No.320131

C.H.A.R.I.O.T&W.O.R.L.D Ⅱ(加筆修正)

昨日の朝投稿したものの加筆修正版になります

2011-10-18 03:23:38 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:612   閲覧ユーザー数:610

 

 

 “私達”という唯二人だけの姉妹にとってそれぞれの個なんてものは存在しなかった。

 “私”と仮にこの世界に顕現しているものは所詮インターフェイスであって、この“世界”とコミュニケートを行う為だけの端末でしかなかった。

 どちらかが死んでもどちらかが生き延びればいい、

 ただ“私達”は“私達”をこの世界に顕現させた存在達をひたすらに観測し、それらがどのような存在なのかを知る事を“自分”に課した。

 理由なんて特に無い、生きる事に意味なんて求めるほど器用な体ではない。

 

 人間はそうではなかった。

 

 生きる事に何度も悩み、悔やみ、喜び、怒り、苦しみ、楽しみ、その為に様々な動物達とは違う生き方を選んだ。“私達”はそんな人間達の“想い”から生まれた存在なのだから、それを求める事は当たり前の事だった。

 

 私達は自分たちが視た現実を蓄積し、お互いに共有しあった。

 けれどもそんな行為を繰り返すうちに“私”は気付いてしまった。

 もう一人の自分が“私”とは違う反応を示す事を……

 それは初めて人の温もりと言うものを感じたあの村でだった。

 彼女は私が興味をもった感覚を拒絶した。

 何故だろう? あんなにも優しい世界だったのに、それを自分の物にしたいと考えるのは当然の事だった。

 けれども彼女は“私”の決定を幾度も跳ね除けた。

 それがまるで“私”の考えが間違っているとでも言いたいように、まるで、人間みたいに正しさなんてものを振りかざすように……

 

 

 でも彼女は分かっていない、求める物が手に入らないのなら、そうしたら壊すしかないじゃないの。

 

 

 だって私達に“生きる事”を与えた存在と同じ生き方で、幸せに生きられないのなら、そんな綺麗な宝石を目の前にちらつかされる事なんて、我慢できるはずが無いでしょう?

 

 

 だから私は追い求めた。

 

 人の中で自分達が幸せに生きていく方法を、

 

 だから私は人々が幸せに生きていくシステムを、

 

 何度も模索し、幾度と無く“実験”を繰り返し、繰り返し多くの人間と“私達”が幸せになる方法を手に入れようとしてきた。

 

 喩え小さな代償があったとしても、人間が社会と言うシステムで生きていくと言うのなら犠牲なんて出てきて当たり前だった。

 

 だから私はその小さな犠牲を最も効率よく利用できる方法も模索した。

 そして私は理解した。

 人間と私達は所詮違う存在なのだと、だから人間という存在からは排斥されるのだと、多くの人を不幸に陥れたけれども、それ以上の多くの人に幸福を与えたのに、それでも人から拒絶されるなんていうのはそんな理由位しかないでしょう?

 

 

 

 落日、そう表現するのが正しく適確だと私は理解した。

 とうの昔に死んだ王の死骸を掲げて民衆が私達を殺しにやってくる。

 剣を持つものは剣を、槍を持つものは槍を、武器の無いものは農具や角材を、

 暴徒と化した人々を止める術なんて、私は持ち合わせていなかった。

 

 

 もう何度だって味わった光景だった。

 

 燃え盛る炎、それと同じくらい燃え盛る憎悪の群れ、

 

 人々は“私”に、ただの一人の存在をこの世から抹消する為に群がり、行進して来る。

 

 何度も胸のうちが張り裂けそうだった。

 

 もう、両足なんて震えが止まらなくて、立つことすらまま成らなかった。

 

 

 何故なの? 私はいつだってあなた達が望んだ物を与えてきたじゃない。

 人々が望む裕福な世界も、一部の虐げられる為に存在する人間も、石で作られた断頭台だってあなた達が望むから提供したんじゃない?

 

 それをどうして人間は跳ね除けるの?

 

 ねぇ? あなた達は何を望んでいるの?

 

 管理される事? それとも管理されない事?

 

 

 

 今現在の彼らが望んでいる事だけは理解できる。

 それは第三の瞳が痛くなりそうなほど出てくる感情だったからだ。

 “王を暗殺し国政を乱した魔女を処刑しろ”

 

 それは幾度と無く私が彼らに提供してきた感情を今度は自分に向けられた。

 それが怖くて怖くて仕方が無い。

 広い館のドアを叩き割る音が聞こえた。

 

 迫り来る死、私は幾度と無く自身の生を呪った。

 

 人間によって不条理にもたらされた生命に、その人間達の中で自分の為に人々を存分に生かしてきた自分を、それに不条理を感じ今度はその不条理をこの私にぶつけてくる人間共を、そしてそんな暴徒すら操れない自分自身の能力の弱さを……

 

 

 もうすぐ部屋の前まで来ている。

 あんなミイラ一つの為になんでこんなに頑張れるのか、人間なんてつくづく分からない存在だ。

 強く扉がこじ開けられる。

 多くの人間が押しかけてくるその時だった。

 

 

 

 

 まるで時が止まったかのように人々の感情が凪いだ。

 それどころか人々の動きすらも止まった。

 私ですらも動けずに居た。

 

 その私の絶望の最中に、絶体絶命のピンチの中に私と同じローブを着た少女がてくてくと歩いてきた。

 

 彼女はフードを脱ぎ捨て、そして私の方を振り向かず、その暴徒達に一言、二言と言葉を吹き込んでいった。

 その言葉に私は心の底から恐怖した。

 だって彼女が歌うように口ずさんだその言葉は、人々がお互いを殺し合わせる理由を吹き込むような言葉だったからだ。

 一刻の時間の隙間に出来た劇の幕間のような時間が過ぎ去ると、

 次の瞬間、人々は私に向けてきた剣を、お互いに向け合った。

 

 その姿に恐怖すら見せずに、私に手を差し伸べてきた。

 

「行こう、ここは危ないよ」

 

 紫色の“私”はそう言うと私の手を取り、人々が織り成す狂気の最中を悠々と歩いていった。

 急ぐことなく、ただ人々の目に付かない様に、

 正に阿鼻叫喚の中をまるで散歩をするように歩いていった。

 

 私は恐怖から救われた気持ちで一杯になったけれども、それ以上に体内に潜む異物感に対する嫌悪感のようなものに苛まれていた。

 

 

 王国の前景が見える小高い丘の上で、茜色から黒に変わっていく空とは対照的に橙色に染まっていく街を見下ろす、

 

 

 その光景を見ながら私に浮かんだ感情といえば、最初は同様で、次に恐怖、

 そして、自分を救ったもう一人の自分に対する激しい怒りだった。

 彼女はこの一夜にして私がこれまで築いてきた全てを破壊してしまったのだ。

 私がこれまで築き上げてきた。人間どもから感情というものを一方的に搾取するシステムを破壊されたのだから……

 

 喩え“私”自身が滅ぼされるという理由だけでそれを崩壊させられるのは、“私”を憤慨させるだけの十分な理由になった。

 

 冷静になるに連れてその感情は加速的に肥大化していく、

 だから私は問いかけた。

 

 

「“私”は何時からあのシステムを崩壊させる算段をつけていたの?」

 

 

 その問いに、彼女は簡潔に答えた。

 

 

「“あなた”が滅ぼされる前兆が見えた頃からよ」

 

 

 その言葉で私は漸く確信した。“私達”はいつの間にか“私”と別の“誰か”になっていた事を……

 

 

 

 

 

 

「あなた、今何と言ったの?」

 

 

 私の答えに彼女はどうやら全く納得できなかったようだ。

 彼女の感情が再び醜悪な彩りを見せているのが分かる。

 

「あなたが滅ぼされる前兆、といったのよ」

「“あなた”? 私は! 私達は一体何時から別々の個を持ったっていうの?」

 

 私は彼女の心は読めるけれども、彼女の言いたい事は皆目検討がつかなかった。

 

「私はあなたがいつも言っているように私達の幸せを掴む為に能力を行使したわけではないわ。当然ながらあなたがいずれ破滅の道を辿る事も私は理解していた。だから下準備をひたすらしていた。これは私なりの保険だった。けれども、結局それを行使してしまった。多くの人の血が結果として流れてしまったのは……些か残念ではあるわね」

 

「そんな事を聞いているんじゃない! あなたは“私”でしょう?そのあなたが、何勝手に私の考えもしないことをやっているのよ?」

 

「私は“あなた”じゃあない」

 

 その一言で、“もう一人”は何かに落胆したような、それとも心の底から“私”に対して憎しみを持ったようだった。

 

「ならば、あなたは私をひたすら嘲笑っていたの? 私が幾度と無く失敗してきた時に胸の内では心の底からほくそ笑んでいたの?」

「私がそんな事を出来ない事なんて……心を読めるあなたになら理解できるでしょう?」

「嘘だ! ならば何故あなたは――お前は私の破滅の準備をこれまでしていた!?」

「あなたの破滅なんて願ってもいないし、私は人間達がいずれあなたに憎しみを向けることなんてこれまでの経験から分かっていた」

「なら何故“私”を止めなかった!?」

「止めて、止まる様な存在ではあなたは無いでしょう?」

「つまりあなたは! 私が滅びの道に突き進む様をひたすら傍観していたのね?」

 

 

「結果的に言えば、そうなるわ。けれども私はあなたの破滅を願ったわけではなかった。あなたの為す行いに僅かながらの光明を見ていた。もしかしたら私達は人間達と同じ存在になれるのかも……と、けれども私はあなたほど幸せを望んではいなかった。私は人間の中で生きる事をあなたほど強くは望んではいなかった。ただ人のような生命を得たのなら人の為す行いは視ていたかった。けれどもあなたと違ってその中に入っていく勇気が無かった。だからあなたが開いた道を私は後ろからついていった。それが喩え破滅への道であろうとも、私は幸福の為に何かを犠牲にする気にはなれなかった。しかし私達が危機に瀕した時に自分達を生かす事に人を犠牲にする事にはそこまで苦しくは無かった。私だって結局はあなたと同じ、同じだけの化け物なのよ」

「そうやって! 人の手は汚させておいて――自分の手だけ汚さないっていうの?」

「言ったでしょう。私の手だって血に染まっている。多くの人の呪いを受けて、そうして生まれたのが私、今更人間一人や二人死のうが生きようが、この心は動かないのよ」

 

 尤もそれによって生まれる人の呪いには強く心を揺さぶられるのだけれども……

 

「臆病者!」

 

 私の心を読んでか、彼女がそう叫んでいた。

 

「それだけの力を持っていながら、何故あなたは自分の力でもって世界を支配しようと思わないの? 何故世界の全てを手に入れようと思わなかったの?」

「私が、世界の全てを手に入れることなんて出来るわけ無いじゃない」

「出来るわ!」

 

 彼女は強く言い放った。

 心からの言葉、彼女は間違いなくその言葉が事実であると確信している。いや、この場合は盲信と言うべきか……

 

「あなたはあれだけの人間の心を一瞬のうちに崩落させるだけの力があった。私なんかとは違ってね。見なさいよ! あの街の惨状を! 視なさいよ! あの街でどれだけの人間達の感情がうずめきひしめきあっているかを! あんな姿、私ですら出来ないわ」

「それはあなたとの認識の違いよ。私は何もあの言葉だけで人々を互いに争わせたわけじゃあない。あの言葉は滅びに向かう為の鍵、あなたが長い時間を掛けて人々の感情を回収するシステムを作り上げている間に、私はパンドラの箱を作っていたのよ。その鍵を今ただ開けただけよ」

「あなたは……! 私の知らない間に……」

 

 彼女は苦々しくも私の顔を三つの瞳で睨みつけてくる。

 けれどもその憤慨は間違いだ。

 私と彼女はお互いの蓄積してきた人間達の姿を共有しているはずだ。

 ただ蓄積された物を引き出せていないだけだ。

 私が人間に恩恵を与えられない様に、彼女は人間に厄災を与えられない。

 私達は、同じ物から生まれたのにこんなにも違う存在へと変質してしまった。

 彼女は私とは違う、人々に光明を見出している彼女はもしかしたら人間のような存在と共に在れるのかもしれない。

 私の様な、禍を振り撒くだけの存在にはならないだろう。

 

 けれども彼女は私の肩を掴んで意外な言葉を紡いできた。

 

「面白いじゃない! あなたは人々の悪意を好きなように操れる。あなたは考えていたわね? 人間の感情の寿命って奴を……確かに“私”の中にも記憶されていたわ。当たり前よね? だったらさ、私達二人で人間なんて好きなようにできるんじゃない?」

「私は、人間の怖さを知っている。たかが感情の一つや二つを操れたところで人間を凌駕する事なんて、出来るはずが無い、それはあなた自身が証明してきた事でしょう?」

「何その棘のある言い方? 気に食わないわね。それは決まっているでしょう? 私がこれまで蒐集してきた心なんてものは所詮表面上のモノ、あなたは違った。同じ人間の感情の中でも深淵で不可侵なものを目指していた! 私と、あなたの大きな違いよね? 才能の違いを感じてしまったわ。ねぇ、あなたのその力、頂戴よ! 私はあなたが視ているモノこそ欲していた! ねぇ、あなたにとっても私は大切なんでしょう? その私のためにもその力頂戴よ! ねぇ!」

 

 私をそのまま押し倒し、彼女は私を組み敷き、そして私の第三の瞳を片手で掴みかかる。

 

「お願い、やめて!」

「どうして? 私達なんて元々は一つのものだったのでしょう? だったら私達が一つになることなんて元の姿に戻るだけの事でしょう? それは自然な事だわ! だからお願い、私のために死んで!」

 

 私の第三の瞳を引き千切ろうとするくらいに引っ張ってくる。

 片手で私の体を押さえつけて、彼女は本気だった。

 この忌々しい私の力なんかによりにもよって光を見てしまった。

 

「駄目よ! こんな力はあなたが求めている様な、幸せだとかそういったものからは程遠い力よ! 止めて! お願いだから止めて!」

 

 けれども彼女は聞く耳を持たずに、私の体を引き裂かんとする。

 そして、悲しい事に、私はいずれ彼女がこんな行動に出る事を予測していた。

 つくづく自分の能力が忌まわしく思う。

 私は懐に常に隠し持っていた短剣を抜き放つ。

 

「止めなければ! 私はあなたをここで殺すわ!」

 

 掌よりほんの少しだけ長いその刀身は黒曜石で出来たものだった。

 遥か昔に人間が文明を手に入れる時代から使われてきた鉱石、実用性には乏しいけれどもこの漆黒の混じりけの無い色が好きだった為装飾品として手に入れた物だ。

 けれども何かを刺し殺すには十分な鋭さを持った武器でもあった。

 

「OK、私を殺してみなさい。私はそれでもいいわ。私はあなた、あなたは私、ならば私とあなたのどちらかが生き残り、この不条理な生を与えた人間共を支配すると良いわ」

 

 そこで漸く私は彼女の心の本当の奥底が視えた。

 

 彼女は憎んでいたんだ。

 あらゆる人間達からの崇拝と願いなどと言う光を受けていながら私以上にその与えられた生命に対して、彼女も思い悩んでいたんだ、私と同じように、辛く苦しいこの世界での生命を、

 人間のように群がるような仲間も存在しない一つの奇岩から生まれたただ二人だけの存在、彼女の苦しみを理解できるのは、他でもない自分だけだった。

 

 ふと、右手で握っていた短剣に確かな重みを感じる。

 

 そして体中に“何か”が降り注ぐ、

 

 真っ赤な液体、

 

 私達は、あんなにも憎んでいたのに、それでも自分達を生んだ人間と言う存在と同じものが流れている事を、今漸く確認できた。

 

 

「何をやっているの!」

 

 

 私を組み敷いて今にも私の瞳を引き千切ろうとしていた彼女はその手を止め、代わりに私の短剣に、自身の瞳を突き刺していた。

 

「い……たい……こんな私達でも、人間と同じように感じるんだね?」

 

 彼女は笑いながらその短剣で自身の眼球を抉るようにかき回す、

 瞳孔も、

 角膜も、

 水晶体も、

 視神経も、

 そしてその瞳に血液を送り込む血管も、

 その何もかもがもう二度と使い物にならなくなるような、そんな感覚が右手を伝ってやってくる。

 

「ならば私の力なんてあなたに上げる。私はもう嫌、人を好きになる事も、人を嫌いになる事も、私は結局そのどちらにも徹する事が出来なかった。だから自分の生命を憎んだ。私を形作った世界を恨んだ。もしそうではない世界をあなたは作り出せるというのならあなたにこの力の全てを上げるわ」

 

 右手を伝ってやってくるのは彼女の眼球が壊れ行く感覚だけではなく、彼女の生々しい感情が流れ込んでくる。

 

 あの村での温かさを、それを失った悲しみも

 

 あの国の王との蜜月の情熱を、それを失った失望を

 

 ありとあらゆる人間の感情を貪り、人と同化しようとした憐れな人生の全てが私に流れ込んでくる。

 

 悲鳴を上げたくなった。

 

 

 

「その力と、あなた自身のちからであなたは創り上げなさい。私が、私達が幸福に過ごせる“楽園”を、その手で掴みなさい!」

 

 

 

 それは紛れもなく彼女の呪詛だった。

 

 私の中に流れ込んでくる物の奔流を止められない。

 

 これまで自身が知っていた感情や事実が客体から主体へと変わっていく。

 

 塞ぎたい。

 

 この感覚を視ているのが辛い!

 

 私はとっさに彼女を突き飛ばした。

 

「いったい!」

 

 彼女は悲鳴を上げる。けれどもそれは先ほどのような感情の篭った物ではなかった。

 私はと言うとそんな事に構っていられる余裕も無く、

 ただ自分の中に渦巻く新たな感情を持て余していた。

 彼女は、言い換えれば“私”は強く渇望していた。

 それは私が彼女を観察し、彼女から送られてくる知識のそれよりも遥かに深淵で、不可侵な“何か”……言葉では言い表せないそれを私の心は強く渇望していた。

 それは言葉で表すにはあまりにも陳腐で、それでいて強くどこまでも切実に願うものだった。それこそ筆舌しがたいものだった。

 言葉にならない何かをひたすら追い求める。

 けれどもそれは霞のように掴もうとすれば手からすり抜ける。

 そして時と言う盗賊によっていずれ奪われてしまうようなものだった。

 

「ねぇ、お姉ちゃんどうしたの?」

 

 彼女は私に聞いてくる。

 彼女を見ると、その胸にある瞳からはもう血は止まっており、代わりにその瞳は閉じたままだった。

 けれども、私の感情を動かしたのはそんな事実ではなかった。

 

 

 

「……オネエチャン?」

 

 

 

 目の前にいる彼女はあどけない顔をしていて、まるで人間の子供のようだ。

 私の単純な問いかけに彼女は単純に答えてきた。

 

 

「うん、あなたは私の自慢のお姉ちゃん、ありとあらゆる人間の心を見透かし、すべてを覚る存在、だからお姉ちゃんはさとり、さとりお姉ちゃん」

 

 

「だったらあなたは一体何者?」

 

 私の問いかけに彼女は少しだけ考えて、そしてそれからまるで思いついた事をそのまま口にしたように答えた。

 

 

「私はこいし、この世界に絶望し、能力のすべてをお姉ちゃんに渡したその抜け殻、だから路傍の小石」

 

 

 私はその時酷い違和感を憶えた。

 

 何故なら彼女の語る言葉の真偽が全く視えないからだ。

 

 目を閉じ、心を閉じたこいしの心は私には見えなかった。

 

 私と言う存在は、この時より私一人になってしまった。

 

 そして私はこの子の姉となった。

 

 私が彼女の姉になった理由、それは“私”自身の臆病な心から来るものだった。

 

 燃え盛る街、空にはそれよりかは控えめな星空が広がる中、覚り妖怪という存在は誕生した。

 

 彼女が手に持つ物は自分達が求めた“何か”が存在する楽園を創り上げるという宿命と妹だけだった。

 

 

 

 

 

 

 旧地獄の底にはその世界に欠かせないものが存在している。

 それは旧地獄全域に熱をもたらす灼熱地獄、決して絶えない火種、

 けれどもかつてその火種は随分と細々となったものだった。

 旧地獄施設の全体的な老朽化、これは深刻な問題になっていた。

 何故なら罪人を罰するそれらを能動的に機能させることはもう殆ど無くなってしまったのだから……

 けれども灼熱地獄は違った。

 直接繋がる地霊殿には光源をもたらし、旧地獄全体を温める事を忘れれば旧地獄全体は熱を知らない紅蓮地獄に成り下がっていたかもしれない。

 その火種が弱くなれば、旧地獄全体の外気温が下がる。

 けれどもその問題は天から恵みが振って来るように解消してしまったことだった。

 

「いや、正しく天から恵みが降ってきたんだよね。皮肉にも」

 

 その灼熱地獄に一羽の地獄烏が座っていた。

 

 遥か下方に存在する黒い太陽、それを制御しているのが彼女だ。

 

 近場の岩盤に座り、今はその自分の分身とも言える黒い太陽をひたすら見続けている。

 

 瞳は不思議と痛くならない。

 

 

「昔だったら……あんなにも小さな火種でもこの瞳は焼けるほど痛かったのにね……本当に、変われば変わってしまうんだね……」

 

 

 両手で膝を抱えて、目の前の自分の分身から顔を伏せる。

 

「私はさとり様が憎い、けれども、私にとってさとり様は温かくて、優しくて、大切な人だった。でも、だからこそ裏切られるってこんなにも苦しいんだろうな……」

 

「何臭々してんだい?」

 

 遥か上空から声が聞こえてくる。

 私は見上げるまでも無く、その人物の予想はついた。

 

「お燐、体の方は大丈夫だったんだね。もう動いても大丈夫なの?」

 

 私は顔を上げずに彼女の状態を聞いた。

 今は顔を合わせても、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

 

「3ヶ月は絶対安静、本当は面会謝絶で病室の出入り禁止さ」

「ええ! それじゃあ寝てなきゃ駄目だよ!」

「ああ、やっと顔上げたよ。こいつ」

 

 私は彼女のその言葉に若干恥ずかしくなったが、けれどもそんな事よりも彼女のその姿に驚かされた。

 

「お燐、なんかミイラ男みたいだよ」

「言うなっつーの! 大体誰が男だい!」

 

 思いっきり私は彼女に頭をはたかれた。

 力のあまり篭らないそれは馴れ合いのものなのか、

 それとも彼女が声の割にはやっぱりまだ力が出せないのか、

 或いは自分の力が彼女のそれとは比べ物にならない物になってしまったからか……

 そう考える自分の心の疚しさに嫌気が差して尚更に暗くなってしまう。

 

「ネガティブ思考かい? お空らしくも無い」

「私はもう霊烏路空だよ。その名前で呼ばれる理由は――無いよ」

「……お空、それ本気で言ってるのかい?」

 

 その言葉にお燐の強い怒りを感じ、とっさに顔を上げた。

 彼女は、包帯がぐるぐる巻きになった状態でもわかるくらいに怒りを顕にしている。

 

「このお馬鹿、あんたがどんな姿になっても、どんな名前になったとしても、あたいにとってお空はお空だよ!」

「……そう……」

 

 彼女は恐らく本気でそう思っているのだろう。私がこの力を使って存分に暴れまわった後、人間に倒された後、彼女は私の前に立ちはだかった。

 

 そしてこう宣言した。

 

 

「喧嘩別れしたのなら仲直りも喧嘩だ! さっさとスペルカードを用意しなよ! あたいはもう一晩中でもあんたと弾幕りあえる位用意してるんだからね!」

 

 

 そう語る彼女の姿は見ている方が痛々しかった。

 先ほどの人間達にこっ酷くやられたからだろうか? 全身に火傷を負いながらも私のスペルカードを見ても顔色一つ変えずに突撃してきた。

 それは私が八咫烏になる前の弾幕決闘と同じで、彼女はどこまでも私についてきた。

 争い、

 抗い、

 時に反撃し、

 彼女の防戦一方だったけれども、それでも彼女は私からは目をそらさなかったし、決して退く事はなかった。

 

 だけれども、ある一瞬、私の弾を幾度か当たった後にまるで糸の切れた人形のようにそのまま地面に落ちていった。

 

 大声を上げて彼女を呼ぶが、お燐の意識は戻らない。

 

 私は焦った。全身傷だらけの彼女と戦えば先に消耗するのは彼女に決まってるじゃないか、それを分かっていて、それでも彼女を止められなかったのは、多分私自身がどんなに変わっても以前のように接してくれるお燐の姿に見とれていたからかもしれない。

 その彼女が言うのならそれは間違いないだろう。

 

 

 けれども……

 

 

「だったら今は休んでいた方がいいよ。その、お燐が無事だったのは嬉しいけれども、私は、今はお燐と顔を合わせてもどういう態度をとればいいか分からないし」

「何、私がお前の変わり果てた姿を見て拒絶するとでも思っていたのかい? それともあれだけ痛めつけられたのを根に持ってるとでも思っていたのかい? 生憎だけどあたいはそんな事であんたの事を嫌いになんてなってやったりはしないさ」

「……それもあったけど、でもそうじゃなくて、ってお燐それ言ってて恥ずかしくない?」

 

 

 その言葉を聞くと彼女は顔を真っ赤にした。

 まるですぐ下の灼熱地獄みたいだ。

 多分熱気にやられたのではないな、なんて場違いな事も考えてしまう。

 

「恥ずかしいから何度も言わせんな! この馬鹿烏!」

「そのやり取りもなんだか懐かしいね」

 

 その言葉を聞くと、今度はほんの少しだけ彼女は泣きそうな顔をした。

 私の態度が以前のそれとあまり変わらなかったのかもしれない。

 それは嬉しいし、正直そういうところには自信が無かったから安心した。

 けれども、今は感情に流されてはいけない事も分かっている。

 だからお燐には悪いけれど、私はジョーカーを切らせてもらった。

 

「ここは火傷に触るし、私は、今は一人で居たいんだ。お燐が元気で私の事を想ってくれてたのは正直嬉しい、けれどもね、私は私で今他の事で頭の中がこんがらがってるんだ。私は鳥頭だからさ、そういうのを一つずつ決着つけていかないとダメなんだ。だから、ゴメン、今は一人にして」

 

 その言葉を聞くとお燐は漸く観念したのか、少しだけ辛い表情をした。

 その表情を見ると、傍に居て欲しいとも感じるけれども、今の私は何をどうするか分からない。

 

 制御不能の能力と、制御不能の心、

 

 欠陥だらけの妖怪の自分は、友人すらも大切に出来そうに無い。

 

 

 

 

「お空、実はさとり様から言伝を預かっているんだ」

 

 その言葉で私は漸く立ち上がる。彼女の肩を掴み、言葉を待つ。

 けれどもお燐はその言葉を出すべきかどうかで悩んでいる。

 

「お燐、大切な話はきちんと聞きなさい。これはさとり様が私達に言った言葉だよね?」

「う、うん、じゃあ伝えるね。あなたの知りたい事を全て話します。勿論私が知る限りですが、あなたの都合のつく時に私の私室を訪ねなさい。ってさ」

「知りたい事……」

 

 

 私はさとり様から多くの事実を聞きだしたい。

 けれどももし知ったらどうなるのだろう?

 

 事実の内容によってはその場でさとり様を焼き殺してしまうかもしれない。

 

 私の想像を超える事実ならば私は最悪この旧地獄をまた焼いて回るかもしれない。

 

 灼熱の炎で紅蓮地獄中にあるこびりついた真っ赤な蓮の花すらもまっ黒焦げにしてしまうかもしれない。

 

「お空!」

 

 お燐はそんな私に強く言葉を投げかけてきてくれた。

 

「そんなに悩み苦しむのならあたいがついていってあげようか? あんたがどんな悩みを抱えているのかは皆目見当も付かないけどさ! それでもあたいだけでも一緒に居たほうがいいんじゃないかい?」

 

 本当に、この友人には頭が上がらないな。

 

 こんな状況になってもこの自分の味方になってくれるなんて……

 

 けれども、そんな友人だからこそ私は自分の傍には居てほしくない。

 

 近くに居たら真っ先に焼け死ぬのはこの大切な友人なのだから……

 

「ありがとう、お燐、でも大丈夫、私は自分の問題は自分で解決できる力があるんだもの、このヤタガラス様の力は天まで届くんだよ? だから、この問題だけは私だけで解決させて」

 

 友人はその後も何度かこちらを見てきたが、それでも体の傷の事を話題に出し何とか帰らせた。

 

 ごめんお燐、喩えどんなに大切な友人でも、この問題は当事者同士じゃないと解決できないんだ。

 

 

 

 私、霊烏路空には三人の母親が居る。

 そのうち一羽は地獄烏で妖怪でもなんでもなかった。

 そして一人がさとり様、この地霊殿へ来てから私をずっと親代わりに見てくれた人だ。

 けれども、私はある事実を知ってしまった。

 それは、さとり様ともう一人の母親が、私の本当の母親の死に加担しているという事実だった。

 だからこそこれはお燐にだけは知られたくはない。

 何故なら私の大切な友人であるお燐もさとり様によって助けられた存在だったからだ。

 いっそ憎めるだけの存在だったらいい、

 いっそ愛せるだけの存在だったらいい、

 問題なのはその二つの感情が交差し、私の心を締め付ける鎖になっていることなのだ。

 今では大切な友人である火焔猫燐でさえ、その鎖の一つになってしまっている。

 そう考えてしまう自分の心が悔しくて、

 私はまた遥か上空にある地霊殿に向かって吼えた。

 

 

 

 

 

 

 何が出来るかなんて、ここに来て数え切れないほど考えてきた。

 何をすべきかなんてそれ以上の数だけ考えてきた。

 それでも友人一人救えない自分は屑さ、屑猫さ……

 

 遥か下方から聞こえてくる咆哮、それはまるで彼女、お空の耐え切れない感情を地霊殿にぶつけるようだった。

 少しだけ耳鳴りがする。

 全く、声だけは昔から大きいんだからさ。

 

「全てを焼き尽くせるなんて豪語したくせに、何不完全燃焼してるんだい」

 

 顔どころか体中に巻きついている包帯が汗を含んで気持ち悪い、帰ったら早々に交換だな、などと考えながらこの暑苦しい灼熱地獄へと続く道を抜けた。

 地霊殿中庭に出ると、すぐにさとり様が立っているのが見えた。

 

「絶対安静って言ったでしょう?」

「そのくせ書置きでお空に対するメッセージを残していたじゃあないですかい?」

「あなたは心に嘘をつけませんからね。それに口実も欲しかったのでしょう?」

 

 彼女は半ば呆れながらも私の体のあちこちを触診し、それから包帯を取ると私の顔を濡れたタオルで拭いてくれた。

 

「あまり無茶はしないで、お空を大切に思う気持ちは分からないでもないけれども、彼女が自室に戻った時でも良かったじゃないですか」

「あいつったら自室になんて戻ってないんですよ。さとり様の言いつけを聞いたら、あとはもうずーっとあのクソ暑い灼熱地獄の底であの黒い太陽を見ていたんですよ」

「どうやら、抜け出したのは一度や二度ではなかったようね」

 

 溜息を吐きながら、彼女は私を先導し地霊殿に呼び込んでくる。

 あたいもこの全身の包帯が邪魔臭くって、早く交換したかった。

 ロビー、床一面に張られた頑丈な耐熱ガラスによって作られたステンドグラス、紫と白の薔薇が絡み合い、それが遥か下の灼熱地獄の灯りによって輝いている。

 色が暗いだけにそれでも少しだけ薄暗さを感じさせるロビーは、あまり居心地の良くない場所であった。

 

「ほら、お燐、あなたが向かうのはこっちでしょう?」

 

 ロビーの居心地の悪さからか、あたいは無意識のうちに自室へ帰ろうとしていた。

 今は誰もいないけれども、あたいと、お空の相部屋の自室、けれども今の自分にとって戻るべき場所は自分の部屋なんかじゃあなくてあの殺風景な病室だ。

 

「文句はあるでしょうけれど、あの部屋は散らかっているでしょう? あなたがやったわけではないけれど、ね」

 

 言われて部屋の惨状を思い出した。

 お空がどこからとも無く集めてくる光物、ガスランプをつけないで暗闇の中を歩くと本当にどこに落ちているか分からないそれらは確かに危険であった。

 本能なのか、嗜好なのかは分からないけれども、何度も注意したが一向に直る気配が無い。だから結局あたいが全部片付けるのだけれども、暫くするとまた光物を増やしていくのだから、イタチごっこもいいところだった。

 おまけに数日は自室に帰ってないのだから、それがどれだけ散らかっているかも見当が付かない。

 病室に着くとさとり様はあたいの服を丁寧に脱がせ、全身の包帯を外していった。

 少し汚れたそれを捨てると、全身の傷の具合を診て、濡れたタオルで全身を拭い、それから薬を入れている箱から軟膏を取って、患部に塗り始める。

 

「傷の治りは早いんですね」

 

「普段から火を扱うあたいの様な妖怪は火傷の治りは早いんだと思います。ここまで手ひどくやられた事は無かったですけどね」

 

 再びミイラ男にされる。正直動きづらくて仕方が無いのだけれどもそれでも傷はまだ治らないのだから仕方が無い。

 

「これでいいでしょう。あなたの仕事は他の妖怪に任せます。今日はもう休んでいて下さい。食事はまたここに運ばせますから」

「ええ、分かりました……」

 

 あたいは正直悩んだ。あれだけの激情をぶつけてきたお空の裏に隠れている気持ちが知りたい。けれどもそれに立ち入ってもいいのかも分からない。

 彼女はこの件に関してははっきりとあたいを拒絶した。

 だから、本当は関わったりなんてしちゃあいけないのかもしれない。

 でも、自分の中の弱虫な所が言ってくる。

 中途半端な気持ちじゃあこれからのお空とは付き合えないかもしれない、と

 

「ええ、彼女の事を想うのならば半端な気持ちで立ち入ってきたりはしないほうがいいですね」

 

 私の心を見透かしてさとり様は言ってくる。

 

「けれども、半端じゃあない気持ちで彼女とこれから付き合っていく気持ちがあるのなら、あなたには知る権利があるかもしれない。私は、この件に関しては隠し通す気持ちもありません。あなたが自分で決めなさい」

「人を試すような言い方をして……そんなのだから嫌われるんですよ」

 

 けれどもあたいの心は今決まってしまった。

 霊烏路空の全てを知りたい。

 ただ怖いだけの存在になってしまった友人の過去を知りたい。

 だからあたいは決断した。

 この旧地獄にでっかい風穴を開けたときのように……

 

「あたいにとってはもうあいつはただの他人じゃあなくなっちまった。けれどもあいつはあのヤタガラスだとか言うわけの分からない能力を手に入れてしまった。私にはもう彼女の事なんてこれっぽっちもわかりゃしないのさ。でもあいつが何に苦しんでいるかの半分くらいなら分かる。だってあいつが本当に思い悩んでいる事は、あんな能力に対してじゃない。もっと妖怪的な何かだって事、あの苦しむ姿を見りゃ心なんて読めないあたいにだってわかるのさ」

「そう、ならばお燐、こっちへいらっしゃい」

 

 さとり様は窓際へあたいを誘った。

 窓の下には旧都を照らすガスランプの光が見える。

 今日もあの灯りの下では多くの妖怪達が生活しているのだろう。

 

「お燐、あなたはこの土地で生まれた妖怪ではないから分からないかもしれないけれども、この旧地獄ではいくつかのしきたりがあります。そのしきたりの半分は私が決めて、もう半分は彼らが決めました。」

「彼ら?」

「旧都に住む妖怪、それに後からやって来た鬼達、私はこの旧地獄を治める立場に在ります。けれども私の権威は無限では無い事はあなたにだって分かるでしょう? 私達を遠巻きにする旧都の妖怪達、その視線が語るものは私と彼らとが違うという明確な線引きがあるからですよ」

「……話を聞いている限りで感じたのですが、さとり様、あなたはこの土地をあまり大切には思っていないように見えますね」

 

 そのあたいの言葉に若干の動揺が彼女から感じられた。

 けれどもほんの僅かな動揺だったようで、調子を変えずに彼女は続けた。

 

「私も正直に言えばこの土地出身の妖怪ではありません。けれどもこの旧地獄に住む妖怪の中では古参にはなります。当たり前ですが長く住んだ土地にはそれなりに感慨は残ります。長ければ長いほどそれは深く様々な想いを持ち、そしてそれらが混在してカオスを彩る。そのカオスを一言で言い表せるほど、適確な言葉を私は持ち合わせてなんていないのですよ」

 

 彼女の書斎には幾度か入った事がある。そこは彼女の寝室とは違い、どこか厳格さを感じさせられた。それは彼女の書斎に夥しい量の書物たちの存在感が起因していたのかもしれない。

 数々の知らない言語で書き記された書物、中にはこのさとり様の文字で書かれたものもあった。

 それだけの沢山の言葉を知っていて、操れるのに、それでも今の自分の気持ち一つ表現できないのは、どこか彼女の弱さなのではないのだろうか、とも思ったけれども、それは自分も同じだった。

 私がお空に対する気持ちだって、言葉一つで語りつくせる物なんかじゃあないじゃない。

 

「私は体面上この旧地獄には是非曲直庁という地獄を統括する機関から派遣された人員です。簡単に言えば雇われ領主、当然ながらその立場は是非曲直庁でも高いものではありません。何せここは施設の老朽化によって本来廃棄されるような場所だったのですから、その廃棄物処理係、なんていう立場は高く無い事はわかるでしょう?」

 

 言われて、自分の立場をどこかで髣髴とさせられた。

 この旧地獄にどこからともなく落ちてくる人々の死体、それを持ち去り、灼熱地獄へと投げ込む自分の仕事と、彼女の立場は一緒なのかもしれないな、と感じてしまった。

 

「規模は違うけれども、あながちそれは間違いとは言えませんね」

 

 そのあたいの想像に苦笑いを浮かべて応えてくる。

 

「当然ここに住む妖怪にとって唐突に現れた外からの支配者なんて気持ちのいいものじゃあない。まぁそれは当然ですね。突然外から来た妖怪に内部を引っ掻き回させられるなんて溜まったものじゃあない。だから私は少しばかり無理をしてしまった。その無理の中にお空の家族を殺させるシステムを組み込んでしまったのならば、確かに私は彼女に殺されても文句は言えませんね」

「彼女の家族って――ええ!」

「お燐、あなたはこの土地に来たとき既に妖怪でしたね。けれども、この旧地獄でも僅かだけれども妖怪が生まれることだってあるのですよ。そんな奇跡が、いえ、悲劇かもしれないそれが、彼女を苦しめているんです。そうね、お燐、私はあなたをもう少し信頼したい。だからお願いですから聞いてください。私と私達の話を」

 

 こうしてさとり様は私に一つ一つ自身の過去を語り始めた。

 それは正しく彼女達がどれだけの呪いを背負って生きてきたかを顕しているようで、怨霊を操るあたいでも些か胸焼けのする話だった。

 ガスランプが張り巡らされ、安定した生活が送る事ができる旧都の町並みは旧地獄、打ち捨てられた世界にしては整いすぎているという違和感を確かにあたいは持っていた。

 その違和感は決してあるべくしてそこに存在しているのではなく、正しく彼女と多くの妖怪達が時には協力し、時にはいがみ合い、幾度もの争いによって生まれた。

 そんな地獄らしい厳しさの上に成り立っている平和だった。

 そりゃそうだ。お空があんな力を手に入れなければ、あの地獄の火種だっていつ消えてもおかしくは無い状況だったのだから……

 そう考えると、私は霊烏路空がこの旧地獄と言う一つのシステムを維持する為に生まれてきた生贄のように思えてきて、それが嫌で嫌で仕方が無くて……

 

 ふざけんな

 

 ただその言葉だけが頭に浮かんできた。

 けれどもそのシステムを覆せるほどの実力なんて自分には無くて、結局そのふざけんなは、自分と言う存在に帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 今から語る事はですね。あくまで私と言う一人の妖怪の主観から語った事実なんですよ。

 だからこの私は真実なんていう崇高なものは語らないし、自己弁護も多分に含んでいる箇所があります。その辺りはあなた自身の色眼鏡を使ってください。

 

 ええ、ではまずどこから始めましょうか。

 私がこの旧地獄に配属されてきたとき、この旧地獄は今のように機能的ではなかったわね。

 街は荒廃し、旧地獄の施設では怨霊が湯水のように湧き出ていたし、衛生管理も最悪だったわ。

 私の立場は是非曲直庁から派遣された雇われ領主、旧地獄は長らく治める人物が存在しなかった。その上近々廃棄される土地を捨てて逃げるものも多かった。

 私がこの土地に配属された時にはまだ旧地獄と地上との間には行き来できる場所があったわ。そう、あなたが開けたあの穴ですよ。

 

 私が着任早々任されたのはその土地の区画整備、そして旧地獄のあらゆる施設の整備、それらを、近いうちに移住してくる地上の鬼達がやってくるまでにやっておかなければならなかった。

 

 鬼はその土地には少数ながらも存在していた。そしてその土地で最も幅を利かせていた妖怪でもあったわ。少ないながらもその集団性も、そして個々の個体の身体能力の高さも、ほかの妖怪達にとっては脅威だったわ。

 だから私はまず彼らを説得した。

 そして鬼達を観察し、その心の弱みを握った。

 私がこれまで培ってきた能力は良く役に立ったわ。

 鬼を黙らせれば多くの妖怪は私の行いには大きくは出られなくなった。

 私は彼らを従えてそれらの作業を行ったわ。

 けれども鬼や多くの妖怪達の軋轢は容易に埋まるものではないし、私に対して不信感を抱く妖怪だって多く居た。

 実際サボタージュを決め込む妖怪達も多かった。

 

 私が次に決めた事はこの旧地獄での法律だった。

 極めて簡素なものだったけれども、破ればどんなものにでも罰則を与えた。

 けれども圧力だけをかけていても妖怪達は従えられない。

 

 だから私は与えた。

 

 大地から噴出するガスを集めて旧都全域に行き渡る街灯を作った。

 それは、直接的な恩恵を彼らに与えたわけではなかったけれども、一つの道しるべになったわ。

 

 光無き闇の世界の住民達に光を、既に存在する家屋のうち老朽化が激しく使い物にならない廃屋を幾つも取り壊し、街道を作った。その道なりに等間隔でガス灯を作った。

 

 水道設備も作ったわね。これによって品質の良い水を得られるようになった鬼達はこぞって酒虫で酒を造っていったわ。

 私は彼らの望むものを与えた。彼らの心が豊かになったその時に、私は彼らから主導権を握った。

 

 こいしがいつか言っていた。

 

 

 ねだるな、与えて、奪い取れってね。私は彼女のかつて言っていた事を今度は私がやってしまった。

 

 今更それを後悔はしていないけれども、それに対してなんら罪悪感を持たなかった自分には少し驚いたわね。

 

 ええ、あなたやお空に対してもそうしてきた。

 

 あなたが責めたくなる気持ちも分からないでもないけれど、でも私はそれでもこの土地を統治しなければいけないという義務感が強いのよ。

 あなた達の事は個人的には大切だけれども、それと、旧地獄の統治者としての私は考えを一致させたりは出来ないのよ。

 

 話を続けるわ。

 そうして旧地獄に下りてくる鬼達を迎える準備をしていった。

 私は、というと信用できる妖怪に現場を任せて、地上に赴き、旧地獄に入る鬼達と幾度か面談を行ったわ。

 一人は伊吹萃香といったわね。もう一人は、あら知っているの? そう、あの一本角の星熊勇儀です。

 私の事は当然気持ちよく思われてはいなかったけれども、話し合いはスムーズに進んでいったわ。

 そうしてこちらの準備が整い、向こうの鬼達の入植が始まったわ。

 それはこの旧地獄が地上と隔絶される事を意味する事よ。

 

 ええ、勿論それは体面上の話、外との交流無くしてこの世界だって維持はできない。

 私は殆ど特権的に定期的に外の世界に赴いたわ。

 

 体裁としては是非曲直庁への報告を、本来の目的は、この旧都に必要な物をこの旧都で採れる物で買いにいったのよ。

 私が時々地霊殿を留守にした事、それに外の世界であなたを拾ったのもそんな時ね。

 外から入植してきた鬼達は旧地獄に元から住んでいた鬼達よりも活力があったわ。

 

 その反面、私とは何度も対立した。

 だから私は何度も彼らと争いながらも彼らの横暴のいくらかを見逃したりもした。

 つくづく嫌な能力だけれども、必要な能力ではあると、自分の能力には両義的な気持ちを持ってしまうわね。

 

 法律の整備もその度に改善しなければならなかった。

 

 私だって何度も頭を抱えたし、旧都に住む妖怪達も大分頭を捻っていたわ。

 特に同族でありながらもその気質の違いに戸惑っていたのは元々この地に住んでいた鬼達だったわね。

 前門の同族の敵に後門の異種族の敵、だから私は数人の妖怪達の中の知恵者を呼んで会議を開いた。

 

 私が一方的に決められずに、合議制にしたって所が私の立場の弱さを表しているわね。

 

 あら、少し皮肉すぎたかしら? 

 

 でもね、ここからが重要なのよ。

 私達、この場合妖怪全てを言い表すけれども、私達にはそれぞれ決まった本能がある。

 私には人の意識を読み取る本能が、あなたには死体を持ち去る能力が、そう言った、他の存在からは理解出来なさそうな本能をもっている。

 その為に私達はそのお互いの本能を理解できないが為に争い、いがみ合い続けなければならなかった。

 

 だから私はこの旧地獄中に住む妖怪達のそういった本能を蒐集して回った。

 そうしてそれを元に、お互いがお互いの領域を超えない程度にならその本能的行為を行う事の承認をするルールを取り決めたわ。

 

 しかし、これには少なからず反論があった。

 

 このファイルを見て頂戴、それは旧地獄の外れに住む妖怪の一人、

 土蜘蛛という種族で名前は黒谷ヤマメと言うわ。

 能力は病気を操る程度の能力、もしこの能力を存分に振るわれたら閉鎖されたこの旧地獄にはたちまち疫病が蔓延するでしょう。

 そういった危険すぎる妖怪達を排除しろと言う声も上がったわ。

 

 けれども私は生まれ持った能力だけでその存在の良し悪しを決める気にはなれなかった。

 だからそう言った能力を限定的に発現させても良いと言う事を皆に了解させた。

 そうでなければまた多くの妖怪達を処分しなければならなくなるわ。

 この旧地獄には妖怪以外にも生き物が存在していた。

 旧地獄がまだ外と繋がっていた時に入ってきていた動物達、

 

 この地霊殿だって私が来るまでは廃屋同然で、そういった野生化した動物達の住処になっていたわね。

 そういった動物達にはその能力を振るって良いように了承してしまった。

 しかし、私だって未来が読めるわけではないわ。

 

 そういった鳥獣達の中から妖怪が生まれてくるなんて事は、予想してなかったわ。

 今では当たり前のようにこの地霊殿にはそうした妖怪達が住んでいるのだけれどものね。

 そう、彼女の両親はそのファイルにある妖怪が殺したのよ。

 彼女の家族がいる群れに病を放ち、そしてその中で生き延びたのがお空、

 今は霊烏路空と名乗っている彼女の出自は、そんなものだったのよ。

 

 ごめんなさい、あなたがどんなに私に対して嫌悪感を抱いたとしてもこれは私と、妖怪達とで取り決めたしきたりなのよ。

 この閉鎖した空間の中で私は私なりの最善を尽くした。

 だからこそその事実を知った時の私の動揺だって大きかった。

 いっそ私が完全な悪であればよかった。

 けれども私は彼女を見たときに、その存在を大切に思ってしまった。

 だから私は彼女を引き取った。

 

 それは罪滅ぼしにもならない行為かもしれないけれども、それでも私にできる事はそれだけなのよ。

 ええ、そうね、その真実を彼女自身に語れなかったのは私の弱さですね。

 どれだけ長く生きても、自分自身の弱さだけは隠せないものね。

 

 これからの事……

 それに関しては私にも決めかねます。

 旧地獄は疲弊していました。私が着任した当時から比べても今の灼熱地獄の炎は弱まっていました。

 実際お空があんな力を手に入れなかったのならば、私達は遠くない未来に滅びていたかもしれません。

 

 けれども私は彼女をここに無理に引き止めようとは思いません。

 

 だって、私がここに来たのは……

 

 すみません、感傷に浸ってしまいました。

 私は今後のことについてまた旧都の知恵者たちとも話し合わなければなりません。

 

 それにお空の事も、

 私はお空には自分の意志で何かを行って欲しい。

 だから彼女の想いには全力でぶつからなければなりません。

 

 喩えあの地獄の太陽の炎で焼かれても、それだって私の身から出た錆ですから、

 ただ、敢えて統治者としての欲を言うのなら彼女には留まってほしい。

 けれども、彼女を育ててきたも同然の存在の私の気持ちでは、彼女には檻に閉じこもるような事はして欲しくない。

 

 だから、私はこれからの事を彼女とも話したい。

 本当はこんな事、妹と先にするべき事なのに……妹とすら向き合えない私に彼女の親代わりなんて出来るのかしらね? いいえ、これは親の仇だったわね。

 

 ……そうね、伝えたい事は大体伝えたわ。

 

 お燐、あなたはあなたらしい態度をとりなさい。

 

 喩え私がお空に殺されても、それでもあれだけ大切だといった友人を大切にしなさい。

 憎みたいのなら憎んでも良いわ。けれども中途半端な気持ちだけは駄目よ。

 あなたは怨霊を使役する身だから分かるかもしれないけれども、中途半端な気持ちでこの世に未練を残した存在は沢山存在します。

 本来ならばそういった魂は三途の川を渡って閻魔様の裁判を受けて然るべき場所へと行くべきなのです。

 けれどもあなたが使役するように、そして本来なら輪廻を外れたこの地に現れるはずの無い人間達の死体や魂、彼らは現世に未練を残し、そして現世に居続ける事も出来なかった半端物達です。

 

 そんな彼らを使役しているのですから、尚更それを理解して下さい。

 それに、あなたはそんな半端な存在じゃあ無いでしょう?

 

 話はこれで終わりよ。私は旧都との会議に必要な書類の作成をしなければならない。

 それに過去を思い出したら少しだけ悲しくなってしまったの。

 今は一人にして頂戴、

 

 え? それは構わないけれど、でも今は遠慮しておくわ。

 言ったでしょう。今は一人で居たいのだって、あなただって頭の中が混乱しているのだし、気持ちの整理を一度つけた方が良いわ。

 

 でも気持ちだけでも受け取っておくわ。

 

 有難う、お燐、

 おやすみなさい。良い夢を……

 


 
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