No.113439

アリセミ 第九話

 なんだかホントにカップル成立してしまった武田正軒(たけだ せいけん)と山県有栖(やまがた ありす)。
 周囲の目も気にせずバカップルという災厄を辺りに振り撒き始める!

2009-12-21 02:58:27 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:1239   閲覧ユーザー数:1110

 

 

 

  第九話 甘い

 

 

 放課後。

 

有栖「全員 揃ったな。それでは稽古を始める」

 

女子剣道部一同「「「「はい、主将ッ!」」」」

 

有栖「では素振り50万回」

 

女子剣道部一同「「「「多いッッ!!!!?」」」」

 

 修養館高校 女子剣道部の練習風景。

 練習開始 初っ端からの部長のムチャぶりに、部員全員が悲鳴を上げる。

 

部員1「ちょっと待ってください主将!多い、多すぎですよ素振りの回数!何処の地獄の猛特訓ですかッ!?」

 

部員2「そうですよ!素振りだけで今日が終わっちゃいます!」

 

有栖「あ……」

 

 有栖は ややあって部員たちの言わんとするところを理解し、

 

有栖「そ、そうだな、では素振り5回」

 

女子部員一同「「「大暴落したァーーーーーーーーーーッッ!!?」」」」

 

 本来であれば、有栖がもっとも気を引き締めるであろう剣道部の稽古。

 にもかかわらず まったく身が入らないのは、昼休みの屋上での密事を、今なお引きずっているからだった。

 男性の肉体に、隙間もなく密着し続けた この唇。

 間違いなくアレが、山県有栖のファーストキスだった。

 思い出すだけで頬が紅潮し、頭から湯気が昇る。

 

副部長「ちょっと有栖、一体どうしたのよ?」

 

 あまりにもトーヘンボクな部長を見かねて、副主将・山本知恵 見参。

 

副部長「いつもの気迫が まったく出てないじゃないの。しっかりしなさいよ、IH予選に向けて気を引き締めろって言ったのはアナタでしょう?」

 

有栖「む、無論だ、優勝を目指してビシバシしごいていくぞ。ボサッとしているヤツは空気イスだ!」

 

 などと威勢のいいことを言うものの、数秒もすると正軒との“アレ”を思い出して口元がニヘラと緩むのだ。

 正軒の味を残した唇に触れては、悩ましげな溜息をついている。

 

副部長「ダメだありゃ、完全に使い物にならなくなってる」

 

部員3「どーしたんですかね主将?」

 

部員4「あんな主将見るの初めてですぅ……」

 

 部員たちも、我らが部長の体たらくを目の当たりにし、当惑、というよりも不安におののいている。

 あんまりにも滅多にないものを見ると「地球が終わるんじゃないの?」とか勘繰りたくなる。

 

副部長「ま、でも私は、有栖が ああなった原因がわかるけどね」

 

部員5「もしかして、あのセーケン君ですか?」

 

部員6「あの主将の彼氏の」

 

 既に彼氏確定化している正軒。

 

副部長「実はさ、有栖のヤツ、昼休みに どっかいそいそと出掛けてたのよねー。…一人分にしては あまりにデカすぎる弁当包みをもって!」

 

部員7「愛妻弁当ですかッ?」

 

部員8「手作り、手作りッ?」

 

 部員たちはキャーキャーと沸き立つ。

 

副部長「そして あのコは……、昼休みが終わっても、その次の授業が終わっても帰ってこなかった」

 

部員9「それってまさか!!!」

 

部員10「愛妻弁当を食べさせた ついでに自分まで食べられちゃったってことですかッ!?この神聖な学び舎で!!」

 

 

有栖「何を言うとるかァーーーーーーッ!!」

 

 

 バシン!バシン!バシン!

 

副部長 他「「「痛ぁーい!」」」

 

 さすがに聞き捨てならんセリフを吐かれたのでトリップを中断し、不埒な部員どもに制裁をくわえる有栖部長。

 防具も着けない脳天に竹刀の直接攻撃を受けた部員たちは、頭を抑えて悶絶する。

 

有栖「お前ら、色ボケするのも大概にしろ!校舎内で そんな……、ヒワイなことが、あるはずがないではないかッ!」

 

副部長「じゃあ、午後の授業サボってなにしてたのよ?」

 

有栖「うっ……」

 

 言えない、まさか1,2時間中ずっと一心不乱にベロチューしてたなんて。

 

部員11「でも、副主将てば、なんで そんなに主将の動向に詳しいんですか?」

 

副部長「え?だって私コイツと同じクラスだもん、しかも三年連続」

 

有栖「腐れ縁というヤツだな。おまけに出席番号も近いんだ、双方苗字に『山』が付いてるから」

 

 部長・“山”県有栖、出席番号47番

 副部長・“山”本知恵、出席番号48番

 

有栖「おかげで なんかの行事の時には大抵コイツが後ろにいるんだ。身体測定なんか結果が全部コイツに筒抜けだぞ」

 

副部長「それはむしろ私の方が迷惑よ、アナタの巨乳の発育過程を見守らされる こっちの身にもなりなさい。…バスト値が、去年計ったのと6cmも違うって聞いたときは死にたくなったわ」

 

 とまあ ことほどさように副主将・山本知恵は、この上ないほど主将の行動に精通しているわけだが。

 

副部長「でも、普通の情報収集だって怠りなくやってるわよ?私の調べたところによると、アナタの彼氏の武田正軒君も、アナタと同じ時間、授業フケてたみたいじゃない?」

 

有栖「ぐぬ……ッ」

 

副部長「さあ有栖!彼氏とどんなエロいことをしたのか、洗いざらい白状しなさーいッ!!」

 

 副主将は目の色変えて有栖に迫る。その目の色が、なんだかあまりに妖怪的で、有栖は思わず仰け反りそうになったが……、

 

有栖「エロいことなどしてなーいッ!!」

 

 すべての勇気を総動員して このゴシップ好きを押し返した。

 ウソはついていないはずだ。

 有栖判定ではエロいということは、いわゆるコウノトリさんにお越しいただくような事態のことなので、チューでは どうがんばっても赤さんはでいないから、有栖にとってはセーフなのだ。

 

有栖「だから私は、お前らが思うような いかがわしいことなどしていない!断じて潔白だ!この身 清いままだ!」

 

副部長「じゃあキスもしてないって言うの?」

 

有栖「うっ」

 

副部長「今 詰まった!キスはしたんだ!立派にエロいことしてたんじゃん!」

 

有栖「キ、…いや、接吻はエロくないだろう!」

 

副部長「やり方によるわよ、さあ、彼氏と どういうキスをしたのか言ってみなさい」

 

有栖「そうなのか?えーとだな…………」

 

 …………………。

 どすッ!

 

副部長「ぐふぅッ!?」

 

部員12「副主将のみぞおちに手加減なしのナックルアローッ!?」

 

部員13「しっかりしてください副主将!めでぃっく!めでぃっく早くーーーッ!!」

 

 さすがに立腹してした有栖は、副主将をワンターンキルすると さっさと道場の隅に移動し、稽古に没頭してしまった。

 

副部長「いたたたた…、キスの話を聞こうとしてキルされてしまうとは、有栖もやるわね」

 

部員14「副主将も案外タフですよね」

 

副部長「しかしまあ、予想以上に手応えのある会話になったわ。石頭の有栖だけれど、もう一息で堕とせるんじゃないかしら?」

 

 今川ゆーなの敗北で潰えたかに見えた『男女交際禁止』の廃止。それがこのような形で望みが繋がるとは お釈迦様でも思うまいよてな感じだが、どんな形であれ望みがあるなら突き進む!

 

副部長「なんとしてでも有栖を味方に引き入れて、規則を廃止に追い込むのよ!そーすれば私たちにもバラ色の学園生活が!」

 

部員15「うわー、副主将 必死ー」

 

部員16「高校三年間ずっと彼氏なしだもの、そりゃ焦りもしようってもんだろうけど…」

 

副部長「うるさいわね、規則が廃止されなきゃアンタたちも明日は我が身と心得なさい!」

 

 それを聞いて、副部長へ哀れむ視線を送っていた一年生、二年生もピシリと身が引き締まる。誰だって「ああはなるまい」と思っているのだ。

 

部員17「でもでも、ふくぶちょおー」

 

 部員の一人が挙手して発言。

 

部員18「どおして ふくぶちょおは、そんなにも主将を味方にしようとしてるんですか?反対してるのって主将だけじゃないですか、多数決で押し切ればいいのにー」

 

部員19「たしかに、主将がどんなに納得していなくても たった一人ですよ、そんなの無視して問題ないんじゃないですか?」

 

副部長「……フッ、バカね、アンタたち」

 

 副主将・山本知恵は、木枯らしのような侘しい微笑を浮かべる。

 

副部長「本当にバカね、アンタたち」

 

部員20「二回も言われたッ?何なんですか一体ッ?」

 

副部長「アンタたち、敵は有栖一人だけだと思っているの?」

 

部員21「え?」

 

 意味ありげな発言に、集う女子部員たちは一様に首を傾げる。

 

副部長「いい、ウチの部はこれでも歴史と伝統のある部なのよ?私たちの前には沢山の卒業生がいる、三年間 律儀に『男女交際禁止』の規則を守ってきた卒業生たちがね」

 

部員22「はっ?」

 

 剣道部に限らず、運動部の縦割り社会の厳しさは いまさら語るまでもない。

 名門である修養館高校 女子剣道部も、いや名門であるからこそ、卒業した元部員たちによって『OB会』が結成され、後輩たちが部の伝統を汚しはしないかと監視の目を光らせているのだ。

 

副部長「規則の廃止に関しては、有栖なんかより そっちの方が何倍も厄介な障害なのよ。考えてもみなさい、自分たちが律儀に守ってきた規則から、後輩たちが解放されるのを見て面白いと思う?」

 

部員23「お、思いません……!」

 

部員24「私だったら何が何でも阻止しようとする…!」

 

 ああ人間のあさましさ。

 

副部長「そこで、よ。私たちには、規則を廃止するに当たって卒業生のお姉さま方を黙らせるような『何か』が必要なの、その『何か』こそが有栖なのよ!」

 

部員25「な、なんですとッ?」

 

副部長「ウチの剣道部はね、全国常連とか言われてるけど、まだ一回も得たことのない栄冠があるの。……優勝よ。ウチの剣道部は創設以来、実は まだ一回も全国大会で優勝したことがないの」

 

部員26「そ、それはつまり……ッ?」

 

副部長「そうよ、今年のインターハイ、何が何でも私たちの手で全国を取るのよ!その実績をもって、規則廃止にイチャモンつけてくるであろうOB会を黙らせる!」

 

 と、副主将はクーデターを画策する革命家のような情熱で語った。

 運動部で先輩に反逆するというのだから、既に失敗すれば命はない危険行為だ。

 

部員27「でもでもっ、本当にできるんですか?だって、ウチの部、一回も全国優勝してないんでしょ?」

 

副部長「私は可能だと思う、有栖の力さえあれば」

 

女子部員一同「「「「「はっ!?」」」」」

 部員全員の目が、道場の隅で素振りする主将・有栖へと集まる。

 

副部長「今年の剣道部は、本当に戦力が揃っていると思うの。……努力型で、すべての状況で勝つことのできる有栖と、天才型のゆーなちゃん、この二人が揃えば優勝も夢じゃない!」

 

部員28「それで副主将は、色々 小細工してまで主将を味方に引き入れようとしてたんですかッ?」

 

副部長「小細工言うな」

 

部員29「ただ部を変えるだけじゃなく、そんなに遠くのことを見通して!」

 

 女子剣道部において『参謀』の異名をとる副主将・山本知恵。

 その能力は試合の中だけに留まらず、「尊敬する人は秋山真之と真田昌幸」という女子高生としては いかがなものかと思われる口癖が示すとおり、権謀術数を駆使して敵チームの内情を見抜き、長所を潰して短所をえげつなく暴き、勝利をもぎとる彼女の智力は、まさに部の参謀役として欠かせないものだった。

 その勝つための手段を選ばなさっぷりは、既に先日の有栖vsゆーな戦で見たとおりである。

 

副部長「だから 有栖には、なんとしても彼氏とくっついて私たちの側について もらわなきゃ困るのよ!……もしそうならなかったら、どうなると思う?」

 

部員30「ど、どうなるんでしょう?」

 

 部員たちは唾を飲み込む。

 

副部長「有栖が私たちと意見を同じくしない限り、規則に従うということだから彼氏もちの有栖は部を辞めることになるわ。そうなったら最悪よ、今年のIHは優勝どころか、予選抜けも危うくなる」

 

部員31「そんなに違うんですかッ!?」

 

副部長「違うのよ!有栖の実力はそんぐらいなのッ!………それでよ、OB会のお局たちが、現部長が男作ったせいで予選敗退したって耳にしたらどうなると思うッ?」

 

 想像もしたくない。

 

副部長「来るのよ!OBの人たちはお節介 満載なんだから、『弛みきった後輩に喝入れちゃる』なんて いらん親切心でワザワザ仕事や大学の合間を縫ってやってくるの!職場で溜まったストレスを、後輩である私たち相手に発散しに来るのッ!」

 

部員32「なんたる迷惑大艦隊!」

 

副部長「そうなったら私たちの学校生活、バラ色どころか真っ黒よ!真っ黒に塗りつぶされるわよ!どうわかった?私たちの仲間に有栖を引き入れることの重要性を!」

 

 部員たちは全員一致で首を縦に振るのだった。

 なにやら彼女らの命運は、有栖の行動ひとつに懸っているらしい。

 

 

             *

 

 

 で、その当の本人である有栖はというと―――、

 

有栖「…………ふぅ」

 

 素振りを続けているものの、まったく気合いがこもっていない。

 ただ惰性で竹刀を振っているだけであった。もしも一ヶ月ほど前の有栖が、今のこの自分の体たらくを見たら、大激怒して彼女から竹刀を奪い取ったであろう。

 が、そんな鋼鉄の剣道少女は今は無く、ここにいるのは一人の恋する乙女なのである。

 

有栖「………………」

 

 部員たちから散々に冷やかされた末に考えてみる。

 

 自分は正軒のことが好きなのか?

 

 きっと好きなのだろう、あんな熱烈な口付けを交わした今、自分に気持ちに無意識ではいられない。

 自分が正軒の何処が好きなのかを考えてみる。

 試合の日まで つきっきりで稽古してくれた親切さ。

 古流を極めた武術家としての、尊敬すべき強さ。

 天賦の才と、それにまつわるジレンマに付け回される、天才ゆえの苦悩。

 そして、優しい。

 どんな時でも正軒は彼女のことを助けてくれる。

 

有栖「…いいトコだらけではないか」

 

 キャーッ、と竹刀をブン回す有栖。まあアバタもエクボという言葉もあるが。

 とにかくも有栖は この気持ちに気付いてしまった。

 気付いてしまった以上、何もしないというのは山県有栖らしからぬことではないのか。

 だとすれば、これから自分がやるべきことは………。

 

副部長「………ねえねえ、有栖」

 

 副主将・山本知恵が、おっかなびっくり接近してくる。

 

副部長「有栖、ちょっと話したいことがあるんだけど……」

 

有栖「山本、実は私からも大事な話がある」

 

 有栖は決然と、古き衣を脱ぎ去るような晴れやかな顔で言った。

 

 

有栖「私は、剣道部を退部する!」

 

 

副部長「ええええええええええぇぇぇぇぇッッ!!!?」

 

 有栖を部に留めるために説得しようとした矢先、もっとも回避したかった最悪の展開に剣道部一同は絶叫。

 

有栖「その理由は、もはや言うまでもないと思う」

 

副部長「ちょっと待って有栖!…だからね?アナタが辞めることないじゃない?規則の方を変えてしまえば……!」

 

有栖「『剣道部在籍者の男女交際を禁ずる』。その規則を守り、皆と対立までしたのは他ならぬ私だ。その私が みずから規則を破ってしまったことは遺憾なことであり、何らかの責任はとらなければならないと思う」

 

副部長「イヤだから!それが私たちにとっちゃ非常に困る……!」

 

有栖「私はその責任を、部を去ることで まっとうしようと思う。山本、後は頼んだぞ。これからは お前が主将として部を引っ張っていってくれ」

 

副部長「ムリよーッ!コラ!待ちなさい有栖!アンタ一人だけ幸せになる気かーッ!」

 

 半狂乱になる副主将を意に介さず、有栖は既に我が道を邁進せんとする。

 

有栖「えっと、そこの お前、たしかお前は正軒と同じクラスだったな?」

 

二年部員「はひっ、ボクですかッ?」

 

 ボクっ子?

 

有栖「まだ正軒が学校に残っているか わかるか?」

 

二年部員「はあ…、ボクが教室出るときは、グレートとかと『ロードトレーラーだッ!!』って言って遊んでましたから、まだ帰っていないんじゃないかと……!」

 

有栖「そうか、ありがとう!」

 

 礼を言い終えるや否や、脇目も振らず有栖は駆け出していく。

 

副部長「イヤーッ!待って有栖!その幸せを私たちにも分けてーッ!」

 

部員33「私たちの青春が真っ黒にーッ!」

 

部員34「主将、カムバーック!」

 

 部員たちの悲鳴だけが剣道場に残った。

 

 

           *

 

 

 大急ぎで道着から制服へと着替え直し、更衣室から出る。

 途端に駆け足になった。目的の人へ一秒でも早く、逸る気持ちを抑えきれない。

 心に決めたら、足踏みなどはしない有栖だった。

 問題は、彼女の求める あの人が、まだ学校にいるかどうか。帰宅部の彼が放課後も学校に残っている可能性は低い。しかし帰っていたら帰っていたで、明日になれば確実に また会えるのだが、今の有栖に それまで待てというのは酷過ぎる。

 

有栖「こんな悶々とした気分のまま一日も過ごせるかッ!」

 

 抱えてしまった心の炎。これを正軒に投げつけるまで、有栖は自分自身の思いにジリジリ胸を焼かれることになる。

 まだいてくれよと祈りながら、とりあえずは正軒の教室に走る有栖であったが、彼女がそこへ行く必要は すぐになくなった。

 

有栖「えっ?」

正軒「おっ」

 

 たどり着くまでもなく、有栖は正軒との遭遇を果たした。

 剣道場と校舎を結ぶ渡り廊下、正軒はそこで腰をかがめてケータイいじくっていたのだった。

 

有栖「正軒、何故ここに?」

 

正軒「先輩こそ、部活もう終わったのか?」

 

 正軒がiphoneをスリープ状態にした。まるで何十分も前から、ここで誰かを待っていたかのようだった。

 

有栖「……もしかして、私のことを待っていたのか?」

 

正軒「うぐっ…」

 

 行動を見抜かれたのがカッコ悪かったのか、正軒の顔つきに苦味が浮かぶ。

 しかし、彼もまた彼なりに思うところがあるのか、すぐさま気持ちを切り替えて、

 

正軒「そ、そうだよ、先輩を待ってた」

 

有栖「うあ…」

 

 飾り気なしの言葉に、有栖はボアンと沸騰する。

 

正軒「せ、先輩こそ、部活が終わるには まだ早すぎるんじゃないか?もしかしてサボりかよ?」

 

有栖「にゃうっ…」

 

 有栖もまた痛い所を突かれて表情が歪む。だがしかし………。

 

有栖「そのだな…、剣道部は、辞めてきた」

 

正軒「辞めたッ?」

 

有栖「お前なら わかるだろう。…それより行くぞ!ここで待っていたということは、一緒に帰るつもりだったんだろう」

 

正軒「いやまあ、そうだけど。…それより………!」

 

有栖「いいから!」

 

 有栖は、正軒の手をとると なかば強引に引っ張っていく、恐らく二度と戻ることはないであろう剣道場に背を向けて。

 

 

               *

 

 

正軒「あのぅ…、ホントによかったの、先輩?」

 

有栖「いいんだ!それが一番スジの通ったことだと私が判断したんだ!」

 

正軒「でもさあ……」

 

 校舎内を進む間、上る話題はそのことばかりだった。

 

 女子剣道部では、恋人を作った部員は退部しなければならない。

 そういう規則があるのを正軒は無論知っている、知っているからこそ この一週間 有栖の特訓に協力してきたわけだが。

 だから有栖が退部したと聞いたとき、それは自分と恋人関係になったからだとすぐに察することができた。有栖は自分のために大切な剣道を捨てたのだ、と思うと、何か取り返しのつかないことをしてしまったという気がして、平静でいられなくなる。

 

有栖「何をウジウジと。気にするな、大したことではない!」

 

 有栖は叱り飛ばすように言う。

 

有栖「そうだ、こんな話がある。私のお母さんのことだがな…」

 

正軒「お母さん?」

 

 正軒は、数日前、有栖の自宅に訪問したことを思い出す。

 有栖の母親は、異様に若いということを除けば、何処のマンションにも必ずいそうな ありふれた専業主婦だった。

 

有栖「私のお母さんも剣道経験者なんだ」

 

正軒「マジで?さすが剣道一家」

 

 祖父、父、兄と男家族全員が段持ちである山県家、これで母親まで経験者となれば いよいよ あの家族に死角はない。

 

有栖「でもな、お母さんは お父さんと結婚したときに、剣道をスッパリ辞めたんだ」

 

正軒「うそっ」

 

有栖「本当だ、女たるもの家庭に入れば家事に徹すべし、習い事に現を抜かしてはいけない、という おばあちゃんの教えでな。だから私は、お母さんが竹刀を持っているところは一度も見たことがない、修一お兄ちゃんや健二お兄ちゃんも同じだと思う。そして お母さんの娘である私も、同じ教育を受けてきた」

 

 何処か照れるように、そして誇らしげに言う有栖だった。

 

有栖「家事を徹底的に仕込まれたのも、この学校に推薦ではなく試験を受けて入ったのも、お母さんの方針だ。剣道だけに頼った生き方はするな、と」

 

 なんだか異様に古風だな、と正軒は舌を巻く。

 そりゃ昔の電化製品のないような時代は、家事というのは一級の重労働で、それを一手に引き受ける主婦には他のことをやる余裕なんてなかったろうけど。

 

有栖「まあ だからな、私も好きな男のために剣道を辞めるのは何でもないということだ」

 

正軒「くあっ……」

 

 そう真正面から言われると、激烈に照れくさい。

 やっぱり自分は先輩と付き合うことになるんだ、という事実が、正軒の胸にトキメキと、後戻りのできない おっかなさ とを渦巻かせる。

 

有栖「安心しろ」

 

 有栖はマジで不安を消し飛ばすように眩しく笑う。

 

有栖「恋人同士になると決めたからには、一念発起してお前 好みの女になってやる。外見でも内面でも好きな要望を出すといいぞ」

 

 などと物凄くトキメクことを言ってくれる先輩。

 お前好みの女になるなんて…。いっぺん惚れ込んだら トコトンつくすタイプの女なのかもしれない。

 しかしイキナリ好きな要望を出せといわれても、正軒は幸せながらも返答に困ってしまう。

 

正軒「俺の好みって…………」

 

 

 ネコミミ?

 

正軒「イヤイヤイヤイヤ………」

 

 なんだろう、今 脳裏に浮かんだ強力なフレーズは?正軒は、自身の深層心理にひそむ無形の欲望を垣間見た。

 

有栖「どうした正軒?言葉を詰まらせて、…何でも言っていいんだぞ?」

 

 有栖は、しつこく正軒の好みを尋ねてくる。

 

有栖「言葉遣いとかも改めようか?もう少し女らしい方が お前も いいだろう?」

 

正軒「言葉遣い…………」

 

 

 語尾がニャー。

 

 

正軒「違ーーッう!!俺はそんなこと望んでない!俺はいたってノーマルだ!去れ!俺の中の悪魔よッ!!!」

 

有栖「どうしたんだ正軒ッ?落ち着けッ!」

 

 有栖は、いきなり校内で乱心しだした彼氏に当惑しきりだ。

 ひとしきり混乱して やっと落ち着きを取り戻した正軒であったが、それまでの見苦しさを取り繕うように、次のようなことを言う。

 

正軒「ま……、まあまあ、そんなにムリして自分を変える必要なんてないよ先輩。そのままでいいんだ、だって俺は、ありのままの先輩に…」

 

 

正軒「惚れたんだからさ」

 

 

有栖「正軒……!」

 

 ガシッと抱き合う二人、公共の場で。

 

有栖「好きだ、正軒!」

 

 不幸になればいいのに、…いや失礼。

 かようにラブラブをこじらせた二人が、もはや周囲の手に負えなくなるほどのバカップルへと完成を見る矢先、もはやコイツらを止めることは誰にもできないかと思われたときである。

 事件は起こった。

 

 

         *

 

 

正軒「………ん?」

 

 一緒に下校しようとする二人が校門までさしかかったところで、なにやらガヤガヤと人だかりが できているのに遭遇した。

 人だかり。

 その構成員は、当然ながら修養館の生徒たちである。

 

正軒「……先輩、なんか心当たりある?」

 

有栖「いや、だがもしかして、私たちのことが もう広まったとか…?」

 

正軒「まさか!たかだか高校生の色恋が、騒ぎになることなんて………………」

 

 ………ありえる。

 正軒自身はともかく、山県有栖の方は校内で五指に入る美女であり、でありながら これまで浮いた噂の一つもないという奇跡のような存在だったのだ。

 その処女雪に、ついに足跡をつける一人の男が現れた。

 スキャンダルにもなろうというものだ。

 

正軒「先輩、どうする?引き返して裏門から出て行こうか?」

 

有栖「何を言う!私たちは互いの気持ちに素直になっただけで、やましいことなどしていない。それなのに何故コソコソする必要があるのだ!」

 

 そりゃまー そーなんですけど。

 引く気のまったくない有栖に、正軒は観念して一緒に校門をくぐることにする。こーなりゃヤケさ、時の人にでもリア充でもなってやる、先輩みたいな いい人を彼女にできた有名税さ、ああそうさ。

 ……と、恐れず一歩を踏み出すと。

 

グレート「アレ、タケちゃんじゃないですか?」

 

 群がる人ゴミの中に、正軒の友人・変態王 小山田グレートの姿があった。

 友だちである正軒と、その隣にいる有栖を見てギョッと目を剥く。

 

グレート「何々どーしたの、タケちゃん有栖部長と並んで下校ッ?どーいうことッ?まさか二人は……!」

 

 あー、と苦笑する正軒。

 

正軒「見ての通りッス」

 

有栖「私と正軒は恋人同士になることになった、よろしく頼む」

 

グレート「スクープ!スクープだーッ!修養館のアマゾネス軍団、剣道部の女王がついにハートを射止められたッ!あの噂はマヂだったんですね?確定なんですね?……こーしちゃいられねえ、あの、ツーショット写真をお願いできますか?新聞部に二千円で売りますんで!」

 

正軒「…ん、こう?」

 

グレート「頼んでもないのに肩組みやがったッ!」

 

 しかし写真はしっかり撮る。

 だが、グレートのこの反応を見るに、件の人だかりは正軒と有栖を目的にして集まったものではないようだ。では一体何が、この人々を引き寄せているのか?

 

グレート「あー、そのこと?」

 

 ひとしきり写真を撮り終えたグレートが言う。

 

グレート「実はさー、校門のところに変な人が立っててね、コレ皆、その人を見物するために集まってるの」

 

正軒「変な人?」

 

グレート「変な人って言うかさ、女の子なんだよね、しかもスゴイ可愛い。そんな子がなんで校門の前に突っ立ってるんだろって皆 不思議がって、気付けば こんなに人だかりができちゃいましたとさ、マル」

 

正軒「ふぅん……、気になるな、先輩、見てみる?」

 

有栖「正軒、わかっていると思うが、私と恋人になった以上は……」

 

正軒「わかっております!俺の目に映ってるのは先輩ただ一人です!今のはただの知的好奇心です、サー!」

 

有栖「理解しているならいい、では、その謎の少女とやらを見届けてみるか」

 

 結局のところ有栖も興味があるらしい。正軒をお供に人ゴミを掻き分け、その最前列に出てみると……。

 

有栖「おっ」

 

 たしかにいる、校門の塀に背中を預けるようにして立っている、和装の少女。

 一目見て、鈴木春信の書いた錦絵のようだった。

 春色の、花びらの柄をちりばめた和服を着て、ゆったりとした その装束の上からでも しっかりとわかる小柄で細い体つき。簡単に抱き上げられてしまえそうな小さな少女は、恐らく年頃は有栖や正軒と変わるまい。だとすれば高校生になるだろうが、この可憐な少女が修養館の生徒でないことは明らかだ。

 こんな春の妖精のような少女が物憂げに立っていれば、人の注目が集まるのも当然なことだろう。

 有栖と正軒を含む人垣は、少女を軸に扇状に展開して、しかし少女の10mほど内側には、結界でもあるかのように一人も近づかない。

 話しかけもせず、ただ見守るだけ。

 校門にたたずむ少女には、何故か衆人にそうさせる、気品というものが香っていた。

 

有栖「むぅ…、なにやら只者ではなさそうだが……、ん?どうした正軒?」

 

 隣にいる恋人に目を向け、有栖はギョッとした。正軒は、さながら渋柿と青汁と鯉の苦玉をいっぺんに口に突っ込まれたような、限界突破なほどの苦々しい顔つきをしている。

 

有栖「ど、どうした正軒?何かあったのか?」

 

正軒「いやぁ、ハハハハハ、何もありませんよ、いたって平穏ですよ、HAHAHAHAHA……」

 

 と額に浮いた脂汗を何度も何度も拭き取る正軒。

 

有栖「ウソだッ!お前反応がわかりやすすぎるぞ!なんだ お前あの娘のことを知っているのか?誰なんだッ?」

 

正軒「知りません、知りませんですよ!それより先輩さっさと帰りましょう、校門は回避して裏門から、息を殺してヒッソリと!」

 

有栖「絶対知ってる態度だろうがソレーーーーッ!」

 

 正軒と有栖が騒ぎ出すと、そこは現在 注目度No1の人物である。周囲の野次馬たちもその存在に気付いて俄かに ざわつきだす。

 

野次馬1「…アレ、剣道部のキャプテンと………?」

 

野次馬2「やっぱり付き合ってたの……?」

 

 喧騒が広がると、多くの人間も騒ぎの方へ目を向ける。

 それは人だかりを構成する修養館の生徒だけではなく、校門にたたずんでいる和装少女も同じで。騒ぎに気付き、その中心にいる正軒の顔を見つけた途端、少女は表情を輝かせて叫んだ。

 

 

少女「正軒さまッ!」

 

 

 少女が正軒の下へ駆け寄る。

 正軒と、正軒の襟首を締め上げている有栖とが、彼女の接近を呆然と見守った。

 二人のすぐ目の前までやってきた少女は、喜びの心を溢れさせるように息を弾ませている。

 

少女「ご無沙汰しております正軒さま。…正軒さまにおきましては、ご健勝お喜び申し上げます」

 

 たどたどしい口調で、お堅い挨拶を述べる少女。

 対して正軒は、こんどは梅干とレモンと酢をいっぺんに口に突っ込まれたような、酸っぱい表情に変貌している。

 

少女「お会いしとうございました、正軒さま」

 

正軒「違います」

 

 正軒は にべもない。

 

正軒「私は正軒ではありません、そう、私の名はバラク・オバマです」

 

有栖「またあんまりな偽名を………」

 

 横に立つ有栖は 呆れ顔である。

 

有栖「コラ正軒、折角尋ねてきてくれた人に その態度は失礼だろう!ちゃんと挨拶しないか、そして彼女は誰なんだッ!」

 

正軒「知りません!知りません!僕と彼女は他人です!ここに正軒氏はいなかったことにして、さっさとサムライゲイシャの国に帰ってください!」

 

 どこまでも往生際の悪い正軒。そんな彼の態度に失望したのか、和装少女は溜息をつく。

 

少女「困りましたね。…よいでしょう、正軒さまが知らぬ存ぜぬを通されるなら、最初から名乗らせていただきます」

 

 少女は居住まいを正し、さながら鎧武者が合戦の最初に そうするかのように、堂々と名乗った。

 

 

 

 

「私は武田正軒さまの許婚、玲皇高校一年、真田清美(さなだ せいみ)と申します」

 

 

 

 

 許婚ッ!?

 正軒や有栖だけでなく、周囲に群がる野次馬たちにまで動揺が広がった。

 許婚といえば、将来結婚を約束した若い男女のこと。正軒と、この可憐な少女が?

 そして有栖には、それとは別に彼女の出現に驚きを禁じえなかった。有栖の中に、たった一つだけ、この少女に関する記憶が引っかかっていたから。

 かつて正軒が話した、彼が剣術と決別することになった きっかけ。

 それは、彼の許婚といわれた一歳年下の少女に、完膚なきまでに敗北したことではなかったか。

 

清美「正軒さま、清美は本日、お義父様のお使いでやってきました。正軒さまを迎えにいってこいと」

 

 春めいた色の着物をまとう清美は、変わらず春風のような颯爽とした声で言った。

 

清美「正軒さま、清美と一緒にお家へ戻りましょう、そして武田の家の後継者としての精進を再開するのです」

 

                          to be continued


 
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