No.109523

ナンバーズ No.03 トーレ 深淵への触激

リリカルなのはのナンバーズが主役の小説の3編目です。トーレお姉様が地下鉄の中でのミッションを行い、チンク姉も登場します。

2009-11-29 10:35:42 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1044   閲覧ユーザー数:985

 地下鉄トンネルの中は、ひんやりとした空気が漂い、明らかに地上とは違う空気が流れていた。都会の喧騒も、まるで別世界であるかのようにこの深淵の中では静まり返っている。日中は3分起きに列車が行き来する地下鉄トンネル内だったが、深夜ではその運転間隔も広がり、20分起き程度になる。

 

 その静まり返った地下の空気を切り裂くかのようにして、何かが通過していった。それは人間には目視する事が出来ないほどのスピードであり、その姿は誰にも見られる事は無かった。

 

 3番トーレはより戦闘向きのモデルとして開発された。1番ウーノは博士の秘書として、2番ドゥーエは潜入工作に特化したモデルとなっているが、トーレはより戦闘的な強化を施されている。

 

 それは、ただの人間が有する事ができないほど、大幅な肉体増強であり、彼女にかかれば、軍の一個中隊を壊滅させる事もできるほどだった。

 

 実際、トーレの体は、現在稼働している他の姉妹達と比べても、頭一つ分大きなものであり、筋量も多く体格もたくましかった。素体は女性体だったが、ヘタな男性体よりは強靭に見えるだろうし、実際に強靭であった。トーレの性格自体も中性的なものとして設定されていた。

 

 トーレは、自分の足につけられた特殊なブーツを、地下鉄レールに滑らせるように疾走していた。ブーツはやはり博士のお手製で作られた特別なもので、地下鉄レールなどの一直線に伸びたレール上を走行する際、列車の車輪のように滑るように走る事ができる。

 

 普通の人間がこのブーツを履いてレール上を走ろうものならば、横転するか、そのスピードについていけず、脚の骨格を脱臼するだけだ。

 

 しかし、トーレにとっては楽な作業だった。レール上を時速100kmに近いスピードで走行するなど、彼女にとっては眠っていてもする事ができるだろう。

 

 彼女は更に、そのままの状態でこの先に待ち構えている仲間と通信し、会話することさえ出来た。

 

「チンク…、そちらの方は問題ないか?」

 

 トーレは頭で直接通信して尋ねた。

 

 トーレよりも2つ下の妹になる5番チンクが、今別の方向から標的を追い詰めている。

 

 チンクからの連絡はすぐに返って来た。

 

(全く問題ないぞ。私はあくまでサポートだ。標的を追い詰めるのは、あなたの方だからな)

 

 と、通信が返って来た。どうやら問題ないらしい。チンクの方は地上から標的を追い詰めていく。トーレは地下から目標を追い詰めていくのだ。

 

 トーレは確認の為に、視覚ウィンドウを表示させ、目標の現在位置を確認した。

 

 トーレや他の妹達は、ポータブルタイプの端末程度の処理能力のコンピュータであったら、すでに頭の中に内蔵されている。

 

 そしてそのウィンドウは彼女らの目の中に直接的に見る事ができる。

 

 地下鉄のマップが表示され、トーレの現在位置が表示され、標的の現在位置が3kmほど離れた場所を移動している事が分かる。

 

 標的の速度は現在時速80km。今のトーレの走行速度が時速100kmとなっているから、十分に目標には到達する事ができるだろう。

 

 地上を車で走行中の、チンクの現在位置も表示されていた。今は深夜だから、地上の道路も空いている。彼女も遅れる事はないだろう。

 

 地下鉄の駅の一つをトーレは通過していった。深夜だけあって、駅のホームには誰もいなかった。

 

 誰かいたとしても、突然、時速100kmという速度で通過していくトーレの姿をまともに目視する事はできないだろう。

 

 駅のホームを通過すると、再びトーレの体は地下鉄トンネルの中に吸い込まれていった。そのトーレの前に、一編成の走行中の地下鉄列車の姿があった。

 

 トンネルの中に黄色い窓からの光が見える。

 

 目の前に立ち塞がる地下鉄車両はトーレの走行速度よりもずっと遅いものだったから、彼女はこのままでは地下鉄の車両に激突する事になる。

 

 しかしトーレは、線路上を滑らせて行く自分のブーツを素早く、今度はトンネルの壁面へと持ち上げ、トンネルの壁をそのまま走行路面とした。

 

 更に、地下鉄車両へと手をかけ、地下鉄の速度よりも速いスピードで真横を通過していった。その際、火花が飛び、地下鉄車両へと当たった。

 

 中に乗客はほとんどいなかった。24時間運行している地下鉄路線とはいえ、深夜の乗客はほとんどいない。しかし、まさか地下鉄よりも速いスピードで、トンネルの真横を通過していく存在がいるなど、誰も想像していないだろう。

 

 気づいた頃には、トーレはすでに通過しているのだ。

 

 地下鉄の車両を追い越したトーレは、更に速度を加速させた。だが博士がくれた特性のブーツは時速120kmになっても、多少火花が飛ぶようになっただけで、オーバーヒートするような事は無かった。

 

 もう、標的との間に障害物は無い。

 

 と、トーレは目の前に広がっているトンネルの映像と並べ、表示させていた現在位置の地図を見比べた。

 

 標的が加速している。現在速度は時速120kmまで加速した。

 

 参ったな、このままの速度では追いつけない。まさか、トーレが追跡している事に気が付いているのだろうか。

 

 地下鉄線路で時速120kmも出すとは。明らかに普通ではない。自分達の存在が感づかれているのか。

 

 仕方ない。トーレは更に自分の速度を増す事に決めた。

 

「チンク…、標的が更に速い速度まで加速した。どうやら、気づかれている」

 

 地上を走行中のチンクが明らかに出遅れている。トーレは自在にその速度を可変させられるが、チンクの方は車に乗っているから、加速にも限界がある。

 

(ああ、分かっているぞ…。だが、標的が迂回する旧路線に入った。私は先回りしておく事にしよう)

 

 その言葉と同時に、チンクが地下鉄よりも先回りする道路に入った。

 

 わざわざ旧路線を使ってまで運搬したいもの。それこそ、博士が狙っている標的だ。その標的を手に入れるためだったら、自分は何でもしよう。例え、オーバーヒートをするような事があったとしても、限界までこの体を使う事にしよう。

 

 ブーツから更に火花が飛び散り、トーレの脚の筋肉は更に活性化した。速度計が時速150kmまで上昇する。

 

 地下鉄線路を、ここまでの速度で走行するものはいないだろう。

 

 だが、トーレにとっては可能な事だった。

 

 地下鉄線路の分岐点も、彼女は何の障害も無いように通過していく。分岐点から旧線に入った。彼女はそのトンネルをも逃さず、綺麗に方向転換をした。

 

 普通ならば時速150kmで、横道に入るトンネルを目視するのはほぼ不可能。それもトンネルの暗い中でそんな事をやってのける事などできるだろうか。

 

 トーレはその鋭い表情を崩すことなく、旧線の地下鉄トンネルの中へと入っていく。そして、1分もしない内に見えてきた。貨物列車の最後尾車両だ。

 

 やる事は簡単だ。あの走行中の最後尾車両に積まれている目標物を奪い去る事。できれば、列車の運転手にも誰にもバレない内に盗みたい。

 

 それが自分の任務であり、何よりも博士の目的だった。

 

 貨物列車は車輪から火花を散らしながら走行している。自分が近づいている事に気が付いているのかもしれない。だが、トーレは貨物列車の最高時速を知っていたし、彼女の現在の走行速度はそれよりも速かった。

 

 彼女は貨物列車にある程度まで近づいて行くと、自分の両腕から青白い色をしたブレードを出現させた。

 

 そのブレードは彼女の腕と一体化しているかのように見えるが、実際は、身につけた戦闘スーツの腕輪のようになっている部分から飛び出している、レーザー状の物体だ。

 

 それは博士がくれた武器。トーレの肉体的増強があれば、両腕から出た刃は恐ろしい武器になる。この武器は足の部位からも出現させる事が出来たが、どうやら今の目的では腕だけで十分だ。

 

 トーレはある程度まで助走をつけると、そのまま走行中の貨車にまでダイブした。

 

 そして、貨車のボディに向かって、腕から突き出した刃をひっかけるようにして突き立てる。

 

 上手い具合に彼女は貨車へと飛び移る事が出来た。当初の予定通りだ。

 

 後は幾ら貨車が加速しようと問題ない。

 

 トーレは、刃をひっかけた姿勢のまま、貨車の後部扉を無理矢理こじ開けた。

 鍵がかかっていたようだったが、彼女の身体能力はそれをこじ開ける事が出来てしまうほど強化されていたので、金属製の貨車の扉など簡単に開いてしまった。

 

 貨車の激しい走行音も、内部では大分静かになっている。

 

 トーレは、自分の熱くなった足元に気づいていた。博士がくれた特別製のブーツを大分オーバーワークさせてしまったらしい。煙さえ上がっているし、触れば熱いほどブーツが熱を持っている。

 

 トーレ自身も最高速度まで加速した脚の筋肉に、若干の痛みさえ感じていた。だがどうせそれは普通の人間で言う筋肉痛程度。念の為、自分の体の状態を、博士が搭載してくれたシステムによって走査してみたが、これも問題ない。

 

 問題無しと、彼女の視覚モニターには表示された。

 

 さて、さっさと目標物を盗まなければならない。トーレは、自分の視覚センサーを作動させ、貨物列車の車内を一瞥した。

 

 貨物車の中には貨物が随分積んであるようだ。だが彼女は知っている。博士からの情報だ。他の貨物は全てカモフラージュに過ぎない。この列車はそもそもたった一つのある物を運ぶために、特別に地下鉄を走っているのだと。

 

 トーレは車内を歩き、視覚センサーが反応するのを待った。

 

 車内を中ほどまでいった時、一つの箱に、センサーの表示が赤く点滅した。

 

 これだ。彼女は喜びもせず、冷静な表情を絶やさないまま、その箱を手に取った。手に抱えられるくらいの大きさだ。このまま持って帰れるだろう。

 

 箱は、紙でも鉄でもない。どうやら特殊合金で出来ているステンレス製のような頑丈な箱だ。暗証番号を入力すれば開くようになっていて、これは一種の金庫だ。

 

 その暗証番号をトーレは知らない。だが、博士は知っているらしい。トーレに教えなかったという事は、この場でこの箱を開ける必要が無いと言う事だ。

 

 箱を手に取った時は気が付かなかった。だが、トーレはある存在に気が付いた。それは、彼女のすぐ近くにまで寄っていた。

 

 それは、ゴミバケツを思わせるようなもので、金属の光を放っており、彼女の腰くらいの高さまであった。

 

 赤い光を放っている。赤い光はさながら目のように、そのゴミバケツの頭部についていた。

 

 彼女がそのゴミバケツを目視した時、センサーが反応した。一瞬にしてトーレが見ているものの分析が行われ、ゴミバケツの正体が明らかになる。

 

 

 

 無人警備ロボット メルセデス社製 銃火器を搭載

 

 

 

 その分析を確認したトーレは、ゴミバケツから素早く距離を取り、放たれて来た銃弾をよけた。

 

 貨物列車に警備ロボットを一緒に搭載していたのか。これはゴミバケツなどでは無い。立派な警備ロボット。しかも重火器を搭載しているタイプ。侵入者には容赦なく発砲してくる奴だ。

 

 トーレはそのゴミバケツを障害と判断した。

 

 こいつには視覚センサーもついているから、トーレの顔も見られているはず。早急に始末しなければならない。

 

 ゴミバケツみたいな外見のくせに、生意気にもマシンガンを搭載しているロボットは、トーレに向かって無言のままに銃弾を放ってくる。銃声は、貨車の中に響き渡った。

 

 トーレはその銃弾を、貨車に積んである荷物の陰に隠れてしのいだ。荷物はスチールの箱でできていて、銃弾をそのまま凌ぐ事ができた。

 

(大丈夫か?トーレ)

 

 耳元で、地上にいるチンクが通信して来た。彼女とは視覚、聴覚を共有していたから、今、トーレが見ているものと、聴いているものが、チンクにもそのまま伝わっている。

 

「ああ、大丈夫さ。今、始末する」

 

 トーレはそのように言い、荷物の陰に隠れて、ロボットが近づいてくるのを待った。

 

 ロボットは、何かを探すかのように頭部を回転させながら近づいてきた。トーレは素早く荷物の陰から飛び出し、腕から突き出している刃を滑らせた。

 

 ロボットにはどのように見えただろうか?光が瞬いたかのようにしか認識されなかっただろう。だが、トーレがロボットと交わった直後、ロボットの頭部は切断され、ずるりと床に滑り落ちた。回線がショートして火花が飛び散っている。

 

「始末した」

 

 と、トーレは言った。だが、彼女は気が付いた。

 

 まだ、もう一体ロボットがいた。銃弾をトーレの方に向かって放って来た。彼女はそれを避けたが、すでにかなり貨車を背後に移動してしまっていた。彼女の体は、開け放たれた貨車の後部扉から外へと飛び出してしまう。

 

(おおい!大丈夫か!)

 

 チンクが再び言って来た。トーレは貨車から投げ出されそうになっていたが、何とか、腕から伸びた刃を貨車の扉に突き立てて凌いでいた。だが、ロボットは銃弾を放ち続けて来ている。

 

「大丈夫だ。列車が地上に出るぞ。お前が止められないか?」

 

 どうやら、自分一人の力だけでは、あのケースを手に入れられないらしい。チンクの助けを得なければ。判断したトーレはそう言った。

 

「ああ、分かった。もう地下鉄の出口にいる」

 

 と、チンクは言って来た。

 

 トーレが貨車の扉にぎりぎりぶら下がり、ロボットは銃弾を貨車の中から撃ち続ける。

 

 だが、次の瞬間、列車の走行音が変わった。地上に出て、音の反響が無くなったのだ。外は夜の闇に包まれており、出口は古い操作場で都市から離れていたから灯りも無く、まるでトンネルが続いているかのようだった。

 

 しかし列車は、確かに地上に出ていた。

 

 地上に出た直後、列車は突然激しい揺れに襲われた。その揺れは、貨車を横倒しにしようかと言うくらい激しいもので、衝撃がトーレの体を煽る。

 

 彼女はそれを凌ぐ。並の人間なら振り落とされているだろう。トーレは腕の力を高め、刃で自分の体を支え続けた。

 

 やがて、列車は轟音と共に停車した。貨車は何とかその体制を保っていた。

 

 ロボットが、停車した貨車の中をトーレの元へと迫る。しかし、トーレは素早く貨車の内部へと踏み込み、ロボットと交わった。

 

 すると今度は、二つの線で三つの部位にロボットは切断され、床に散らばった。

 

 トーレは両方の腕から伸びた刃でロボットを切りつけたのだ。

 

 ロボットは、情報によればステンレス製のボディを持つらしいが、トーレが切りつけた切り口はきれいにぱっくりと割れていた。

 

 何よりも鋭く、ステンレス程度ならば楽に切断できる。トーレはそんな刃を持っていた。

 

「おおい、大丈夫か、トーレ?」

 

 開け放たれた貨車の扉から、一人の少女が顔を覗かせた。

 

 銀色の髪をしていて、トーレ達と同じ金色の瞳を持つが、その姿はかなりあどけない。人間の年齢で言ったら10歳かそこらだろう。

 

 だが、トーレ達が身につけているのと同じ戦闘スーツを身につけており、彼女はさらにその上に灰色のコートを纏っていた。

 

「ああ、大丈夫だ。目標物は確保した」

 

 トーレが低い声でそう言いながら、貨車から地上に降り立った。その脇にはロボット達が守っていた銀色のケースが抱えられている。

 

「うむ。少し手間取ったが、これで、博士も喜んで下さるな」

 

 少女はそのように言った。外見の割りに随分と落ち着いて、淡々とした口調をしている。

 

 しかしその彼女こそが、今までトーレと連携をしていた、5番チンクだった。

 

 外見こそ背が高く、体格の良いトーレと大きな差があるが、彼女は4番クアットロよりも若干早く稼働しており、チンクは実質的にはトーレのすぐ後のモデルだった。

 

 チンクはその両手に、ダガー状の刃を数本持っていたが、それを振ってトーレに見せつけていた。

 

「これだけの列車を脱線させ、停止させられるとは、お前の武器も大分アップロードを繰り返したな?」

 

 トーレが、今まで追跡してきた列車のあり様を見てそう言った。

 

 地下鉄線内を走っていた車両は、先頭の機関車が脱線したうえ、横転して停止していた。前の方の数台の貨車も同じく横転して煙が上がっている。時速100km以上を出せる高性能機関車であると、トーレとチンクは知っていたが、そんな機関車でも見るも無残な姿だった。

 

「博士がな…、今回の為にアップロードしてくれたんだ。あなたの足手まといにならないようにとな」

 

 チンクはそう言って、手に持っていたダガーを羽織っているコートの内側に収納した。彼女のコートの中には、ずらりとダガーが並んでいる。全部で10本以上はあるだろう。

 

 トーレが腕や足から突き出す刃を持っているように、それがチンクの武器だった。

 

 トーレは再び小脇に持った箱を、両手で持ち、本物であるかどうかを確認した。

 

 彼女の脳内にインプットされている情報と照らし合わせ、その箱が本物であるかどうかをチェックする。ほんの些細な、例えば数ミリ程度の誤差があればそれを認識する事ができる。

 

 ステンレスの箱には、きちんと会社名の刻印があった。メルセデス社と。わざわざ箱に彫り込んである。その刻印も間違いではない事をトーレは認識する。

 

 冷静で鋭い彼女の眼はそれを認識し、博士から得た情報と誤差が無い事を確認すると、再び箱を片手で抱えた。

 

「誰にも気づかれない内に帰るぞ」

 

「ああ…」

 

 トーレは促し、チンクは頷いた。二人は脱線させた貨物列車を背後に、チンクが乗って来た車へと戻っていった。

 首尾よく箱を盗み出す事に成功したトーレは、チンクを伴って、博士の研究所へと戻っていた。作戦を実行したころは深夜だったが、研究所に戻った頃にはすでに夜も開けている明け方だった。

 

 研究所の中央通路を歩いていると、大あくびをしながら、4番クアットロが二人の前を横切っていた。

 

「ふああぁ…。あら、あらら?トーレお姉さまに、チンクちゃん。お戻りでしたか?」

 

 と言ってくるクアットロ。彼女はトーレやチンクに比べ、かなり情緒豊かな性格としてプログラムされたモデルだったから、どこか子供じみた所がある。

 

「ああ…」

 

 ちらりとクアットロの方を見てトーレは言った。クアットロは随分緊張感の無い姿だ。戦闘スーツを身に着けておらず、ナイトガウン姿という事は、多分、今まで眠っていたのだろう。幾ら人造の生命とは言え、脳や体のほとんどは人間のものだったから、彼女達にも眠りというものは必要だ。

 

「そうそう…、こちら、今日の朝刊ですわ。ご覧になりたいと思って…」

 

 そのように言って、クアットロは電子パットに表示された新聞をトーレに差し出した。

 

「うむ…」

 

 新聞は電子情報化され、毎朝、新聞社から購入した電子パットに自動的にダウンロードされるようになっている。

 

 博士は、偽名の契約で色々な新聞を購入していた。大手の新聞はもちろんのことながら、科学情報誌なども購入している。

 

 トーレに渡されたのは、大手の新聞会社の一つだった。

 

 彼女は電子パットを指でスライドさせ、画面を動かしながら1面、そして事件などが掲載されるページを探った。

 

「緊急報道は無しか?」

 

 と、横から背伸びをして覗いて来るチンクが尋ねた。トーレの背はかなり高かったから、小柄なチンクには彼女の手にある画面を覗く事ができない。

 

「無いな。まだ報道されていない可能性もあるが…」

 

「もみ消されているかもしれませんわね。でも、わたし達にしてみれば、それはまあ、随分好都合な事です事…」

 

 わざわざ上品な言葉を使った上、トーレの言葉を遮ってクアットロは言ってくる。

 

 トーレは黙って新聞をクアットロに返した。どうも、この妹はトーレにとって苦手だった。専ら、トーレはチンクと共に博士の任務に就く事が多かったから、クアットロの事は知らない事も多い。

 

 しかし、まるで悪戯でもする子供であるかのような口調と態度を見せ、時々瞳を光らせる。

 

 情報処理能力は優秀なクアットロだったが、博士は何故、そんなに子供じみた性格を彼女に持たせたのか、トーレは分からなかったし、博士も教えてくれなかった。

 

 だが、博士の事だ。多分、目的があるのだろう。

 

 

 

「ご苦労。君は今回も活躍してくれたね。トーレ」

 

 博士はトーレとチンクを、頼もしげな表情で迎え入れてくれた。トーレはそれを嬉しく思ったが、それを表情に出す事が無かった。

 

 そもそもトーレはクアットロのように表情が多彩では無いし、喜ぶような感情もプログラムされていなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 と、ただそれだけチンクと共に答える事しか無かった。

 

 ただの人間が見れば、とてもぶっきらぼうにさえ見えただろう。だが博士はトーレ達の事を知っている。あくまで頼もしそうな表情で彼女達を見ていた。

 

「君は、こうした任務には一番向いている。そう。力仕事には最も適した存在だ。おっと、こんな事を、女性体である君の前で言うのは、少し失礼だったかな?」

 

 トーレが手に入れてきた銀色の箱を、まるでパズルでも解こうかと、幾方向からも回転させながら、博士はトーレに言って来た。

 

「いえ、感謝の言葉、ありがたく受け止めさせて頂きます」

 

 トーレはそう答えた。博士が言ってくる言葉は、全て彼女にとっては激励の言葉に感じられる。

 

「さて、この箱だが、君にはこの中身を教えていなかったな。ただ輸送中の、この箱を奪い取ってくるようにとしか言っていなかった…」

 

 博士はそう言い、トーレとチンクにも見える位置に箱を置いた。

 

「任務とはそういうものだ。君達が失敗するとか思っていたわけじゃあない。だが、もう任務は終わった。この箱の中身を君達の前で披露しても良いと思う…。ウーノ」

 

 博士がそう名を呼び、トーレ達の一番上の姉であるウーノが姿を見せた。

 

 トーレ達とはモデルのタイプが違う彼女は、秘書スーツを着ており、自分の手前の部分に電子画面を表示させたまま、別室からやってきた。

 

「金庫の解析は終了しました。パスワードは、#3385562//63です」

 

 ウーノはトーレに似た、但し落ち着いた淡々とした声で博士にそう言った。

 

 彼女の手元の空間に浮かんでいる電子画面では、さっきから、金庫の解除コードの分析を行っていたのだ。

 

「ほほう、それはそれは、随分長いパスワードだな」

 

 とまるで面白いものを聞いたかのように言いながら、博士は金庫の上のパネルの上で指を動かし、そのパスワードを入力した。

 

 随分と、厳重な管理がされている箱だな。とトーレは、目の前で開く自分が盗んできた箱を見て思った。金属の箱は四隅のフックが外側の方向に開き、更に、上蓋が自動的に上方へと持ち上がる。中に入っていたのは黒い箱だった。箱の中に箱がある。だがその黒い箱から、博士の方に向かって、クレジットカードほどの大きさのカードが飛び出してきた。

 

 博士はそのカードを抜き取るなり、天井に掲げて見た。

 

 クレジットカードのようにも見えるが、カードは薄いクリアガラスになっており、そこには何か回路が埋め込まれているようだった。特に光学画面のようなものは付いておらず、ただのメディアデバイスのようにも見える。

 

「これは、“鍵”だ」

 

 博士はそのように言った。

 

 トーレは頭の中で、博士が言って来た言葉を即座に分析した。

 

「つまりは、カードキーという事ですか?」

 

 そう言うと、博士は不敵な笑みを見せた。

 

「…、そうだな、カードキーか。確かにそう言う言い方もできる。だが、メルセデス社は必死になってこれを隠そうとしていた。わざわざ本社まで、地下鉄車両を貸し切った上で運搬してな。これはカードキーだが、カードキーでは無い。特にこの一枚だけではな…」

 

 博士はまるで謎かけのようにトーレ達に言って来た。

 

「分かりかねますが」

 

 最前線の現場で、恐ろしい程に決断力と判断力を発揮するようにプログラムされた、トーレの頭でも博士の言いたい事は分からなかった。

 

 だが、博士はそんな事もすべて予期していたようである。

 

「まあ、その時が来たら教えてあげるさ。それまでは秘密にしておいた方が、君達のためでもあるし、何よりも、秘密である事が楽しいんじゃあないか。問題の解答を知ってしまったら、つまらなくなるぞ」

 

 博士はとにかくご機嫌の様子だった。

 

 トーレは、カードキーの中身が何であれ、博士を満足させられた事、それだけで十分だった。

「なあ…、博士は何をしようとしていると思う?」

 

 目の前の高い台の上に黄色い培養液に満たされたポッドが幾つも並んでいる。それらを見上げながら、チンクがトーレに尋ねた。

 

「さあな。私にも分からん」

 

 トーレはチンクの方は見ずに、共にポッドを見つめて言っていた。

 

 ポッドはずらりと広い廊下の両サイドに並んでいる。そして、その中には、人間の体があった。

 

「あなたには、好奇心というものは無いのか?」

 

 チンクが照れ笑いのようなものを浮かべつつ、トーレに尋ねた。

 

「私達は博士の与える任務に従うだけだ。それが誕生させられた目的なのだから、それ以外のものは不要だ」

 

 と、トーレは相変わらずの少ない表情のまま答えた。

 

 目の前に並ぶポッド。それは彼女達が誕生させられた、人間の体で言えば子宮のような存在だ。現在、1番から5番までのポッドには誰も入っていない。それは1番ウーノから、5番チンクまでが入っていたポッドだ。

 

 トーレとチンクは、6番目のポッドの前に立っていた。“Ⅵ”とポッドの下部のプレートに記載のある彼女達の妹の一人は、最終調節中だった。

 

「6番セインか。彼女が誕生させられる目的は何だ?はっきり言って、今の私達だけで、博士の与える任務は余裕でこなせるぞ」

 

 そのチンクの余裕の言葉に、トーレは目を瞑って静かに言い放った。

 

「油断をするな。いつも今回の様にいくとは限らん。それに、博士の本来の目的は、私達のような存在の繁栄だ。次の妹を誕生させる事は、その目的に適っている」

 

「目的に適っている、か…」

 

 チンクはそう目の前の、自分にとっては初めてになる“妹”を見上げて答えた。

 

 トーレは、手に持っていた電子パットの画面を指でスライドさせ、目の前にいる妹の情報を読み取った。

 

 彼女がその概要を素早く理解すると、今度はそのパッドをチンクに渡した。

 

 チンクもトーレと同じようにして、その情報を読み取る。そこにあるのは、今後生まれてくる予定の妹達、彼女達の姉妹の細かいデータが書き込まれている。

 

 身長、体重や体格、細かい遺伝子情報などが書き込まれ、その情報を見るだけで、どのような存在かを知る事ができるのだ。

 

 6番セインは、これまで誕生してきたトーレの姉妹達の中でも、特に特異的な身体的特徴を示していた。彼女はまだ目覚めていなかったが、顔写真と全身を写した写真がそこにはあった。

 

 彼女は、まず髪の色が人としてはあり得ない水色をしている。それは、普通に誕生する、どこの民族の人間も有していない髪の色であり、科学的な手を加えられた痕跡をはっきりと示していた。博士が組み込んだ遺伝子操作の結果がそうさせたらしい。5番チンクまでは、姉妹達は独特の金色の瞳をしていたが、セインは水色をしているのだ。

 

 そして、最後にセインには他の姉妹達には無い、大きな特徴があった。

 

「先天固有能力、無機物潜行。だと?」

 

 チンクは意外そうな表情をしていった。

 

「ああそうだ。この妹は突然変異の能力を持っている」

 

 突然変異と言う言葉には、恐ろしいものが秘められている感があるものの、トーレはそれを当然であるかのように変わらぬ口調で言った。

 

「ほほう。それはまた、博士は凄いものを生み出したものだな」

 

 チンクが感心したように言った。

 

 やがて、そんな二人の近くに、姉妹達を統率する長女のウーノがやってきた。

 

「6番セインの最終調節が完了。たった今、その娘は目覚めるわ」

 

 ウーノは落ち着いた声でそう言った。

 

 彼女は6番セインのポッドの前までやってくると、操作パネルを操作した。チンクは新たな妹の誕生を心待ちにしているかのような表情を見せたが、トーレは変わらず厳しい顔つきのまま見つめ、ウーノはまるで自身も機会であるかのように操作パネルを操作し、最後に実行キーを押した。

 

 すると、セインの入っているポッドからは薬液がどんどん抜けられていき、その黄色い液体が抜け切ってしまうと、ポッドは音を立てて上方へと開いた。

 

 生まれたままの姿をした新たな妹は、すぐにその水色の独特の色をした瞳を開いた。

 

 その表情は、まるでまだ何も知らぬ子供であるかのようだった。実際、セインは少女とも言えるくらいの外見年齢のモデルだったから、大人の姿をしているウーノやトーレに比べれば子供にも見える。

 

 だがトーレは理解していた。この無垢な表情を見せている娘は、自分達よりも恐ろしい存在になりうるのだという事を。

 

 

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
2
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択