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真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、地~ 第六章 一日限りのご主人様

テスさん

この作品は、真・恋姫†無双の二次創作物です。

幽州三姉妹編、完結です。ぜひ、お付き合いください!

2012-01-15 22:02:53 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:20287   閲覧ユーザー数:14495

真・恋姫無双外史 ~昇龍伝、地~

 

第六章 一日限りのご主人様

 

(一)

 

 ならず者が集まる賭博屋の中は、賭博士達の嬉々とした声と落胆した声で賑わっていた。自棄を起こした男が地面に札を投げ捨てると、横に座っていた男がそれを宥めようと肩を叩いた。言葉では同情を寄せながらも、喜びに満ちた表情は隠せていない。

 

 そんな中を通り過ぎ、さらに奥に進むと別室がある。薄い壁一枚で隔てられているだけだというのに、一瞬にして別の場所へと移動したような、そんな静けさ、息ができぬほどの沈黙に包まれていた。

 

 長く艶やかな黒髪を頭部側面の高い位置に結んだ女は、四聖獣が描かれた手札を一枚ずつ射抜くように睨みつけたあと、朱雀の札を選び、目の前に座っている上半身裸の男の前に滑らせるように置いた。

 

 身形からして賭博とは無縁に思える女が、なぜこれほどまでに張り詰めた世界にいるのか。それは賭博士の後ろに飾られた武具にあった。

 

 腕を磨き、歳を重ね、燃え盛る釜の傍ら、幾度となく熱を帯びた鉄を打ち続けてきた熟練の鍛冶屋が、人生に一度あるかないかと言わしめた究極の一品。

 

 霊獣である青い龍を象った偃月刀。その刃は澄んだ冬空のように一片の曇りもなく、蝋燭の灯が揺らげばまさに邪悪を祓う龍炎が如し――

 

 その秘めたる想いが強いほど、心奪われ、多くの者が手を伸ばした。手を伸ばしたまま、その消息を絶った。まるで逆鱗に触れ、灼熱の炎にその身を焼かれたように蒸発していたのだ。

 

『大層な物だが、見るだけにした方が良い』

 

 関羽はそんな町の噂から何かあるとは思いつつも、いざその前に立てば、奥底から抑えきれない衝動に突き動かされた。この出会いこそ運命と言わんばかりに、一瞬で心奪われてしまったのだ。

 

 当然の如くそれを求める関羽に、店主は奥に続く部屋へと案内する。

 

 その先にあったのは、全く縁のなかった勝負師の世界だった。

 

(二)

 

 奥に案内された者が挑む勝負は、四聖獣が描かれた札の中から、親が出すであろう一枚の札を先読みして当てるという、とても単純な博打だった。

 

 全財産を賭けることで偃月刀を得る権利が与えられ、勝てば我が誇り、己が魂と呼べる武器を手に入れることができるのだ。負ければ残財産を失うだけ。

 

 偃月刀の魅力に取り憑かれた者達は、当然のように全財産を投げ打って勝負に挑んだ。だが……

 

「あんたもこの偃月刀に選ばれなかったようだ。残念だ」

 

 勝つも負けるも時の運。運に見放されたか。そう思ったとき、誰もが予感めいた何かを感じた。――次は無いと。再び訪れる頃には他の者の手に渡っているであろうと。

 

 その矢先、偃月刀が欲しいという者が後ろから現れる。

 

「さぁさ、負け犬が尻尾を巻いて出て行くぞ」

 

 自尊心が人一倍強い武人達は、この煽るような一言に、当然の如く反応した。

 

「……何だと?」

 

「さっさと退いてくれよ。後が閊えてるんだ」

 

「礼義を弁えておらんようだな。訂正せねば痛い目を見るぞ……」

 

 男が大声を上げる。

 

「訂正? 何を訂正せよと言うのだ! この偃月刀は一生物だ。得るために己自身を賭けてもいいくらいだ。それができずして、真の武人を語るなど片腹痛いわ! 笑止、笑止!! もはや指を咥えて見ることしかできない。これを負け犬と言わずして、何と言うのだ!」

 

「くっ、言わせておけば――!!」

 

 ――屈辱っ、ここまで言われて引き下がれるか!

 

 冷静さを欠いた者に、その隠された本質が見抜けるはずもなく、首を洗って待っていろと再戦を宣言したとき、予想だにしない返答が返ってきた。

 

「良いだろう。己のすべてを賭けて、受けよう!! 武人の心を圧し折りたいという買い手は数多にいる。さも女となれば、な……」

 

 その瞬間、己の周囲を屈強な男達に囲まれる。

 

「……なっ」

 

「なに、気にする必要はない。約束を反故にされては堪らないからな」

 

「ふざけるな!」

 

 立ち上がろうとした瞬間、周りの男達の手に武器が握られ、関羽はその場から動けなくなってしまう。

 

 罠、迂闊だったと怯んだ相手に、後ろにいた男は追い討ちをかける。一度言った事を取り消すなど、真の武人にあるまじき行為だと。

 

「左様。真の武人でなければ譲る心算はない。試練だと思い、乗り越えて見せよ」

 

 言葉ではそれらしいことを言ってはいるが、その場にいる者達は鼻で笑っていた。

 

 ――もはや後戻りはできない。ならばこの手で勝利を引き寄せるまで!

 

 そう腹を括って、関羽は再び四枚の絵札を手に取り、一枚の札を選んだ。

 

 その札が置かれたのを見て、親は速攻で一枚の札を置いた。

 

 それを見て、関羽の表情が曇る。

 

 彼等は言う。武人という生き物は意図も容易く絡め取られる。その誇りの高さ故に、堕ちていくのだと。

 

「――勝負!」

 

 関羽が勝負にでる。絵札は青龍。

 

「ぬぉぉぉぁぁぁあああ!! 勝負ぅぅぅ――!!」

 

 男は気合を入れ、伏せていた札を勢い良く片手で叩きつけた。周囲を振動させたあと、男は札を力強く握り締め、拳を突き出した。

 

「残念だったな……」

 

 その拳からぽろりと落ちた絵札は、関羽が先ほど選んだ朱雀の札だった。

 

 その瞬間、後ろから屈強な男が忍び寄り、自害できぬように布を無理やり噛ませ、手足にそれぞれ二人ずつ、計八人の男達で関羽を押さつけて拘束した。

 

 くぐもった悲鳴に誰一人気付くことなく、彼女は裏口から外に運び出された。

 

(三)

 

 関羽は運ばれた先で、襤褸切れのような服に着替えることを強制させられた。

 

 目隠しが取られ、その瞳に映したものは、女、子供が首元に刃を突き付けられる瞬間だった。

 

「下手に動けばどうなるか分かるだろう? 聞かねば、そうだな。お前に武器を握らせて、ガキが苦しんで死んでいく声を特等席で味合わせてやるぜ」

 

 どうすることもできない関羽は、言われたままに服を着替えると、まずは手首に縄が巻かれ、腕が動かないように縛り付けられた。片足に縄が掛けられそれを握られると、彼女は再び眼隠しをされて背後から強く推された。

 

「――進め!」

 

 踏み出すたびに、飢えた獣のような咆哮が近付いてくる。

 

 ――虐げられる? この私が? ふざけるな!

 

 彼女の中で何かが弾けた。まず隣にいた男に全力で体当たりした。

 

 しかし男達は慣れたものだと言わんばかりに、冷静に対処し始めた。

 

 黒髪を振り乱しながら、拘束された関羽が中央へと引き摺られていく。

 

 彼女は拒み続けた。その姿に誰もがせせり笑う。無駄な足掻きだと。

 

 目隠しされた暗闇の中、押さえ付けようと伸びてくる幾多の手を、身を捩り、全身で払い退ける関羽。

 

 彼女を押さえ付けようと次々と人が積み重なり、とうとう耐えきれず片膝を付くと、それを好機と見るや一気に押し寄せ人の山を築いた。

 

 この騒ぎを見守っていた全身を黒い布で覆い隠した者達がほっと胸を撫で下ろす。再び競りが始まろうとしたその瞬間、山が破裂するように砕け散った。

 

 落ちてくる肉塊の中で、その瞳が不気味に輝いている。

 

 ――さぁ、私を競り落としてみろ。

 

 彼女と目が合っただけで、鎌のような何かが首筋に振り下ろされたような、そんな底しれぬ恐怖を感じ、誰もが声を上げられずにいる。中には首を寸断されたかのように、ガクンと全身の力が抜け落ち、倒れてしまう者までいた。

 

 あれを競り落とせば、さらなる災厄が振りかかること必至。正真正銘の化け物。喰い殺される。

 

 誰もがそう思ったとき、静まる会場内で買値を示す者が現れた。

 

 その瞬間、押さえ付けられていた買い手達の感情が爆発した。

 

 一気に形勢が逆転した。怯んだ瞬間を狙われた関羽は再び取り押さえられると、目隠しをされ、木箱に放り込まれて蓋を閉められた。

 

(四)

 

 己の力ではどうすることもできない。できることと言えば、布を噛み締めることだけだ。

 

 ――くっ、このままでは!

 

 苦しむ者の姿を見て喜ぶような連中だ。あの状況でこの私を競り落とす輩が何を考えているのか。その想像は容易い。

 

 何もできずに……、何もできずにこんな所で――!!

 

 運ばれていた感覚がふと消え、突然の落下に体中に痛みが走る。

 

 ――くそっ、もっと丁寧に扱わないか!

 

 扉を叩く音がしたあと、複数の足音が足早に遠ざかって行く。

 

 しばらくして扉を勢いよく開け放つ音が聞こえ、追いかけるように一つの足音が遠ざかっていく。しばらくして足音が戻ってきた。足音が私のすぐ傍で消え……

 

「ふっ――!!」

 

 持ち上げようとしているのか、何度か試みるも……、持ち上げること敵わず。引き摺るように運びだした。

 

 どいつもこいつも! もっと丁寧に扱ッ――!

 

 ゴトゴトと蓋を開ける音が聞こえたあと、誰かが覗き込む気配を感じ、私は息を潜めた。

 

 私を競り落とした相手が、目の前にいる。

 

 だが相手は一言も発せず、指一本触れることもせず、ただこちらをじっと見続けている。

 

 ……私を、私をどうする心算だ。何を考えている。

 

 突如、沈黙を破るように、パン、パンと手を叩く音が聞こえ……

 

 な、なんだ? 何かを念じて……いる?

 

「ナムナムナム……カンウェロイ。……エロスギエロスギ、エロエロエロ」

 

 ――よ、妖術だとォォォッ!!

 

(五)

 

 運が良かった。ただそれだけ。

 

 後学のためにあの会場に足を踏み入れた俺は、初めて人を買った。

 

 黒髪美人で俺の命の恩人でもある、関雲長その人である。

 

 周囲の見知らぬ人達からは全力で止められたが、そんなのお構い無しだ。なんせ一歩間違えれば、俺の口からではとても言えないような、あ~んなことや、そ~んなことをされてしまうところだったのだから。

 

 ……ちなみに、彼女の株価は大暴れしたことが響き、奴隷市場過去最安値をつけたらしい。まっ、この話題は触れない方が良さそうだ。

 

 恰幅の良い主催者が俺の前に現れると、商品はどこへ運べば良いかと問われ、どこでも良いので町の宿にお願いしますと伝えると、心底ほっとした様子でこの町一番の宿を提供させてもらうと俺に言ってきた。

 

 お代は向こう持ち。お金持ちと商売しているだけあって、そういう所は抜け目なさそうだ。

 

 詳しい説明が終わると、男は突然嫌らしい笑みを浮かべて、物好きですねぇと俺に言ってきた。

 

 勿論言い返してやったさ――

 

『この会場全員を後悔させてやりますよ』

 

 ――と、心の中で。

 

 実際はこうだ。

 

「彼女が身に着けていた服もよろしく頼む。あ、刻印とかそういうのは絶対にしないでくれよ? 理由は……察してくれるよな?」

 

「いや、先生には敵いませんな! そういうことでしたら、はい!」

 

 終始和んだあと、俺は指定された宿の一室で関さんが運ばれてくるのを待った。

 

 案内されてから随分と時間が過ぎていた。ただ待っていても仕方がないので、俺は風呂の準備を始めた。

 

 薪で湯を沸かすのはかなり重労働だったが、関さんのためだと火の番を続けた。しかし湯加減が丁度良くなってきても、関さんが到着する気配は一向に無かった。

 

 ――このまま入ってしまおうか。いやいやいや。

 

 一番風呂に行きたい気持ちをぐっと堪えながら待っていると、ようやく扉がドンドンと叩かれた。文句の一つでも言ってやろうと急いで扉を開けるも、そこにはガタガタと音を立てる木箱しか置かれておらず、人の気配はすでに無かった。

 

 諦めてその箱を部屋の中へと運び込もうとしたが――

 

 ――重っ!?

 

 明らかに女性一人の重さではない。持ち上げることができず、何度も引き摺りながら部屋の中へと運び入れた。そして箱の蓋を外して覗きこむと……

 

「…………む、…………っ」

 

 黒い布で眼隠しをされ、自害できないように白い布を噛まされた関さんがいた。唾液が頬を伝い、底に染みを作っていた。

 

 ――ッ! さすが未来の神様だ。拝まずにはいられないっ!

 

 奴隷の服から伸びる白い太股を恥しげに擦り合わせると、体の上に置かれた彼女の服が少しずつずれ落ちていく。

 

 身体の上を這うネクタイをゆっくりと摘まみ上げたい衝動に駆られていると、彼女は縛られた両腕で胸を押し潰すように小さく身体を丸めてしまった。そのとき音を立てた鎖が目に入り、それを追いかける。

 

 それは腕と足につけられた枷から伸びており、箱の片隅にある鉄球と繋がっていた。

 

 ……持ち上げられない理由はこれか。それにしても凄い光景だ。箱の中で相当暴れたのだろう。彼女の肌は汗ばんでおり、服や髪が吸いついている。もう身動きするだけで生々しい。

 

 箱の中で悶えている関さんには、エロ神様の称号を与えねばなるまい。

 

「ナムナムナム……カンウェロイ。……エロスギエロスギ、エロエロエロ」

 

 っと、拝んでないでそろそろ声をかけないと……

 

 そう思ったとき、沈黙の間に耐えきれなくなったのか、関さんが苦しそうに声を上げて箱の中で暴れ出した。

 

「関さん!? ちょっ、大丈夫! もう大丈夫だから――!!」

 

 俺の声に覚えがあったのか、ピクリと反応した関さん。彼女に断りを入れ目隠しを取ると、その瞳に俺を映した途端、柳眉をつり上げ何やら怒り心頭のご様子だ。

 

「んんーッ!!  んんッ! んんーーッ!!」

 

 恐る恐る口元の布を弛めると……

 

「北郷、貴様! 私に何をしたっ――!?」

 

「な、何もしてないけど……!?」

 

「嘘を吐くなッ! 何か念じていただろう!」

 

 目の前の素晴らしい光景に、じゃなかった。煩悩退散とも……やばっ!!

 

「えっっと!? いや、それは……!?」

 

「貴様、何の妖術をかけた! この私をどうするつもりだ!」

 

「よ、妖術って……!? そんな裏技みたいなの俺が使える訳ないだろっ? 使えるなら、関さんを助けるのに苦労しないって!」

 

「……では蓋を開けてから今まで、何をしていたのだ!」

 

 ――うわ、すげぇ怪しまれてる!

 

「あぁ、えっとね? 俺が生まれた国で嬉しいことがあったりするとね、神様にお祈りしたりするわけで……、関さん無事で良かったー! 神様ありがとーって!」

 

「……妖術ではないのだな?」

 

「断じて違います!」

 

「紛らわしいことをするな! ……全くぅ~!」

 

 そう叫んだあと、心底ほっとした様子でぐったりと全身の力を抜いた。

 

「……すいませんでした。それより大丈夫? どこにも怪我は――」

 

「――っ!」

 

 手を伸ばすと彼女に拒絶されてしまった。怖い思いをした彼女の気持ちを考えれば、この反応は無理もない。

 

「……っ、す、すまない」

 

 彼女は気まずい雰囲気の中、顔を背けつつ謝罪してくれた。

 

 この謝罪を受け入れれば、何となくまた沈黙の間が続きそうな気がした。なら少しふざけて、場を和ませてみたほうが良いのかもしれない。

 

 ……よし!

 

「いやっ、傷ついた! 関さんに拒否られて、俺はものすご~く傷ついたね!」

 

「む、無理を言うな。私だって、あっ、おい! こら、北郷! 蓋を閉めるな! 縄を解け!」

 

 少し意地悪をしてみることにした。

 

 ガタゴトと箱の中で暴れる関さんをそのままに、俺は少し場所を移動する。縄を解くにも、頑丈に巻かれているため手では解けそうにないからだ。切った方が手っ取り早い。

 

 辺りを見渡せば、予め部屋に用意されていた果物の傍に、それはすぐに見つかった。果物備え付けとはさすが高級宿と言ったところか。

 

「北郷? おーい、冗談だろう?」

 

 それを持って戻り箱の蓋を開けると、関さんはほっとしたあと、すぐさま眉を釣り上げた。

 

「北郷、ふざけるのもいい加減に……」

 

 徐々に声のトーンが下がっていき、最後には凍りついた。

 

「……なんのつもりだ」

 

 彼女の視線にあるものは、縄を切るための短刀だった。

 

 ――うおぉぉぉッ!!

 

「ち、違うって! 全力で勘違いしてる! そんな心算はないから。これは縄を切るためで、関さんを脅迫するためじゃない!!」

 

 すぐさま短刀を床に置いて、手を上げる。

 

「……なら証明してみせてくれ。お前が私の敵では無いということを」

 

 彼女は目に涙を浮かべていた。すぐに眼を逸らし、何もかも諦めたように全身の力を抜いた。

 

「分かった。――何を言っても無駄だろうし、行動で示す。危ないから絶対に動かないでくれよ?」

 

 彼女が頷いたのを見て、身体にぐるぐると巻かれた縄を切っていく。隙間がある分、縄に刃を入れやすい。こっちは一瞬で終わった。

 

 やっかいなのは、手首に巻かれた縄だ。隙間がない分、かなり時間が掛りそうだ。

 

「はい、次は腕を伸ばしましょーっ」

 

「遊びじゃないんだぞ」

 

 ほんの少し笑みを浮かべながら、彼女は素直に腕を伸ばした。

 

「……どう切ろうか、こうかな?」

 

 手に持ち、何重にも巻かれた縄に慎重に刃の先を押当て、少しずつ傷を入れていく。

 

「――っと、危ねッ! あ、そうだ。風呂沸かしておいたからさっ、入っておいでよ! ……ッ、……よし、切れた!」

 

 体を起こして手首を擦る彼女に、刃先を持って差し出す。

 

「驚かしてごめん……。これで誤解は解けるかな。俺は、君の敵じゃない」

 

 彼女はふふっと笑って短刀の柄を握り締めたあと、足に巻かれた縄を切り始めた。

 

「ありがとう」

 

「それは……、それは私の台詞だ。助けてくれたことも。私のことを気遣ってくれて、風呂を沸かしてくれたことも。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「丁度良い湯加減でなかったら、私は承知しないぞ?」

 

「……もう一回見てきます」

 

 背中を向けると、本当にほっとしたような疲れた声で『本当にありがとう』って微かに聞こえた。

 

(六)

 

「良い湯だった。さて……」

 

 部屋着姿の関さんが、短刀を俺の目の前に突き出す。

 

「――何故、あのような場所にいた?」

 

 その経緯を俺は思い浮かべる。……それは遡ること、昨日。

 

 きっかけはラーメン屋で合席になった俺と同い年くらいの、自称、不良青年と出会ったことだ。

 

 この時代の不良ってのは、町を徘徊したりして遊び回ってる奴のことを言うらしい。

 

 遊び回れるくらい余裕がある。つまりどこぞの豪族か、貴族の子息。裕福な家庭で、将来を約束されたような人物だと、知らなかった俺に教えてくれた。

 

 そんなリア充の悩みに適当に答えると何故か気に入られてしまった俺は、庶人では絶対に縁のない場所へ連れてってやると、馬車で丸一日かけて移動してあの場所へと案内された。

 

 身分が分からないようにと黒い布を全身に覆い、それを着て会場入りした俺は……

 

 人が物のように買われていく現実に、ただ動けないでいた。

 

 そのことを、彼女にかいつまんで伝える。

 

「町で遇った不良青年の悩みに答えたら、あそこに連れて行かれたんだ」

 

「悩み? 何て答えた?」

 

 彼女は短刀を水差しに持ち替えて湯呑みに注ぐと、椅子に座って一口、二口と飲み始めた。

 

「いや、なんか言い寄ってくる女性が皆、お金目的に思えて愛せないって話にさ、もう自分で育てたら? って」

 

「――ぶっ!!」

 

「――ちょっ、今のわざとだろ!?」

 

 湯呑みから短刀に持ち替えると同時に立ち上がり、口元を拭いながらその切っ先を俺に向けた。

 

「わざとな訳あるかっ! ――成敗ッ!」

 

 言葉通り、容赦なくそれを振り抜いた。

 

「――わっ!? いや、まさか本気にされるとは思わなくって!」

 

 慌てて逃げるが、一瞬で壁に追い詰められて――

 

 ――振り向いた瞬間、右頬のすぐ横に何かが突き刺さる。それは高い音を立てて振動していた。

 

 腰を抜かしてぺたりと座りこんだ俺を見て、眉を吊り上げていた関さんは突然大きな溜息を吐いて再び椅子に腰掛けた。

 

「私を買っ――ッ!!」

 

 慌てて口元を手で押さえたあと、彼女は咳払いをしてから言い直した。

 

「助けてくれたことは……、感謝している」

 

 先ほどまでとは違い、彼女らしいハッキリとした声を聞いて、少し踏み込んで話をしてみることにした。

 

「そうだよ。なんで関さんがあんな所に?」

 

 ビクリと固まってしまった関さん。

 

「ひ、ひとつ聞いていいか?」

 

「……どうぞ」

 

「私はお前に、買われて……しまったのか?」

 

「一応、そうなるのかな?」

 

「なら私はお前を、ご……」

 

「――ご?」

 

「ご、主人様――っと。……よ、呼ばねば、って何を笑っている!!」

 

 真剣な顔で、ご主人様と呼ばなきゃいけないのかって。

 

「いや、ごめん! 変に律儀だからさ。でもそういう所が関さんらしい」

 

「くっ……!」

 

「いや、バカにしている訳じゃないんだ。義理堅くて有名なだけあるなって思ってさ。それに上面の関係なんて願い下げだろ? ……ぜひお願いします!」

 

 頭を下げて、手を差し出した。

 

 彼女は長い髪が邪魔にならないように手で押さえながら、口元を俺の手に近付けて言った。

 

「ぺっ、ぺっ」

 

「ちょ――っ、その断り方ってかなり酷くねっ?!」

 

 ふふんっと笑う関さん。

 

「分かっているくせに、馬鹿なことをするからだ」

 

 冗談を冗談で返すくらいに気を取り直したようだ。

 

「じゃぁ、一日だけとかどう?」

 

 呆れたと言わんばかりに、

 

「……何だそれは。だがまぁ、あの場所から救いだしてくれた恩もあるし、一日くらいなら別に……」

 

「本気っすか!? それじゃ関さん――」

 

「……知らん」

 

「――ちょっ!!」

 

 即答だった。視線をどこか余所へと向けながら、核心を衝いてきた。

 

「どうせ下らない命令に決まっている」

 

 ――素っ気なっ!! いや、まぁそうだけどさ。ちょっとぐらい――

 

「――何か?」

 

「いえ、何でもありません……」

 

 彼女は再び俺から視線を逸らすと、捕まってしまった理由を話し始めた。

 

「何が大切なのかを見失ってしまったから……。例え、あの偃月刀が無くとも……」

 

「偃月刀? もしかして青龍偃月刀のこと?」

 

 ほんの一瞬、彼女が目を見開く。

 

「……知っているのか?」

 

「あぁ~、まぁ一応。見たことはないけどね。――で? なんで偃月刀を得るのにあんな場所に?」

 

「賭けをした。私が勝てば偃月刀は私の物に。負ければ全財産を失う。そんな賭けに私は負けた」

 

「えっ? 関さん、負けちゃったの?」

 

「……ぐっ。負けを認め、あそこで引いていればあのような場所に連れて行かれることはなかった。ただ後から来た者に焦りを感じ、剰え挑発に乗ってしまい――引き下がるわけにはいかない。絶対に後悔すると思ってしまった。だが結果どうだ! ……この様だ」

 

 関さんは自嘲するように笑みを浮かべる。

 

「関雲長が青龍偃月刀を手に入れられなかった。……そんなことがあるのか?」

 

 関雲長と言えば、青龍偃月刀。青龍偃月刀と言えば、関雲長ってくらい、切っても切り離せない物じゃないか。どうして箱詰めされることにまでに……

 

「何を考え込んでいる? さっきからぶつぶつとよく分からないことを言って……」

 

「いや、関さんでもここ一番の勝負に負けるんだなって」

 

 訝しげにこちらを見ていた関さんが、少し早口気味に、

 

「己の武に劣らずとも、運を試すような博打ではさすがに私も一度や二度は――」

 

 と、顔を少し赤くしながら叫ぶ彼女に、俺はこう話を切りだした。

 

「……決めた! その胡散臭い賭博場に乗り込んでみよう」

 

「……えっ? あっ、えっ!? ――えぇっ?」

 

「え、何……?」

 

「やめておいたほうが……」

 

 ちょっ! 天下の関雲長がめちゃくちゃ弱気じゃないか!

 

「大丈夫だって! 可愛い部下が箱詰めにされて苛められたんだぞ。落し前つけにいかなきゃ主人が廃るって――」

 

「くぅわ、かわわわ――ッ!?」

 

 可愛いを全力で否定する関さんはやっぱり可愛いと思う。

 

(七)

 

 賭場に向かう道中、終始北郷一刀の前を歩いた。

 

 が、彼は嫌な顔一つしない。むしろ嬉しそうに後ろで微笑んでいる。私が馬鹿みたいだ。

 

 ……なんだか落ち着かない。

 

 この男は明らかに他とは違う目で私を見ている。まるで私のことをよく知っていると言わんばかりに。

 

 この私を関羽という人物と勘違いしていることに何か関係があるのだろうか。

 

 いや、まぁ……。その名を名乗っている私もどうかとは思うが……

 

「~~~♪」

 

 落し前を付ける、か。所詮口先だけに違いない。期待するだけ無駄というものだ。見ろ、鼻歌を歌って暢気なものだ。何をやっているんだ、私は……

 

 そう思っていた。賭博場に乗り込むまでは……

 

「……ここだ」

 

 賭博場の入り口に辿りついた。前に踏み出すことができないでいると、彼は私の横に並んで……

 

「さてっと。ここからは関さんからご主人様って、心から言って貰えるように精一杯やらせてもらうよ。――さぁ、行こうか、関羽」

 

 彼は私を庇うように一歩立ったあと、颯爽と私の前を歩きだした。遅れまいと、彼の背中を追いかける。

 

 自然と彼が前になった。その背中が不思議なくらい頼もしく思えた。

 

 ――恐怖はある。あるが、今はただ……、ただ彼の背中を追いかければ良い。

 

「考えたんだ。きっと何か裏があるはずだ。勝ち続けることのできる何かが」

 

 言われて思う。彼の言う通りだ。私の前に一体何人の武者がその勝負に挑んだことだろうか。単純な勝負だからこそ、次は無いと思ったのだ。勝ち続けることなど不可能。

 

「なら、それさえ見破ることができれば……」

 

 勝った負けたの喧騒の中に再び足を踏み入れると、賭博場の空気は一変した。私に気付いた何人かが、急ぎ足で奥へと歩いていく。

 

「向こうかな?」

 

「はい」

 

 ――驚いた。落ち着いて、周りを良く見ている。

 

 臨戦態勢を取った男達の中を、彼は奥へと真っ直ぐに突き進んで行く。

 

 殺気だった連中に囲まれても彼が微動だにしないのは、私の力量を信じ切っているからなのか。武人として頼られることは素直に嬉しい。

 

 ――ふふっ、後ろ姿を見ていると、同じ人物とは思えないな!

 

「うちの関羽が世話になったようで――」

 

 行く手を阻むように、真正面に立ち塞がった男にそう言った。

 

 悲しくもあり、情けなくもあり、頼もしくもあり、嬉しくもある。

 

 とても複雑な心境だった。

 

 取り巻きの一人が、一際大きな声を上げて北郷に近付いてきた。

 

「あ? 何様だ兄ちゃん。痛い目合う前に後ろの化け物連れてさっさと消、痛たたたたっ――!!」

 

 彼の胸倉を掴もうとした男の腕を捻り上げる。一日限りだが、その身を守らねばならない御人だ。

 

 一斉に剣が引き抜かれる。

 

「やめねぇーか!」

 

 北郷の前に立ち塞がった大男が、北郷の顔を覗き込む。

 

 ……明らかに他の賭博士とは違う。連中の態度からして、この賭場の大物と言ったところか。

 

「たった二人で殴りこみか? 若いのに良い度胸をしている。何が望みでここにきた?」

 

「青龍偃月刀を譲ってほしい」

 

 その瞬間、周りの連中は大笑いしだした。

 

「こりゃ傑作だ。あんな上等な武器、線の細いお前にゃ使いこなせねぇよ!」

 

「そうだね。でも使うのは俺じゃない。後ろにいる彼女だ」

 

「賭けるモノは?」

 

「俺自身だ。負けたとしても、彼女には絶対に手を出さないでもらいたい」

 

「――!? ま、待てっ。聞いてないぞ! 何を突然――!」

 

「大丈夫。関さんなら勝てるよ。だって関雲長なんだから」

 

「ハッハッハッ! ……面白い、通るが良い!」

 

「――どうも」

 

(八)

 

 扉を開けたその先では、青龍偃月刀に魅せられた武人が、丁度勝負を挑んでいる所だった。

 

「残念だったな」

 

 部屋の奥に座った半裸の男がそう告げたあと、目の前に置いてあった札を指で摘まんで裏返した。

 

「――白虎だ」

 

 その瞬間、その武人は取り押さえられ、どこかへと運ばれてしまった。

 

「次はどなたか、な?」

 

 賭博士の眉が訝しげに動いた。その視線は俺の後ろに立つ人物に注がれている。

 

「何故、お前がここにいる?」

 

 関さんは何も答えず、俺の後ろで待機している。

 

「俺が彼女の身柄を買ったからね。いやぁ~彼女の強さに惚れこんじゃってね。見ての通りさ。何の取り柄も無い俺を主人として立てるくらいに従順だし、とても良い買い物だったよ」

 

「……飼い主が何用だ。自慢しに来た訳でもあるまい」

 

「俺の関羽が世話になったようで、その御礼参りに――」

 

「――んっ! ん!!」

 

 否定を含んだ、関さんの咳払いだった。調子に乗っていると後が怖そうだ。

 

「御礼参りだと?」

 

「青龍偃月刀、頂きに参りました」

 

 その瞬間、全員の眼つきが変わる。

 

「残念だが、武人以外に譲る気はない。お引き取り願おう」

 

「あぁ、大丈夫。俺が使う訳じゃないから」

 

 賭博士が大きく腕を広げる。

 

「見ての通り、我々は物や金を掛けて勝負をするのだ。お前の隣にいる奴隷の財産はすでに没収したぞ? 碌な買い手も付かぬようではな。はてさて、一体何を掛けて勝負すると言うのだ?」

 

 やれやれ呆れ申したと、そう言わんばかりの腹立たしい口調だった。

 

 周りに入る男達もそれに同調するように鼻で笑った。

 

「そう言えば、あの女を買ったんだったよな。男も物好きだよな~」

 

「しかしよくあの怪力女をあそこまで手懐けたもんだよな」

 

「嫌がりつつも、内心大喜びで腰を振る淫乱奴隷だったか!」

 

「ははっ、なるほど。そりゃ従順になるわ。捨てられないように必至な訳だ!」

 

 関さんは耐えているのか、拳を握りしめ俯いていた。

 

 辱めを受けるのは誰だって嫌だよな……

 

「関羽!!」

 

「――っ!」

 

 振り返ると、きょとんとした面持ちで関さんが俺を見ていた。

 

「例え一日だけでも、俺を主人に選んでくれたからにはその期待に応えたいし、何度も言ってることだけど――」

 

「――それ以上は、言わなくて結構です」

 

 ……話の途中なんですけど?

 

「……気にしてない?」

 

「気にしてません」

 

 いや、気にしてなかったら、握り拳ぷるぷるさせないし。絶対気にしてると思うんだけどな。

 

「君が誰よりも強いって俺は知っているし、とても頼りにしてるからね」

 

「……い、要らぬ気使いです!」

 

「嬉しい?」

 

「――う、嬉しくありません! 何ですか、全く!! 調子に乗らないでいただきたい!!」

 

「ならば――!!」

 

 俺達の会話を打ち切るように、賭博士の男が声を上げ注目を集める。

 

「奴隷が負けた時は、主人に責任を取って貰おうではないか。若い男だって高値が付くこともある」

 

 両手で尻の穴を隠す者あれば、胸ぐらを広げる者までいた。関さんが小さな悲鳴を上げて俺から一歩距離を取った。

 

「……関羽は後でお仕置き決定な」

 

「――えッ! いやっ、これは、そうです! 奴等の邪気を交わそうとですね! 別に貴方を本能的に避けようとした訳では無く、えぇ、させません! そんなことさせませんとも!!」

 

「……そんなことって?」

 

「――ッ!?」

 

 関さんは顔を真っ赤にして沈黙してしまった。

 

 ……してやったり。

 

「で、この勝負。受けるのか? 受けないのか?」

 

「勿論、受けるさ」

 

「待て、北郷! それではお前が……」

 

「大丈夫。関さんなら絶対に勝てるから」

 

「――聞いたか、お前等!」

 

 周囲にいた奴等が相槌を打つと、俺達を嘲る。

 

「これだから素人は困る」

 

「ぜひとも、その根拠を聞きたいものだ」

 

「そうです! ごしゅ、ご主人様!!」

 

 ――噛んだ!

 

 っと、さすがに茶化す訳にはいかないか。真っ直ぐこっちを見て、必死に誤魔化そうとしているようにも見えるけど、心配してくれているのだから。

 

「理由は簡単さ。君が“関雲長”だからさ」

 

(九)

 

 意味が分からない。

 

 納得できるか。

 

 絶対に勝てる理由が、関雲長だから――

 

 おいおいおいおい、馬鹿言っちゃいけねぇ。何だその理由は。

 

 だが……なんだあの自信は……

 

 それは異様な光景だった。

 

 負ければ肉奴隷だというのに、この若い男は顔色一つ変えることなく、ただ傍観しているのだ。

 

 己の運命を他人に、しかも金で買った女に託すなど、正気の沙汰とは思えない。

 

 ただでさえ親の圧倒的有利なこの勝負だ。目の前の女のように、気が気でないのが正常な姿なのだ。

 

 だから賭博士は考えた。何か裏があるのではないかと。そしてこうも思った。

 

 ――様子を見るついでに、その余裕に満ちた表情を不安と絶望で塗りつぶしてやる!

 

 厳かに札が配られると、関羽は彼を救う一枚の絵札を探す。

 

 ……どれだっ、どれを選べば良い!

 

 だがどの札を睨みつけても答えは出ない。

 

 迷えば迷うほど、関羽は選べなくなっていく。ただ闇雲に時間が過ぎていく。

 

 ――くっ、どこに勝てる要素が含まれていると言うのだ。所詮、所詮、運任ではないか!

 

 ならばと、関羽は一枚の札を選ぶ。

 

 ……これで、何もかもが、決まる!

 

 腰を浮かせ、ゆっくりと腕を伸ばし、そして……

 

 振るえる指先で、札を置いた。

 

「――関羽とやら、そう堅くなる必要はないぞ」

 

 突然声をかけられた関羽は動揺する。伸ばした腕を戻そうとした際、湿った指先に張り付いた札が、彼女の指先から零れ落ちた。

 

 決定的なミス。誰もが息を飲んで札の行く末を見守る。

 

 軽い音を立てて札が落ち、その動きを止めた。誰もが溜め込んだ息を大きく吐き出した。

 

 ……運は彼女に味方したようだ。

 

 落ちた札は裏返ったままで、それを見た関羽は安堵で崩れ落ちそうになった身体を何とか支えると、慎重に札を戻し、姿勢を正して大きく息を吐きだした。

 

「何、これほどの名勝負、一度だけで終わらせるのは面白くない。今回は本番前の予行と行こうじゃないか」

 

 ……男は迷うことなく札を選び、叩きつけるように場に置いた。

 

 周囲が水を打ったように静まり返る。

 

 関羽は判断に迷い振り返る。そこには彼女を見守る人がいる。

 

 彼は首を縦に振り、それを受け入れた。

 

 関羽が賭博士と再び相対すると、緊張した面持ちで札を裏返す。その絵札には青龍が描かれていた。

 

 それを見て、賭博士も裏返した。

 

「……玄武」

 

 場がざわめく。

 

「…………」

 

 関羽は動けない。

 

 さすがに北郷一刀の表情も曇った。

 

 が……、その理由は肩を震わせる関羽を心配してのこと。

 

 それを勘違いし、ビビったと満足げに、賭博士は心の中で喜んでいた。

 

「すまない。少し時間をくれないか――?」

 

 気分を良くした賭博士は、その言葉に頷いた。

 

「良いだろう」

 

「関羽、おいで」

 

 二人は部屋の外へと出ていった。

 

(十)

 

「いや。本当に危なかったな……」

 

「――何を悠長に構えている!! ――何が、大丈夫だ!! 私達はさっきの勝負で、死んでいたんだぞ!!」

 

 関さんは相当参っているようだ。……無理も無いよな。俺のすべてを背負って彼女は闘っているんだから。

 

 でも気持ちで負けてはいけない。とにかく今は彼女を励ますのが先決だ。

 

「本番だったらね。ということは、アイツは勝てる勝負をみすみす逃したって訳だ。そんな相手に、関さんはまた負けるつもりかい?」

 

 全力で首を振る関羽。

 

「負けぬ!! 負ける訳にはいかない――!!」

 

「そうだね。関さんは気付いてる? 運は確実に俺達に味方してるってこと。だってほら、関さんが札を落としたときを思い出してみてよ。あれだって運が良い証拠だ」

 

 ぎゅっっと拳を握り締める。何かから耐えるように。

 

 絶対その言葉を口にはしないだろうけど、それはきっと恐怖。

 

 参ったな……。こうなったら華琳っぽく檄を入れてみるかな。

 

 俺は大きく息を吸い込み、関さんへと手を突き出しながら、腹の底から大声で叫んだ。

 

「関雲長が青龍偃月刀を得ることは天運である!!」

 

「――!?」

 

「……どう?」

 

「ど、どうとは?」

 

「士気が低下した部下に、檄を飛ばしてみました」

 

 しばらくして、彼女はくすくすと笑いだした。

 

「……似合わないな」

 

「関さん、俺は知っているんだ。君があの偃月刀で虐げられる民草を守り、極悪非道を打ち払って、大陸全土で有名になることをね。そして大切な人達を守るために、仲間を守るために、君はあの偃月刀を振るい続けるのを……」

 

「と、突然何を?」

 

「ズバリ、俺は未来を知っている!」

 

 ……沈黙が痛いです。

 

「み、未来云々は置いといてさ、今俺が言ったこと、嘘だと思う?」

 

「それは……、嘘だとは、思いたくない」

 

「うん。君をこんな所では終わらせないよ。……いや、違うな。終わらないから安心して。今日だけは俺は君のご主人様で、俺を信頼してくれるんだろう?」

 

「……ふんっ、助けられた恩がある。故に、今日一日だけは忠義を尽くす。それだけだ」

 

「それでこそ俺の知る関雲長。じゃぁ行こうか」

 

 再び部屋へと戻って来た俺達に、男達は嫌らしい笑みを浮かべながら迎え入れた。

 

「待たせたな」

 

「覚悟は決まったようだな……」

 

 ちらりとこちらに視線を向けてきた賭博士に、俺は感謝の笑みを向けると、男は詰らなさそうに関羽と向き合った。

 

 今、俺は星のお姉さんに教えて貰ったことを実践しているつもりなんだけど、上手くやれてる……よな?

 

『一刀様。自らが役に立たないと自覚しているならば、できる部下に任せ、御大将らしくどっしり構えていれば良いのです』

 

 ……それでも、後ろで見守ることしかできないのは、正直辛いよ、葵さん。

 

 二人にそれぞれ四枚の札が配られ、待った無しの勝負が始まる。

 

 じっくりと時間を掛け、選び出した関羽。

 

 対して、男はまたしても迷うことなく札を選ぶと、それを場に叩きつけた。

 

 両者、出揃う。

 

 関さんも肝が据わったようだ。先ほどとは違いその背中がとても頼もしい。

 

 勝利の機運は俺達にあるはず。負けるはずはない!

 

 第一に、予行なんてする必要はなかった!

 

 第二に、弱った相手に時間を与えたこと!

 

 勝利の機会を逃せば、流れは変わる!

 

 関羽と青龍偃月刀。そんな大前提なんて関係ない!

 

「――勝負!!」

 

 関さんが札を掬い上げ、札を叩きつけた。

 

 建物全体が揺れるほどの振動と、床全体から塵が舞い上がった。

 

 ――また青龍ッ! 二回目ッ!?

 

 その大胆さに、観客からも感嘆の声が上がる。

 

 ここで先ほどと同じ絵札は中々出せない。大したものだ。

 

 関さんを睨みつける賭博士は笑みを浮かべ……

 

「……青龍で、良いんだな?」

 

「構わぬ」

 

「……後悔は、無いんだな?」

 

「――くどい! さっさと札を捲れ」

 

 男は堪え切れずと言った風に大笑いしたあと、目の前にある自分の札を叩きつけ……

 

 そして、関羽の目の前で強く握り締めた。

 

「……くっ!」

 

 関羽の表情が苦痛に歪む。

 

 ――何だありゃ? って、さっきはして無かったよな……

 

 そのとき、直感めいた何かが俺の頭の中を駆け抜ける。

 

『ただ後ろでぼっと見ているだけではいけませんぞ? 前にいるものはどうしても視野が狭くなるものです。ですから後ろで見守る者は、視野を広く持たねばなりません。誰よりも早く迫りくる危機を察し、前戦に入る者達を守るのです。一刀様、どうか愛する家族の背中を預けられる、そんな御人になってください』

 

「これで貴様等の命運は――尽きる!!」

 

「関羽! 全力でその手首を握り締めろ――!!」

 

 その瞬間、関さんは疾風の如く男の手首を掴む。

 

「なっ、ごおぉぉがぁぁぁっっっ!!」

 

 物凄い握力で握り締められ、手の平から二枚の札が零れ落ちる。

 

「――こ、これは!?」

 

「こんな事だろうと思ったよ……」

 

「待て、待て待て待てーーッ! 俺が選んだのは、朱雀だったんだよぉぉぉ! 一枚だけ札を持ち直すのを忘れてたんだよ!! 次は正々堂々とやるから! なっ!? なっ!?」

 

「この期に及んで……!」

 

 俺の隣に、先ほど相対した男がやってくると……

 

「確かに、部外者が横やりを入れたことには違いない。どうか俺の顔に免じて、今のは無かったことにしてやってくれねぇか? 兄ちゃん」

 

「ほん、ご主人様! そのような戯言、聞く必要はありません!」

 

 ……周囲の連中は傍観を決め込んでいるようだ。

 

 イカサマをした賭博士って、どうなるんだ? まぁ、関さんの言う通り聞く必要なんてないんだろうけど……

 

「イカサマした賭博士を、どうして貴方は庇うんですか?」

 

「こんな馬鹿でも盃を交わした兄弟だからだ。助けてやりたい。いや、どうか助けてほしい。頼む……」

 

 男が頭を下げた。つまり普通なら賭博士は助からない。そしてこのお兄さんは弟の命が助かればそれで良い。なら――

 

「条件があります」

 

「ほっ!! ご主人様――!!」

 

 俺は関さんを手で制する。

 

「聞こう」

 

「一つ目、貴方達が勝てば、イカサマは無かったことにします。勿論、俺達の身柄も好きにしていい。俺達が勝てば青龍刀は頂きますし、イカサマは認めて頂きます」

 

「……良いだろう」

 

「二つ目、次は俺達が親の番」

 

 男が頷く。

 

「そして三つ目、自ら勝負を降りたときは、イカサマは無かったことにします。以上の条件を飲めるなら、再戦を受けます」

 

「弟に賭博士としての引き際まで用意してくれるのか。ありがとうよ、恩に着る」

 

 関さんは余り納得していない顔で再び席に着く。今度は親と言う圧倒的有利な立場から、札を選んで場に置いた。

 

 男も場に札を置いた。怒りか、それとも恐怖か……震えながら、札を裏返す。青龍の札……

 

「ぐぐぐっ……」

 

「さて、関さん。行こうか」

 

「――えっ!? あ、あぁ……」

 

 俺が立ち上がるのを見て、慌てて俺の傍らに待機する関さん。そこに青龍偃月刀が男三人で運ばれてくる。

 

「約束の偃月刀だ。見ての通り、かなり重――」

 

 言い終わる前に、関さんはそれを片手で楽々受け取った。

 

 その姿に誰もが唖然する。

 

 化け物とか、怪力女とか、強ち間違いでも……

 

「……ご主人様、何か?」

 

「いえっ!! 何にも言ってませんよ――!!」

 

 目を細めてこちらを睨み続けてくる関さん。

 

「言ってないだけですか。ならば何を思っていたのか、ぜひ聞かせてください」

 

 ヒィィィーーッ! 笑顔が怖いよーッ!!

 

「ん、んッ!! 関さんの演武、ぜひ見てみたいな。……見せてくれる?」

 

「嫌です」

 

 と、取り敢えず話の流れを変えようじゃないか!

 

「さ、さぁ~、宿に戻って祝杯でも挙げようか~! って、祝杯を挙げるお金は無いか……」

 

 兄貴分の人がこちらにやってきて、頭を下げた。

 

「弟を助けてくれて感謝する。これを……」

 

 金一封を俺に渡してくれた。それを素直に頂くことにする。

 

「まだだ……、まだ終わっちゃいねぇ!!」

 

「お、俺だって勝負師の端くれだ! 札を、札を捲れっ!!」

 

 興奮した男に、場は一瞬で静まり返った。

 

 俺は近付き、視線を合わせてこういった。

 

「俺達との勝負の前に、もっと大事な物があるだろう? 俺も義理の妹がいる身だから分かる。兄貴心配させんなよ」

 

「――ぐうぅぅっっ!!」

 

 男の札が零れるように落ちていくのを確認し、俺達はその賭場を後にした。

 

(十一)

 

 外に出ると、関さんは言葉を漏らした。

 

「この青龍偃月刀を持つ資格が、私にはあるのでしょうか……」

 

「選んだ札って、まさか青龍だったとか……?」

 

 彼女が頷く。

 

「……ははっ、運は俺達に味方している。言った通りだったろ?」

 

「ですが――」

 

 関さんは物ごとを難しく考え過ぎるところがあるよなぁ……

 

「ん~、武人には武人の決まりごとがあるように、賭博士には賭博士なりの決まりごとがあるんだよ。賭博ってさ、駆引きみたいなものなんだ」

 

「駆引き、ですか」

 

「――そう、駆引き。イカサマがばれた時点で、勝負は付いてたんだよ。でも奴の兄貴が出てきた。馬鹿な弟を助けて欲しいって。だから俺は有利な条件を突き付けて、相手にそれを飲ませた。向こうから勝負を降りるようにね。……勝負を挑んで来たときはドキッってしたけどね」

 

「……貴方は甘すぎる! 奴は罪の無い武人を騙し続け、奴隷にしていたのですよ! それを見す見す見逃すと言うのですか!」

 

「俺達の目的は青龍偃月刀で、あの男を裁くことじゃないよ。その証拠を集めて、奴を捕まえるのは公孫瓚の仕事だ。俺たちじゃない」

 

「――ですが!」

 

「……ごめんな」

 

「――ッ!? い、いえ。こちらこそ、向きになってすいませんでした」

 

 そう言って関さんは、俺に深く深く頭を下げた。

 

(十二)

 

 町に流れる小さな川を横目に、終始無言の気まずい雰囲気をなんとか変えようと、北郷一刀は彼女の容姿を褒め始めた。

 

「それにしても、うん、似合ってるねっ。服との調和も悪くない!」

 

「――えっ? そ、そうですか?」

 

 突然そんな事を言われたからか、関羽は少し恥しそうに答えると、距離を取って十八斤、重さ三十二キロの青龍偃月刀をぶんぶんと振り回し始めた。

 

 風を切る音を響かせるたびに、念願の武器を手に入れたことを実感し始めたのか、その演武は徐々に熱を帯びていく。

 

 嬉々とそれを振るう姿を見て、満足げな笑みを浮かべる一刀。

 

「そういえば『祝杯を挙げる金がない』と言っていましたね……」

 

「あぁ、でも金一封貰ったから大丈夫」

 

「そうではありません。……宝玉はどうされたのです?」

 

「あぁ~、関さんと別れたあと、子供に盗まれちゃってさ……」

 

「何ぃ――!?」

 

「いや、実はその盗んだ子が訳ありでね……」

 

 一刀は義妹の張飛と出会った話を始めた。

 

 とうとう犯してはならない一線を越えてしまったかと、関羽は青龍偃月刀を強く握り締めたが、心の底から嬉しそうに話しかけてくるものだから、始末するにも踏ん切りが付かないでいる。

 

 だがよくよく彼の話を聞けば、そうではないことに気付く。義理の妹を本当に愛おしく思っているようだった。司隷州から出奔した彼女も孤独の身である。それは素直に羨ましいと彼女は思った。

 

「約束をしたんだ。また会おうねって。だから死なないでねって……」

 

「良い義妹ですね。ですが私と同じくらい強くて、可愛らしいという一言には同意しかねますが」

 

 北郷は何も答えず、ただ微笑みかけると、関羽も微笑みを返した。

 

 そして青龍偃月刀を地面に突き刺し、関羽は臣下の礼を取る。

 

「ご主人様。短い間でしたが貴方に仕え、貴方のことを知ることができたこと、この関雲長嬉しく思います。できることなら貴方のことをもっと知りたい。ですが私には匪賊から力無き民草を守る使命があるのです。共に歩めぬことをお許しください」

 

「……関羽、君のような歴史に名の残る英傑と共にあれたこと、俺は誇りに思うよ。本当ならここで君に真名を預けるべきなのだろうけど、生憎俺には真名が無いんだ。許してくれ」

 

「真名が……無い?」

 

「俺はこの大陸の人間じゃないんだ。だから真名の風習が無くてね。こちらの風習に合わせるなら、一刀が俺の真名に近い意味に当たるんだけど。それでも、俺は君に触れる資格はあるだろうか?」

 

「……ふふっ、その問い掛けは、くすぐったいですね」

 

 もう一度、臣下の礼を取った瞬間……それは起こった。

 

「私の真名は――」

 

「あぁッ!! アニキだ! おーぃ! アニキーッ!!」

 

「真名は――」

 

「あっ、本当だ! 北郷さんだ――!! どうしてこんなところにいるんだろう! おーい!」

 

 まさかここで邪魔が入るとは思っていなかった関羽。

 

 それでも一刀は関羽を見ている。その姿勢に関羽も喜ぶ。何よりも私の真名を告げるこの時を大切にして下さっているのだと。

 

「我が真名は――」

 

「無視すんなー!」

 

 地面を蹴る音が近付いてくる。

 

「聞こえてるくせに、無視すんなぁぁっ!!」

 

 横側から見事な体当たりが決まり、一刀は吹っ飛んで川の中へと盛大に落ちた。

 

「い、いいしぇ……」

 

「ちょっ、文ちゃん!」

 

 全力で飛んでいった一刀を心配して、顔良が駆け寄ってくる。

 

 臣下の礼のままプルプル震えだす関羽。

 

 その姿に気付き、文醜は頭を掻きながら……

 

「ん、いや、アタイに臣下の礼されても困るんだけどな……」

 

 色々とフラグを立てまくるのであった。

 

「お~ぃ、斗詩~? コイツが臣下になりたいらしいんだけどさ!」

 

「こ、コイツ!?」

 

 礼節を弁える関雲長に、初対面でため口ですか、猪々子さん――!!

 

 っと、北郷一刀が慌てて川の中から這い上がってくる。

 

「違う! 私は――」

 

「麗羽様にだろ?」

 

「えっ? あー、袁家の武官採用試験終わった所なんで、また今度でお願いします。ごめんなさい」

 

「だから、違うと!」

 

「何だよ! 違うならちょっと向こう行っとけって!」

 

 この発言にはさすがの関羽も堪忍袋の緒が切れた。

 

「良いだろう。貴様等、名を名乗れ!」

 

 地面に突き刺していた青龍偃月刀を引き抜く。

 

「あぁん? 誰に向かって、口聞いてんだ?」

 

「あっ、止めておいた方がいいですよ。私達は袁本初直属の配下。私達に刃を向けることは袁本初、並びに名門袁家に刃向うことと同義なんですから」

 

「袁本初? はっ、知らんな。貴様等の腐った性根……ここで叩き斬ってくれるわ」

 

「だめぇぇぇぇぇっ!  ストーープッ!」

 

 関羽と袁家二人の間に、両手を広げながら割り込んだ。

 

「アニキ、どいてくれ。売られたケンカは買う主義なんだ……」

 

「売ってきたのはそっちだろうっ! ……もう罷り成らん。そこをどいてください、北郷殿!!」

 

「猪々子、この人に謝れ――!!」

 

「な、なんでだよ!!」

 

 頬を膨らませる文醜。

 

「猪々子、すまない。別に猪々子のことをわざと無視しようとした訳じゃないんだ。とても大事な話をしていて、話の腰を折るわけにはいかなかったんだ」

 

 大事な話の途中で割り込んだのは、さすがに悪かったと納得した猪々子を見て、一刀は関羽に向き直り謝罪した。

 

「関さんも本当にすまない! 猪々子が迷惑をかけた! 許してくれ!」

 

「……アニキ!?」

 

「……北郷さん!?」

 

 迷いも無く頭を地につけた一刀に、その事の重さを感じ取った文醜も自ら頭を下げる。

 

「ごめん……、アタイが悪くかったよ。アニキの顔見たらつい嬉しくなって……本当にごめん」

 

「まさか大事な話をされていたなんて……本当にっごめんなさい。北郷さんにここで出会えたが私達にとって本当に救いに思えて……」

 

 三人の真摯な態度に、関羽は武器を下ろし背中を向ける。

 

「付き合う相手を選ばれよ、北郷殿」

 

 その声には、彼女の失望の色が見える。だが……

 

「ははっ、肝に銘じておくよ。二人を許してくれて、ありがとう」

 

 北郷は自分が失望されたとしても、彼女に感謝し二人の無事を喜んだ。

 

 その姿を関羽は目に焼きつける。このような態度を取れる人物は滅多にいないことを、北郷一刀の徳の大きさを、彼女は身を持って感じることになる。

 

 北郷は正座したまま二人に向き直って、声を掛ける。

 

「元気そうだね。でもどうして二人がこんなところに?」

 

「それはアタイ等の台詞だぜ、アニキッ!」

 

「文ちゃんの言う通りですよ~! 私達はですね、麗羽様のご学友で親友に当たられる公孫瓚様が、郡太守になられたのでその御祝いに。今はその帰りで――」

 

「――御祝いじゃ無く、嫌がらせだとアタイは思うけどなっ」

 

「文ちゃん、思ってても言わないのっ」

 

「へ~い」

 

「北郷さん、その……真面目な話をさせて頂いてもよろしいですか?」

 

「え、真面目な話? 正直、聞きたくないかな~」

 

「実は、都とその周辺で賊が跋扈し、多くの血が流れるだろうという占いの結果を陛下が耳にして、そのような結果が出たこと真に不愉快。という話になりまして……」

 

 無視して話を進める顔良。この辺りの図々しさは流石と言わざるを得ない。

 

「じゃぁそうなる前に周辺にいる賊を根絶やしにしましょうって話になってさ、んで十常侍が、『それでは袁家総出でそれに当たらせましょう。ホホホッ、チラッ』とか言いだしやがんの! もう完、璧、嫌がらせ!」

 

「そう……、大変だね」

 

「何、他人事みたいに言ってんだよ、アニキ」

 

「いや、俺袁家と関係ないし、他人事だし……」

 

「他人事だと?」

 

 関羽がその一言に激しく反応した。

 

 明らかに苦しめられる民草に対し、自分は関係ないという“他人事”の意味に取ったに違いない。

 

「そういう意味じゃないから! 俺は袁家の人間じゃないってこと!」

 

「だから~、袁家総出って言ってるじゃん!」

 

「北郷さん、袁家総出の解釈は、袁家に関係する者、そのすべてって意味で……その、北郷さんは、直接袁家とは関わりはありませんが、袁家の関係者である文ちゃんと真名を交わされていますので、その中に含まれるんです」

 

「そう言われてもさ、俺約束があって、どうしても公孫瓚のところに――」

 

 何とか断れないかと必死に食い下がる一刀。だが……

 

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい!!」

 

 嫌な予感しかしない一刀。

 

「……北郷さん。これ、勅命なんです」

 

 弱々しく、申し訳なさそうに彼女は言った。

 

 勅命。漢の家臣である二人にとってそれは絶対で、例えどのような理由があっても、一刀を引っ張っていくという宣告であった。

 

 ここまできて……と、崩れ落ちる一刀。

 

「へへっ、アニキ。年貢の収め時だぜ?」

 

「ちょっと、文ちゃん! ごめんなさい、北郷さん。私達と再会したことが運の尽きだと思って、一緒に洛陽まで来てもらえませんか? 勿論それなりの謝礼はさせて頂きますので。それから私事で申し訳ないんですけど……、十常侍のことで、少しご相談がありまして……」

 

「じゅ――!? ん、んっ!」

 

 素っ頓狂な声を上げ振り返った関羽が、二人の視線を受け、咳払いで誤魔化して後ろを向いた。

 

「今度は斗詩が目をつけられちゃってさ。斗詩の相談に乗ってくれないかな。アタイを十常侍から助けてくれたみたいにさ。十常侍相手に頼りにできる奴なんて袁家にいないってアニキが一番良く知ってるだろ?」

 

 顔良が半笑いになりながら答える。

 

「あはは……、皆死んだ振りしてやり過ごしたんだっけ?」

 

 関羽がソワソワし始めた。彼女が気になるのは仕方ない。十常侍と言えば、腐敗政治の根源。そんな彼等から文なんとかを助けたと言う北郷一刀。

 

 だが部外者である彼女は口を挟まず、ただ北郷一刀という人物を見極めようと必死だった。

 

「アニキが迷惑なのは分かってるよ。でも頼むよ。斗詩を十常侍の手から守ってくれよ!」

 

 しばらく崩れ落ちていた一刀が、大きく息を吐き出して地面に腰を下ろした。その表情には仕方ないなと諦めの色が見える。

 

「関さん、お願いがあるんだけど……いいかな?」

 

 関羽はこれを了承。一刀から二枚の文を預かる。どちらも趙子龍に宛てた文だ。

 

 内容は分からない。ただ表にそれぞれ『新たな主を見つけた君へ』、『未だ主と仰いでくれる君へ』と書かれている。会ったときで構わないので、渡してほしいとのこと。

 

「それからもう一つ、義妹の鈴々……、張飛を尋ねてやってくれないか?」

 

「はっ?」

 

「いくら関さんと同じくらい強いって言っても、やっぱり不安でさ。関さんなら鈴々を安心して任せられる。それに君の志とも重なる部分があると思う。勿論、邪魔になるかならないかは君の判断で構わない。どうか……」

 

 頭を下げられては、断りきれないのは私も同じかと関羽は頷く。

 

 一刀はここで関羽と別れ、袁家の二人に連れられて洛陽へと向うのであった。

 

 あとがき

 

 前回の更新から三か月ぶりのご挨拶になります。寒い日が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。テスでございます。

 

 今回は関羽と青龍偃月刀のお話でした。ここで幽州三姉妹編が終了となります。ここまでお付き合いくださいまして本当にありがとうございます!

 

 えっ、趙雲との再会ですか? テスがそんな簡単に再会なんてさせる訳ないじゃないですか~! あくまで幽州三姉妹編ですので、ご容赦を……

 

 ちなみに手紙を預かった関羽が趙雲と出会うのは、三姉妹で公孫瓚を訪ねるときになります。果してその内容はっ! そして趙雲はどちらの文を手に取るのでしょうか。

 

 さて、幽州三姉妹編が終わって洛陽へと向かいます。もしよければ、またお付き合いのほどよろしくお願いします! それでは!

 

 

「……まだ部屋が暖かい。まさか気付かれたというのか?」

 

 失踪する武人達の手がかりを追って町から町へと捜索していた趙子龍は、郡境付近にある町の賭博場へと辿りついた。

 

 籠った熱気を肌に感じながら、奥へと進んで行く。だが……

 

 異様なまでの静けさが彼女を襲った。賭博で使われる道具はそのままに、忽然と人が消え失せていた。

 

 立ち止まっていても埒が明かない。手掛かりを探すために彼女は奥へと進んでいく。

 

 最奥の一室では厳かな雰囲気の中、青龍の絵札と伏せられた札が置かれていた。

 

「勝負はまだ途中……いや、違うな」

 

 趙子龍が注目したのは手元に置かれた三枚の札である。下座、即ち挑戦者の札は綺麗に伏せられて置かれているが、上座の札が散らばっていた。

 

 どのような理由かは分からないが、挑戦者が勝ったことで賭場が解散したのだろう。彼女はそう判断を下すと迷うことなく踵を返した。

 

「どちらにしろ、これ以上の捜索は打ち切らねばなるまい」

 

 理由は簡単だ。これより先は公孫瓚の管轄から外れるからである。

 

 外に待機させていた兵士達に撤退の指示を出した趙子龍は、副官に部隊の指揮を任せると、自ら早馬となって公孫瓚の下へと向かった。

 

 この捜索で新たな問題が浮上した。町から町へと移動する度にその活気は薄れ、人々も陰湿なものへと変化していったのだ。

 

 つまり前太守は、城の周辺では善政を施してはいたが、目の届き難い場所では悪政をしていた。

 

「――ッ、舐めた真似をしてくれるっ!」

 

 だがまだ救いはあると、彼女は思った。

 

 それは現太守が公孫瓚であることだ。趙子龍の進言で、彼女は普通に動くだろう。

 

 ――伯珪殿はある意味、才女だからな。

 

 何事も普通にこなす。良くもなく、悪くもなく。故に、この問題も普通に解決するだろうと趙子龍は思っている。

 

 ――とにかく、このことを急ぎ伝えねば始まらない。

 

 馬の腹を蹴って速度を上げた趙子龍は、公孫瓚の下へと急いだ。

 

 


 
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