No.128092

Between the light and the dark 第四章ー女王リウヒ

まめごさん

ティエンランシリーズ第五巻。
クズハの王子アオイたちの物語。

国を守って民が幸せに暮らすのが、ヘーカのお仕事なんだって。

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2010-03-04 20:32:25 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:513   閲覧ユーザー数:502

足を止めて、アオイはぐるりと周りを見渡した。

うちと全然違う。

クズハの王宮は、白壁でつるりとした壁や天井だった。そっけないと言っていいほどだ。

その代り、絵画や調度品や室内のいたるところに観葉植物が置いてあった。

が、ここは桟や天井、蘭寛にびっしりと彫りが施されている。腕のいい彫り師が丹精込めて彫ったのだろうと思わせるほど精巧だ。

「わざわざ遠方からお越しいただき、お疲れ様にございました。わたしは国王付きの従者トモキと申します」

爽やかに手を合わせて礼をしたトモキという男は、どうぞこちらへと微笑んで案内した。

静かな殿中に女官や臣下たちが時折しずしずと通る。そしてこちらに気が付くと、優雅に礼をしてアオイたちが通り過ぎるまで頭を下げた。

しばらく歩き、竜が水飛沫や花や風を従えて天に昇る様を彫った黄金の扉が開かれる。

アオイは緊張してきた。ちらりと姉を見るとやはり強張っていた。

「お入りくださいまし」

手にしている螺鈿細工の箱を持つ手に力をいれ、一歩一歩ゆっくりと歩き出す。真っ直ぐ先の数段上には王座があり、後ろにはティエンランの紋、鳳凰の幕が赤地に白抜きで高い天井から垂れさがっている。

両側には重鎮なのだろう、数人の男や老人たちが頭を垂れて控えていた。そして。

「遠方からはるばるよう参られた」

女王が声をあげる。意外と低い、落ち着いた声だった。

「ティエンランにようこそ。この国の主と民はクズハの王子と王女を歓迎する」

「クズハ国の第一王子アオイと申します」

アオイは静かに跪礼をとった。緊張が頭や体を支配して、口から何かが出そうだ。いや、がんばれ、ぼく。ネコを被るなんて、一番得意なことじゃないか。

「クズハ国の第一王女キキョウと申しまする。後ろに控えているのは、わたしたちの臣下でございます」

「お顔を上げてください。我が名はリウヒ。長旅でお疲れになられたろう」

「いいえ、初めて王宮の外に出たので、見るもの全てが珍しくて。全然疲れていません」

にっこりと女王が笑った。声の低さと表情のない顔から、怖い人かと思ったら、そうでもなさそうだな。

「我が父、クズハの国王、オウバイから書を預かっております。お収め下さいませ」

箱を差し出すと、男の一人がそれを受け取り王座まで持っていった。大きい人だな。イランと同じくらい背があるが、細身の闇者とは違い、武人のようにがっしりとした体つきだった。流れるような黒髪を、高い位置で一括りにしている。

「相分かった」

書に目を通した女王がそれを丁寧に巻きながら、頷いた。

「あなたたちの身は、この宮廷が責任を持って保障いたす。我が家同様、ごゆるりと寛がれよ」

「ありがとうございます」

「トモキ、客室にご案内を。分からないことがあれば、この男に聞けば良い」

「はい」

「では、また」

飛び降りるように王座を下りた女王は、威厳を保ったまま書を持った男を引き連れて部屋を出た。

「お部屋にご案内いたしましょう」

どうぞ、とトモキが微笑んで促すように手を差し出した。この男の笑顔は何か安心する。

「女官を五人、お付けいたします。お食事はいかが致しましょう。お部屋でお取りになりますか、それとも陛下たちとお取りになりますか」

その場合、ちょっと賑やかですけど、と小さく笑った。

「ええと、ちょっと考えます」

「かしこまりました。ご衣裳や身の回りのことは、女官にお申し付けください」

客室はそれぞれに一室ずつ宛がわれていた。姉弟と、なんとイランたちも。

「わたしたちは、一部屋で結構でございます」

イランが笑顔で申し出た。珍しいものを見たとアオイは目を丸くした。

「あの…一部屋に寝台は一つしかないのですが」

戸惑ったようにトモキは口に手を当てる。

ああ、そうか。ワカとシランがいるからか。

「お言葉に甘えまして。お気使い、ありがとうございます」

にっこりとトモキは笑って礼をして下がった。

「今から、イランたちはぼくの臣下なんだから」

アオイが部屋の戸を開けながら歌うように言った。

「あんまりこっちの人を驚かせちゃ駄目だろう。闇者とばれたくなかったら大人しくしておけよ」

中に入る。掃除が行き届いており、美しい部屋だ。ここの国は刺繍が好きなのだろうか。寝台の蒲団にも、垂れ下がる薄布にも、壁にすらみっしりと細かい刺繍が施されている。

「アオイー」

姉がやってきた。

「中々過ごしやすそうなところじゃない。気に入ったわ」

窓辺の椅子に優雅に腰掛ける。

「外の景色もいいし」

緑の中から遠く城下が見えた。小鳥たちがさざめきながら飛んでゆく。

「クズハの方がきれいだけどー」

「どうでもいいけど、ぼくはお腹が空いたよ。姉さまのせいで昼餉を食べそこなった」

「いいじゃない。ティエンランの女王は、意外と小柄だったのねー。でも、お召しものの趣味は良かったわ」

しゃべり続ける姉に、アオイは首をかしげた。妙に機嫌がいい。フワフワした雰囲気が漂っていて、顔もうっすら上気している。

「アオイ、キキョウ」

イランが扉から顔を出した。姉の顔がパァッと明るくなる。が、すぐに顔をしかめて不貞腐れた様子を取り繕った。

「おれはこれからクズハへ様子を見に行ってくる。この中は安全だが、勝手にウロチョロするなよ」

「あ、そう。勝手に行けば」

ツンと横を向いて頬をついた。機嫌が良くなったり悪くなったり、忙しない姉だな。

「姉さまさ」

男が去った後、窓の外を見ているキキョウにアオイが声をかけた。

「イランが好きなの?」

「誰がっ!あんな下賤な男!だって闇者よ!」

「落ち着きなよ、姉さま」

耳をふさいで顔を顰めた。

「あなたこそ、ワカに惚れているんじゃないの。酒場で王妃になれなんて、馬鹿なこと言っていたじゃないの」

「まさか。あの女、反応が面白いんだ」

ふうん。

鼻を鳴らして、またペラペラとどうでもいいことを話し続ける姉を無視して、アオイは内心小さく笑った。

ぼくは姉よりも大人だ。自分の気持ちははっきりと自覚している。あの反応が面白い女を落とすには、今までのように王子としてではなく、弟のように年相応に振舞ってみようか。

幸いなことに邪魔者はいないし。

「ちょっと探険にいってくる」

そう言い残して、ワカの部屋へと向かった。

****

 

 

「これからお世話をさせていただくコンと申します」

「トマリと申します。以後お見知りおき下さいませ」

「はあ、どうモ」

丁寧に礼をする侍女二人に、ワカもペコリと頭を下げた。まさか部屋を与えられた上に侍女まで付けられると思っていなかった。随分と気前がいい。いや、もしかして監視役も兼ねているのではないだろうか。

「ワカ、いるか」

子供のように走ってきて、いきなりワカに飛び付いついたアオイはキラキラ光る目を上げた。

「すごく大きな宮廷だね。一緒に探検しようよ。いいだろう」

侍女二人も無邪気な仕草に微笑んでいる。

ワカは困った。探検なら自分一人で屋根裏を伝っていくつもりだったのだ。

「だって、姉さまは疲れちゃったみたいだし、アカンとシランは何か苦手なんだ。カナンは薬の話ばかりするし。ね、ワカ、お願い」

「分かりました、行きましょうカ」

苦笑すると、控えているコンたちに小さく礼をして部屋を出た。

「あ、それと夕餉は陛下たちと取りたいと、トモキさんに伝えてくれ」

大声で言い残したアオイは、ワカの手を引っ張ってあの橋がいっぱいかかっている所に行きたいと手を引っ張った。

「後宮ニ?」

「へえ、あれが後宮なんだ」

勝手に入っちゃっていいのかナ、いざとなったら迷ったって言えばいいよと手を繋ぎながら、ブラブラと歩く。

その内、後宮へと出た。小山が密集して立っており、宮や東屋が点在している。その間を小さな橋や階段や園や滝が彩りを添えていた。

子供心をくすぐるのだろうか、アオイが歓声を上げる。

「ワカ、早く!」

まさか自分も子供に見られたりしないよな、と思いながらも手を引かれるまま歩を進める。

「園の上に橋がかかっているんだ」

「あそこだけ警備兵がやたらに多いな」

感嘆するようなアオイの声に一々を返しながら、ふと、子供の鳴き声がワカの耳に入った。

「待っテ。子供が泣いていル」

「何も聞こえないぞ」

「こっチ」

階段を上がって、橋を渡って、園を横切って、建物の蔭で確かに小さな男の子が顔を覆ってしゃっくりを繰り返していた。

「どうしたノ」

少年と呼ぶにはまだ小さい、幼子は見知らぬ不審者に驚いたように身を引いたが、果敢にも睨みつけてきた。

「誰」

「ワカと申します、クズハから来まシタ」

「アオイ。クズハの王子だ」

お名前ハ?と柔らかい声を出すと、しばらく戸惑った後サツキ、と口を尖らせて応えた。

「どうしてサツキはこんな所で泣いているのですか、お母さんハ?」

警戒していた幼子は、心底困っていたらしく、つたない言葉で説明をしだした。同い年の友達を探しているという。早く見つけないと、自分共々、母に叱られてしまうというのだ。

「かっ母さまは本当に怖いんだ。怒るとお尻を叩かれるんだ、お尻だぞ!」

涙に濡れた顔で、思い出したのだろう、恐怖に震えだした。大層可愛らしい仕草と言葉にワカは笑いそうになってしまったが、口の中を噛んで我慢した。アオイも同様、僅かに震えている。

「分かりマシタ。あたしが見つけてきますので、待っていてくだサイ」

安心させるため、しゃがんでにっこり微笑むと、その頭を撫でた。

「アオイ、すぐに戻ってきますので、一緒にいていてくだサイ」

「早く戻ってこいよ」

気配を探るとすぐに分かった。大分と離れた所にいる。早足で歩きながら辿ると、その子は園の茂みの中に隠れていた。藍色のちんまりした頭が見える。

「見つけタ」

****

 

 

「お兄ちゃんの国はどういう所?」

アオイはサツキと並んで、壁に身を持たせながらワカを待っていた。子供は嫌いだ、どう対処していいか分からない。と、思う反面「お兄ちゃん」と呼ばれることにくすぐったさを感じてしまう。今まで常に自分が最年少だった。

「きれいな国だよ」

きれいで美しくて息が詰まるような所だけど、外は中々面白いと言うと、サツキはしばらく黙った後、ふうんと首を傾げた。

「君の国はどんな国?」

子供にする質問じゃないよなと思いつつ聞くと、隣の幼子は必死になって考えている。

「あのね」

「うん」

「ヘーカが一生懸命、守っている国」

ええとね、とサツキは続ける。

国を守って民が幸せに暮らすのが、ヘーカのお仕事なんだって。だから、ヒスイの母さまは、一生懸命、国を守っているの。大変だけど、それを支えるのが、父さまや母さまの仕事なの。いつか、ヒスイがヘーカになったら、ぼくも支える仕事をするの。

驚いた。こんな小さな子供がこんな考え方をするなんて。いや、周りにいる大人がそう教えているのだろう。

叔父はそこまでの考えがあるのだろうか。ないだろう。私利私欲のために王座を欲しているだけに違いない。父はどうだろう。

そして自分は。第一王子に生まれたから、引き継ぐだけだと思っていた。国を守る、民の幸せなどかすりも考えたことはない。

「ヒスイ!」

藍色の髪の男の子を抱いたワカを見た瞬間、サツキが駆けてゆく。

「ほら、お友達が見つかりましたヨ」

その腕の中から飛び降りると、ヒスイと言う名の幼子はサツキに文句を言った。

「あれだけぼくから離れるなと言っただろう」

「だって…」

じゃれるように微笑ましい言い合いをしている二人にワカが微笑んだ。

「じゃあ、お母さんに怒られる前に、帰りまショウ」

途端にヒスイとサツキが縋るように、こちらを見る。そして、頼むから付いてきてくれと懇願した。

「キャラは怒ったら滅茶苦茶怖いんだ」

「今日の朝も怒らせたばっかりなのに」

かなりのヤンチャ坊主たちらしい。どうやらヒスイの方はこの国の王子のようだ。

その怒らせたら怖いキャラという女は、北宮で腕を組んで二人を待ち構えていた。

「勝手に外にいったらいけないって何回言ったら分かるのあんたたちは!」

二人の首根っこを掴んで喝を落とした。

「こっちに来なさい!お仕置きよ!」

「待て、待て、キャラ。客人がいる」

「母さま、クズハのアオイだよ。あと…」

「まあ、こんにちは」

青筋を立てたまま、にっこりとキャラが笑った。

「どうぞ中へ。少し、お待ちくださいね」

首根っこを掴んだまま室内に入ったキャラは、おもむろに椅子に座ると、サツキを膝に乗せて裾をまくった。ためらいもなく素肌の尻を思いっきり叩く。痛そうな音が室内に響いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!母さま!もうしません!」

「あんたのもうはどれだけあるの!今朝も昨日もそう言ったでしょう!」

アオイとワカは、ただ口を開けてその光景を見守るだけだった。ヒスイは真っ青な顔をして突っ立っている。

「ヒスイ。おいで」

手招きされたヒスイは、拒むようにワカに抱きついた。

「大丈夫デス。ちょっと我慢するだけで、すぐに済みマス」

慰めるようにワカが囁く。濃い緑色の目でじっとワカを見つめた王子は、決意したように頷き、キャラの元へと向かった。

「存分に叩くがいい」

おお。性根が座ったチビではないか。アオイは見物者気分で楽しんでいる。

「手加減はしないわよ」

苦しそうな声をもらしたものの、ヒスイは折檻に耐えた。横でサツキがグスグスと泣いている。

「すみません、お見苦しいものを見せてしまって」

一転、にこやかに微笑んだキャラは、サツキの母でヒスイの乳母だと名乗った。アオイとワカもそれぞれ自己紹介をする。

「お茶でも飲んで行かれますか?」

「お兄ちゃん、ゆっくりしていきなよ。そこのお姉ちゃんも」

「サツキ。アオイさまとお呼びしなさい。失礼でしょう」

「いいです。お兄ちゃんで」

その方がアオイも嬉しい。片やワカにはヒスイがべったりとくっついている。

「珍しいわねえ。人見知りする方なのに」

微笑みながら茶を入れているキャラに、サツキが菓子をねだった。が、出された焼き菓子はあっという間にワカの腹の中に収まった。

「すみません、ちょっとお腹が空いていたものデ…」

真っ赤になってうつむくワカに、仕方ないよな、姉さまのせいで昼餉を食べそこなったものなと慰めてやる。

子供たちは、自分を差し置いて菓子に手を伸ばしたワカを同類と認めたらしい。アオイをお兄ちゃんと呼び、ワカを呼び捨てにした。

「ここにお一人で面倒を見てらっしゃるのですか?」

「いいえ。あと一人は奥の第ニ王子コクトさまに付いております。侍女が五人おりますが、丁度出払っておりまして。警備兵を呼んで探してもらおうと思っていたところですの」

ワカと積み木で大人しく遊んでいたチビ二人は、今度はその取り合いで喧嘩をしている。

「喧嘩なんかするなよ。よし、塔を作ろうか」

「塔?」

「大きい奴?」

目を輝かせて自分を見上げる子供たちが可愛いと思う。苦手意識は飛んでどっかへ消えてしまった。

 

「楽しかったな」

散々はしゃいだチビ二人が寝入ってしまった為、北宮からまた客室へ戻る最中だった。

「アオイは子供が苦手だと思っていましたけど、結構懐かれていましたネ」

「ワカなんて、仲間と思われていたじゃないか」

クスクスと笑い合いながら、繋いでいる手を振る。

ふと思った。ぼくが二歳の頃は、どういうふうに過ごしていたんだろうか。母乳で育ったと聞いた。王宮の慣習では異質なことだとも。そこまで子に愛情を注いだ自分の母は、今や不義を働いている。父や自分たちを騙して。

美しいものの下には醜いものが蠢いている。分かっている。分かっているが、悲しさは否めない。

「どうしましタ?」

優しい声が聞こえる。ワカが心配そうにこちらを覗きこんでいる。

「なあ、ワカ。一つだけ頼みがある」

手を引っ張って、人気のない茂みに誘った。そのまま細い体に抱きついた。

「少しだけでいいから、こうさせてくれ」

ワカは頼みを聞いてくれた。黙って自分の背を柔らかく叩いてくれた。

きっと、ぼくは誰かに甘えたかったんだ。姉でもなく、父でもなく、母でもなく、身内の誰でもない、優しい他人に。

きっと、昔から誰かに甘えたくて堪らなかった。心を許せる人が欲しかった。

背を優しく叩かれる感覚に誘われたように、涙が頬を伝った。

****

 

 

どれもこれも見事じゃないの。

五人の女官たちが広げてくれた衣を見ながら、キキョウは内心舌を巻いた。

「いかがでございましょう。クズハの王女さまのお目に適うとよろしいのですが」

スオウという女官がにっこりとほほ笑む。

「素敵ね。ありがとう、これからもよろしくね」

イシたちにはこんなことは言わない。キキョウだって分かっている。いくら王女と言えども、否、クズハの王女だからこそ国を背負っている。自分の言動がそのまま国の印象の善し悪しを決めるのだ。それにこちらは居候の身だ。

そう教えてくれたのはイランだった。

「女官ほど口さがのないものはない」

キキョウとアオイを前にして男はそう言った。

「噂とは怖いものだ。尾ひれをつけてあっという間に広がる。お前たちは特に好奇の目で見られるだろう。だから国を思うならそれ相応の態度を示せ」

あの男の言葉は不思議と脳内にこびりつく、とキキョウは瑠璃がはめ込まれている簪をクルクルと回しながらため息をついた。

「あの、お聞きしてもよろしいでしょうか」

スオウがオズオズと口を開いた。

「その御髪は何という結い方なのですか」

あらー。この人見る目あるじゃないのー。喜々として女官たちに説明をしてやる。化粧や簪の話、扇の持ち方で話が盛り上がった。西の国では扇の振り方一つで男を袖にする事が出来るという。

「へえ、すごい!」

知識を持った人とのおしゃべりは楽しい。自分の興味がある分野ならなおさらだ。キキョウは、このスオウをすっかり気に入ってしまった。クズハに連れて帰ったら駄目かな。駄目よね。

「姉さま、夕餉だよ」

アオイがやってきた。その後ろにアカンたちもいる。

「あなたたちも一緒なの?」

「主さまがご命令されたので」

スカした顔して、アカンが言った。

「お気になさらないでください、こちらも臣下や子供もいますので」

前をゆくトモキが笑う。

「子供って、ヒスイとサツキですか」

「はい。先程は遊んで頂いてありがとうございました。サツキの父としてお礼申し上げます」

「へえ。じゃあキャラさんはトモキさんの奥さんなんですか」

「ええ」

へーえとアオイとワカが顔を見合わせた。何が探険だ。またワカと一緒にいたのか。

階段を下がったり、橋を渡ったりして目的の場所へ付いた。

「どうぞ」

「あっ!お兄ちゃんだ!」

「ワカだ!」

子供二人が歓声をあげて、アオイとワカに駆け寄った。

「すまないな。ちょっとうるさいが、存分に寛いでくれ」

「あ…。は、はい…」

キキョウは部屋の人数に圧倒されて、目を丸くした。何人いるのだろう、子供を入れて八人?いや、隅の方に中年の女が一人、赤子を抱えている。

それにしても、女王は王間にいる時と全く雰囲気が違う。もっと気位の高そうな人だと思っていた。

「お好きな席にどうぞ。ティエンランの自慢は食卓にある。たらふく召されよ」

王が自慢する通り、食卓にはこれでもかと馳走が並んでいる。昼餉を食べていないキキョウたちは思わず唾を飲み込んだ。

「では、遠慮なく。いただきます」

アオイが嬉しそうに箸を取る。アカンたちもわきまえているのだろう、慎ましく礼をして箸を動かし始めた。

国が違うと食べ物まで違うとキキョウは感心した。クズハは見た目第一でどれもこれも大皿に美しくちんまりと飾られていた。花や鳳凰の形をした野菜と共に。

しかし、これは王族の食事なのだろうか。こぼれんばかりに皿にのっており、何というか…野性味あふれる食卓だ。

食べながら、王はその場にいる面々を紹介してくれた。

女王リウヒの隣にいるのが夫の右将軍シラギ。黒髪の渋みのある男は、子供の口に匙を運びながら僅かに笑って会釈をした。左隣にいるのが左将軍カグラ。かなりの男前じゃないとキキョウは思ったが、横にいるマイムという美女が妻だと分かった瞬時に興味を失った。

その腹は針で突けば破裂するのではないかと思うほど膨らんでいる。

「もうすぐ生まれるの」

そう言って美女は美しく微笑んだ。二席飛んで国王付きの従者トモキとその妻、キャラ。

部屋の隅にいるのは、トモキの母で女官のユキノという女だった。腕の中には第ニ王子のクロトが眠っている。

脈絡のない夫婦、しかもなんで臣下が一緒に御飯を食べているのだろう。キキョウは首を捻ったが、言葉には出さなかった。

アオイもそれぞれを紹介した。

「もう一人臣下がいるのですが、ちょっと用で外に出ていまして」

イランがいないと何となく寂しい、と思ってからすぐに取り消す。何を考えているんだ、わたしは。

「いつもこんな賑やかなお食事なのですか」

「日によるな」

「都合によって集まる時もあれば、シラギとヒスイの三人で過ごすこともある」

「クズハの海軍はお強いと聞きました。その内合同練習でも催したいものですね」

そうなの?キキョウは返答に困ってアオイを見る。

「お褒めいただき光栄です。うちの将軍も喜ぶことでしょう」

そつなくアオイが答えた。

酒が回ってさらに親密な空気が流れる。未青年のアオイとキキョウに勧められないことが不満だったが、まさか要求するわけにもいかない。

「飲みすぎるなよ。お前たちがリンに負けた時を思い出す」

「そんなこともあったわねぇ」

「あれは地獄を見たな」

「何かあったのですか」

話を聞いて、クズハの王子と王女は笑った。涙を流して笑った。

「こちらが落ち着いたら、是非クズハにご招待したいです。その頃には姉は成人していますから」

「小虎になりますからねー」

「ちょっと、アカン!」

隣にいたシランが何かしたのだろう、アカンはウッと呻いて、大人しくなった。その様子にティエンランの王たちはさざめく様に笑った。

****

 

 

「ごちそうさまでした。とても楽しい時間を過ごせました」

「こちらこそ。今日はゆっくりとお休み」

女王は眠る赤子を腕に、にっこりと微笑んで、ヒスイもご挨拶しなさいと幼児の頬を撫でた。

「お休みなさい」

眠そうに父の腕に抱かれたヒスイが目を擦りながら、頭を下げる。シラギが一礼すると、父と母と子は東宮の寝殿へと消えていった。中睦まじげに。

いいな。

その後ろ姿を見ながらワカは羨ましく思う。幸せなど望んでいない。望んでいないはずだった。だが、同い年の女王は全てを手にしている。愛する人も、愛する子も、親しい友人も、最高級の生活だって。

子は生まれないように薬を飲まされている。仲間は仲間であって友人ではない。恋しいと思う男は、雲のように掴みどころがない。

仕方ない、光と闇に住む差は、まさしく雲泥の差だった。それでもワカは光の中に憧れる。キラキラと輝くあの世界に、昔から。

「さてと。着替えてからお仕事、お仕事」

「女官たちが下がってからにしなさいよ」

「色々と面倒ですね。城下の宿に泊まろうかな」

「後でイランがうるさいぞー」

「い、イランはいつ帰ってくるのよ」

「さあ?五日はかかるんじゃねえの?」

それぞれの部屋に帰る。ワカも扉を開けると、コンとトマリが待ち構えていた。

「すぐお風呂に入られますか?」

「あ…はイ」

多少気押されて返事をすると、風呂場に連れて行かれ何と衣を脱がされそうになった。

「あ、あ、あの、一人で結構ですカラ!」

「ですが、わたしたちのお仕事がなくなってしまいます」

「上司に怒られてしまいます」

裸を見られるのは別にいい。が、背中の傷を見られるのが嫌だった。激怒したイランによって付けられた醜い無数の傷。

そこへ

「ワカー」

アオイがやってきた。そして空気を察知したらしい。

「お風呂に入るの?一緒に入ろうか」

にっこりと笑う。

「そういう訳で、君たち下がっていいよ。ああ、寝着もいらない。じゃあね」

顔を真っ赤にさせた侍女二人は、転がるように退出した。ワカはうろたえたままだ。

「さっさと入ってきなよ。ぼくここにいるからさ」

寝台に寝転がり、垂れ下がっている薄布をいじっている。

「あノ…」

「どうせ、あのイランに虐められた傷でもあるんだろう。出てきたら教えてくれ。ぼくも入るから」

「はア」

どうしたもんかな。頭を掻きながら風呂場へと向かう。宮廷の風呂など初めてだ。糠袋に香は練り込まれているし、湯船はあるし、広々としているし、湯につかりながら贅沢だなあと思う。

何となく出た鼻歌が広い浴場に響いた。

****

 

 

どうやらワカは呑気に鼻歌を歌っているらしい。アオイは苦笑した。あの女は本当に子供っぽくて無垢だ。五歳も年上など信じられない、背丈も自分より低い。

コロコロと転がりながら、同じ部屋で風呂に入っているワカのことを考えた。

酒場で酔って言った言葉は、自分でもはっきりと覚えている。嘘偽りない真剣な餌だった。クズハに戻ったら、すぐに結婚をしてやる。まさか拒む女はいないだろう。なんたって未来の王妃になれるのだ。どんな女でも尻尾を振って飛び付くに違いない。

父だって理解してくれるはずだ。母は元々下級貴族の娘で、周囲の反対を押し切って結婚したと聞いた。それがまさか裏切られることになるとは思ってもいなかっただろうが。

いや、どうだろう、ワカなら拒む可能性もある。

アオイは身を起して腕を組んだ。

あの女の気持ちが真っ直ぐイランに向かっていることは気が付いている。だが、イランも明らかに他の仲間と違う態度を取るものの、どこかで拒絶しているようでもある。それはそうだろう、彼らは闇者だ。王宮の女官と警備兵じゃあるまいし、呑気に恋愛など楽しんでいられない。

イランがワカにもっと冷たく当たってくれないかな。

そのままひっくり返ると、反動で体がポワンと跳ねた。

傷ついた女の心につけいるのが一番、楽で確実だ。絶望と悲しみに暮れる女は、世界で一番自分が不幸だと錯覚する。そこをうまいこと慰めて持ち上げてやれば、ころりと心と足を開く。

浴室の扉が開いた音がした。湯あがりのいい香りが部屋中に漂う。

「お先デシタ。良ければどうゾ」

髪を拭きながら、窓際の椅子に腰かけるワカは、湯上がりの為か大層色気があった。

うっすら上気している顔、質素な衣の襟間から零れ見える素肌、普段は裾の中に隠れている白いふくらはぎ。

本人は全く無頓着な様子で、壁に頭を付けてじっと眼を閉じている。

「ワカ?」

湯当たりでもしたのだろうか。気分が悪いのだろうか。それとも誘っているのか。

その時、どこからか小さな、本当に小さな何かを叩く音が聞こえた。二度叩かれた後、連続して拍子をつけてそして消えた。今度はワカが答えるように三度ゆっくり叩く。

「アオイ」

ワカが目を開いたと同時だった。雲間に隠れていた月が計ったかのように出て、おしげもなく月明かりを地上に降り注いだ。光を受けて、ワカと自分の顔が照らし出される。

「ワカ…!」

思わず大声をあげた。いつもは黒い瞳が、濃く蒼い色に変わっている。震えがくるほど美しい色だった。まるで朝霧にけぶる湖の色だった。もしくは瑠璃の如く深く優しい色だった。

「ああ、どうも月明かりで色が変わるらしくテ」

なんでもなさそうに、ワカは言う。

「もっと見せてくれ」

目を離したくなかった。逸らしてしまえば、これは幻ではないのかと思うほど儚かった。

白い頬に手を滑らせて、上を向かす。じっと自分を見つめる蒼い瞳は、アオイの理性を吹っ飛ばすには十分の効果があった。

「んッ…!」

抵抗するワカの体を押さえつけて、貪るように口づけをする。

「ちょっと、やめ…、アオイ!」

悲鳴に近い声も無視をした。全てが欲しい。暴れる肢体も、しっとりと濡れた髪も、唾液で濡れた唇も、無垢な心も、蒼い瞳も、全て自分のものにしたい。

もがいていたワカが大人しくなった。変わりに求めるように自分から口を合わせ、白い手は縋るように自分の水色の頭に回った。

「ワカ」

瞬間に、首筋に違和感のあるような痛みを感じた。なにごとかと思うまもなく、体中から力が抜けてゆく。口すらも動かせない。

「痺れはすぐに消えマス」

崩れたアオイの体を抱き止めて、ワカが表情のない声で言った。

「こんなことしたくなかったんですが、ちょっと急いでましテ」

寝台に軽々と運ばれながら、なんとか動かそうとアオイは四苦八苦したが、どこもかしこも言うことを聞いてくれない。

「動けるようになったら、ちゃんとお風呂に入って、寝てくださいネ」

ポンポンと背を叩くと、視界からワカは消えた。

いやだ、ワカ、行かないで。何もしないから一緒にいて。叫びだしたいほどの想いは口から出てくれない。

やっと動ける時には、部屋の中には誰もいなかった。

 


 
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