No.146475

ヤサシサハ雨 第1章 「ナオコとの日々」

ナオヒラさん

中学生暗黒小説
ヒロインのナオコが一緒に心中しようと言っては自殺するまでの話。

2010-05-30 03:01:14 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:645   閲覧ユーザー数:609

雨の音で目が覚める。洗濯してた衣類を外に干し、髪をとかし、制服に着替える。

浅い眠り……。

「そろそろ1年か……」

文芸部の課題を見直してみる。

文化祭に発行する作文の課題だ。

物語を書くのが部の風習みたいになってたけど、僕はドキュメントを書いてしまった。

 

ナオコとの日々を。

誰も知ることのない、彼女の死にまつわる真実を。

 

「一緒に、心中しよう……」

 

死ぬ前日に残した言葉。

近頃ナオコの夢を見てはよく言われてる。

この文を読んで、消えたいくらいの胸の痛みが蘇る。

ピンポーン。

朝7時ジャスト。

このチャイムが続くのも、そろそろ1年か……。

ガチャ。

「おはよ。もう起きてたんだね」

春日ウララ。同じクラスの幼なじみ。

ウララが用意した朝食……といってもパンを焼いただけだけど、

一緒に食べて二人で学校へ向かう。

「最近、朝早いんだね」

「うん。洗濯物も干してきたよ」

「……。今日の天気は?」

「お天気雨さ」

ウララがため息をつく。もう聞き慣れたって感じ。

「止まないんだね」

「そうだね」

「かなしい?」

「……。たぶん」

「気にしないほうがいいよ。何度も言うけど」

「うん……」

「河瀬くんのトラウマ、打ち消してあげたい……」

 

 

~1年前~

 

ナオコは中学2年の、秋のはじまりにきた転校生。

女子にしては背が高く、他校のセーラー服を着て、

長い髪が美しく、とてもセクシー。

そんなナオコはすぐに注目を集める。

でも、ナオコは静かに笑ってるだけ。

無口。不気味。気持ち悪い。

やがてナオコに良くない噂が流れる。

 

ナオコは親に捨てられた。

父親が仕事のトラブルののち、蒸発。

母親は気が狂って他界。

兄弟はいたかどうかわからないが、離れた。

ナオコは学校に通ってるけど、誰が学費を払ってるかわからない。

 

クラスメイトの見る目が違ってた。

哀れむのか同情なのか、差別なのかなんなのかわかんない。

でも、誰も話そうとしない。

関わろうとしない。

ナオコの行動ひとつひとつにひそひそ話。

ひそひそひそひそ……。

ナオコは、転校して一週間で学校を休むようになった。

 

僕はといえば、ナオコに変な感情を持たないように心がけた。

噂が気になんないわけではなかったけど、

だからといって気にする問題ではないように思えたから。

少なくとも、クラスメイトらのような変な目で、ナオコを見たくなかった。

 

美術の時間、隣の席がナオコだというのが重要だった。

授業で、隣の席の人の顔を描くのが課題。

あまり学校に来なくなっちゃったから、

課題をやらなくてはいけなくなったナオコのモデルになるため、

放課後残ることになったんだ。

 

二人っきりの旧美術室。

ナオコは相変わらずしゃべろうとしない。

静かに笑うだけ。

みんなが避けるのも無理もないと思う。

ナオコと放課後残るのも3回目になると気がついた。

ナオコがとてもリラックスしてたことに。

僕が緊張しているのにもかかわらず。

 

ナオコはいつもこうだった。

みんなが集まってしゃべりかけたときも、誰からも相手にされなくなっても、陰口を言われるようになっても。

他人がどうしようが気にする様子もなく、平然と笑ってるだけ。

 

「ごめんね……」

突然の美しい声。

はっと驚き、それがナオコのものだと気づくのに時間がかかる。

「いつも、付き合ってくれちゃって……」

「……。僕、文芸部にいるけど……、週一回しかないから、気にしないで」

くすっ。

こうして僕はナオコに夢中になった。

 

 

ナオコと一緒にいる時間が増えた。

とは言っても、一緒なのは放課後だけ。

相変わらずナオコはほほえんでばっかり。

けれども、少しずつ話せるようになった。

 

おはよ。

今日もさえない天気ね。

また付き合ってもらって、ごめんね……。

なんか、一言ばっかりで会話じゃない。僕は構わないけどね。

 

ナオコは描くのが遅かった。

だから放課後は残ってばっかり。

みんな彩色に入ってるのにナオコはまだデッサンをやってる。

ふつうに授業受けている人よりも多くの時間を使って描いてるのに。

どんな絵を描いてるかすごく気になってたけど、ナオコは見ないでと言うから僕は従う。

きっと、プロの絵描きさんみたいに上手なんだろうと想像してる。

描かれてるの、僕の顔というのがちょっと嫌だけど。

 

少しずつ、ナオコと打ち解けていった。

でも、ナオコと帰宅したことはない。

 

噂はいつしか流れてた。

ナオコがエログチとえっちなことしているって。

 

エログチとは担任の江口先生。

柔道部の顧問だけど、若くて体格が良くてイケメンで、

女子生徒から人気ある。

そして、鬼のように強い。

全国大会出場の経験があり、柔道部の大男が瞬殺されるほど。

そんな彼が、放課後ナオコを待っている。

ナオコが、江口先生のいる道場へ行っている。

 

噂は広まったけど、江口先生は非難されないでいた。

腫れ物に触れないよう、みな江口先生と対応している。

何人かの女子生徒はショックを受けたようだけど、

なにもないように江口先生と話していた。

 

軽蔑されたのはナオコ。

そして、それを頷かせる事件が起こる。

 

美術の時間だった。

ナオコ以外はみな彩色の作業に入ってた。

僕は雑でヘタだから、絵の具の液がはねてばかりいた。

おかげで、画用紙にポツポツがついてるし、Yシャツの裾が黒っぽくなってる。

顔にも跳ねてたみたい。

ナオコが笑ってる。思わず僕も苦笑い。

「手で擦っても取れないよ。広がるだけ」

「あ……うん……。顔、洗ってこようかな」

「ちょっと待って」

鉛筆を置いて、ナオコが立ち上がり、僕に近づく。

 

ナオコの顔がどんどん大きくなる。

どうしてそんなことがするのかわかんない。

恥ずかしくて離れようとしたけど、

後頭部に手がまわされてて、捕まってて……。

 

ちゅっ。え……。

 

絵の具をなめた。舌で……なんで……?

「やだ……」

誰かの呟き声。

くすくす話が広がってく。どんどん雑音が大きくなり、騒がしくなってく。

 

キス…………。

それも授業中に。

ありえない。

 

妙な沈黙に変わった。

冷たい目でみんな見てくる。

キスされて………、恥ずかしくて………。

なにがなんだかわかんない。

 

やっぱり、ナオコは変態なんだ。

江口先生を誘惑しているのはナオコ。

河瀬にもキスする。

誰でもいいんだ。えっち。邪魔。消え去れ……。

クラスメイトらの目……そう言ってるみたい。

ナオコは、相変わらず動じない。

やっぱり、静かに笑ってる。

「おどろいた?」

僕はうろたえながらも応える。

「どうして……。みんな見てたよ……」

「うれしかった?」

「え……えーと……」

「かわいいね」

 

 

ナオコとのキス騒動の次の日、クラスメイトの女子に声をかけられた。

「朝倉さんと仲いいんでしょ?

放課後いつも旧美術室で一緒だもんね。

江口先生に近づかないよう言ってくれない?」

つっけんどんに言ってきた女子。彼女は江口先生のことが好き。

「朝倉さんのこと、好きなんでしょ? 江口先生に取られていいの?」

すごい形相。

ナオコが邪魔なんだからあんたが処理しなさいよ……。

顔にはそう書いてあった。

 

違うことを言ってきたクラスメイトがいた。

相田エイジだった。

「エログチがナオコを学校に留めてるのさ。他に身よりがないことを理由に」

彼は朝の、授業前に僕の席にやってきて言った。

ナオコではなく江口先生が悪いんだと言ってくれてるのだと少しうれしい。

でも、ナオコから離れるよう口にする。

エログチに関わったらお前まで危ないぜって。

 

ホントかどうかわかんないけどナオコのことを思うと悲しい。

もし本当なら、江口先生を許さない。

「お前なんかがエログチに敵うはずないだろ。

無視しろよ。

オレはナオコに関わるなと言ってるの」

「……。どうして?」

「お前までクラスののけ者にされてんの、気づいてないだろ」

教室を見回す。

何人か目が合ったけど、すぐに目を逸らした。

僕はもともとクラスメイトの連中と馴染めなかった。

ひとりでいることが多かったけど、それでも話せる友達は何人かいた。

彼らとはナオコが転校してきてから話さなくなったけど、

のけ者にされてるなんて知らなかった。

 

それよりも、わからなかった。

エイジが、こんなことを言ってくることが。

エイジとは、一言もしゃべったこと、なかったんだ。

放課後、ナオコにエイジのことを話そうかどうか悩んだ。

江口先生になにをされてるかは気になった。

けど、そのことを言ってナオコを傷つけたくなかった。

「どうしたの? モジモジしちゃって」

突然ナオコが話してきて、動揺。

「いいい……いや、なんでもないよ!」

「言いたいことがあるなら、言っちゃった方がいいよ」

「……。どうして、僕と一緒に帰らないのかなぁと思って……」

午後6時になったら、特別な事情がない限り生徒は帰宅しなければならない。

でも、ナオコは帰らない。

「美術の課題をしっかりやりたくって。まだ彩色に入れてないし」

「6時には、学校を出ないといけないはずだけど……」

「旧美術室、誰も来ないからいいのよ」

旧美術室は校舎から少し離れた道場の隣にある。

先生方は来なくとも、6時を過ぎれば警備員のおじさんがやってくる。

 

沈黙。

ナオコの描く鉛筆の音だけが聞こえる。

これでいいんだと、ひとりで納得している。

「……。気にすること、ないのに……」

ナオコの声。目が合った。

「言いたくなきゃ、いいけどね……」

気づかれてる……。

きっと、エイジの言ってたことを気にしてるんだってバレてると思う。

「……。いいよ、僕は気にしない」

気にしない……。

江口先生がどうだろうと知らない。

エイジの言うことも気にしない。

クラスの連中にどうみられようと関係ない。

 

僕はナオコが好き。

ナオコと一緒にいる時間が好き。

「僕たち、仲間だよね」

「え……?」

突然発した僕。

なんでこんなこと言ったかなんてわかんない。けど……。

「クラスのみんなにどう見られようと、僕らは仲間だよね」

ナオコは刹那、目を大きくする。

そして……。

「うふ……。良い言葉ね」

くすっ。

ほほえみ。

たぶん、僕がみた中で一番の……。

 

 

午後6時になり、ナオコがさよならを言う。

そう言われて、僕は旧美術室を出る。

そのまま帰るつもりだったけど、事態が変わった。

エイジが、旧美術室へ向かっていたんだ。

 

ひとり見張った。

旧美術室の外の窓からそっとのぞき見る。

 

ナオコは絵を描き続けていた。

そこに、エイジが乱入してくる。

なにか話し出してる。

バレないようゆっくりと窓を開ける。

端の窓だけ、鍵が壊れていることは知ってた。

 

「また、あいつのとこに行くのかよ」

エイジの語調が荒い。

「あなたには関係ないよ」

「いや、関係ある」

エイジはどしどしナオコに近づく。

ナオコは動じない。

笑ってるだけ。

「オレ、君が好きなんだ」

胸が、ドキっとした……。

 

二人のやりとりは、今回ので初めてではないのはわかった。

でも、そんなに親密だっただろうか?

ナオコがエイジと話しているとこ、見たことない。

「……。それで、あんな噂を広げるの……」

ナオコが髪を撫でている。

笑ってる。

でも、目が笑ってない。

「ちがう……!! ちがわないけど……」

「好きな女の子に、そんなことしちゃうんだ」

にこっ。

「なんであいつのとこ行っちゃうんだよ。頼むからもうやめてくれよ」

「あなたも噂を広げるの、やめてよね」

「くぅ……」

「耳を傾けてニヤニヤしてるの、知っているのよ」

エイジが唇を噛む。

バツが悪そうに目を背けるエイジに顔を近づけるナオコ。

「でもわかる。好きだから、気になっちゃうんだよね。でもわかって。江口先生が訴えられて学校を辞めることになったら……。私、ここにいれなくなるの。わかってるよね?」

「ナオの、どこがいいんだよ」

「なに?」

「なんで、ナオなんだよ。放課後一緒にいやがって。オレ、何度もアプローチしてんのに」

「あなたみたいじゃないからだよ」

「なんだって」

「私に、仲間だって言ってくれるのよ。

噂広げていじわるするあなたより良いと思わない?」

「仲間? お前を」

「おかしい?」

「ああ、あいつなら言いかねないけどな」

二人でくすくす笑い合う。

「確信してるよ。あんたはひどい女なんだって。エログチに飼われてるのにナオにもキスしたり……。そうやって手当たり次第に誘惑してるのに、ナオはあんたの味方。なにも知らないから。盲目的にあんたを好きでいる」

「好きなのは、あなたもね」

「オレも親がいないから。それで仲間だって思えたから……」

「あなたとは、環境が違うのよ」

「……。そうだよな」

二人の会話を聞いて、僕は驚くばかり。

なにがなんだかわからなくなった。

 

エイジに対して、どこか憎めないところがあった。

噂を広げる彼の気持ちも、どこかわかってしまうところがあった。

異常なのは、ナオコ。

あれだけ噂を広げられても、堂々と、そしてエイジを追い込む様は僕には信じられない。

 

ナオコが、こわい……。

ナオコのことを考えると、悲しくなる。

僕はどうしたらいい?

これで軽蔑したら、クラスメイトらと一緒じゃないのか……。

 

突然……後ろから急に肩をつかまれた。

江口先生……。

僕に、さっさと帰れと言うように、にらみつける。

そして、ナオコに目をやる。

 

ナオコが旧美術室を出ようとする。

エイジがナオコの手をつかむ。

「ダメだ! 行かないで……」

にこっ。

冷たい目線。エイジが手を離す。

そして、ぶつぶつぼやくエイジに気にも止めずナオコが去る。

江口先生も去った。

僕は立ち去るしかない……。

次の日から……、ナオコと一緒にいてはいけないと思った。

顔を合わせたところで言葉に詰まる。

昨日のこと、江口先生のことについて、言えるはずない。

 

ナオコは、ひとり静かにいた。

放課後、一緒に残ってとも言ってこない。

そんな日が何日か続いた。

放課後、旧美術室の方をのぞきみるとナオコがいる。

相変わらず絵を描き続けている。

 

たったひとりで。

彩色には……まだ入ってない……。

 

エイジが離れろと言った。

期待どおりにしてるよ。

これでよかったんだろ……。

朝、授業までの休み時間そんなこと考えてたら……。

ぱんっ。

叩かれる音。

ヒリヒリ痛んだあとで、エイジがみえた。

「なにやってんだよ」

ピリピリしてる。

泣いてるみたい。

「ナオコ、悲しんでるぜ」

ふーん。

気にしないふり。

「離れろって言ったの、だれ?」

「オレだよ」

「離れたよ」

「なんでだよ」

「……。なに言ってんの?」

「なんで……お前なんだよ」

なにが言いたいのかわかんない。

なんでそんなに怒ってるかも。

「オレと一緒なんだよ。ナオコは。でも、ぜんぜんちがう」

「だから、なにが……」

「エログチもお前も死んじまえ!!」

あっかんべー。

立ち去る。

けど、授業開始のチャイムがなるから帰ってくる。

僕を見ないようにして。

 

授業中、ナオコが気になった。

エイジが、悲しんでると言ってた。

ウソだと思った。

ナオコは、いつも堂々としてたから。

いつも静かに笑ってたから。

ひどい噂が流れてても平然としてたから……。

 

でも……、違った。

笑ってない。

なにかに堪えるように、下ばかり向いている。

 

エイジが、悲しんでるといった。

ナオコに、友達なんていない。

待ってるのは江口先生。

なにされてるなんて、薄々わかってる。

僕がナオコだったら……?

 

一日中、ナオコをみていた。

顔を覆ってる。

寝ているんじゃない。

息が荒い。

他のやつらだって気づいてるはず。

でも誰も知らないふり。

先生でさえ、知らんぷり。

やせていた。

目に陰りがでている。

いつも、なに食べてんだろう。

食べさせて、もらってんだろうか。

細い体。

手、足、頬……。

胸だけが、ちょっぴり大きい……。

 

放課後、旧美術室へ来ていた。

今更来ちゃって、なに言えばいいんだろう。

なんで来てんだろう。

バカみたい。

許してと言っても許してもらえないだろうに。

 

ガチャッ。

胸が高鳴る。

自分で開けたのに。

下を向いたまま、前をみれない。

短い時間のはずなのに、倒れそうになるくらいの長時間。

息を落ち着かせ、やっとのことで顔を上げる……。

……。

ナオコが立ってた。

わらって、た。

「ちょっと、おどろいた」

少し沈黙。そして、手招きして

「来てくれて、うれしい」

旧美術室に入った僕はカッチコチに固まってた。

なにか言い出さなきゃと思ってるのに、言葉に詰まる。

謝りたいのに。

助けたいのに。

いつまで待っても、ナオコは絵を描く準備をしなかった。

ナオコが描いてたスケッチブックもない。

描き終わってることは、ありえないのに。

「ごめん。絵、もう描けなくなったの」

 

ナオコの不思議な表情。

すっきりとした悲しげな瞳。

絵が描けない……。

なにがあったかなんて聞きたくても聞けない雰囲気。

作り笑いをしてることくらいわかってる。

なにも言わない。

言ってこない。

なに言えばいいんだろう。

声が聞きたい。

言ってこない。

逃げ去りたい。

逃げれない。

しゃべりたい。

抱きたい。

泣きたい。

叫びたい……!!

 

 

「泣きたいときは、泣いちゃえばいいんだよ」

 

 

ナオコの声が聞こえた。

ナオコに肩をつかまれる。

なんで笑ってるの?

なんで、僕は泣いてるの?

 

抱いてきてくれた。

やさしく、腰に手を当てられて。

顔がすぐ近く。

笑ってる。

「つらいときは、抱きしめられたいと思うこと、あるよね」

女の、変なにおい。

「キス、してもいいんだよ」

中学生じゃない。

明らかに、ナオコは違う。

なにが、変えた……?

「やめてよ……!!」

力一杯、ナオコを押してた。

机が倒れる音がする。

「きゃ……」

ナオコが倒れてる。

スカートが、めくれてる。

「怯えなくても、いいのにね……」

何事もなかったように立ち上がる。

くすっ。

「少し、お話しようか?」

 

ふつうじゃなかった。

頭が混乱してて、なんで僕がここにいるのか、

なにしにここにきて、ナオコがなにをしようとしてるかも、

なにをしたいのかもわからず、

ただただ悲しく、情けなく、

イスに座らせられ、

ナオコが話し出すのを待ってた。

 

「江口先生のこと、聞きたいんでしょ?

前から聞きたがってたことは知ってたよ。

放課後の、相田くんとの最後の日に

あなたが居合わせていたことも、知ってたよ」

エイジとの、最後の日……?

「ひどいこと、されてるんだから……」

制服をまくってみせる。アザだらけ。

「私を求めては、暴力を振るう。でも私は逃げれない。理由、わかる?」

「……。わかんない」

「江口先生の援助で、生きてるからだよ」

江口先生に飼われてるって、エイジが言ってたことを思い出す。

「お母さん、かろうじで養ってくれたけど他界しちゃってね。

中学校って義務教育だから行かなきゃならないけど、

江口先生が面倒みてくれると名乗りでてね。

遠い親戚だとか言ってね。

下心丸出しだったんだけどね」

「下心?」

「……。言わせないで」

「でもわかんない……。なんで……江口先生は暴力を振るうの?」

「弱いからよ」

ナオコが意地の悪いように目を細めて言い放つ。

「お父さんもそうだったっけ? 殴るだけ殴って消えちゃうもんね。

でも仕方ないことよ」

「仕方ない?」

「ええ。男だから。さっきあなたも突き飛ばしたよね。なんで? ……。怖かったからじゃない?」

どきっ。

「気にしないで。仕方ないんだから」

 

仕方ない……。

その言葉は、僕の胸を締め付ける。

クズだ。

僕はクズだ。

江口先生がひどいと思った。

放課後、ナオコを留めて暴力ふるってるなんて。

けど、僕も同じ。

ナオコを突き飛ばしたから。

それを、ナオコは仕方ないと言う。

クラスメイトらがナオコを拒んだのも仕方ない?

エイジが噂広げたのも?

「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……」

ナオコが言う。

「あなたの価値って、なに?」

 

「……」

価値なんて……。思い浮かばない……。

「悲しい顔しないで……。

私のところにきてくれたじゃない。心配、してくれたんだよね?」

「……。うん、助けたかった。けど……」

「仲間なんだよね?」

「え……?」

「言ってくれたじゃない。私なんかに。とてもうれしかったんだよ」

わけがわからなくなってきた。

ただただ、僕の奥底から湧きでる憤りがあふれだし、怒りに満ちた、信じられないような暴力性を、ナオコに洗いざらい暴露したくなった。

こんなにまでひどい状態なのに、僕はなにも言い出せないでいる。

どうしてというほど涙が流れている。

どうしょうもない顔をしているだろうけど、そんな醜い僕をナオコにみていてほしかった。

僕はこんなにも価値がない人間なんです。

 

「今日、あなたが来てくれて、どれだけうれしかったか、わかる? もう、ホントにきてくれないと思ったから。学校つらい。生きてるのつらい。逃げたくても逃げれない。そんな状況だったから。あなたが、私を仲間だと受け入れてくれる。みんなからの視線、気にしないで私に構ってくれる。ひどい私なんかに。どうして……?」

「……。好きだからだよ……ナオコが」

少し、僕なんかにも価値があるって感じる。

「どんどん惹かれていることに気づいた。放課後、一緒にいるのがどんどん楽しみになった。ほほえみが好き。苦しんでるから、力になりたいと思った。さっき、暴力振るっちゃったけど、死んだ方がいいような人間だけど。……。僕には、ナオコしかいない。僕の価値は、それで十分……」

言葉がどんどんでてきた。

どれも僕の本心だった。

言ったあとで、もやもやが消えてく。

ナオコはほほえんでいる。

もうすべてわかってるよ、僕のこと。

僕らはわかり合えている。

なにも言ってこないけど、なんとなくわかる。

仲間だから。

 

長い沈黙。

ナオコはほほえんだまま。

悲しく、笑ってる。

「仲間、なんだよね。私たち?」

うん……。僕は頷く。

「私……、限界なの」

初めてみるナオコの弱々しい姿。

堂々としてたけど、ホントに、ホントに苦しんでいたんだ。

「江口先生の暴力から、逃れられないの。先生の援助で生きてるから。先生の家で養われてるから。仕方ないって思いこんで笑ってたけど、このまま痛みに耐えることもできそうもない」

うん……。僕は頷く。

「私……。死にたいの……」

え……?

「うそでしょ?」

「うそでこんなこと言えない」

「ご……ごめん」

また沈黙。空気がピリピリ痛い。

「私が死んだら、かなしい?」

「うん……」

「私が死んだら、あなたの価値はどうなる?」

「う……」

「仲間、なんだよね?」

「う……うん……」

「ねぇ……。おねがい……」

肩をつかまれている。

ホント弱々しい力なのに、どうがんばっても払いのけられそうもないくらい切実な感じ。

ナオコの身体はふるふる震え、足もとがおぼつかない。

「私、ひとりでは死ねない……。あなたが、あなたが必要なの。ホントよ。もうあなたしかいない。ホントの意味で仲間だと思ってる。好きよ。大好きよ。だからねぇ……。おねがい……」

刹那に横切る風。少しの沈黙。そして聞こえる冷たい声……。

「一緒に、心中しよう……」

 

 

次の日、ナオコは死んだ。

 

 

いつまでも、いつまでも、ナオコの言葉が離れない。

僕も……一緒に死ねばよかったんだって。

 

屋上からの飛び降り自殺。

 

全校生徒が集まる朝礼時、校長の、

挨拶と笑顔の飛び交う明るい学校にしましょうと言ってるとき。

 

ホントに良く晴れた日の、お天気雨の日。

 

横たわってるナオコを見て、なにが起こったのかよくわかんなかった。

いや、ホントはすべてわかっていた。

絶叫があちこちで聞こえて、

逃げ出す生徒たちに押されて倒れそうになりながらも、

涙なんて出ることもなく、

ただ呆然とナオコを見てた。

ナオコは冷たくなって、赤くなってた。

 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。

何度も何度も謝った。

雨の中で……。

雨は、弱まることなく降り続けた。

 

雨は、この日から続いてた。

 

何日かマスコミが騒ぎ立て、先生方は落ち着くよう落ち着かずに受け答えをして、何人かの生徒は休み、何日か休校になり、何日か経ったあとでふつうの日々に戻った。

 

気がついたときには、江口先生が学校を去っていた。

ナオコとの噂が明るみになってたけど、自主的に辞めたらしい。

 

日々は急ぎ足で過ぎていった。

テスト期間は勉強する気になれず、

平均点を割った教科が4つもあった。

 

 

だけど、雨はまぼろし。

 

 

心中しようと言われて、完全に取り乱してた。

いやだいやだいやだ…………………………。

何度も何度も泣き叫び、ジタバタし、収拾がつけられずにいた。

すべてがいやだった。

自分が死ぬことも、ナオコが死ぬことも………。

観念したのか、ナオコが離れてた。

地面に横たわるように倒れる自分。

ナオコの方を見上げる。

見下していた。

 

ナオコはなにも言わなかった。

無言で旧美術室の奥にある準備室へ行き、持ってきたのは一枚の千切られたスケッチブックの紙切れ。

僕の自画像。

散漫なラフ。

何日もかけて描かれた絵じゃない。

瞳に光が灯ってない、今にも自殺しそうな、僕の笑顔……。

 

放課後、ナオコが描き続けた絵じゃないことはすぐに理解できた。

でも、その絵がどこにあるか、とても聞ける精神状態じゃなかった。

「サヨナラ……」

ほほえみ……。

ナオコがそう言ったあとで、焦点が定まらない目で、

どこかみつめてたのを覚えている。

 

 

止まない雨は、ナオコの呪い。

心中しなかった、僕への報復。

晴れの日も雨。

お天気雨。

傘を差す人なんていない。

雨の日もお天気雨。

みな傘を差してても卒倒しそうなほど

まばゆい太陽がきらめく。

僕は、傘なんて差さない。

冷たくなんてない。

ただ、うんざりなだけ。

そう、思いたいだけ……。


 
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