窓

際の席に腰を下ろした。

 

「小太郎連れてわざわざここまで?」

六箇山(むこやま)(池田市)から滝道(箕面市)に抜けてな。距離は短いけど傾斜がきついから

ええトレーニングになったわ。ちょっとトイレ借りるよ」

 

 さっぱり顔で出てきた鯛子が席に着くのを見計らって、緑はコーヒーを運んだ。

 鯛子は緑の叔母、である。コーヒーを少し啜るとソーサーに戻しながら緑を見つめた。

「緑ちゃん、小南いう探偵さんにパンチ喰らわしてぶっ飛ばしたんやてなァ」

「ど、どこでそんなデタラメを・・・」

「あれ? ちゃうのん? みんな知ってるで・・・マスターの奥さんがお稽古の時にゆ

うてはったさかい」

 マスターの小学生の息子と鯛子は同じ和太鼓演奏グループに所属し、毎週練習に汗を

流している。奥さんは息子の付き添いである。

 

「うちのやつそんな事言いふらしてるんですか・・あいつの前でうっかり口滑らしたん

がいかんかったかなぁ」

 マスターはカウンターの内側でコップを磨きながらつぶやき、顔を上げた。

「それで、偵察、ちゅうわけですか」

「そういうわけでもないんやけど、たまにはうちの子もトレーニングさしとこ、思て」

「緑ちゃんが謝ったら済むことなんですけどねぇ」

 ため息が混じっている。

 ばん! とテーブルを叩く音とともにスプーンがガチャンと鳴った。鯛子が立ち上が

ってマスターを睨んでいる。

 

「ちょっとマスター、女が頭を下げるやなんてこと、どんな理由があろうとできるわけ

ないやろ!」

 すごい剣幕でつっかかった。

「い、いや・・・しかし・・やはりでんな・・暴力振るったんは緑ちゃんやから・・」

 マスターは、海老出さん、夫婦の間でなんかあったな、と勘繰りながら触らぬ神にた

たりなし・・と、沈黙した。

 

 鯛子は緑を向かいの椅子に座らせて、いきさつを聞き出した。

「ええっ、ポケットにそんなもん入れてたやなんて、しかも胸ポケットに? その人変

態やんかァ。そんな人と口きいたらアカンでェ」

 うん、と曖昧にうなずく緑。

「緑ちゃん、その人のこと、好きやったん?」

 緑をじっと見つめる。ほんのりと赤くなる緑。

 

「そんなこと・・・あるわけないでしょ! ただのお客さんです!」

「へえぇぇ、お客さんに対して暴力振るうんですかァ、この店では」

「ちょっと、ほっぺを軽く叩いただけです」

「やっぱり嫉妬がまざってるね」

「まっさかぁ」

「そうやねェ、好きでもない人に嫉妬するわけないもんねェ。あんたのおかぁちゃんに

はまだゆうてへんで。先に確認しとこ思ただけやから」

「やっぱり偵察やんか。おばちゃん、おかぁちゃんに余計なこと、言わんといてや!」

「はいはい、ま、痴話喧嘩とちごうてよかった。気ィ付けや、けったいな人多いから。

ほなら()ぬわ。ごっそさん。まだこっから歩いて帰らんならんさかいな」

 腕が突然目の前に現れ、掌が・・・顔よりも大きな掌が俺の頭をつかもうと迫って来

る。その向こうに見える顔は緑ちゃん。それは次第に阿修羅のごとく表情となり、掌が

ついに頭に触れると同時に俺は底なしの闇の中に落ちていった。

 わあ―――

 

 わっ。

 上半身をのろのろと起こした。暑くもないのに汗をかいている。毎晩同じ夢を見る。

あの日から一度も“憩い”へ行っていない。

 きっと、きっと俺は完全に振られてしもたんや。

 体が重い。食欲もわかない。仕事にも身が入らない。といってもここしばらくは暇な

のではあるが。だから余計に同じ事ばかり考えている。

 それでもシャーロックの欲求だけはかなえてやらねばならない。

 シャワーで汗を流してから、しぶしぶ朝の排便の為の散歩に出た。

 

 うつろな気分で歩いていると、シャーロックは何やらを口に入れもしゃもしゃと動か

している。あわてて口をこじ開けて取り出すと、ティッシュである。道端によく捨てら

れているのだ。

 犬にとってティッシュは何らかのにおいが付いた、柔らかく魅力的な食べ物であるら

しい。拾い食いは戒めていても、気付かずにいると口に入れている。

 

 散歩から帰ると俺の朝食。

 くっそ~。インスタントラーメン2個を鉢に入れ、湯をかけて少し待つ。このままだ

と栄養失調だァ~。

 口いっぱいにほおばり、滝のようにぶら下がっている麺。鼻水がレールを走って出て

来る。鼻水を啜り上げようものなら麺が鼻に入ってきそうだ。ついでに目頭にも水がた

まってきた。

 ああ、緑ちゃんに会いたい。いいや、意地でも行くもんか!

 事務所の扉が開かれた。

 おはようございます、と言って入ってきた小沢耕作さんは、1歩踏み出したところで

凝固した。

 

「こりゃすんません、食事中でしたか。ほなら外で待たしてもらいますよって」

と、そそっとそのまま後ろに下がり扉を閉めた。

 急いで食べ終えて顔を洗い、身だしなみを整えるとおもむろに耕作さんを迎え入れた。

 

「聞いとりますで。駅近の、通りにある喫茶店の女の子の胸触って投げ飛ばされた、て」

「だれがそんな嘘っぱちを。そんな破廉恥なことするわけないやないですか」

 憤慨した。

 俺はこの前の郵便泥棒とのやり取りから、そのまま喫茶“憩い”へ行き、緑ちゃんの

誤解に弁明できなかったことを話した。

 

「ははあ、デマでっか。娘から聞いたんですけどね。お客さんから聞いた、て。あんさ

ん、評判落としてますで」

と、粘り気のある視線を投げてきた。道理で暇なわけだ。

「最近公園へ来はれへんからどないしてはるんやろ、思いましてな。そやけどそれやっ

たらこっちから謝ることやおませんな。その娘さんの早とちりやし、男の沽券にかかわ

ることでっしゃろ。ま、早とちりして人の話きかんような女は、一緒になったら苦労し

ますで。気ィつけなはれや」

 クソッ、人ごとや思うて・・時間をかけてやっと親密になれたというのに・・・

 耕作さんは、ぬるいインスタントコーヒーをごくりと飲んで続けた。

 

「それで名誉挽回になるかどうか、無報酬ですねんけど、仕事あるんですわ」

 シャーロックのリードを短く持ち、駅の近くにある大きな公園の中を歩いている。

 晩秋の公園の植え込みには落ち葉が降り積もっている。

 西空には、夏の名残りの大三角が街灯の明るさにも負けずにかろうじて見えている。

東に見えるのはさしずめカペラ、か。田舎に行けばもっと多くの星が輝いているんだ、

と思いつつ、ブルっとした。夜9時にもなるとかなり冷えてきている。

 今日で4日目だ。

 

 

 耕作さんの話によると、この公園で猫の死体が、1週間の間に2回見つかったのだ。

また、散歩中のビーグル犬が植え込みの中に落ちていた竹輪を食べて死んでいる。竹輪

には農薬が付いていたそうだ。ちょうど今頃の時間である。

 シャーロックが植え込みに入って行こうとするたびに抱きあげて、懐中電灯で照らし

ながら周辺を調べた。

 この1時間の間に何度同じ事をしただろう。

 しかし、熱中できる作業があることは救いだ。その間だけは緑ちゃんのことを忘れて

いられる。

 え? やはり時々は思い出してる、てことか。

 

 ん? 植え込みからでっぷりとした中年らしき男が出て来た。手には小さなポリ袋を

持っている。

 シャーロックが珍しくも吠える。電灯を向けた。

「何してるんですか?」

 腕を上げて電灯の光を遮りながら、

「落し物をして、捜してたんですよ」

「明かりも持たないで、見つかりましたか? その袋の中身はなんですか?」

「いや、では、失礼」

 あわてて横をすり抜けようとする男の腕に手をかけた。

 男は手を振りほどき走り出した。走るというよりヨタヨタとかけて行く。

 シャーロックのリードをはずし、一緒に、追いかけた。

 

 男は振り返り、袋の中身をぶちまけた。

 竹輪だ。

 俺の後方をゆっくりと付いて来ていたシャーロックは、俄然勢いづいて飛び出した。

 クソッ・・立ち止まって食いつこうとする直前にかろうじて、シャーロックの長い胴

を蹴りつけることができた。

 キャィン、と転がったシャーロックを抱きかかえて男を追いかけた。

 ジョギングと筋トレをあの日以来中断していたが、そしてインスタントラーメンばか

り食べていたが、この4日間は再開していたので、身が軽い。

 息を切らしている男に追いつき、後ろから思い切り尻をキックした。

 

 この、ロクデナシ、めが!

 

 男は両腕をくるくる回し、たたらを踏んで転がった。

 すぐに携帯を取り出し、警察に電話を入れた。

 翌日の午後、久し振りに山の手公園へ散歩に出た。

 耕作さんは相変わらず、だ。

 缶入りの温かいおしるこを差し出し、横に座って一緒に飲んだ。

 

「見ましたで。地方版に出てましたな」

「そうですか・・・新聞は読んでないんです」

「犯人なぁ、近所の猫は糞をしに来るわ、犬の吠え声がうるさいわ、でいらついてたそ

うですわ。しかも職は失うし、株価は下がって大損してるし、奥さんと子供らには出て

行かれるし、いくつもの要因が重なってどん底やったんですな。腹いせに犬猫に当たっ

た、と」

「そんなことまで書いてあったんですか」

「いやあハハ、スズメがぎょうさんさえずってますさかいに」

 

「俺は落ち込んだ時には、インスタントラーメンをやけ食いするんですわ」

 しまった! 見られてたんや、と思い出し耕作さんを見た。

 耕作さんは黙って鳩を眺めている。

 俺も鳩の動きを目で追った。

 オスはいつもメスの後を追いかけている。

 

 長い沈黙の後、

「憩いのウェートレスさんに会いに行きなはれ。何もせんと後悔するよりも行動して後

悔するほうがよろしい」

 そして俺を見て、ニッと笑った。

 

 

 小南が立ち去った後、耕作が喫茶“憩い”を訪れたことを彼は知らない。


 
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