No.355885

真・恋姫無双~かつて御遣いと呼ばれし男~ 第一話

マスターさん

前回のお知らせの通り、次回作の導入編をお送りいたします。これが次回作というわけではなく、飽く迄も構想の中の一つであるということをご了承ください。今回の作品は好き嫌いが分かれるような作品になっておりますので、感想などがあればコメント欄に残して下さると幸いです。それではどうぞ。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

一人でもおもしろいと思ってくれたら嬉しいです。

2012-01-01 00:48:57 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:7045   閲覧ユーザー数:5836

『さよなら……誇り高き王』

 

『さよなら……寂しがり屋の女の子』

 

『さよなら……愛していたよ、華琳』

 

 その日、一つの外史から天の御遣い――北郷一刀は消失した。最愛の少女である華琳――曹孟徳との別れは、避けられる事象ではなく、容赦なく事実として二人の間を引き裂いたのだ。どれほど抗おうとも、世界の決断は誰にも覆すことは出来ない。

 

『ばか……ばかぁ…………っ!』

 

 自身の存在が世界から消え行こうとするとき、彼の耳に聞こえたのは、彼女のそんな声だった。誰よりも強く、弱音とは程遠い大陸の覇王――華琳は泣いていたのだ。自分がいなくなるという事実に耐えられず、蒼月が見下ろす中、嗚咽を漏らしていたのだ。

 

 ――ごめん、華琳……。

 

 いくら謝罪の言葉を述べようとも、愛の言葉を囁こうとも、もう華琳の耳に彼の声が届くことはない。もう彼女の凛々しい顔を見ることも、仲間に囲まれて騒がしい日常を過ごすことも不可能なのだ。

 

 それは自業自得だったのか、今となってもそれは分からなかった。あのとき彼女を助けなくては、赤壁の戦いにて勝利しなくては、仲間が――愛する女性たちが命を落としたかもしれなかった。乱世が長引いたかもしれなかった。

 

 そんなことあってはならないのだ。自分一人が犠牲になれば、仲間たちが死ぬこともなく、多くの民の幸せが実現出来たのだ。だから、彼はそれを厭うことはない。それが自身の宿命だと定めることが出来たのだ。

 

 それが天の御遣いとしての――華琳の友として横に立つ者の覚悟である。自分の命欲しさに、大陸制覇という偉業を妨げるような愚かな真似など出来るはずなどなかったのだ。それを教えてくれたのは、他でもない華琳だったのだから。

 

 だが、それは同時に多くの女性たちの心に深い傷を負わせることにもなるのだ。すぐには癒えることのない――時間ですら癒すことの出来ない大きな傷。消える瞬間、華琳の慟哭にそれを悟ってしまった。

 

 華琳の右腕ともいえた二人の姉妹は悲しむだろうか。自分を兄と慕ってくれた二人の少女は泣くだろうか。自分を隊長と呼んだ初めての部下たち、ずっと自分を罵倒してきた、だけどどこか憎めない少女、どこか茫洋として掴みどころがない相棒と、そんな彼女の心の友であった少しむっつりな女性、民のために歌い続けた三人の歌姫たち――彼女たちは自分がいなくなったと知ったら、何を想うのだろうか。

 

 別れの言葉すら告げることが出来なかった。きっと今頃は、乱世を集結させたことに、自分たちの王が勝利することが出来たことに、全身で喜びを感じているのだろう。彼がこのようなことになっているとは露にも思っていないのだ。

 

 自分は正しかったのか。正しい選択をすることが出来たのか。もしかしたら、こんな結末にならない方法があったのではないか。誰もが幸せになることが出来た道があったのではないか。誰も傷つけない未来があったのではないか。

 

 世界から消えた後も、彼の意識は残っていた。何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。そんな幻想的な――刹那的にも感じられる空間においても尚、彼の思考は停止することなく、自問を繰り返していた。

 

 だが、その答えが見つかるはずもない。解答のない問いは、いくら考えたところで何も導き出すことはないのだ。それが事実であり、揺るがぬものである限り、彼が消えるという運命を弾き返すことなど出来るわけがなかったのだ。

 

 運命はどこまでも残酷である。どんなに叫ぼうと、怒りに燃えようと、絶望に暮れようと、誰も救いの手を差し伸べてくれない。自分を、愛しい女性たちを救済してはくれないのだ。もう彼には何もすることが出来なかったのだ。

 

 身体が形を留めていないような、不思議な感覚――ぐちゃぐちゃに崩れていくような、どろどろに溶けていくような、自分が自分でなくなるような感触。その不快さも相まって、彼のどす黒い感情はピークに達する。

 

 ――もうやめよう……。疲れた……。

 

 だが、彼は思考を停止させることを決めた。もう全てが終わったのだ。これから自分がどうなろうとも、彼女たちと別れることに比べたら、どうでもよいことだったのだ。このまま死のうが、元の世界に戻ろうが、もはや些末なことに過ぎないのだった。

 

 しかし、彼はまだ知らなかったのだ。運命の歯車は既に回り始めていることに。それが彼の想像をはるかに上回る冷酷さでもって、彼を再び翻弄することに――絶望し、諦めるということすら、彼には許されないということに。

 

 さぁ、新たな外史の扉が開くときだ。

 

 

 ――ここは……?

 

 思考が止まった瞬間に、彼の意識も彼方へと飛んでしまった。そして、何がきっかけであったのかは彼の与り知らぬところではあったのだが、再び彼は意識を取り戻したのだ。しかし、そこがどこで、自分がどのような状況にあるのかまでは分からなかった。

 

 身体が重く、瞼すら開けることが出来ない。だが、身体が確かに外界の気に触れている。先ほどの空間ではなく、しっかり自己を保つことの出来る場所――自分は死んだのではなく、どこかに寝ているようだ。

 

 瞳を閉じていても感じられる陽光――どうやら、自分は外にいるようだ。風に靡かれカサカサと音を立てる草木の歌声も、枝の上で生睦まじそうに語らい合う鳥たちの囀りも、自分が生きていると実感するに充分確信を持つことが出来た。

 

「おいあんちゃん、珍しい格好してるじゃねぇか?」

 

 そこに飛び込んできた他人の声――彼はそれに聞き覚えがあった。実際はそれほどに時間は経過していないというのに、彼にはそれが大昔の出来事のように思えた。それ程に彼は濃密な時間を過ごしていたのだ。

 

 平凡な学生だったときには、自分がまさかあのような経験をするとは想像もすることが出来ない出来事――歴史の転換期を、身をもって体験したことは、彼の時間的感覚を大いに狂わせたのだから、それも仕方のない話だと言えるだろう。

 

 だが、それは間違いなく彼らの声だった。

 

 自分が最初にこの世界に降り立ったときに出会った三人の男の内のリーダー格――何と呼ばれていたかまでは記憶にないが、この世界で初めて聞いた声だっただけに、彼の記憶にも深く刻まれていたのだ。

 

 だが、何故この男の声が聞こえるのだろうか。彼らはあのとき自分を助けに来てくれた趙雲が――そう、彼が愛した二人の女性と共に颯爽と現れて、彼らを撃退してくれたのだ。その後、彼らがどうなったかは知らないが、この場に聞こえることの異常性は理解することが出来た。

 

 何よりも、彼の吐いた台詞には違和感があった。これではまるであのときと同じではないか。聖フランチェスカの制服という、この世界では珍しい素材で出来た衣服を身に纏っていたことで、自分をどこかの貴族か何かと勘違いし、身包みを剥ごうとした、あのときと。

 

 ――まさか……っ!

 

 自分は再び戻ってきてしまったというのか。しかも、単純に華琳と別れた場所から瞬間的に移動したというわけではなく、時間軸までも最初に戻ってしまったのではないかという疑問が、急激に頭の中で広がった。

 

「とりあえず持ってるもん全部、こっちに渡しな。おーっと、分かっているとは思うが、てめぇには拒否することなんか出来ねぇぞ」

 

 疑問は確信へと変化していったが、彼の中でもう一つだけ――彼をさらに混乱の渦へと叩き落としてしまう疑惑を生じさせてしまったのだ。異世界へと来てしまった彼だけに、時間を逆行してしまうくらいは、許容範囲ぎりぎりではあったが、まだ理解することが出来た。

 

 だが、これだけは彼の理解を越えてしまったのだ。そんなことが起こるわけもなく、もしも、仮にそうだとしても、一体どのような状況であれば、そんなことが可能なのだろうか。自分の勘違いであって欲しかった。自分の身体が満足に機能していない結果だと思いたかった。

 

 その男の声は明らかに自分に向けられていないのだ。瞳を閉じた状態であっても、声がどちらの向きに発せられるかということは分かる。その声は自分がいる位置とは、まるで反対に向けられているようだったのだ。

 

 彼はゆっくりと瞼を持ち上げた。心臓の鼓動が徐々に早く、大きくなった。何かの間違いであってくれと強く願った。これは夢に違いない――自分は華琳との別れで精神的におかしくなってしまったのだと言い聞かせた。

 

 だが、先述の通り、運命が何よりも残酷であり、世界の決断には誰も逆らえないのだ。

 

 開けた視界――数年ぶりに外の世界を見たかのような錯覚を覚えながらも、そんなことはすぐに頭から消え去った。自分が目の当たりにしている現実を前にすれば、およそそんなもので感慨に耽っている場合ではなかったのだ。

 

「あぁ……」

 

 声にならない呟きが漏れた。

 

 それも当然だった。彼の目の前には、確かに思った通り、この世界で初めて会った三人の賊の姿が映っていたのだ。そこまでは同じだったのにも関わらず、一つだけ決定的に違うものがあった。

 

 彼らは自分に背を向けているのだ。そして、彼らの視線の先には一人の青年が立っていたのだ。その場からでは表情までは見えないが、身に付けているものを見れば、それが誰であるかなんて、彼にはすぐ分かったのだ。

 

 純白の聖フランチェスカの制服、陽光を照り返してやたらきらきらと輝くそれを着ている者なんて、この世界ではたった一人しか――北郷一刀しかいないのだから。

 

 

 だが、そんなことがあるはずがない。何故――なんて問う必要すらないのだ。北郷一刀は自分自身であり、本来、そこで三人の賊に絡まれるのは自分の役目だったのだから。それに、もしも、そこにいるのが、北郷一刀であるならば、自分が二人存在してしまうことになってしまう。

 

 そして、そのことを察した瞬間、あらゆる情報が彼の脳内を更新した。

 

 彼はどこかで寝ていると思っていた。だが、実際はそうではない。彼は普通に地面に立っているのだ。正しかったのは、眩いばかりの陽光だけで、草木の歌声も、鳥たちの囀りもない、そこは地平線まで続く荒野だけがある場所であった。

 

「ああん? どうした、新入り? そんなに顔を青くしてよぉ」

 

「きっと人を襲うのが初めてで、ぶるってやがるんですよ」

 

「……んだ」

 

 彼には分からなかった。どうして、この三人組が自分の方を振り返りながらそう言っているのかが。自分は北郷一刀であり、彼らが襲うべき相手であるのだ。だが、彼らは自分のことを新入り――つまり仲間だと言っているのだ。

 

 ありえない。ありえるはずがない。彼の困惑は頂点に達し、言葉を吐くことすら出来なかった。何がどうなっているのか分からない。しかし、誰も彼を待ってはくれないのだ。無慈悲なまでに事態は進んでしまう。

 

「さぁて、まぁ俺たちはぱっぱとこいつをバラし――」

 

 リーダー格の男が、今から身包みを剥ごうとする青年の方に、再び頭を向けながら言葉を発したが、それは最後まで紡がれることはなかった。彼はその青年の方を向くことが出来なかったのだから。身体だけが前を向き、その首は歪に捻じ曲げられ、後ろを向いてしまっている。その男は口から泡を吹き、白目を剥くと、事切れてしまった。

 

「ア、アニキっ!?」

 

 誰もが、どうしてその男の首がへし折られてしまったのか理解出来なかったのだが、すぐに身をもって知ることになったのだ。崩れ落ちようとするその男の身体を、ついさっきまで自分たちが襲っていた青年が、そっと受け止めると、男の腰に佩かれていた剣を素早く抜き放ったのだ。

 

「ひっ――」

 

 悲鳴を上げる間もなく、その小男の首は宙を舞ってしまった。空中を漂うその小男の顔には悲痛な叫びが浮かび、おそらく殺されたことすら気付いていないのだろう。それ程に、鮮やかな斬撃であった。

 

 剣術の嗜みはあったものの、真剣を握った経験の多くない北郷一刀には、そのような所業が出来るとは思えなかった。何の躊躇も迷いもなく、またその小男には既に戦闘の意志もなかったにもかかわらず、首を刎ね飛ばしたのだ。

 

「さて……。まずはバラすんだった……か?」

 

 最後に残っているのは、大男だけであったが、目の前に仲間の二人が一瞬で殺されたことに、完全に怯えてしまっているようで、ゆらりと剣を構えた青年――北郷一刀が口を開いて近づくと、尻もちをついてしまい、ガタガタと震えながら後ずさりする。

 

「おい? どうした?」

 

 その状況をまるで楽しんでいるかのように、自分ではない北郷一刀は唇を歪めた。

 

「つまんねぇなぁ。もう死ねよ」

 

 言葉を投げかけても、既に戦意を喪失しているうえに、恐怖により通常の思考を保つことの出来なった状態なので、言葉を発することも出来なかった。それが面白くなかったのか、ふんと鼻を鳴らすと、そのまま剣を振り下ろした。

 

 重い音が鳴り渡ると、大地に鮮血が散った。むせかえるような酷い悪臭が辺りを包み込み、本物の――そう言って良いのかも分からないが、とにかく華琳と別れて、未だに状況が呑み込めない北郷一刀は、それを黙って見ていることしか出来なかった。

 

「よし、これで邪魔者がいなくなったな」

 

 そう言いながら近づいてくると、やっとその青年の表情をじっくりと眺めることが出来た。どこをどう見ても、自分自身であり、まるで鏡を見ているかのように、眉も瞳の色も鼻の大きさまでも自分と一致していた。

 

 しかし、たった一つだけ差異があった。

 

 彼は笑っていたのだ。獰猛なまでに瞳を爛々と輝かせて、自分を見つめている。嗜虐的で、好戦的な瞳の色は、彼の持っていないものだった。争いを好まず、戦争という状況でなければ、人が死ぬことを認めるようなことをしない、北郷一刀のものではない。

 

「よぉ、元北郷一刀」

 

 彼は嬉しそうにそう言った。ずっと彼に会いたいと思っていたかのように、愛しの恋人と積年の想いを添い遂げたかのように、彼を元北郷一刀と、そう呼んだのだった。

 

 

「……元だって?」

 

 そう言われて、彼はそう言い返すことしか出来なかった。紛れもなく自分は北郷一刀であり、それをやめたはずがない――というより、自分をやめるなんてことが出来るはずがないのだ。だから、この青年――自分と同じ容姿を持つ北郷一刀が言っていることの意味が全く分からなかったのだ。

 

「あぁ、まだ気付いてねぇのかよ?」

 

「……何を言っているんだよ」

 

「この世界では俺が北郷一刀なんだよ。身体が二つあったらおかしいからな、お前には北郷一刀をやめてもらったんだ」

 

 この男は何を言っているんだ――頭ではそんなことが起こるわけもないと分かっているのだが、彼の背中には寒いものが走った。この男は嘘を言っている気配がないのだ。悪ふざけで戯言を弄しているわけではなかったのだ。

 

「あん? まだ信じられねぇって顔してんな」

 

 彼が自分の言葉をあからさまに信用出来ていないと表情から察したのだろう、その青年は――自称この世界の北郷一刀は溜息交じりにそう言った。すると、手に持つ剣をそっと目の前に差し出したのだ。斬るためではなく、別の目的のために。

 

「こ、これは……」

 

 剣の刃――賊たちの血を存分に吸ったそれは、朱に染まりながらも、目の前にいる人物の表情を映すには充分であった。そこに映るのは自分の――北郷一刀の顔であるはずなのに、刃には別人の顔が映り込んでいたのである。

 

「分かったか? お前はもう北郷一刀じゃないんだよ」

 

 くっと笑いを堪えながら、そう言った。この世界では彼こそが天の御遣い――北郷一刀であるのだ。元北郷一刀を見下しながら――下卑た笑みを浮かべながら、事態を理解出来ずにただ困惑の表情の浮かべる、元北郷一刀の顔を楽しんでいる。

 

「そ、そんな……」

 

 馬鹿なことがあるわけない。そう言おうとした。しかし、それを言っている声が、正しく北郷一刀のそれではないことに、今頃になって気付いたのだ。自分が発言しているにもかかわらず、まるで別人が話しているかのような妙な感覚に、不快感を覚えて、思わず膝から崩れ落ちてしまった。

 

「いい顔してんなぁ。どうだ、自分をやめちまった感想は? 自分が自分でなくなるなんて、初めての経験……だろっ!?」

 

 青年の蹴りが顎を打ち抜く。自分が持っているとは思えない程の力で、無様に地面を何度も転がった。そして、さらに彼の近くまで歩み寄ると、顔のすぐ側に剣を突き立て、胸のあたりを足で踏みつける。

 

「ぐっ……、お前は?」

 

「あぁっ!? さっきから言ってんだろ? 俺は北郷一刀だよ。天の御遣いにして、この世界を平和に導く存在だ。まぁ俺自身は平和なんかに興味はねぇ」

 

 ――けどな、と付け加えた。

 

「お前が愛した女どもに大分興味があるんだよ」

 

 北郷一刀は醜い笑みを浮かべた。その脳裏には何を思い描いているのだろうか、元北郷一刀はそんなことすら想像したくなくなり、反吐が出そうな程に、激しい憎悪を抱きながら、彼を睨みつけた。

 

「はっはー、いいねぇ、その表情。ゾクゾクしてくるぜ」

 

 その青年はぐっと耳元に口を寄せると、そっと囁いた。どこまでも挑発的に、自分に向けられた殺意をまるで興奮剤とでも言わんばかりに――さらに彼を怒らせるように言い放ったのだ。

 

「お前は生かしておく。どこまでも俺を追って来い。お前が希望を抱き、そして、愛する女たちの目の前で、絶望のどん底まで突き落としてやるよ」

 

 北郷一刀はそう言い残すと、ふらりとどこかへ行こうとした。それをただ見送ることしか出来ない。彼にもらった蹴撃も相当身体にダメージを与えているのだが、それ以上に精神的なダメージの方が甚大だったのだ。

 

 この青年がこれからどこへ行くのか――一度経験している彼ならば分かる。多少変わってしまったが、おそらくは華琳の――愛する者たちのところへと行くのだ。彼女との別れは終わりではなかった。更なる悲劇への序章に過ぎなかったのだ。

 

 

 どれくらい地面の上に不様に寝ころんでいるのだろう。

 

 何もする気にならなかった。

 

 あれは誰だったのか。考えるまでもない。あの容姿は自分が誰よりも長い間見続けてきたものだ。紛れもなく北郷一刀である。だが、どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか。華琳たちと別れること以上に、それは彼の心を深く抉った。

 

 あの男は――北郷一刀はこれから華琳に出会い、その横に並び立つ存在になるのだろうか。かつて自分がそうしたように、愛を囁くこともあるとでも言うのだろうか。そう考えるだけで、彼の頭を暗い感情が支配した。

 

 これが自分への罰だとでもいうのだろうか。確かに彼自身は、歴史を捻じ曲げてしまい、本来彼が知るようなものにはなることがなかった。しかし、それは愛する女性たちを偏に思い続けたからなのだ。それ以外のことなんてなかった。

 

「華琳……」

 

 愛する少女の名を呟いた。この世界にも彼女はいるのだろう。しかし、それは彼の知る華琳ではなく、別人と言っても過言ではないだろう。自分と過ごしたあの日々も、交わし合った愛も、全てがなかったことになっているのだ。

 

 この世界には、彼の味方になる人間などいない。彼を知る者すらいないのだ。ここは彼女たちと別れた苦しみを癒すどころか、彼が犯した罪を裁くための、言わば断罪場であるのだ。世界に刃向ったことへの仕打ちなのだ。

 

「あいつが北郷一刀……」

 

 全力で拒絶したかった。しかし、それを客観的に否定できる証拠が、今の彼にはなかった。逆に自分が北郷一刀ではないということは明白だった。あのとき刃に映った自分の姿、何かトリックがあるのではと、改めて自分の顔に触れてみたが、骨格の形からして、確かに自分のものではなく、何よりも声も違っていた。

 

「はは……じゃあ、俺は誰なんだ……?」

 

 思わず漏れてしまった苦笑――華琳との別れすら、彼に取って受け入れ難いことであったのに、それに加えてこの現状である。彼の精神は音を立てて崩れ去ろうとしていた。自分が自分でなくなるということをすぐに受け入れること自体が無理な話なのだ。

 

 何もかもを奪われてしまった。愛する女性も、自分自身ですらも、抵抗することも出来ないままに全てを失ってしまったのだ。これから何をどうして生きていけばよいのか分からなくなってしまったのだ。

 

 だが、それで終わる程、彼という人間は――かつて天の御遣いと呼ばれた男は弱い存在ではない。全てを失ってしまった彼ではあるが、たった一つだけ許してはならないことがあったのだ。

 

 ――あいつをこのまま野放しには出来ない。

 

 北郷一刀は天の御遣いであり、本来の役目はこの世界を救済することである。しかし、あの北郷一刀はそれを素直にするだろうか。自分自身で、この世界の平和などに興味はないと言っていたではないか。

 

 そして、あいつは自分が北郷一刀であったと知っていた。すなわち、それは北郷一刀が、自分がこうなってしまった原因について何かを知っているということを意味しているのではないか。もしかしたら、あいつ自身が原因なのかもしれない。

 

 ――だったら、俺がすることは一つだけだ。

 

 全てを奪われてしまったのなら、もう失うものはないということだ。これから先、どんなことが起ころうとも、これ以上のことは絶対にないだろう。守るものがないのなら、後は攻めることだけを考えれば良いのだ。

 

 もう自分が誰であるとか、どうしてこうなってしまったとか、そんなものはどうだって良い。こんなことは、最初から受け入れられるものではないのだ。だったら、ぱっぱと放棄してしまえば良い。

 

 崩れかけた彼の精神は、歪な形に再構成されようとしていた。それが果たして彼にとって良いことなのか、悪いことなのか、定かではない。狂気に目覚めるよりましかもしれないし、このまま壊れてしまった方が楽だったのかもしれない。

 

 だが、彼は決断してしまった。このまま、この姿のまま、この世界で生き抜くことを。たった一つの目的を――憎悪を糧にして生き続けていこうと。その道は彼にとって、絶望でしかない。希望も何も最初から抱く気なんてなかった。

 

「北郷一刀、お前を殺す」

 

 全てを失った、かつて御遣いと呼ばれし男の物語が始まろうとしていた。地面に寝そべったまま、彼は静かに涙を流した。涙を流すのはこれが最後にすると固く決意した。全ての涙が枯れ果てるまで、今だけは泣いていようと思ったのだ。

 

あとがき

 

 新年明けましておめでとうございます。

 新年一発目の言い訳のコーナーです。

 

 前回のあとがきの通り、新年最初の作品は、現在連載している『真・恋姫無双~君を忘れない~』が終了し次第、執筆を始めようとかなと思っている作品の予告をお送りします。

 

 簡単な予告だけにしようと思ったのですが、一度書き始めてしまったら、筆が止まりそうになかったので、第一話の仮投稿とさせていただきます。いかがだったでしょうか。

 

 さて、まずは本作品の世界観の解説からしたいと思います。

 

 御覧の通り、この作品は魏√アフターになっております。華琳の許から消えてしまった一刀が、現実世界に戻ったり、再び外史に降り立つ作品は多々ありますが、この作品は北郷一刀として降り立つわけではありません。

 

 転生もののオリ主ものと言われればそれまでですが、それ故に問題作と作者は思っています。見ようによっては、オリ主ものかつアンチ一刀な作品なわけですからね。

 

 まぁ分かっているとは思いますが、主人公たる元北郷一刀――今のところ名前すら決まっていませんが、彼は自分が一刀であると直前まで信じていましたし、この世界の北郷一刀も普通の一刀ではないようですね。

 

 詳しくは本編にてと言わざるを得ないわけなんですが、この物語の軸は敵が北郷一刀であるということです。彼の正体が一体何なのかは、もしもこの作品の執筆が決まったら、最後になって明らかにする予定です。

 

 勿論、魏の面々が寝取られる描写はありませんので、そこら辺は安心して下さい。飽く迄も敵が北郷一刀であるということだけです。

 

 さてさて、この作品を執筆しようと思ったきっかけですが、久しぶりにクロノクロスというプレステのゲームをやっていたときに、主人公が敵のヤマネコというキャラと入れ替わってしまうというシナリオがあり、そこから構想を得ました。

 

 さらに、処女作であり執筆を凍結させてしまった前作の世界観を踏襲させて、笑いやイチャラブなんてほとんどない、シリアス一辺倒の作品にしようと思っています。

 

 ちなみにクロノクロス、そして、その前作にあたるクロノトリガーは皆さんも知っているとは思いますが、歴史に名を残す程の名作であると思っています。やったことのない方は是非ともプレイして下さい。作者も執筆するときは、クロノトリガーのサントラを聞きながらやることもあります。

 

 話はそれてしまいましたが、従って、今回の作品は、一刀と敵が入れ替わったわけではないのですが、一刀が精神だけ別の肉体に移されてしまったという設定で物語を進めたいと思います。

 

 そんな彼のスペックですが、チート仕様およびキャラ崩壊させて、一刀であることを完全になくします。どれくらいの強さかというと、兵卒以上、恋以下くらいでしょうか。これがどういう意味なのかは追々ということで。

 

 さてさてさて、この物語ですが、魏√ではなく敢えて袁術√にしたいと思います。何故美羽なのかと問われれば、勿論、理由はあるのですが、それも本編にて触れようかなと思っています。

 

 ちなみにこれ以外で連載しようかなと思っている設定もあり、それは以前恋姫同人祭りで投稿した作品――まぁ、王道的な袁術√のものがあります。それはどちらかといえば、現在執筆しているものと似た作品になるでしょう。詳しくはレスポンス先を参照してください。

 

 いろいろと言い訳を述べたいところですが、これ以上はあとがきが長くなりすぎるので、今回はここまでにしたいと思います。

 

 これは飽く迄も皆さんの反応を窺いたいという意図もありますので、もしも何か思うところがあればコメント欄に残して頂けると幸いです。

 

 まずは現在執筆している作品を終わらせることが先決ですが、こんな作品を考えている程度に留めておいてください。

 

 では、今回はこの辺で筆を置かせてもらいたいと思います。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです。

 


 
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