No.30898

幸せの闇

MMさん

チョコレートケーキを買いに行かせるため、私は下級悪魔を呼び出そうとした。しかし儀式は失敗し、代わりに現れたのは眩しい天使だった――。

サイトで連載した短編。

2008-09-15 14:04:27 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:579   閲覧ユーザー数:565

 

幸せの闇

 

 儀式は常に、細心の注意を払って行わなくてはならない。

でないと、必ずと言っていいほど大変なことになる。今の私みたいに。

 

「あら、また苦々しい顔なさってる。よっぽど私のことがお嫌いなのね。でも残念でした。どんなにあなたが私を嫌いでも、私はあなたが大好きよ」

柔らかくて綺麗で優しい声が、先程からのんびりと語り続け、私のイライラを煽っている。

「あなたの憎しみさえも愛する、それが神の愛、天の愛なのですから」

ピッタリと両耳を両手で押さえているのに、けして大きいとは思えないその声は、何故かはっきりと私の鼓膜を揺らした。

よくもこんなに長々と、同じような内容を様々な言い回しで語り続けられるものだ。

 だが、それだけいろいろな言葉を知っているくせに、「馬の耳に念仏」という言葉は聞いたことも無いと見た。よりにもよってこの私に、神について語るなど。

 

 私は闇魔法使いだ。闇魔法とは、悪魔の力を借りる術、悪魔とは神の敵である。神に対して「隙あらば殺ってやろう」としか思っていない、そんな私に、神の愛など語ってどうしようというのか。

「もう、どうでもいいからさっさと帰ってくれ」

ため息と共に言うと、美しい首がきょとんと傾げられた。

「あら、あなたが私を呼んだのでしょう?私はあなたに呼ばれたので、こうして降りてきたのです。ですからあなたが幸せになるまで、戻ることはできないのです。私は、あなたの幸せを見届けなくては、」

「ああ、わかった。わかったよ」

何故こいつは、何度も同じことを繰り返すのだろう。もっと完結にしゃべることは出来ないのだろうか。

 しかし、言うことはもっともなのだった。そう、確かにこいつを呼び出したのは私なのだ。この、寒気がするほど美しい天使を。

 

 2時間ほど前のことだ。私は突然、チョコレートケーキが無性に食べたくなってしまった。あまり日光が得意ではない私は、よほどのことがないかぎり昼間に外出などしない。今日も、適当に下級悪魔でも呼び出して、ケーキを買いに行かせようと思った。

 しかし、私は自分の力を過信し過ぎていたようだ。というか、慣れからくる油断というか、ぶっちゃけ頭の中がチョコレートケーキのことでいっぱいだったのだ。私は儀式を失敗した。輝きと共に魔法陣から現れたのは、美しい天使だった。おかげで私は、そいつに長々と、神だの愛だのについて語られるはめになったのだった。

 そのときふと、私は思った。この天使は私の幸せを見届けるまでは帰ることができないらしい。ということは、

「お前は、私の幸せに協力してくれるのか?」

おずおずと尋ねる。すると天使はにっこりと笑った。明るいものの苦手な私にとっては、嫌がらせのような輝かしい笑顔だ。

「もちろんです。私はあなたを幸せにするために来たのですから」

その答えを聞いて、私はホッとため息を吐く。

 

 私は今、とにかくチョコレートケーキが食べたい。ケーキを食べれば幸せになれる。私が幸せになればこいつは帰る。

 つまりは、こいつにケーキを買いに行かせれば済む話なのだ。ケーキを買ってきてくれるのならば、私にとって悪魔も天使も大して違わない。

「では、ケーキを買って来い。黒屋のチョコレートケーキだ。解るか?」

私はうきうきと、天使に言いつけた。しかし天使は、きょとんとした顔で私を見るばかり。

「どうした?」

私はイライラと眉を顰める。すると天使は、やはり嫌がらせのような顔で笑った。

「できません」

「何故だ!」

「そんなことでは、あなたは幸せになれません」

……これだから天使も神も大嫌いなんだ!いったお前に、私の何が解るというんだ!

 

 私は大きく息を吸う。

「あのな、私は今とても、とてもケーキが食べたいんだ。ケーキさえ食べられたら、私は幸せになれる。そうすればお前も、天国とやらに帰ることができるんだぞ?」

言葉を選びながら、丁寧に説明してやった。しかし天使は、笑って首を振る。

「誰かの与えてくれる幸せなど、本当の幸せではありません。幸せとは、自分の手で掴み取るものです。自分の足で歩み、辿り着く場所です。ですからあなたを幸せにできるのは、あなただけなのです。あなたが幸せになるためには――」

 私はもう、どうすればいいのか解らず、とりあえず両手で耳を塞いだ。

* * *

 

 私は特別なチョークを使って、慎重に丁寧に、地下室の床に魔法陣を描いていった。最後の円を結び、大きく息を吐く。ジワリと額に滲んだ汗を、ローブの袖で拭った。情けなくて、もう一度大きくため息を吐く。額に汗する闇魔法使いなんて、格好悪すぎる。誰にも見られたくない姿だった。

 しかし、これにはわけがある。三日前から、私は突然魔法が使えなくなってしまった。三日前、下級悪魔を呼び出そうとして失敗して以来、つまり、傍で私の誰にも見られたくない姿をのんびりと眺めている、この天使を間違って呼び出してしまったときから、私は一度も魔法を成功させていないのだ。

 

「そんなことをしていては、あなたは幸せになれません」

天使が言った。私は聞こえないフリをしながら、魔法陣にミスが無いかもう一度確認する。

「幸せとは、自分の手で掴み取るものです。自分の足で歩み、辿り着く場所です。ですからあなたを幸せにできるのは、あなただけなのです。悪魔に頼っていては、幸せになどなれるはずがありません。あなたが幸せになるためには――」

杖を持っているために耳を塞げないのが辛いが、私は天使の声を遮るように、呪文を唱え始めた。天使は小さくため息を吐き、気だるげに頬杖をついた。

 

 ぼんやりと、魔法陣が光を放ち始める。ここまでは順調だ。そう、ここまでは順調なのだ、いつも。しかし徐々にその光は薄れ、やがて苦労して描いた魔法陣ごと、消えてなくなってしまった。

「チクショウ!」

天使の座っているテーブルを蹴り飛ばすと、天使は慌てて飛びのいた。私はふらりと椅子に腰を下ろし、テーブルに突っ伏した。

「あなたの幸せを見届けるために、私はここへやってきました」

天使が言う。何度も聞いた言葉だ。

「お前が現れて以来、私はどんどん不幸になっていってるよ」

情けない顔を隠したまま、私は答えた。

「ですから私は、あなたが幸せになるまで、帰ることができないのです」

「お前が消えてくれたら幸せだなあ」

「あなたは、幸せになりたくないのですか?」

見事に会話が噛み合っていない。仕方なく、私は天使を真っ直ぐ見上げて答えた。真っ直ぐに答えた。

「私が幸せになるためには、この力が必要なんだ」

そう言って、杖を掲げて見せる。

 しばし見つめあった後、おしゃべりな天使は悲しそうな顔で、ただ、小さく首を振った。

 「何故、自ら不幸になろうとするのです?幸せになりたくはないのですか?」

今日もまた、私は必死に魔法陣を描く。そしてその隣で、天使は同じ台詞を繰り返す。

「悪魔に頼っていては幸せになれません。どうか自分の力で……」

怒鳴りつけてやりたいが、昨日みっともなく取り乱す姿を見せたばかりなので、私はぐっと我慢する。

「そう、理由があるのなら聞かせてください。何故闇になど手を出したのか。あなたの心に住む闇を、私が浄化できるかもしれない」

ボキリ、と、派手にチョークが折れた。乱暴にそれを投げ捨て、私はため息を吐く。

「全ての人が明るいものを好むように生まれついていると思っているなら、大間違いだよ」

小さな声で、それだけ言った。それ以上説明してやるつもりは無かった。誰が、天使に心の奥など曝け出すものか。分かり合えるはずなど無いのだ。私達は違いすぎる。どれだけ言葉を重ねても、天使に私が理解できるはずはない。私に天使の言葉が解らないように。

「明るいものは、嫌い?」

「大嫌いだ」

ずっとずっと昔から、光を求めたことなど無いのだ。

「では、暖かいものは?」

突然、後から優しく抱きしめられた。優しく、柔らかく、暖かい。そして、甘い香りがした。鳥肌が立った。

「止めろ」

「どうしても悪魔の力が必要ですか?そんなに闇が大切ですか?」

「ああ、必要だ」

私はこの力に誇りを持っている。この力こそ、私がこの手で掴み取った幸せの形なのだから。

「大切なんだ」

 すっと、天使が私を放した。暖かさから逃れ、私はほっとため息を吐く。振り返ると、天使は優しく笑っていた。鳥肌が立つほど輝かしいその微笑みを、私はあまり不快に感じなかった。今までの作り物めいた笑顔とは、どこか違う。もちろん、私が変ったのかもしれないけれど。

「わかりました。もう一度、魔法を使ってみてください。もう邪魔はしません」

「お前が、邪魔をしていたのか」

「……すみません」

本当にすまなそうな顔をした天使に、私は小さく首を振った。

「いや、いいんだ」

不思議と怒りは感じなかった。それよりも、通じるはずのない言葉が通じた、その喜びの方が強かった。

 私はさっそく、折れたチョークを使って作りかけの魔法陣を完成させた。呪文を唱える。すぐに、魔法陣が輝きだす。緊張で胸が震えた。チョコレートケーキの姿が頭の中をぐるぐると巡る。そして、魔法陣から現れたのは、緑色をした……

「……サボテン?」

魔法陣から現れたものを見て、私は呆然とする。それは立派な棘の生えた、サボテンだった。よく見ると小さな可愛らしい目と口がある。

「はい。サボテンです。お呼びでしょうか?」

いや、呼んでない。

 しかし僅かな期待を込めて、私は言う。

「チョコレートケーキを、買ってきて欲しいんだが……」

するとサボテンは、本当にすまなそうな顔で答える。

「ごめんなさい。僕、動けないんです」

「だよね」

がっくりと肩を落とす。ふと、天使の姿が見えないことに気づいた。キョロキョロと辺りを見渡す。すると、

「あはははははははは!」

突然、隣の部屋から盛大な笑い声が響いてきた。

 もう、形振り構ってなどいられない。私は隣の部屋へ通じるドアへ突進した。ドアノブに手をかけ、押し開けようとする。しかしそれは、びくとも動かない。

「鍵を開けろ!」

返事は無く、代わりにまだ笑い声が続いている。

「邪魔しないんじゃなかったのか!」

「ご、誤解です!!違います!私は今回は何もしてません!」

「じゃあ、私が勝手に失敗したっていうのか!」

「そうです!」

「あの、」

可愛らしい声に振り返ると、サボテンが困ったような顔で私を見ていた。

「僕は、どうすればいいんでしょう?」

「……あいつを黙らせてくれ」

止みそうに無い笑い声を指して言う。

「……ごめんなさい。僕には無理です」

「だよね」

私はもう、どうすればいいのか解らず、とりあえず両手で耳を塞いだ。

 

 
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