No.265957

水底の夢1-1

しゃこさん

Fate/EXTRAの女主人公を約束の四日間に放り込んでみました。
サーヴァントはアーチャー。ヒロインは不在。
某所投稿版からちょっと修正あります。

2011-08-09 00:48:49 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:1367   閲覧ユーザー数:1310

 
 

――水の底で、夢を見ている。

いつの日か少しだけ望んだ、星を掴むみたいな夢を。

 

どうして、ここにいるのだろう。

それは一番初めの、疑問。

思うことは結局変わらないんだなあ、と呆れながら、私は一向に訪れない崩壊を待っている。

いつの間にか繋がれた手は離れまいとばかりに指を絡め合って、まるで恋人同士みたいだ。

生き急いだ日々には微塵もそんな要素なかったはずなのに、何の違和感もなく手を繋いでいる。

この手を取った理由も、離れないようにと指を絡める理由も、わからない。

目を閉じた彼の心境なんて、わかるはずもない。

ただ何となく、彼も私と同じように、もう少しだけ、このままでいたいと思ってくれているような気がした。

なら、潔く消えるつもりが未練を残す、その無様さに自嘲するのも、きっとお互い様なんだろう。

私も目を閉じて、伝わる温もりに微睡みながら、思い返す。

 

最初は、何故とどうしてで頭の中を一杯にしながら、それでも手探りで生きたいと願った。

何も知らなかった私の、そんな馬鹿みたいに小さな願いに応えてくれた誰かは、容赦なく悪態をつきながら、それでも。最後まで、拙い主を支えてくれた。

返せるものなんて何もないのに、それでいいのだと、優しく言ってくれた正義の味方。

一緒に駆け抜けた日々は短いけれど、そこにはかけがえのないものが沢山詰まっている。今の私にとっては、確かなものだと言い切れる唯一の記憶。

 

だけどやっぱり私にも自分だけの願い事が欲しくて、それをずっと探していた。

そうしていつの間にか生まれた、ささやかな願いがある。

(つづくさきでも、いっしょに)

今はもう、叶えるつもりのない願いだったけれど。

繋いだ大きな手が同じように望んでくれるのならば、捧げたかった。

だけど願いを届ける術がない。

ムーンセルに伸ばす手は、いい加減限界だ。聖杯に至るまでの死闘のせいでとても動けそうにない。

それでも、ともがく。

これから先も、望んだモノだけは決して得られない彼に、せめて、確かな報酬をあげたかった。

―――無様でもいい。お願いだから、とどいて。

しゃらり、と涼しい音が鳴る。

腕が、動いた。

 

 

 

 

 10/08 MORNING

 

 

――目が覚めた。

  欠けた夢を、見ていたようだ。

 

カーテンの隙間から眩しく朝日が差して、その光に一瞬眩む。

目の前の現実味のない風景はなんなのだと、脳が幾つもの疑問符を浮かべた。

動悸さえしそうな胸を押さえて、ゆっくりと部屋を見渡す。頭を現実に馴染ませて、おかしな点などないのだと認識するために。

クローゼットと机、大きめの本棚の他には大して物もない殺風景な洋室。濃いめの青のカーテンとベッドカバーが海みたいで、何だか落ち着く。

これが私の新しい工房。密やかに生きる魔術師としての、棲み家。

私はといえば。

どんよりと曇った梅雨真っ盛りなんて季節外れにここ、冬木市のとあるマンションへ越してきた、モグリの魔術師。

今はこの地の管理者(セカンドオーナー)にバレてしまったので、モグリでも何でもないのだけれど。

まあ、融通の利く人だったおかげで別に協会への通報もないし、むしろ公認となったことで、ちょっとした利点もあったのでその辺りは気にする必要もないと思っている。

例えば、ドアの向こうから聞こえる、朝ごはんの準備の音とか。

軽快な包丁の音に耳を傾けているとお味噌汁のいい匂いがしてきて、不意に空腹を思い出した。

 

――うん。何一つ異状なし。いつも通りの私と我が家だ。

現状の確認ができたところで大きく伸びをひとつ。もう動悸はない。

そうして、私はベッドから脱出する。

クローゼットを開け放って、見飽きたキャメル色の制服に袖を通す。

鏡の前で首元のリボンを直し、ちょっと癖のある髪を丁寧に梳く。絡まったりして手入れがちょっと手間だから、時々は綺麗なストレートもいいなあと思うけど、毛先の方でふわっとするこの髪型、なかなか可愛いのでやめられない。

そうこうしているうちに身支度が整った。

クローゼットを閉じて深呼吸をする。

特に意味はないけれど、今朝はなんだかおかしな気分だから、切り替えにはちょうどいいだろう。

 

ドアを開けてリビングに出ると、開け放たれた大きな窓から秋の清々しい風が入ってきた。今朝も気持ちいい日になりそうだ。

いつもの、朝の光景。

そうして。

 

「おはよう、マスター」

 

――彼の、優しい声を聞いていた。

 

少し前には、まあ、こんな朝もあったかもしれない。

小言と辛辣な笑顔の方が圧倒的だったとは思うが。

 

「む。まだ寝惚けているな、全くだらしのない。朝食の支度が済むまでに、今にも眠りだしそうなその顔を洗ってきたらどうかね」

「ひっどい。見もしないのに人を半寝扱いなんて」

 

ほら、少しぼんやりしただけでこれだ。

朝から容赦のない舌鋒に反論しながら向き直る、瞬間。

 

「ああ済まない、冗談だ」

 

声の主が見たこともないような穏やかな笑顔をしていて、呆気に取られた。

なにしろ、かなりの大柄、オールバックにした白髪、色黒の肌に鈍い色の瞳、なんて、並べただけでもかなりアレな容姿で、いつもむっつりと眉間に皺寄せてるひとである。しかも皮肉屋。

だというのに、それが笑うとやたら可愛くなるから質が悪い。

確かに顔は悪くない……どころか、普通にイケメンの部類なんだけど、それでもこれは反則だ。

いつもの事ながら天然タラシ爆発しろ、と叫びたい。

 

悔しい。

不意打ちでときめいてしまったではないか。

まあでも。日頃むっつりと眉間に皺寄せてる彼の、貴重な笑顔である。

何が嬉しいんだか知らないけど、こうして屈託なく笑ってくれるのは、私も嬉しい。

つられて私まで笑顔になって、ごく自然に、口にしていた。

 

「おはよう。今日もよろしくね、アーチャー」

「何だね、藪から棒に」

「なんとなく。今朝はあいさつ、ちゃんとしてないなって思って」

「そうか。では改めて――こちらこそ、よろしく頼む。マスター」

 

言うだけ言って彼はキッチンに戻っていった。

それはそうだ。当たり前の日常を惜しむ必要はない。

けれど、あの笑顔は、もう少しだけ見ていたかった。

 

――まあ、この暮らしが終わるまでにはもう一度くらい、こんな朝もあるだろう。

 

結論付けてリビングを通り抜ける。さて、彼の言うことを真に受けた訳じゃないけど、顔でも洗ってこよう。

背後からは再び、包丁がまな板を叩く、規則正しい音が聞こえてくる。

いつもの、朝の光景。

 

「―――あれ」

 

不意に、視界が滲む。

思わず目尻を拭って、零れそうな涙に気付いた。

 

多分。平穏すぎて、あくびでも出たんだろう。

 

 

 

 

「いただきまーす」

「いただきます」

 

二人で食卓を囲む。

今朝はお豆腐ともやしの味噌汁に塩鮭と卵焼き。昨日の残りのおひたしが少々。ウチでは珍しい和食だ。

半熟に焼かれた卵の中身は熱々のトロトロで、口の中に入れれば甘く溶ける。うん、今日も私好みの味と焼き加減である。

しかし、としみじみ思う。

戦いのために喚んだはずの英雄の魂が家事全般を特技とする、なんて、何の冗談だろう。一体どんな生前を送ってきたんだこの英霊。

だって本来のマスターに聞いたところによると、執事経験まであるとかないとか。

だが、一時的にマスターとなった私が勝手に彼の経歴を参照するのは気が引けるし、だからと言って直接訊くのも気まずくなりそうだ。

いや、いずれ追求するつもりではあるけど。

 

……まあ、それはともかく。

この家事スキルA+のサーヴァント、一生ウチで家政夫してくれないかなー、というのが私の最近の夢だったりする。

今は預かり物だから一生は無理としても、報酬次第で貸してくれないだろうか。

幸いにも我が家の資産は潤沢だし、彼のハウスキーピング能力を思えば、多少の散財は許されるだろう。

うむ。ひとつその方向で検討してみるか。

 

「時にマスター、何か不穏かつ失礼なことを考えていないかね」

 

頷きつつ卵焼きの最後の一口を頬張ると、目が合った。じっとりと低温の視線を向けられている。

いやまあ、確かに天下の英霊様をモノ扱いしたのは若干失礼だったかもしれない。

だけど、別に思索の内容に問題はない、多分。

なので、非難される謂われはないってば、と睨み返す。

よくわからないけど、弱気になったら負けだ。

 

「ちっとも不穏じゃない。正当なビジネスについて考えを巡らしておりました」

「不可能ではないだろうが、間違いなく吹っ掛けられるぞ」

 

開き直ったら溜め息吐かれた。失礼な。

 

「っていうかなんで分かったの?」

「昼夜を問わず彼女に酷使され続ければ、君でも分かるようになるだろうな」

「………」

「………」

 

食卓に沈黙が降りた。

アーチャーは遥か遠くを見つめ、深い悲しみとか諦めとか、そんなオーラを漂わせている。

そりゃそうだ。誰だってそんな従者という名の馬車馬生活はお断りしたい。

……それにしても、私が言えたことじゃないけど、サーヴァントは使用人じゃないと思う。

まあ、使えるものは神でも使いそうだけど。あの子。

 

「なんか、うん。苦労したんだね」

「放っておいてくれ」

 

我に返ってぷいと顔を背けるアーチャーに生温く同情しながら、ふと思い出して訊ねる。

 

「そういえば、その凛はどうしてるの?確か――夏休み中には帰るとか言ってなかった?休みも終わって一ヶ月経つよね……」

 

遠坂凛。僅か二ヶ月程度しか付き合いのない私に、何故かアーチャーとの契約を結ばせた、アーチャーの本来あるべきマスター。

今は魔術の総本山、ロンドンは時計塔にいる、冬木という霊地の管理者。

ミス・パーフェクトとまで称される彼女の要領の良さなら、一ヶ月以上の大遅刻なんて有り得ないはずだが――

 

「ああ、そういえば君はその辺の事情を知らなかったか。物騒なので詳細は控えるが、アレのおかげで冬木は一時、『この地で起こり得るあらゆるIFを実現可能』などという人外魔境になりかけたのだ。時計塔としては幾ら絞っても絞り足りないに違いない。……に、しても。そろそろあのうっかりは世界を滅ぼしかねんな」

 

沈痛な面持ちでアーチャーは結んだ。

最後の発言が本人にバレた日には間違いなく血を見るだろうが、今回は黙っていてあげよう。

何しろ起こりかけた事象の危険性を思えば、私までアーチャーと一緒にぼやく勢いだ。

あらゆる分岐を手繰り寄せて実現させてしまう物騒極まりない土地は、どこぞの月だけで十分間に合っている。

 

空想に自分まで痛ましい表情になりかけて、ふと気付く。

果たして凛はいつ帰ってくるのだろう。

アーチャーの言を信じるなら、当分は戻って来られないみたいだけど。

 

「アーチャー、で、実際凛はいつ頃戻ってくるのかな」

「今後の留学の件もある事だ、少なくとも今月中は帰ってこないだろう」

「あと一月近く楽ができるのか……なんてありがたい」

「喜んでばかりでいいのかね。今のように堕落しきっていては、一人に戻ってから苦労するぞ」

「でもほら、甘えられるうちは甘えたいお年頃だし」

「全く。仕方のないマスターだな君は」

 

やれやれ、と形ばかりの呆れを見せようとして、彼は自分の発したマスターという単語に表情を引き締める。

一体どうしたのだろう。

 

「そうだ、マスター。しばらく夜の外出は控えてくれ」

「?なんで」

「これがおかしな話でな。――聖杯戦争が起きている」

「聖杯戦争?半年まえに終わったとかいう、あの聖杯戦争?」

 

話にだけは聞いている。

冬木の豊富な霊脈を利用し、三つの魔術師の家系が秘術を持ち寄って造り上げた、限りなく真作に近い願望機、聖杯。

その所有権を巡り、杯が力で満たされる度に、七人のマスターが七騎のサーヴァント――英雄の魂を喚び出して、己が願いのために殺し合う。それがこの地の聖杯戦争。

 

今はエプロンを着けて完全に家政夫やってるアーチャーも、本来は遠坂凛によって喚ばれた弓兵のサーヴァントだ。

身体もあるし、人間と何ら変わりない生活を送っているから忘れてしまいがちだけど、彼は聖杯の力で生前の姿を再構成した死者。

人間など遠く及ばぬ力を秘め、聖杯戦争においてはマスターの剣となる。

 

その認識で合ってる?と訊ねると頷きで返された。大丈夫みたいだ。

 

「続けるぞ。我々サーヴァントは聖杯によって戦争の開始を知るんだが――」

「その開始が、告げられた?」

 

言葉を引き継ぐと、再度首肯するアーチャー。

 

「より正確には、また始まっていた、と言うべきか。頭の中に向けて『只今聖杯戦争開催中、サーヴァントは戦うべし』と呼び掛けられているような感覚だな」

 

でも、それはおかしい。だって私が聞いた半年前の結末は。

 

「そんな、半年前の聖杯は壊したって、凛が言ってたよ?ここの聖杯って満ちるまでに最低でも10年単位の時間が必要なんでしょ、ならこんな短期間で満ちるとも思えないし……大体、アーチャーの言い方だと、まるで『半年前の聖杯戦争を再開した』っていう風に聞こえるんだけど」

「ああ、だからおかしいんだよ。現在、聖杯の出現は確認されていない。第一、聖杯戦争が始まるならば、新規に七人のマスターと七騎のサーヴァントが用意されるはず。それがないのだから、この現象は恐らく『再開』だ。――或いは、『再現』かもしれんな。どちらにせよ、既に戦いは始まっている」

「アーチャーは戦うの?」

「まさか。他の連中も賞品なしの状態で妙な気を起こすような事はないだろうが……しかし、用心するに越したことはない」

「ん……ありがとう、気を付ける」

「何。君が大人しくしていてくれれば、私の仕事も捗るからな」

 

またこれだ。

って、はかどる?戦わないのに?

 

「この異常の原因を探る。聖杯が観測されていない以上、放っておいても勝手に終わりそうだが――凛にこの地の管理を任された手前、何もしないという訳にもいくまい」

 

ああ――と、納得する。

聖杯戦争の最中に凛との契約を切っていたアーチャーは、この夏、凛の指示で私と契約を結んだ。

だから彼は私をマスターと呼ぶし、基本的には私の従者として振る舞う。

けれど、凛からの魔力供給は半年前から今まで続いているし、第一、忠義に篤いこのサーヴァントには呼称や契約がどうだろうがまるで関係なく、彼女こそ優先順位第一位の主人と定めているのである。

この契約だって、凛が言い出したから従っているに過ぎない。

 

分かっている。それが当然なのだ。

マスターと不仲でもないのに、ある日突然縁もゆかりもない人間と契約を結ばされることの方がよっぽど歪だ。

彼にしてみればこんな主従関係は理不尽で受け入れ難いに違いない。

 

けれど、私との契約だってかれこれ二ヶ月以上になる。

それなのにこうして二人の絆を思い知らされるのは、仲間外れみたいで少し寂しい。

会話を打ちきり、黙って茶碗を置く。当然だが完食済だ。いくら会話に不満があっても、ごはんに罪はない。それを残すなんてとんでもない。

 

「……うん、お勤め頑張って下さい」

「まあ、程々にな。ところでマスター、そろそろ時間を気にしたらどうかね」

「え―――あぁ!!」

 

バッと振り向くと、時計は既に登校20分前だ。思っていたより話し込んでいたらしい。

 

「ご、ごめんアーチャー、あと頼むね!」

「構わん。遅刻しないようにな」

大慌てで席を立つ。

女子高生の朝の支度は時間がかかる。もう一分だって無駄にはできない。

ついさっきのどうしようもない嫉妬を横に蹴り飛ばして、ゆっくりと湯呑みで焙じ茶など飲んでいるアーチャーを羨ましいなあ、と横目で見ながら、部屋と洗面台を行き来する。

 

結局ギリギリの時間に支度を終わらせた私は、やっとの思いで鞄を掴んで、玄関まで走る。

 

「ああほら、弁当を忘れるんじゃない」

 

まったく君は忘れ物が多いから余裕を持って動きたまえと常々、などとまた小言が始まっている。が、もう謝る余裕もない。

 

「ごめん、ありがと、行ってくる!」

「気を付けてな」

 

アーチャーの手から藍色の弁当袋を受け取って、ローファーを突っ掛けながら大慌てで玄関扉を開ける。

 

さあ、退屈な日常を始めよう―――

 

 

 10/08 EVENING

 

本日もお勤めおしまい。

今日は新都で暇潰しする気分じゃなかったので、授業が終わればさっさと帰宅である。ちなみに部活には所属していない。

アルバイトに励むという選択肢もあるが、それなりにいいとこのお子様だった私は、暮らしていく程度なら稼がずとも何とかなっている。ありがとう両親、ありがとう裕福。

 

「ただいまー」

 

リビングではアーチャーが洗濯物を畳んでいた。

最初の頃は「年頃の女性として洗濯物を全部男に任せきりというのは如何なものか」なんて言った彼だが、根っからのオカン体質が下着の一つや二つで変な気を起こすとも思えなかったのでそのまま押しきった。

おかげさまで私の仕事も減って悠々自適を堪能できている。

 

「お帰りマスター。今日は早いな」

「んー、疲れたし、寄り道はやめました。おやつはー?」

 

キッチンの蛇口を捻って手を洗う。

これもアーチャーが散々私に言ったことの一つだ。すなわち、「帰ってきたらまず手洗いうがいだ」と。

小学生かよ。

ささやかな反抗心から帰宅後即携帯を開く私に対し、彼は毎回嫌味を言ってきた。しかもご丁寧に毎日表現を変えて、だ。

最初は無視していたのだけど、一週間過ぎても彼の語彙が尽きる様子がない辺りキリがないと判断し、諦めて今に至る。

おかげで生活習慣は正されたが、今にして思えば、あのまま彼のボキャブラリーの限界を探るのも悪くなかったかもしれない。

ちょっと怖いけど。

 

「冷蔵庫にチーズケーキが。ときにマスター。クリームチーズなぞ何に使ったのかね」

「ああ、お弁当に。私がパン好きなの知ってるでしょ?――え、なんで?」

「食に金銭をかけるタイプじゃないだろう、君は。クリームチーズも決して安い食材ではないし、少し疑問に思っただけだ」

 

冷蔵庫から一切れだけ取り分けられてあるケーキを出して、ふうん、と生返事。

確かに安くはないけど、やっぱりパンに挟む食材が野菜だけではちょっと寂しいので、肉とか魚とか乳製品は必須なのである。バランス的にも。

そんでもって、毎日飽きずに食べるためのバリエーションとして、クリームチーズはアリだと思う。おいしいし。

 

「やっぱりパン食がいいのか?」

「んー、パンは好きだけど、アーチャーの作る和食も同じくらい気に入ってるよ。あれなら、毎日だって食べたい」

「……そうかね」

 

作業の終わったらしいアーチャーの対面に座ると、マグカップに注いだコーヒーが差し出される。

私に合わせて、向かいに置かれたカップの中身も同じくコーヒーである。

アーチャーの淹れる紅茶も、作法に則った大変美味しいものなのだけど、私が甘いものにはコーヒーを希望するので、おやつ時にその腕が振るわれることは滅多にない。

とはいえ、その日ローストした豆を使用する彼のコーヒーは、英国式の紅茶にだって負けない絶品だ。立ち上る香ばしい薫りは、口に含めば強めの苦味、僅かな酸味と渾然一体となって、ケーキのお供に抜群の一杯として仕上がっているのが分かる。

おやつに応じて豆のブレンド具合とかローストの加減とか微妙に違うので、どうもこだわりがあるらしい。

 

人心地ついたところでありがとう、と言おうとして目を逸らされた。

明らかに誉められて照れている。なにこれ、かわいい。

 

「実際、こんな美味しいごはん作ってくれる旦那さんとか素敵だよねー」

「からかっているだろう」

「うん。でもでも、ごはん云々は実際にアーチャー謹製のお弁当見た友達の発言なので、私の責任じゃありません。ねーねーそういう予定ないのー?……凛とか」

 

それをネタに昼休み中散々からかわれた身として、八つ当たりを兼ねてアーチャーをからかいたいだけだ。

凛を例に挙げたのは彼と現在一番近しい女性(と予想)だからであって、他に意味はない。

「大事にされてるねー」とか言われて、「それだけはねーから」と否定するのが自虐混じりになったりなんかしてないし、落ち込みながら、契約中のマスターを差し置いてアーチャーの優先順位第一位をキープする凛を思い出して「やっぱこれだけ大事にしてるのは恋人だからなのかな……」とか恋する乙女思考になったりもしてない。ないったらない。

 

「ぶ―――ッ!」

 

どんよりと曇った気持ちで色々と思い出していたら、カップを傾けていたアーチャーが見事に吹いた。

目論見は予想以上の成功を収めたっぽい。

しかし、私に向けて吹き出さないように口許を押さえたのはいいけど、煎れたて熱々のコーヒーじゃ口の中が大惨事だろうなあ……御愁傷様。

 

「………い、いきなり何を言い出すかと思えば。残念ながら横着者のマスターの面倒を見るのが手一杯でそんな余裕はないな」

 

肝心なところをはぐらかしている。ごまかしついでに皮肉と不満が飛ばされたので、これはもう絶対許さねーと決めました。

それにしてもケーキが美味しいなあ。

 

「うん喧嘩売りたいのはわかったー、………それで凛は?」

「もぐふぉッ」

 

今度はクールダウンのための水を飲み損ねて噎せた。

わざとタイミングを合わせたとはいえ、涙目で可哀想なくらい咳き込んでいる姿を見るとちょっとやりすぎたかな、とも思う。

だが逃がすつもりはない。恨むなら自分の不用意な発言を恨むがいい。

 

「ッゴホ、済まん、もう勘弁してくれ……」

「じゃあ凛とはどうなのか話してくれるんだよね?」

「はぁ……彼女に魅力がないとは言わんがね、アレは活発、お転婆という域を逸脱している。というかだね、そんな関係を想像するだけで私は胃が潰れる思いだよ」

「つまり?」

「君の想像は的外れだということだ。期待していたのなら申し訳ない」

 

―――いや、どっちかというと外れて嬉しい感じです。はい。

 

一瞬妙な思考がよぎったが、無視してなんだつまらない、とぼやく。

アーチャーがコップの水を苦々しい表情で飲み干して、私に向き直った。

 

「マスター。職務上のパートナーが人生においても最良のパートナーであるとは限らない。そんな考えは創作だけに許された夢物語だ」

「夢がないなあ」

「生憎、そんなものはとうの昔に磨り切らしたよ」

「じゃあ、アーチャーの人生に、そういう大事な人は、いたの?」

「いるかいないかで言えば―――いた。だが当時の記憶は英霊としての記録でほとんど失われている。君の望むような具体的な話は出来んぞ」

「なんだつまんない。……でも、良かった。アーチャーも人並みに楽しい時期があったんだ」

「英霊だって人の子だ。楽しみくらい、あってもいいだろう」

「いやでも。アーチャー、自分のことやたら否定するじゃない。だから人生楽しくなかったのかなー、って」

「――――。」

 

あれ。なんか、アーチャーが、凄い顔で黙った。

 

「え、なに」

「……何でもない。食べ終わったなら宿題でもするといい。連休に向けて大量に出されたんじゃないか?」

「うわ、そうだった。思い出してへこむー……」

「さあ、夕飯になったら呼ぶから、学生の本分に励むといい」

「はーい」

 

複雑そうな表情はいつもの皮肉げな顔で隠される。

――だから、生まれた綻びに気づけない。

 

「―――君の前でそこまで卑屈になった覚えはないのだがな」

 

とぼとぼと部屋の戸を開けた私は、山のような宿題の存在に落ち込んでいて、彼の呟きを聞き逃した。

でもきっとそれでいい。

彼は、私には聞いてほしくないことを言ったような気がするから。

 

今の私に出来るのは、いつか聞かせてくれる時を信じて、日々を回すことだけだ。

さしあたっては、宿題とか。

 

 

 10/08 NIGHT

 

夕飯も終わり、リビングには緩んだ空気が漂っている。

バラエティ番組をBGMに、私はソファーの上で雑誌をめくっていた。

 

「柿でも食べるかね、マスター」

「んー」

 

起き上がって首を縦に振ると、間もなくアーチャーの手元からはしゅるしゅると伸びるオレンジ色の皮。

四等分したら種を取り除いて器に盛って、爪楊枝を添えて出来上がり。

簡単な行程でも、手慣れた人間がやる仕事はとても鮮やかで、見ていて楽しい。

器を取りに行って、そこで、柿が自分の分しか用意されていないことに気が付いた。

 

「アーチャーは?」

「私は見回りだ。街に異常がなければ、すぐに戻るが――まあ、今日中には戻らないものと思ってくれ」

 

そうだった。

聖杯戦争のことを、すっかり忘れていた。

神代より秘匿され続けてきた神秘の大盤振る舞いを、白昼堂々始める馬鹿はいない。

必然的に、戦いの場は夜になる。

だからこそアーチャーは私に夜の外出を控えるよう進言したのだし、異変を探る彼が夜の見回りをする、というのは当然の流れだろう。

冷えた柿をほおばりながら頷く。うん、もう少しシャキシャキなうちに食べたかったな。柔らかい。

 

「お仕事、ご苦労様です」

「君も、何か気付いたら教えてくれると助かる。私も解析には強いと自負しているが、君の客観的な視点から見れば、まるで違うものが『視える』かもしれん」

「私の『観測』は対象が分からないとどうしようもないんだけど」

「ならば、明らかな異状の痕跡を見つけて、君に頼むことにしよう。幸い明日からは休みだろう?」

「それは……連れ回す気?」

「どうせ暇潰しにフラフラしているのなら、仕事のひとつも手伝いたまえと言っているんだ。それに何も君を一日中拘束するつもりはない。呼び出しに応じてくれればいい。携帯を忘れるなよ」

「忘れたいなー」

「それならそれで迎えに行くだけだが?」

「絶対に忘れないよ!うん!」

 

雨に降られた私を迎えに来たアーチャーと、買い物がてら連れ立って新都を歩いていただけなのに、その姿を目撃された挙げ句、色々と問い詰められた思い出がよみがえる。

別にやましいことなんか何一つないのに、妙な誤解とかあらぬ誤解とか不本意な脚色されたりとか、とにかくアレは散々だった。

さすがに二度目はごめんだ。

 

「……あらぬ噂を立てられるのも困るが、そこまで全力で拒否されるのも悲しいものがあるな……」

 

 

 

 

結局、ちょっとだけ悲しそうな顔をしながら、アーチャーは再度、外出は厳禁だぞマスター!と念を押してベランダの窓から出ていった。鍵を持っていないはずはないから、玄関から出るのが面倒だったに違いない。

常人なら間違いなく人生が終わる高度から飛び出した背中は、夜の闇に紛れて滲むように消えた。

彼が神秘の塊なのだと、ここに至り私は思い知る。

消える間際、黒い甲冑で無表情に一瞥をくれた彼が恐ろしいもののように感じられたのは、きっと勘違いなんかじゃない。

私好みの味付けで料理を作り、温かい部屋と沸いてるお風呂を用意して待っててくれるアーチャーもまた、苛烈な人生を駆け抜けた英雄なのだと、今更なことを思う。

 

マスターとして役に立てたら、と思う気持ちはあるけれど、彼の邪魔をしないことが一番だと分かっているので私には窓の鍵を開けて待つくらいしか出来ない。

 

確かに名目上私はマスターだけど、戦いにおいて直接バックアップ出来るような魔術は習得していない。

物理的な戦いの能力だって、ない。

私はたった一つの魔術しか扱えない魔術師で、それ以外は概ね平均以下の水準しか持たない人間なのだ。

彼の甲冑姿で圧倒されているような状態で、何かをしようなどおこがましいにも程がある。

 

「――やめよう。落ち込む」

 

わざと声に出して、負のスパイラルに陥ろうとする思考を打ち切る。

私のスペックがどうあれ、夜は魔術師としての研鑽を積む時間だ。

それに明日からはアーチャーの手伝いの件もある。魔術行使に向けてコンディションは万全にしておかなければ。

 

器を洗って片付け、リビングの電気を消す。

自室の明かりは点けない。どうせ必要ない。

 

「#include <stdlib.h>」

 

それが私を魔術師に換えるコマンド。

身体が崩れて消える幻想を感じながら、自分の中に沈む。

魔術行使に付き物の苦痛は、何度経験しても慣れない。

自己を変革させる痛みに慣れてはいけないのだろうけど、それでも痛いのは嫌だ。

グズグズに分解される痛みをやり過ごしながら、私は自身に許された魔術――『観測』の具合を確かめる。

 

「Reference();」

 

目を閉じて胸元のリボンに触れ、情報を参照する。

このリボンが辿った経歴、構成する素材、用途、持ち主―――あらゆる情報が頭の中に一瞬で書き込まれる。

何度となく視てきた、諳じることすら出来る文字列から、昨日とは違う部分を探す。感覚を切り捨てて、情報処理に全力を尽くす。

自分がどこにいるのかわからなくなった。いつものことだ。

 

――私の本日の行動で更新された情報を、正しく認識出来ているか。

過去の経歴に誤りはないか。

引っ張ってきた情報の全文を正しく、素早く読み取れるか。

更新部分を短時間で探し出せるか。

触れたリボンと自分だけの世界で、私は確かめるように情報をなぞる。

 

「っはァ、あ……は―――」

 

確認は無事終了。

緊張の糸はブツリと途切れ、目を開けて落ちる汗にも構わず空気を吸い込む。

動けなくて崩れ落ちていた頃に比べれば、今は格段に進歩したと言えるだろう。

 

こうして、自分がその日持ち歩いた物の一つを丁寧に読み取るのが、私にとっての訓練になる。

たかだか一年程度の経歴しか持たない、情報量も少ないリボンだけど、だからこそ全文を暗記して、魔術に異常がないか確認できるし、自分の裡に埋没して丁寧に読むことは集中力の向上に繋がる。

しかも検索能力のスキルアップも見込めるし、魔力も然程喰わない。

ただ、とにかく疲れるのだ。

糖分は足りなくなるし、眼精疲労からくる頭痛と肩凝りには常に悩まされている。

何しろこの魔術、とにかく融通が利かないのだ。

対象の項目を視ること自体はコマンド一発、一節で起動のかんたん検索なのに、そこから更に必要な部分を捜索するとなると、途端に過酷なアナログ作業を強いられる。

簡単に言えば、目次も無い1000ページ超の本の中から、必死にお目当ての一文を探しているようなものだ。

その上この本、あくまで情報を文書化したものなので、意味不明な単語だのスペックだのに注釈がついていたりもしない。

要するに理解できるかどうかは私の知識量にかかっているわけで、『何でもかんでも知ることの出来るスーパー百科事典』ではない。

本当に、融通が利かない。

 

そしてもう一つ。

私が触れているものでなければ、視ることすら叶わない。

ただ、それは裏を返せば、触れられるのならサーヴァントすら視られるということでもある。

 

だが、サーヴァントは英霊の座より膨大な知識を蓄え、聖杯という神秘によって編まれた存在。

彼らの経歴を参照する、となると、英霊としての項目をダウンロードしてくることになる。

しかし、時間軸を外れた彼らの死後の経歴はそれこそ無限に等しい。

そんなものを人間の頭の中に突っ込もうものなら、処理落ちの挙句フリーズ確定である。

電子機器と違って人間は再起動出来ないのだから、それはすなわち死と同義だ。

 

一応、引き出す情報の細かさはある程度調整できるけど、神秘系統は多くの場合、スペックの時点で情報量が有り得ないことになっている。

視ようとして限界まで情報を引き出したところで、精々役に立たない程度に大雑把な年表と、曖昧すぎて何の参考にもならない仕様書しか手に入らないようでは魔力の無駄遣いだ。

そんな無駄骨折るのは御免なので、基本は視ない、ということにしている。

いや、もしかして注意深く検索かければ、最初から項目の中の必要箇所のみ引っ張ってくることも可能かもしれない。それはとても魅力的な話だけど―――

 

「……ないない」

 

だとしても私の能力がそれを実現できる領域にないし、仮に能力面での条件を満たしたとしても、注意深く、の段階で失敗する可能性があまりに高い。無謀な挑戦の代価が命となれば、どちらを取るべきかなど考えるまでもないだろう。

 

危険すぎる「もしも」を振り払い、私はゆっくりと立ち上がる。

確認は済んだ。もう一つ読み取っても構わないけれど、消耗が大きそうなのでやめておく。

明日からはアーチャーが望むなら、この力を振るうことになるだろう。

その時のために、多くもない魔力は温存しておきたい。

さあ、一日の疲れを洗い流して、今日を終わりにしよう―――

 
 

 
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