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虚界の叙事詩 Ep#.24(最終話) 「最後の審判 Part2」-2

最終話です。ゼロとの決戦は大規模なものとなっていき、いよいよ最終攻撃が仕掛けられる事になります。

2011-05-07 12:10:50 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:513   閲覧ユーザー数:475

 

 『リヴァイアサン』艦内では、《青戸市》の様子を現した、衛星からのリアルタイム映像が流れ

ている。

 しばらくその映像では白い光と閃光しか捕えられないでいた。だが、やがてそこに、消失した

都市の姿が現れる。

 そこには、軍が捕えていた、『ゼロ』の巨大な肉の姿は残されていなかった。

 くまなく衛星によるスキャンが行なわれた。更に、特異エネルギー波探査装置による、特異エ

ネルギーの探査も。

 エネルギー波探査装置には、莫大な量の放射能が《青戸市》から検出されていた。しかし『ゼ

ロ』の出している特定のエネルギー波だけ抽出し、それだけを感知する事もできる。

 探査装置では、これまた莫大な量だった『ゼロ』の持つエネルギー波が、ガスのように散り散

りになって行き、その上、消え去ってしまうのを確認するのだった。

 それが何を意味するのか、『リヴァイアサン』にいる者達は理解していたが、しばらくの間、確

信には変わらないでいた。

 『リヴァイアサン』の指令室にいる者達は、しばらく、《青戸市》で起こった出来事が、まるで現

実に起こった事でないかのような錯覚に陥っていた。

 だがやがて、

「攻撃…、成功…。目標の破壊を確認しました…」

 一人のオペレーターが、ミッシェル・ロックハート将軍にそう告げた。彼女は、一呼吸置いてか

ら、『帝国』の作戦本部のモニターへと目を向けた。

「“最終攻撃”成功…、目標の…、『ゼロ』の破壊を確認…」

 彼女の言った言葉は、即座に『帝国』、そして、『タレス公国』やその同盟国にも伝えられるの

だった。

 

 

 

『タレス公国』ゼロ対策本部

 

 

 

 『紅来国』、そして『帝国』よりも遠く離れた地、『タレス公国』においても、『ゼロ』が完全に破

壊されたという報告は即座に伝えられた。

 この数日間、世界的な規模での危機に対処してきた対策本部の者達は皆、ほっと胸を撫で

下ろす。依然として《青戸市》への監視は向けられていたが、原長官も安堵の色を隠せなかっ

た。

 だが同時に、彼は、ある事も悟っていた。

 作戦の動向を、対策本部の指令室で一分の時も逃さず見守っていた者達。そんな政府の高

官達の中で、力が抜けたように椅子に持たれかかった原長官の肩に手を置いたのはドレイク

大統領だった。

「君の部下達は、よくやってくれた。この恩は、国を持って返させて頂く。それと、君にも感謝し

ているよ、ハラ長官…」

 だが、ドレイク大統領にそのように言われても、原長官はまだ安心した様子を見せられない

でいた。

 重々しい調子で彼は口を開く。

「“最終攻撃”が行なわれたという事は、『SVO』のメンバーは『ゼロ』のほんのすぐ側にいた。

助かりません…。

 私や我々は、今まで彼らを利用して来たも同然…。恩を返す事などできないでしょう…」

「ハラ長官…、我々は彼らの選択に委ねたのだよ…。この作戦に参加するかどうかの是非は、

彼ら自身の選択に任せたのだ…」

 だが、ドレイク大統領が幾らそのように言っても、原長官の顔色は変わらなかった。

「ですが、我々が彼らにした事は、罪です。幾ら彼らが認めようと認めていまいと、彼らは被害

者なのですから…。本当にこうするしかなかったのでしょうか…?」

 と、その時、指令室の扉が開かれ、ドレイク大統領の補佐官の姿が現れた。

「大統領! たった今、『帝国軍』から報告がありました! その筋によると、『SVO』のメンバ

ー8名のうち7名、更にアサカ国防長官を救出。生存を確認したとの事です!」

 補佐官の声が指令室に響き、一刻の間の後、原長官は思わず椅子から立ち上がった。

「な、何だと? 君、それは本当なのか?」

「ええ、間違いありません。彼らを救出したヘリは、《青戸市》沖の海に不時着しましたが、直

後、艦隊イオ号によって全員救出されています」

 その補佐官の言葉が信じられないといった様子で、原長官は思わず自分に与えられた椅子

に座り込んだ。

 『SVO』のメンバー。自分が誰よりも信頼していた彼ら、もう絶対に助からないと思っていたの

に…。

 だが、そんな原長官の様子を、ドレイク大統領は懐疑的な目で見つめていた。

 

 

 

 『ゼロ』が完全に破壊された。その最終確認と、部隊の避難が始まる慌しさの中、原長官とド

レイク大統領は、2人きりで指令室に残っていた。

 ドレイク大統領がその環境を作らせたのだった。

 原長官は、とにかく『SVO』メンバーが救出されて一安心と言った様子だったが、逆にドレイ

ク大統領は原長官に疑惑の目を向けざるを得なかったようだ。

「ところで、ハラ長官…」

 2人だけになった指令室で、ドレイク大統領は静かに原長官に尋ねた。

「何でしょう…?」

「『ゼロ』に対し、“最終攻撃”が行なわれる直前、『SVO』の7人のメンバー、そして、『帝国』国

防長官の、浅香 舞を救出するヘリが《青戸市》へと飛び立ち、実際、彼らを救出した。しかし、

『帝国軍』によれば、そのような救出作戦を行うなどという事は、誰も報告も許可もしていないそ

うだが…」

 そんな話を自分に持ちかけてきたドレイク大統領。彼が何を言いたいのか、原長官にはすぐ

に理解できた。

「私は、そのような作戦など存じません。“最終攻撃”が行なわれたと聞いて、私は、彼らは助

からなかっただろうと思いました。もしそのような“救出作戦”が行われていたのならば、私はそ

のようには思いません」

 だが、ドレイク大統領は、

「作戦を危険に晒したのならば、それは重大な反逆行為だ…。しかも相手は『ゼロ』…。作戦失

敗の危険は、実際、人類にとっての危険になる…。

 もし、原長官…、あなたの命令で、そのような救出作戦が行なわれたというならば、私は『帝

国』にこの事を報告する義務がある」

「…、ドレイク大統領…、私はそのような作戦など存じません…。事実、『SVO』の者達が救出

されたと聞いて、逆に驚いています…。それに、救出作戦を行ったのは、『帝国軍』なのでしょ

う? 私は『帝国軍』に対しては、何の影響力も持っていないのですよ」

 原長官は相手の顔を伺って答えた。だが、ドレイク大統領のいかめしい顔には疑惑しかな

い。

 2人の間に、思い緊張感が流れる。『ゼロ』をこの世から消し去ったばかりの慌しさの中、疑

惑が渦巻いた。

 安心する事もできない。原長官はそう思った。

 しかしそんな指令室の中へ、ドレイク大統領の補佐官が、慌しい様子で入ってきた。

「大統領。『帝国軍』の、救出作戦を行ったヘリのパイロットの証言が届きました。何でも、サト

ウ・タイチという『SVO』のメンバーに頼まれた、アサカ国防長官に、直接命令されたとの事で

す」

 ドレイク大統領は、執務室の椅子から立ち上がった。どうやら大統領は、補佐官に確認を取

らせていたらしい。抜け目がない。

「何だと? どういう事だ?」

 ドレイク大統領の補佐官は続けた。

「何でも、“最終攻撃”の直前に、彼らを救出するという極秘の命令があったようですね。但し、

例え彼らを時間内に救出できず、救出部隊、『SVO』のメンバー、国防長官のいずれも、高威

力原子砲の危険区域から脱出できなかった場合でも、攻撃は行なうものとありました。

 この救出作戦が、攻撃に危険を及ぼしていた可能性は考えられません…」

 補佐官の言葉に、ドレイク大統領は納得したようだった。

「そうか…、分かった…」

 そしてドレイク大統領の目が再び原長官へと戻ったとき、その疑惑の目は幾分か和らいでい

た。

「原長官…、すまなかった…」

 大統領は、原長官へと頭を下げる。

「い、いえ…。良いのですよ…。あのような作戦の後ですし…、まして、あの太一がそのような

作戦をしようとしていた事を知らなかった私の方にも責任が…」

 だが原長官のその言葉を、ドレイク大統領は遮る。

「…、もう良いだろう…。君は一人で責任を背負い過ぎている。彼らは見事に任務を成し遂げ

た。それで一体、何の問題があるというのだ?」

「…、確かに、そうですね…」

「だが、君に『SVO』に関して、最後にはっきりさせておきたい事があるというのも、また事実だ

ろう…」

 ドレイク大統領は再び原長官へと疑惑の目を向けた。

「と、申しますと?」

「『SVO』のメンバーの内7人。今回の作戦で救出された7人の者達については、実験後の情

報について、事細かなデータを見させてもらった…。だが、この今回、残念ながら犠牲になって

しまった、この男…」

 そう言って、ドレイク大統領は、薄いファイルに載せられている写真を原長官に見せた。

「サトウ・タイチについては、ほとんど情報が無い。この人物がいたというだけで、彼についての

データは全く無いようだが…」

 すると、原長官は、顔を伏せ、ドレイク大統領から目線をそらせた。

「…、それは…」

「答えてくれ、ハラ長官…」

「私も、知らないのです…」

 原長官は、疲れ切ったかのような声でそう答える。

「どういう事だ…?」

「私も、佐藤太一という男については、ほとんど何も知らないのです。彼のその名が本名である

かどうかという事さえ…、知りません。私が知っている事は2つ…。

 1つは彼が今回の任務で犠牲になり、他の仲間達を救ったという事…、

 もう1つは、彼は、突然私の前に現れ、《青戸市》から救出された7名の男女で、『SVO』とい

う組織を造り出す事を提案したという事、それだけなのです」

空母イオ号 《青戸市》沖20kmの地点

 

12月4日 7:11 A.M.

 

 

 

 

 

 

 

 海上に墜落したヘリから、救助された『SVO』の7人、そして、『帝国』国防長官の浅香 舞

と、ヘリコプターのパイロット達は、即座に別のヘリに救助され、空母イオ号へと向っていた。

 

 ヘリの中では繰り返し、『ゼロ』討伐の為の一大作戦の成功が告げられていた。

 

 『ゼロ』を完全に破壊、それを確認したと―。

 

 氷のような海に落下し、毛布に包まって震えている『SVO』のメンバー達や舞も、その言葉を

聞けば、数日ぶりにほっとした様子を見せた。

 

「やったな、先輩。ようやくあのしぶとい奴と決着を付けられたぜ…」

 

 浩は強がって、毛布を受け取らず、まるで自分が一人で『ゼロ』を打ち倒したかのような言い

方をするのだった。

 

「あ、ああ…」

 

 そんな浩と、あの存在が本当に消滅などしたのか、まだ安心しきれない隆文は戸惑っている

ようだ。

 

 それに、ヘリに備えられた救急用ベッドに横たわる、一人の仲間の安否も気遣われる。

 

「沙恵…、香奈は大丈夫そう…?」

 

 隆文の隣で同じように毛布に包まって、未だに海水に濡れている絵倫が尋ねる。

 

「よ、呼びかけても反応が無いの…」

 

 同じように毛布を肩にかけ、まだ震える手で香奈の身体を触りながら彼女の状態を確認して

行く。

 

 『ゼロ』の体内から脱出してきた香奈は、ヘリに飛びついた瞬間から、意識を失っている。作

戦中に付いた細かい傷や、ところどころに軽い火傷のような傷がある以外は、酷い怪我をして

いる様子も無い。

 

 だが彼女は眼を覚まさなかった。

 

 更に、香奈はある事にも気付いていた。

 

「それと…、何だろう。香奈の身体が少し温かいし、何ていうか、ちょっと光っているって言うの

かな…?」

 

 それは、香奈の身体のすぐ側まで寄らないと分からない事だった。

 

「もしかしたら…、もしかしたらですが…」

 

 と言い、近寄って来たのは、『帝国』国防長官の舞だった。

 

「何ですか…?」

 

 沙恵は顔を上げ、香奈の横たわる簡易ベッドの側に立った舞を見た。

 

「彼女は限界まで追い込まれ、潜在能力を発揮したんでしょう。その『力』がどの程度であった

かは分かりませんが、少なくとも『ゼロ』の体内から脱出できるほどです。

 

 その『力』は、香奈さんには非常に負担の大きいものです。何しろ普段使用しないほどの

『力』を一気に使ったんですからね…」

 

「じゃあ、香奈は大丈夫なの?」

 

 絵倫が身を乗り出した。

 

「私の『能力』を使って、その『力』を封印してしまえば、肉体的な疲労だけで済むでしょう…」

 

 そう言って、舞は香奈の腕に触れようとした。

 

「なるほど…、そんな手があったか…」

 

 呟いたのは登だった。

 

 舞の手が香奈に触れる。その時、彼女ははっとして驚いたようだった。香奈の身体から、何

か熱いものを感じ取ったかのように、一瞬手を引っ込める。

 

「ど、どうしたの?」

 

 と、沙恵。

 

「こ、これは、もの凄い…。まさか…、これほどの『力』が…?」

 

 冷静さを欠かさなかった舞だったが、この時ばかりはという様子で驚愕を見せる。

 

「な、何だ何だ? 何言ってんだ? あんた!」

 

 と、隆文も身を乗り出してきた。

 

「凄まじい『力』を彼女は持っています…、もちろん、『ゼロ』ほどではありませんが、明らかにそ

の強さは、私より上…、気を失っていますが、彼女の身体からずっと発せられているようです

…」

 

 舞がそのように言っても、『SVO』のメンバー達には実感として沸かなかった。

 

「まさか…、そんな事が…、確かに香奈は『力』の扱い方とか応用の仕方はわたし達の中でも

一番かもしれないけれども…」

 

 絵倫が言う。

 

「じゃ、じゃあ…! 香奈の『力』はあなたの手に負えないって言うの?」

 

 沙恵が舞に詰め寄った。

 

「そんな事はありません。どんな大きさの『力』でも、『ゼロ』のように元の質量が巨大すぎるもの

でなければですが、私が触れる事ができれば封じる事ができます。とりあえず、彼女の身体は

一種の興奮状態が続いているんでしょう。それを私が抑えてあげるだけですから…」

 

 そう言って、香奈の身体に再び舞は触れた。すると、薄っすらと白い光が舞の身体から溢

れ、それは香奈へと流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリは空母に着陸し、『SVO』のメンバー達と舞は、即座に空母イオ号内の医務室へと搬送

された。

 

 怪我をしている一博、登、そして沙恵は、意識はあったし自分で動く事はできたものの、万全

を取って、タンカで運ばれた。もちろん、意識の戻らない香奈もそうだった。

 

 後の、隆文、絵倫、浩、そして舞は、細かい怪我はしていたし、衣服も薄汚れ、いかにも戦場

に乗り込んできたかのようにぼろぼろではあったが、歩けない程の怪我ではなかった。

 

 しかし、隆文、絵倫、舞は全身に軽い火傷があった。それは『ゼロ』の体内に吸収されそうに

なったときについたものだと彼らは判断していた。

 

 香奈は即座に医務室に運ばれた。舞の判断が功を奏し、彼女の体の発光と、発熱は既に収

まっていたが、意識は戻らなかった。

 

「肉体的な疲労も、かなりあるんでしょう…。意識はしばらく戻らないそうです…」

 

 香奈は救急処置室で怪我の手当てをされていた。もちろん、大怪我はしていないため、簡単

な処置だけだ。

 

 だが香奈の意識が戻らないという事は、『SVO』のメンバー達の中でも危惧されていた。

 

 舞も同じように医務室にいて、香奈の状態を隆文達に告げた。彼らの怪我も軽いという事

で、簡単な応急処置を取られただけだった。

 

 だが、隆文達が、顔と気持ちを沈めているのには、他にも理由があったのだ。

 

「太一の奴は、やはり助からなかったか…」

 

 彼は小さく呟いていた。

 

 大切な仲間を失った。彼の死を直接は見なかったが、助からなかったのだという事は、彼ら

も理解してきている。

 

「高威力原子砲は、『ゼロ』どころか、《青戸市》をも破壊してしまいました。爆心地から10km

離れた場所まではほぼ壊滅状態だそうです。もちろん、無人の廃墟を攻撃したわけですから、

人的被害は無いのですけれどもね…。

 

 ただ、あなたのお仲間は…」

 

 舞はそこで言葉を噤んだ。

 

 大規模な作戦終了の後、館内では慌しく放送が流れている。『ゼロ』の影響で『力』を持ったと

思われる、“瓦礫の巨人”の攻撃を受けた艦隊から救出された者達も、イオ号の医務室に運ば

れてきているらしく、医師達も慌しい。

 

 医務室の中の隆文達の間にだけ、別の空気が流れていた。

 

 やがて隆文が口を開く。

 

「ああ…、助からなかっただろうぜ…、何と言ったって奴は『ゼロ』の体内にいたんだからな…。

香奈はぎりぎりで脱出できたが、太一の奴は、『ゼロ』と一緒にやられちまっただろうぜ…」

 

 緊張の糸から解かれたかのように隆文は言葉を並べる。仲間を失った、隆文にとっては最も

その実力を評価していた者を失ったとしても、あまり感情は篭められていない話し方だった。

 

「正直、わたし達は太一の事を良く知らなかったのよね…。ただ、できる奴だという事しか分か

らなかった。おまけに、最後の最後には、自分はわたし達のように『ゼロ』と同じ実験を受けた

者達では無く、わたし達を利用して『SVO』を組織させた者だ。何て言われちゃえばね…」

 

 と、続いて言葉を並べたのは絵倫だった。

 

「彼が、あなた達を発見した者…? 我が国でいう、デイビット・アダムスのように…?」

 

 舞が確認を取るかのように尋ねる。

 

「まあ…、少なくとも、奴に言わせれば、なんだけれどな…。本当にそうか、なんて言う事は、あ

いつ自身しか分からない。とにかく俺達にとっても、太一は謎の多い奴だったよ。それでいて、

いつも、物事の幾つも先を考えているような奴だった…。あいつには、どこにも死角が無いとい

った感じだ。

 

 もしかしたら、『ゼロ』と一緒に心中なんかしないで、あいつ、まだ生きているかもしれない

な?」

 

 隆文が、思わせぶりに仲間達へとそう言った。

 

「まさか、でしょ?」

 

 絵倫はそう答えたが、隆文の言う事もまんざらでもない、と言う口調だった。

 

「どっちにしろよォ…、あいつのおかげでオレ達も、『ゼロ』と心中せずに済んだんだぜ…、いく

ら疑惑の多い奴だったとはいえ、感謝すべき所は感謝しないとな…。悪い奴じゃあないってこと

は、オレも認めるぜ…」

 

 と、浩は、まだ戦いたいかのように拳を打ち鳴らしながら言うのだった。

 

「ともかく…、今は香奈達の回復を祈ろう…、それで、『タレス公国』に帰って原長官に報告し

て、ゆっくり休むか…」

 

 隆文は、集中治療室の扉から中の香奈の様子を覗き見つつ、そう言うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 白い光。白い空間。まるで、水の中にいるかのような、深い音が聞えて来る。

 

 香奈は、彼女自身の意識の底の中で、静かに横たわっていた。

 

 あの、『ゼロ』の肉の塊の中にいたときとは違い、ここでは彼女が受けた傷を癒してさえくれる

ような、そんな心地よさがあった。不気味な音も聞こえないし、体を吸収していってしまうよう

な、恐ろしい感覚もない。

 

 やがて香奈は、自分の意識の底の中で眼を覚ます。

 

 白い空間の心地よさは、彼女を優しく包んでいた。

 

 この場所どこであるのか、香奈には全く分からなかった。

 

 確か、自分は、不気味な紫色の肉の塊に囲まれ、そこから脱出しようと、一心不乱になって

走っていたというのに。

 

 最後の肉の壁が、彼女の行く手を塞ぐシャッターであるかのように目の前に降りた。その時

までは覚えている。

 

 だが、肉の塊、『ゼロ』の体内から脱出する事ができたのかどうかは、彼女自身にも分かって

いなかった。

 

 もしかしたら、自分は脱出せずに、『ゼロ』の肉に呑み込まれ、そのまま彼に吸収されて死ん

でしまったのかもしれない。または、『ゼロ』と一緒に、高威力原子砲によって消失したのかもし

れない。

 

 しかし、その全てをも受け入れる事ができてしまうほど、今の香奈を取り囲んでいる空間は心

地よかった。

 

 これが死後の世界であるというのならば、それは間違いないだろう。これが、安らぎの世界で

あるというのならば、永遠の時を過ごしても良いくらいだ。

 

 香奈は何も無い、白い虚空を見つめていた。目を見開いていても、意識はどこかぼうっとして

いてはっきりとしない。

 

 再び眠りに落ちても不思議ではないかもしれなかった。

 

 だが、香奈が見つめる虚空に、やがて、何かの景色のようなものが現れる。いや、それは人

の顔だった。

 

 幾人かの人の顔。それも、ガスマスクのようなものを顔に被り、口からは奇怪な生き物のよう

にチューブが伸びている顔が、揺らぎながら出現した。

 

 その顔が、白い空間から、香奈を見下ろしていた。

 

 まだ香奈はぼうっとした状態だったが、どこからか声が聞えて来るような気がしていた。それ

は、遠くの方から囁いているかのように聞えて来る。

 

「…、なし…、も、こう…」

 

 幾つもの方向から聞えているようだった。香奈自身の頭の意識がはっきりとしていないから、

言葉の意味を理解するのは難しい。

 

 だが、彼女ははっきりと言葉を聞き取ろうとした。

 

 そうすると、断片的に聞えていた言葉が、はっきりと意味を成してくる。

 

「放射能反応なし…、毒物の反応もない…、どうやらマスクを外しても平気なようだぞ…、」

 

 男の声だった。その声は離れた所から聞えてきていた。

 

 幾度も反射して聞えて来る、共鳴した音であるかのようだった。

 

「しかし…、身体に付着していた、奇妙なゼリー状の物質は一体何だ? 人体に有害なものな

のか…?」

 

 今度は、真上にいるガスマスクのようなものを付けた男の声だった。

 

「いや…、これは、たんぱく質の一種だ。しかし、全く見た事も無い複雑な物質だ。とにかく、有

害ではない…」

 

「よし…、ガスマスクを外せ…」

 

 一体、何を言い合っているのだろう…? 白いカーテンのようなものが張られた香奈の視界

の向こうで、何者か、達は自分を観察するかのように見つめている。

 

 やはり自分は、『ゼロ』の体内から脱出する事ができて、ここは、救急治療室なのだろうか?

 

 だが、それにしては様子がおかしかった。

 

 このガスマスクを付けた者達は、必要以上に自分を警戒して扱っているような気がするの

だ。

 

 目の前の人物がガスマスクを脱ぐ。まるで、放射線防護服のようなものに身を包んだそ、の

人物のマスクの先に現れた顔は、太一だった。

 

 一体、彼は自分の方を向き、何をしているのだろう?

 やがて、白いカーテンの向こう側に見える景色は、水の流れのように流れて行き、次に香奈

の目の前には別の景色が現れる。

 

 今度は、不気味なマスクを付けた者達の姿は頭上には現れていない。あるのは、碁盤の目

にも見える、白い天井だった。

 

 自分は、どこかに横たわっている。それだけは分かった。

 

 しかし、何かのカプセルのようなものに入れられているらしく、透明なプラスチックの覆いが覆

っている。

 

 外界からは隔離されているかのようだった。だが、どこからか声が聞えて来る。

 

 さっきと同じように、その声は初めは意味を成していなかったが、しっかりと聞き取ろうとする

と、香奈の頭の中で、言葉の意味を構築する事ができた。

 

「…、凄い『能力』を、彼女らは持っている…、下手に解放するような事をすれば、危険極まりな

い…」

 

 どこかで聞いたことのある声だった。

 

 そう、どこかで聞いた事のある声。しかも、いつも、凄く身近に聞いた事のある声だった。

 

 別に、あの人の声が、頭の中に響いてくるのは不思議ではなかったのだが。

 

 このような状況で聞えて来るのも不思議だった。

 

 やがて、自分が入っているカプセルの上から、男の顔が覗き込んでくる。少しぼやけてしまっ

ていて、細部までは判別不能だったのだが、すぐに誰の顔がのぞきこんできているのか理解で

きた。

 

 太一の顔だった。

 

 自分が収められているカプセルの上から、太一が顔を覗き込ませて来ている。

 

 太一の顔を見ている事自体は不思議な事ではない。何しろ、自分の最も身近に見ている人

間の一人だったのだから。

 

 香奈は今、自分のいる世界が、現実のものではなく、意識下のものであると薄々感じ取って

いた。だから、太一が現れても不思議ではない。

 

 だが、カプセルの上から覗き込んでくる彼の表情は、いつになく無機質のようにも見えた。

 

 加えて少し若い。太一は自分と同い年の割には、随分と大人びていると思っていた香奈だっ

たが、カプセルの上から覗き込んでくる太一の顔は、いつもの彼の顔よりも若い。

 

 彼は香奈の様子を伺うように見ると、再びカプセルから顔を上げた。

 

「彼女の名前は…?」

 

 先ほど会話していた、もう一人の人物に尋ねているのだろう。

 

 そのもう一人の人物も、カプセルの向こう側に姿を現す。

 

「サイトウ・カナ…、サイトウ・カナだな…。記録ではそうなっている…」

 

 もう一人も、どこかで聞いた事のある声だとは思っていた。中年くらいの男の声。カプセルの

上に姿を現した顔は、原長官のものだった。

 

 しかも、香奈が良く知る原長官よりも、若干若いという事が分かる。太一が若く見える事より

も、幾分も若い原長官がそこにはいた。

 

「他の者達についても、詳しく知りたい…」

 

 太一の声がカプセルの外から聞えて来る。

 

「ああ…、分かった。あと、例の計画を進めてはいるが…、それで一体、君は何をしようという

のだね…?」

 

 と、原長官の声。どこかくぐもった声で聞えて来る。カプセルの中に入れられているせいだろ

う。

 

「マインド・コントロール実験の方か?」

 

 太一は、原長官と対等の立場で話しているようだった。香奈達の前では、あくまで上司と部下

として振舞っていたのに。

 

「ああ…、それは順調に進んではいるが…、あくまで実験段階だぞ…。成功したとしても、どん

な事になるか…」

 

「『帝国』側も、彼らと同じ存在を発見したのだ…。これがどういう事を意味しているか、分かる

か? 原長官? あの『帝国』が、これほどの『高能力者』、いや、ここにいる彼らよりも高く、し

かも危険な『能力者』を手に入れることができたのだ。

 

 もちろん彼らも、その『力』を使い、権力を横暴するようなことはしないだろう。しかし、『ジュー

ル帝国』は未だに君臨しているし、昨今もテロ攻撃があったばかりだ…。一度戦争になれば

『帝国』も最終兵器として、『能力』の使用を考えるだろう…」

 

 香奈は薄れそうな意識の中でも、太一の言葉をはっきりと聞いていた。

 

 いや、聞かざるを得なかったのだ。

 

「しかし、そんな事が、起こりうるだろうか…」

 

 と、原長官。

 

「現に、あったのだよ。あなたは知らないのだろうけれども、『能力者』が引き金となって起こっ

た戦争がね…。

 

 組織には記録として残っている…」

 

 太一のその言葉は、香奈の頭の中で、どんどんフェードアウトして行く。それ以上、太一と原

長官が何を話しているのかは、香奈には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 次に香奈の意識から現れた光景は、どこかの病院の診察室のような場所だった。

 

 とても殺風景な白い空間に、香奈は丸椅子に座らされ、一人の医師らしき人物に、目の中を

ペンライトで覗かれていた。

 

 香奈は、白い病人用の衣服を着せられ、ただされるがままになっている。

 

(どうです…? 眩しくないですか?)

 

 “医師”は、香奈にそう尋ねてきた。香奈が意識をしなくても、彼女の意識の中に表れている

“香奈”は、ただ淡々と答えた。

 

(まぶし…、いです…)

 

(自分の名前は分かりますか?)

 

 “香奈”が虚ろな声でそう言うと、“医師”は更に質問を続けてきた。意識としてある香奈の意

志とは無関係に、この場に現れている“香奈”は、心ここにあらずといった様子で答えている。

 

(…、…、分かりません…)

 

 “医師”は一枚のカードを“香奈”に見せた。そこには“A”と書いてあった。

 

(この字は、何と読みますか?)

 

(“えー”です)

 

 “香奈”は、まるで感情の篭っていない、淡々とした口調で答えていた。

 

 と、その殺風景な診察室に、黒いコートを着た男が現れる。真っ白な室内に、彼のコートはあ

まりに大きな存在感を放った。

 

 入ってきた男は太一だった。彼は、“香奈”を眼鏡のレンズ越しにじっと見やり、その後で、

“医師”に尋ねる。

 

「成功か?」

 

 一言、彼の無機質な声が病室に響き渡り、“香奈”は彼の方を向いた。

 

「さあ…、何とも…。記憶喪失状態にはなっていますが、新しい記憶の刷り込みに成功したかど

うかは分かりません」

 

 太一は、そのまま“香奈”のすぐ側までやって来る。意識に潜っている香奈も、椅子に座らさ

れている“香奈”も、長身の彼を見上げた。

 

「『能力』は…、どうなんだ…? そのまま残っているのか?」

 

 再び太一は無機質な声で“医師”に尋ねる。

 

「ええ…、残っている状態です。ですが、今の記憶喪失状態では、常に鎮静剤を打っておかな

いと危険でしょう…。特に彼女の持っている『力』は、とても危険極まりません。『帝国』で隔離さ

れている男の情報も入って来ていますが、もしかしたら、同じように彼女も隔離しなければなら

ないかと…」

 

 そう“医師”が言っても、“香奈”には、何が何だか分からない様子だった。

 

「だが、味方になれば、これほど心強い者達はいないだろう。我々が常に監視していれば、危

険は無いのだ」

 

「原氏が、防衛庁長官に就任する計画は、出来上がっているのですか? 彼も協力しなけれ

ば、『能力者』による秘密諜報部隊など結成できませんよ…?」

 

 と、“医師”は言ってくるが、

 

「君には関係の無い事だ」

 

 太一はそれだけ言い、診察室から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 香奈の意識の底の世界は再び変わっていく。彼女はそれが、ただの想像の世界なのか、そ

れとも現実にあり、香奈自身が忘れてしまっていた世界なのか、それすらも分からないまま、た

だ漂っていた。

 

 ただ、どの記憶の中にも太一がいる。彼の存在は、香奈に何かを訴えかけてきているようだ

った。

 

 以前の記憶は流れていき、再び香奈は、たった一人で、真っ白な空間に取り残されたかのよ

うに佇んでいた。

 

 ここが、自分の意識下の世界であるという事は分かった。

 

 だとしたら、元の世界の自分はどうなってしまったのだろう。『ゼロ』の体内から、無事に脱出

できたかどうかも自分自身では分からない。

 

 元の世界に戻りたい。

 

 でも、死んでしまったのならば、それも叶わないかもしれない。

 

 香奈は不安にかられ、白い空間の中で一人、孤独に佇んでいた。

 

 だがそこへ、

 

(心配する事は無い。君はすぐに元の世界、仲間達の元へと戻れる)

 

 太一の声だった。白い空間のどこかから聞えて来る。香奈は思わず立ち上がった。

 

「どこ? どこにいるの?」

 

 すると背後から、

 

「君の記憶の中に俺はいる。他の仲間達も、原長官も…。そうだろう? 違うか?」

 

 太一の声がしたので香奈は振り返る。すると、確かにそこには太一がいた。

 

 いつもながらの黒いコートに身を包んでいる。『ゼロ』を倒しにいく作戦の前の姿だ。彼はコー

トをぼろぼろにされてしまったのだから。

 

 新品同然のコートと、傷一つ負っていない姿の太一が、白い空間に現れていた。

 

 一人で孤独になっていた所で太一が現れ、ほっと安心したい所の香奈だったが、彼女は自

分のいる世界が現実で無い事を思い出した。

 

「あなた…、違うでしょ…? 本物の太一じゃあないんでしょ…?」

 

 香奈は、何かを悟ったかのように言った。

 

 本物の太一が、こんな所に現れるわけが無い…、第一、太一は…、

 

「そうだな…。現実の俺は、『ゼロ』と一緒に消えてしまった。まあ、少なくとも君はそう思ってい

る。現実で俺がどうなったかは、君はまだ知らないんだからな。

 

 この俺は、君の記憶の中の佐藤 太一さ」

 

 案の定、香奈の中に現れていた佐藤 太一は、香奈がそんな事を見抜いている事を前提と

しているかのようだった。

 

 太一の言葉は続いた。

 

「だが、君がさっきまで見ていた光景…、あれは現実に起こった事だ…」

 

 その言葉に、香奈は何も答えず、ただじっと太一の顔を見て耳を傾ける。

 

「本来は原長官の…、いや、俺の命令で、君達のああいった記憶は完全に消去したはずだっ

たんだがな…。『ゼロ』の事を君が知り、自分自身というものについて考え出したとき、断片的

にだが残っていた記憶が現れだしたのだろう…、どうやら、記憶の消去と言うものも完璧では

無いようだな…?」

 

「じゃあ…、やっぱり、あなたが…? あなたが、あたし達を…、あたし達を利用しようとしてい

たの…?」

 

 香奈は太一に尋ねる。もちろん、返ってくる答えは、自分の意識の中の太一の答え、自分が

知っている部分、自分の想像に過ぎず、真実ではないだろう。だが、香奈は聞かざるを得なか

った。

 

 太一こそが、全てを知っている。自分達についての全て。

 

「利用していた…、君にそう言われても、俺は何も言えないだろう…。事実、俺が、『SVO』とい

う組織を結成させた。だが、それはこの一連の『ゼロ』の事件を予期したものだったし、君たち

の『力』を側で監視している必要があったのだ…。

 

 もし、我々が管理しなければ、君達も『ゼロ』のようになっていたかもしれない…」

 

 太一の口から漏れてくる言葉。香奈は何も反論できずに、聞いている事しかできないでい

た。

 

 例え、この言葉が、自分の想像だけで作り上げた産物だったとしても、それは彼女にとって

現実だった。

 

「君達は、『ゼロ』との決着を着けた。奴は、全てを破壊する事で、俺達の“組織”との決着を付

けようとしたが、君達はそれを阻止した。

 

 つまり、君達は、過去との因縁を断ち切ったんだ。これから、君も、君らしく生きろ。もう誰に

も利用されず、邪魔されずに、な」

 

 香奈の意識の中の太一は、今までの彼と変わらず、冷静で、感情の篭っていない声で話す。

だが、彼の話している事は、香奈の『SVO』の仲間達の、そして、『ゼロ』の真実だった。

 

「でも…、あなたがあたし達を救ってくれた。暗い、地下の底で眠っていたあたし達を、元の世

界へと戻してくれた。だから、あたし、あなたを恨んでなんかいない…。

 

 あたし達の記憶を消したり、もしかしたら利用したと思われ、恨まれているんじゃあないかっ

て思う事って、いくらあなたでも辛い事だったと思う…、だから、あたし、あなたを恨んだりしない

よ…」

 

 その言葉が、今の香奈にとって、精一杯の言葉だった。

 

 だが太一は、そんな彼女の言葉には何の表情も変えなかった。

 

 すっと太一は立ち上がる。彼は香奈へと背中を向けた。そして静かに言う。

 

「そんな風に、俺を思うな…。後悔するぞ…」

 

「何で! 何で自分をそんな風に思うの!? あなた、あたしを何度も助けてくれたじゃあな

い!?」

 

 香奈は自虐的な太一の言葉に声をぶつける。だが、太一は背中を向けたまま答えた。

 

「俺の所属していた組織とはそういうものだ。期待などするな…、君のためにならない…」

 

「だって! あたしは…、あなたの事が…!」

 

 しかし香奈のその想いは、太一の言葉によって遮られる。

 

「よせ! 俺の事をそんな風に思うな!」

 

 と言われてしまい、香奈はそれ以上何もいう事はできなかった。太一は香奈に背を向けたま

ま、その歩を歩んで行く。

 

 白い空間のどこかに消え去ってしまおうというのか。

 

 香奈にはそれを止める事もできなかった。

 

 いや、止めようともしなかった。香奈は薄々感づいていたのだから。この太一は自分の中の

意識が生み出しているもの。

 

 この太一が去って行くのなら、あたしの中の太一は、もう心が離れてしまっているのだと。

 

 そして、自分自身もそれを受け入れているのだと。

 

 薄っすらと太一の姿に靄のようなものがかかり始める。太一の背中は白い空間の向こう側に

消えようとしていた。

 

「君は、これからを生きろ。俺の事など忘れるんだ」

 

 太一の言葉が香奈の心に響き渡る。

 

「太一…」

 

 白い靄によってかき消されていく太一の姿。香奈は彼をそれ以上追うような事はせず、ただ

ただ、彼に行かせた。

 

 太一を行かせてしまうのは、香奈の意志、そして彼女の選択だった。

 

 そして香奈は思う。もう彼とは二度と会うことはできないのだろうと。

空母イオ号 医務室

 

12月7日 1:08 A.M.

 

『ゼロ』消滅から3日後―

 

 

 

 

 

 

 

「眼が覚めた?」

 

 白い空間の向こう側、まるで深い海の底から浮上して行くかのような感覚を、香奈は味わっ

た。

 

 意識と言う海の底から浮上してきた彼女を、真っ先に出迎えたのは沙恵の声だった。

 

 天井が視界の向こうに見えてくる。燦々と感じられる日光。そして、どこからか聞えて来る低

い唸るような音。

 

 意識の世界から、元の世界に戻った。香奈はそれを肌を持って感じた。

 

 白いベッドの上に、白いシーツをかけられ、安静に横たえられていた。腕には点滴のチュー

ブが伸びてきている。

 

「香奈…?」

 

 沙恵が、香奈の様子を伺うかのように覗き込んでくる。心配してくれているんだろう。

 

「うん…、あたしは…、大丈夫…」

 

 香奈は静かに答えた。意識はまだ完全には戻っていないし、今、自分が見ている光景も、現

実のものとして実感が沸いてこない。

 

 だが、とにかく大丈夫だった。全身に負った、火傷の傷も、軽い怪我も、全て適切に治療され

たらしく、怪我に関しては心配無さそうだった。

 

 点滴も、香奈が極度の疲労から体力を取り戻すために施されているらしい。

 

「香奈…、その…、『ゼロ』は…、」

 

 香奈が意識を戻したのを見計らい、沙恵は話し始める。

 

「分かっているよ…、倒したんでしょう…? もう、彼の気配はどこにも感じない…。あれだけ、

はっきりと感じていた気配も…、もうどこにも、無い…」

 

 そう言って、香奈は病室の窓の方を見つめた。一行が来るときに乗ってきた空母に、再び乗

っているのだろう。船特有の丸い小さな窓がそこにはあり、カーテンが閉じられたその先から、

日光が見える。

 

 窓から差し込んでくる光には、不安も、絶望も、何も無かった。

 

 もう、あの存在はこの世にいない。高威力原子砲が全てを消し去ってしまったのだろう。『ゼ

ロ』も、太一も。

 

「今…、あたし達は、この空母で『タレス公国』に戻ろうとしているの。とりあえず、対策本部に戻

って、あの大統領とか原長官に報告をして…、その後は、もうあたし達の意志通りに、自由にし

ていいって、原長官が言っていた。

 

 『SVO』は、事実上解散して、『タレス公国』からはあたし達に、住む場所も、新しい身分もく

れるって…、望むんなら、新しい職場も…、その、別に諜報活動を続けたいんなら、その仕事

もくれるっていうけど…、さすがに、あたしはもう…」

 

 沙恵の話している事。それはつまり、香奈達が全てから解放されるという事だった。新しい身

分、新しい職業…、それは香奈達が望んでいたものだ。

 

 いや、誰しもが望んでいた。

 

 だが、香奈は何も答えられなかった。もちろん、新しい身分が与えられ、全てから解放される

のは、香奈にとっても願ってもみない事なのに。

 

 なぜ?

 

 香奈が何も答えないのを見計らい、沙恵は話し始める。

 

「香奈…、こんな事を言うの、本当に辛いんだけれども…、その、太一は…、太一は残念だけ

ど…」

 

 香奈の事を気遣いながら、沙恵は話し始める。

 

「大丈夫…、分かっているよ…。無理して話さなくても、あたし、分かっているから…、たとえ、あ

たしが意識を失っていても、彼がどうなったか、くらい分かる…」

 

 声が震えている。なぜだろう? 彼が助からない事は受け入れていたのに。どうしようもない

という事が分かっていたから、あの場所から全力で脱走しようとしたのに。

 

 何より、『ゼロ』と運命を共にしようというのは、彼自身の選択だったというのに。

 

 香奈の意識の中に現れた、あの太一の最後の後姿、そして、香奈の記憶の中の情景が、再

び思い出される。

 

 香奈が何も言わないでいると、沙恵は口を開いた。

 

「あたし達…、『ゼロ』によって、街を奪われた人達も同じだけれども…、失ったものが多すぎだ

よ…、この一ヶ月間で、一体、どれほどの人の命が奪われたの? それに、『ゼロ』のせいだ

からっても言い切れない。彼は、自分を抑える事ができなかったんでしょ? 絵倫達から聞い

たよ。

 

 だからって、あの近藤とかのせいだって言うの? ううん、そんなんじゃあない。なぜなら、こう

いう陰謀や危険な実験は大昔から幾つもあって、今も幾つも続いていて、その内の一つがたま

たまこうなったんだって、原長官が言っていた。

 

 だから、これからも、また、こういう悲劇が生まれるかもしれないって…!」

 

 沙恵は、溜まらなくなってしまったらしく、香奈の前で顔を覆ってしまった。声も泣き声になって

しまっている。

 

 いつも元気な彼女がそんな姿を見せるのは、香奈の目の前でも今までに無かった。沙恵が

泣いている所など、香奈は見た事は無かった。

 

 今は、『ゼロ』を打ち倒した事を、歓喜すべきだろう。だが、香奈達やこの世界は、『ゼロ』の

前に失ったものがあまりに多すぎる。

 

 その中心にいたのが香奈達だった。

 

 これから、あたし達は、どこに行けば良いのだろう?

 

 香奈は、意識下にいた、太一の言っていた言葉を思い出す。

 

“これからを生きろ”と。

 

 病室に響いている沙恵の嗚咽。香奈はそっとシーツの中から手を出し、彼女の手を握った。

 

「確かに…、これからも悲劇は起こるかもしれない…、多分、人という存在がある限り、今回の

ような悲劇は起こるのかもしれない…、

 

 でも、今度のその悲劇の中心にあたし達はいない…」

 

「香奈…?」

 

 沙恵は、泣き崩れたような顔のまま、香奈の方を向いてくる。

 

「大丈夫…。もう何も心配する事は無いんだよ。もう、あたし達は誰にも利用されない。どんな

陰謀にも巻き込まれない…。あたし達には未来があるの…。あたし達には、悲劇を乗り越えた

先の未来があるんだから…。

 

 それを、太一は与えてくれた…」

 

 沙恵は、香奈の、自分の手を握ってきた手を、更に手で覆った。二人の手が二重に折り重な

る。

 

「うん…」

 

 沙恵は、しっかりと香奈を見据え、そう言った。彼女のその瞳からは、もう涙は流れてこなか

った。

 それから。

 

 

 

 

 

 

 

 『タレス公国』に帰還した『SVO』の一行は、約束どおり、『ゼロ』の作戦全てを、ベンジャミン・

ドレイク大統領並びに、原長官に報告した後、その報酬を与えられた。

 

 全員、『ゼロ』の攻撃によって壊滅的被害を受けた、『NK』に戻るのではなく、当面は『タレス

公国』の《プロタゴラス》近郊に住むという事で落ち着いた。

 

 浩などは、大都会の中心部のマンションにペントハウスを買ったし、登も、見晴らしの良いマ

ンションに住むことになった。

 

 一博は、いつもいつも眺めていた、自動車雑誌の派手な車を乗る事ができるようになったし、

隆文も海沿いの街に住んでいる。それほど遠くない所に絵倫も住んでいる。

 

 隆文は、何かをしていたいらしく、『タレス公国』政府の、フリーコンサルタントの仕事を与えて

もらった。今までの諜報活動の経験を生かし、情報機器を用いた仕事らしいが、『SVO』にい

た時のように、危険な現場でする仕事ではないらしい。もう少し落ち着いたら、絵倫もその仕事

に就きたいと言っていた。

 

 香奈は、静かに落ち着きたかった。だから、都会ではなく、郊外の静かな街の外れに、それ

ほど広くは無いが住みやすい家を与えてもらった。

 

 今は、働く気も、何かをする気も特には起きない。とにかく、自分を、自分自身を落ち着けた

かった。

 

 だから、一日中ベッドの上にいる事もあるし、ぼうっとして過ごす事もある。

 

 何かをしていたい時は、今まであまりしていなかった、料理などに挑戦してみる事もある。も

ちろん、過去の事を完全に忘れてしまいたい訳ではない。

 

 だから、かつての『SVO』メンバーの家に訪ねに行く事もある。全員が集る事も時々しようと

いう事になった。皆が、皆を、仲間友人、そして大切な存在だと認め合っているのだ。

 

 特に、沙恵とは今では仕事仲間というよりも親友だ。歩いて数分の所に彼女も住んでいる。

だから彼女が香奈の自宅を訪ねてくることもあった。

 

 とにかく、香奈達は、『ゼロ』を打ち倒してから3ヶ月。誰にも邪魔される事の無い、平穏な

日々を過ごしていた。

 

 そして、その3ヶ月経った、ある日―。

 

 

 

 

 

 

 

 新しい生活にも慣れてきた頃、香奈の自宅を訪ねて来るものがいた。今までは『SVO』のメ

ンバーや、冷凍宅配食品の配達係ばかりだったが、今日は違った。

 

 香奈が、自分の住む家の落ち着いた木目調の扉を開いてみると、そこにいたのは、紛れも

無い、原長官だった。

 

「あっ…、は、原長官…」

 

 香奈は驚いた。彼とはこの3ヶ月間、全く連絡を取っていなかったし、原長官からも連絡は無

かったのだ。

 

 もしかしたら、もう会う事さえ無いかもしれない。自分たちの任務は全て終わったのだから、

原長官に会う必要も無い。そう思っていたのだが。

 

 彼からの訪問というのも意外だった。

 

「やあ…、香奈…。ちょっとした贈り物があってね…、それを届けに来ただけなんだ。だから、

私はすぐに帰る…。それは、ええっと…」

 

 そそくさと慌しい様子の原長官。だが、香奈はそんな彼を、家の扉を大きく開いて中へと招き

いれようとした。

 

「いえいえ、いいんです。どうぞ、中に入ってください。私も原長官に会いたかったんです」

 

 幾らどんな事があったとはいえ、香奈にとって原長官は父であるも同然だった。『SVO』の真

実を知った時も、その気持ちは揺らぐ事が無かった。

 

「待ってくれ、香奈。その招待は快く受けたいが、私はもう長官などではないんだ。ドレイク大統

領が、どうしても『NK』の再興の為に残って欲しいといったのだがな。任期も満了したし、潮時

だと思っていた…。後継者に席を譲ったよ…。私は引退したんだ…」

 

 その原長官の話を、香奈は隆文から聞いていた。だが彼は、未だに政府機関の機密に触れ

る事ができるし、ドレイク大統領とも通じることができる。

 

 原長官が、もはや長官ではない。それは香奈も知っていた。

 

 だが、肝心の事が問題だった。

 

「では、あたし達は、一体何と原長官の事を呼べば良いんです?」

 

 香奈にそう言われると、原長官は何も答えられない様子だった。

 

「まあ、良いです。良いです。とにかく中に入ってください。外は今日は冷えますから…」

 

「あ、ああ…」

 

 と、香奈は半ば強引に原長官を自宅に入れたものの、原長官を今まで自宅に招きいれたこ

とが無い事を思い出した。

 

 居間に備え付けられたソファーセットに原長官は座っている間、香奈は暖かい飲み物を出そ

うとしていた。

 

 そこで、原長官は居間のテレビを付けていた。

 

 居間の見やすい場所に現れた画面。彼がそのテレビをつける事で、一体何の番組を見よう

としているのか、香奈にはもう分かっている。

 

 今朝から、あるニュースでテレビやメディアは持ちきりだった。

 

 緊迫した様子のレポーターが、『タレス公国』内ではなく、『ユリウス帝国』からニュースを伝え

ていた。

 

(お伝えしています通り…、『ユリウス帝国』時間の今朝、『ユリウス帝国』のロバート・フォード大

統領が、ユリウス帝国の最高指導者の地位である『皇帝』の座を辞任しました。

 

 これは、昨年11月27日、『NK』、及び『ユリウス帝国』で起こりました、軍事演習の事故によ

り、多数の死者を出した事に対する責任を取ったもので…。

 

 また、《ユリウス帝国首都》で起こりましたクーデターの長期化と…)

 

 ニュースは画面の中央に、記者会見中のロバート・フォードを映し出す形となった。今日のニ

ュースはこの話で持ちきりだった。

 

 あのロバート・フォードが辞任する。それは前々から皆囁いていた事だが、ようやく今日にな

ってそれが実現していた。

 

 彼が近藤と共謀して行った陰謀は、結果的に多くの死者と悲劇を生む事しかなかった。

 

 その陰謀は、決して世間に明かされる事は無かったが、責任を取るという事は変わらないよ

うだった。

 

「やはり…、辞めるんですね…。あの人…」

 

 原長官のカップに温かい飲み物を注ぎながら、香奈はテレビの画面を見つつ言った。

 

「ああ…、私のようにね…」

 

 その温かい飲み物を飲みながら原長官は呟く。

 

「まあ、結局、クーデターも何もかも、うやむやになってしまったがな…。世間にあの実験や『能

力』とか、『ゼロ』の事を明かすわけにはいかないが…」

 

「え、ええ…」

 

 それは、香奈にしてみても同じ気持ちだった。

 

 ただでさえ、『NK』と『ユリウス帝国』の混乱は収まりついていないし、どちらの国の指導者も

その混乱を収めることができていない。

 

 そこに、『ユリウス帝国』側の行なってきた陰謀を暴露すればどんな事になるか、それは原長

官も『タレス公国』のベンジャミン・ドレイク大統領も分かっていた。

 

 香奈と原長官の会話がある間も、テレビのニュースは続いていた。

 

(今回のロバート・フォード氏の辞任に合わせ、同政権のアサカ・マイ国防長官も辞任を発表し

ております…)

 

(今度の一連の事件は、被害に遭われた方々…、いえ、全世界の方々に対して、誠に遺憾を

感じております。私も、ただ責任をとって辞職するだけではなく、これからも被災国の復興支援

に全力を尽くしたいと思っています…)

 

 真剣な眼差しでカメラを見つめ、浅香 舞国防長官は話していた。記者会見が終わった後、

彼女は記者たちに質問攻めにされていたが、それは香奈も原長官も気にせず、

 

 香奈はそっと呟く。

 

「あの方も、辞めるんですね…」

 

「それは…、クーデターを起こしたのは彼女だからな…、それにより、何か成果を上げられるか

と言ったら、それは国を混乱させるだけだった…」

 

「でも、あの人も、あたし達と同じように、『ゼロ』を捕えるという目的のために動いていたはずで

す。それに最後は…」

 

 香奈は、必死になって原長官の言葉を遮っていた。だが彼は、

 

「もう、良いだろう? 香奈? これからこの世界で起こっていくであろう事は、もはや君達の手

を離れている事だ。もう君達は、何も心配しなくていい、何にも関わらなくていい。もう全ては、

過ぎ去ってしまった事だったのだ」

 

 そして原長官は、香奈へと一つのディスクを渡した。『タレス公国』国防省のラベルが貼られ

たディスクだった。

 

「これは…一体…?」

 

 香奈は、原長官からそのディスクを受け取りつつ尋ねる。

 

「それは太一から受け取ったもの…、君の、《青戸市》で発見された際の記録や、その後の実

験、治療の経過など全てが記録されたデータだ。もちろん、元『SVO』の他のメンバーの記録

もあったから、皆に渡して回っているんだがな…」

 

 香奈は、自分の手に収めたディスクを見下ろす。

 

「この中に…、あたしの記録が…? これをあたしに渡すように、太一から言われたんです

か?」

 

「ああ…、全てに決着が着いたら、君達に渡すようにと、太一から言われていた…」

 

 原長官にそう言われ、香奈は手に収めたディスクをそっと握る。そうするだけで、何かが感じ

取れるような気がしたのだ。

 

 このディスクの中に自分の記録がある。秘められた自分の過去が。

 

 手に軽く握ると、プラスチックのクリアカバーの中にある高密度光ディスクの中から、香奈は

何かを感じたような気がした。

 

 もちろん、それは気のせいだろう。彼女は自分にそう言い聞かせた。

 あまりに目まぐるしく動いた数ヶ月間が終わった。

 

 舞は久しぶりに自宅へと戻った。そこは、《ユリウス帝国首都》の元々住んでいたマンションで

はなく、近隣の街にして、新たな政権発足の地となった《カルメン》郊外にある自宅だった。

 

 『ゼロ』を打ち倒したからと言って、全てが終わるわけではなく、そこから先の責任追及、首都

や『NK』の復興支援など、舞が休んでいたのは、『ゼロ』との戦いで受けた怪我を癒す数日程

度しかない。この自宅も、半ば空き家でもあるかのようにがらんとしていて、取り揃えさせた生

活必需品もほとんど荷を解いていなかった。

 

 その出来事が終わってみれば、結局責任を取るのは現政権であり、それは、ロバート・フォ

ードであり、舞だった。

 

 『ユリウス帝国』が負った罪は重い。ロバート・フォードと自分が辞任する事で、果たしてその

全ての責任を取る事などできるのだろうか。

 

 周りの人間は、舞は被害者であったと言う。無謀な実験の犠牲者であり、50年間も植物状

態にされ、目覚めれば、徹底的な英才教育の後に、お飾りとしての国防長官とされた。

 

 他人だったら、同情したかもしれない。だが舞は自分自身だからこそ、同情などできなかっ

た。

 

 同情するには、あまりに多くの人間の命が失われていたのだ。

 

 もっと、もっと何かできたはずだ。もっと早く、『プロジェクト・ゼロ』の危険性に気付き、そして

近藤の歪んだ陰謀に気付き、実験を阻止する事だってできたはず。

 

 舞は、この3ヶ月間、自責にさいなまれたままに過ごしてきた。新・ユリウス帝国議会に出席し

ている時も、極秘に行われた軍事裁判で、己の受けた実験の内容について話す時も、『皇帝』

ロバート・フォードが辞任すると発表した時もだ。

 

 『ゼロ』は、正に彼と同じ実験を受けた者たちによって打ち倒した。

 

 だが、失われた命だけは決して戻ってこないのだ。舞の過去も、『NK』や『ユリウス帝国』の

未来も。

 

 決して戻ってくる事は無い。

 

 玄関先で、その考えに襲われ、ただ呆然と立ち尽くしたようになる舞。現実と、頭の中の世界

が、くっきりと二分されたかのようになっていた。

 

 だから、背後に何者かがいるという気配も、彼女はすぐには気がつかなかった。

 

「おい、家の扉が開けっ放しだぜ…」

 

 という男の声が聞えて、舞ははっと背後を振り返った。

 

 一瞬、警戒したが、そこに立っているのが、ジョン・ポールであるという事を知り、舞はほっと

一息ついた。

 

「何だ。ジョンですか…。私をつけて来たのですね?」

 

「そ、そりゃあよォ…、お前、新住所も何もかも、教えないんだからな。その他に話そうってのに

も、裁判だ、審問会だ、記者会見だ…。お前と話す時が無かったんでな…」

 

 彼は自分を安心させようとしている。それは舞には分かった。

 

「私と…、話す時…、ですか…。結局、審問会も何もかも、私を辞任させる為に行なわれたよう

なものです…」

 

「全く、やれやれだ。一体、誰のおかげで、『ゼロ』がこの世から消え去ったと思っていやがるん

だ、奴らは? 辞任なんかよりも勲章ものだってのによ…」

 

 と、ジョンは、舞に同感したかのように言うが…、

 

「いえ、いいんですよ、もう。私には、勲章も、国防長官の座も、何もかも要らない…、『ゼロ』は

消えたかもしれませんが、私に残ったのは、ただ一つ…、責任、だけです…」

 

 舞とジョン。二人の間に沈黙が流れた。ジョンは、どう舞に言ったら良いか迷う。言葉が見つ

からない。

 

 だが、やがて、

 

「オレだってよォ、マイ? 何も残ってなんかいないぜ…。お前が辞めちまった事で、『ユリウス

帝国軍』側でもな、あの時のクーデターを実際に指揮していた、グリーン将軍とロックハート将

軍も辞めちまった。

 

 オレだって元々、お前の直属の部下なんだから、お前が辞めちまえば、オレだって辞めなき

ゃあならなくなる。つまりオレもお前と同じってわけだよ…」

 

 結局、ジョンは無愛想な声のままその言葉を言い放ってしまった。

 

 舞は、少しも表情を変える事なく言う。

 

「ええ、申し訳ありません…、本当に…」

 

 するとジョンは慌て、

 

「お、おい…、オレは何もお前を非難するつもりは無かったんだぜ? み、皆辞めちまったんだ

から、お前一人辞めたところで、どうってことないとか…、気にするな、とかそういう事で…」

 

 訂正するかのようにそう言うのだが、舞の表情は変わらないままだった。

 

 しばしの沈黙と重苦しい空気、その中で、ジョンは必死に言葉を探ろうとしていた。

 

 やがて出したジョンの言葉は、あっけないものだった。

 

「どこか、行ってみるか…?」

 

「え…?」

 

 後は、どんどんジョンの口から言葉がついて出てくる。

 

「ずっとこの家でぼうっとしていても答えなんか見つからないぜ? いや、最初から答えなんても

のは無いんだろうよ。だが、どこか遠くへ行っちまえば、そんな嫌な気持ちもいずれ落ち着くだ

ろうって、思ったんだ…。

 

 お前はもう、国防長官でも何でもない。国を引っ張って行く必要なんて無いんだ。責任だと

か、何だとか、そんな言葉は無いんだぜ…。だったら、こう…、自由に過ごしてみろよ…。オレ

が連れて行ってやるぜ…、どこであろうとな…」

 

 そのジョンの言った言葉が、舞にとってプラスになるものであるかは、彼自身にも分からなか

った。

 

「頼もしいですね…」

 

 だが、舞の表情に少しだけ変化が現れた。

 

「そ、そうか…、そう思うか? じゃあ、オレがいつでもどこでも連れて行ってやるぜ。ああ、世

界の果てだろうと、どこであろうとな…」

 

 勝気になってジョンは言う。すると舞は、

 

「そうと決まれば、さっさと出発しましょう。いつでも、どこへでも連れて行ってくれるんでしたよ

ね?」

 

「ええッ、何? い、今すぐだと…!?」

 

 ジョンはうろたえる。だが、舞はそんな彼に笑顔で応じた。

 

「ええ、今、すぐです」

 γ0057年の11月から12月にかけて、世界はあまりに多くのものを失っていた。

 

 それは人の命であり、大都市であり、『ユリウス帝国』や『NK』を中心として保っていた政治の

バランスであり、経済のバランスだった。

 

 『ゼロ』が、人類に与えた影響は、それが、世界の崩壊とまでは至らなかったものの、あまり

に大きなものであった。

 

 『NK』や『ユリウス帝国』の壊滅的被害は、その放射能汚染の爪痕と共にそこに残り続ける

だろう。世界的な株の大暴落も、今後は、しばらく収束する気配がない。

 

 『ゼロ』は確かに、人類の歴史に、人々の記憶の中に、忘れ去る事のできない爪痕を残し

た。

 

 だが、世界は復興していくだろう。

 

 人々は再び結束し、自分たちの未来を担っていくだろう。

 

 それは、『SVO』の、そして、元『ユリウス帝国』国防長官の浅香舞についても言えることだっ

た。

 

 今、香奈も新しい自分の未来に向って歩み出していた。

 

 まだ、『SVO』時代だった頃の名残か、夜の眠りが浅い。時々、目を覚ましてしまう事があ

る。

 

 今夜も、彼女は上手く眠る事ができないでいた。

 

 今は、香奈が日中にしなければない事は限られていたから、夜間に上手く眠れなくても差し

支えは無い。だが、眠れなくなった時、彼女は一人出かけることがある。

 

 静かな夜。誰も住んでいない静かな郊外へと脚を踏み出すのだ。

 

 自宅の近くにある小高い丘。夜の静けさに包まれ、辺りから聞える音と言えば、空気の流れ

る音だけだ。

 

 そこへとやって来た彼女は、手に持ってきたディスクを、夜の闇の中に翳してみた。

 

 それは、太一から原長官へ、そして彼より譲り受けた、香奈の過去のデータが全て刻み込ま

れたディスクだった。

 

 プラスチックケースも、中に入っている光ディスクも夜の闇の中では何も反射しないし、何も映

し出しはしない。

 

 ディスクは香奈と共に闇の中に浮かんでいた。

 

 内容を、香奈は自宅にあったコンピュータで確認し、自分に対して行なわれた実験、記録な

どを全て確認してある。

 

 記録の中での彼女は、斉藤香奈と最終的には名づけられた、被験体にしか過ぎなかった。

危険な『力』を持つ者としての、忌み、怖れられた存在。60年以上前の世界からやって来た、

破滅の使者―。

 

 だが、そんな彼女らに、生きる意味と目的を与えた人物、それが原長官であり、そして太一で

あると、香奈は悟っていた。

 

 太一は、香奈達を、『SVO』という組織に結束させ、『ゼロ』という目的を追わせた。

 

 彼の行動に、もっと深い意味があったのかもしれない。だが、それは幾ら香奈が探そうとして

も見つからない。

 

 だから彼女はこう考える事にした。

 

 彼は香奈達に『ゼロ』を打ち倒させる、それは直接であろうと、間接的にであろうと、彼を倒す

ことで、近藤大次郎の行なった実験、過去の出来事全てに、香奈達に決着を付けさせる為だ

と。

 

 そして、未来を手にするためだと―。

 

 香奈はそう自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 全てに決着が着いた今、彼女は涙を流す事ができた。

 

 60年以上前に起きた哀れな実験の為、

 

 その実験で誕生した『ゼロ』、この世から消え去るしか無かった彼の存在の為、

 

 彼によって命を落とした多くの人々の為、

 

 『SVO』の仲間達の為、自分自身の為、

 

 そして、何より己がこの世から消え去ってまで、香奈達に生きる目的と、未来を与えた、

 

 太一に―。

 

 

 


 
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