No.210651

少女の航跡 短編集01「伝説の前に… Parte2」-2

主人公の母親である、シェルリーナ達の物語。完全な負け戦となった戦いに、シェルリーナ達は敗走をしていくのですが―。

2011-04-08 20:28:03 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:377   閲覧ユーザー数:341

 

 シェルリーナは、旅をしているという男に助けられた。

 

 彼はこの地方の者ではなかったが、洞窟の入り口で倒れていた彼女を介抱し、何日もかけて

平原の中の村まで辿り着いていた。

 

 あの暗闇の奥底から、良く這い出す事ができたものだ。おそらく、意識を失いかけても、シェ

ルリーナは持ち前の精神力で、地上まで這い上がっていったのだ。

 

 あの剣も一緒だった。シェルリーナと一緒に、握られていた剣も持って来られ、生死を彷徨う

彼女のすぐ側に置かれていた。シェルリーナの剣だと思われたのか。

 

 シェルリーナは生死の境を彷徨った。何度死ぬかと思った事だろう。体中の傷は深く、治癒

の魔術でも使えない限りは治せない状態だった。

 

 しかし、何かの力が、彼女の生を保たせていた。意識は無かったが、命はしっかりと彼女の

体に繋ぎ留められていたのである。

 

 『リキテインブルグ』のピュリアーナ女王が、彼女達がいつまでたっても何の連絡もよこさない

ので、王都からの使者を遣わせたのは幸いだった。

 

 王都からの使者はすぐにシェルリーナの生存を知り、彼女がいる村までやって来る。

 

 そして、瀕死の彼女を治療したのだった。

 

 シェルリーナが気付いた時、目の前にいたのは、洞窟から彼女をここまで連れて来た男だっ

た。

 

「目が覚めたか…?」

 

 若い男だった。おそらくシェルリーナと同世代だろう。

 

 そしてこの地方の顔立ちとは少し違った。金髪でマントを着ていて、育ちの良さそうな顔をし

た、美男子ともとれる男だった。悪い風貌ではない。悪人にも見えなかった。良き家系に育った

風貌をしている。

 

 男は、クロノスと名乗った。その名前の響きは、この地方のものではない。彼の出身は遠く離

れた場所だろう。

 

 若い男だというのに、その顔にはどことなく、落ち着いた貫禄を持っていた。歳の割りに経験

と知識が豊富。シェルリーナはそう見抜いた。

 

 目覚めたばかりの時、シェルリーナはまだ傷を完治させていなかった。しばらくの間横にな

り、王都からの使いによる治療を受けなければならなかった。

 

 彼女は、助け出されてからここに至るまで、そして王都からの使者についての話をクロノスか

ら聞かされ、数週間の時間を、シェルリーナは平原の中の小さな村で過ごした。傷が完治し、

体力的にも元に戻るまでの時間だ。

 

 その間、この男は特に自分に干渉して来る様な事もなかった。時々様子を見には来ていた。

だが、最終的にはシェルリーナ達と共に王都へと向かう。このクロノスという男は、元々王都の

方に用事があるのだと言った。だから、それまでは一緒にいるのだと。急ぐ必要のある用事で

は無いのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、シェルリーナ達は王都へと帰還した。

 

 完全に傷が治ったわけではない。深々と体には傷の爪痕が残り、前のようになるにはもうし

ばらくかかるだろう。

 

 だが、シェルリーナは、もう以前のようにはなれないだろうと思っていた。

 

 心に受けた傷が癒えなかった。いくら体に受けた傷が治ろうと、心に負った深い傷は癒えな

い。

 

 仲間を失った。それも自らの手で葬った。そして、騎士団長としての責任。あまりに無力だっ

た自分。

 

 いっその事、死んだ方が良かったのかもしれない。シェルリーナはそう思っていた。

 

 王都に到着し、彼女はすぐさま、騎士達の訃報と、任務についての報告を終えたが、それを

終わらせても彼女の心の傷は癒えなかった。『フェティーネ騎士団』は壊滅。自分の居場所さえ

も無くなった。

 

 シェルリーナが騎士を辞めるまで、長い時間はかからなかった。

 ある時、彼女はただ一人、広い草原にある泉で佇んでいた。

 

 今ではシェルリーナは、その場にあった適当な服、白いドレスを着て、何の味気もないような

姿をしている。騎士としても、女としても、あまりに無機質だった。

 

 誰とも顔を合わせたくはなかったし、人の大勢いる王都にいるのも嫌だった。

 

 もう昔の自分には戻れないだろう。そう彼女は思っていた。心に大きな空洞が開き、彼女は

その中へと落ちていた。

 

 騎士であるという肩書きもろとも鎧を脱ぎ去り、これから一体どうしろというのか。この、蝕ま

れていくかのような後悔の念に、どうやって太刀打ちすれば良いのだろう。

 

 泉の水面に映った自分の顔を見て、シェルリーナは独り言のような、声にならない言葉を呟

いている。

 

 自分の顔。とても、以前まで騎士だった女の顔には見えない。銀色の髪は伸び放題。肌は荒

れ、目つきも虚ろだった。

 

 あの、勇猛、そして勇敢だったと言われた自分はどこへ。

 

 いっその事、このまま死んでしまおうか。シェルリーナの心の中に沸き起こってくる感情。

 

 この、無気力、やるせなさ、後悔、挫折、全てを断ち切れるのならば、いっその事、死んでし

まった方が良いのかもしれない。

 

 腰に吊るした剣へと手が伸びそうになる。

 

「シェルリーナ!」

 

 そんな思いにふけっていた彼女へと、背後から男の声が聞えてきた。

 

 剣を抜き、自らの命を絶とうなどと思い始めていたシェルリーナだったが、思わず驚いて背後

を振り向いた。

 

 そこにいたのは、自分を救ったあの旅人、クロノスだった。

 

 彼はシェルリーナの元へと近付いてくる。シェルリーナはさっと剣を隠した。

 

「何の用だ?」

 

 どことなくやつれた声で、シェルリーナは彼に言った。

 

「君の事が心配で、ここまで来た」

 

 意外な言葉だ。この旅人とは王都まで一緒に行動していたが、それから先は、またどこかへ

行くと言って、去っていったはずだ。それが一週間前の出来事。

 

 こんな場所まで自分を追ってくるなど、心外な事。まして心配など。

 

「私の事だったら平気だから、ご心配なく」

 

 彼の顔を確認したら、あとはシェルリーナにとってどうでも良かった。むしろ一人でいたいのに

迷惑だ。

 

 だいたい、彼は命の恩人とは言え、会って一ヶ月足らずの男なのだ。

 

「君の今の顔を見ると、とても平気だとは思えない。少なくともオレはそう思っている」

 

 クロノスは更に言ってきた。だが、シェルリーナにとっては、心の中を見透かされている気が

して不快だった。

 

「あんたに関係のある事か? もう放って置いてくれ!」

 

 シェルリーナは言い放ち、再び、泉の水に映る自分の顔を見つめた。その顔は、今にも泣き

出しそうな表情をしていた。

 

「そうか…、じゃあ、これからオレが言う事は、ただの独り言だと思っておいて欲しい」

 

 クロノスは続けてきた。シェルリーナの方はと言うと、何だか溢れてきそうな涙を必死にこらえ

ている。

 

「君は、責任を感じている。君がどんな事であんな目に遭ったのか、オレには分からない。だ

が、君は生きている。それは事実だ」

 

 シェルリーナは、クロノスの言っている事に、耳を傾けずにはいられなかった。

 

「それは、君が卑怯だったんじゃあない。君は現に、もう少しで死ぬ所だったんだ。だから、君

は、死んでいった者達から見れば、希望なんだ」

 

 シェルリーナは剣を握り締めていた。どうせ、死ぬなら、誰かの目の前で死んでやりたい。そ

う思い始めた。

 

 だが、彼女の心の中に、クロノスの言葉が響いていた。

 

 シェルリーナは、背後にいる男の方を振り向いた。そして、前触れも無く言い放つ。

 

「わ、私は、…、友達に頼まれたんだ…! 自分達の子供を、よろしくって…。だから…、本当

は、死んでも死に切れない…!」

 

 シェルリーナの声はすでに涙声だった。こんなに泣きたくなった事など、今までにあっただろう

か。

 

 不満、怒り、そして自分に対しての不甲斐なさが一気に込み上げてきて、ついには耐えられ

なくなった。

 

「私って、馬鹿だな…。約束を破って、死のうとなんかして…!」

 

 手にしていた剣を、シェルリーナは投げ捨てた。既に涙は頬を伝わり、声を上げて泣き出そう

とさえしている。

 

 クロノスはシェルリーナの傍に座った。

 

「泣きたければ、泣けばいい…。オレはそんな君を情けないだとか、可愛そうだとか、そうは思

わない。ただ、あんたの立たされている苦境から助けてやりたい。そうは思っている…。なぜか

って、聞かないでもらいたい。ただ君を助けられたのも何かの縁じゃあないかとは思っている」

 

 そう呟いてくる男に、シェルリーナは思わず抱きかかっていた。

 

 知り合って一ヶ月足らずの男に、抱きしめられている。不思議だった。今までのシェルリーナ

だったら、こんな事、自分でも絶対に許さなかっただろう。

 

 本当は誰でも良かったのかもしれない。騎士であるという誇りに縛られて、いつも感情を押し

殺していた自分。それが今になって耐えられなくなっていた。

 

 そんな自分の心の内を全て解き明かせる相手。それだったら誰でも良いのだ。今、そのよう

な存在がいなかったら、自分は壊れてしまうだろう。そうに違いない。

 

 しかし不思議だ。この男と一緒にいると、何もかもから解放されてしまう気がするのだから。

 

 シェルリーナが、この男に体を預ける事を許せるようになるまでにも、長い時間はかからなか

った。

 

 やがてシェルリーナは母になった。

 シェルリーナが知らない内に、カテリーナは着実に成長して行った。

 

 少し前まで、シェルリーナの腰の下くらいほどの身の丈の、まだ幼い娘だった彼女は、あっと

言う間に10歳になり、更に成長し続けていた。

 

 背は伸びたが、相変わらず、外で他の子供達と遊ぶような事も少ない。そして、全てを見通し

ているかのような雰囲気も変わらない。

 

 母の見ていない所で、本を読み、どんどん知識を蓄えていっているようだった。

 

 そんなカテリーナに対し、シェルリーナは手を焼く事がなかった。だが、子供として考えれば、

それは不自然だ。それだけは彼女は心配していた。

 

 だが、カテリーナがある時、シェルリーナに向かって、とても驚く事を言い出すのだった。

 

「お母さん。わたし、騎士になりたい」

 

「えっ…?」

 

 耳を疑うというのはこの事。シェルリーナは、自分の娘の言った事が、初めは信じられないで

いた。

 

「何を言っているの…? カテリーナ…?」

 

 シェルリーナの家は農民の家系ではなく、騎士の家系。身分からその娘が騎士になれないと

いうのはこの国にはない。むしろ、女王に仕える兵への門は広い。誰でもなれると言った方が

正しい。

 

 例え貴族のお嬢様でも、女王に奉仕するという誓いさえあれば、騎士になる事ができる。大

抵、そう言った場合、身分だけのお飾りの騎士になる事が多いのだが。

 

「わたし、騎士になりたいの」

 

 まだあどけなさの残る10歳の娘であるカテリーナ。声もまだまだ子供のようだったが、意志

ははっきりとしている。

 

 だが、このような娘が騎士になるなど、想像できない。

 

「それを、あなたは本気で言っているの…?」

 

 シェルリーナは語気を強めた。この娘はふざけてそのような事を言っているのではない。第

一、この娘は滅多な事で冗談を言ったりしない。

 

「母さんみたいな騎士になりたいって、ずっと前から決めていたの」

 

 そうカテリーナは言った。しかし、シェルリーナの騎士としての姿を、彼女は全く知らないはず

だ。誰かが絵に描いた事もない。知ったとしたならば、誰かに話を聞いたのか。

 

 カテリーナは自分の母が騎士だったという事は知っているが、騎士としての姿を見た事は一

度としてないだろう。ただ、家の二階に自分の剣と鎧を置いたままにしてある。あれはカテリー

ナも知っている。

 

 だが、シェルリーナにとって、自分の娘を騎士にする事は断じて許せる事ではなかった。第

一、シェルリーナ自身、フォルトゥーナ家の長女ではない。娘を騎士にして、跡を継がせる理由

も無い。

 

「カテリーナ…、それだけは許せる事ではないわ…」

 

 シェルリーナは珍しく、娘に対して怒りを込めた口調を発した。

 

 彼女は思い出していた。自分が死に瀕し、イアリスとアンジェラが命を散らせたあの時、自分

が見せられたあの光景。そしてあの声。十年以上が経った今でも、頭の中に焼きついている。

 

 自分の娘がやがては騎士になり、世界を変えるなどという話。

 

 シェルリーナは、そんな事が起るとしたにせよ、それはカテリーナでは無いと思っていた。

 

 今、目の前にいる娘が騎士になるなど、あまりに不釣合いだ。

 

「母さん…?」

 

 まだあどけなさの残る瞳でカテリーナは尋ねて来る。

 

「許せる事ではないって言ったでしょう…!」

 

 シェルリーナは声を荒立てた。母になり、カテリーナを初め、あのイアリスとアンジェラの娘達

を育てるようになってから、大分落ち着いては来たが、まだ騎士としての気質が残っている。

 

 カテリーナを叱った事は何回あっただろうか。イアリス達の娘よりはましだったし、取り返しの

つかないような過ちをカテリーナはした事が無かった。だが、親に叱られれば、幼い子供など

は泣いてしまうもの。

 

 だが、カテリーナは涙ぐむような表情も見せなかった。

 

「でも…、わたしなりたい。姉さん達だって騎士になったでしょ…?」

 

 シェルリーナは娘の方を振り返り、彼女の目線に立って、その大きな瞳を覗き込んだ。

 

 カテリーナの言っている事が、本気だというのは眼を見れば分かる。自分とそっくりな眼をし

ている娘。言っている事は本当。第一カテリーナは嘘をつかない。

 

 イアリスとアンジェラの娘達が、それぞれ母と同じ道を歩む事にも、シェルリーナは反対だっ

た。だが、エルフとドワーフの血が入っているという事もあり、彼女達の意思は人間よりも強

い。2人ともおてんばな娘達だったから、騎士になっても不思議ではないだろう。シェルリーナ

に止めるという事はできなかった。

 

 第一、彼女達は立派な大人になったのだから。

 

 だが、カテリーナだけは許さない。彼女は実の娘なのだ。大人しい小さな娘に過ぎない。こん

な事はただの戯言だと思いたい。

 

「駄目…、駄目よ。絶対に許さない。あなたを騎士にさせる事は絶対に…!」

 

「でも、わたし、なりたいから…」

 

「駄目だって言っているでしょう! 黙りなさい!」

 

 あくまで母の反対を押し切ろうとするカテリーナに、シェルリーナの感情が爆発した。元騎士

団長だけあり、幼い子供には凄まじい迫力があっただろう。

 

 だがカテリーナは、

 

「姉さん達はなったのに、どうしてわたしは駄目なの…?」

 

 そんな母の迫力に涙一つ見せず、ただ大きな瞳で、怒っているシェルリーナの顔を、不思議

なものを見るかのように見つめている。目線を外すような事もないし、口調も変わっていない。

 

「あなた、騎士の世界がどんなものか知ってそんな事を言っているの!? 小さなお嬢様の世

界とは違うわ! いつ死ぬかも分かりはしない! あなたの今いる世界とは全然違うのよ!」

 

「分かっている。姉さん達から聞いた…」

 

 カテリーナは呟くように言った。彼女の表情からして、母を恐れていない。

 

「話、だけでしょ! とにかく、あなたは騎士になんかなっちゃあ駄目。それだけ。もうこんな話

はしないで!」

 

 対照的に、感情的になっているシェルリーナ。一向に泣こうともせず、しかも挑戦的とも言え

るような態度に、彼女は感情を逆撫でされていた。

 

「でも、お母さんが認めてくれるまで、私はこの話をするよ」

 

「黙りなさい!」

 

 戦場でしか出さなかったような声で、シェルリーナは我が娘を一喝していた。母となってから

誰にも見せた事の無い姿だ。

 

 カテリーナだけは。自分のように辛い思いはさせたくない。いつ死んでも不思議ではないよう

な世界に、たった一人の娘を向かわせるわけにはいかない。大体、荒々しい気性の騎士達の

中に、この娘が入っていけるはずが無い。

 

 例えそれが、この娘の意志であったとしても。

 

 シェルリーナは娘に対して、寛容的に接してきたつもりだった。だから、自分のこんな姿を見

せたくはなかった。

 

 だが、カテリーナは動じなかった。母に一喝されても、表情を変えなかった。

 

「どうして、あなたは泣かないのよ、カテリーナッ!」

 

 その態度にシェルリーナの怒りが爆発した。カテリーナの方は、変わらぬ瞳で母の方を見つ

めている。

 

 その瞳は勘定の無いような人形。そう形容する事もできるかもしれない。だが、カテリーナの

瞳は意志があった。そして全てを見透かしてしまっているかのような、達観した眼。

 

 幼い子供には不釣合いだ。

 

「どうしてそんな眼をするのよ、あなたは!」

 

 こっちが泣けて来そうだった。カテリーナは眼を泳がす事もなく、ただ母を見つめていた。

 

 カテリーナは、シェルリーナが落ち着くのを待っている。だが、そんな事は大人がする事だ。

子供だったら泣いてしまうだろう。

 

 本当にこんな子が自分の娘なのか。似ているのは外見だけで、本当は違うのではないのか

と思えてくる。

 

「お母さん…」

 

「近寄らないで…!」

 

 シェルリーナは声を上げ、傍にあった花瓶を思わず手で振り払った。それはそのまま空中を

飛び、カテリーナのすぐ側の壁に当たると粉々に砕け散った。

 

 それには、カテリーナは眼を見開いて少し驚いたようだが、母に驚いたのではない。花瓶の

破片に注意しただけだったのだろう。

 

 思わず手で顔を覆い、シェルリーナはそれ以上娘とは目線を合わせず、居間から逃げ出す

ように家の二階へと向かった。

 

 残されたカテリーナは、床に座り込んだまま、割れた花瓶の破片を手に取り、その割れ目を

なぞっていた。

 

 その青い瞳を持つ眼からは、一滴の涙も流れない。陶器のような瞳と肌。涙ぐむような事もな

いまま、しばらく彼女はそのまま床に座っていた。

「そうか、あの子は騎士になりたかったんだな…」

 

 テーブルに座り、まるで泣き出しそうな顔をしているシェルリーナ。そのすぐ側に座っているの

は、今では彼女の夫であるクロノスだった。

 

「…私、どうしたら良いのか分からなくて…、あの子に辛く当たってしまった…」

 

 呟くような声でシェルリーナは言っていた。

 

 あの時、家にはクロノスは居なかった。いや、シェルリーナ達が暮らしているこの家に帰ってく

るのは週に一回程度。彼は宝探しや遺跡探索を生業としているから、家に居ないという事の方

が多い。

 

 クロノスは放浪を止め、シェルリーナと共に暮らすようになってからは、定住するようになって

いたが、彼が大きなヤマを当てそうな時は、月に一度しか帰って来ない事も多い。

 

 しかし、シェルリーナは騎士を止め、職に付いていないから、クロノスのヤマが大きな収入源

だった。

 

 それでも、裕福な生活ができる程に彼は稼いでくる。シェルリーナや娘に対しても優しい。

 

「それで、あの子は泣いたのか?」

 

 クロノスは質問をして来た。今は星明りだけの夜。10歳のまだ幼いカテリーナは、ぐっすりと

眠っているはずだ。

 

「いいえ。泣かないどころか、怯える様子さえも見せなかった…。逆にこっちが泣かされてしまっ

たわよ…」

 

「そうか…」

 

 それに対してクロノスは、特に驚くような素振りも見せなかった。

 

「あの子…、昔から感情を外に出さないのよ…。物心付いた頃からずっとよ? そんな子供が

いると思う…? しかも、私達人間から生まれた子だっていうのにね」

 

 再びシェルリーナが呟くように言う。クロノスは、そんなシェルリーナの肩に優しく手をかけた。

 

「だが、五体満足で生まれてきた子だろ。それなのに神様を恨むって言うのかい?」

 

「そ、そんなつもりじゃ…!」

 

「ただ、家に篭りがちで、本ばっかり読んでいたから大人びているってだけさ。ただそれだけ

…。良く見てみろ。あの子には感情がある」

 

「でも、騎士になるのだけは止めさせないと…!」

 

 シェルリーナは断固として言った。

 

「何も、君と同じような事件に巻き込まれるとは…」

 

「あなたは随分と平和的な考え方をするのね! わたしなんかまだむしろ良い方で、騎士達皆

が、わたしよりも酷い末路を辿るわ! あなたには分からないでしょうけれども、騎士達の世界

とはそう言うものよ。忠誠心と引き換えに全てを失う!」

 

 クロノスの言葉を遮り、シェルリーナは言い放った。騎士という言葉が出てくるだけで、彼女の

気性は昔のように激しいものとなる。

 

 だが、夫の方はいつも落ち着いていた。

 

「君はまだ全てを失っちゃあいない…。だが、戦乱の時代と比べれば、今の時代に騎士になっ

てしまった方が良いとは思うが…。それにそれだからと言って、騎士になる者がいなくなった

ら、それはそれで困るだろう?」

 

「だからって…! 何もうちの娘である必要は…!」

 

「シェルリーナ。君は長女じゃあなかったんだよな?」

 

 今度はクロノスの方がシェルリーナを遮った。

 

「ええ、そうよ」

 

「じゃあ、君が家の跡を継いで、騎士になる必要はなかったわけだ」

 

「確かに私の兄さんは跡を継いで騎士になった。私は心のどこかでそんな兄さんに憧れ、親か

ら半分勘当されてまで騎士になってしまった…」

 

 そうシェルリーナが言うと、クロノスは続けた。

 

「…、カテリーナも、心のどこかで君の騎士の姿に憧れ、親から半分勘当されてまで騎士にな

ろうとしている…。オレは勘当するつもりはないがな…」

 

 シェルリーナは思い始めていた。もしかしたら、カテリーナと自分はやはりどこかで通じている

のではないのかと。確かに、子供の頃の態度や性格は違うが、騎士を志すような心は同じなの

ではないのかと。

 

 クロノスに言われると、不思議と納得させられてしまう。

 

 ただ自分が、たった一人の娘に自分を投影させて不安がっているだけなのではないのかと。

 

 そして拭い去れないのは、カテリーナが生まれる前に見せられた、頭の中での光景。まるで

あの光景が現実のものになるのではないのかと思えるような運命。

 

 たった一人の娘が騎士になろうとしている。そして騎士になった娘が、これから世界を変える

事の事をしでかすというお告げ。

 

 シェルリーナはそのお告げを恐れている。

 

 ただ世界を変えるというのならば、それはただの戯言なのかもしれない。だが、それだけでは

終わらないものを彼女は感じていた。

 

 あの時、自分の頭の中に囁きかけてきたのは、イアリスとアンジェラを葬った者なのだから。

 

「私、ただあの子の行く末を恐れているだけなのかもしれない…」

 

 シェルリーナは考えもまとまらないままに、そう呟いていた。

 

「そうか…、だったら、あの子にオレから話してみよう」

「ねえ、お母さん…。わたしに似合っていると思う…?」

 

 シェルリーナは、カテリーナに尋ねられていた。今では、カテリーナは銀色の鎧を身に付け、

鏡の前に立っている。

 

 あの10歳の幼い娘は、今では13歳になっていた。『リキテインブルグ』では、騎士見習いは

13歳からなれる。家系は関係なく、全て統一して13歳。

 

 1年程の訓練期間がある。実際に戦場に立てるのは、基礎的な戦術を身につけてからであ

って、見習いになってからすぐではない。

 

 今までお嬢様だったカテリーナが、騎士見習いですらやって行けるのかどうか、シェルリーナ

には分からない。

 

 騎士としての環境を、シェルリーナは身を持って知っていた。あの世界はお嬢様の世界とは

打って変わって、実力社会で粗野で乱暴。見返りも少ない。こうなるのならば、カテリーナを、お

嬢様として育てるのではなかった。

 

 しかし、不思議だ。自分の娘である、このあどけない顔立ちの少女は、騎士の装束を身につ

けさせると、意外と違和感が無い。

 

 母譲りの眼付きのせいか、刃のような銀髪のせいなのか。顔立ちは少女そのものだが、輝く

ような銀色の胸甲を持つ鎧の姿は、芸術品のように調和されている。

 

 戦の女神、イライナのような姿とは違う、不思議な調和だ。シェルリーナ自身、イライナのよう

だと形容された事はあるが、自分の娘はまた違う。

 

 その幼い体を、体格に伸張された鎧に身を包んだ姿。まだ戦いの場において、あまりに未熟

な小娘が、背伸びをして着ているものではない。あくまで着るべくして、この娘は鎧を纏ってい

る。

 

「カテリーナ、これを持ちなさい」

 

 シェルリーナがそう言ってカテリーナに渡したのは、一振りの剣だった。

 

 声が囁きかけていた、この娘は、シェルリーナが十数年前に洞窟の中で手にした、あの大剣

を用い、世界を変えるのだと。

 

 鎧は似合っても、この娘にあの大剣の大きさは似合わない。それに、まだ騎士見習いの子

が、あんな大剣を持つ事が許されるだろうか。

 

 それに、まだシェルリーナは信じていなかった。カテリーナはただ、姉のように慕っているイア

リスの娘達に影響されただけかもしれない。

 

 あの声は、ただの幻覚だったのではないのかと…。まだこの娘に明かすには早すぎた。

 

 カテリーナは母から剣を受け取り、体の前で持った。

 

 母と娘は同じように鏡の前に映った、新たな女騎士の姿を見ている。それも、同じような眼

で。

 

「心に誓いなさい。私はピュリアーナ女王陛下と、『リキテインブルグ』を命に懸けてお守りしま

す。この剣に懸けて、決して挫ける事も無く、ただ、弱者と国を敵から守る事に全てを捧げます

…、って」

 

 カテリーナは黙って頷き、母の言っていた事を繰り返した。

 

「私はピュリアーナ女王陛下と、『リキテインブルグ』を命に懸けてお守りします。この剣に懸け

て、決して挫ける事も無く、ただ、弱者と国を敵から守る事に全てを捧げます…」

 

 

次のエピソード

Episodio03 『少女の旅』


 
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