No.352307

第三回 同人恋姫祭り参加作品 僕達は天使だった

YTAさん

 はい!と言う訳で、TYAでございます。
 普段は、『真・恋姫無双異聞~皇龍剣風譚~』と言う、特撮風味の連載物や短編を書いております(とは言っても、短編は一作だけですが……orz)。
 今回は、滑り込み+どうしても相応しいネタが思い浮かばないと言う艱難辛苦の末、連載物の外伝と言う形に致しました。
 あ!今、『戻る』ボタンを押そうとしたアナタ!ちょっと待って下さいな!

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2011-12-25 02:41:02 投稿 / 全29ページ    総閲覧数:3708   閲覧ユーザー数:3073

                         第三回 恋姫同人まつり参加作品 真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~

 

                                      外伝 僕達は天使だった

 

 

 

 

 

 

 

「マジすか……」

 北郷一刀は、曹操こと華琳の伝言を伝えに来た兵士に向かってガックリと項垂れた。

「すみません、北郷様。しかし、曹操様も大層残念がっておられました……」

「あぁ……いや、良いの良いの。君が悪い訳じゃないし、華琳だって忙しいのは、俺も分かってるから。それより、こっちこそ悪かったね。この忙しい時期に。そっちも、仕事あるんだろ?」

 一刀は、申し訳なさげな顔で居心地悪そうにしている兵士に、ひらひらと手を降って苦笑いを返して謝った。

 

 華琳が直接の伝言を任せる位であるから、目の前に立っているこの兵士も、年若そうに見えても、それなりの責任ある立場のエリートに違いない。年末に向けて各所が騒がしくなるこの時期に、態々(わざわざ)茶の誘いの断りなんぞを伝える為だけにこの寒空の下に放り出されたのだと言う事を考えれば、申し訳なさも一塩である。

 

「少ないんだけど、これで同僚の人達と暖い物でも食べてくれ」

 一刀はそう言って、冷たい兵士の手に手間賃を握らせた。

「い、いえ!この様なもの、北郷様から頂く訳には……!」

 兵士が恐縮して突き返そうとすると、一刀はそれを押し留めて悪戯っぽく微笑んだ。

 

「いいから、取っておいてくれ。それとも、天の遣いの下賜の品が受け取れないか?」

「そのような事は……!!」

「なら、黙って持って行きな。どうせ、使う理由も無くなったんだしな。ほい、ご苦労さん」

 一刀は、尚もまごまごしている兵士の身体の向きを無理やり変えさせると、その肩をポンと叩いて押し出した。

 

 

 

 兵士は、漸く歩き出したものの、何度も一刀の方を振り返り続け、一刀はその度、手で『行け行け』と合図して、その姿が見えなくなるまで、兵士の歩みを促した。

「いやはや、流石は魏のエリートさんだ。教育が行き届いていらっしゃる」

 一刀は、微苦笑を漏らして溜め息を吐くと、神獣の皮で作られた白いロングコートの裾をかき合せ、ぶるっと身体を震わせた。

 

「さぁて、予定も潰れちまったし、どうしたもんかねぇ……」

 一刀はそうひとりごちると、ポケットから二枚の紙切れを取り出して試すがめつ眺めてから、もう一度溜め息を吐いた。その紙には、『心彩茶房 座席予約券』と、達筆な字で書かれてあり、その下には一回り小さな字で指定日時が書き込まれていた。

 

 心彩茶房とは、最近、都に出来た評判の茶房である。何でも、大陸全土から取り寄せた珍しい茶葉をふんだんにメニューに取り揃えており、菓子も相当に美味であるとかで、この寒いのに、テラス席まで連日満員御礼の盛況振りであるらしい。

 で、余りに盛況過ぎて待合客同士で揉め事などが起こり出した為、客足が落ち着くまでの間、警備隊の指導で店側が日時指定の予約券を発行する事になったのである。

 

 そんな話が、自他共に認める美食家である華琳の耳に入らない筈もなく、『是非、一度行ってみたい』と口にするに至ったのだった。しかし、かと言って、華琳は名前を出して無理矢理に席を用意させる様な人間でもないし、仕事が多忙を極めている事もあって、結局話だけで終わっていたのだが、それを聞いた一刀が、何時も世話になっているお返しにと、語るに尽くせぬ苦労の末、ようやっと予約券を手に入れ、午後の茶席に誘った、と言うのが、事の成り行きであった。

 

「もったいないよなぁ、これ……」

警備隊のコネを使えばよっぽど簡単だったのだろうが、それをしたら華琳が激怒するのは目に見えているし、そもそも、北郷一刀と言う人物は、そう言う事がいまいち苦手な質の男である。また、惚れた女との逢瀬に掛ける苦労を悔やむほど狭量な男でもない、と自分では思ってはいるが、どうしても『もったいない』とは思ってしまう。

 

「まさか、みんなの予定が比較的詰まってる日を選んだのが裏目に出ようとは……」

 一刀は、目に留まった屋台で杏露酒の湯割りを一杯注文し、簡素な素焼きの椀に入れられたそれを啜りながら、またも独り言を呟き、自分でそれに気付いて苦笑した。一人暮らしが長かったせいか、どうにも独り言を言う事が増えていて、自分でも分かっているのだが、どうも未だにその癖が抜けない。

 

 

 一刀は、あっという間に人肌に冷めてしまった酒を一息に飲み干すと、店主に礼を言って、再び街をぶらつき始めた。一応、誰か見知った顔はいないかと目を配って見るものの、先程の独り言の通り、全く“当たり”はなかった。

 そもそも、一刀の周りに居る女性達は、国の中枢を担う重要人物が殆どである。いくら大きな戦争がなくなったとはいえ、仕事は常に山積しており、不眠不休や昼夜逆転、休日取り消しなど日常茶飯時の事であった。

 

 あまつさえ、それが王や丞相ともなれば、その頻度と内容の重要性は桁違いに高くなるのである。一刀自身は、正史の世界から戻ってよりこっち、一刀にしか出来ない“戦い”があるという事で、予てより各国の首脳陣が体制を整えてくれていた為、平時は大分自由な時間が取れる様にはなったものの、女性達の側はそう言う訳にもいかない。

 

 だから、『せめて会える時はゆっくりと』、と考えた末の事ではあったが、まさかそれが、こんな形で裏目に出るとは考えていなかった。当の華琳にしても、久し振りの逢瀬なのだから何を押してもと思っていたであろうが、一国の王ともなれば、“押せない何か”と言うものにブチ当たってしまう事が、往々にしてあるのである。

 

「(もうどうしようもなさそうだなぁ。こっちの人間には関係ないにしろ、折角のクリスマス・イヴだってのに……。こうなったら、仲の良さそうなカップルでも見つけて、プレゼントしちまうか……)」

 一刀がそんな事を考えながら、街行く人並みを観察していると、人波の中に、見知ったあずき色の帽子が、浮きつ沈みしつしながら、フワフワと流れて行くのが見えた。

 

「あれは……朱里!?」

 一刀は、思わずそう声に出し、慌ててその姿を追いかけた。もう長い付き合いの諸葛亮こと朱里のトレードマークを見違える筈はない。

 超が付くほど多忙な筈の彼女が、午後も半ばになるこの時間帯に街にいる理由はさっぱり分からないが、絶好の好機である事には違いなかった。何とか頼み込めば、茶に付き合う位は引き受けてくれるだろうし、どうせこの後は暇なのだから、遅れた仕事を手伝ったって構わない。

 

 周りを絶世の美少女達に囲まれていながら一人きりでイヴを過ごす事に比べたら、それ位の労働など如何程のこともない―――。一刀がそう考えて、潮に流される様に道を進んでいく後ろ姿に何度も呼び掛けながら、その後を追う事、数分。

 一刀が少女の手を握り、後ろから軽く引き止めるのと、少女がとうとう立ち止まり、くるりと振り返ったのとは、ほぼ同時であった。

 

「酷いじゃないか、朱里。さっきから何度も呼んでるの……に……って、あれ?」

 一刀は、振り向いた少女の不安そうな顔を見て、呆然とその場に立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

「いや、本当に申し訳ない……」

 一刀は、心彩茶房のテラス席で、向い側に座る明るい茶色の髪の少女に頭を下げていた。

「いえ、もう良いんです、本当に……」

「いや、しかし……人違いで突然、見ず知らずの若い女性の手を握って怖い思いをさせてしまうとは、一生の不覚……」

 

「いえいえ!そのお詫びに、こんなお洒落なお店に連れて来て頂いたんですし!それに、朱里ちゃんと雛里ちゃんが真名を預けるほど親しいお知り合いなら、まんざら見ず知らずの方と言う訳でもないですから」

 少女はそう言って困った様に笑うと、手振りで一刀に頭を上げる様に促した。一刀は、これ以上は少女が恐縮してしまうだろうと思った事もあり、素直に頭を上げると、ボリボリと頭を掻きながら改めて口を開いた。

 

「本当にごめんね……しかし、驚いたなぁ。『間違った!』と思って固まっちゃった瞬間、『孔明ちゃんのお知り合いですか?』だもん」

「私も驚きました。まさか、こんなに広い街で、朱里ちゃんや雛里ちゃんが真名を預ける程の男性に偶然お会いするなんて……」

 

 少女は、柔らかくウェーブのかかったボブカットの髪を揺らして小首を傾げ、恥ずかしそうに笑った。その穏やかそうな垂れ目がちの愛らしい瞳の奥には、じっと見ていると吸い込まれそうな深い知性の光が宿っている様に思える。

「あのさ……その服を着てるって事は、水鏡学院の卒業生さんなんだよね?」

 

 一刀が、朱里や雛里にどこか似ている少女の瞳の光に少々戸惑いながら、朱里と良く似た(と言うかほぼ同じ装束)を見ながらそう尋ねた。違う所と言えば、朱里達のスカートの部分が、近代軍隊の騎兵のような、ズボンと長靴になっている事位である。

「はい!同期なんですよ!私は、母が病を養っていたもので、仕官はせずに故郷で母の身の回りの世話をしていたんですけど、二人の活躍は耳に届いていました。赤壁の決戦の時のお話なんて、聞いた時には自分の事みたいに舞い上がっちゃって!」

 

 

「そうかぁ。それを聞いたら、朱里や雛里も喜ぶよ―――あ!そう言えば、君の名前を聞くの、すっかり忘れてた。良かったら、教えてもらえるかい?俺は、えぇと―――そうだな……“遊び人の(きた)さん”で、通ってるんだけど」

 一刀が、頬を赤くして嬉しそうに話す少女の様子に思わず微笑みながらそう言うと、少女は驚いた様な顔で目を見開いた。

 

「すみません!私ったら、自己紹介もせずに!私は性は徐、名は庶、字は元直と申します。以後、お見知りおき下さい!」

「徐庶元直って……あの、お菓子作りの得意な元直ちゃん!?」

 一刀が、思わず大声を上げると、徐庶と名乗った少女は、照れ臭そうに頷いた。

 

「はい……。でも、朱里ちゃんと雛里ちゃん、北さんにそんな事まで話してるんですね。恥ずかしいなぁ……」

「いやいや、恥ずかしがる事なんてないだろ。あの料理上手の朱里と雛里が、『到底敵わない』って褒める位なんだから。しっかし、偶然てのは怖いなぁ。たまたま間違って声掛けたのが、まさか噂に聞こえる徐庶元直その人とはねぇ……」

 

「そ……そんな、噂に聞こえるだなんて……で、でも、北さんて、遊び人さんなんですよね?どうして遊び人さんが、朱里ちゃんや雛里ちゃんと、真名を呼び合える様な知り合いに……?」

「え!?それは……その……ほ、ほら!政関係ともなると、大っぴらに人に言えない役職もあるだろ?だから何て言うか……便宜上の……偽名?」

「いや、偽名?って、私に尋ねられましても……」

 

「まぁ、そりゃそうだよね~!そう、偽名なんだよ、うん!」

「はぁ、そうなんですか……名前を明かせない様な危険なお仕事に関わるなんて、凄いんですねぇ、北さんも朱里ちゃん達も……」

「あはは、そんな事ないさ~(ヤバいヤバい……意外と聞き流してくれてるのかと思ったら、しっかりツッコんでくるとは。流石は臥龍鳳雛をして王佐の才と言わしめる事はあるな……)」

 

 一刀は、嘘を危うく突き崩されそうになって冷や汗を掻きながら、どうにか話題を変えようと思考を巡らせた。朱里や雛里の友人であればこそ、徐庶に対しては、共通の友人を持つ者として、自然に接したいと思っていたのである。

 だが、もし自分が北郷一刀だと分かれば、目の前で微笑んでくれている少女は、たちまち畏まってしまうに違いなかった。

 

 

「えぇと、元直ちゃんはさ、どうして都に出てきたんだい?お母さんの薬を買いにとか?それなら、良い医者を知ってるから紹介出来るぞ。ちょっと暑苦しいのが玉に疵だけど……」

 一刀が、仕切り直す様にそう言うと、徐庶は、笑顔で小さく首を振った。

「いえ……。母は三月ほど前にすっかり病が快復して、故郷で元気にしております。朱里ちゃんと雛里ちゃんが、御遣い様と劉備様に仕官してからずっと、赴任先で良く効くと言うお薬を見つけては、調合してお手紙と一緒に送ってくれていたので……ですから、今回はそのお礼に来たんです。ちょうど、雛里ちゃんも御遣い様や劉備様と一緒に、都に戻ったと聞いたもので」

 

「あぁ、そうだったんだ……(そんな事してたのか、二人共……)」

 一刀は、相槌を打ちながら内心、溜め息を吐いた。そんな事なら、一言言ってくれていれば、珍しい薬を商う行商を見掛けた時にでも買っておいたのに水臭い、と。

 だがしかしながら、二人が一刀や仲間達のそう言った優しさに遠慮をして、敢えて口に出さずにいた事も、解り過ぎる程に良く解っていた。

 

「そうだ!それなら、俺が城まで送って行くよ!」

 一刀がそう言って手を叩くと、徐庶は驚いて両手をブンブンと振った。

「いえ、そんな!そこまでして頂かなくても!」

「でも、朱里と雛里に約束は取ってるのかい?」

 

「いえ、それはしていません……。何分、都の近くに出来た所要のついでに足を伸ばしたもので……」

 徐庶が遠慮がちにそう言うと、一刀は『そうだろう』と言う様に頷いた。そもそも、徐庶が来る事を朱里や雛里が事前に知っていたら、一刀と引き合わせる話位は出ている筈だったからである。

「この時期は、城に出入りする業者も多いから入るのには時間が掛かるし、そもそも一個人でとなると、もっと手続きが面倒だよ?朱里や雛里が直ぐに対応出来れば良いけど、それも分からないしさ。その点、俺と一緒なら少なくとも城の中には直ぐ入れるし、朱里達の都合が付くまで、城の中を案内するなりして時間も潰せるしさ。な、そうさせてくれよ」

 

「でも、ご迷惑では……」

「そんな事ないさ。今日は、予定がすっかり潰れちまってどうしようかと思ってたところだし、第一、君を一人で放り出したりしたら、後で俺が朱里や雛里にお説教されちまう」

 一刀がおどけた様子でそう言ってウインクを投げると、徐庶は一瞬、考え込んでから、クスっと愛らしく笑って頷いた。

 

 

「では、お言葉に甘えて……」

「よし、そうこなくっちゃ!でもまぁ、差し当っては、ここの茶を楽しむとしようよ―――ちょっと、風通しが良過ぎるけどさ」

 一刀はそう言って、給仕が漸く運んで来たティーポットを目で示した。

 

 

 

 

 

 

「ふん、全く持って気に入らん!」

 魏延こと焔耶は、巨大な金棒“鈍砕骨”を竹竿でも持つかの様に軽々と抱えながら、イライラした様子でそう吐き捨てた。すると、同じく巨大な斬馬刀“斬山刀”を背負って横を歩いていた文醜こと猪々子が、同調してウンウンと頷く。

 

「ホントだよな~。久々の山賊退治だって言うから、殺る気満々で出陣したってのに、あいつら、こっちを見た瞬間に『参りましたぁ~』だもん。このご時勢に山賊なんて、どんな骨のある奴等なのかと思って楽しみにしてたのにさぁ」

「文ちゃん“やる気”の字が違うと思うんだけど……でも、確かに拍子抜けだったね。何だか、返って怪しい位……」

 

 顔良こと斗詩が、猪々子を窘めながら焔耶にそう話を振ると、焔耶は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。

「知らん!そもそも、山賊が怪しいのは当たり前だろう!」

「あはは、そりゃそうだ……って、あれ?」

 猪々子は、焔耶の冗談とも本気とも取れない言葉に笑いながら、ふと足を止めて、視線を遠くに投げた。

 

「どうしたの、文ちゃん?」

「なぁ、斗詩。あれって、アニキじゃね?」

「え?あ、本当だ。一緒にいるのは、朱里ちゃん……じゃ、ないみたいだね。着てる服の意匠はそっくりだけど……誰だろう?文ちゃん、知ってる?」

 

 斗詩が、首を傾げて猪々子にそう問い返すと、猪々子も不思議そうに首を振った。

「んーん、全然知らん。焔耶は?って、焔耶?」

 猪々子が焔耶の居る筈の隣を見ると、そこに焔耶の姿は既になかった。

「あっれ、焔耶の奴、何処に……って、居た!おい、どこ行くんだよ焔耶ぁ!」

 

 

 猪々子が、視線を巡らせて見つけた焔耶は、殆ど走り出す程の速度で、心彩茶房のテラス席へと一直線に向かっているところだった。年の瀬も近い時期でごった返していた大通りの人波は、まるでモーセが起こした奇跡さながら、焔耶の前で左右にぱっくりと割れて行く。

 それを見た斗詩が、恐る恐る猪々子の袖を引いた。

 

「ね、ねぇ―――文ちゃん。“あれ”、止めた方が良いんじゃないかなぁ、絶対……」

「そりゃまぁ、そうだけど……どうやって?アタイ、まだ死にたくないよ?」

「それは……」

 斗詩は、今や全速力で走り出し、あっという間に小さくなって行く焔耶の背中を見ながら、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。彼女も、命は惜しかったのである。

 

 

 

 

 

 

「――――――へぇ!そうなんですか!」

 徐庶が興味深そうに相槌を打つと、一刀は微笑みながら頷いた。

「そうそう。それで、峡間に敵を誘い込む事になってさ。そしたら、本当に二人の言う通り、一万の敵をやっつける事が出来たんだよ。あの時は、軍師ってのは本当に凄いんだな~って、心底、感心したなぁ。特にほら、二人は見た目が……何ていうか……可愛らし過ぎて、イマイチ“軍師”って感じがしなかったから……」

 

 徐庶は一刀の言葉に頷いて、懐かしそうに目を細めた。

「分かります。朱里ちゃんも雛里ちゃんも、年は私と殆ど変わらないのに、凄く可愛らしくて……。私なんて、何回も『抱き締めちゃいたい~!』って思ってましたもの」

「だろ?特に、あのカミカミは反則だよな~」

 

「はい!顔を真っ赤にして俯いちゃってるのが、また可愛いんですよ……ね……?」

 一刀は、勢い良く頷いて話していた徐庶が、急に言葉を失ってしまったのを訝しげに眺め、その視線を追って振り向いた。

「どうしたの、元直ちゃん……ん?あれは―――焔耶じゃないか。今日は夜まで山賊退治だった筈なのに、どうしたんだろ?おーい、焔耶!どうして今頃こんなとこに―――って、えぇ!!?」

「お~や~か~たぁ~!!この……不埒者ぉぉぉぉぉぉ!!!!」

「はぁ!?いやお前、ちょっと待っ……ぎゃぁぁぁぁぁ!!?」

 

 

 次の瞬間、凄まじい轟音と共に、一刀は座っていた椅子ごと、焔耶の豪腕で振り下ろされた鈍砕骨の下敷きになっていた。一刀にとって不運だったのは、焔耶が闘争本能を寸止めされて不機嫌であった事と、討伐任務の直後であった為に、普段は街中で持ち歩く事のない鈍砕骨を焔耶が手にしていた事、そして敢えて言うならば、徐庶が、楚々とした雰囲気を持つ美しい少女であった事であろう。

 

 土煙の収まったその場には、状況を理解できずに呆然と佇む徐庶と、肩で荒い息をする焔耶のみが残されていた―――。

「全く、貴様と言うヤツは……」

 焔耶は、一刀ごと地面にめり込んだ鈍砕骨を事も無げに引き抜くと、しゃがみ込んで、やおらクレーターの中に手を突っ込んだ。

 

「ワタシが寒い中、山賊退治の為に州境の荒野くんだりまで遠征して来たと言う時に、新しい女に粉掛けるのに大忙しとは、随分と良い御身分じゃないか……」

そう静かに呟く様に言ってゆらりと起き上がった焔耶の手には、土に()みれ、ものの見事に絶賛昇天中の一刀が、猫の如くぶら下がっていた。

 

「その軟弱な根性、ワタシが叩き直してやる!」

 焔耶は、吐き捨てるようにそう言うと、徐庶に全身が粟立つ様な壮絶な流し目をくれて「御免!!」と言い放ち、一刀を片手に引き摺ったまま、猛烈な勢いで大通りを歩いて行ってしまった。

「うわぁ……流石に死んだんじゃねぇの?アニキ……」

 

 余りの急展開に茫然自失していた徐庶の後ろで、物騒な事を事も無げに言う快活な声が聴こえた。

「あの……どちら様でしょうか……?」

 徐庶が、石の様になってしまった身体をどうにかこうにか動かして、派手な金色の鎧を着たショートカットの少女にそう尋ねると、一歩下がった所に居たボブカットの少女が、代わって答えた。

 

「この娘は文醜。私は顔良って言います。あの、突然男の人を連れて行ったのは魏延さん……驚かせて、本当にごめんなさい。ところで、あの……あなたのお名前は?どうして、あの人と一緒にいたんですか?」

 斗詩が申し訳なさそうにそう言うと、徐庶は、「はぁ」と気の抜けた様な返事をした後、我に返って、二人に自己紹介を始めた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お……お館……?その、昨日はゆっくり眠れたか?」

 焔耶は、ムッツリとした顔で黙々と遅い朝食を頬張る一刀に、恐る恐るそう尋ねた。一刀は、所々腫れたり擦り切れたりしている顔を動かす事なく、視線だけをちらりと焔耶向け、咀嚼していた物を飲み下した。

 

「えぇ、そりゃあもう良く眠れましたとも。何せ、夜中まで吹っ曝しの城壁に簀巻(すま)きにされて吊るされてましたからね。いやぁ、実にいい眺めだったなぁ」

「で、ですよね~。アハハハ(しまった、ヤブヘビだったか)……」

 

 焔耶は、顔に乾いた笑みを張り付かせたまま乾いた笑い声を出すと、ズリズリと交代して後ろ手に部屋の戸を開け、蚊の鳴くような声で「失礼しました~」と呟き、部屋を出てそっと戸を閉めた。

「はぁぁ……怒ってる……確実に怒ってる……」

 部屋の外の廊下で焔耶がガックリと膝つ着いてそう言うと、その様子を見た劉備こと桃香が、『やれやれ』という顔で溜め息を吐いた。

 

「当たり前だよぉ、焔耶ちゃん……。いくらご主人様でも、無実の罪で半日以上、簀巻きにされて城壁に吊るされたりしたら、流石に怒るって……」

「桃香様の仰る通りだ。全く……今回ばかりは、流石の儂も呆れてて物も言えんわ……」

 桃香の横で腕を組んだ厳顔こと桔梗も、深々と遣る瀬無さそうに溜め息を吐いて、項垂れる腹心の部下を見下ろしている。

 

 昨日、一刀を城まで引き摺ってきた焔耶は、電光石火の早業で一刀を筵と布団で巻き上げて、城の裏手の城壁に(ご丁寧にも頭に血が昇らない様に横向きにして)荒縄で吊り下げ、放置していたのである。結果、猪々子と斗詩の案内で城にやって来た徐庶と、漸く夜中に仕事が終わって再会出来た朱里と雛里が昼間の話を聞き、嫌な予感を感じて一刀の身柄を探させるに至るまで、一刀は極寒の城壁の上で、蓑虫よろしく風に吹かれてゆらゆらと揺れていたのであった。

 

 

 因みに猪々子と斗詩は、帰還直後に袁紹こと麗羽に呼び出された事に加え、下手に関わってとばっちりを受けたくないと言う心情も手伝って焔耶の行為に黙認を決め込み、他の諸将も多忙であったので、誰一人として一刀を発見する事はなかったのである。

 

「いや、でもですね……臣下が疲れて出先から戻って来たと言うのに、知らない娘とイチャイチャしていたお館だっって……」

 焔耶が、涙目になって言い訳をすると、桔梗が「やかましい!」と、それを一喝した。

「お館様が自分の休日に何処で何をしていようと、お館様のご自由であろうが!そもそも、魏や呉の連中ならばまだしも、お館様の録を()んでおるお前が、仕事で疲れていたからなどと言う理由で、当のお館様にあのような仕打ちをして良い訳があるまい!」

 

「それは……その……」

 桔梗は、口篭る焔耶に止めを刺す様に、更に勢い良く捲し立てる。

「第一、お館様は街で偶然出会った朱里と雛里の旧友をもてなしておられただけだったのだし、今お前が罰も受けずにこうして居られるのも、お館様のお慈悲あったればこそ。本来ならば、己が君主にあのような事をすれば、胴から切り離された首が城の外に晒されていても文句は言えんのだぞ!それを……」

 

「まぁまぁ、桔梗さん。もうそれ位にしてあげて?焔耶ちゃんも、口ではああ言ってるけど、本当は凄く反省してるんだから。だから、ご主人様に謝ろうと思って、こうしてるんだもんね?」

 桔梗の言葉に縮こまっる焔耶を見かねた桃香が、桔梗と焔耶の間に割って入り、桔梗を宥めながら焔耶にそう問いかけると、焔耶は力なくコクンと頷いた。

 

「しかしですな、桃香様―――はぁ……分かりました。もう止しまする。しかし、此奴の後見人としては、一時、役を剥いで暫く謹慎させる位の事はすべきと、意見具申させて頂きたいですな」

 桃香は、桔梗の溜め息混じりの言葉に、考え込むみながら頷いた。

「それはまぁ、桔梗さんの言う事も最もだけど……。正直、今の時期に焔耶ちゃんの役職が丸々空いちゃうって言うのはちょっと……それに、ご主人様が何も言わない以上、私達が勝手に焔耶ちゃんを処断したりしちゃったら、きっと後でご主人様が……」

 

「お気に病むでしょうなぁ、間違いなく……」

 桔梗は、尻すぼみになった桃香の言葉に頷いて、ポリポリと指で頭を掻き、今や情けない顔で廊下に星座している焔耶を見遣って、もう一度、盛大に溜め息を吐いた―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば真桜ちゃん。昨日の事、聞いた~?」

 于禁こと沙和は、都の大通りにある小料理屋の二階にある個室の窓から下を見下ろしたまま、順番で食事を摂っている真桜に問い掛けた。

「あぁ、アレやろ、焔耶はんが、心彩茶房で隊長が朱里と雛里の友達と話してたのを見て鈍砕骨でブッ叩いた上に、城の城壁に簀巻きにして吊したっちゅう……」

 

 真桜が、湯気の上がる湯麺を啜りながら答えると、沙和は視線を外さずに頷いた。

「そう、それそれ~。焔耶ちゃん、『イライラしてやった、後悔はしていない』って、桔梗さんに言ったらしいよ~。凄い度胸あるよね~」

「せやかて、結局は誤解やった訳やろ?流石に謝ったんちゃうんか?」

 

「それがね~。今朝、たまたま会った桃香さんに聞いたんだけど、隊長モノ凄く機嫌悪くて、焔耶ちゃんどころか、桃香さん達も近づくのがおっかない位なんだって!沙和、そんなに怒った隊長なんて見たことないから、ちょっと信じられないの~」

 沙和が、頬杖を付きながらそう言うと、真桜は残ったスープを一気に飲み干して、満足気に手の甲で口を拭って言った。

 

「いや、いくら隊長かて、無実の罪でそんなんされたら流石にキレるて。たまたま風呂の日で、直ぐに風呂にブチ込んで朱里と雛里の調合した薬飲んだから軽い風邪で済んだらしいけど、普通やったら、あんなゴツい金棒でぶん殴られた時点で死んどるがな―――よっしゃ、食べ終わったで、沙和!交代や」

 

「は~待ってたの~!沙和、もうお腹減り過ぎて死んじゃいそうだよ~」

 沙和は、今迄自分が座っていた椅子を真桜に譲ると、部屋の扉を開け、通りかかった女給に、最近流行りの味噌拉麺を注文して、真桜が座っていた席に着いた。

「それは兎も角さぁ、もう、ここで張り込んで一週間だよ?ホントに、向いの店が“血煙の李凱”の目標なのかなぁ?」

 

 

「明命が仕入れて来てくれた情報やで?あそこの店の女中が“引き込み”なんも裏は取ってあるし、間違いあらへん。アイツ等、年の瀬の払いで店の金蔵がパンパンに膨らむのを待っとるんやろ」

 真桜はそう言って、向いの通りにある乾物問屋の店先に神経を集中させた。今、二人は、ただ昼食を摂っているのではない。

 

 商家に押し込み、その店の店主家族から使用人に至るまでもを皆殺しにして金品を強奪すると言う兇賊、通称“血煙の李凱”の探索の真っ最中なのである。そもそも盗賊は、寝苦しくて家人が起き出し易い夏よりも、寒く、布団から出たがらない冬を狙って行動を起こすものなのである。

 また、夏には地面が柔らかく、逃走経路が判別され易いの対し、冬の地面は固く乾燥している為、足跡が残りにくいと言う利点もある。

 

 それに加えて、取引先からの支払いを一気に回収する年の瀬は、盗賊達に取っても“掻き入れ時”であり、警備隊の隊員達に取っては、一番、神経を使う時期でもあった。真桜と沙和は、明命が“さる筋”から仕入れて来た情報を元に、今見張っている乾物問屋に、押し込みの際に内側から鍵を開けて盗賊達を引き入れる“引き込み”が潜入しているのを知り、その線を探って、血煙の李凱に行き着いたのである。

 

「凪が明命と“盗人宿(盗賊達が使用するアジト)”を見つけてくれたし、後は時間の問題やろ……ここまで来てスカやなんて、ありえへんわ」

 真桜が、何時もは陽気に笑っている目に鋭い光を宿しながらそう言うと、沙和が首を傾げて唸る。

「う~ん、それはそうなんだけど~。でも昨日、焔耶ちゃん達が捕まえた山賊の中に、血煙一味として手配されてた奴らが沢山いたんでしょ?もしかしたら、手勢が揃わなくて逃げちゃうかも……」

 

「せやかて、隊長からも稟からも、引き揚げろっちゅう指示は来てへんしな。そら、沙和の言う通り、何にも無いならそれに越したこたぁあらへんけど、もし“血煙”が動いたら、あそこの店のモンは全員殺されてまうねんで?」

 

「うん。それは分かってるの~。でも、こう何の動きもないと、どうしてもそんな事考えちゃうの~」

 沙和が、頬を膨らませて椅子に深く身を沈めると、真桜も同意して頷いた。

「せやなぁ。でも、隊長は兎も角、あの稟が“見張り続行”や言うてんねんから、きっと動きがあるやろ」

「そう……だね~」

 

 沙和が真桜の言葉に曖昧に頷くのと同時に、扉の外から声が掛かり、女給によって、沙和の注文した味噌拉麺が運ばれて来た。沙和は、女給が去るのを確認してから、勢い良く箸を掴み、パン、と手を合わせた。

「何はともあれ、お腹が空いてたら力が出ないの!いっただき~す!なの!」

 

 

「ウチも人の事はとやかく言えんけど、沙和も大概現金やなぁ」

 真桜は、美味しそうに麺を啜る沙和の顔をチラりと見てから微苦笑を漏らすと、再び真剣な目付きに戻って、窓の外を眺めた。クリスマスの日は、その存在を知らない人々の上を、足早に西にへ向かって動き出していた。

 

 

 

 

 

 

「おや、焔耶ではありませんか。何をしているのです、こんな所で?」

 小脇に分厚い竹簡の束を持った郭嘉こと稟は、一刀の執務室の前で、ウロウロと熊の様に歩き回る焔耶を見付け、訝しげな視線を送りつつ声を掛けた。

「え?り、稟!?あ、いや、これはだな!ワタシは別に、お館に謝りたいんだけどどうしていいか分からないから取り敢えず部屋の前を彷徨いていたとか言う訳ではなくてだな!!」

 

「やれやれ……全部言っているではありませんか……。それから、キチンと句読点を入れて下さい。聞き取りづらくて仕方ない……兎に角、そこを通して頂きますか?私は、一刀殿に用があるのですが……」

「お、おう。別にワタシは、通せんぼをしている訳ではないからな……」 

 稟が、微苦笑と共に眼鏡のフレームをくいと押し上げながらそう言うと、焔耶は、怒られた子犬の様に大人しく道を開けた。

 

「ありがとうございます。それから、これは老婆心からの忠告ですが、謝るのなら早い方が良いですよ。謝罪と言うものは、時が経つ程やりにくくなるものですし、あなたがこの忙しい時期にこんな所で惚けていては、仕事が溜まって更に一刀殿や他の皆の負担になるのですから」

「わ、分かっている!!」

 

 焔耶は、稟の言葉に頬を赤くしてそう言い放つと、頭から湯気を出さん程の剣幕で、ズンズンと廊下を進んで行ってしまった。一人残された稟は、苦笑いで肩を竦めてから、一刀の執務室の扉を叩いた。

「おう、開いてるぞ」

「お邪魔します。一刀殿」

 

「稟か。どうやら、焔耶を追っ払ってくれたみたいだな?」

 一刀が、机から顔を上げて、後ろ手に扉を閉めた稟にそう言うと、稟は悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

 

 

「酷い言い様ですね、一刀殿。焔耶はあれで、あなたに機嫌を直してもらおうと必死だと言うのに……」

「分かってるよ。だが、朝から部屋の前をドスドスドスドス歩き回られたんじゃ、仕事が手に付きやしなくてな。流石に辟易していた所だったんだ」

 一刀は、苦笑いを浮かべて椅子から立ち上がり、備え付けの茶器が置いてある卓へ行って、手伝おうとする稟を身振りで制し、二人分の茶の用意を始める。

 

「では、直接言えば良いではないですか」

 一刀から椅子を勧められた稟が、簡素だが質の良い来客用の長椅子に腰を下ろしながらそう言うと、一刀は茶菓子を取り出しながら面白そうに笑った。

「おいおい、天下の郭奉孝の言葉とも思えないな。俺が今の焔耶に直接、『五月蝿いからどっか行け』なんて言ったら、どうなると思う?」

 

「そうではなくて……彼女が謝りやすい様に、もっとこう……歩み寄ってあげるとか……」

「それは、断る」

「何故です?」

 稟は、一刀の思いがけない明確な拒絶に、出された茶碗を持ちながら眉を(しか)めた。

 

「だってぇ、何時もの凛々しい焔耶も良いけど、ああやってオドオドしてる焔耶もまた可愛いじゃん?もうちょっと見ていたいから、向こうが謝ってくるまでは現状維持で良いかな~なんて―――ん?稟?何でズッコケてるんだ?」

 一刀が、盛大に頬を緩ませながらクネクネと身体を動かして、焔耶の怒られた子犬の様な表情を思い浮かべて身悶えしながら卓の下の稟に不思議そうに尋ねると、稟は手で卓の縁を掴み、ヨロヨロと立ち上がって言った。

 

「い、いえ……どうかお気になさらず……のっぴきならない事になっているのかと、本気で心配していた私が馬鹿でした……」

「ははは、そりゃ悪かった。でもまぁ、こんな生活してて何時までもあの程度の事を根に持ってたんじゃ、堪忍袋が幾らあっても足りないだろ?それに、桔梗がこってり絞ってくれたみたいだから、俺としては意趣返しする程の事はないし。まぁ、皮肉の一つ位は言ってやったけどさ」

 

 一刀はそう言うと、からからと笑って自分の湯呑に口を付け、旨そうに茶を啜った。

「しかし、今朝は随分と一刀殿の機嫌が悪かったと聞いていますよ?」

「そりゃ、風邪っぴきの朝に機嫌が良いヤツなんて、そうそう居ないだろ。人間、後ろめたい事があると、ある事無い事、色々と邪推するもんだよ」

 

 

「全く、困った御仁ですね……あ、美味しい」

 稟は、苦笑いをしながら茶請けの菓子を一つ取り、口に入れて目を見開いた。

「そうか。それ、さっき桔梗が差し入れてくれた物なんだ。焔耶のやった事、随分気にしてたみたいでね。いいって言ったんだけど、どうしてもって聞いてくれなくてさ。凄い箱に入ってたから、きっと上等な物なんだろうとは思ってたんだけど」

 

「そうでしたか……桔梗殿も、豪放磊落に見えて、細やかな気遣いをなさるのですね」

 稟が意外そうな顔でそう言うと、一刀も菓子を手に取って微笑んだ。

「そりゃそうさ。ああ見て桔梗は、軍人になると決める前までは名家のお嬢様だった訳だし。そこらへんの気遣いってのは、それこそ身に染みてるんだろうな……何より、焔耶は娘同然だしさ。まぁ、さっき稟に言ったのと同じ事言ったら、腹を抱えて笑ってたけど」

 

「ふふっ、そう言う所は、やはり武人であられるのですね」

 一刀のおどけた口調に稟が思わず吹き出すと、一刀は大きく頷いてから、表情を引き締めて口を開いた。

「それで……どんな用向きで来んだ、稟?」

「そうでした……一刀殿、これを見て下さい」

 

 稟はそう言って、茶碗や菓子入れを卓の脇によけると、自分の横に置いていた竹簡を卓の上に置いて、几帳面な手付きで広げた。

「これは……昨日、焔耶達が捕らえたって言う、山賊達の名簿か」

 一刀が、竹簡の表面に指を滑らせながらそう呟くと、稟は同意するように頷いて、自分も名簿を覗き込んだ。

 

「そうです。その数、五十三名―――その内の二十人が、“血煙の李凱”の手下(てか)の者として、指名手配されていた犯罪者でした」

 稟はそう言って、竹簡の結びを解くと、該当する人物達の名前が書いてある板を、一枚ずつ取り外していった。

 

「しかし―――妙なのです」

「妙?何がだ?」

「はい、これだけの人数が捕縛されているのにも関わらず、一味を束ねる主要な人物は、誰一人として捕まっていないのです」

「唯の一人も……か?」

 

 

 稟は、一刀の念押しに眼鏡のフレームを持ち上げながら、迷いなく頷いた。

「はい、間違いありません。前回“血煙”が押し込みを働いた時も、持ち回りの軍師は私でした。それ以降、密偵や間者を使って、徹底的に一味の主要な面子を調べ上げて来たのですから……」

 稟は、ギリと歯を軋ませながら、悔しそうに言った。

 

 稟の言う“持ち回り”とは、一刀直轄の警備隊を補佐する制度の事で、巨大な組織となった警備隊を一刀一人で指揮し続ける事は負担が大き過ぎるとして、三国の軍師が周期的にローテーションを組み、一刀を助ける為のものであり、今や、大きな戦の無くなった事で出番が少なくなった軍師達の、恰好の実践の場にもなっていた。

 

「そうか……となると、蜥蜴の尻尾切りか、或いは―――」

「そう見せかけた陽動か、でしょうね……」

 一刀は、自分の言葉を継いで瞳を輝かせる稟を見返した。

「やっぱり稟もそう思うか?」

 

「えぇ。今回の山賊共にしても、元は農家の不良息子達が集まって暴れるだけの存在だったのが、血煙の一党を加える様になってから凶暴化したものです。李凱が、わざと下っ端を送り込んで不良息子達を暴れさせ、敢えて我々に捕まえさせる事で油断を煽ろうとしているのであれば……」

 淀みなく出てくる稟の言葉に一刀は深く頷いた。

 

「成程。火煙は、俺達が自分の次の仕事を、既に嗅ぎ付けている事に気付いていない―――血煙の手下を二十人も捕縛すれば、俺達は、血煙一味は暫くの間、再起不能だと思い込み、探索の手を緩めるだろうと踏んで、その隙に信頼の置ける腹心の手下だけを使い、仕事をしようって訳か」

「はい。その可能性が高いでしょうね。でなければ、自分の“仕事”が山場を迎えるこの時期に、態々(わざわざ)手下を大量に、(にわ)か山賊に参加させるなどと言う危険を犯す理由がありません。実際、今回の件の探索に直接関わりのない者たちの間には、既に『血煙は当分動けないだろう』との噂が出始めていますし」

 

 一刀は深い溜め息を吐くと、稟に断って煙草を取り出し、窓を開けてから火を点けた。吐き出された紫煙は、冬の風にさらわれて瞬く間に掻き消えていく。一刀はそれを眺めながらもう一度、遣る瀬無い溜め息を紫煙と共に吐き出した。

「自分の手下までそんな風に扱うって、正真正銘の外道だな、そいつは……」

 

「そんな事、分り切っていた事ですよ、一刀殿。そもそも、“血煙”は既に、判明しているだけで百余名もの無辜(むこ)の民を、残忍な手段で殺めているのですから」

「あぁ、分かってるよ、稟。―――手下達が捕まった事は、もう“血煙”の耳にも届いてるだろう。となると……」

 

 

「一両日に動く可能性が大、ですね」

 一刀は打てば響く様な稟の答えに頷くと、煙草を揉み消して立ち上がった。

「よし、盗人宿と目標を見張っている三羽烏と明命に、警戒と連絡を密にする様に伝えてくれ。通常任務をこなしている兵達は動かせないから、非番の兵に召集を掛け、今日から昼夜に交代で屯所に詰める様に指示を!―――って所でどうかな?」

 

 一刀が、確認の意味を込めて最後に稟にそう尋ねると、稟は僅かに微笑んだ後に姿勢を正し、右手の人差し指を振って溜め息を吐いた。

「中々のお手前ですよ、一刀殿。でも、最後は減点ですね。指揮官たるもの、内心はどうであろうと、一度口に出した命令には絶対の自信を持って頂かねば」

 

「むぅ、手厳しいなぁ。俺みたいな凡人は、華琳達みたいに何時も威風堂々って訳には、中々いかないんだって……」

「何を言うのです。一刀殿は、何百年も続く武門の家柄の長子なのでしょう?やろうと思えば、もう少し位はサマになりますよ」

 

 稟は、長椅子から立ち上がりながらそう言って、ボリボリと頭を掻いている一刀に悪戯っぽく笑い掛けた。

「そりゃ確かに、じいさんの話じゃ、軍だの戦争だのに全然関わってないのは、俺と俺の親くらいじゃないかって言ってたけどさぁ……」

 

「なら、ご先祖様を見習う事ですね。血と言うのは、意外と頼りになるものですよ。桃香殿や孫家の面々が良い例です。では……」

 稟がそう言って会釈をすると、一刀は表情を引き締めて頷き返した。

「あぁ―――頼むぞ、稟。血の雨が降るクリスマスなんて、御免被るからな」

 

「くり……何ですって?」

 背を向けて歩きかけた稟が振り向いてそう尋ねると、既に執務机に戻っていた一刀は、右手をヒラヒラと振って答えた。

「気にするな、戯言ってやつさ……ただの感傷だよ」

 

 稟は、暫く訝しげな表情で一刀を見ていたが、やがて小さく首を振って、執務室の扉を開けて出て行った。一刀は、それを確認すると、煙草を取り出して火を点ける。

「そう、ただの感傷だよ……」

 

 

 一刀は、吐き出した紫煙の中に自分の言葉が実体を持って潜んでいるのではないかとでも言う様に、暫くの間、漂う紫煙をじっと眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 稟は、執務室を出ると直ぐに、廊下の隅々まで視線を走らせた。すると、直ぐに目的のものを見付け、スタスタと近づいて行く。

「おや……まだ居たのですか、焔耶?」

 稟は、目的の人物の前を通り過ぎようとする振りをして、さも意外なものを見た様な表情でそう言った。

 

「う、五月蝿い!居て悪いか!」

「いえ、私は別に、あなたが後で仕事の山に埋もれる事を気にしていないと言うのであれば、悪いとは言いませんよ?」

 稟は、泣きたいのか怒りたいたいのかよく分からない表情の焔耶を横目で見遣りながら溜め息を吐いた。

 

「では、私はこれで失礼します。火急の案件が出来たもので……あぁ、そうだ」

 稟はそう言ってから再び歩き出そうとして足を止め、焔耶の方を振り返った。

「これは独り言なのですが……今夜から一刀殿は、兇賊捕縛の為に警備隊の屯所に詰める事になりました。その捕物に協力して手柄を立てれば(ある)いは……一刀殿も怒りを鎮めて下さるかも知れませんね?」

 

 稟は、やけに大きな独り言を言うと(最も、彼女の独り言が大きいのは何時もの事ではあったが)、ポカンと口を開けている焔耶に流し目をくれ、微笑みながら歩き去って行った。残された焔耶は、顎に手を当てて暫く考え込んでいたかと思うと、気の進まぬ様な足取りで、中庭へと歩き出した―――。

 

 

 

 

 

 

「あれ、焔耶じゃん。こんなトコで何してんのさ?」

 考え込みながら俯き気味に歩く焔耶をそう言って呼び止めたのは、彼女の宿敵を自称する馬岱こと蒲公英であった。

「あぁ、お前か……」

 焔耶は生返事を一つすると、気のない視線で蒲公英を見た。手に愛槍の“影閃”を握っている事から察するに、どうやら訓練の最中であったらしい。

 

 

「『あぁ、お前か』じゃないよ。失っ礼しちゃうなぁ!脳筋だから、挨拶の仕方も知らないワケ?」

 焔耶は、いかにも『喧嘩を売っています』と言わんばかりの蒲公英の挑発に、一瞬ピクリと眉を動かしたものの、直ぐにまた深い溜め息を吐いて項垂れてしまった。あわ良くば、焔耶を煽って訓練の相手をさせようと考えていた蒲公英は、肩透かしを食らって四肢に込めていた力を抜いた。

 

「あんた、一体どうしたの?まさか、まだご主人様に許してもらってないとか?」

「うっ、そ、それは……」

 焔耶が言い淀むと、今度は蒲公英が溜め息を吐いて、呆れた様に焔耶を見た。

「あんたねぇ、それじゃ、『はい、その通りです』って言ってるようなモンじゃん。で、何でこんな所を熊見たいにウロウロしてんの?ご主人様の執務室はあっちだよ?て言うか、あんた今、あっちから来たよね?」

 

 蒲公英が、影閃の穂先で一刀の執務室がある方向を指し示しながらそう言うと、焔耶はコクンと頷いて、それきり押し黙ってしまった。蒲公英は、暫くその沈黙に耐えて焔耶を見つめていたが、やがて頭を掻いて大声を上げた。

「あ~もう!調子狂うなぁ!!何があったのか、たんぽぽに話してみなよ!」

 

「はぁ?どうしてだ?ワタシを笑い者にする為か?」

「違うっての!あんたがそのまんまじゃ、たんぽぽの調子が狂うから、知恵を貸してあげるって言ってんの!どうして分かんないのよ、この脳筋!」

 蒲公英は、そう言って影閃の石突をドンと地面に打ち付けると仁王立ちになり、決闘でも挑むかの様な目付きで焔耶を睨み付けた―――。

 

「ふーん。つまり、今度の捕物の手伝って、手柄を立ててご主人様に許してもらいたいけど、失敗してもっと怒られるのが怖い―――と」

 蒲公英は、焔耶から聞き出した話の要点を簡潔に纏め上げると、不安げな顔で自分を見つめる焔耶の顔を見て、再びしみじみと溜め息を吐いた。

 

「な、何だその反応は!?やはり貴様、ワタシを馬鹿にする気なのだな!?」

 焔耶が気色ばんでそう怒鳴ると、蒲公英はその怒気を柳に風と受け流して肩を竦めた。

「もうとっくの昔から馬鹿にしてるから、今更そんな事しないよ。呆れてんの」

「な……!」

 

 

「あのねぇ、焔耶。あんた脳筋なんだから、そんな事心配したってしょうがないじゃん。それこそ、稟みたいな奇策とかを考え付ける訳じゃなし」

「そ、それはそうかも知れないが……」

 蒲公英は、俯く焔耶に更に言い募った。

 

「あのさ、あんたが得意な事って、何よ?」

「ワタシの、得意な事……?」

 焔耶が顔を上げてオウム返しにそう言うと、蒲公英は大きく頷いた。

「そう、あんたの得意な事。自分で分かんないんなら、たんぽぽが教えて上げようか?あんたの得意な事はね、その馬鹿力で、考えなしに突っ込んで行く事じゃないの?前に、五胡からご主人様を助けた時みたいにさ?」

 

「あ……」

 焔耶が、蒲公英の言葉に弾かれた様に顔を上げると、蒲公英は我が意を得たりと頷いた。

「やっと分かったワケ?“馬鹿の考え休むに似たり”ってね。馬鹿は馬鹿らしく、考えなしに突っ込めば、それでいいんだよ」

 

「しかし……ワタシが出しゃばって、もし賊を取り逃がしでもしたら、今度は市民に被害出る事になるかも知れないし……」

「はぁ……。ホント、馬鹿が考え込む事ほど厄介なものはないんだから……。分かったよ。あんた、ご主人様達が目星を付けてる賊の目標、知ってんの?」

 

 蒲公英は、影閃に穂鞘を取り付けながら焔耶にそう聞いた。すると焔耶は、緩々と首を振って「いや……」と答えた。

「はぁ……そんな事だろうと思ってたよ。あんた、ちょっと部屋で待ってなさいよ」

「部屋?ワタシのか?」

 

「当たり前でしょ!」

「どうしてだ?」

「たんぽぽが、情報集めて作戦立ててやるって言ってるの!」 

 蒲公英は惚けた様な焔耶の顔を一瞥すると、背中を向けてそう言い放ち、焔耶をその場に残して、旋風の様に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「寒いな……」

 焔耶は、今にも雪が降り出しそうなどんよりとした夜空を見上げてぼそりとそう呟き、着込んできたファー付きの黒い外套の裾を、両手で掻き合わせた。焔耶が今居る場所は、警備隊屯所の正門が見える路地裏であった。一刀が屯所に入ったのを確認した焔耶は、蒲公英に授けられた策を実行に移す為に、一刀率いる警備隊が、盗賊の捕縛に出動するのを見張っていたのである。

 

「い~い?相手が凶暴な奴らだって事を考えると、十中八九、ご主人様たちは完全包囲はしない筈なの」

 何処からか情報を集めて来た蒲公英は、焔耶の部屋で人差し指を立てながら、焔耶にそう切り出した。

「何故なら、そう言う奴らは殆ど必ず、逃げ道を失えば自暴自棄になって死に物狂いで反撃してくるからね。だから、何処かに敢えて“穴”を作って、ワザとある程度の人数を逃がして分断し、その先に別働隊を待機させて捕縛する作戦を取ると思うんだ。だからあんたは、別働隊が潜んでいる筈の地点より手前で賊の前に出て行って、自慢の馬鹿力でブチのめしちゃえば良いって訳。どう、分かった?」

 

「しかし……」

 焔耶は、一度は蒲公英の言葉に頷いたものの、ふと疑問が湧いて、蒲公英に尋ねた。

「お館達の手勢には、三羽烏が居るのだろう?その気になれば、その場で賊全員を討ち取る事だって出来るのではないか?」

 

「あのねぇ、焔耶。警備隊は軍隊じゃない。敵を滅ぼすのが目的じゃなくて、犯罪者を捕まえて法の裁きに掛けるのが目的なの。そりゃ、どうしようもない時は命を奪う事もあるかも知れないど、ご主人様は基本的に、犯罪者は法で裁かれるべきだって思ってる人だから、生け捕りに出来る可能性が高い方法を取る筈。ましてや、今回みたいに十分に準備を整えられる余裕があるなら尚更、ね」

 

 ―――焔耶は、可愛らしいくしゃみを一つして、蒲公英が手に入れてきた情報の中にあった目標地点周辺の地図を、頭の中で再確認していた。確かに蒲公英の言う通り、自分は頭が良い方ではない、と焔耶は思う。

 しかし同時に、師の桔梗から受け継いだ局地的な戦略眼に掛けては、他のどんな将にも遅れは取らないと言う自負もあった。蒲公英と焔耶がまず当たり付けたのは、目標正面から見て右側の路地裏である。

 

 

 何故なら、正面から包囲した場合、慌てて逃げ道を探すであろう盗賊達に、最も“見付けさせてやりやすい”位置であり、出口に相当する場所は、開けた大通りのど真ん中であるから、左右に兵を潜ませていれば簡単かつ確実に包囲が可能であり、兵を広く展開して数の違いを見せつける事で賊の戦意を削ぎ易く、道幅が狭い為、実力のある追っ手ならば、一度に大勢を相手にする必要がなくなる為に追撃も容易で、万が一包囲を破られても、見晴らしが利くので取り逃す可能性も低いからだ。

 

「(第一候補はこことして……)」

 焔耶は、半ば門を見つめながら、頭の中で、立体的な地図を作って警備隊の動きを幾重にも渡って予測し、その度に最適な待ち伏せ地点を仮定して確認していく。優れた野戦指揮官とはそう言うもので、一度目にした地形は精密なジオラマの様に脳内に保存され、いざ必要となれば、何時でも取り出して立体の地図として使う事が出来るものなのである。

 

 焔耶が予測したのは、第三候補まで。一刀と凪の控える事になるだろう正面は除外し、左右の路地と“上”、即ち屋根だ。第二候補の左の裏路地は道幅が広すぎる為、挟撃の利点を最大限には活かせないが、出口となる大通りは同じである為、そちらに逃げ込まれても即時対応が可能だろう。

 問題は第三候補の屋根で、身軽な盗賊の中には、捕物の混乱に乗じて瞬く間に屋根によじ登り、逃走する者も稀にいた。大体は、旅の軽業師崩れか落ちぶれた拳法家などがこれにあたる。

 

 一度屋根に逃がしてしまうと、もう穴蔵が無数にある広大な平原に野兎を逃すのと一緒で、追い込むのは極めて困難になる。しかし、盗賊が動き出すのとほぼ同時に現場に向かう事になる警備隊が、()屋根の上に人員を割くと言うのは不可能だし、目標に潜入している内通者に気取られる恐れもあった。

内通者の捕縛は、探索の手が及んだ事を悟らせない為、直前に素早く行われなければならない。よって、大人数を先行させる事は不可能なのである。

 

 焔耶は、暫く目を閉じて黙考しながら、腰に佩いた朴剣の柄に手をやった。小回りが効かず、重量のある鈍砕骨は、今回は使わないつもりだったからだ。

 握りの具合を確かめると、何度か力を入れて見てから、再び両手を外套の下に滑り込ませ、身体の前で交差させるようにして、脇の下に入れて暖め握っては開きを繰り返した。いざと言う時、手が(かじか)んで言う事を聞かなくなるのを防ぐ為である。

 

 これもまた、桔梗から学んだ実戦の知恵であった。煙の様な雲に隠れた朧月が中天を過ぎてから一刻程が過ぎた頃、月明かりに照らされた淡い銀色の疾風が、薄暗がりから飛び出して正門の前で制止した。盗人宿の見張りを任されていた、楽進こと凪である。

 凪は、辺りに目を配りながら潜り門の扉を叩いた。程なくして、一度細く開けられた扉が大きく開け放たれ、凪を吸い込んで静かに閉まった。

 

 

 焔耶はそれを確認すると、外套の頭巾を目深に被って後退し、音も無く夜の闇へと紛れて姿を消した―――。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、動いたか!ご苦労だったな、凪!」

 一刀は、肩膝を付いて報告を終えた凪の前でポンと膝ろ打ち、立ち上がって待機している隊員達を睥睨(へいげい)した。

「良いか、相手は人の命を何とも思わない兇賊共だ。戦と同じ心構えでかからないと死ぬ事になるぞ!血に染まった人様の金で年を越そうなどと言う不届きな奴らを、決して許すな!何としてでも捕縛して、法の裁きを受けさせるんだ!各員、出陣準備!」

 

 一刀の号令を聞いた隊員達が一斉に「応!」と答えて、粛々と出陣の準備を整え始めると、いつの間にか横に来ていた稟が、静かな声で一刀に話掛けた。

「一刀殿―――ご武運を。牢を空けて、待っていますよ?」

「あぁ、明日の朝には、満員御礼になる様にして見せるさ。それに……そっちももう一手、打ってくれたんだろ?」

 

 一刀が片眉を僅かに吊り上げてそう問うと、稟は小さく笑って、首を振った。

「さて……何の事でしょう?」

「はは、お前ら軍師がそう言う物言いをする時は、大抵、裏で何かした時だからな―――あの後、蒲公英が来たよ」

 

「私は石を放っただけ……その波紋がどう広がったかは知りませんよ。何せ、“彼女”の様な暇人ではありませんのでね。しかしまぁ、事が上首尾に運んだら、優しく褒めて上げれば“彼女”はさぞ喜ぶでしょう」

 一刀は、準備をしている兵たちから視線を外さずにそう言う稟の横顔を、苦笑いと共に見遣った。

「……この食わせ者め……」

 

「軍師には、最高の褒め言葉ですね、それは……」

 稟が一刀の言葉に不敵な笑みを浮かべてそう返すのと同時に、兵達を監督していた凪が一刀の前に進み出て、包拳の礼を取った。

 

 

 

「隊長、準備が整いました。ご命令を!」

「よし、皆!今夜、必ず“血煙の李凱”一味を残らず牢にブチ込んで、良い気持ちで正月を迎えよう!出陣……!!」

 凪の言葉に頷いた一刀が、穏やかとすら言える声でそう呼びかけると、兵士達は静かに、しかし力強い意気を上げ、正門向かって駆け出した。

 

 

 

十一

 

 

 

 闇の中を、獣の群れが駆けていた。人の姿をし、人語を解する数十の獣の群れが。

 その先頭を切るのは、がっちりとした身体付きの、初老の偉丈夫である。男の名は、李凱と言った。人は、彼をその冷酷非道な手口から“血煙”と呼ぶ。

「お頭、上手く行ったみたいですね。街中、静かなもんだ……」

 

 李凱は、自分の後ろを追走する腹心の手下、“布縄の張成”の声に、下卑た笑みを向けて頷く。

「おうよ。そうでなきゃ、態々若けぇのを二十人も人身御供にくれてやった意味がねぇ……だが、そのお蔭で、明日の朝にゃあ都とおさらばして、お大尽で寝正月だ。張成、お前も、今夜は存分に“楽しんで”良いぜ?」

 李凱にそう言われた張成は、口元に残忍な笑みを張り付かせて頷いた。この男は、手拭いをきつく引き絞って作った縄で若い女の首を絞めて殺すのが何より好きと言う、真性の外道であった。だが、“お楽しみ”の機会さえ与えてやれば、忠義を尽くして働く事から、李凱の懐刀として重宝されていたのである。

 

 獣達は、人気のない裏道や路地を巧みに選んで走り抜け、とうとう(くだん)の乾物問屋の前に到着した。李凱が顎をしゃくると、張成が頷いて扉に近づき、独特な拍子を取って戸を叩く。と、僅かに音がして、ゆっくりと扉が開け放たれた。

「ご苦労だったな春梅(しゅんめい)……」

 

 李凱がそう言って扉を潜ろうとすると、李凱を引き入れる筈の女は、素早く戸を潜って外に出るや、仁王立ちになって扉の前に立ちはだかった。虚を突かれた李凱と手下達が立ち竦んだその時、厚い黒雲が風に流され、朧月が僅かに顔を出して、女の美しい銀の髪を照らした。

「残念だったな。お前の“引き込み”は、猿ぐつわを噛まされて夢の中だ……」

 

 

 

「な……貴様!!?」

 李凱が何かを言いかけた刹那、夜の闇に塗れていた大通りに無数の高張提灯が上がり、瞬く間に獣達をぐるりと取り囲んだ。

「警備隊総取締、北郷一刀だ!血煙の李凱、神妙に縛に着け!」

 

 一刀が“なえし棒”(小太刀程の長さの鉄製の警棒)の先を突き付けてそう叫ぶと、李凱を先駆けに抜刀した一味が、大声を上げながら周囲の隊員たちに殺到した。一刀が、向かってきた男の手に握られた短刀を、なえし棒で手首を強かに打ち据えて叩き落すと、素早く駆け付けた凪が、手首を抑えて悶絶する男の鳩尾に強烈なボディブローを叩き込んで黙らせる。

 

「隊長、ご無事ですか!?」

 凪が、続いて突っ込んで来た、自分の倍程も身の丈がある大男の腕を事も無げに捻り上げてその首筋に手刀を落としてそう叫ぶと、一刀は頷いて、軽く顎をしゃくってみせた。凪が、不思議そうに一刀の示した場所―――乾物問屋の屋根を見上げると、真っ先に剣を抜いた筈の血煙の李凱が、今まさに瓦に手を掛けているところだった。

 

「あいつ!?」

 凪が驚いて大声を上げると、屋根を登り切った李凱は態々振り向いて、一刀と凪に向けて嘲笑を浮かべてから走り出した。

「ふん、狡辛(こすっから)い野郎だ。自分が真っ先に斬り掛かる振りをして直ぐに踵を返し、屋根に逃げやがるとはな……」

 

 凪は、のほほんとそんな事を言う一刀に、鋭い目付きで言い返した。

「そんな事を言っている場合ですか!?早く追い掛けないと……」

「なぁ、凪。今夜は聖夜なんだそうだ」

「はぁ?」

 

 凪が、素っ頓狂な一刀の言葉に毒気を抜かれて目を丸くすると、一刀は、李凱が消え去った暗闇を見つめながら、言葉を続けた。

「俺の居た所じゃ、今日は、聖なる夜なんだとよ。神様や天使が、奇跡を起こしてくれる日らしいぜ?」

 凪は、今や苛立ちどころか、心配の籠った眼差しで一刀の横顔を見つめていた。考えたくはないが、日頃の激務が祟って、とうとう錯乱でも起こしてしまったのかと怪しんだのである。

 

 だが、当の一刀は、そんな凪の心情など意に介す風もなく、のんびりとした口調で話し続けている。

「だから、さ。俺んところにも、一人位は来てくれそうな気がするんだよね、天使。最も……」

「あの……隊長?」

 

 

 

 凪が、堪らなくなって一刀の言葉を遮った瞬間、ドスンと言う乾いた音が響いて、僅かに土埃が舞った。

「こんな外史くんだりまで来てくれる様な天使だから、きっと変わり者なんだろうな。例えば……天使の癖に黒い服が好き、とかさ?」

 

 一刀は音にも土埃にも反応せずに言いたい事を言い終えると、僅かに微笑みながら、なえし棒を剣帯に収めて踵を返し、先程から押し黙っている凪に向かって振り返った。

「“そいつ”に縄を打っておいてくれ、俺は、裏手の沙和と真桜の方を見に行く」

 凪は黙り込んだまま、惚けた様に自分の足元を見つめて頷いた。その視線の先には、白目を剥いて倒れている血煙の李凱が転がっていた―――。

 

 

 

十二

 

 

 

「ふ……あ~!終わった終わった!」

 一刀は、城の城壁の上で大きく伸びをすると、革鎧ですっかり蒸れてしまった身体を冬の夜気に晒して、ゴキゴキと盛大に首を鳴らした。鎧ズレなど流石にもう起こしはしないが、なめし革の通気性の悪さは如何ともしがたい。

 

 細やかな祝杯のつもりで椀に一杯だけ持って来た冷酒(ひや)が、身体に吸い込まれる様に感じられる。そうして人心地着いた一刀は、背後の闇に向かって声を掛けた。

「いつまでそうしてるつもりなんだ、焔耶?」

 

「気付いていたのか……」

 闇夜の中から現れた焔耶が、気まずそうに俯いて言った。

「いくら俺だって、気配を消してる訳でもないのに気付かない訳ないだろ、まったく」

 一刀がゆっくりと近づいて行くと、焔耶はどうして良いのか分からないとでも言う様に両手を捏ねくり合わせながら、じっと床を見つめていた。

 

 とうとう、自分の爪先の向いに一刀の爪先が見えると、焔耶は、意を決して顔を上げた。

 その瞬間―――。

 不意に手首を掴まれて引き寄せられた焔耶は、一刀の温かい唇が自分のそれと重なっている事を数秒遅れで理解し、それからまた数秒後、心地良い温もりと僅かに酒の匂いがする吐息に、瞳を閉じて身を委ねた……。

 

 

 

 それから何程口づけを交わしていたのか。ゆっくりと身体を離した一刀は、潤んだ瞳を開いた焔耶に微笑んだ。

「ありがとう、焔耶……おかげで、都の皆が安心して年を越せる。最高のクリスマスプレゼントだったよ」

 

 一刀は、もう一度だけ焔耶を抱き締めて唇を奪ってから、トロンとした顔で「いきなり何をするんだ、まったく……この色情魔が……」と、呟いた焔耶の身体をゆっくりと離して笑いかけ、踵を返して緩々(ゆるゆる)と歩き出した。今頃、稟や三羽烏が、尋問に調書作りにと大わらわしている事だろう。責任者としては、さっさと先に帰る訳にもいかない。

 今年のクリスマスの艶っぽい話はもうこれで十分だと自分に言い聞かせながら、一刀は煙草に火を点けた。

 

「メリークリスマス、焔耶。良い夢をな」

 

 紫煙と共に白い靄となって吐き出されたその言葉が、焔耶の耳に届いたかは定かではない。ただ分かっているのは、この夜以降、焔耶が高熱を出して数日の間、寝込む事になった、と言う事だけである―――。

 

 

                              あとがき

 

 

 さて、今回のお話、如何でしたか?

 まずは、この度インスパイアを許可して頂きましたMALIさんに厚く御礼申し上げます。初めてMALIさんの、今回インスパイアに使わせて頂いた作品を観た時から、何時か使わせて頂きたいと考え続け、漸く今回、その念願が叶いました。

 

 前書きにも書いた理由から外伝になりましたが、ご新規の皆様にもお楽しみ頂けるよう、どうにか弄ってみたつもりです。本当に!どうにも!!真正面からのクリスマスネタが降りて来ず……。なので、クリスマス→年末→時代劇SP!!と言う、生粋の年寄りっ子理論で、今回の作品が生まれましたwww元ネタが分る方は、中々の時代劇通なのではと思いますw

 

 ちょっと真面目な話をすると、先日の夜、車の運転中に、寒い中で検問をしていらっしゃるお巡りさんとお会いしまして、免許証を見せている間に少しお話したのですが、「クリスマス近づくと大変でね~」と苦笑いしながら仰っていて、私が「ご苦労様です」と言って車を出したら、とても素敵な笑顔で送り出して下さったんです。

 

 その笑顔を見て、「あぁ、ああやって自分のクリスマスを犠牲にして頑張ってくれている人が居るから、恋人とイチャイチャしたり、リア充爆死しろとか言っていられるんだなぁ」としみじみと考えたりして、今回のネタに結びついたりしたんです。

 

 ともあれ、幸いにも、焔耶をヒロイン(オチとも言う)にしたいと言うのは決めていたので、最近、本編で書けていないキャラを中心に色々遊んで楽しく書けました。まぁ、気が付いたら「誰がヒロインなんだよ……」と言う事態になりかけて、結構焦ったりもしましたがwww

 さて、今回のサブタイ元ネタは、ドラゴンボールZ第二作目ED

 

 僕達は天使だった/影山ヒロノブ

 

 でした。言わずと知れた名曲ですね。歌詞的に、戦乱の時代の恋姫達の姿を振り返るイメージで脳内補完して頂けると良いかも知れませんwww(特に蜀っぽいかな?)

 このお話を読んで、本編の方にも興味を持って頂けたご新規さんが居て下さったら嬉しい限りです。最も、初期の作品は、今見ると(今でもそうなんですが)読みづらかったりして、試行錯誤の後が丸解りなんですがwww

 

最後に、前書きにも書かせて頂きました通り、参加条件に触れる内容になってしまった事を、改めてお詫び致します。特に、条件を厳守して作品を投稿されているクリエイターの皆様、本当に申し訳ありませんでした。

 

 では、本編と第四回恋姫同人祭りで、またお会いしましょう!!

 


 
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