No.252097

【オリジナル小説】空の欠片と、飛べない竜と。

白森 秋さん

今までとはちょっと違う書き方に挑戦してみました。彼(彼女)の最後は…。あなたの、想像のままに。

2011-08-01 01:51:07 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:562   閲覧ユーザー数:548

私は知らなかった。

 

こんなにも空が青く、海よりも澄み渡っていることを。

 

私は知らなかった。

 

こんなにも風が心地よく、心を穏やかにしてくれることを。

 

私は知らなかった。

 

大地から離れ、新しい世界へ飛び立つときの高揚感を。

 

そう、私は今。

 

空の欠片を、手にしている。

風になびく草原に、いくつもの影が落ちていた。

大きく翼をはばたかせ、自由に空を駆ける竜たちの影が。

 

綺麗にシンメトリーを描く影達が、心地よさそうに地面を駆けてゆく。

まるで、私のことを誘うように、駆けてゆく。

 

もしも私が空を仰げば、その影の主たちを目にすることができただろう。

空を飛ぶことの喜びを、今まさに感じている竜たちを、見ることができただろう。

 

でも、私は顔を上げることは出来なかった。

ただひたすらに地面に目を向け、遠ざかってゆく影たちを見守ることしかできなかった。

 

その理由は、私自身にあったのだ。

幼いころから、不思議に思っていた。

 

近所の仔竜たちが、翼を使う訓練を始めたというのに。

私の両親は、私にそれをさせようとはしなかった。

 

大人たちが仔竜たちを背にのせ、風と触れ合わせている時でさえ。

私の両親は、私を背に乗せてはくれなかった。

 

大人の竜が当たり前のように空を飛んでいるというのに。

仔竜が背の上で、嬉しそうにはしゃいでいるというのに。

 

私はただ、その光景を地面の上から眺めているだけ。

 

私が両親に嫌われているわけではない。

それは私自身が一番よくわかっている。

 

両親は、私に溢れんばかりの愛情を注いでくれた。

周りと同じように、いや周り以上に。

心の底から可愛がってくれていることは、よくわかっているのだ。

 

なら、何が理由なのだろうか。

 

そんなことは、すぐに解った。

幼い私の頭でも、解ってしまった。

 

でも、私はその理由を口にできなかった。

 

もしも、それを口にしてしまったら。

もしも、その事実を受け入れてしまったら。

 

私はきっと、両親に問いかけていたことだろう。

 

「どうして、私には"翼"が無いの?」

 

と。

それから月日は経ち、周りの仔竜は立派に成長していった。

幼いころは心もとなかった翼も、今ではしっかりと風をつかんでいる。

 

大人たちも、そんな彼らの成長ぶりを見て、しきりに褒め称えていた。

これならもうすぐ、ひとりで飛べるようにもなるだろう、と。

本人たちもそれを実感し、お互い嬉しそうに将来のことを語り合っていた。

 

飛べるようになったら、何処へ行こうか。

飛べるようになったら、何をしようか。

 

穢れの無い、澄んだ瞳を輝かせて。

自らの心に広げた"空"という名のキャンパスに、想い想いの夢を描いていた。

 

そう、空を飛べること。

それが"大人"になるということ。

 

それが、私の村での掟だった。

彼らの影を追い続けて、どれくらいの月日が経っただろうか。

 

とうとう、彼らが大人になる日がやってきた。

村中の大人たちが見守るなか、仔竜である彼らは自信ありげに翼を広げる。

 

空を見つめる、凛々しい横顔。

大地に落ちる、巨大な影。

そして、風と共に舞い上がっていく姿。

 

彼らはもう仔竜ではない。

彼らは、竜になったのだ。

 

帰り際、離れたところを歩いていた彼らの会話を耳にした。

彼らは数日の間に、村から旅立っていくという。

 

生涯の伴侶を見つけ、村へと胸を張って戻るために。

世界を知り、心を成長させ、種の繁栄に貢献するために。

 

彼らは風と共に、世界へ旅立つのだ。

 

でも私は、その中には含まれていなかった。

誇らしげな顔で、一列に並ぶ彼らの中に。

 

私は並ぶことができなかったのだ。

 

彼らの背中に在って、私の背中には無いもの。

大人である証。竜である証。生きるための証。

 

私は、その"証"を持っていないのだから。

私は、その"翼"を持っていないのだから。

風になびく草原に、いくつもの影が落ちていた。

大きく翼をはばたかせ、自由に空を駆ける竜たちの影が。

 

はるか遠くに見える、山々の向こう側へ。

果てしなく続く、水平線の向こう側へ。

 

彼らは旅立ってゆく。

 

私には無い、その立派な翼をはばたかせて。

 

生まれ育った村のために。

育ててくれた、大人たちのために。

 

世界へ、旅立っていく。

 

その光景を目にした大人たちは皆、大粒の涙を流していた。

 

彼らの成長に感動し、喜びの涙を流す竜が居る。

彼らとの別れを惜しみ、哀しみの涙を流す竜が居る。

 

そして、私の背中に謝りながら、憐みの涙を流す両親が居る。

 

でも、私は泣けなかった。

 

旅立つ彼らを見ても、何も感じなくなっていたのだから。

 

そう、私は無くしていたのだ。

悲しみも、喜びも、怒りも、全て。

 

"翼"を無くした私は、"心"まで無くしていたのだ。

彼らが旅立った後の村は、何も変わらなかった。

いや、大人たちがわざと、変わらないように見せていた。

 

大人たちは誰もが、悲しみを表に出さぬように。

いつも通りの生活を続けているように、振る舞っていた。

 

そんな、見かけだけはいつも通りの世界。

少し裏を返せば、別れの悲しみで溢れた世界。

 

その世界の中で、私は取り残されていた。

 

私だけが、何も変わらない。

私だけが、何も感じない。

 

私だけが、この世界から切り離されている。

そんな気さえ、していたのだ。

昼と夜の狭間にある、夕闇に包まれた世界。

 

彼らの旅立った昼の世界でも、大人たちの悲しみに溢れた夜の世界でもない。

どちらの世界にも居られない、"私"だけの夕闇の世界。

 

そんなふたつの世界を淡々を眺めながら、私は筆をとっている。

 

竜になれなかった竜の想いを、絶やさぬために。

幼いころに失った心を、残していくために。

 

私は今、真っ白な紙にインクを垂らしている。

 

これは、誰かに詠まれるのだろうか?

これは、誰かの心に刻まれるのだろうか?

 

それは私にはわからない。

何も持っていない私に、できることがあるとすれば。

 

私の心に眠る、本当の想いを文字にするだけだった。

 

『生きた"証"であるこの本が、誰かの心に留まらんことを。』

 

そう、最後の言葉を書き終えて、私は家を後にした。

 

私は私なりに"証"を残した。

 

私はもう、仔竜ではない。

私はもう、立派な大人になったのだ。

 

ならば、私が行くべき場所はひとつ。

 

大人として、竜として、旅立つために。

 

私は、あの海が見える丘へと歩き出した。

風になびく草原には、影一つ落ちていなかった。

仔竜たちのはしゃぐ声も、それを叱る大人の声も聞こえない。

 

この丘に居るのは、私一人だった。

 

私は白い本を携え、丘の真ん中にある木へ向かっていった。

幼いころは、あれだけ大きく見えた木も、今では簡単に登れそうだった。

 

白い本を木の幹に預けると、丘の先へと歩き始めた。

 

これまでの私は、あの木から先には進めなかった。

あそこから先は、"証"を持っていないと進んではいけない。

そんな感情が、私の中にあったからだ。

 

でも、今は違う。

昔は持っていなかった"証"を手に入れたのだ。

 

私の背中には、私の手で描いた"翼"がある。

例え、それが幻のインクで描かれていたとしても。

 

私にとっては、幻でも何でもない。

私の"証"であり、"翼"であることは、真実なのだ。

 

あれほど遠く感じていた空が、目の前にある。

手を伸ばせば届きそうなほど、近くにある。

 

私は、彼らに追いつくために。

 

今、一歩を踏み出そう。

 

恐れることは、何もない。

 

村のために、父のために、母のために。

 

私は大きく翼を広げ、果てしない世界へ飛び立った。

私は知らなかった。

 

こんなにも空が青く、海よりも澄み渡っていることを。

 

私は知らなかった。

 

こんなにも風が心地よく、心を穏やかにしてくれることを。

 

私は知らなかった。

 

大地から離れ、新しい世界へ飛び立つときの高揚感を。

 

そう、私は今。

 

空の欠片を、手にしている。

 

最初で最後の、翼を広げて。


 
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