No.1085001

唐柿に付いた虫 47

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2022-02-15 23:52:02 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:489   閲覧ユーザー数:481

 どうする。

 刻一刻と、時の砂が男の手から零れ落ちる。

 それが尽きた時、あの見えざる鎖に縛られているあの美しい猛獣が、彼と白まんじゅうを食い殺す。

 どらちゃんが引っ張るまで、にげて。

 真祖が、あの姿の時に言い残した言葉。

 引っ張るまで、という言葉の意味は解らないが、恐らくは吸血姫(どらきゅりあ)が自分たちを何らかの方法で助け出してくれる見込みがある、そういう事なのだろう。

 それは一つの希望。

 だが、男には何となく判る。

 その手は……恐らく間に合わない。

 吸血姫や、式姫皆が力を尽くしてくれるだろうことは疑いない、だが、真祖たちの話を足りない知識で理解した範囲では、この自分が今いる場所は、彼が知り、式姫が操る結界や、妖が潜む異界などより、更に特異な空間。

 そんな場所から、彼を救い出す術は簡単な物では無いだろう。

 あの恐るべき敵を縛っている鎖が消えるまで。

 そして、その後の攻撃から、自分がその術が完成するまでの間。

 血と力を失い、立っているのがやっとの自分が。

 この隠れる場所とてない、閉ざされた狭い空間での鬼ごっこで、吸血姫が助けてくれるまで、自分は逃げ延びられるか。

 ……ねぇな。

 ふっと、皮肉な笑みに、片頬が歪む。

 そもそもの実力差に加え、この怪我である、とてもの事立ち向かうのは無理という判断の下で、真祖は敢えて「逃げろ」、と指示してくれたのだろうが、それも無茶な話。

 とはいえ、真祖の言葉は全く無意味な絵空事では無い。

 どらちゃんが引っ張るまで。

 それまで時間を稼げれば……生き残る目はあるという事。

 逃げる以外の、時間を稼ぐ方法。

 一つだけ思いつく事はある。

 正直、それはしたくない。

 だが、他に方法も無い。

 男は、覚悟を決めて、手の中の白まんじゅうの体を軽く揺すった。

「すまん……ちょいと目ぇ覚ましてくれ」

 何度目かの呼びかけの後、瞼が重そうに上がり、とろんとした緑の瞳が彼の方に向く。

「おーーそーーよーーー、もーよーるーぅーーーー?」

 人とは正反対の寝起きの挨拶は吸血姫と御同様か……そんな事をちらりと思った男の眼前で、再び白まんじゅうの瞼が落ちそうになる、慌てて男は今度は少し強めに彼女の小さな体を揺すった。

「うーーーあとはんにちー」

「事が済んだら半日だろうが一年でも寝ててくれて良いが、今は起きろ!」

「ねーむーいーのー」

 寝起きのご機嫌が宜しくないのは、人も動物も、そして吸血姫達の女王でも変わらないらしい、なにやら唸りながら、ぽんやりした可愛い目が開く。

 命が賭かってるってのに、呑気な言い種だと思いつつ、男は務めて静かに返事を返した。

「わりぃとは思うが時間がねぇんだ、しゃきっとして、俺の話を聞いてくれ」

「うー」

 不機嫌そうに頷く、その顔を男は真っ直ぐに見た。

 生き残る術は、他にない。

 男は、重くなりそうな口を無理に開いた。

「真祖……俺の式姫になってくれ」

 式姫になれ。

 その言葉の意味が解らない彼女では無い、とろりと微睡んでいた瞳がすうと、冷めた色を宿す。

 男の判断と決断を、彼女の明敏な頭脳は瞬時に理解した。

 この狭い空間では、時の縛めを施された彼女が動き出す間に逃走して距離を稼ぐ事も出来ない、武を以て立ち向かうなど、五体満足な状態でも不可能、まして彼は大怪我をし、挙句、力を真祖に奪われ、立っているのがやっとの身。

 ならば、彼にー式姫の庭の主にー出来る事は一つ……大いなる存在の力の一部を式姫と化し、その助力を乞う事。

 この切迫した状況下で短時間の内に下された、私と彼が生存し得る、理性的で正しい判断だ、真祖は男の申し出を尤もな事と理解した。

 だけどね。

 貴方のその決定、その言葉……なんか気に食わないの。

「なーるーほーどー」

 のんびりした声音、だがそこには、男が怯むほどの冷やかさが籠もっていた。

 それはまぁそうだろう、あの洗練された体術と、魔術の知識、しかもそれすら、本来の力の片鱗でしかないという大いなる存在が、こんな異郷の、数日前は見も知らなかった男の使い魔に似た存在になれなどという申し出に、素直に頷くなど。

 とはいえ、このままじゃ二人ともお終い。

「不快は判る、だが、今はそれしか」

「しーぬーきー?」

「……!」

 彼女を説得しようとした男の言葉が端的な一言に断たれた。

 そのままこちらをじっと見る深緑の瞳の力に負けたように、男は目を伏せた。

 こいつには隠せなかったか。

 自分の中にはほとんど力は残っていない。

 だけどこの場所、あの庭の一部であるこの欠片の地には、まだ彼が扱いうる多少の力が残っている。

 それがどれだけ残っているかは判らないが、それを式姫を呼ぶ儀式に使えば、一瞬だけでも、彼女にあの力を取り戻してやる事くらいは叶うかもしれない。

 今、自分が出来る中では、一番マシそうな方法。

 だが、恐らく、その儀式に……この強大な存在を式姫として顕現させるだけの力を行使すれば、真祖が見透かしたように、今の俺ではその儀式に耐えきれない可能性が高い。

「……そうだな、その覚悟はしていた。だが、それでも共倒れよりは良い」

 二人死ぬよりゃ、一人でも生き残った方が。

「むーー」

 真祖が低く唸りながら、男の顔を睨む。

 そんな理は判ってるの……でもこの心がどうしても納得してくれないの。

「だから頼む、真祖、俺の式姫に」

「そーれーー!」

「何?」

 俺の言葉の何かが酷く気に障った様子で、彼女が小さな手をぶんぶんと振り回す。

「なによーーーしんそってーーー!」

 彼女は何を言っているのか。

 それは、昔から君を知ってるであろう存在が口にした、俺の知らなかった、恐らく君の本来の呼ばれ方。

 それの何が。

「ぷんなーーのー」

 困惑した俺の顔を暫し睨んでから、彼女は俺の手の中でそっぽを向いた。

「何だってんだよ……何が気に食わないんだ」

 これが、お前を犠牲に俺が生き残るという話なら、そりゃ、その態度も納得も出来るが。

「それがー、わかるならー……」

 私も、苦労しない。

 何で私、こんなに訳が判らない事言ってるんだろ。

 この弱い体が駄目なのかな……心がざわついて落ち着かない。

 傷ついて、乾いた血がこびりついたこの人の指をぎゅっと抱く。

 やっぱり、駄目。

 おゆきの封陣が完成する。

 その、地下深くに向かう力の余波だけで、周囲の広壮な池の面が一瞬で結氷し、軋んだ音を立てる。

 その様を見ていた仙狸が、軽く身を震わせたのは、その力故か、吹き寄せた身も氷る寒気の為か。

「やれとんでもない力じゃ、味方としては頼もしいが……」

 猫としては敵わんな。

 軽口を口中に収めながら、仙狸は意識を地中に向けた。

 狛犬が導きおゆきが地中深くに打ち込んだ力の楔が、大地の奥深くに眠る地龍を捉え、その身を縛る様が、仙狸の感覚には見える。

(上手くいってくれたか……)

 とりあえず、舞台は整った。

 仙狸が向けた目に、おゆきが頷き返す。

 言葉を発する余裕もないおゆきに変わり、仙狸は傍らに立つ少女の背を押した。

「こうめ殿、頼む」

 仙狸の言葉に、こうめが頷き、白木の社の前に立った。

 神に呼びかけ、その助力を乞うのは人の役目。

 彼が居ない今、自分がその役を担う。

 自分は、まだ満足に祝詞もまだ上げられない。

 神に呼びかける、そんな大役を担うのは、まだまだ力不足。

 でも、彼が、彼の歩みと、その背が教えてくれた。

 神だろうが、人だろうが……最後にその存在を動かすのは、その意が動いたか否かなのだと。

 術も儀式も、願いをより届けやすくするための道具に過ぎない。

 ならば、わしは自分の言葉で神とも話そう。

 すう、と息を整え、この世界あまねく全てにその思いを届けようとするかの如く、こうめは声を張った。

「建御雷殿!」

 この庭を守護する神霊よ。

「御身が役儀、一時ながら我らにて引き受ける」

 それは、ほんの僅かな時間にしかならぬかもしれぬが。

「故に、今一度、そのお姿をこの庭に顕し……」

 おねがいじゃ……我らでは、もうどうにもならぬこの事態を。

「我らに、その大いなる力を貸し与え給え!」

 こうめの言葉が終わる。

 その時、仙狸の背が、一瞬冷やりとした感触を覚えた。

 一体何が……その気配の元を探ろうとして、仙狸は眼前の光景に、己の目を疑った。

 彼女がそこに居た。

 最前まで、間違いなく無人だったそこに。

(……いつの間に)

 自分すら気付けぬ内に、その姿を顕在化させたというのか。

「この状況下でボクを呼び出すとは、また、無理を押し通した物だ」

 満身の力で大地を穿ち、そこから伸びる霊力の力で、龍王を押さえる要になっている狛犬、その力を支えるおゆき、そして、この庭全てを見晴るかすように視線を一巡させ、最後に彼女はこうめをじっと見た。

 大したものだよ、君らは。

「建御雷……どの?」

 こうめが、わが目を信じかねるように、金色の髪をおゆきの力の巻き起こした寒風の中に揺らしながら眼前に立つ存在を見返した。

「こうめか……少し背が伸びたね」

 人の成長とは早い物だ。

 夜目にも鮮やかな青き衣の袖を揺らし、彼女は小さく呟きながら社の前から一歩歩み出した。

(彼女が……この庭を守護する神霊、建御雷か)

 成程、実見するのは初めてだが、これは凄まじい。

 此の地に存在するのは、主の式姫として顕在化した式姫の姿でしかなく、その本来の神霊としての力からは劣るとは聞いていたが、それでも、途方も無い力の存在をー大地の底深くに眠る龍王の封を護るに足るそれをー感じる。

 確かにこれは、こうめならずとも、彼女さえ呼べれば何とかなる……そう思ってしまうのも無理のない、圧倒的な存在。

「建御雷殿、実は」

「時も無い、くだくだしい説明は無用だ。何が起きたか、そして君らが何を求めてるかは判ってる」

 話し出そうとしたこうめの言葉を、建御雷がぶっきらぼうに遮る。

「何と?」

「ボクを誰だと思っている、この庭で起きた事なら、粗方は把握してる」

 そう口にした建御雷の表情が、僅かだがしかめられるのが、仙狸には見えた。

 ……何じゃ、あの表情は。

 余りに、あの存在に似つかわしくない顔。

 それは……まるで。

「君らが自由にしてくれた事だし、ボク自身が、この庭で好き放題してくれた奴に礼をしたい所だが」

 そう呟きながら握った手の間から、彼女の怒りを示すような雷光が閃く。

 玉藻の前の分身を軽い一撃で易々と屠り、大地の龍王を地中深くに縫い留めている力。

「で……では」

 あの妖を退治て、彼を取り戻して。

 そう勢い込むこうめの顔を、建御雷は苦々し気に見返した。

「最後まで聞け」

「……!」

 こうめが口ごもったのは、彼女の強い口調にでは無い。

 正面から向き合った、その顔の浮かべた悔しげな表情が、こうめの口を封じた。

 何故、そんな顔をする……。

 お主は、天津神最強の軍神ではないか。

 続く言葉が、何となく予想出来て……。

 それでも、縋るように見上げるこうめの顔を見て、建御雷は口を開いた。

「ボクにも、それは出来ない」


 
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