No.138810

彷徨う先は追憶の彼方

やっと…書けました…;;
相変わらず、とある青年将校のお話。
「徒花散華」(作品No.【117986】)の対というか…『彼』視点でのこと。
やっぱり少し色っぽいかもです。
これまでの作品 (【】内は作品No.です)

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2010-04-25 22:47:13 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:810   閲覧ユーザー数:799

 

 夢を見た。とても幸せな。

 

 彼女が、微笑っていた。

 

 駆け寄り、華奢な体をいっぱいに抱き締める。

 

 衣服ごしに伝わってくるぬくもり。

 

 ほのかに鼻腔をくすぐる、甘く柔らかな香り。

 

 耳に心地よく響く、優しい声。

 

 何もかも同じ――変わらない姿。

 

 やはり悪い夢だったのだ。これまでは全て。何もかも――そう、何もかも。

 

 噛み締めた想いを嘲笑うように、異変は起きた。

 

 彼女の身体が光に包まれ、その姿は空に消え行こうとしている。

 

「――文(あや)!!」

 

 薄れ、透明になっていく彼女を必死に繋ぎ止めようとする腕が、虚しく宙を掻く。

 

「行くな、文!!」

 

 悲痛な叫びに応えるように――彼女は微笑った。

 

 柔らかな愛しい表情(かお)で。

 

 哀しみを漂わせて。

 

 その頬を、一筋、涙が伝う。淋しそうに微笑う顔さえ、もう霞んでほとんど見えない。

 

 それを為す術なく、見つめているしかなかった。引き止めることも、涙を拭ってやる

ことさえも叶わず、ただ名を呼び、空を掻き抱いて。止められないと何処かで分かりつつ、

それでも尚、何かをせずにいられなかった。己の無力を呪いながら。

 

 少しずつ、少しずつ。光と共に、彼女が視界から薄れ、消えていってしまう。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。それはまるで、永遠に思えた。

 

 荘厳なまでに美しく、残酷な永遠。しかし確実に、絶望に彩られた終焉を迎える永遠。

 

 やがて、最後に残っていた髪のひと房まで、消えた。

 

「文――!!」

 

 悲鳴のような絶叫で――目が覚めた。

 

=彷徨う先は追憶の彼方=

 

 

 鬱々としたまま、心が晴れない。晴れた心など、あの日以来一日として迎えたことは無いが――

今回は特に酷い。

 

 原因はよく分かっている。夢を見たからだ。

 

 何度も繰り返し見る夢。

 

 彼女が、目の前で消えてしまう夢。

 

 夢だと分かっていても、あるいは夢だからこそ、目覚めた時の絶望と虚無感は計り知れないほど

大きい。抉られ、打ちのめされ、思い知らされて目が覚めるのだ。

 

 それでも、いつもなら紛らわせることができていた。職務で、酒で、あるいは、怒りへと

昇華させて。

 

 なのに今回は、ただ虚(うろ)が大きくなるだけだった。どれほど激務に身を置いてみても。

どれほど肉体を酷使しても。どれほど、怒りへと形を変えても。それは酒でも同じだった。

元々耐性はある方だが、風穴を埋めるには、あまりにも非力だ。

 

 どうすればこの空洞を埋められるのだろうか。そう考えることすら、今は厭わしかった。

 

 明るい雑踏の声も。鮮やかな華燭に満ちた街並も。何もかも――厭わしい。

 

 半ば呆然と歩を進めていたら、気付けば妓楼に足を踏み入れていた。

 

 女にも歌舞にも興味は無い。叔父に半ば無理矢理連れて来られた当初は抵抗すら覚えたが、

淫靡なほどに甘ったるい空気と、むせるような脂粉の匂いにさえ我慢すれば、邪魔される

ことなく物思いにふけることができるという点から、時折、使うようになった。…対外的に、

こうした分かりやすい『隙』を見せ付けておくのも手段だという計算も、勿論ある。

 

 ほどなくして酒を運んできたのは、いつもの女だった。最初に連れて来られた時に杯を受けて

以来の付き合いだが、名前も覚えていない。選んだのも、他の女たちと違って、こちらをうるさ

く詮索してこないから、というだけの理由であり、それ以外は別にどうでも良かった。彼女以外の

女を『女』として見ることすら――まして、色を求めるなどという発想など、抱きようもなかった。

 

 なのに――。

 

 

 

 

 

 …濃灰色の闇を見つめながら、先刻の行動を振り返って、自分はやはり血迷っていた、と思う。

 

 事に及んだ理由も、隣にいる『この女“だから”』というわけではない。ただ、同じ空間に

いたのが偶然『この女“だった”』というだけのものだ。

 

 なのに自分は、彼女を、彼女の代替物を、奔流に任せて得ようとしたのだ。酷く馬鹿げた行動

だと、冷静になった今なら考えられる。

 

 だが、抑えきれない衝動に支配され、突き動かされながら、一方では酷く冷めてもいた。

 

 違う、と。

 

 

 彼女は、もっと清らかな香りだった。

 

 彼女は、もっと滑らかな肌をしていた。

 

 彼女は、こんな声をしていなかった。

 

 彼女は、彼女は、彼女は。 

 

 

 打ち消そうと思うほど浮かび上がってくるのは、彼女の姿であり、声であり、匂いであり――

彼女を渇望し続けている自分自身だった。

 

 彼女はもう『此処』にはいないことを分かりながら、抗えず、それでも比較して。

 

 何もかも吹き飛んでしまえば良いと思いながら、それすらできずに絶望と自己嫌悪を繰り返し。

 

 何と――愚かなことをしたのだろう。彼女の代わりなど、この世に存在するどの女も、なれる

わけがないというのに。

 

 苦い気分を沈殿させたまま、身支度を整える。内面はどうあれ、外側だけは常と変わらず

動けることを、どこかで安心しながら。上着を手にした時、僅かに畳まれていたその形が

違っていることも、女がこちらを見ていることも、気付きはしたが無視することにした。

 

 振り返ることもなく、部屋を出て行こうとした、その時。

 

「“あや”とは…写真の女性(ひと)の名前ですか」

 

 背後から声がかけられた。一瞬の間の後、振り返る。女と目が合う。

 

「……呼んでいました。何度も、何度も」

 

 その言葉には応えなかった。何を返す言葉があるだろう。部屋を出、玄関へと続く回廊を

歩きながら、愚かだな、と内心でつぶやく。

 

 敢えてこちらが知らぬ振りをしようとしていたのに、自ら告白した女も。

 

 彼女を呼んでいたという自分も――。

 

 胸隠しに手を伸ばし、写真を取り出す。

 

 一枚目は正月の折。折角なのだからと盛装を勧めたのも、写真に残しておくことを提案した

のも、他でもない自分だった。

 

 そして二枚目は、あの日の少し前。庭の花があまりにも綺麗に咲いたから、と呼ばれた時に、

写真好きだった使用人の一人が写したものだ。

 

 穏やかに微笑む彼女。

 

 その隣で笑っている自分。

 

 この幸せがずっと続くのだと、無邪気なほどに信じていた。

 

 顔を上げる。雨に濡れた窓ガラスに、無表情な自分の顔が映りこんでいる。

 

 もう一度、視線を写真に戻す。

 

 彼女は、ただ優しく、こちらを見つめ返していた。夢の中そのままに。

 

 写真を胸隠しに戻し、再び歩き出す。去来したものたちを抑えるように。

 

 ――感傷や衝動はとても甘美だ。だが、少なくともそれらは今、不要だ。

 

 そのような道を望み、選んだのは、自分なのだから。

 

 望みは必ず成就させる。たとえその代償として、どれほど穢れることになろうとも。

 

 
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