No.119980

The way it is 第一章ーそれぞれの想い2

まめごさん

ティエンランシリーズ第四巻。
新米女王リウヒと黒将軍シラギが結婚するまでの物語。

あたし今ここで鼻血だしてもいいですか!?

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2010-01-22 21:04:29 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:499   閲覧ユーザー数:483

「何でそんな当たり前のことができないの、あんたたちは!」

マイムの怒鳴り声に踊り子たちは、びくりと身を震わせた。楽師も気まずそうな顔をして下を向いている。

「今日はこれができるまで帰らせないわよ…曲を」

腕を組んで睨みつけるように、舞踊る部下たちを眺める。

マイムは仕事になると、鬼へと変貌した。「凛気持ち」だの「怒りんぼ」だの蔭口を叩かれている事は知っている。が、これは遊びじゃない、仕事だ。嫌われようが、影で何を言われようが、自分のなすべきことは、この子たちを見事に舞い踊らせる事なのだ。

「稽古中、失礼をいたす」

ひょっこりと礼大臣が顔を覗かして、マイムと楽師長のミヨシノを呼んだ。

「近々、大きな宴を催そうかと思うておる」

その宴の内容とやらを聞いてマイムは呆れた。そんなことをしてもリウヒが喜ぶはずがないじゃない。

まあ、部下たちにとってはいい機会になる。

「かしこまりました、ハクさま。演目はいかが致しましょう」

「そなたらに任せよう。だが、どうも陛下はここ最近塞ぎこんでおられる。パアッと明るく場が華やかなものを願いたい」

泥鰌髭の大臣も愛すべき国王が心配なのだろう。あの子はそういう子だ、とマイムは内心苦笑した。

「後で話し合いましょう、舞踏長殿」

「そうしましょうか、楽師長殿」

髭を見送った後、細面の中年男、ミヨシノと顔を見合わせにっこり笑って稽古場へと戻った。

踊り子と楽師が疲れた体を引きずりながら帰ると、二人は早速、譜面を並べああでもない、こうでもないと話し合いを始めた。

昔、遊びで体を重ねた男は、その後二種類に分かれる、とマイムは思う。

全く関心が無くなるか、それとも同類に近い感情をもつか。

ミヨシノは後者だった。

男の節くれた美しい手から紡ぎだされた楽は雅やかに空間を彩り、かつてマイムの口から吐息を零れさせた。

割りきった関係はもう消えたが、ほのかに余韻は残っている。それを楽しみつつも知らぬ振りをして仕事をすることは一種の快感を覚えた。

マイムは今現在の恋人に、燃えるような気持ちも、切ないような感情も抱いたことはない。所詮、恋愛ごっこの延長線だ。片方が別れを切り出せば、片方はあっさりと離れるに違いない。

痛みを伴う想いは他の男に抱いた。

「絢爛はやめておきましょう。祝宴でもやったわ」

「では白鷺はどうだろう。あまり難しくても苦労するのはマイムではないか」

「なんとかさせるのがあたしとあなたの役目じゃないの。宴はいつだったかしら」

「七日後だ」

「前言撤回、白鷺でいきましょうか」

ふとマイムの手が止まる。

一つの譜面の上で。

 

月恋。

 

月が一人の男に恋をした。

恋心は次第に募り、月は娘に転じて地上に降り立った。

ところが男は別に想う娘がいた。

月は自分の恋心を殺して男と娘の仲を取り持つ。

二人は夫婦となり、月は天に帰った。

だが、切なさのあまりだんだんと消えてゆく。

駄目だ、己の任は夜空を照らすことだ。

そう思い直して再び満ちてゆく。

それでもやはり、悲しみは身を欠けてゆく。

月が満ち欠けを繰り返しているのは、悲しい想いのせいである。

 

「それに思い入れでもあるのか」

顔を上げると、ミヨシノがにやりと笑った。

「別に」

「情緒はあるが華やかではないな」

「そうね」

結局、演目が決まったのはとっぷりと日も暮れた頃だった。

凝り固まった体をほぐすように伸びをすると、肩がパキポキと鳴った。

お疲れ、あまり根を詰めるなよ、と手を上げて遠ざかるミヨシノの後ろ姿を見送った後、マイムは再び譜面に目を落とす。

 

月恋。

 

ため息をついて髪を掻きあげた。

あの黒髪の男がチラリチラリと頭を巡る。帰ってきたリウヒを抱きしめて、涙を流したあの男が。

自分やカグラと同類だと思っていた。群れずに一人でいることを好み、愛も人も信じない、そんな人間だと思っていた。

だが、世間知らずのお坊ちゃんは確実に変わってきたらしい。そこにリウヒが笑ってしまうほどの不器用な口づけをした。シラギはそれでやられてしまったのだろう。

それをやっていたのがもし、自分だったらと思わない訳でもない。

別にシラギが好きだとマイムは思わない。ただ驚いただけだ。このあたしを通り越して、十五も離れている娘を見ているなんて。

「そうよ、ただ驚いただけよ」

声に出して言うと、虚しく静寂の中に響いた。

見て見ぬ振りをしてきた何かは、心の底に澱のように溜まっている。

あたしは何を誤魔化しているんだろう。

失恋しちゃった。

そう言って泣いたキャラのような素直さは、擦れてどこかへ消え失せてしまった。

****

 

 

楽しげに同僚たちがおしゃべりをする食堂で、キャラは黙々と夕餉を食べている。食べ終わったら、湯浴みをする前にもう一度部屋で勉強しよう。昇格試験は半年後に迫っている。これに合格すれば、やっと見習いを卒業できる。

キャラは、とにかく見習いを脱出したかった。というより、国王付きの女官になりたかった。だって、この国の王はあたしの友達なのだ。早く近くに行きたい。

それに、花見の宴を未だに根に持っている。

半年前、リウヒが行方不明になる直前。国王陛下が、トモキ経由で声をかけてくれた。

やっとお許しがもらえたから、あの愉快な連中と花見をするんだ。キャラもぜひ来て、と。

勿論、参加する気満々だったが、女官長のムゲンが断ってしまった。

「あの娘は、まだ見習いの身分でございます。とても陛下の前にだせるほどの教養をつけておりません」

久しぶりに、鍋で後頭部を殴られたような衝撃を受けたものだ。

「でも、ムゲンさま。あたしは陛下と友人なんです。一刻だけでいいから、参加させてください」

「それならば、精進して女官になることですね」

あのババア!

「ムゲンという女官長はすごいな」

リウヒも、無事帰ってきた時の宴で感嘆するように言った。

「王に立ってすぐに、キャラを召抱えたいといったら、仕事と私事は分けろと怒られた。あと、キャラの部屋に遊びに行こうと北寮にいった時も、陛下の来るところではないと追い返されてしまったことがある」

くそババア!

「それがお仕事なのよ」

マイムがクスクスと笑いながら、キャラの頭を撫でた。

「しっかりしている人がいなければ、この宮廷は無法地帯になってしまうわ」

その言葉に、少女二人は納得した。が、キャラはやっぱり焦燥感を持ってしまう。

仲間はずれは嫌だもの。早く、リウヒの、みんなの近くに行きたい。

「それでね、トモキさまがね…」

思わず顔を上げた。

同僚のネリが赤い顔をして、トモキが本を運ぶのを手伝ってくれた、と嬉しそうに語っている。

「いいなあー。やっぱ、お優しいわよね。トモキさま」

「あたしも本をいっぱい持ってうろうろしてみようかな」

みなで一斉に笑う。

「ごちそうさま」

キャラは席を立って、盆を下げに行った。

部屋に帰って勉強をしよう。こんなところで、のんびりしていられない。

リウヒの、みんなの、何よりトモキの近くに早く行きたい。

****

 

宴は思った通りの結果になった。

無数の臣下の挨拶を受けた国王は疲れ果て、舞を見ている内に船をこぎ出した。

「あの子はあたしの努力をいつも無駄にする」と美貌の舞踏長が怒ったとか怒らなかったとか。

「人が多すぎで、もう誰が誰やら分からなくなった」

翌日、リウヒは申し訳なさそうに宰相に謝った。

謝られたいのではない。早く相手を見つけてほしいのだ。

その日、宰相は甥に呼ばれた。話があるという。

「以前、旅をした者たちでもう一度、国内を回りたいのです」

黒い瞳で真っ直ぐ自分を見つめる。

ふと、昔を思い出した。あれは何年前になるのだろう。たった一人の肉親を亡くした少年は、同じ眼差しで見つめた。その時は何といったのだろう。

「シラギよ。お前、いくつになった」

口から出た己の声が、老人めいていて宰相は驚く。

甥は目を僅かに開いたが、

「三十三です」

素直に答えた。

そうか。あれはもう、二十年前か。大きくなったと感慨深くなるには、トウがたちすぎているな、と苦笑する。

「理由を聞こうか」

お前の心は分かっているが、念のために。椅子を立って窓辺に立つと、小鳥が慌てたように、枝の先から飛び立っていった。

「陛下はあれから、随分と塞ぎこんでおられます。少しでも環境を変えれば、御気分は変わられるのではないかと思いまして。それにもう一度、主の視点からの国をご覧いただければ、何かお気づきになるやかも知れませぬ。僭越ながらわたしを含めて、あの時のみなが同行すれば陛下は喜ばれるのではないかと、考えた次第でございます」

声色に必死さが籠っている。

変わったな。この男が集団で行動したいという。人っ子一人、寄せ付けなかった頃が嘘のようだ。シラギに見えないように、宰相は小さく笑った。

「分かった。お前の好きにやるが良い。三老にはわしから話をしておこう」

「ありがとうございます」

「ただし条件がある」

振り返って歩を進める。

「医師のナカツを同行させよ」

「かしこまりました、御許可を頂きありがとうございます。詳しいことが決まり次第、またご報告いたしますので」

「うむ」

失礼いたします、とシラギが退出する。

 

「さてさて」

冷めてしまった茶をすすると、宰相はゆっくりと身を背もたれに預けた。

時間はゆっくりと移ろってゆく。少しづつ、確実に戻れない道の先へ。

未来は現在になり現在は過去へと過ぎ、目の前にかざした手は、いつの間にかしわしわだ。

ああ、そうだ。まだ十二の頃のシラギが自分を見て何といったか。

秋の柔らかい木漏れ日を浴びながら、トロトロと宰相は昔へ思いを馳せる。

「なぜ一人だと、人は可哀そうだというのでしょうか」

黒髪の少年は、射抜くような黒い眼差しで言った。

「人との間に生まれるいざこざに巻きこまれる方が、よっぽど可哀そうなのに」

****

 

 

マイムは只今、右将軍宅で延々管を巻いている。

「別にね、絶賛しろとは言わないわよ。感じるのは人其々なんだから。だけどね、毎度毎度、寝るっていうのはどうかと思うの。それをリウヒったらなんて言ったと思う?クルクルヒラヒラ回っているのを見たら、眠くなってしまうんだって。そのクルクルヒラヒラさせる為にあたしがどれだけ…おかわり」

勢いよく差し出した杯は、そのままカグラに取り上げられて遠くへ置かれた。

「もうやめておきなさい。女の酔っぱらいはみっともないですよ」

「みっともなくて結構」

鼻を鳴らして、髪をかきあげた。目の前には自分の簪が三本、丁寧に並んで置かれている。

あたし、いつの間に簪を抜いたのかしら。

「どれだけ一生懸命やったって、認めてもらえないのは、やっぱり悔しい訳よ。でも、仕事だからやらなきゃいけないの。唯一の救いは、あたしはこの仕事が好きだってことね。嫌になることもあるけど、お酒があれば大丈夫―」

「付き合わされるこちらの身にもなってみろ」

その時、小さく扉が叩かれた。

「誰だろう、今時分」

シラギが腰を上げる。玄関先で何やら話しているようだ。

「多少なりとも不満なのが」

隣にいたカグラが微笑みながら、マイムの髪を梳いた。

「嫌になることがあれば、この胸に飛び込んでくればよいですのに。愛をこめて労わって差し上げますよ」

「不思議ね、白将軍さま」

マイムもにっこり笑い返した。

「あんたが愛とかいうと、とっても胡散臭く聞こえるの」

「減らない口ですね」

「お互いさまよ」

二つの減らない口は、静かに重なってすぐに離れた。

遠くに置かれた自分の杯に並々と酒を注ぐと、カグラが小さなため息をついた。

「まだ、飲む気か」

酒に口をつけたまま、顔を上げるとシラギが老人と女を連れていた。

「これはこれは。副将軍のタカトオ殿、モクレン殿ではないですか」

マイムも知っている。シラギの両腕と呼ばれる二人だ。

「お寛ぎの所を申し訳ありません。書類を届けに来ただけですのに、そこでタカトオ殿と鉢合わせしてしまいまして…」

波打つ紅の髪の女、モクレンが小さく頭を下げた。

「一人で抜け駆けをしようとしても、そうはいかん。この老人の眼は節穴ではないぞ」

元気な爺さん、タカトオが椅子を引いた。

「まあまあ、一懇。こんな美しい女性がいつもそばにいるとは、黒将軍がうらやましい」

カグラが蕩けるような笑顔を浮かべて、モクレンに酒を勧める。

その足を、卓下で思い切り蹴飛ばしてやると、カグラは痛みに眉を顰めた。

「恐れ入ります」

「よい年をすぎておるのに、中々嫁にいきませんのじゃ。男より剣術が好きと見える」

「タカトオ殿に心配してもらわなくても、想い人が振り向いてくれれば、すぐさま嫁にゆく」

「へえ、それは誰?」

好奇心丸出しの顔でマイムが聞くと、モクレンは間髪いれず

「シラギさまです」

と答えた。青竹を割ったような、妙にきっぱりとした声に、さすがのマイムも目を点にした。

「丁度、いい所へ来てくれた。実は、旅に出ようと思っている」

唐突な声に、その場にいた四人は一斉にシラギを見た。

「視察という名目で、陛下と共に国を回る。宰相の承認は得ている。勿論、カグラ、マイム、トモキ、キャラも一緒だ。以前のように働きながらという訳にはいかないし、大分窮屈な旅になるだろうが、カグラとマイムも来るだろう」

「期間は?」

「約二か月と見ている」

別に大きな問題がある訳ではない。

「行くわ」

「わたくしも同行します」

「それにしても、何でもっと早く言わなかったのよ」

マイムが文句を言うと、シラギも言い返した。

「良く言う。着た瞬間に酒を煽って、酔っぱらって、ずっと愚痴を言っていたのは、どこの誰だ」

「あらあ、どこの誰かしら」

都合の悪い話は、空とぼけるに限る。

 

変わったわね。

 

副将軍たちに、連れて行けとタダをこねられているシラギを見やる。

きっとリウヒの為を思って考え付いたに違いない。

ちらりと湧いた痛い感情は、知らぬ振りをして押し込めた。

 

「面白い人たちだったわね」

深夜、恋人の寝室で金色の髪を櫛毛ずりながら、マイムが思い出すように言った。

部下に愛され、慕われているからこそ、一年前のセイリュウヶ原の戦でリウヒたちは勝利を収めた。

「迷惑な顔をしつつも、邪険にせず向き合うあの男の本質は、誠実で優しいのですよ」

寝台に横になっているカグラは、肘をついている。

「どうしてかしら、白将軍さま」

マイムは首を傾げた。

「あんたが人を褒めると、ぜったい裏があるって思ってしまうの」

そのまましなやかに寝台に滑り込む。

「失礼な口ですね」

カグラの手が伸びてゆっくりと引き寄せられた。

「お互いさまよ」

二つの失礼な口は、静かに重なって吐息に変わった。

****

 

 

東宮に戻ったリウヒは、机につっぷして呻き声を出した。

「トモキ…。そんなに宮はわたしに結婚してほしいのか。宴まで開催されたのだぞ。何を考えているのだ、あの者たちは…」

苛立ったように卓に手をペンペンと叩く。

黒猫のクロが慰めるように、ニィと鳴いて前足をのばす。

「そんなことをおっしゃらないでください。みな陛下を思うからこそなのですよ」

「どこか遠くへ行きたい…」

ぽつりと呟いたリウヒは、むっくりと起き上った。

「いや、駄目だ、そんなことを言っては。わたしはここで成すべきことが山ほどある」

しかし、再び机に突っ伏した。

「一生連れ添うものを、そうホイホイと決められるか。もっと考える時間をくれ」

朝議も政務も一生懸命こなしている。だが、宮の関心事は誰が王の夫君に立つかに集中しているらしい。

「陛下、元気を出してください。あ、そうだ。シラギさまはどうですか」

言い方がまずかったらしい。リウヒは頬を卓に付けたまま、じろりとトモキを睨みつけた。

「お前までそんなことを言うのか」

そこに当人がやってきた。

「少しお時間をよろしいでしょうか」

「噂をすれば影が差すというのは本当なのだな」

「なにか?」

「なんでもない」

リンがお茶を注いでくれる。香高い睡蓮茶はふんわりした湯気を立てた。

「宰相と話し合ったのですが、二か月ほど国内視察に出てみてはいかがでしょう」

「視察?」

昔のように仕事をしながらという訳にはいかないが、王という目線で改めて自分の国を見直してみてはどうかとシラギは言った。

「しかし、シラギさま。あんなことがあった後に、少し危険すぎませんか」

「陛下はわたしがお守りする」

「シラギも同行するのか?もしかして…」

リウヒの目が輝いた。

「同行するのは、あの愉快な連中です。カグラ、マイムは了承しました。トモキも来るだろう」

「はい、勿論です。でも、キャラは…」

「ムゲンに断られた。本人も半年後に試験を控えているしな」

「ぼくがなんとかします」

鼻息荒くトモキが宣言した。そして慌てたように付け足す。

「みんなが揃わなければ、旅の面白さは半減しますよ。ね、陛下」

「ふうん」

こんなトモキも珍しい。

「嬉しいな」

またみんなで旅をする。あの青い空の下を、大切な人たちと一緒に。

先程のふてくされた態度はどこへやら、リウヒは嬉しそうに笑った。

「またみんなで旅ができるのか」

「準備があるので、今すぐにという訳にはいきません。出立は六日後位になります。それまで心安らかにお過ごしください」

「うん」

こっくりと頷いて、クロを抱き上げた。

****

 

 

話を聞いて、キャラはがっくりと肩を落とした。

「いいなあ、みんな…」

涙まで出そうになってくる。

「ムゲンさんには、ぼくが何とか説得するから。キャラがいないとみんながっかりするよ」

「でも…」

食堂で久しぶりに、トモキと会った。どうやら自分を待っていてくれたらしい。

「話があるんだ」

心臓が飛び跳ねた。同僚が上げる黄色い声を後ろに聞きながら、想い人の後をついてゆく。

そして、食堂近くの長椅子で国王陛下の視察の件を聞いた。

「すごく行きたいけど…」

みんなと一緒にいたい。トモキの傍にいたい。

だけど試験は半年後にあるし、ムゲンが許すはずがない。

昼休み、女官や煌びやかな衣装を纏った踊り子たちが笑いさざめきながら通り過ぎる。

横を向くと、トモキのきれいな横顔があった。

何度見ても胸がドキドキする。お腹の下辺りがキュウと切なくよじれる。

ずっと好きだった。これからも、この人以外の人を好きになるなんて、考えられない。

だけど、がんばって上にいかなければ、いつまでたっても距離は縮まらないのだ。

国王付きの男と、侍女見習いの女は不釣り合いだろうと、卑屈になってしまう。それでなくても、他のみんなは舞姫や、軍や、国を総ている。トモキも、何かと宮に頼られている。あたしだけが…。

「ねえ、キャラ」

トモキがいきなり振り向いて焦った。

「宰相さまにお願いして、陛下付きの女官にさせてもらおうか」

ぼくだって、試験を受けてリウヒさまの教育係りになったわけじゃないんだし、なしくずしにこの地位にいるわけだし。その申し出は、とても魅力的ですぐさま飛び付きたかった。

しかし、キャラは首を振る。

「ありがとう、トモキさん。だけども、自力でなってみせる。ムゲンさまは、意地悪でいっているわけじゃない、あたしの教育が足らないのは事実だもの」

「そうか」

ふんわりとトモキが笑った。

「キャラのそういうところ、好きだな」

ぽかんとしたあと、キャラは真っ赤になった。

ああ、駄目だ。ここでこの長椅子をトモキごとグリングリン回したいほど、あたし浮かれているー!

鐘がなって、休憩時間の終了を告げた。

「とにかく、旅の件はもう一度考えておいて」

少女の赤毛をポンポンと撫でて、トモキは去っていった。キャラも同僚たちが待ち構えている食堂に戻る。

足が地に着いてないみたいだ。こんな浮かれた気分で講義を受けられるのだろうかと不安に思いながらも、しばらくは幸せに浸りたかった。

****

 

 

「中々、ムゲンさんが強敵でして」

トモキが小さなため息をついた。

視察の旅は、三日後に迫っている。始めは、国王ではなくただの娘になって、あの時みたいに働いたりできると思っていたが、そうもいかないらしい。

「キャラも試験があるからと渋っているのですが、どうしても参加してもらいたいし」

「それは、キャラの為か?わたしの為か?それともトモキの為か?」

ニヤニヤ笑いながら肘をつくと、トモキは一瞬絶句して、それから顔を赤らめた。

「みっ…みんなの為です」

「ほーお」

「なんにせよ」

体制を立て直したトモキが咳払いをした。

「右周りに全ての村、町を回る予定となっております。触れは無用な混乱を招くため、だしておりません。しかし、噂が駆け廻れば、どの町村も総出で陛下を歓迎するでしょう」

「あんまりおおげさじゃなくていいんだけどな」

「それは仕方のないことだと諦めてください」

「海軍の船にも乗れるのだろう」

「ええ、カグラさまのご要望です。陛下がいらっしゃれば士気もさらに上がるだろうと」

「移動は徒歩か」

「いいえ、輿です」

「そんなの嫌だ」

「それならば、馬ではどうでしょう」

「なら、いい」

視察とやらは、正直いって窮屈だと思う気持ちもないではないが、それでもみなの心遣いがありがたかった。それぞれの仕事を放って同行してくれるのである。

「そして、同行者ですが、結局あの仲間とリンさんたちになりました。あと、荷物持ちに数人の下男が付きます」

「そうか。分かった」

「キャラのことですが」

若干顔を赤らめながら、トモキは言った。

「ギリギリまでがんばってみます」

「うん」

「もし、それでも駄目なら」

「うん?」

「強硬手段にでます」

****

 

 

帳面に書き連ねている手を休ませて、キャラは伸びをした。

「ねえ、まだ勉強するの?」

「早よ寝んと明日、しんどいで」

同室の友人たちの声にごめんね、とあやまる。

「ごめん、眩しいよね。でも先寝といて。この蝋燭が終わったらあたしも寝るから」

「ほんまにキャラは、ようがんばんなあ」

コンが感心するように、寝台に肘をついてキャラを見た。目の細いそばかすだらけの少女で、チャルカ訛りがある。最初、キャラは何を話しているのか分からなかった。

「あたし、今日の講義で体力使い果たしちゃった…」

トマリがコンの横から、心底疲れたような声を出す。六人兄弟の末っ子らしい。舌っ足らずの声と垂れ目が可愛いぽっちゃりとした子だ。

「ねえねえ、キャラ。トモキさまと今日も話していたじゃない。何だったの、あれ」

ネリが真剣に熱っぽく聞いてくる。本運びを手伝ってもらってから、トモキの名を頻繁に出すようになった。強い癖毛で毎朝髪をまとめるのに苦労している。

「ちょっと、ネリもみんなも、もうやめなさいよ。勉強の邪魔しちゃだめよ」

スオウがゆったりと歌うように言った。裕福な家の出だが、それを鼻にかけることもなく、この部屋のお姉さん的存在だ。亜麻色の美しい髪は、ネリがいつも羨ましがっている。

「お休み、キャラ。勉強頑張ってね。明日は起こしてあげるから」

「わあ、嬉しいー。ありがとう、スオウ。みんなもお休み」

お休みーと四人の声が重なって、しばらくすると静かな寝息が聞こえてきた。

本を見ながら字の練習をする。紙は貴重だから同じ字を何度も重ねる。帳面はもう真黒だ。

小学の時、もっとちゃんと勉強していれば良かった。

風向きが変わって、蝋燭の煙が目に入った。涙を擦りながら、キャラはひらすら筆を動かす。

「やっぱり許可は下りなかったよ」

「まあ…そうだよね」

昼休み、あの長椅子でトモキはキャラに言った。後ろでは同僚たちが見守っていることに多少の気恥かしさを感じた。

「だから、明日、出発前に…」

その時、鐘が鳴った。

「キャラ!今日の講義はナバナさまよ!」

「遅刻したら怒られちゃう!」

「ごめん、トモキさん、みんなによろしく!」

急かす同僚たちに慌ててキャラは腰を上げ、駆けていった。

あの時、トモキは何をいおうとしたのだろう。

旅に同行できないのは、すごくつらいけど、あたしはあたしのことをがんばろう。きっとリウヒたちは、それを待ってくれている。

 

「…ラ。キャラ」

「んー…」

もう明け方か。いや、まだうっすら暗いではないか。

「スオウー。まだ時間じゃないよー…」

「時間なんだよ、キャラ。早く起きて」

いきなり蒲団をめくられ、仰天した。更に目の前の人物を見て心臓が止まりそうになった。

「とっとっトモキさん!なんでこんなところに!」

「強硬手段。衣とかはリンさんたちが用意しているから、ほら早く」

「えっ?えええっ?」

寝起きの頭は、今の状態を理解してくれない。同室の友人たちも、飛び起きて目を丸くしてトモキとキャラを凝視している。

「だだだだけど、あたしは行けないんじゃ…」

「ぼくが全て責任をかぶるから。ほら、起き上がって。時間がないんだよ」

「いやいやいやいや!」

寝台に寝転がったままうろたえて、オロオロしているキャラを、埒があかないとみたのか、いきなりトモキが担ぎあげた。

「君たち、キャラの友達だね」

部屋の中をぐるりと見渡して、トモキが声を上げた。

「はっはい…」

「ムゲンさんに伝えてくれないか。キャラは国王付きの従者、トモキが恋い焦がれるあまり無理やり視察の旅に同行させた。お叱りは二ヶ月後に受ける、それまで見逃せ、と」

そして呆然とする友人たちを尻目にさっさと部屋から出た。瞬間に「キャーッ」「なにあれなにあれー!」と黄色い悲鳴が聞こえた。

キャラはトモキの肩に、丸太のように担がれたまま、まだ混乱していた。

大好きな人の前では、ちゃんとお化粧をして、きれいな衣も着て、最高の自分を見せたいのに!今のあたしときたら、寝グセで髪はボサボサ、寝着は乱れて、なに、これ目やにまでついているー!

それにそれに「恋い焦がれる」って…!

駄目だー。あたし、今ここで鼻血をだしてもいいですか!?

いや、でもそんな都合のいい話があるわけない。きっと嘘をついているのだ。

東宮近くになって、トモキは立ち止まってキャラを下ろした。

「ごめんね。びっくりしただろう。本当は言おうと思っていたんだけど、結局言えなくて…」

「ひどい、トモキさん」

真っ赤になりながら乱れた寝着を直した。

「いくら方便だからといって、恋い焦がれるなんて、そんな…」

「嘘じゃないよ」

キャラの手をひっぱりながらトモキが答えた。

「本当なんだ」

驚く間もなく、東宮の部屋に着いた。

「すごいな、トモキ」

すでに着替えも化粧も済ませたリウヒが茶を飲みながらゆったり笑った。

「侍女見習いを拉致してくるとは。ところでキャラが泣いているが、何か言ったのか」

 


 
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