No.190731

真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~ 25:【董卓陣営】 強さの基礎

makimuraさん

華雄が華祐に敵わない理由。

槇村です。御機嫌如何。


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2010-12-20 19:21:18 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:4941   閲覧ユーザー数:3883

◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

 

25:【董卓陣営】 強さの基礎

 

 

 

 

 

鳳灯はまず、賈駆と共に河東郡の地力底上げを試みる。

遼西で行っていた、治政や警備の体制、情報伝達方法、それらに携わる人員の構成などなど。

それらを河東に置き換えて考え、どう組み立て行けばいいかを考察し、意見を戦わせる。

文官らのみならず、董卓もその場に同席していた。だが鳳灯と賈駆、ふたりの思考の高さと速さにほとんどの者がついていくことが出来ず。董卓も理解しようと努めるも目を回してしまい脱落。ふたりにお茶を入れてみたりしながら、無理に理解しようとはせず耳を傾けるにとどめていた。

もっとも、そのお茶に気付いた賈駆に「太守が侍女みたいなことをするな」「周りも止めろ」などと怒られたりもしていたが。

 

それはともかく。

董卓、賈駆を主とした文官組は、鳳灯の意見と遼西の実例を踏まえながら治政案を練り上げていく。

時には座学のごとく教えを受け、時には現状を確認すべく町中や郊外を歩き回り、時には過去の情勢を遡り地域の特性を再調査する。

地味ではあるが手は抜けない、そんな仕事に昼夜追われ続けていた。

 

この下積みが、後の洛陽に布かれる善政の基礎となる。

 

 

 

内政の充実も重要ではあるが、軍閥勢力としての力を蓄えることも必要である。

戦を望まない鳳灯にしてみれば、苦い思いを抱かざるを得ない。だが鳳灯は、この先なにが起こるのかを既に知っている。好むと好まざるとに係わらず、今この時勢に兵力の充実を怠ることは出来ない。必要と分かっていることを、分かっていながら手をつけないなど愚かのひと言に尽きる。

 

軍閥としての力を蓄える。それはすなわち、兵の総数を増やすことと、兵ひとり当たりの実力を上げることだ。

数はともかく、実力に関しては既になかなかのものを持っている董卓軍。彼女らの出身地である涼州は、より以北、北狄と呼ばれる勢力と常に相対している土地である。それらに対応するために、軍の精強さというのは他の軍閥よりも身近かつ切実な問題となっている。

こういった気風のせいだろうか。張遼や華雄、一般の兵に至るまで、己の強さというものの必要性を肌身に感じている。そしてひとりひとりが武を高めることに貪欲であり、その成長に喜びを感じる気質がある。

 

そんな董卓軍に対して、華祐は率直に意見を述べられる立場となった。

 

華祐らが到着したその日早々に、彼女は華雄に立会いを求められた。董卓の許しを得た上で、華雄を始め武官らと調練場で武を交わしている。

結果は、華祐の圧勝。並み居る武官、そして張遼や華雄を相手にしても勝利を収めていた。

唯一、呂布には一歩及ばず黒星となっている。だがそれ以前に何戦もこなしている点を考えれば、やもすれば呂布よりも、という実力を華祐は見せ付けたことになる。もっとも華祐にしてみれば、疲れたから負けた、など理由にもなりはしないのだが。

ともあれ。まさか飛将軍・呂布と互角に渡り合う武将がいるとは、と。董卓軍の誰もが驚愕し、次いで胸を躍らせた。

 

前述したように、兵たちは自分の強さを発揮する機会が多い地で育ったがゆえに、武に秀でる者に対し誰もが敬意を払う。武の程を見せ付けられた兵たちは、華祐に対して教えを受けることに抵抗を感じなかった。

華雄だけは、どこか悔しげな顔をしていた。だがそれでも、今の自分では敵わないことが理解出来ているのだろう。彼女もまた教えを請うている。内心の気持ちはどうあれ、華祐に自分と相通じるものを感じたのかもしれない。

 

華祐にしてみても、過去の自分を始めとして、董卓軍の兵を鍛えたいという気持ちはあった。

以前にいた世界では、自分が起こした考えなしな行動によって部下をいたずらに死なせてしまった。そんな慙愧の念が改めて彼女の中に生まれてくる。

避けられるのなら避けたい。そんな思いが、過去の自分を鍛えようという気持ちに繋がっている。

だが今の彼女は董卓軍にとって余所者である。一勢力の軍事内容に、外部の人間がそうそう介入できる出来るはずもない。ひとりの武人として、気になったところに意見を挟むくらいが関の山だ。

指導するという意識はなかったが、遼西で行っていた鍛錬・修練法などを提示し、それによって公孫軍がどういった働きを見せるようになったかを話したりする。それらが使えると思ったならば、董卓軍でも採用してみるといい。そんな意識をもって、華祐は、董卓軍の武将らと意見を交し合う。彼女自身が驚くほどに、始めは武器を手にしているよりも座学の割合が多くを占めていた。

とはいえ彼女もまた武将である。しかも己の武を突き詰めんとする者だ。座ってばかりよりは身体を動かし発散する方を好む。

これは董卓軍の面々も似たものであり。己を鍛えるあれこれについて話した後は、それらを試すべく実際に身体を動かす実戦形式に移っていた。

 

調練に関しては、結局のところ画期的ななにかが導入されたわけではない。走り込みや反復演習などによる基礎鍛錬の繰り返し。ただその分量ややり方、内容などの見返しが行われた程度である。

毛色の違うものとしては、手足に重しをつけての修練などが採用されている。

華祐いわく「慣れればたいしたことない」ものではあったが、慣れないうちはやはり重たい身体に振り回される兵たちだった。

 

この下積みが、後の洛陽を守護する董卓軍の屈強さを支える基礎となる。

 

 

地味な基礎訓練を続ける毎日。そんな調練の締めとして、その日の最後には一対一で本番志向の対戦が行われる。刃を落とした調練用の得物を手にし、ぶつかり合うやり方だ。

我こそはと、華祐に勝負を挑む者も多い。一般兵の身で、目上の武将と立ち合うことが出来る好機なのだ。奮い立つのも無理はない。

華祐はそのひとりひとりと、無理のない程度に相手をする。そのいちいちに、彼女は相手の良い所悪い所を指摘し精進を促してもいる。そういった面倒見の良さと具体的な言葉のためだろう。華祐は、公孫軍の時と同じように河東郡においても、一般兵からの評判は特に良かった。

 

相手をするのは一般兵ばかりではない。武将として軍の上位にいる者たちとも当然立ち会う。

日によって面子は変わるが、張遼、華雄、呂布の三人は毎日のように挑みかかっていた。

董卓軍の三強ともいうべき三人をそれぞれ相手にし、華祐はそのほとんどに勝利を収めている。呂布が相手であっても、その勝率はほぼ五分であった。

その立会いは見ているだけでもためになる。華祐も、兵全員に向けて「自分が相手をしていると想像して見ろ」といい含めていた。

自分ならばどうするか、という意識を持たせる。だが実際には、一般兵では呂布の前に立ち続けることは難しい。なにかを考える前に打ち倒されてしまうのが関の山だ。その点、華祐であればそれなりに打ち合うことも出来、なおかつ打ち勝つことも出来る。呂布の武というものを"観察する"というほどまで長引かせることが出来る。張遼や華雄でも、そうそうできることではない。彼女らも食い入るように見るようになった。

董卓軍の将ふたりに限ったことではない。かの飛将軍の実力をつぶさに見ている董卓軍の面々にとって、勝率五分という数字は驚嘆に値する。そしてこれほど長く立会いを続けられるということも。それがまた、華祐という武将を強く印象付ける結果になっていた。

 

華祐とて、武に秀でた将兵たちと手合わせするのは楽しい。やりがいもある。

なにより、自分の実力が確かに上がっていることを感じられる。

現時点で既に天下無双とまで呼ばれている呂布と、真っ向から立ち合えているのだ。以前の彼女ならばこうはいかないだろう。

 

 

 

華祐の武がここまで高められた要因。それはなによりも経験の数である。

そして、そのひとつひとつに彼女は意味を持たせ、教訓とし自ら反芻を怠らなかったことだ。

華祐は以前の世界において、関雨と相対し敗れた。その大きな原因は、経験不足ゆえに陥った視野の狭さと、その枠の内しか知らなかったが故の思い上がりにあった。彼女はかつての自分をそう評価する。

関雨に敗れてからというもの、華祐は自分の行動ひとつひとつに考えを巡らせるようになった。武を振るう争いの場はもとより、普段からの些細な所作、それこそ箸の上げ下ろしに至るまで。武の高みを目指すということ、そこにすべてを集約させるために。

関雨への憤りや、自分自身に対する自嘲といった"内面の戦い"を一通り経て、華祐は"自ら経験し得たものこそ至高"という考えに至る。

三国同盟が成立する前の流浪の日々、そして成立後にも繰り返した三国の勇将たちとの立ち合いの経験が、彼女の血となり骨となって、今の華祐という武将を形作っている。彼女にはその自覚があった。

 

ゆえに、華祐はひとつでも多くの経験を、少しでも多くの下積みを促す。それらが身につくことによって、咄嗟に自分の身を動かす選択肢の幅が広がる。それが豊富になることで、董卓軍の兵たちが生き残る確率が上がり、ひいては兵力の充実、軍勢としての地力の向上へと繋がるからだ。

 

文においても武においても、図らずも鳳灯と華祐は同じ結論を出し、董卓陣営にそれを求めていた。

 

 

華祐は手と口を出せる範囲で、兵たち武将たちをひたすら叩きのめす。足を、手を、思考を止めるな、と、声を大にする。そして倒れた兵を前にして、なぜ倒されたのか、どうすればよかったのか、考える糸口を与え放置する。その繰り返しだった。

 

ことに、華雄に対しては厳しく当たっている。

以前にいた世界では、張遼と同格か、それよりもやや下といった立ち位置だった。もちろん、呂布には敵わなかった。これはこの世界の華雄も同じだと、華祐は判断する。その割には自分の持つ武に自信を持ち過ぎていることも、かつての自分と変わらない。

増長とも取れるそれは、やがて起こるであろう汜水関での戦いで砕かれることだろう。自身の敗走、部下たちの死、そして董卓軍の作戦を内から崩すという結果をもって。

それを、避ける。そうなる芽を事前に摘むために、かつての自分を鍛え上げる。

今の彼女の目で見れば、華雄の振るう武の程は荒く大振りで付け入る隙が大きい。気迫と膂力そして勢いだけで押しているようなものだ。

そこを指摘する。勢いだけで叩きのめそうとする華雄をいなし続け、冷静になれ周囲を見ろ頭を使え、と、猪の如き動きを矯正する。

華雄は、華祐を睨みつける。だが、ただ苛めているだけではないことは分かっているのだろう。指摘されていることはもっともなことだ、と、判断する力は彼女にもある。

だからこそ、幾度となく叩きのめされても、文句もいわず従っている。事実、指摘された部分を意識するだけで、華雄は身体の動きが違っていることを感じていた。

 

華祐にとって、この世界の華雄や張遼は格下である。侮るつもりはないが、実際に武を交わし立ち合った感触から判断しても、まだ自分に及ばないと感じている。

董卓軍の将たちにとって、いわゆる実力者という相手は、呂布、張遼、華雄を指す。目にする武の高みと幅は、その三人の幅でしかない。

だが華祐は、それ以上の、なおかつ多彩な武将たちと立ち合っている。

蜀の面々。関羽、張飛、趙雲、馬超、馬岱、黄忠、厳顔、魏延。

魏。夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、楽進、李典、于禁。

呉では、孫策、甘寧、周泰、黄蓋。

そして文醜、顔良、孟獲、公孫瓉などなど。

すべてに勝てるとはいわないが、それぞれに相性のいい立ち合い方を考え、彼女はそれを実行することが出来る。この差は非常に大きい。

ゆえに、今の張遼と華雄では、華祐に勝てない。

事実、勝てていない。経験の厚さを至上とする彼女にしてみれば、その結果は当然といえば当然のことだった。

 

それでも、呂布に対しては必勝といえない辺り、どれだけ恋は武の神に愛されているのか、と。

内心、呆れたり嘆いたりしている華祐であった。

 

 

いろいろと思うところはあるにしても。

今の自分の考えはそう間違ったものではない、と、華祐はそう思っている。事実、かの天下無双と五分に渡り合えているのだから。

彼女もまだまだ精進中の身。兵や武将に指南をしつつも、それらが絶対に正しいというわけではない。意見を聞き、他人の立ち合いを見て、自分なりの在り方を考えろ。そう華祐はいう。経験というものは、自分で考え噛み砕いていかないことにはしっかり身につくことはない。

そんな考えを反映させているのが、一日の終わりに行われる、一対一の演習。

このときは、他人の立会いもよく見るようにさせていた。

殊に、武将らの立ち合いを見ることは、兵たちにとって大いに参考になり、また刺激にもなる。

あの動きをするためにはどうするか、対応するためにはどうすればいいのか、立っているのが自分ならどうすればいいのか。そんな風に頭を働かせることが、ひとりひとりの地力を上げる糸口になる。

 

中でも、呂布、張遼、華雄の三人が行うそれは一味違った。一般兵ではとても敵わないであろう立ち回りを見せる。

自分ならどうするか、と考えることは無為なことではない。実力差に絶望するのではなく、自分なりの対応策を常に考えるようにさせる。それだけで、例え戦場で圧倒的な強さの敵に出くわしたとしても、立ちすくんで簡単に死ぬ、ということが避けられるのだから、と。

もし自分が、天下無双と対峙したらどうするか。

この意識を一般兵にまで持たせたことが、華祐のもたらした最大の意識革命だったのかもしれない。

 

さて。

そんな立っている舞台が違うもの同士の立ち合い。これは毎日のように行われている。

そして今日も、この時間がやって来た。

 

華祐と、呂布。

 

董卓軍に身を置く者の中でもっとも高い武を持つ者同士が、今日もぶつかり合う。

 

 

 

・あとがき

きっと求められていないであろうところを、延々書こうとしていた。

 

槇村です。御機嫌如何。

 

 

 

 

地味で地味で仕方がないところ、例えば町の区画がどうだとか、民屯を導入して税制がどうのとか、詳しく調べてしっかり考えて書こうと張り切っていたのですが。

読み手はそんなの求めてないんじゃね? と思い至り。バッサリ捨ててしまいました。

 

無視は出来ないけど、こだわり過ぎると読んでる人が飽きてしまう。

うん、気がつけてよかった。

 

その割には、違うベクトルで読んで飽きそうなものを書いている槇村。(自重しろ)

華祐や関雨が強い理由、みたいなものをでっち上げて、こっちの世界の恋さんに、華祐さんをぶつけようとした。

そこから派生して、華雄さんや霞さんの伸び代云々みたいなお話にしたかった。

 

 

 

挙げ句、なんだか薄い印象が。文章量少ないし。その割りにクドいし。

まぁいいや。(いいのか)

 

次は、華祐vs呂布の立ち合い、そして月さんらが洛陽に入る前振りを書くつもりです。

なるべく、今年中に更新するつもり。出来なかったら勘弁な。

 

二週間も更新に間が空いたのは初めてだ。

 


 
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