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No.1171128
新人さん
1903年のライト兄弟の成功から3年後、1906年にロンドンのデイリー・メール社が、「世界初の英仏海峡(ドーバー海峡)横断飛行を達成したら 1000ポンド」という賞金を掛けたそうだ。そして 1909年の7月に、3機が初横断を競ったという。賞金を手にしたのはブレリオⅥに乗った フランスのルイ・ブレリオだった。 7月25日、夜明け前に起きたブレリオは天候悪化の兆しも顧みず 明け方の4時35分に単身カレーから離陸したらしい。飛行中にエンジンのオーバーヒートに悩まされたが、幸運にも にわか雨でエンジンが冷やされて無事だったという。なんとかイギリス側まで海上を渡り切り、強風で脚とプロペラを破損しつつも、約34km(津軽海峡は 最短で亀田半島の汐首岬から大間崎までは17.5km )を36分55秒で飛行してドーバー城下の草地に軟着陸したそうだ。当時は航空機でイギリスに入国することなどは、きのうの帯広と同様に想定外の出来事で 法律もなかったため、困ったイギリスの税関当局者は 国境を越えて来たブレリオ XIを「ヨット」と見なして入国手続を行ったという。デイリー・メール社の懸賞金を獲得したブレリオは、フランス政府から勲章を授与され、出発地はブレリオ海岸と命名されている。 ブレリオ XI には各国から100機を越える注文が殺到し、ブレリオの工房は繁忙を極めたそうだ。量産型のブレリオ XI は、随所に改良が施されて スポーツや記録飛行用と軍用に生産された。1910年にフランスとイタリアは軍用機として運用し、1912年にはイギリスでも採用された。1914年からの第一次世界大戦初頭では、フランス、イギリス、イタリア、セルビアなどの航空隊で用いられたそうだ。 ブレリオⅥの機体は後部が骨組みだけなのが哀しい。
2025-07-25 14:34:51 投稿 / 978×734ピクセル
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1903年のライト兄弟の成功から3年後、1906年にロンドンのデイリー・メール社が、「世界初の英仏海峡(ドーバー海峡)横断飛行を達成したら 1000ポンド」という賞金を掛けたそうだ。そして 1909年の7月に、3機が初横断を競ったという。賞金を手にしたのはブレリオⅥに乗った フランスのルイ・ブレリオだった。 7月25日、夜明け前に起きたブレリオは天候悪化の兆しも顧みず 明け方の4時35分に単身カレーから離陸したらしい。飛行中にエンジンのオーバーヒートに悩まされたが、幸運にも にわか雨でエンジンが冷やされて無事だったという。なんとかイギリス側まで海上を渡り切り、強風で脚とプロペラを破損しつつも、約34km(津軽海峡は 最短で亀田半島の汐首岬から大間崎までは17.5km )を36分55秒で飛行してドーバー城下の草地に軟着陸したそうだ。当時は航空機でイギリスに入国することなどは、きのうの帯広と同様に想定外の出来事で 法律もなかったため、困ったイギリスの税関当局者は 国境を越えて来たブレリオ XIを「ヨット」と見なして入国手続を行ったという。デイリー・メール社の懸賞金を獲得したブレリオは、フランス政府から勲章を授与され、出発地はブレリオ海岸と命名されている。 ブレリオ XI には各国から100機を越える注文が殺到し、ブレリオの工房は繁忙を極めたそうだ。量産型のブレリオ XI は、随所に改良が施されて スポーツや記録飛行用と軍用に生産された。1910年にフランスとイタリアは軍用機として運用し、1912年にはイギリスでも採用された。1914年からの第一次世界大戦初頭では、フランス、イギリス、イタリア、セルビアなどの航空隊で用いられたそうだ。 ブレリオⅥの機体は後部が骨組みだけなのが哀しい。