No.1066133

唐柿に付いた虫 33

野良さん

式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

2021-07-08 20:38:11 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:545   閲覧ユーザー数:534

「目覚めよ、この世で最も不浄にして不滅なる高貴の血」

 彼女の傍らを飛び去り、巡行していたそれから、更に速度を上げながらダークウィンドを追う鞍馬と戦乙女をちらりと見てから、吸血姫は空に佇むように翼を緩やかにはためかせながら瞳を閉ざした。

 静かに自分の中に脈打つ、彼女の力の源泉、不滅なる真祖の血に意識を繋ぐ。

 奴の中にも、同じ血が埋め込まれている……そこに干渉する。

 奴が真祖の直属だった時代なら望むべくも無い事だが、今奴を制している存在が彼女の想像通りなら、奴を止める程度はできるだろう。

 だが、成否に関わらず、あれほどの力持つ魔獣に、何の準備も無い状態で干渉すれば、自分の力も大幅に失われよう……そして鞍馬と戦乙女もほぼ戦闘速度での追跡に移った今、これを逃せば後は無い。

 好機は一度だけ。

(頼むぞ、二人とも)

 奴の中にある、真祖の力に触れる。

 懐かしい、太古から連綿と地の底を流れ続けて来た根の国の世界、月と燐光の中にほの暗く浮かび上がる世界。

 自身の本質たる、夜闇の純粋なる力の波動を心地よく感じる。

(……む?)

 だが、その心地よさの中に違和感を感じて、吸血姫は眉を顰めた。

 これは、何じゃ。

 奇妙な感じであった。

 真祖の血を足掛かりに、彼女が更にその先「ダークウィンド」の意識へと至る為の道が全て閉ざされているような。

 もう少し言えば、道は途中まではある……だが、どれも少し先に行こうとした所で、不意に道が断たれている、そんな妙な作為を感じる。

 ダークウィンドの意識、その本体は感じられる、なのに、そこにどうしてもいま一歩至れない。

 奴め……魔獣を支配下に置く為に何か細工をしよったか。

 十分にありうる事だ、旧い支配の法を、新しき法で上書きした。

 つまり、旧い法でダークウィンドを制御しようとした自分は、その術を断たれた事になる。

 焦りが彼女の心を狙う毒蛇のように鎌首をもたげるのを感じるが、それを理性でねじ伏せる。

 落ち着け、考えろ。

 妾とあやつの知っている事はほぼ同じ筈、それ程突拍子もない事や、圧倒的な力でダークウィンドをねじ伏せた訳でもあるまい。

 実際、真祖の完全に制御下で十全な力をダークウィンドに振るわせていたなら、今頃、彼女たちは、それこそ死に物狂いで防戦しているか、遥か遠くへと圧倒的な速度を見せて、悠々と飛び去って行く奴の背を見送る羽目になっていただろう……それだけの力が、本来の奴には備わっている。

 詰まる所、真祖からの影響をある程度断った上で、弱った奴を操っている、そんな所だろう。

 では、その上で、どうやって奴はそれを成し遂げた。

 もっと言えば、自分ならば、どうやって真祖に叛逆を企てる。

 それを考えろ。

 吸血姫の魔眼が更に鮮やかな紅に染まる。

 皮相な話では無い、先ず淵源を辿れ。

 真祖は、どうやって、この魔獣を従えた。

 力を恃み、各所で狼藉の限りを尽くした果てに真祖の領域内に侵入し、挑発するように暴れていた魔獣。

 真祖の姿を見て、迷いなく一直線に襲い掛かって来た奴の自信に満ちた態度は、彼女の傍に控えていた吸血姫には、今でも思い出せる。

(ここに喧嘩を売りに来るだけあって、中々手強そうじゃな、だが真祖が出るまでもあるまい、妾が始末するか)

(んー、ドラちゃんならだいじょうぶだろうけどー、手こずるとは思うからー)

 秘蔵の一瓶開けちゃったから、早く帰ってドラちゃんと晩餐楽しみたいし。

(私がやるねー)

 並の妖では立っているのも困難な程の奴の巻き起こす暴風の中、すいと、一歩前に出た真祖が空に目を向ける。

 空を覆うかと見えた、巨大な翼。

 それが、爆散した。

 漆黒の皮膜が、自らの巻き起こした風の中を紙吹雪のように、空一杯にはらはらと拡がる。

(魔眼か)

 吸血姫も魔眼の力でその辺の輩を呪縛する程度はできるが、彼女のそれは、力の桁が違う。

(はい、おしまい)

 なすすべも無く落下して来たその巨躯が、真祖の抜き放った細剣に瞬時に切り刻まれ辺りに散らばる。

 鋭い鋼刃のみでは、あの巨体をこうまで細切れにできる物では無い、その刃に纏わせた彼女の剣気の為せる技。

 返り血の一滴も浴びなかった、黒衣纏う華奢な姿が無数の肉片のただなかに佇むのを、吸血姫は凝然として見つめていた。

 この凄絶な力すら、彼女の本来の力からすれば余技に過ぎない、闇の王たる彼女の底知れぬ力の片鱗。

 地に散らばるそれを一瞥した真祖が、歩み寄って来た吸血姫に憂いを帯びた顔を向けた。

(ちょっとおいたが過ぎたけどー、さっきの荒々しい、原初の風を思わせる力は、この世から消すにはおしいねー)

 かといってこんな乱暴な子を放置もできないしー。

 その真祖の言葉の響きには覚えがある、その先の言葉を予感して、吸血姫は先んじて低くため息を吐いた。

(この子飼うからー、棲家の手配おねがいねー、ドラちゃん)

(承知した……しかしな、妾が散歩させねばならんペット共をあまり増やさんで欲しいのう)

 ごめんねー、ドラちゃん、などと言いながら真祖はその蒼白な指先を軽く噛んだ。

 つう、と真紅の血が指先から零れ、蒼白な指に茨のように絡まり、伝って行く。

 彼女は、その指先をまだ命を宿している奴の頭に当てた。

(ちょっと我慢してねー)

 その言葉と共に、真祖の指が泥にでも突き込んだかと見える程の無造作さで奴の額に深く埋まる。

 叫ぶ形に大きな口が開くが、肺から切り離されたそれは空しく掠れたような微かな音を立てるだけ。

(……いつ見てもえげつない血の儀式じゃのう)

 自分の時などは、随分と優しくされた物だが、こういう身の程知らずの魔獣や魔族に対しては、相変わらず容赦がない。

(我が血は力、我が呪い、我が宿命、我が寵愛を、その肉に永劫と共に刻みし契約なり)

 彼女の言葉、闇の祝福が終わり、指が引き抜かれる。

 それと同時に、切り離された奴の五体が、血が、蠢き騒めきだす。

(元の生命力が強いとー、元気がよくて良いけど、ちょっとぶきみだよねー)

(まぁのう、妾も大概、この光景にも慣れたものじゃが……今宵はワインだけで夕餉を済ませたい所じゃな)

 骨が繋がり、腱がまとわりつき、血管と肉が繋がっていく、砕かれ引き裂かれ、ばらばらになっていた翼がみるみる再生していく。

 程なくして、真祖の前に、あの彼女に数倍する巨体が再生し、その凶暴な目を眼下の二人に向けていた。

 それをうっすらと微笑んだ真祖の瞳が受け止め、可憐にすら見えるふっくりと愛らしい唇が開かれた。

(さてと、これで貴方は我が眷属となった……よろしくね、『ダークウィンド』)

 夜を吹き渡る死の風よ。

 その真祖の言葉に、それは巨体を折りたたむように膝を付き、恭順の意を示すように、彼女の前に首を垂れた。

「そうか、名付け……か」

 あの時真祖が、あの化け物に「ダークウィンド」という名を付けた。

 それまであの怪物が何という名だったのか、それは大して重要な話では無い。

 肝要なのは、真祖のやったように、一度死に等しい状態にしてから、あの血の力で新たに与えた命に紐づけるようにして名を刻む事により、あの存在を規定しなおし、自らの配下へと従えた……その事。

 そのあやつに対して、真祖の血を介しつつ、妾はダークウィンドという名を足掛かりにして介入しようとしたが、それが弾かれた。

 という事はだ。

「名をすり替えたか」

 いかなる存在であれ、真祖の刻んだ名を更に上書きするなど出来はすまい、だとすれば、あのダークウィンドという名を基に、それを僅かに……それこそ似て非なる名に「すり替えて」欺瞞し、自分の支配下に収めたか。

 他の可能性も無論あるだろう、だが、鞍馬と戦乙女が奴に追いつくために上げた速度を維持できる時間はそれ程残されてはおるまい。

 いや、それ以前に、これ以上時間を置いては、あの男が危ない。

 迷っている暇はない。

「……妾ならば、そうする」

 吸血姫の口から、低い呟きが零れる。

 口にして、音にして、考えを固める。

 この確信を基に術を解いて、ダークウィンドに対して干渉する。

 吸血姫は、自らの中に眠る真祖の血を介し、再びダークウィンド……今は恐らく別の名を与えられた存在に意識を繋いだ。

「勝負じゃ」

 お主の仕掛けた欺瞞が勝つか、妾がそれを見極めるのが先か。

 吸血姫の顔が、滅多に見せない寂寥に曇る。

「我が後継者よ」

「そして、貴方は、今や私の手中」

 そう口にしながら、彼女は悠然とこちらに歩を進めて来る。

 圧倒的な力を見せつける白い吸血姫の姿を睨みながら、男は目を鋭く細めた。

「確かに俺は孤立無援で、今や得物もねぇ」

 彼女との距離は凡そ三間(5.4m程度)。

 だが、この距離にも、彼の抵抗にも、さほどの意味が無い事は判っている……。

 この得体の知れない「閉じた」場所では、逃げても無駄な事も、何となく判る。

「しかしだな」

 それでも、彼は拳を握った。

 蜥蜴丸や鞍馬との修練で叩き込まれた調息法で、呼吸を整え、気を鎮め、体内に満たす。

「俺はまだお前さんの手中に落ちた覚えはねぇ」

 虚勢にしか見えないその言葉を、だが、あざ笑う事も無く彼女は小さく頷いた。

 敗色濃厚と敗北は違う。

 この人はそれを知っている。

 私だってそう、勝てる筈がないと知っている戦に挑み……今もそれは続いている。

 とはいえ、彼女にはまだ勝算らしき物はあったが、この男にはそれもあるまいに……愚かな事ではある。

「抵抗するのかしら?」

 無駄な事よ。

 式姫の助力があっても、抵抗できなかった貴方が、何をしようというの?

「私は確かに貴方の命を望んでいるわ、とはいえ同じ死ぬにしても、痛い思いをしたくは無いでしょう?」

 貴方は、その身に流れる血の力で、私の魅了や支配の魔眼を受け付けない。

 でも、その魂が敗北を認めれば……貴方は私の下僕として、至福の中で死ぬことが出来るわ。

 絶対の死の中で、死に方として選ぶなら、悪くないでしょ?

「まぁ、な」

 そう言いながら、彼は無意識に首筋を撫でた。

 そこに走るのは、周囲とほんのわずかに違う色を残した痕。

 堅城の城主から受けた、この傷。

 天女たちの術で癒しては貰っているが、式姫のような、元々の治癒能力薄き人の身故か、自分の体にはこれまでの戦いで受けた傷がうっすらと残っている。

 別に、その古傷が痛むという事ではない、目を凝らさねばそこに傷があるとも判らない程度の物。

 だが、この身に刻まれた、刀や爪牙で付けられた傷の記憶は、鮮明に残っている。

 自分の血を流し、それ以上の他人や妖怪の血を流して来た。

 痛いのは嫌だ……けどな。

「それなら、大人しくしてくれる?」

 楽に、痛みも無く、その命を終わらせてあげる。

「……わりぃな、姐さんよ」

 この存在なら、今の俺など、生かすも殺すも自由自在だろう。

 それをせず、こうして屈服を求めるのは彼女なりの慈悲なのだろうと、その声音や態度から、何となく察する事が出来る。

 それでも、な。

「俺は馬鹿だからよ」

 もし、自分が物わかりの良い奴だったら、そもそも、自分はこうめを匿いもしなかったし、式姫と共に戦う事など選びはしなかったろう。

 あいつとも、あんな面倒くさい約束もしなかっただろう。

「俺は、自分からお利口に、この命を諦める訳にはいかねぇんだ」

 最後まで戦い抜くと、そう約束して、俺はこの命を貰った。

 そして、俺は式姫達の色んな思いや命を預かってここまで戦って来た。

 その戦いの中で、沢山の血を流して来た。

 

 今更、お利口にはなれん。

 

「そう……」

 貴方もそうなのね。

 重い、大事な物を沢山その手の中に預かって、それでもひるまずに生き続けようとする。

 預かったそれを、脚を止め、背中を軋ませる重荷では無く、前に進む力に変えられる、稀有な魂

 それを見極める事が、私には出来なかったか。

 この人に手を貸しているだろう吸血姫……貴女にはそれが見えたの?

 結局、私は、何も見えては居ないのか。

 今も、そしてあの時も。

 だが、私も自分で選んだ道を歩き出してしまった身。

 ならば、私は。

「ごめんなさいね、見縊るような事を言って」

 すう、とその真紅の光を宿した魔眼が細く鋭い光になって、男を射貫く。

 天柱樹、世界を支える柱と一体となりし式姫の庭の主よ。

「では、私の望みの為に……貴方の身に満たされた龍脈の血、全て貰いうける」


 
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