そこは、南陽の街外れ。
漢水の支流である白河の西岸。
見渡す限りの青が広がっていた。
磯の香りが辺りを包み、風に揺れる漣が鱗のような波紋を描く。
空を滑る鳥達の声が木霊するその下、水面に佇むは一隻の楼船。
深紅に染まった武骨な竜骨は、読んで字の如く荒波を制す水龍の巨骨の如し。
巨大な真白の帆は、さながら彼の者の双翼か。
その船上に轟くは、筋骨隆々の体躯が鳴らす地響きのような足音と男達の威勢の良い声。
そして、透き通るような鋭い一声。
思春であった。
「面舵一杯!!」
「「「「へいっ!!」」」」
返答と同時に引かれる綱。
船体の背後では、飛沫を上げて舵が傾く。
一糸乱れぬ頼もしき水兵達は、江賊時代からの思春の部下であった。
『錦帆賊』
嘗て彼等は義賊として名乗りを上げていた。
悪しき官を罰し、弱き民の為にその刃を振るう水上の覇者。
長江流域でその名を一度も耳にした事の無い者など、そうはいないだろう。
手足のように船を操り、天候や水流を読み、長き月日を水上で過ごす彼等は孫呉においても非常に有益な存在であった。
「・・・・・・・・」
「・・・・御頭?どうしやした?」
「っ!?・・・・いや、何でも無い。それで、どうした?」
「へい、言われた訓練が終わりましたんで、次の指示を」
「そうか。では、四半刻の休憩の後、訓練を再開する」
「「「「へいっ!!」」」」
言い放つと思春は船首へと歩き出し、その姿を見送った水兵達はそれぞれ思い思いの場所に腰を落とす。
「最近の御頭、ああやって何か考え込んでる事、多いよなぁ・・・・」
その水兵の一人の呟きに、周囲もまたその事について談義を始めた。
普通ならば見過ごしてしまうような些細な変化も、長年苦楽を共にした彼等には充分過ぎる程の変貌なのだ。
「昨日もあんまし良い顔してなかったしなぁ」
「何か悩み事でもあんのかね?」
「俺が知るかよ。・・・・まぁ御頭だって年頃だ、悩み事の一つや二つあるだろうさ」
「・・・・ひょっとして、あれじゃねえのか?御頭だって女な訳だし、月の――――――」
「馬鹿野郎っ!!それ以上言ったら殺されるぞ!!」
そんな会話が交わされていた、その時だった。
「おいっ!!あれ見ろよ、あれ!!」
船の縁から外を眺めていた水兵の一人が大声を上げた。
「んだよ、何かおもしれえもんでも見つけたか?」
「鳥に下履きでも盗まれたか?」
どっと笑い声が浮かぶ中、その水兵は目を丸く見開いたままで、
「茶化さねえで、いいから見てみろって!!」
そのただならぬ雰囲気に別の水兵が立ち上がり、その水兵の指差す方へと視線を向けて、
「なんだよ、孫権様じゃねえか・・・・・・・・・あ?」
その水兵もまた、眉間に皺を寄せながら目を凝らす。
「・・・・おい、孫権様がどうした?賊にでも襲われてんのか?」
「いや、そんなんじゃねえ・・・・隣に誰かいるんだよ」
「あ?孫策様とかじゃねえのか?」
「違うな・・・・真っ白だ」
「・・・・・・・・は?」
的を得ない説明に周囲の水兵達はポカンとした表情で次々に船の縁に集まり、各々そちらへと目を凝らして、
「・・・・本当だ、真っ白だ」
「ありゃ誰だ?あんな奴、見た事ねえぞ」
「白・・・・おい、そういや俺聞いた事あんだけど、ひょっとして――――――」
呟いたその言葉に全員の耳が欹てられ、
『ある単語』を聴き取った途端、水兵達は一斉にその『人物』を凝視し始めるのだった。
一方。
「ふぅ・・・・」
思春は船首の縁にて水を飲んでいた。
陽光のせいか対して冷たくも無かったが、それでも充分喉の乾きは収まった。
唇を離した思春は視線を川面へと移し、
「・・・・・・・・」
沈黙の理由は、つい先日の事。
蓮華との鍛錬の最中、突如現れた白夜に戸惑ってしまい、この調練を理由に逃げるように去ってしまったのだ。
「一体どうしたと言うんだ、私は・・・・」
別にあいつを嫌っている訳では無い。
誠実な人柄。柔らかな物腰。
そして、あまりにも重い覚悟。
信用こそすれ、嫌悪する要素などありはしない。
だからこそ、真名を預けたのだ。
しかし、
『とても可愛らしいですね。素敵だとおもいます』
月光を背に告げられた言葉。
あの瞬間、自分の中の何かが音を立てて壊れたような気がした。
以来、あいつとはまともに言葉を交わしていない。
否、交わす事が出来ずにいた。
「はぁ・・・・」
溜息を一つ。
そして、ふと港の方へと視線を移して、
「―――――なっ!?」
愕然と目を見開いた。
視界に映ったのは、人影が二つ。
一つは我等が主、蓮華こと孫権仲謀。
そして、もう一つは、
「北条・・・・何故ここに?」
思春は水差しを傍らにドンと置くと、直ぐ様船から降り、二人に駆け寄るのだった。
「蓮華様、ご視察ですか・・・・北条は何故?」
思春が視線を向けると、北条は『済みませんね、突然御邪魔して』と微笑んで会釈した。
「私が視察に行くと言ったら、行ってみたいと言うんでな、連れて来た。何か問題でもあったか?」
「いえ、問題と言う程の事はありませんが・・・・」
蓮華の返答に思春が言葉を濁していると、背後から密かに声が聞こえてきた。
振り返ってみると、部下達が鈴なりに顔を覗かせているのが見えて、
「何をしている、無礼だろう!!」
一声と共に睨みつけてやると一端隠れはしたが、また直ぐに顔を出していた。
「礼儀を知らぬ連中です、申し訳ありません」
「構わない。仮にも主と、噂の人物が視察に来たのだ・・・・気にもなるだろう」
「この程度の事で浮ついているようでは、というのが本音です」
「相変わらず、自分にも部下にも厳しいのね。私には甘いのに。・・・・あら?」
苦笑気味だったその顔が、ゆっくりと隣に向けられた。
思春も自然とそちらへと目を向け、
そこに見えたのは、港の縁に立つ白夜の後ろ姿だった。
鼻孔を擽るのは磯の香り。
深く吸い込むと、不思議と心が安らいだ。
時折耳朶に届くのは潮騒と海鳥達の甲高い鳴き声。
少し、髪が潮でべた付いて来た気がする。
思わず、笑顔が浮かんだ。
「何をしてるの、白夜・・・・?」
背後からの声に振り向いたその顔は、まるで無邪気な子供のようだった。
「初めてなんです。こういう船着き場というか、広い水辺に来たのは」
「・・・・そう。それで、初めての港はどう?」
「風がとても気持ちいいですね。波の音も、凄く綺麗です」
何て事の無い談笑。
しかし、その表情は双方共にとても穏やかだった。
その二人を、思春は後ろから見ていた。
(普段の口調になっている。・・・・もうそこまで心を御許しになられたのですね、蓮華様)
複雑な心境だった。
北条と蓮華様が親密になられる事は本来孫呉にとって喜ばしい事の筈。
しかし、
(解らない・・・・あいつの事も、自分の事も)
胸に手を当てる。
何かがそこにつっかえているような、
僅かに息苦しくなるような、
そんな違和感がそこにあった。
と、
「あの、思春さん・・・・一つだけお願いがあるんですが、良いですか?」
「・・・・私に?」
突然の事に思春は思わず眉間に皺を寄せ、
「訓練が終わった後で構いませんから、船に乗せてくれませんか?」
そのあまりにもシンプルな頼み事に軽く呆けてしまうのだった。
『昔から皆『溺れたら危ない』って水辺には近寄らせてくれなくて、だからちょっとした夢みたいなものだったんです・・・・駄目、ですかね?』
『それくらい、別に構わないだろう。ねぇ、思春?』
その躊躇いがちな言葉と蓮華の後押しもあって、調練の終了後、白夜は船に乗せてもらえる事となった。
思春は何処か納得がいかないような表情だったが、蓮華の言葉に逆らえずに最終的には了承し、直ぐに船へと戻り調練を再開した。
未だに休憩時間であった水兵達は突然の予定変更に戸惑い少々反応が遅れ、
思春の飛ばす軽いやつ当たり気味な檄にパニックになりかけていたが。
そして、太陽がかなり西に傾き始めた頃。
調練は何とか終了となり、白夜は船に乗り込む事に。
白杖をベルトに差し、手探りで少しずつ縄梯子を登って行く。
念の為真下には蓮華が控えており、落ちやしないかと少々心配そうにその背中を見ていた。
そして、それは上からその様子を見下ろす思春もまた同様であった。
そんな二人の心境を余所に白夜は何とか船に乗り込み、それを確認した蓮華もまた直ぐに縄梯子を上った。
「おっとっと・・・・船の上って、面白いですね。足下が揺れているなんて、不思議な感覚です」
傍目には危なっかしいが、本人は楽しんでいるようだった。
すると、水兵の一人が白夜に近寄り、
「それじゃあ御遣い様、船ん中御案内しますんでこちらへ。揺れるんで足下気ぃ付けて下さい」
「あ、どうも宜しくお願いします。・・・・何か、済みませんね。皆さん、調練で疲れてる筈なのに」
「え、あ、いや、いいんすよそんな、態々気ぃ遣ってもらわなくても」
口では否定するものの、満更でもなさそうであった。照れ臭そうに頭を掻くの表情は、最初にはあった恐縮や緊張は大分薄れていた。
周囲の水兵達からも、固かった空気が緩和していくのが感じられた。
やがて、
例えば、帆に繋がった綱。
「これ、思いっきり引っ張ってみてくれます?」
「あ、はい・・・・うわっ、これ凄く重いですね!」
「はははっ、でしょう?これ、帆に直接繋がってて、これ引っ張って船の進路を変えるんです。帆自体がすげえ重いし、風を受けてっともっと重くなるんで、普段は大体十人くらいで一斉に引っ張るんすよ」
「へぇ、確かにこれはそれくらいはいないと無理ですね」
例えば、操舵管。
「これを左右に倒して、舵の向きを変えるんですけど・・・・やってみます?」
「はいっ、やらせてください!」
「じゃあ、こっちに。さっきのほどじゃないっすけど、これも結構重いっすよ?」
「えと・・・・ふんっ!!」
「ちょ、御遣い様!?顔、顔真っ赤ですよ!?」
例えば、錨。
「本当に鉤爪みたいな形なんですね」
「船がちゃんと止まんねえと意味無いっすからね。あ、先の方は気ぃ付けて下さいね。結構尖ってて危ないんで」
「あ、はい。・・・・いやぁ、やっぱり本物は凄いなぁ」
「・・・・御遣い様、こんなのもあるんすよ」
「へぇ・・・・これは一体どういう物なんですか?」
「これはっすね―――――」
彼等にしてみれば何て事の無い『日常』を興味深そうに、そして実に楽しそうに聞いたり触れたりする白夜を見ている内に、彼等の間からは堅苦しい空気は完全に無くなりつつあった。
既に空は紅に色を変え、笑いあう彼等はまるで年の離れた友人達のようだった。
そんな光景を、蓮華と思春は一歩離れた所から眺めていた。
「・・・・不思議よね。彼と居ると、何時の間にか皆笑ってるんだから」
「そう、ですね・・・・」
「・・・・怖い、思春?」
「っ!?」
思春は目を見開き、蓮華の顔を見る。
「彼と接する事で、変わってしまう自分が怖い?」
「それは・・・・」
「それとも、自分が彼をどう思っているのか解らないのかしら?」
「・・・・そう、なのでしょうね。確かに私はあの男の事も、自分の事も理解できていません」
「なら、どうして理解しようとしないの?」
「っ!!」
「解らないものには臆する事無く挑む・・・・それが貴女らしさだと、私は思うのだけれど?」
何と言う単純な理屈。
しかし、的を得ていた。
何を弱気になっていたのだろう。
その通りだ。
私らしくも無い。
視線を戻す。
白夜は何やら水兵達に説いているようだった。
どうやら天の船の話らしい。
「『フェリー』と言いまして、何千人、何万人という人を一度に乗せられるんです。それだけじゃなく、そうですね・・・・ここでいう馬車や荷車のようなものも一緒にたくさん乗せる事が出来るんです」
『おぉ~』と感嘆の声が響き、質問と返答が飛び交う。
「そんなに乗っちまって、沈んだりしないんですかい?」
「ええ、船自体が物凄い大きさですから。私も文献や人伝に聞いただけなので何とも言えませんが、巨大な建造物がそのまま船になったと考えていただければ解り易いかと」
「他には、どんな船があるんですか?」
「そうですね・・・・『潜水艦』というんですが、文字通り水中に潜る為に作られた船なんです」
「船が潜るんすか!?沈むんじゃなくて!?」
「ええ。元々海の中や海底の調査の為に作られた船なんです」
「息が出来なくなったりしないんすか?」
「はい。天には水から空気を作り出す技術があるんです」
「水から!?」
更に水兵達の質問は白熱し、白夜は押され気味になりながらも笑顔を絶やさず質問に答えていた。
(認め、自分の意志で真名を許したんだ・・・・向き合わなければな)
心中で呟くその瞳は、もう揺らいではいなかった。
やがて。
船から降りた水兵達は手を振りながら思い思いの言葉を残して去って行った。
「御遣い様~!!今日は楽しかったっす~!!」
「今度、一緒に飯でも食いに行きましょう!!」
白夜もまた笑顔で手を振り返していた。
そして、港に残る人影は三つ。
白夜、蓮華、そして思春。
白夜はゆっくりと振り返り、右手を差し出す。
「蓮華さん、今日は有難う御座いました。凄く楽しかったです」
「良かった。そう言ってくれるなら連れて来た甲斐もあったわ」
蓮華はその手を握り返し、笑顔で答える。
そして、その手が思春にも差し出された。
「思春さんも、本当に有難う御座いました」
いざ笑顔を向けられると、少し動悸が高鳴った。
言葉が詰まる。
身体が強張る。
しかし、ゆっくりとその手を握り返して、
「・・・・どう、致しまして」
思わず漏れてしまった自分らしからぬ言葉に思春は視線を逸らすが手は離れず、
蓮華はそんな思春にくすくすと笑いを噛み殺し、
そんな思春の心中など知らぬ白夜は何度も何度も握手を繰り返すのだった。
(続)
後書きです、ハイ。
段々大学の方も忙しくなってきました。
朝一の講義にたくさんのレポート。
天気も悪い日ばかりですし、気温も中々暖かくならなくて、閉まったばかりの冬物をまた引っ張り出してます。
加えて、最近少々スランプ気味のようです。
プロットが完成しても、全然筆が進みません。
参った・・・・まぁ新しい友人付き合いも増えてきてそれなりに楽しい日々ではあるんですけどね。
で、
思春の拠点でした。いかがでしたでしょう?
駄文になってないか非常に心配です。
皆さんの期待を裏切っていないといいんですが・・・・
明命の拠点の方はもう少しお待ち下さい。
今懸命に妄想している最中なので。
ところで、
前回少々辛口のコメントを戴きましたが、こういうのも俺は大歓迎です。
ちょっと落ち込んだりはしますけど、俺も駄目な所を駄目なままにしておきたくはないので。
毎回投コメにも書いてますが、是非『こうしたらいいんじゃねえの?』って事があったらコメントでも何でも書き込んで下さい。
何卒、宜しくお願いします。
閑話休題
気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、ブログを始めました。
基本『日記』みたいなものになると思いますが、宜しければ覗いてやって下さい。
・・・・実は例のバナーキャンペーンの為だけに始めたものだったりしますwwwww
URL:http://gorio4649.blog27.fc2.com/
それでは、次の更新でお会いしましょう。
でわでわノシ
・・・・・・・・『WORKING!』今まで知らなかったんだけど、コミックス買ってみようかな?
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