No.117292

星降る夜に

まめごさん

この世界を、未だ数匹の亀と象が支えていた時代。
霧は濃く、森は暗く、神秘と信仰と迷信は絶えず、ただ空だけはどこまでも高かった頃。
忘れられた、彼らの物語。

世界観を共通させた短編連作「死者物語」です。

2010-01-08 12:55:50 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:1125   閲覧ユーザー数:1104

東のイラドア地方に奇妙な噂が広まった。

深夜、星の降る時刻に船を出すと、誰もいない漆黒の彼方から少女の笑い声が聞こえるという。

 

うっそうと茂る森の中を、ベスは黙々と歩いている。

腕の中にはほっそりと儚げな少女を一人、抱きかかえており、強い眼差しで前方を見据えていた。

「寒くはねえですか」

「平気よ」

だってベスの腕の中は温かい。とエリザは微笑んで回している腕に力を込めた。

「もうすぐ海に出ますんで、辛抱くだせえ」

「ええ」

ふわふわとした綿飴のような金色の髪が揺れる。

僅かな星明かりを捕えて輝くそれは、まるで自分を導くようだとチラリと思った。

 

「あなたの名前もエリザベスというの?」

五年前。

金色の髪を持つ新しい主(あるじ)は、澄んだ青い瞳でずんぐりとした縮れ髪の醜い少女を見上げた。

「そうでごぜえます、お嬢さま」

同じ年。同じ名。

そして同じ日に違う母親の腹から生まれた少女2人の容姿は雲泥の差だった。

月とすっぽん。美女と野獣。天使と悪魔。

神さまは酷なことをなさる、とべスは内心溜息をついた。

「ふうん」

美少女は考えるように人差し指をふっくらとした唇にあてて、首を傾げる。

その動作に思わず身構えた。

お金持ちで美人のお嬢さまは、対外性格が歪んでいる、と若干11歳のベスは今までの経験上学んでいる。

「じゃあ、これからあなたをべスと呼ぶわ。わたしのことはエリザと呼んでね」

ささくれ一つない白い手が、あかぎれだらけのくすんだ手を取る。

驚きで動けない新しい侍女に、エリザは微笑んだ。

まるでバラが開花したような笑顔だった。

「だって何だか気恥かしいもの。これからどうぞ、よろしくね」

 

それから2人はいつも一緒だった。

エリザはべスを全面的に信頼しており、ベスはエリザに絶対的な忠誠を誓っていた。

何人(なんぴと)たりともその間に入ることのできない親密感を、大人たちは少女特有のものだと理解し、時がたてばまた変わるだろうと認識していたが、そんなことは2人には失笑の対象にしかなり得なかった。

エリザはべスの風邪ひとつひかない健康な体がうらやましかった。

力持ちで小さなエリザなど軽々と抱えたし、器用に壊れた物を修復してゆく手つきはまるで魔法だった。なにより、優しい心根が大好きだった。

「わたしたちは、2人で1つよ」

ベスはエリザの儚い風情がうらやましかった。

病弱で華奢な体は保護本能をくすぐったし、ふと遠くを見るその仕草は腐敗した世界に置き去りにされた天使のようだと思ったりもした。

そして、醜い自分を初めて認めてくれた大切な人だった。

「きっと神さまは間違えて、おいらたちを分けてしまったんだすよ」

だって、わたしたちは同じ名前で、同じ年で、しかも同じ日に生まれた。

運命と言わずに何と言おうか。

少女たちはクスクスと笑う。

明るい太陽の降り注ぐテラスで、たゆう波音を背景にして。

 

勿論、幸せな時は永く続かなかった。

それはある日突然やってきた。

「お父さまが…領主の後妻になれって…」

イラドアの海軍提督を務めるエリザの父は、唐突にそう命令したという。

「お父(とう)が…庭師の所に嫁に行けと…」

宅で下男をしているべスの父も計ったかのように命じた。

年頃になった娘たちは嫁に行かねばならない。

拒否権などあるわけがない。親の命は絶対であり、子供はその所有物でしかならない。

嫁いで今度は夫というものの所有物になるのだ。

2人は泣いた。

泣いてどうにでもなるものではないと分かっていても、泣いた。

わたしたちは、ただ一緒にいたいだけだ。

エリザが、ベスが、他の誰かの物になるなんて許せない。

泣いて泣いて、目が溶けそうになった頃、エリザが嗚咽をあげながら言った。

「ねえ、ベス。お願いがあるの」

そのお願いを聞いて、ベスは目を見開いた。

「勿論ですだ、お嬢さま。おいらも今それを言おうとしていた所で」

 

浜辺に出た。

静かな波音と砂を踏む足音だけが響く。

「そろそろ星の降る時刻ね」

「この季節は漁に出る船もねえで、静かなもんです」

用意していた小舟にエリザを下ろすと、ベスは舳先を押した。

軋んだ音を立てて、それは浪間へ滑ってゆく。

櫓を取りベスは沖へ向かってこぎ出した。

対岸の灯台を目印にすれば、沖に出る。

 

「ああ、ベス。見て」

上を見上げていたエリザが、感嘆したように声を上げた。

闇間に縫い付けられた無数の星たちが、一つ、また一つと零れ落ちてゆく。

「なんて奇麗…」

遠慮がちに降っていた小さな光はその内、先を競うように次から次へと降り出した。

遥か曲線を描いてたなびいては、山際の果てへと消えてゆく。

「東国では月見という風習があるそうですでんすが」

ベスも手を止めて、視線は空に釘付けだった。

「この国の星見には敵わねえですだ」

「そうね」

そしてこの星降る夜に。

「お嬢さま、ここいらで」

「ええ」

2人は死ぬ決意をした。

エリザは白い手を伸ばして、ベスの頭を引き寄せる。

そして静かに額同士を付け、目を閉じた。

「神の御許で会いましょう」

ベスは無言で小さな体を抱きしめて、そのまま海に飛び込んだ。

水飛沫と気泡の音の後、黒い大海は全てを呑みこんで静寂を敷く。

 

東のイラドア地方に奇妙な噂が広まった。

深夜、星の降る時刻に船を出すと、誰もいない漆黒の彼方から少女の笑い声が聞こえるという。

クスクスと、睦みあうような幸せそうな笑い声だという。

 


 
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