No.374018

マタギ

平岩隆さん

西村 晃といえば二代目水戸黄門であって、変に品の高さがあるひとで。
昔から爺さん役が多くて「新・仁義なき戦い」でも情けない親分を演じていた。
だが大和屋 竺の手による台本を得て、アメリカ映画「グリズリー」よりも深く、
スピルバーグの傑作「ジョーズ」より男臭い作品に主演していたのだよ。
こんな大傑作を知らん奴多いんだろうな。

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2012-02-06 21:20:45 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:830   閲覧ユーザー数:830

壱、

 

György Ligeti - Etude No. 4 "Fanfares" performed by Junyi Liu

http://www.youtube.com/watch?v=DVjFEmq_wzs

 

正蔵は部落いちの熊撃ちだ。

猟銃の手入れにも余念がない。

今年の夏の“やまいり“の日を前におとこたちと火薬小屋で火薬を練っていた。

いちばん近い鍛冶屋まで4日ほどかかるこのいちばん山深い部落では鉄砲といえば

おとこのいちばん大切な仕事道具だ。

だから皆だいじに取り扱うので、いまではさすがに火縄を使う者はいないが

日清日露の戦いの戦利品として持ち帰ったものがほとんどだ。

正蔵の手にしたのは先代が借金してまで買った村田銃。

とにかくこの部落の少ない現金収入である熊の三頭分。

先代は単発銃で弾を準備する間に目の前で仲間がクマに食い殺されたのを機に

自動装填式連発散弾銃を手に入れた。

それ以後、今日に至るまで、だいじにだいじに手入れを続けてきた。

 

“やまいり”は年に一度、夏の終わりに、蝙蝠谷に分け入り、冬の支度として

けものを狩る行事であり、部落ではイノシシより大きなものはこの数日の間に

狩ることが暗黙の了解としていた。

この三日間の狩猟の前夜には、修験者さまが一晩中護摩を焚いて山の神に

山に入ること、生きるための糧を狩ることをお許しを願う。

この三日間の猟の安全を、そしてこの三日間の猟の成果が豊饒なものとなるように。

修験者さまは祈り、おんなたちは酒や貧しい穀物をお供えする。

 

正蔵は歳はそこそことっていたが、年寄りに組するほどではない。

だが、腕を見込まれて猟の長を務めることとなった。

となれば、猟の前夜の宴で皆に言い聞かす話は昔から決まっている。

 

まずひとつは、山の神さまへのいやび。

この山深い部落での信仰の対象は、かむやしろの神でも寺の仏でもなく_。

ほとんど独自色の強い、この山にいるとされる神であった。

正蔵の父はやはり古くからこのあたりで猟師をしていたが、深く山の神を崇敬し

山の神とは“山”それ自体だ、と亡くなる直前まで正蔵に教えて聞かせた。

長老は山の神さまとは、この一帯の山の最強の動物であるクマである、と

皆に教えていたことがある。しかも他のクマよりひとまわり大きい首の周りに

白い毛の生えたツキノワ。ツキノワこそが山の神であると。

 修験者さまはそれとは別のなんとも奇天烈なものが山にいて、

山の自然事態を支配しているといった。

現に修験者さまは山の神さまのものといわれる牙の化石を持っている。

蝙蝠岳のあちらがわで見つけたらしい。

確かにクマのものではないが、ひとの物に近いような、

しかしそんな大きな犬歯が人間についていたら、怪物のようだろう。

正蔵はそれが“山”自体であろうと“クマ”であろうと

“大きな牙をもったなにか”であろうと。

我々に恵みをもたらすものには違いはなかろう。

だから山の神さまに感謝するのだ。

 

次に、狩猟によりもたらされるであろう“恵み”への注意。

または猟の「掟」について

山の大自然に抱かれて、生まれ育ち、一種過酷な環境の下で。

できるだけ互いに合わないように生きてきた。

それが山での生き方の作法で。

合えば、生き残るために殺しあわねばならない。

必ずしも強いものが勝つということでもない。

勝っても深い傷を負えば死んでゆくだろう。

これは生きるための闘争。

出合ったら、殺す。

殺さねば、殺される。

だからこそ、殺した後相手を敬わねばならない。

出来るだけ苦しませずにひとおもいに殺してしまわねばならない。

そして、その血肉は肉の一片、血の一滴にいたるまで

だいじにだいじに扱わねばならない。

 

次に猟の安全を神に祈る。

三日間で冬のしのぎに必要な分だけでいい、恵みをお分けください。

その際に鉄砲を用いて狩りをしますが、部落の者がみな安全に帰れますように。

さすがにここ数年はおっきな事故はなかったが、手首を食いつかれたり

鉄砲で指を吹き飛ばしたりという事故はついて回る。

何事もないように皆で安全を祈る。

 

岩塩と酒で身を清め、朝日と共に“やまいり”が始まる。

 

弐、

 

György Ligeti - Etude pour piano Nr.13

http://www.youtube.com/watch?v=8LI6p4f7GB0

 

おとこたちは蝙蝠谷に分け入り二日が経った。

明日の夕方には猟の成果はほぼ例年並みだが、大物らしい大物はまだない。

おとこたちは二手に分かれ、仕留めた獲物を下ろす組とさらに山奥に入り

大物を仕留める組とに分かれた。

正蔵は六蔵と伊助を連れ蝙蝠谷の奥に踏み入れた。

急な岩場の崩れたガレ場を迂回して針葉樹の森に入る。

いきなりそこで目に飛び込んできたのは白樺の木につけられたクマの爪痕。

かなりの大きさであることは明白だった。

しかも木の皮がまだ乾ききっていないので近くに潜んでいるのかもしれない。

 

風向きが変わり正蔵はクマの気配を感じ、六蔵と伊助に体制を

低くするように指示して白樺林を進むとちょうど目の前にクマがいた。

しかもツキノワグマ。この山地で最強のクマだ。

しかも成熟した大人のツキノワグマ、身の丈も4尺はありそうで。

脂ののった肉が多そうで。

毛皮も大きいのが取れそうだ。

これなら熊の胆もおおきかろう。

 

コイツを仕留められりゃぁ・・これで部落も豊かに冬を越せる。

それより、“おかぁ”に、むすめの“さゆり”に、そして“さと”に

たっぷり食わしてやれる。

暖かな毛皮を着せてやれる。

そんなことを思い出しながら。

 

一発弾のカートリッジを取り出し、込める、込める。

クマの皮はとても厚い。

しかもその下についている肉も鉄板のように硬い。

だから散弾では非力だ。

しかも皮膚の厚い部分では一発弾でも駄目だ。

 

以前部落を襲ったツキノワを退治するため

手前から走っていくクマのケツを撃ったが走るのを辞めることはなかった。

向こう側から走ってくるクマの喉元を狙って一発弾を食らわして

態勢を崩したクマのやはり喉元に更に一発弾を撃った。

正蔵の目の前でようやく倒れた。

間一髪だった。

血の気が失せた。

クマの爪がすぐそこにまで迫っていたのだから。

 

その後、倒れたクマのケツを見れば、弾は命中していた。

だが、皮膚に食い込んだだけでその下の硬い肉は弾を通さなかった。

やわらかいところを狙うしかない。

できれば一発で。

 

同じ山で暮らしているもの同士。

出合わなければそれまでのこと。

だが互いに生けとし生きるものとして、殺し合わなければならないのなら

ひとおもいに苦しませずに仕留めてやるのが相手に対する礼儀だ。

 

ツキノワは蜂の巣を壊し、蜂蜜を舐めているようで

あたりには蜂が混乱して飛んでいた。

蜂を追い払うように立ち上がった瞬間。

ツキノワが天を仰ぎ喉を伸ばしきった瞬間。

引き金を引くと、爆裂音は谷に山にこだました。

 

ツキノワの巨体が地面に突っ伏しまだもがいている。

正蔵は立ち上がって、至近距離からツキノワの喉元に一発弾を撃ち込み

仕留めた。

 

「やったな、正蔵さん」伊助が正蔵を褒め称えながら近寄ってきた。

「これで正月がこせるワイ」

六蔵がひょこひょこと歩いてきた。

「しっかし、うまく仕留めたのぉ」

風向きが変わり、さらに叢が大きく揺れて、伊助の背後に5尺はありそうな

ツキノワグマが立ち上がって、激しい怒りを表すように大声で吠えた。

伊助はそのまま突き飛ばされ、大クマは正蔵に目掛けて突進してきた。

正蔵は銃を構える間もなく・・構えても弾が装填されていないのだから。

一目散に走って逃げた。

だがクマの足ははやい。

木に登ればそこで退路は無くなる。

走るしかない。

だがクマの足ははやい。

走りながらカートリッジを交換して・・。

走りながらカートリッジを装填して・・。

走りながら・・・どこへ?

だがクマの足ははやい。

もう追いつかれそうだ。

いや断崖絶壁が目の前に迫っている。

 

いましかない。

 

正蔵は振り向くとすぐ後ろに迫った大クマ目掛けて一発弾を見舞った。

その瞬間、慣性のついた巨体に弾き飛ばされ、白樺の木に叩き付けられた。

悲鳴とも怒号ともつかない咆哮をあげながら、大クマの巨体が絶壁に

落ちていく。

 

心臓が激しく動いている状態がしばらく続いた。

呼吸がはやくて止まらなかった。

体内にある燃えるものがすべて一気に燃焼してしまった。

全身の毛が抜け落ちるのではないかと思えるほどの疲労感。

それから白樺の木に打ちつけた痛みがジンジンと感じられた。

 

声が出たのはそれからで、出た言葉は「助かった・・。」

 

六蔵がひょこひょこ歩きながらやってきた。

「おぅ、生きてたか!どうしたクマは・・?」

正蔵は全身に広がった痛みを堪えて口を開く。

「一発ぶち込んで、そこの絶壁から落ちた。」

六蔵は崖を見ると底が見えないほどの絶壁で。

ここから落ちたのなら・・六蔵は目を移す。

「だいじょうぶか?」

「あぁ・・伊助は?」

「あぁ、だいじょうぶだ、あっちで休んでる。ところでな・・」

六蔵は正蔵の顔の間近まで顔を寄せてきた。

 

「ちゃんと仕留めたのか?」

 

正蔵は唖然とした。

無我夢中で走り、無我夢中で引き金を引いた。

そのあとの瞬間、瞬間を思い出してみる。

放たれた銃弾は至近距離から大クマの顔面近くを走ったはずだ。

「あぁ・・もちろんだ。」

六蔵はふたたび深く切り立った崖を覗き込んで

ふたたび正蔵に目をうつす。

「まぁここから落ちたら助かるわけはないよな。」

あまりに深く切れ落ちた崖の底はみえない。

参、

György Ligeti – “Autumn in Warsaw”performed by Alexander Hanysz

http://www.youtube.com/watch?v=SvpoWoWPgXk

 

その夜、さすがに疲れているのですぐに眠れた、はずだった。

だが正蔵は深く寝込んだのだが、目が覚めてもまだ真夜中だった。

いや、実のところまったくは眠れてはいない。

むしろ恐怖のあまりびくついて眠れはしないのだ。

 

見張りに立っていた伊助がいうには、死んだように寝ていた、らしいのだが。

思い出されるのは、クマに追われて、振り返りざまに一発撃った。

その瞬間のことだ。弾道はどう走っていったのか。

至近距離であったから、当たったにはちがいない。

だが。

あれだけの大きなクマに一撃で致命傷を与えられたのだろうか。

 

“「ちゃんと仕留めたのか?」”

六蔵の言葉が突き刺さる。

深呼吸してもう一度思い返してみる。

 

“だがクマの足ははやい。”

“もう追いつかれそうだ。”

“いや断崖絶壁が目の前に迫っている。”

 

“いましかない。”

 

“正蔵は振り向くとすぐ後ろに迫った大クマ目掛けて一発弾を見舞った。”

正蔵のすぐ後ろにいた大クマのできるだけ下の部分を狙った。

大クマの足を遅らせるために。

だがそこにあったのは、大クマの顔面ですぐに正蔵に噛みつこうとしていた。

正蔵の発射した弾丸は・・大クマの恐らくは目を直撃し・・・

 

なんてことだ・・。

いちばんしてはいけないことを・・。

 

夏の終わりだというのに、正蔵は全身を冷や汗に塗れていた。

穏やかになれない気持ちを落ち着かせようとするができない。

落ち着くのだ、冷静になるのだ、正蔵は自分にそう言い聞かせるが。

目を閉じて、なんども「掟」を暗誦する。

 

“同じ山で暮らしているもの同士。

“出合わなければそれまでのこと。

“だが互いに生けとし生きるものとして、殺し合わなければならないのなら

“ひとおもいに苦しませずに仕留めてやるのが相手に対する礼儀だ。

 

なんども、なんども「掟」を暗誦してみる。

だが、「掟」には後段がある。

 

“それが出来なかった場合。

“手負いの獣は最強最悪の敵となる。

“執念深く、執拗に、襲ってくるだろう。

 

ましてあれは家族を奪われた親なのだろう。

そしてまかり間違って人間の味を知ってしまったら。

 

正蔵は震えがきた。

だが大クマはあの崖から落ちたら、生きてはいられないだろう。

そうさ、生きていられるはずはない。

 

考えあぐねていると、伊助が声をかけてきた。

「しかし正蔵さんは凄いなぁ、ツキノワを二匹始末したんだからよ。」

正蔵は無理矢理顔の筋肉を意識的に動かして微笑み返した。

 

“やまいり”の最後の日、おとこたちは夕暮れに山を下りた。

正蔵は“おかぁ”と娘たちと山間の小さな畑であった。

おとこたちは重い猟の成果を運びながらもその足取りは軽くなっていった。

川の音がして滝が近づき、事態は一変した。

部落の小屋という小屋が破壊されていて、部落に残っていた

おんなこどもたちが泣いていた。

滝に近い伊助の小屋はいちばん無残に壊されていた。

伊助の両親はをひをひと泣いていた。

巨大なツキノワグマが突然襲ってきたという。

伊助は女房の死体と対面し、泣き崩れた。

そして娘のさゆきが、食われた、と聞かされ気が動転して

正蔵に食って掛かってきた。

「正蔵さん、あんた、本当にでかいツキノワ・・始末したんか?

本当に、殺せたのか?」

 

正蔵は言葉に詰まった。

まさか・・ヤツが生きていたのか?!

「正蔵さん、あんた、手負いの獣を作ってしまったよ、これからヤツは・・」

詰め寄る伊助と当惑する正蔵との間にひょこひょこと歩いて六蔵が割って入る。

「伊助、正蔵さんは間違いなくヤツを殺している。

それは俺も見ていたから、間違いないさ。

襲ってきたのは別なヤツだ。

だが、ヒトの味を知ったからには気をつけなきゃぁ、な。」

六蔵がしたり顔をしてひょこひょこと歩いて行った。

 

 


 
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