No.368554

割符

健忘真実さん

室町時代。のどかに暮らす山里。
しかし権力者の間では、ひそかに闘いは続けられていた。

2012-01-26 12:06:15 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:440   閲覧ユーザー数:440

 丹波能勢の里。

 ハギはキノコや山菜で満たした負い籠を地べたに置き、山の斜面を少し下った所で、

麻の単衣の裾をからげてしゃがんだ。

と、目の端にマムシをとらえ、びっくりして避けようとした弾みにそのまま斜面を転が

り落ちた。

 とっさの思いで両手を伸ばし立木をつかんだものの、体は空中に投げ出された。

 

 両の手で木をつかんだまま、下に目をやる。

 二丈(約6m)下に、小川がある。両岸には大小の石がゴロゴロしているはず。足が

かりがあれば上がれると、足を前と左右に降ってみたが腕が痺れ肩が悲鳴を上げ出した。

 もう、駄目、か・・・と思った時、手首をつかまれ、引っ張り上げられた。

 地べたに両手と膝をつき、息を切らした。

 そばには身の丈六尺(約182cm)近い男が、大の字になってあえいでいる。

 

「ありがとうございます、行者様」

 立ち上がって行者姿の男のそばに行き、膝まずいて礼を述べた。

「うちがこの山を下りた所にございます。ぜひ休んでいかれませ」

「ハギ、それには及ばぬて」

 

 へっ? 名前を呼ばれて驚いているハギの顔を見つめながら、行者は体を起こした。

「ワシじゃ、作じゃ」

「作? 助? おまえ作助か」

「今は作蔵と名乗っておる」

と言いながら立ち上がり、体に付いた葉っぱを払い落した。

 

「どれ、そのままじゃ帰れんじゃろ、しょんべん臭いぞ、下へ行こう」

 

 斜面を登り返して一枚歯の高下駄をはき、笈を背負って錫杖を取り上げ、川へ下りる

細い道をたどった。

 ハギも負い籠を持って後に続いた。

 

 ハギは着物のまま川に入り体を洗った後、単衣の裾をしぼった。

 作蔵は川原の大きな石の上に座り、足を水の中に突き出している。

 

「作助どんは実林時の和尚さんを怒らして村を出てから、篠山にいると聞いとったが」

「ああ、和尚は元気か」

「いや、去年病で死んだ」

「そうか。あの業突く張りが死んだか・・村を出て7年になるかのう、ハギは確か10

歳だったな」

「作助どんは14だったか、なんで村を出て行ったんや」

「なあに、業突く張りが貯め込んでた銭を失敬してな、丹波大岳寺(みたけじ)で修験道に入ったのよ。

その後、吉野山の金峯山寺へ行っておった」

 

 ハギは作蔵の袖の袂にマムシがいるのを認めて指差した。

「さ、作どん、マ、マムシが・・・」

 作蔵は、マムシに似せて作った紐を取り出して見せ、頭を掻いた。

「わしが昼寝しとるとな、お前が突然尻を現したもんじゃから、ちと驚かそう思て投げ

たんじゃ。雪のように白いお前の尻がまぶしくてのう、顔の色からは想像もできんかっ

たわ、ワッハッハッ」

 

 ハギは怒りが込み上げてきて、握りこぶしを振り上げた。

「作はオレが小さい頃からそうやっていじめてばっかりやったぞ。イモリの赤腹を突き

付けたり、カエルを首筋に突っ込んだり」

 

 作蔵は、振り落としてきたハギの手首をつかむや、引き寄せた。

 作蔵は自分の生家には帰らず、住職のいなくなっている実林寺を住まいとして、村人

たちの病を癒したり、娘の憑き物を落として喜ばれた。

 子供たちの遊び相手となり人気者にもなっていた。

 

「トンボはな、小石を2つ糸でつないで高く放り投げてみぃ、餌や思うて寄ってくるん

や。止まってるやつはな、こうして低くなって人差し指と親指を高くつき出したら止ま

りに来るから、すかさずつまむ・・・・・・ほれ、うまいもんやろ」

 

 ハギは時々食べ物を持って実林寺を訪れた。

 

 ひと月経とうかという昼下がり、作蔵はハギの家に立ち寄り耳打ちをした。

「供え物を携えて寺へ来てくれ」

 

 

 寺の本堂、あたりに目を配り扉を閉めた。

「どうした作助さん」

「しっ、声を落とせ。山城に行っておったが、ワシを追う者を見かけてな、ここを突き

止められるのは時間の問題。すぐに此処を立つ。それでこれをお前に」

 手拭いに包まれた品を広げ見て、いやっ、と投げ出したハギ。

「なんや、これは」

「こけしじゃ。ワシがお前のために作った。で、お前にはようなじんどる。安産のお守

りでもあるしな」

 投げ出された物を丁寧に包み直してハギに押しつけた。

 

「どういうことや」

「いや、実を言うとな、お前を喜ばしていたのはこれじゃ。命を狙われとるワシが無防

備な姿をさらすわけにいかんて。だが、最初のはワシ自身じゃから」

 ハギは涙目になって作蔵を睨みつけた。

 

「それでわざわざ来てもろうたのはだな、ここに隠れ道がある。死んだ和尚が造ってい

たものだ。ここを通って、行く。その後この仏像を元の位置に戻して、素知らぬふうで

供え物を下げて帰ってくれ」

「どこへ行く」

「堺。事が終われば帰ってくる」

「必ず、だな」

 丹波・摂津の守護大名細川政元は、事実上の最高権力者で『半将軍』といわれていた。

また、修験道にも通じていた。

 

 当時の明との貿易は朝貢という形式が取られており、莫大な利益が得られた。明から

与えられた割符によって、倭寇とは区別されていた。

 堺を貿易の拠点とする細川氏と、博多・兵庫に権益を持っていた周防の大内氏が独自

に使節団を派遣していたが、勘合符を巡っては対立していた。

 

 管領細川政元によって追放されていた10代将軍足利義材(よしき)を、政元が家臣によって暗

殺された後、大内義興が、義植(よしただ)と改名させて将軍に復職させ新しい管領に就いた。

 それにより大内氏の遣明船派遣は永久的に保証され、独占する形となったのである。

 

 政元の継嗣・高国の命令で、作蔵が送りこんでいた女が、山城の大内屋敷から割符を

盗み出し、それを堺まで運ぶのが今回の役割だった。

 実林寺の抜け穴の出口は山中にあった。

 そのまま山の中を走り、箕面の里に出ようかという所で、大内方の忍び、雑賀衆に囲

まれた。

 

 石礫が飛んできた。

 錫杖で弾き飛ばす。

 高下駄に仕組んだ跳梁器と杖で地面をトンと突き、高く跳び上がって大木の枝の中に

隠れ、隣の木、そのまた隣の木へと順次礫を投げて枝葉を揺すった。

 3人の影が走った。

 

――3人か、このまま逃げていつまでも追われ続けるよりも、いっそここで殺ってしまっ

たほうがよいか

 

 木から飛び降り笈を隠して、3人の後を追いかけた。

 最後尾のひとりの背後から錫杖を振り下ろした。

 前のふたりが振り向きざま、苦内で突いてきた。

 上体をそらす。

 瞬間続けて突いてくる。

 かわすや、錫杖を両手で支え持って突く。

 素早い動きで逃げられる。

 ひとりが手裏剣を投げる。

 転がり近づいて、すかさず膝まずき、突き上げた。みぞおちに命中した。

 立ち上がって周囲に目を配る。

 残るはひとり。吹き矢を構えている。

 ヒュッ

 同時に高く跳びながら錫杖を投げつけると、先端は喉を突いた。

 吹き矢は足に刺さっている。

 引き抜くと、毒が塗ってあった。

 

 彼らの死を確認し、錫杖にすがりつくようにして足を引きずり、笈の置いてある所ま

で戻るや、毒消しの薬を調合した。

 毒は全身に回りつつある。

 汗が吹き出し体が震え、朦朧としかけた意識の中で、調合した薬をそのまますべて飲

み下すと、眠りに落ちた。

 

           ☆  ☆  ☆

 

 秋風に稲穂が揺れている。

 作蔵はハギら村人と共に、稲刈りに精を出していた。

 近所の子供たちは、アキアカネを捕らえるのに夢中になって走り回っていた。


 
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