No.127576

真恋姫無双~天帝の夢想~(天の御遣い)

minazukiさん

今回から本格始動です。
まだ一刀と百花、宦官といったオリジナルキャラしか出てきませんが、次ぐらいから少しずつ出していこうと思っています。

それでは最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

2010-03-02 00:51:08 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:34126   閲覧ユーザー数:25779

(天の御遣い)

 

 歴史上、栄えた国家というものはいずれ衰弱して最悪の場合は滅亡という結末が待っている。

 漢王朝もその衰弱の一途を辿っていた。

 漢が復興して第十四代となり、献帝として即した劉協こと真名を百花は幼少の頃から聡明な子として将来の漢王朝を支えていく者だと誰もが信じていた。

 だが先々代の皇帝である霊帝とその皇后が病没し、ただ一人の姉も第十三代皇帝として即位してすぐに同じ病によって病没したため、皇帝になった彼女はその責務を果たしてはいるものの、常に物静かで必要以上のことは何も話さなかった。

 そのためか、臣下達は不安を覚え、あまつさえ影ではこの国の再興と発展はもはや望めないという者まで現れていた。

 

「陛下御一人に全てを背負わせていいものか?」

 

 心ある者がそう言っても大半の者が国のためや皇帝のためとかではなく自分の保身のみを考えていたため耳を傾けようとしなかった。

 その様子を敏感に感じていた百花だが何も言わず、無関心を貫いていた。

 

「はぁ」

 

 一日の政務を終えて湯船にその華奢な身体を沈めて瞼を閉じる。

 その時が辛うじて彼女が力を抜ける時間であった。

 漆黒の長い髪は力なく湯船の上に浮いていた。

 皇帝となってまだ三ヶ月。

 幼さが抜けきれていない百花にとって国を支えることは難しいことであった。

 噂では国のあちらこちらで病、飢饉、盗人、などが我が世の春を謳歌するように広がっていたことを聞いたが、それらを根底からどうにかしようとは思ってもできなかった。

 

「陛下、そのようなことは我々がいたしますのでどうぞご安心くだされ」

 

 そう言ったのは父親が生きていた頃よりも前から存在している宦官達だった。

 一見、優しそうな顔をしている彼らだが、裏を返せばこの国を自由気ままに扱っている張本人達だった。

 長年、朝廷に仕えているため、経験の浅い皇帝の代理として政を行っているが、どのような政をしているのか百花にはわからなかった。

 彼女ができたことといえば彼らが上申してきた案件を了承するだけだった。

 

「陛下、御食事の準備が整いました」

 

 女官にそう言われ答えることなく百花は自分の唯一の気を許せる時間が終わったことに落胆の表情を浮かべた。

 湯から上がり控えていた女官達に身体を拭かれ、民達が生涯身につけることのできない豪華な服を身につけさせられ、彼女専用の食堂へ向かった。

 

「毒見は済ませております。御安心を」

 

 机の上にはすでに冷えてしまった豪華な料理。

 女官達の余計な一言。

 そして自分以外に誰もいない部屋。

 席について箸を取り、一口食べただけで彼女は食欲を失うのに十分だった。

 

(美味しくない)

 

 全てを一人で平らげるだけの努力も意欲もなく箸を数度動かしただけで食べることをやめた百花は無言のまま立ち上がり自分の部屋へ向かった。

 部屋に戻ってもやることなど何もなかった。

 毎晩、眠りが彼女を誘ってくるまで灯りを消して唯一人、天蓋付きで無駄に大きい寝台に横になっていた。

 

(明日も同じことの繰り返し……)

 

 年老いて死ぬか、毒殺されるか、病を得て死ぬか、どれにしても彼女が死ぬまで同じことの繰り返しがこれからも続くと思った百花。

 

(こんなときに心から話せる相手がいてくれたら……)

 

 それだけで彼女は救われるはずだった。

 漢王朝の皇帝という孤独な日々から解放され、一人の少女としていられる。

 何でも手に入れることができても、それだけは彼女がどんなに望んでも今はまだ手に入れることができなかった。

 そして今日も夜が開ける前になってようやく彼女は眠りについた。

 だが、そんな日々が変わるかもしれない出来事が起こった。

 

「天の御遣い?」

 

 与えられた上申書に判子を押していた百花は思わず聞き返してしまった。

 まだ若い宦官の一人が巷で噂になっていることをつい口を滑らせたからだった。

 しまったと後悔したがすでに遅く、若い宦官は自分の知っていることを小声で話した。

 

『流星が黒天を切り裂く時、天より御遣いが舞い降りる。御遣いは天の智を以って世に太平をもたらすであろう』

 

「世に太平をもたらす……」

 

 百花は判子を置いて俯いた。

 そのような者が本当に現れてこの国を救ってくれるのだろうか。

 もし救ったとすれば自分など用済みとなり誰もがその天の御遣いを崇めるであろう。

 漢王朝もそこで終わり、自分はどうなるのだろうかと想像をしたが、どういう結末が待っているか容易に想像は出来ていた。

 

「その占い師もどこの誰ともわからぬやから故、民に不安を与える者としてすぐに捕縛に向ったのですが、これがまた不思議で忽然と姿を消したのです」

 

 その後も若い宦官がいろんなことを話していたが百花はまったく気にすることはなく、それ以上に天の御遣いという言葉の方に興味があった。

 

「この国の天と言えば陛下であらせられるというのに困ったものです」

 

 その皇帝を本気で支えようとする者など今の王朝にはほとんどいないことをこの若者は知らないのだろうかと百花は思った。

 

「会ってみたいですね」

「は?陛下、そのような怪しき者に会うなどもってのほかです」

「いえ、その天の御遣いなる者が太平の世をもたらすと言った者ではなく、天の御遣いにです」

 

 もしその存在が自分と対等であるのであれば友達になれないだろうかと思った。

 彼女がこれまで求めても手に入れることの出来なかったもの。

 

「天の御遣いなどまやかしでしょう。それよりも陛下、これらの上申書に判子をお願いいたします」

 

 余計な話をしてしまった若い宦官は次々と運ばれてくる上申書を百花に差し出していく。

 再び無言になり同じ動作を繰り返し始めた百花。

 

(天の御遣い……)

 

 その言葉が自分の中に広がっていく。

 

(会ってみたい)

 

 会ってこの孤独から解放してくれるのであればその者に百花は生涯ついていこうと思った。

 そしていつも傍にいていろんな話をする。

 そう思うと不思議と心が軽くなっていった。

 

「そういえば」

 

 何かを思い出したように若い宦官は声を漏らした。

 

「そろそろ陛下も婿を御迎えしなければなりませんね」

「そのようなものは必要ありません」

「いえいえ、漢王朝のためにもぜひ必要なことです。有力な方々の御子息も数多くいらっしゃいます。陛下の美貌ならいくらでも候補はいらっしゃると思いますよ」

 

 他人事のように話す若い宦官に百花は心の中でため息をついた。

 自分のことなどどうでもよい。

 ようは王朝のために自分という存在を許されている。

 ただの傀儡の皇帝でしかない。

 そう思うと余計に天の御遣いに会いたいという気持ちが大きくなるばかりだった。

 

「陛下」

 そこへ宦官の長である張譲という老人が現れた。

 

「どうかしましたか、張譲」

 

 正直に言えば百花はこの張譲が好きではなかった。

 何事にも動じることなくいつも落ち着いた物の言いよう、不気味な笑みを浮かべてさらに老人とは思えない鋭い眼光。

 どれをとっても百花が好感を抱く要素などどこにもなかった。

 

「今宵の宴につきましてご確認をお願いに参りました」

「今宵の宴?そのようなことは聞いておりませんが?」

「陛下が御即位をなさって百日。その御祝いでございます」

「そのようなもの必要ありません」

 

 彼女にとって無用な行事だった。

 何の実権も持たせてくれない相手に対してささやかな抵抗を示した。

 

「何をおっしゃります。陛下あってこそこの国は栄えるのですぞ」

「私はただのお飾りではないのですか?」

「いえいえ、陛下をお支えするのが臣下の勤めならば、陛下に余計なご苦労をおかけするわけには参りませぬ」

 

 相手を労わるような言い方だが、百花は何も感銘を受けなかった。

 

「今宵は陛下にとっても素晴らしい宴になりましょう。どうぞお楽しみを」

「……わかりました」

 

 これ以上、抵抗をしても軽く流されるだけだと即位してこの三ヶ月、彼女が学んだことだった。

 結局、臣下の失望の原因は自分と自分を囲んでいる環境が悪いのだと百花は思った。

 宦官の言いなりのただのお飾り皇帝。

 

「それよりも少しお疲れのようでございますな。宴が始まるまでしばし御休息をなさってはいかがですかな?」

「……」

 

 皇帝として利用価値があるためか節度を守って接してくる張譲に対して百花はしばし無言だったが、これ以上ここに留まっているよりマシだと思って頷いた。

 

「わかりました。しばらく休みますので後のことはお願いします」

「ははっ」

 

 宦官達の大袈裟な礼を見ることなく百花は執務室を出て行った。

 それを確認して張譲は軽く息を漏らした。

 

「やれやれ。手のかかる陛下であらせられる」

 

 もっと利口だとばかり思っていた張譲だったが皇帝である以上、手出しなどは出来なかった。

 彼にとっても百花はまだ利用価値のある皇帝であったからだ。

 

「それよりもお前は陛下に余計なことを言いすぎだ」

「も、申し訳ございません」

「今後、同じようなことがあればどうなるかわかっておろうな?」

「ははっ」

 

 若い宦官にとってその言葉の意味はよく理解できていた。

 出来の悪い宦官に軽く忠告を済ませた張譲はそのままさっきまで百花は座っていた椅子に何の躊躇もなく座って上申書に目を通しては判子を押していく。

 

「我々が上申したものを儂が判子を押すとはあまり面白くないものだ」

 

 どれもこれも文面ではこの国のためにと書かれた政策だったが、それらが実行されることはほとんどなかった。

 そのために国は衰弱をしていた。

 

「いずれこの国は我らのものになろうぞ」

 

 細く微笑む張譲を見て若い宦官は背筋が凍りつくような感覚に襲われたが、だからといって何かを話しかけるようなことは決してしなかった。

 彼は自分の人生をここで終わらせるようなことはしたくなかっただけだった。

 部屋に戻った百花は寝台の上に身体を沈めた。

 

(皇帝とはこれほどまでに辛いものなのね)

 

 父親の霊帝は決して素晴らしい皇帝だったとはいえなかった。

 それでも宦官と上手く付き合い、病没するまで何も苦労をしているように彼女からは見えなかった。

 だがそれは見せなかっただけで現実は自分と同じように悩み苦しんでいたのだろうかと思ったがそれを確認することはもはやできなかった。

 

「父上……母上……姉上……」

 

 家族を失って自分一人になってから笑顔というものをしたことがなかった。

 笑い方を忘れてしまったのだろうかと言う者もいたが、百花はただそうする相手がいなかっただけだった。

 

「はぁ」

 

 何度か皇帝を辞めて民の中に隠れて暮らそうと思ったことがあった。

 だが、そうするためには最低限の生きていく方法が必要だったが、何一つ彼女には備わっていなかった。

 料理の仕方から世の中の常識までのことを百花はほとんど知らず、この王宮を出ても生きていける自信がなかった。

 少なくともここにいれば生きていくだけの最低限のことは周りの者達がしてくれる。

 ただそれだけだった。

 

「天の御遣い……か」

 

 まだ見ぬ天の御遣いにすがり付こうとしている自分に気づいたが、別に恥じることは何もなかった。

 人として対等な友達を望むのは当たり前のことなのに自分にはそれが許されないことが不愉快だった。

 

「会ってみたい」

 

 そう思いながら瞼を閉じていく。

 あまり夜に眠らないためか程なくして彼女は眠りに落ちた。

 彼女の夢はいつも同じだった。

 父親がいて母親がいて、そして姉がいる。

 家族四人で楽しい毎日を過ごしていた。

 だが、最後にはいつも彼女一人だけが暗い闇の中に置いていかれる。

 

(父上、母上、姉上。どこですか?)

 

 必死になって探すが三人の姿はどこにもない。

 探すことをやめて一人膝を抱えて座り込む百花。

 

(一人は嫌……。誰か助けて……)

 

 その問いかけに答える者は誰もいなかった。

 彼女は現実でも夢の中でも孤独だった。

 闇が彼女を溶かしていく。

 

(助けて……)

 

 動くことも出来なくなった彼女に闇は容赦なくその姿を溶かしていく。

 そして完全に溶かし終わろうとした瞬間だった。

 

(……なに?)

 

 百花ですら何が起こったのか理解できなかった。

 自分を覆っていた暗い闇はまるで逃げ出すかのように彼女の姿を現していく。

 

(……ひかり?)

 

 自分を包み込んでいく優しくそして温かい光り。

 それは孤独に染まっていた彼女の心にも流れ込んでいく。

 

(……温かい)

 

 一人になって初めて感じる光りはさらにその輝きを増していった。

 そこで夢の世界から目覚めた百花は何かが自分の上にいることに気づいた。

 視線の先には天井がなぜか穴が開いており、青い空が見えていた。

 何が起こったのかすぐにはわからなかったが、自分の上に倒れているのが人だということは確認できた。

 

(……誰?)

 

 賊にしては大胆すぎる侵入であり、また他に仲間らしき者が見当たらない。

 身体をずらしていき何とか抜け出すと、その者の着ている服が眩い光を放っているように見えた。

 

「陛下、何事ですか!」

 

 衛兵が慌しく駆け込んできて彼らの目の前に写ったのは、皇帝と誰かが寝台の上にいるというある意味で衝撃的な光景だった。

 

「こ、これは一体何事ですか?」

「……」

 

 百花はどう答えたらいいのかわからなかった。

 賊であればそう言えるのだが、少なくともそうは見えなかったため他に答える方法が見つからなかった。

 

「陛下、その者は何者ですか?」

 

 神聖不可侵である漢の皇帝の、しかも私室の天井に穴を開けていることに驚きを隠せないでいた。

 百花はうつ伏せになってまだ起き上がろうとしない者の方を見ながら手を伸ばしていく。

 

「陛下、触ってはなりません」

 

 衛兵の声を無視して百花はその者の髪に触れた。

 

(生きている)

 

 背中が上に上がったり下がったりしているため生きていることが確認でき百花はホッと一息ついた。

 

「何事だ」

 

 そこへ張譲が現れ衛兵は慌てて礼をとった。

 張譲も自分の視界に写っている光景に一瞬、内心で驚いたが決して表情には出さなかった。

 

「陛下、ご無事でいらっしゃりますか?」

 

 衛兵と違って状況を素早く把握した張譲は何の遠慮もなく寝台に近寄っていく。

 本来であれば許可なく近づくことは不敬にあたるが、この老宦官にそのようなことを注意する者はいなかった。

 

「これはまた変わった服ですな」

「知っているのですか?」

「残念ながら。とりあえずこの者を牢に連れて行きますぞ」

 

 このような者を皇帝の傍に置いておくわけにはいかないと張譲は即座に固まっている衛兵に声をかけた。

 すぐさま衛兵は寝台から引きずり落とした。

 

「ぐわっ」

 

 床に落ちた衝撃で気がついたのか声を漏らした。

 

「ま、待ちなさい」

 

 百花は衛兵に連れて行くことに待ったをかけた。

 床からゆっくりと顔を抑えながら身体を起こしたのは男だった。

 

「いてててっ……。もう何なんだよ一体」

 

 顔を摩りながら周りを見ていく男。

 そして百花に視線を向けるとそこで止まった。

「えっと……これは何かの撮影?」

 

 自分とは違う服を身につけている少女と老人、そして昔の兵士が身につけている鎧。

 男がそう思ったのは当然のことだった。

 一つだけ除いてそれは正解だった。

 

「君、ここってどこの撮影所なのかな?」

「えっ?」

 

 家族以外で気軽に声をかけてきた者がいなかった百花にとって男の質問にすぐに答えられなった。

 

「もし撮影の途中ならごめん。すぐ出て行くから」

 

 そこまで言って立ち上がろうとした時、男はふとあることに気がついた。

 

「あれ、でも俺ってさっきまでこんなところにいなかったよな」

 

 自分がどうしてここにいるのか理解できずにいた。

 男が一人悩んでいる姿を周りの者達はどう声をかけるべきか困っていた。

 だが、誰よりも先に声を出したのは張譲だった。

 

「どこからきたかは知らぬが、ここは恐れ多くも漢の皇帝陛下の私室であるぞ。まずは名を名乗り何を目的にきたのか正直に話せ」

 

 張譲の声に振り向いた男は不思議そうに見返した。

 

「漢の皇帝陛下?」

「そうだ。ここにおわす御方が皇帝陛下であらせられる」

 

 再び視線を百花の方に向ける男は本当なのかと思った。

 冗談にしては笑える空気ではなかったが、それでも本当なのかと疑っていた。

 

「本当に皇帝なの?」

 

 百花は小さく頷いた。

 もう一度周りを見渡す男はようやくどこにも撮影機材がないことに気づいた。

 

「さっき漢って言ったけどもしかして漢王朝のこと?」

「それ以外に聞こえたのか?」

 

 張譲のどこか温度の下がった声にもまったく怯む様子がない男は一度ガリガリと頭を掻いた。

 

「てことは三国志の時代?いや、でもまだ漢ってことは三国が成立していないはず……」

 

 独り言をつぶやきながらしばらくしてようやく納得したかに見えた。

 

「でもなんで皇帝が女の子なんだ?」

「この無礼者め!」

 

 張譲は老人とは思えない力で男の服を掴み持ち上げていく。

 

「先ほどから聞いておれば、皇帝陛下に対して何と無礼な言葉を吐く。すぐにでもその無礼な言葉を言えなくしてやるぞ」

 

 そう言って床に男を放り投げると衛兵に刑場へすぐに連れて行って頸を刎ねるように命令をした。

 

「ち、ち、ちょっと待てくれ」

 

 衛兵に引きずられていく男は暴れるが簡単に振りほどけなかった。

 

「待ちなさい」

 

 そこで声をかけたのは誰でもない百花その人だった。

 

「その者は天の御遣いです。粗略な扱いをしてはなりません」

「陛下?」

 

 この言葉に衛兵は驚きさらに張譲と男は同質の驚きを表した。

「今、何とおっしゃりました?」

「天の御遣いであると言ったのです。聞こえませんでしたか?」

 

 何時になく言葉に力が篭っていただけに張譲も反論がすぐにはできなかった。

 

「その者を離しなさい」

「し、しかし」

「これは皇帝としての命令です。そしてすぐにその者を残して全員、出て行きなさい」

 

 皇帝の命令。

 それはどんなに傀儡であったとしてもそうさせている張譲達にとって反論を一切許さない切り札だった。

 そして彼女が即位をして初めて自分の意思で使った命令だった。

 

「わかりました」

 

 そこで張譲は素直に従った。

 今までにない精気の篭った少女に感銘を受けたのかどうかはその表情から察することは不可能だった。

 

「陛下のご命令だ。その者を離せ」

「は、ははっ」

 

 衛兵はすぐに命令に従って男を離した。

 

「それでは何かございましたらすぐにお知らせください」

「わかりました。皆、大儀でありました」

 

 張譲と衛兵は恭しく礼をして部屋から出て行った。

 それを確認して大きく息を漏らした百花。

 

「あ、ありがとう」

 

 男はどこかぎこちなく救ってくれたことに感謝をした。

 

「もしかして俺ってタイムスリップしたのかな」

「たいむすりぷ?」

「えっと何ていったらいいんだ。簡単に言えば時代を飛び越えるってことかな?」

 

 自分で言っていて納得していない男は困ったように笑顔を見せる。

 それに対して百花は彼が本当に天の御遣いなのだとなぜかそう思った。

 理由を聞かれれば彼女も困ったが、彼女の直感というものがそう言っているように思えた。

 

「さっきの爺さんが漢の皇帝陛下って言っていたんだけど」

「本当です。漢王朝の第十四代皇帝です」

「第十四代ってことはもしかして献帝?」

「はい」

 

 そして傀儡の皇帝と心の中で続けた百花。

 

「本当に献帝なの?」

「それ以外であるのであればさっきの命令は嘘になります」

「そういえば素直に引き下がったよな」

 

 そう考えると男は彼女が言っていることが本当だと思った。

 

「とりあえず自己紹介するべきだよな。俺は北郷一刀。聖フランチェスカ学園の生徒だよ」

「変わった名前ですね。それに聞いたことのない言葉です」

「そうかな?俺からすればそっちの方が不思議なんだけどね」

 

 皇帝が敬語を使い天の御遣いであるかもしれない一刀は敬語ではない。

 もしここに張譲や衛兵がいれば無礼者だと声を荒げるところだった。

 

「北が姓で郷は名、そして一刀は字で間違っていませんか?」

「う~ん正確には北郷が姓で一刀は名かな。字っていうのはないよ」

「では真名もですか?」

「真名?」

 

 何を言っているのだと一刀は不思議そうに百花を見る。

 百花も同様に一刀を不思議そうに見た。

 百花は二人分のお茶を用意させて小さな机を挟んで一刀の対面に座った。

 真名をはじめにこの世界のことを百花が知る限りのことを一刀に教え、一刀も自分が何処から来たのか、元いた世界はどんなところなのかを話した。

 特に百花は一刀の世界のことに興味を持っていろんな質問をしていく。

 それを一刀は一つ一つわかりやすく説明をしながら答えていく。

 

「この国とは大違いですね」

 

 一通りの話が終わった後、百花はそうつぶやいた。

 

「でも君は皇帝なんだろう?なら良くすることはできるだろう?」

「いいえ。私は皇帝といってもお飾りなのです」

「でもさっきみたいな態度だったら誰だって言うことを聞いてくれるんじゃないのか?」

「あ、あれはたまたまで……」

 

 自分でも信じられないほど強い口調だったと恥ずかしくなった。

 

「かず……北郷さんならどうしますか?」

「一刀でいいよ。そうだな、俺なら自分の目で見てみるかな」

「自分の目で?」

「そう。こんな王宮の奥にいてもわかるはずがないからね。こっそり抜け出して民がどんなことを思っているのか、何が起こっているのか自分の目で見るかな」

 

 王宮を抜け出すことなど考えもしなかった百花だが、一刀が言うことを聞いているとそうしてみたいと不思議と思ってきた。

 

「あ、あの……一刀さん」

「うん?」

「私もこの王宮から出て街をこの目でしっかりと見たいです」

 

 張譲などに見つかれば監禁されてしまうことを考えなくもなかったが、それ以上に街に出てみたいという気持ちが強かった。

 それにいざとなれば命令だと言えばいいのだと少し強気になっている自分に気づいた。

 

「でも見つかったら怒られるぞ?」

「構いません。私はお飾りでも皇帝ですから」

 

 百花はこんなに胸が弾むのは初めてだった。

 目の前にいる一刀と話しているだけで胸の鼓動が激しく打ち付けてくる。

 

「まぁ今すぐは無理かもしれないけど、俺がそのうち連れて行ってあげるよ」

「本当ですか?」

「もちろんだよ。約束だ」

 

 そう言って一刀は小指を伸ばして彼女の前に持っていった。

 

「それは?」

「これ?約束するときの儀式みたいなものだよ」

 

 百花も同じように小指を立てるとそれに一刀は自分の小指を絡めていった。

 それだけで百花は胸が苦しくなるほど鼓動が早くなっていく。

 

「指切りげんまん嘘ついたら針千本の~ます。指切った」

 

 そう言って勢いよく小指を振りほどいていく。

 初めて交わした約束に百花は小指に残った一刀の温もりをそっともう片方の手で包み込んだ。

 

「それで劉協さん」

「百花」

「えっ?」

「百花と呼んでください」

「でもそれって真名なんだよね?」

「はい。一刀さんになら真名で呼ばれたいです」

 

 百花からすれば初めて他人に対して自分の真名を授けることになったが、それは一刀が自分に対して敬語を使わなかったことと、対等に見てくれている喜びだった。

 

「百花」

「はい」

「俺も呼び捨てでいいから。あと敬語も出来ればなしで」

 一刀からすれば皇帝ということを除けば百花は同世代の少女でしかなかった。

 ましてやまだこの国にきたばかりであり右も左もわからない彼にとって百花が頼りでもあった。

 

「わかりました……一刀」

「お~い敬語が抜けてないぞ」

「あ、す、すいません」

「ほらまた」

 

 指摘されて顔を赤くする百花に一刀は笑いを堪えるのに少しばかり努力が必要だった。

 

「まぁ敬語は仕方ないかな」

「一刀は敬語を使わないのですね」

「使って欲しいの?」

「いえ、今のままで話して欲しいです」

 

 敬語で話されると嫌な気持ちになる。

 だからこうして出会った一刀には敬語など使って欲しくなかった。

 自分と対等にして欲しいと願っている百花。

 

「それはそうと、君の部屋なのに豪快に穴を開けたよな」

「そうですね」

 

 どうしたら天井と天蓋を貫けるのか、それほど自分は頑丈なのかと思う一刀。

 

「ごめんな」

「いえ、私の部屋はここだけではありませんから」

「それでさっき聞いたんだけど、天の御遣いって何?」

「それは」

 

 あの若い宦官から聞いた話を一刀にすると、一刀は驚きながらも取り乱すことはなかった。

 

「それが俺だって君は信じているのか?」

「わかりません。でもそうであって欲しいと思っています」

「どうして?」

「それもわかりません。ただそう思うだけです」

 

 短い時間だが一刀が優しい心の持ち主だと感じていた。

 彼がもしこの国に住むすべての者から慕われ皇帝に薦められるようなことがあれば喜んで位を譲ろうと思った。

 それは漢王朝の終焉を意味していた。

 だが今はそんな未来のことよりも今が大切だった。

 

「一刀」

「うん?」

「もし天の御遣いだとしたら私の傍にいてくれませんか?」

「百花の?」

「はい。私は即位する前に天に向って願ったのです。もし対等な友ができたらならこの国のために頑張ると」

 

 そしてそれがこんな形で実現するとは思いもしなかったが、この好機を逃せばもう二度と手に入れることが出来ないと思った。

 

「対等な友……?」

「私がどんなに望んでも手に入れられなかったものです。でも……でも、一刀が私の前に現れたのが運命なら私は……」

 

 手を伸ばして机の上に置いてある一刀の手に重ねていく。

 

「ダメでしょうか?」

 

 不安な表情を浮かべる百花に一刀は視線を逸らすことはなかった。

 

「ここを追い出されても行くあてもないし、君に命を救ってくれたお礼もあるからね」

「それじゃあ」

「役に立つかどうかわからないけど、君が望む限り傍にいるよ」

 

 一刀の答えに百花は家族を失って以来、初めて心からの笑顔を見えた。

 それは他人を魅了するには十分すぎるほどの純粋な笑顔だった。

 一刀もまたその笑顔に心を奪われ、元の世界に戻る手段が見つかるまで彼女の傍にいようと決めた。

 天の御遣いが漢の皇帝のもとに現れる。

 その噂はたちどころに諸国に広がった。

「なるほど。滅びかけている漢に天が味方でもするのかしら?」

 

 数多の家臣の前に不敵な笑みを零す少女。

 

「会ってみたいわね。その天の御遣いに」

 

 自分の欲しいものはどんなことをしてでも手に入れる。 

 そしてこの乱れ始めている世の中に羽ばたこうとしている少女の最大の望みに変貌していくことになる。

「ふ~ん、天の御遣いねぇ」

「どうする?」

「面白そうね。皇帝になんてもったいないわね」

 

 どこか楽しんでいるように酒を呑みながら答える女人に彼女の友は短く笑った。

 

「とりあえず一度会ってみたいわ♪」

 

 彼との出会いが彼女達の運命を大きく変えることなどこのとき想像もしていなかったが、何かが起こるかもしれないという直感はしていた。

「天の御遣いですか」

「しかしそのような者が本当に現れたのでしょうか?」

「そんなことよりもお腹がすいたのだ」

 

 未だ確固たる基盤もなく三人が寄り添って前を少しずつ歩んでいく。

 

「でも一度会ってみたいかも」

「そうですね」

「早くご飯にするのだ」

 

 大義のためにやがて大陸の一角に国を興し天下にその名を知らしめる彼女達。

 天の御遣いを中心に、少しずつだが、運命の歯車が動き始める。

(あとがき)

 

というわけで~天帝夢想~第一回(序章はカウントせず)をお送りいたしました。

ここで疑問をもたれる方がいると思うので補足させていただきます。

 

宦官ですが、正史では劉協が即位する前に張譲達はほぼ全滅しています。

しかし、このお話ではなぜか生きています。

これは後のお話に関係してくるのでとりあえず今は生きてもらっています。

 

ちなみに今の時間帯は黄巾の乱前です。

もう少し現状のお話をしてから黄巾の乱編に突入しようと思っていますのでもうしばらくお待ちください。

 

次回の更新はできれば木曜日にしたいと思っています。

できなければたぶん・・・・・・土曜日?

 

と言うわけで次回もよろしくお願いいたします。


 
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