No.187975

真・恋姫無双 EP.52 牢獄編

元素猫さん

恋姫の世界観をファンタジー風にしました。
楽しんでもらえれば、幸いです。

2010-12-04 22:23:47 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:3908   閲覧ユーザー数:3386

 ひんやりとする石の壁に寄りかかって、華琳は少しだけ自分の運の良さに感謝した。牢番をしているオークたちの下卑た笑い声を聞く度に、その事を強く思うのだ。自分の部下には禁じているが、中には捕虜となった女性を無理矢理に犯す牢番もいるという。何進軍の風紀を見る限りでは、おそらくそうした行為は見逃しているだろう。もしも牢番が人間の男であったなら、華琳もその餌食になっていた可能性があったのだ。

 オークと人間では、美しいと感じる感覚が異なる。そのため、オークの雄は人間の女を抱くことがない。興味の対象ではないのだ。もし牢番のオークが襲って来たら、今の華琳では抵抗出来ない。それは辛く、屈辱的な出来事だ。

 

(死を恐れはしない。けれど……)

 

 身を守るように、華琳はぎゅっと自分の腕を抱いた。誰にも見せることのない、もう一人の自分。覇王として立つことを決めた時から、諦め、内に封じてきた自身の姿だ。普通の少女の夢など、永遠に叶わぬ幻だと思っていた。だから無理矢理、少女の無垢な花を散らすことになろうとも、自らで命を絶つ覚悟を持っていたはずだ。

 

(あの日、彼と出会うまでは……)

 

 華琳は北郷一刀と出会った夜の事を思い出す。互いに名乗らず、一人の少女として振る舞うことが出来た貴重な時間だった。それは大切な思い出として、いつも華琳の心の中にある。思い返すと、胸の奥が甘く痺れて、切なさが込み上げてくるのだ。

 

(一刀……)

 

 今頃、どこで何をしているのか。彼の事を考えるだけで、全身が熱くなる。

 

(未練、なのかしらね……)

 

 別の人生に思いを馳せる。普通の少女として生き、平凡な毎日を過ごす。誰にも当たり前な事が、手の届かない高嶺の花になっていた。それを後悔はしないが、心残りなのも事実だ。

 一刀に出会い、その思いが一層強くなった。

 

(恋をすると、女は強くも弱くもなる――ずいぶん昔に、近所のお姉さんたちが女の子らしい遊びをしない私を心配して、そう言ってくれたことがあったけれど……)

 

 今の自分は、はたしてどちらだろうか。

 

 

 硬い寝台に身を横たえて、春蘭は小さく息を吐く。同じ牢内に入れられていた秋蘭が、心配そうに目を向けた。

 

「どうかしたのか、姉者?」

「いや……」

 

 天井を見つめたまま、春蘭は左目の眼帯に触れる。蝶の姿を模した眼帯で、秋蘭が選んだものだった。

 最初、用意されたのは可愛げのない丸いだけのものだったが、秋蘭が抗議をしていくつか別のものを用意させたのである。何進の部下は取り合ってくれなかったが、十常侍の男は死にゆく者の願いということで聞き届けてくれたのだ。

 

(連中の事は嫌いだが、この眼帯に関しては感謝してもいいくらいだな)

 

 密かにそう思い、様子のおかしい姉を気遣う。

 

「傷が痛むのか?」

「もう、平気だ。ただ、華琳様のことを思い出していた」

「思い出す?」

 

 まるで、ずっと会っていないような言い方に、秋蘭は首を傾げる。実際はここへ運ばれる間、ずっと同じ馬車に乗っていたのだ。

 

「私が左目を失ったと知った時の、華琳様の顔を思い出していたのだ」

「ああ……」

 

 春蘭の思いを察し、秋蘭もその時の様子を脳裏に浮かべる。それは初めて見せた、弱々しい表情だった。

 

「あの時だけは、華琳様が幼い子供のように見えた。母親とはぐれてしまった時のような、不安を滲ませた顔だ」

「本当に姉者のことを、心配されていた」

「秋蘭は覚えているか? 初めて華琳様と会った時のこと」

「忘れるものか。あの日、我らの運命が変わったのだからな」

 

 それは、強烈な印象を残す出会いだった。敵意を剥き出しにした二人を前に、悠然と構えて無防備に立ち尽くす。春蘭たちの間合いにあって、不安や恐れなど微塵も見せずに、堂々とそこに居た。

 そして開口一番、華琳はこう言ったのだ。

 

「私の、家族になりなさい」

 

 

 物心ついた時から、武器を持った男たちに追い回された。存在自体が悪であるかのように、魔獣族は次々と狩られていったのだ。その最後の生き残りが、春蘭と秋蘭だった。

 人間に迷惑を掛けたわけではない。ひっそりと、山奥で暮らしていた。やって来たのは人間の方で、居場所をどんどん奪われていった。

 

(すべてが敵だ)

 

 安らぎなど、この世界のどこにもないのだと思った。春蘭にとってすべては秋蘭で、秋蘭にとってすべては春蘭だった。たった二人だけの世界。身を寄せ合って、生きていくしかなかった。それでもまだ子供の二人には、過酷な毎日が待っている。

 

(もう……)

 

 諦めが、二人の心に生まれた。きっとこのままでは、自分たちも狩られてしまうのだろう。寒さと飢えで身を寄せ合って、ひっそりと隠れていた時、一人の少女が現れた。それが、華琳だった。

 

(どこまでも、私たちを追い詰めるというのか。ならばせめて、その首を食いちぎって道連れにしてくれる!)

 

 二人は容赦なく、殺気を華琳にぶつけた。けれど華琳は怯まず、わずかな笑みすら浮かべていたのだ。そしてあの言葉を口にしたのである。

 

「私の、家族になりなさい」

 

 思わず耳を疑った。驚きよりも先に、戸惑いが心の中に湧き上がっていた。春蘭と秋蘭は顔を見合わせ、もう一度華琳を見る。わずかに蒼い透き通る瞳の奥に、微塵の陰りもなかった。

 

(本気で言っているのか……)

 

 もしも本気なら、正気じゃない。魔獣族と人間が家族になるなど、互いの長い歴史の中で一度だってありえたことはないのだ。しかしだからこそ――。

 

「おもしろい!」

 

 獰猛な笑みを浮かべ、春蘭と秋蘭はその差し伸べられた手を取った。どうせ死ぬかもしれなかった命だ。この少女に預けてみるのも、いいかも知れない。二人にそう思わせる何かが、華琳には確かにあった。

 

 

 夏侯姉妹を家族に迎え入れた華琳に待っていたのは、嫌がらせや誹謗中傷だった。魔獣族に対する染みついた恐れと嫌悪感は、そのまま華琳に矛先が向けられたのだ。

 

「華琳様はいつも、どこかに怪我をされていた。私たちが問いただしても、平然と笑うばかりだ」

「注釈を書かれていた兵法書を破かれたこともあったな」

「だが、一度として私たちを疎んじたことはない。弱音や後悔も口にしたことはなかった」

 

 そんなある日、ふと華琳が言ったのだ。

 

「行き場のない不安や憤りが、わかりやすい捌け口を求めるんだわ。だからこそ、根本的な事から変えていかなければいけないのよ」

 

 思えばそれが、華琳の決意だったのかも知れない。個々を恨むのではなく、全体の歪みを正そうと考えたのだ。

 

「私には難しいことはわからない。正直、華琳様以外の者のことなどどうでもよいのだ。だが華琳様が目指すなら、どこまでもついて行こうと決めた」

「私もだよ、姉者……」

 

 秋蘭が言うと、春蘭は寝台に身を起こし真剣は表情で妹を見据えた。

 

「華琳様は、あの男のことを気に入ってるようだ」

「……北郷のことか?」

「私もあの男なら、華琳様を任せられるかも知れないと思っている」

「姉者……」

 

 聡明な妹は、姉の思いを察して微笑んだ。

 

「そうだな……もともと姉妹二人きりなのだ。地獄への旅路も寂しくはあるまい」

「共に歩めぬ我らのことを、きっと華琳様はお怒りになるだろうな」

「ああ。だが、それでいいさ」

 

 夏侯姉妹は静かな決意をその顔に浮かべ、互いを称えるように大きく頷き合った。

 

 

 そして、一週間後の正午に公開処刑が行われる事が、朝廷から正式に公表された。

 ある者はおもしろ半分の気持ちで、ある者は悲しみと絶望を抱えて、ある者は嘲笑を隠し、ある者は奇跡を信じてギョウの街を目指した――。


 
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