No.151365

真・恋姫†無双 2話 荊州の憂鬱

 この話は
 恋姫ベースに演義+正史+北方+横山+妄想+俺設定÷6
 で出来上がった奇怪なものです。
 荊州小凱歌の続編ですが、別段関係ないかもしれません。
 桃香と一刀はキャラ崩壊するほどにステータスが上昇しています。

続きを表示

2010-06-17 23:32:40 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:3131   閲覧ユーザー数:2835

 全身が痛い。

 ちょっと泣きそうなくらいに痛い。

 

「華佗はまだか」

「はい、ただいま手配しております」

 

 愛紗は先日の怪我に苦しんでいた。肩の矢傷と右腕の骨折、後は全身の打ち身である。

 戦場では痛みなど感じないというのに、暇になった途端に牙を向き始める。

 私の体だろう? なぜ私に害をなす。

 

「華佗様は見つかりませぬが、丞相はいらっしゃいました」

「危篤だから会えぬと伝えてくれ」

「馬良殿がすでに通されております」

「なんだと!?」

 

 寝台からがばっと起き上がって、痛みに苦しむ。

 自分の体を抱きつつ、愛紗は舌打ちをした。

 

「おのれ馬良、裏切りおったな」

「面会が遅れれば新たな罪が出来ましょう。馬良殿は将軍を思って行動しているのですぞ」

 

 伊籍は開いているのかもわからないほどの細い目で愛紗をじっと見下ろしている。

 

「丞相とともに司空もこられておりますれば、多少の弁解も期待していいものと思われます」

「わかった。華佗に治療してもらったら行くと伝えてくれ」

 

 愛紗はごろりと寝返りをうった。

 向き合った戸の向こうに、男がいた。

 

「患者はここかっ」

「華佗殿、よく死なずにここまで侵入出来ましたな。間者顔負けにございます」

「患者のためなら、危険など顧みないのだ」

「正面から入ってこられれば、その危険も回避できまする」

 

 伊籍と華佗の問答を聞きながら愛紗はため息をついた。

 取り敢えず矢の刺さった自分の背中を手当してみせろと言いたかった。

 

 荊州城。愛紗の治めている荊州で、最も大きな城である。外見も立派だが、もちろん中身も立派である。愛紗を筆頭に集まった腕利きの将は大小合わせて三十余人。ブレインモンスターな文官たちも馬良、伊籍を両壁に五十余人。

 今日はそこに丞相と司空が訪れた。丞相とは知らぬものはいないであろう神算孔明その人。司空とは天からやってきたという天人北郷一刀である。

 愛紗はすっかりと痛みの失せてしまった体を抱きながら憂鬱に会見の場へと向かっていた。

 何のために呼び出されたのかはもうわかっている。前回、自ら戦場へ赴き、重傷を負って帰ってきたのを咎められるためだろう。

 本来都督という身分の愛紗は軽々しく荊州城を動いてはいけないのである。それも、戦の最前線に出るなどはもってのほかである。

 こういうときの朱里は本当に厳しい。平謝りで許してくれるかも微妙である。

 

「義母上」

「何だ、愛里」

「丞相はカンカンです」

 

 先に挨拶を済ませていた関平がぽつりと言った。

 

「……そうか」

「真面目に刑罰に処されることも考えないといけないやも」

「お前は私を不安にさせたいのか」

「いえ、ただ、丞相自らが参られたのですから、やっぱ、覚悟はきめないと」

 

 そのとおりである。成都にいても普通人なら過労死するであろう仕事量をこなしている朱里である。

 その休む間もない多忙の檻をどうやって抜け出したのか。

 

「土下座体制のまま入場すればどうでしょう。許してくれるやも」

「土下座したままどうやって動くのだ」

 

 そんなみっともない真似が出来るか。

 そうこうする間に、謁見の場についてしまった。

 関平は愛紗に一礼すると戸の外に槍を持って立った。

 ここからは愛紗が一人で行かなければいけない。

 愛紗は着ている官僚着を正して入場した。

 

「お久しぶりでございます。丞相、司空」

 

 愛紗は片膝をついて礼をした。すると上座に立っていた小さな身体の少女がぺこりと一礼をした。

 

「お久しぶりです。将軍」

 

 そこから少し離れたところに立っていた若い男もすっと無言でお辞儀をした。

 

「荊州はうまく治まっていますか」

 

 朱里は可愛らしい笑顔で言った。

 

「我非才なれど、優秀な官僚が幾人もおります。そのため、上手く纏まっているかと」

「そうですか。何よりです」

 

 朱里はまた笑顔で言った。

 

「積もる話もあります。将軍、どこか、一室にて語らいませんか」

「分かりました。すぐに容易致します」

 

 社交辞令が終わった後。これが一番不安なのだった。

 

 愛紗の私室の一つ。友が来たときに使用している部屋に、朱里と一刀を通した。

 一刀は部屋に入るなり気が抜けように椅子に座り、朱里も衣服を着崩した。

 

「一々あんなことをしなくても、初めからここにくればいいんじゃないか」

「だめです。こういう決まりごとはやるべきです」

「朱里は頭固いよな」

 

 一刀は伸びをして言った。

 こうやって友同士で会ったときは、立場は忘れて話すようにしていた。

 愛紗はどこから話せばいいだろうと考えて椅子に座った。

 

「愛紗さん、私たちがなぜここにきたのかわかっていますか」

「あぁ、もちろんだ。先件のことだろう」

「そうです。愛紗さんはもっと自分の立場を考えてください。愛紗さんの死で蜀漢はどれ程揺らぐか分かりません。あなたの体はもうあなただけのものではないのですよ」

「すまない」

 

 一刀も制服を着崩して言った。

 

「俺も心配したよ。愛紗なら大丈夫って思ってたけど、やっぱり」

「すみません、一刀殿」

 

 一刀は司空という丞相の下の位に着いているが、三公は丞相があれば廃止される位である。

 天人として桃香に不臣の礼をとらされている一刀だが、自分が特別なのはいけないとその位についたのである。

 一刀は首を振って言った。

 

「一番心配してたのは鈴々だよ。愛紗のことを考えると気が気じゃなかったろうな」

「そうですか」

 

 愛紗は今になって申し訳なく思った。

 

「朱里、その、かなり怒っていると聞いたが」

「いえ、関平さんの前ではそう振舞っただけです。軍律の厳しさを目の当たりにすれば、自ずと成長するかと」

「なんだ、そうか。ははは」

 

 愛紗が笑うと、朱里と一刀は目を逸らした。

 

「どうした?」

「あの、非常に言いにくいのですが」

 

 朱里が一刀に目配せした。一刀は肩をすくめた。

 

「俺らは別に怒ってないよ。愛紗が無茶をするのはもう慣れっこだし。でも、それが」

「はっきりと申してください」

 

 一刀は数瞬迷って、言った。

 

「桃香がな、烈火の如く怒ってる。あんなに怒った桃香を見たのは久し振りだったよ」

 

 桃香が怒るとどれだけ恐いか、一番知っているのは愛紗自身だった。

 

「な、なぜ」

「愛紗が自分で言ったじゃないか。勝手な出陣とその怪我。桃香には一切手紙も出さなかったらしいし」

「それは桃香様の仕事に差し支えてはいけないと思い」

「愛紗さん」

 

 朱里がうつむきながら言った。

 

「劉皇帝からの命令です。荊州は没収。都督の印も返上してください。官位降格です。速やかに成都に戻るようにと」

 

 咄嗟に何かを言おうとしたが、口が開いたり閉じたりするだけで何も言葉が出なかった。

 覚悟はしていたが、胸に突き刺さる。

 悔しさと歯がゆさで涙が出てくる。

 愛紗は俯いて拳を握りしめた。

 

「そうか、わかった。後日すぐにここを出る。私の代わりに、誰がここを治めるのだ?」

「私が治めます」

「そうか、朱里か」

「はい。一月もすれば、また荊州を与えられると思いますので、その間は」

「そうか、一月。一月か……ん?」

 

 愛紗は顔を上げた。

 

「なんだと? 一月?」

「そんなものだろうと私は思っていますが」

「どうして?」

 

 朱里は肩をすくめた。

 

「おかしいとは思いませんか? 戦で大敗したわけでもなく、謀反の罪を着せられたわけでもない。ただ戦に出て、怪我をしただけです。狩猟に出て獲物に噛まれたくらいで、何で降格になりましょう」

 

 そういえばそうだ。

 朱里は更に続けた。

 

「将外にありては君命にも従わざることあり、とも言います。それも愛紗さんは一介の将ではなく、蜀漢の代表格。しかも皇帝の妹です。それが降格とはいかにもおかしい、行き過ぎた沙汰です」

 

 一刀が笑った。

 

「桃香もね、愛紗に会いたいんだよ。これ幸いに成都に来いってさ。それに、朱里無しで成都がどれだけ持つか……まぁ三月でガタガタになるよ」

「本拠地がそんなことでいいのですか」

「まぁ、いいんじゃない? 桃香がいいって言ってるんだし」

「ではなぜそんなに深刻な顔をしていたのですか」

「愛紗ってプライド高いから、かなり傷つくだろうって思ったんだよ」

 

 愛紗は椅子にもたれて、大きく息を吐いた。

 やってきた感情はただ、安堵である。

 

「それに乗じてですが、愛紗さんに私的なお願いがあります」

「何だ? 何でも言ってくれ」

「桃香さんを、お諌めしてください」

 

 一刀も頷いた。

 

「私たちがどれだけ言っても、こればかりはと首を縦に振ってくれなくて」

「桃香様は、何を望んでおられるのだ」

「ただ一つです。逆賊を滅ぼすこと」

 

 愛紗の目も険しくなる。

 

「朱里、そっちが本題だろう」

「そうです。ここに来たのは、私からお願いしたくて」

「逆賊を滅ぼすってことは曹氏と孫子を滅ぼすこと。つまり」

 

 一刀の言葉を遮って、愛紗は思わず立ち上がった。

 

「桃香様はまだそのようなことを考えているのか。やっと三国が和を成し、平和の世が実現したというのに」

「だから、愛紗さんが直接諌めれば、考えを変えてくれるかもしれないと思い」

 

 桃香は昔から仁義に厚く、よく人を思う人間だった。それに惚れ込んで姉妹になったのだが、当然欠点もあった。

 強情なところと、カッとなったら我を忘れるところである。

 元々強い気品を感じさせる桃香である。怒った時の迫力は半端ではない。

 

「あの人は元々頭もよく、先見性においては稀代の才覚です。もしかしたら今回のことも、私を成都から追い出して裏で工作を始めようとして行ったのかも」

「考えすぎだ」

 

 愛紗はそう言っても、朱里の言葉に思い当たる節もあった。

 それに桃香の能力は高い。あまり知られていないが、曹操や孫権なども認めるほどである。加えてある一点、先見性という点では鬼才である。

 代表的なのは徐州を呂布に取られた事件だろう。

 当時陶謙に譲られた徐州は豪族たちの主張が激しく、元々桃香たちでは治めるのが難しい場所だったのだ。桃香はそれを見越して曹豹を使い、鈴々を逃がして呂布に徐州を奪わせた。思っていた通り、呂布は陳宮が治めやすいように代表的な豪族の首を何人か刎ねて徐州を掌握した。桃香たちは徳を売り物に生きていたので豪族を殺すなど出来なかったのである。その後で曹操をけしかけて、格段に治めやすく成っている徐州を取り返したのだ。

 そこまでは大抵の策略家なら思いつくものだが、桃香はここからが違う。曹操が攻めて来た時、これだけ苦労をかけて手に入れた徐州を、今度はあっさり捨てて逃げたのである。

 普通ならどうにかして守りたいと思うものだ。それに守りきれる可能性も十分あった。当時曹操は袁紹との戦で死闘を繰り返していた。どう見ても曹操不利。袁家の勝利は揺ぎ無いだろうという局面である。

 その局面で、誰が思うだろう。まさかあべこべに徐州を強襲してくるなど。

 やってのけた曹操も曹操だが、それを読み切って逃走した桃香も桃香である。

 桃香は曹操が負けることはないと欲に負けず見切りをつけ、早い段階で逃げた。そのため曹操は隙をついて攻めたのにも関わらず桃香を袁紹の下に取り逃がしてしまったのだ。

 更に、愛紗を残したのも妙手の一つだ。そこまで考えていたのかは分からないが、曹操軍には愛紗に恩を感じる霞がいた。更に曹操も愛紗程の猛将を殺すことはしない、と踏んだのではないか。

 曹操に捕まっていたら、桃香は間違いなく殺されていただろう。

 普段はぽやぽやしているだけだが、ここぞという戦局で桃香は稀代の手腕を発揮していたのである。恐ろしいのはそれを知っている人間がかなり少ないことだ。

 

「なぁ朱里、もし仮に曹魏、孫呉と戦うとして、勝算はあるのか?」

「ないことも、ないです」

 

 朱里は愛紗に目を合わせた。光のこもった目だった。

 

「考えられる限りの局面で打てる最上手は全て編み出しています。あとは運否天賦でしょう」

「朱里、まさか本気で」

 

 一刀が不安げに呟いた。

 

「万が一、愛紗さんが桃香さんを諌められなかった場合は、仕方がありません。それに」

「それに、なんだよ」

「私も同盟を信じているわけではありません。今はかろうじて安定を保っていますが、それが長く続くとは思えません。そうなると、圧倒的に蜀は不利です。治めている土地の広さや発展度、また人口の割合。まともにぶつかれば呉国だけにでも話にならずに潰されて終わりでしょう」

 

 朱里の話は最もだった。

 

「蜀の険しさや要害の堅固さも考慮に入れてか?」

「今までなら有利に事を運べたでしょうが、こうして同盟を組んでいる以上、蜀の地図を作成されていると考えねばいけません。そうなると戦術は九割が死に手です」

「それでは、どうしたらいい。結局、お前は私にどうして欲しいのだ。桃香様を諌め、蜀が滅びるのを見ていろというのか。それとも再び旗揚げして曹魏孫呉を滅ぼして漢王朝を復興させようというのか」

「蜀は滅びません」

 

 朱里が強い口調で言った。

 

「この孔明の命に変えても、蜀は守りきります。ですから、私は同盟続行派です」

「お前が言ったのだぞ。九割が死に手と」

「恐い将といえば、曹魏の鬼謀郭嘉、孫呉の大黒柱周瑜。この二名のみです。探らせたところ、彼らに及ぶ軍略家はいません。残り一割の戦術で何とかしてみせます」

「しかしだな、魏には司馬懿、呉には陸遜が頭角をあらわしている。一方では、お前に劣らないともいわれているが」

「彼らは派手には動けないので大丈夫です。司馬懿さんは確かに恐ろしい存在ですが、曹操さん自身が彼を恐れているため重要することはありません。次に陸遜さんは一介の書記生上がりという点で他の諸将を掌握することは出来ないでしょう」

「他には?」

「目につくのは曹操さん、荀彧さん、荀攸さん、程昱さん、徐庶さん。後は孫権さん、呂蒙さん、魯粛さん、張昭さん。これくらいでしょう」

 

 朱里は不安気な表情になっている一刀を見ると、苦笑した。

 

「大丈夫です。曹操さんは名のある兵法家ですが、そこが逆に付け込みやすい点でもあります。荀彧さんと荀攸さんは元々漢王朝再興を望んでいたため、今曹操さんとは不仲らしいです。程昱さんは謀略には秀でていますが戦術を立てるのに不向き。徐庶さんは献策など間違ってもしないでしょう。孫権さんは一代の巨人ですが、戦略の才はありません。呂蒙さんはまだ勉強不足、魯粛さんと張昭さんは講和派です」

「じゃあ」

「はい。その他はなんとかしてみせます。ですから、ここからは愛紗さん自身の問題なのです」

「私がそれでも不安だと言えば?」

「その時は諦めましょう。天下統一を目指します。しかし、私たちは民に平穏を与えるために人の上に立っているのです。再び戦火に巻き込むなど、言語道断であると思います」

「その通りだ」

 

 朱里が頼りになる人物だとは前々から思っていたが、これほどまでに用意周到に智謀を張り巡らせているとは知らなかった。

 きっと、今まで朱里が成してきた功績は氷山の一角で、その下に数多の試行錯誤があったに違いない。

 

「私から、なんとか桃香様に言ってみる。一刀殿も来てください。そうすれば桃香様も意見を変えてくださるかも知れません」

「わかった」

「私の代わりに成都には雛里ちゃんがいます。桃香さんと言えども、雛里ちゃんを出しぬくことは無理でしょう。三人でよく相談して、桃香様を諌めてください」

 

 一刀と愛紗は頷いた。

 

「では、固い話はここまでにして、ゆっくり語らいましょう。久し振りの再開なのですから」

「そうだな。おい誰か、酒と食べ物を持ってきてくれ」

 

 愛紗が手を叩くとすぐに従者が料理を持ってきた。

 語った話は、朱里の色恋沙汰とか一刀の徒労、恋の治めている土地での逸話や袁紹たちの起こす問題の数々など、笑い話に過ぎない取止めのないものばかりだったが、久しぶりに友と話せていると実感させてくれる楽しいものだった。

 

 ぽつりと雨が頬を叩いた。

 桃香はそれに気を止める様子もなく、じっと空を見つめている。

 日は高く高く上がり、眩しいくらいに光を放っていた。

 雲は四空の隅々まで探してもかけらも見当たらない。雲ひとつない空から雨が降っている。奇妙な天気だった。

 

「陛下、屋敷にお戻りください。お風邪を召します」

「桃香でいいよ、雛里ちゃん」

 

 桃香は目もくれずに言った。雛里は桃香の横に歩み寄った。

 

「ねぇ、雛里ちゃん。この天気は、何て名前なの。晴れ? 雨?」

「……これは天気雨と申します。災いの前触れです」

「大凶ってことかな」

「はい」

 

 桃香はまた黙って空を見つめた。

 やがて、雨足が早まってきた。

 

「神様って親切だよね。もうすぐ不幸が起こりますよってわざわざ注意してくれるんだもん」

 

 桃香は笑っていた。恐ろしいと思えるほど、澄んだ目だった。

 

「昔、司馬徽先生に教わったことがあるんだよ。臥竜か、鳳雛か。どちらかを得れば、天下は取れるって」

 

 雛里は何も言わずに桃香を見つめ続けた。

 

「私って運がいいんだね。龍を得、鳳凰を得た。さらに、幾人の豪傑を得ることもできた。私の陣容は曹操さんに劣らないと思ってる」

「そろそろ屋敷に」

「雛里ちゃん」

 

 桃香は雛里に目を移した。

 

「それでも私が天下を取れないのは……漢室を滅ぼされてしまったのは、やっぱり私の力がないからかな」

「そういう事ではないです。時節や大勢などもあります」

「もっと私がしっかりしていれば、曹操さんみたいに何でもできるすごい人だったら……孫権さんみたいに朱里ちゃんにも劣らないくらい政治ができる人だったら、こんなことにはならなかったのかな」

「桃香さんは桃香さんです。他の誰とも比べることはできません」

 

 雨は、更に強まる。

 桃香の澄んだ目からつうっと水滴が流れた。

 

「そう遠くない未来、蜀は滅ぶよ」

「縁起でもないことは、申さないでください」

「蜀だけじゃない。魏も、呉も滅ぶよ。理由は分からないけど、そう思う」

「では、天下を手にするのは?」

 

 桃香はまた空を見上げた。雨は次第に激しいものになってきている。

 雛里は雨を吸って重くなった帽子を少しだけ持ち上げた。

 桃香の目から流れる雨粒は、まるで涙のようだった。

 

「袁紹さんに梓潼を固めさせて。恋ちゃんと詠さん、月ちゃんは永安に」

「指示なら屋敷でも。身体を壊します」

「大丈夫だよ。もうすぐ止むから」

 

 雨の勢いは変わらない。桃香は髪から服までずぶ濡れになっている。

 不意に「龐統」と呼ばれた。

 

「顔越と韓禎を処断せよ。陳堅と董伊は密に殺せ」

 

 桃香は公の場と執務の時では皆を姓名で呼んでいた。

 優しく、人に甘い桃香は、こうして仕事との折り合いをつけて指示を出していた。

 国の筆頭である以上、誰であろうと罰する姿勢を見せなければいけない。例え妹だろうと、処断しなければいけない時がくるかも知れない。

 長としての顔を分けるための行動だと雛里は思っていた。

 

「もう少し、様子を見てからの方が」

「充分過ぎるほど、見た」

 

 この四人は寝返りの可能性がある文官たちだった。顔越と韓禎は明らかに魏に媚を売っている。

 陳堅と董伊は実のところ、良く分からない。顔越らと親しいというだけであった。

 

「疑わしいと言うだけで処断すれば、陛下の徳に傷がつきます」

「処断ではない。密に殺せと言っている。まだ私の徳は武器になる。失うわけにはいかない。関羽が戻ってくる前に、事を済ませよ」

「陛下」

 

 桃香が、剣を抜いた。無邪気な笑顔にこもる黒い熱に、背筋が凍りついた。

 

「雛里ちゃん」

 

 桃香は呟くように、優しげな声色で雛里の名を呼んだ。

 雌雄一対の剣。一本の鞘に二刀の大小剣が収まっている宝剣だった。

 桃香の両手に持たれた二刀は雨に濡れ、鈍く日の光を跳ね返した。

 

「愛紗ちゃんと会うの、久し振りだから楽しみだね」

 

 桃香は雛里を見つめて、微笑んだ。

 やはり、澄んだ目をしていた。

 桃香は無造作に剣を一度、降る雨を凪ぐように振った。

 剣を流れていた雨粒は飛び散り、その飛沫が少し雛里にかかった。

 ふと、音が遠くなった気がした。

 あれだけ降っていた雨は、まるで瓶の中身が空になったように、急速に勢いを失っていった。

 

「さ、戻ろっか」

 

 桃香はもう一度大小剣を振って残った雨粒を飛ばすと、踵を返した。

 空にあるのは、取り残されたように浮かび上がっている太陽だけである。

 雛里はあまりの眩しさに目を細めた。背から剣を鞘に戻す鍔鳴りの音が聞こえた。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
18
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択