No.105836

ホタルのヒカリ~グリムリーパーガール~ 

みすてーさん

――和輝くんを殺して、魂を吸収すれば、わたしは……。
 魂を吸収し、チカラを得る能力。捨てたはずの名、グリムリーパー「K」としての能力。しかし、そのチカラがあれば組織の追っ手「J」を倒し、普通の女子高生霧島蛍として過ごせる日が来るかもしれない。
 自分を好きだといってくれた少年を殺してでも……?

現代異能力ものです。短編です。

2009-11-07 22:28:33 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:800   閲覧ユーザー数:798

ホタルのヒカリ ~グリムリーパーガール~ 

 

 淡く、エメラルドのような光の粒が静かな闇に揺れていた。

 夜の海面をホップし、ぼんやりと輝く。

 主である少女を包み、月明かりの無い夜空に可憐なシルエットを浮かび上がらせた。

 

 少女は肩まで伸びた銀髪を静かに揺らして、コンクリートの防波堤にそっと着地する。後ろを振り返り、闇の向こうからやってくる攻撃的な意識を感じ取り、うつむいた。

 足元の海面は深い闇をたたえる。闇からあぶれた波が静かにコンクリートへぶつかり、砕けた。絶望という言葉を連想させるようでもあった。

 少女は救いを求め、陸地へ視線を移動させた。

 上空で渦巻く潮風が答えを提示するかのように防波堤を越えていった。非常電源のみ点灯したトタン屋根の倉庫へ向かって流れ、そのまま錆びついたシャッターに当たり、人の声とは異なる自然な喧騒を響かせている。

 その様子を遠目で眺めていると、不意に少女の肌に冷たい雫が落ちた。反射的に闇に閉ざされた天を仰ぐと、いくつもの水滴が落ちてくる。

 その降り始めの雨は海面に波紋をたたえ、その中にひとつ、雨粒とは違う、おおきな波紋が広がった。

 海面を蹴り上げて空を舞い、少女は目の前にそびえるトタン屋根の倉庫へ飛び跳ねていくのだ。倉庫は隣に並ぶコンクリートの雑居ビル三階相当の高さがあり、楕円形を描いた屋根が数列並び、一棟だけ四角い雑居ビルが倉庫をまとめているようだ。入り口には大きな字で連番が振られていた。その中で一つだけシャッターが半開きになった倉庫に、少女は滑りこんでいくように消えた。

 

 寄り添うように繋がれた漁船の一角で、裸電球一つ頼りにごそごそと操舵席の書類棚を漁っていた日野和輝<ひのかずき>は飽きてきた作業にふと伸びをした。潮風と汗にまみれてねっとりした髪に不快さを感じ、思わず備え付けの手ぬぐいで頭を拭く。はじめて美容院で切りそろえてもらった髪形が台無しになり、寒いだろうと思って被ってきた厚手のパーカーが裏目に出た。

 父親の仕事を手伝っているとはいえ、急な使い走りに出され、悪いことが重なった自分の運命が哀しくなり、思わず大きなため息をついた。好きだったはずの潮と錆びの臭いが今はなんだか無性に腹立たしくて、つい探し物も雑になる。思わず余計な書類を頭の上でばら撒いてしまう。

 だが、思わず、手が止まった。

 真っ暗な海面に緑色の光。

 ……なんだろう。

 好奇心が、頭で考えるよりも早く、目の前で浮く書類を叩き落し、視界を確保し、裸電球のスイッチを切る。光源が失われ、和輝の周囲は瞬く間に闇に落ちていく。しかし、和輝の目は闇に慣れる時間すらもったいないとばかりに、緑色の光の主を追う。

 それはいつしか、空中に舞い上がった。

 銀色の髪をたたえた、女の子。

 和輝からは距離があった。それでも、目は彼女の顔をしっかりと捉えた。切り揃えられた前髪。金色に輝くが、どこか哀しみをおび、今にも泣きそうな瞳。ちいさな口元にふっくらした頬。小柄な体付きに似合うような控えめな胸とすらりと伸びた手足。海面を蹴り、飛び跳ねる、その姿。全身を包む緑色の光が蝶の羽を思わせ、燐粉のような粒子を振りまく。空に軌跡を描くたびに光の軌跡が残り、和輝の口から思わず、妖精、などという現代には似合わぬ言葉が飛び出したほどだ。

 使い走りの用事など忘れてしまったかのように、和輝の瞳はその少女の飛んでいった倉庫に惹きつけられ、姿が消えてもじっと見つめていた。

 

 

 音を立てて雨を弾かせる半開きのシャッターをくぐり、霧島蛍<きりしまほたる>は能力を解除し、倉庫の奥へ進む。

 体を覆っていた緑色の光は徐々に輝きを失っていく。スーツが順々に消滅し、スカート姿の学生服があらわになる。銀に染まっていた髪は暗闇と同化するように黒く染まり、地を蹴るたびに何メートルも飛べたブーツがありふれた学校指定の革靴に変わる。

 常識的な学生の姿で蛍は倉庫の壁伝いに歩く。格子状のコンテナに山ほど積まれた段ボールの脇を通り過ぎ、煤けた空のドラム缶の裏に背を擦りあわせる。

 壁に備え付けられた消防装置がわずかな光量とはいえ、仄暗い赤色で蛍の濡れた前髪を照らす。シャッターを眺められる位置に顔を移動した際に雫が床に落ち、そのわずかな音にもびくっと体を震わせる。

 非常用の装置たちが揃って低周波を響かせる中、口元を抑えて息を殺す。このまま何事も無ければいいと思うときに限って時間が経つのが遅く感じる。そう思った矢先だった。

 シャッターを叩く音がした。男の声も聞こえる。開いていることを確かめているようだ。

「隠れるとしたら、ここか」

 中年の男の低い声。

 ドラム缶の影から覗くと、暗闇に慣れた蛍の瞳に背の高い背広姿が映った。だが、先頭立って倉庫に入ってくるのはもう一人の男だった。

「こんなチンケな倉庫、一発ぶっ壊せば、それでターゲットも死んで終わりだ」

 小柄でジャンパーを着て、まさに思いついたことを考えずに口にするタイプのようだった。ふらふらしながら、目に付いた事務用の机や椅子を蹴飛ばして唐突に笑う。

「組織の命令だ、少しでも傷つけずに……おい、なにしてる」

「俺の予感だと、この辺なんだよなあ」

 蛍が隠れたドラム缶とは真逆の位置で段ボールが積まれたところで、足元の段ボールを蹴飛ばしていた。男の野卑な笑い声。手当たりしだい乱暴に蹴飛ばす音。

 あの程度ならじっとしていれば、と彼らの様子を覗きこむをやめ、目をつぶってやりすごすことに決める。高鳴る鼓動が聞こえてしまわないかと思わず胸を抑えつけた。

「……動物的勘か」

「実戦で培った勘といってくれ。この任務がうまくいけば俺だってJ並みの幹部に昇格できるかもしれねえ。実戦派だぜ、俺ってよ」

 ふん、と背広の男は拳に力を篭め、腕ごとなぎ払った。空気が圧縮され、歪んだ空気圧が三日月型の衝撃波となり、水平に飛んだ。射線上にいたジャンパーの男は咄嗟に飛びのく。

 衝撃波はそのままコンテナに積まれた山ほどの段ボールに炸裂し、コンテナは折れ曲がり、段ボールは引き裂かれて次々と音を立てて崩れてきた。

「おいおい、大人げねえ。俺のこと気にいらねえってのか」

 ニヤニヤしながら挑発するように声をあげるジャンパーの男に対し、背広の男は無視ししてもう一度腕をなぎ払った。男の一撃で崩れる段ボールが気になって、蛍はドラム缶の影から顔を出して様子を窺ったところに、男の二撃目が重なった。気づいたときには遅く、衝撃波をまともに浴びた。

 悲鳴とともにドラム缶と一緒に転がっていく。

 コンクリートの床板に肩をしたたかに打ち、うめき声のような悲鳴が自然に湧いた。

「おう、ビンゴ」

 ジャンパーの男は自分の手柄のように指を鳴らす。

「情けを知って、戦闘員としては使い物にならなくなったと聞いたが、確かにそのとおりだな」

 男の言葉で連想させる、かつての自分の姿を脳裏に描き、蛍は顔を歪める。それでも目を見開き、しっかりと相手を捉えようとした。

「お義父さん、ごめんなさい」

 背広の男はさらにもう一撃放つ。

 半円形の空気の塊が尻餅をついた蛍に向かって襲い掛かる。

「わたし、また戦ってしまいます」

 呟き、その後は一瞬のことだった。

 蛍は緑色の光を散らし、飛んだ。一蹴りすれば何メートルも浮かび上がるブーツが蛍の足を包んでいた。衝撃波は蛍のいた位置で炸裂し、コンクリートの床板を鋭利にえぐる。吹き飛んだ破片は窓ガラスに穴を開け、激しい音を立てていた。

 一方で床から跳ね上がった蛍は空中で緑色の発光を強め、全身に光を浸透させる。透きとおるような銀色の髪、黄金に染まる瞳、肌をとりまく強化服としてのスーツ。闇を思わせる暗い青に染まり、蛍の白い肌が余計に白く見える。そして、体全体を保護するように全身から緑色の光が浮かびあがる。やがてそれは大きな翼となり、粒子を散らしていく。

 敵を認めたかのように背広の男は身を乗り出し、連続して衝撃波を繰り出した。蛍は天井を蹴って難なくかわすと、今度は壁を踏み台に、重力を無視して空中を滑る。

 暗闇を走る一条の光、後を追うように火花が散った。ジャンパーの男が拳銃を乱射したのだ。連続して響く火薬の音、飛び交う弾丸。狙いをつける銃口から放たれる緊張感を肌で感じ取り、蛍はちいさな弾丸に当たることなく宙を駆けていた。やがて、銃撃がやみ、コンクリートに落ちる空薬莢の音と同時に男が罵声を発した。逃げていく目標が気にいらないらしい。

 だが、男の次の行動に蛍ははっとした。荒々しく携帯電話を取り出したのだ。

 仲間を呼ぶつもりだと判断してから、その後の行動は早かった。二人で済むならその方がいい、蛍は自分に言い訳をしているようだった。

 身にまとう光の粒子を結集し、弧を描く。物質化したそれは弓であり、弦は光の粒そのものだった。弦を引くと、そこにはゆらめく炎の様に光が生まれ、矢となった。なによりも発光した矢はひきしぼられた弦によって弓から飛び出し、ジャンパーの男に向かって突き進んだ。軌跡に粒子の欠片をこぼしつつ、真っ直ぐに飛び、三つに分裂する。直後にそれぞれが糸の様に絡まりあい、らせん状になって対象に向かって攻撃的な意志をあらわす。

 ジャンパーの男は矢の光量に脅威を悟ったのか、抗うように絶叫した。緑色の光の矢は無慈悲に彼の体に突き刺さる。目の眩むような光の爆発、断末魔は掻き消えた。蛍は間髪いれずに床を蹴り、光の爆発にすれ違うところで自身の身長ほどある大鎌を生成し、光の溢れる男の体めがけてなぎ払う。鎌の切っ先が白い球体を刈り取り、蛍はその球体をつかまえて自身の小振りな胸に叩きこみ、胎内に取りこんだ。

 取りこんだ魂は蛍と敵対していればいるほどすぐに馴染めない。ジャンパーの男の魂は納得いかないとばかりに蛍の胎内で咆哮する。それがすぐに蛍の表情を歪ませた。

 苦いものをムリヤリ飲みこむように力ずくで消化し、蛍の背後の光が強みを増す。表情を引き締め、背広の男をきっと睨む。

 その状況を観察していた背広の男は黙って踵を帰した。

 新たな魂を吸収し、鼓動が高まった蛍に男の背中がちいさなものに見えた。先ほどまで感じていた脅威はない。逃がしてはダメとばかりに、追われる立場から追う側になっていた。久しぶりの魂の補給で確実に死神としての心が躍る。餓えていたらしかった。

 こういう自分を認めてしまうのがイヤなのだと首を振るも、ではどうしたらいいかという問いに答えは出ない。あえて言うなら嫌々でもこなさなくてはという程度だった。自分が生きていくために仕方の無いことなのだと渋々内面に言い訳する。

 そうして、鎌は再び振り下ろされた。

 背広の男がシャッターをくぐるところだった。追いつくことに造作はなかった。

 新たな魂はやはり抗う。男の痛烈な叫びが蛍の胎内から脳髄に駆けめぐり、蛍は必死に頭を抑えた。

「知らないよ! 家族がいるなんて!」

 シャッターを拳で叩いて、苦しみを紛らわせる。激しい動悸、涙が勝手に流れる。

 恨みや怒り、絶望の言葉たちが自己嫌悪を呼び、加速してスパイラルする責め苦。一瞬のこととはいえ、激しい慟哭。意識を保つことに集中すると、苦しみは喉元を去り、今度は満腹感に似た充実感がもたらされた。緑色の発光は色味を増す。

 複雑な気持ちでシャッターをくぐると、外は真っ暗で、まだ雨が降っていた。

 静かになった。

 雨の音は徐々に強くなっているが、波や風が砕ける音が響くだけというのは平和でいいとすら今の蛍には思えるほどだった。目を閉じ、同時に能力を解除する。緑色の光は順々に暗闇に溶け、常識的な学生服に戻った。

 もう追っ手はいない。

 そういうつもりで気を落ち着け、屋根の下を伝い、少しでも濡れずに家路に向かおうとしていた。このような場でセーラー服でミニスカート。場にそぐわないのはわかっている、だからこそ、早く帰らないと。誰かに見られでもしたらどう言い訳したものだろう。そういうのは苦手だった。それに、当たり前だが、この服を濡らしてしまいたくなかった。

 そんな時、ちょうど、傘が窓枠にかかっていた。事務所らしき鉄筋コンクリートの建物だった。キョロキョロして誰もいないことを確認して、ごめんなさいと呟きながら傘を手にした。安っぽいビニール傘。骨組みは錆びているが、どうにか差せるようだ。きしむ音をさせながら開く。

 これで濡れずに帰れる……と、安堵した瞬間だった。

 耳にキーンと高音が響く。

 背後の空間がスローモーションに歪んでいく。空気を切り裂く何かが来る、ぴりぴりとした緊張感が五感を刺激し、振り向く時間がないと直感的に理解した。

 傘を手放し、体を横転させる。

 ひらりと舞ったスカートの近くを若い男が通り過ぎた。突き出した拳が傘を歪め、コンクリートにめりこませていた。

 蛍が体勢を立て直すと、男はニタリと笑った。

 背が高く、細身で手足が非常に長い。コンクリートをくぼませる力は男を針金的な強さに連想させる。狩人が獲物を狙うような鋭い目で蛍を捉えていた。

「J」

 蛍は男の名を呟いた。

 かつての兄貴分、二十五歳独身。切込み隊長を地で行く好戦的な男。

 反射的に引き出される記憶の再生、抗うように蛍は叫ぶ。

「わたしはもう、グリムリーパーKじゃない! 霧島センセイの子、霧島蛍!」

「なに言ってんだ、モウロクしたジジイに騙されやがって」

 落ち着いて取り成すJの姿に、蛍はカチンときて早口に言葉を続ける。

「うるさい! お義父さんはいい人なんだ、あなたたちと違って!」

「それで? 人の魂を吸わないとのたれ死ぬお前に素晴らしい道徳観を植えこんで、結果的にお前を餓えさせるだけだろう? ジジイの贖罪に付き合うつもりか」

「……それでもいいって決めたんだ。その方がいいって思うんだ」

「自己犠牲で解決するとでも思っているのか? ふん、教育が行き届いているな。つまらん意地をはってないで戻ってこい。俺と一緒にまた狩りを楽しもうぜ。毎日満腹になれる幸せの日々だ。いいだろう? そう不安そうな顔をするな。組織の人間が文句を言ったら、今度は俺が兄として守ってやるさ」

 不敵な笑みを浮かべ、蛍に向かって手を差し伸べるJ。義父を否定する男の手は禍々しく映り、蛍は歯を食いしばってイヤだと言った。瞬間的にチカラがみなぎり、緑色の光に覆われる。

 Jに向かって弓矢を構えた。

「……それが答えか。いいだろう、試してみろよ」

 矢を引き絞り、そのまま放つ。らせん状に鋭く尖るやじりにJは驚きもせず、冷静に両手を合わせて迎え撃つ。鋭く伸びる光はJの手の平に飛びこみ、その手をこじ開けようと懸命に突き進む。行き場を失った光の結晶は爆発の兆しを見せるが、純粋な力で抑えこまれ、やがて粒子となって霧散した。

「……そんな」

 渾身のチカラで放った一撃を弾かれてしまう。それは苦しみを対価に手に入れた魂の輝きが一瞬に煙になってしまった瞬間だった。蛍を包む光は陰りを見せ、表情とともに暗くなる。

「さて、妹分を殴るには……いささか不愉快ではあるが」

 といいつつ、ニヤニヤしながら拳を打ち鳴らす。

 蛍は一歩、そして一歩、あとずさった。

 

 雨が勢いを増していた。

 本降りとばかりにコンクリートに叩きつけ、水溜りをつくった。

 そんな水溜りの一つに蛍は着地した。

 水が撥ねたことを気にしていられない。

 コンクリートの壁に背中を張り付け、あの男の接近を探る。

 先ほど殴られた頬がまだヒリヒリした。そっと触れてみると熱くなっていた。手加減されているだろうことはわかる。本気ならそれだけで気絶している。今まで顔を殴ることはなかった事実にふと気づかされ、整理できない感情に困惑するも、人の気配を感じて、地を蹴った。同時に壁が崩れてJが現れた。

 感傷に浸っていながら戦える相手ではないことを再認識し、あとで考えようと蛍はJと距離を取った。

 Jは蛍の出方を見るように、転がっているドラム缶の端をつかみ、勢いをつけて放り投げた。中身が空とはいえ、ドラム缶は蛍がすっぽりおさまるほど大きい。そんなものが蛍めがけて飛んできた。

 叩き落す手間を嫌い、蛍は倉庫横の非常階段に設置された手すりと向かいの倉庫の配管を交互に足場にして飛んできたドラム缶を避ける。ドラム缶はそのまま直進し、ガラス窓を叩き割り、倉庫に侵入して書類棚をめちゃくちゃにしていった。

 その騒ぎを察知して非常ベルが鳴った。

 けたたましい音に惑わされ、気づいた時にはJの接近を許していた。

 蛍を至近距離に捉え、体を捻って勢いをつけ、拳をうちだす。対抗するように矢を放つが矢に供給するエネルギーが足りていなかったのか、Jの拳に逆に押し戻され、拳と一緒にそのまま蛍の胸部を強打する。

 勢いが止まらず、そのままコンクリートの壁に激突した。肺が圧迫され、息が止まり、苦悶の声すら上げられない。光の粒子がクッションになっているおかげで、コンクリートがへこむ見た目ほどのダメージはないが、それでも痛烈な苦しみなことに変わりはない。首根っこを掴み、つかまえたことを喜ぶようにニタリと笑う男がいた。

「お前では俺に勝てない……それは昔からわかっていたことだろ? それでも逃げ回るつもりか。それともお仕置きがそんなに好きか」

 言いながら、蛍の苦悶とした表情を見下ろしていた。

 それをわかっていながら、蛍はそっと微笑んだ。

 Jは彼女の口元の微笑を見逃さず、すかさず蛍を投げるように離し、すぐさま距離をとる。蛍が瞬間的に大鎌を生成し、倒れながら振りまわす。

「なるほど、確かに魂を刈り取られてしまえばこの俺といえど一瞬か」

 蛍はよろめきながら、呼吸を整え、再び弓矢を構えた。

 Jは蛍の行動に首をかしげる。

「何度やっても無駄だ。それがわからないお前ではないだろうが」

 その言葉を無視して矢は射ちだされた。当たり前の様にJは光の矢を弾く。その輝きが霧散する中、蛍は思い切り壁を蹴った。矢を囮にした蛍の行動に気づいたJは障害物を壊しながら確実に蛍を追ってきた。

 細い通路を飛び出し、蛍は自らの過ちに気づく。

 行き止まりなのだ。

 コンクリートの足場の向こうはもっとも深い闇である、海。

 つばをのみこみ、足が震えた。

 そのときだった。

「飛びこむんだ!」

 誰の声だとか気にしていられなかった。

 ただその選択が正しいと思えて、蛍は覚悟を決めて、冷たい海面に頭から飛びこんだ。

 海からあがるしぶきを浴びるタイミングでJがその場に行き着き、舌をうちならしながら海を見つめる。

「海に逃げたってバレバレなんだがな」

 緑色の光が人のシルエットを浮かび上がらせている。

 まだ半分残ってるんだよ、と腰のポケットからタバコをとりだした。雨に濡れぬよう火を点け、湿っていなかった喜びを煙で表現する。

「また遊ぼうぜ、Kちゃんよ」

 緑色に光る海面を見下ろし、不気味に微笑んで声をかけると、満足したようにその場をあとにした。

 

 冷たい海の中、蛍はじっと耐えていた。しかし、酸素の不足だけはどうすることも出来ず、恐怖に怯えながら海面に顔を上げた。だが、Jの姿はなく、思わずほっと息をつく。

 とはいえ、油断は出来ないと周囲を眺める。

 首を捻ったところでちいさな漁船に明かりが灯っていたのを見つけた。

 穏やかな電球の光だった。

 淡いオレンジ色に似た光。蛍はあの光が好きだった。優しい感じがすると思うのだ。罠かもしれない疑惑をひきずりながら、魅了されるように明かりの下まで泳いでいった。

 明かりは灯台のように悠々と周囲を照らす。

 その光を遮るように少年が姿を現した。

 蛍はぎょっとしながらも、それがなぜか敵ではないように感じた。明かりと同じくらい穏やかな少年の表情に警戒心が麻痺したのかもしれない。

 こっちだ、と少年の声が響く。思わず従ってしまう。

 想像していた声よりも高くて明るい声だった。若い。同じくらいの年ではないかと蛍は思った。

 漁船というよりはボートに近く、とても狭い。少しでも傾ければ転覆してしまうのではと思わせるほど、健気にバランスを保ち、静かに浮いている。そのへりから少年は身をのりだし、手を差し伸べてきた。その手にJの影が重なる。

 組織へ戻すために白々しく甘い言葉で誘惑する、あの男の手の平。ウソ臭くて禍々しくて見ていられなかった。気持ち悪いとすら感じた。

 だが、この少年はどうか。

 少年の瞳はきょとんとしていた。いつまでも黙って海に浮いている蛍を見つめている。

 震える手の平を、蛍からも差し出した。

 白い肌も相まって、余計に冷たさを感じさせたはずだが、少年は気にすることなく蛍の手の平をしっかりとつかまえた。しかも力強く、引き寄せていく。

 握られた瞬間、その温かさに後悔はなかった。それくらい蛍の心を刺激した。

 あまりの感激に、少年の体の奥に灯った黄金の光を見つけられなかった。

 

 タオルを貸してくれた少年は日野和輝と名乗った。近所に住む高校生らしい。

 デッキに備え付けられた小さな鏡を覗きこむと、頬の腫れが引いていた。ちらりと少年の方を見て、痛みとは別の意味でも安心した。これも備わったチカラのおかげと思いながら。

 だが、髪が黒いことにぎょっとした。

 まだ能力を解除したわけではないのだ。その証拠に体はバトルスーツに包まれている。足だって、あのブーツに。それがなぜ、髪だけ元に戻っているのだろうか。

 理由は簡単だった。

 蛍を取り巻く緑色の粒子が薄くなっているからだった。魂を還元、変換した光の粒子。それが足りないのだ。J相手にかなり消費したようで、二人分の成人男性でも足りなくなってしまっている。男二人吸収する前の状態よりマイナスだった。このままJに出会えば問答無用で返り討ちに合う。あるいはいつしか餓えて倒れてしまうかもしれない。

 こちらに背中を向け、外の様子を窺っている少年、日野和輝の魂をもぎとれば補えることは確かだった。この少年の魂は純粋でさぞかし美味であろうと死神的な予想がつく。だが、それは捨てた考えだと首を振って、タオルに顔をうずめ、濡れた髪を包む。

 蛍に敵対的な心をもつ人間の魂をいくら吸収しても気分が悪くなり、ろくなエネルギーにならない。だが、蛍に好意を抱く人間、あるいは純粋さを持った人間といったものはそうでないものたちの何倍、何十倍ものエネルギー源になる。

 育ての親であり義理の父として蛍を教育した人間の魂を吸収したときは最高だった。

 安らぎ、居心地のよさ、魂自身が蛍を包むその感触は言ってみれば愛情表現そのものだろう。理性で拒否しても死神としての本能があの感覚を忘れさせない。お前は生きていていいという義父の言葉にしがみつき、霧島蛍は父の魂を吸収し、生きる糧とした。

 その行為があったからまだ生きているものの、あの時一緒に死んでいればよかったと思うことがある。今もその時だ。助けてくれた少年の魂を刈り取ってでも生き長らえようとする心に腹が立つ。

 Jと対等に戦える、組織から逃げられるチカラが手に入る、そんな理由をグリムリーパーKが提案する。霧島蛍はその考えを否定していたが、それでも手の震えは止まらない。

 フラッシュバックのように蘇る、かつての記憶。幼い子供を吸収した時の快楽。親切にしてくれた中年の女性の魂は安心感を与えてくれた。

 グリムリーパーKはそうやって食事をしてきた。

 だから。

 だから、手に掛けるのか。

 虚ろな瞳が鏡に映り、それを直視できず、思わず手で覆う。

 自分を助けてくれた人を。いや、だから、余計に……。

 内なる自分はまだあのときのまま。

 捨てたはずのグリムリーパーKから変わらないのだ。

 義父を失った時、もうこれで最後にしようと誓った言葉がまるでウソだった。その事実がたまらなく悔しく、タオルを力いっぱい握りしめた。

 ふと、少年が動いた。

 船内に入り、その瞳が何か言いたそうだった。

 気づかれたかと逡巡する間もなく、少年は明かりを消した。

 やがて、やかましい音とともに赤色灯の点滅が辺りを包む。

 和輝という名前の少年は蛍をじっと見つめた。

「警察が来たみたいだ。君、追われているの?」

 暗闇の中でも彼の瞳は輝いているようだった。生きる人間の醍醐味のようにも感じられた。それではまるでわたしは死人じゃないか、と自嘲し、和輝の質問に答えるタイミングを失う。

 和輝は蛍の腕を掴み、漁船の操舵席の裏、ちいさな荷物置き場に誘導した。仕切りのカーテンを閉めて、二人で窮屈に抱き合う。とても狭い場所で常に体は密着し、顔が触れ合うかのようだった。シートと和輝の体に挟まれた蛍はびっくりして声も出ない。

「ごめん、後で謝るから、今はじっとしてて」

 警察のお世話になるのは面倒とも言った。蛍は無言でその言葉を支持した。それが伝わったのかもしれない。警察の様子を二人でカーテンの隙間から窺う。

 警官が次々とパトカーから降り、現場検証をはじめているようだった。

「この雨だ、そう長居しないのがいつもパターン」

 蛍の方を振り向いて目が合った。少し顔を近づけるだけで唇さえ触れ合うような密着体勢。和輝は照れたように、だが申し訳なさそうにうつむいた。

「ごめん、やっぱこんなところに居るのはイヤかな」

 年頃の男女がともいいたげに。

 蛍は何も言わず、首を振った。そのまま和輝と一緒に警察の行方を見守る。彼らはあまり成果をあげられていないようだった。かなりの建物の破壊があるはずだし、なによりも男二人が倒れているのだ。確認する気があるのかないのか、まだ読めなかった。

 雨足が強いのも彼らを鈍らせている原因かもしれない。

「……わたしは大丈夫だけど……」

 時間を置いて、和輝の質問に答えた。

 頭を和輝の肩の上に預け、体は寄り添うように密着しているが、それほど苦にならない。むしろ彼の温もりで冷えきっていた蛍を暖めていることが重要だった。

「……わたしこそ、びしょ濡れでごめんね、冷たいでしょ」

「いいよ、そんなの」

 ぶっきらぼうに答え、和輝はタオルを手繰り寄せたようだった。ぽんと蛍の顔に掛ける。和輝の胸の上に敷いて、そこに頭をのせた。心臓の鼓動がよく聞こえた。蛍の冷たさはあまり歓迎されていないのだろうが、蛍との距離が近くなればなるほど、彼の鼓動は高まっていくようだ。蛍を見るたびに照れてしまう彼の表情も合わせて、嫌われていないことがわかった。むしろ、そういった態度が蛍の心を刺激した。だが、肝心の蛍はそれがどういう意味かはっきりとつかめないのだ。死神としての喜びなのか――それとも。

 そう考えているうちに自身が霧島蛍でいるための条件をすっかり忘れていたことに気づいた。

 あまりに当たり前のことで、それを忘れていたことが恥かしくなってつい頬を赤く染めた。なんで最初からこうしなかったんだとばかりに、蛍は全能力を解除した。

 ブーツは足のサイズぴったりの革靴になり、ソックスが綺麗に足を包んでいる。スーツはリボンのついたセーラー服に戻った。服の湿り気はなくなり、逆に和輝のパーカーに染みこんだ水分が今度は蛍の制服を侵食した。

 

 パトカーが撤退するまで、そう長くはかからなかった。夜が明けてからとでもいうのか、ほぼすべての車が立ち去ったが、一台だけエンジンを止め、見張りの様に居座った。

「あいつら、相変わらず適当だな」

 パトカーが赤色灯を消し、完全に沈黙したとわかると、和輝は仕切りのカーテンを開け、蛍を解放するように抱き起こした。その腕力に甘え、蛍は身を任せて、立ち位置を確認し、今度は和輝が起き上がるために手を差し伸べた。和輝はそれを意外に思ったのか、はにかんだようにありがとうを言って、立ち上がった。その手を離さぬうちに折り畳み傘を探し、和輝が先導した。船と船の影を縫うように二人は走った。

 電灯が増え、普通車が行き交う一般道路まで息をつかせぬほど走った。強化スーツを身にまとっていない蛍は何度も足をもつらせたが、握られた手の平が離れていく恐怖に身を駆られ、懸命にふんばって持ち直した。

 変身しなおすことを考えなかった。

 Jという脅威がないこともあるが、和輝の手に引かれている間は霧島蛍でいる、そのことが命題のように頭を支配した。

 やがて等間隔に電灯が設置されている歩道に出て、はじめて歩を緩めた。

 手にした折り畳み傘を開き、もう小振りになった雨でも和輝の傘は蛍を濡れることを防ぐように差していた。蛍寄りの傘は、蛍の手によって二人の中間点に置かれた。気づけば握られた手が離れていた。

「あんまり気を遣わないでも大丈夫だから」

 和輝の温かな手を名残惜しそうに見つめながら言ったのだが、返ってくる言葉はなく、暗がりのせいで残念な表情をしていたようにも見えた。

 その後、じっと黙って歩いていた。

 先に沈黙にこらえきれなくなったのは蛍の方だった。

「こういうのって、相合傘って言うんでしょ?」

「イヤかな?」

 ぎょっとなって反射的に聞き返した和輝だったが、そこまで驚く意味が逆に蛍にはわからず、ぎこちない笑顔で言葉を続けた。

「わたし、こういう経験ないし、させてもらえなかったから。今ちょっと楽しい」

 蛍の口から解放されるように言葉が滑り落ちる。

「こうやってふたりでゆっくり並んで歩いていると、さっきまでのことがウソのよう。わたし、憧れてるんだ。普通の女の子みたいに過ごすこと。だから、今、ただ歩いていることがとても幸せだし、そう思いたいんだ……こういうのが幸せだって。あなたを口封じに殺して自分のエネルギーにすることなんかより」

 言ってしまってから、迂闊さに口を覆ってしまった。

「やっぱり、君、俺たちと違う世界の人、だよね。ウラの世界っていうか。」

 隔絶感ある物言い、声音。

 蛍は静かに頷いた。

「あの……わたしの言ってること、信じられないって思うかな?」

 和輝は一拍置いて、口を開いた。

「俺、父親が漁をやってるおかげで海でたまにすげえもんひきあげたりして、そういう感覚大事にしてる。だから、この目で見ちゃったものは信じることにしてるんだ。でも、君の場合はやっぱり、ケタが違うっていうか」

 続けての言葉は頭を掻きながら、ゆっくりと流れた。

「君の名前、聞いたら、俺、殺されるかな?」

 一転しておどけるような、そんな、和輝の声。

「もし、手伝えることがあったら協力したいんだ。君の姿見てて、正直そう思った」

 物騒なことはムリだけどね、と付け加えて。

「深入りすると危ない?」

「意味のわからない人たちに狙われるかも」

「一般人も見境なく?」

 蛍は何かに気づいたように顔を上げた。少し笑顔のようでもあった。

「そっか、一目につくところなら、組織の人たちは手を出せないんだ」

「お。じゃあ決まりだな」

 和輝は腕を挙げて、ガッツポーズした。そんな彼の強い瞳の力に吸い寄せられたのかもしれない。自然に微笑みがこぼれた。

「わたし、蛍、霧島蛍。よろしくね、日野和輝……くん、だっけ」

 和輝でいいよとの声に、和輝くんと再び言い直して。

 

 義理の父親の形見となった携帯電話の番号とメールを交換し、蛍は和輝と別れ、家路についた。比較的新しい白塗りのマンション、オートロックのエントランスにパスを打ち込み、二階を目指す。

 玄関を開け、真っ暗なワンルームの奥、無造作に置かれたベッドに倒れこむ。飾り棚に置いた写真立てを手探りで引き寄せた。写真の中で、ぎこちなく笑う蛍の肩を抱く初老の男がいる。

 お義父さんと呟き、写真立てごと抱きしめる。

「わたしだって普通の男の子と仲良くなれるんだよね、そうして、いいんだよね、お義父さん」

 それは、きっと、魂を効率よく吸いあがるために親しくなる演技なんかじゃなくて、けっして、演技なんかではないと涙ながらに繰り返した。

 日野和輝、彼の別れ際のセリフに同意してしまった自分への後押しをしたのはかつての自分。わかってしまうのだ、和輝に近づけば近づくほど、彼の魂の輝きが大きくなっていくことに。

 そして、それを吸収したときに得る、快感が。

 

「今度の日曜、空いてるかな?」

 ストレートな誘いに思わず、うんと頷いてしまった。ともあれ、メールに書かれた駅前のロータリーに早めに着いた。ある晴れた日曜のお昼前だ、人の流れはそれなりに多い。

 日差しに反射する白いブラウスが我ながら眩しいとさえ、蛍は感じる。スカートひとつ選ぶのにいつも以上に時間をかけてしまった。同世代の男の子とお出かけする年頃の女の子気分を肌身に味わい、自然とぼんやりとしてしまった。

 時間ピッタリに現れた和輝はこの前の汚れた灰色のパーカーにジーンズという身なりから、黒のジャケットにストライプのシャツと、がっちりしめたベルトに色鮮やかなジーンズをはいていた。その組み合わせが良いか悪いかはこの際どうでも良かった。そこに彼がいて、これから二人でぶらぶらしようとしていること自体が蛍にとってはこんな日常があってもいいと思わせる奇跡なのだ。

 世間話をして、電車に乗って繁華街へ出て、ただ和輝についていくだけであったが、君にはこれが可愛いとか言って勧めてくるオシャレな服に惑わされながら、一般的なことに無知である自覚がふつふつと湧き上がり、蛍は自分自身が恥かしいと思ってきた。

「みんなが楽しそうにしてること、わたし、全然知らないんだ」

「じゃあ、これから覚えていけばいいんじゃないかな」

 和輝は簡単に言ってのける。

 そんな簡単なことじゃないとつい反論するが、彼に聞こえるほどの声が出なかった。この空間を壊すのはもったいない。

 結局、なにも買わないままぶらぶらしながら、あまり行きたいところがないという蛍に和輝は困惑していた。和輝の悩みの理由がイマイチわからぬまま、蛍は公園のベンチに腰を下ろした。噴水もあって、ベビーカーを押す母親の姿もある平和な公園だった。今通ってきた並木道がとても気持ちよかった。

 この平和さがグリムリーパーKにとっては最高の狩場であること、そのことがちらほらと頭に浮かぶ。だが、和輝の顔を見て、考えを打ち消す。

「わたしは、普通の女の子として生きていいんだよね」

「そうしたいなら、そうすればいいんじゃないかな」

 さっきと同じ答えだと蛍は思う。だが、そのシンプルさはきっと本質なのだ。そう決めれば、あとは行動するだけなのだから。

「でも、難しいんだ。このチカラがあるってだけで」

「なくせないのかな、そのチカラ」

 はっとした。

「そんな簡単じゃないの!」

 思わず叫んでしまった。

「ごめん。でも、つらそうにしてるから」

「ううん、わたしこそごめんね。暗いことばっかり言って」

「いいよ、少しでも苦労が和らげば」

「苦労? そっか、わたしって苦労してるのかな。これが普通だと思ってた」

 笑顔で答えると、逆に和輝は蛍を真剣な眼差しでみつめていた。

「どうしたの?」

「いや、普通ってなんだろうって思って」

「難しいね、和輝くんは普通なの?」

「うん、それがイヤだって思ってた。ちょっと特別なことに憧れてた、だから、オヤジの仕事とかも手伝ったりして。でも、蛍のこと見てたら、俺たちって恵まれてるのかな」

 蛍には答えられない。

「蛍がこの前言ったじゃないか。普通なことに憧れてるって。だからさ、普通なことが出来ない毎日ってやっぱりしんどいんじゃないかな。俺から見ても今の蛍、すごく楽しそうだ。この前はすごく、なんていうか寂しそうとか哀しそうとか、そういうイメージ。うまく言葉にならないけど」

「……やっぱり、わたしは普通じゃないってこと?」

「そうじゃないけど」

 うつむく蛍に慌てるように和輝は言葉を続ける。

「そうじゃないけど、育ってきたところが違うって言うか。大変だったんだろうなって」

「同情してるの?」

 ちょっと言葉尻がきつくなったかもしれない。ふくれっつらともいえなくもないだろう。

「……でも、これから、変えればいいじゃないか。俺、蛍のこと、たぶん、一目惚れだと思う。だから、これからは少しでも幸せなってほしいなって思ったんだ……」

 沈黙。和輝の言葉がどういう意味であるか、十二分に理解できていた。だからこそ、自分の胸の鼓動とは別のところが疼く。どす黒い、発作のような強いチカラ。

 葛藤しているのが表情に出てしまったのかもしれなかった。

「ごめん、迷惑だったかな」

 言葉が出ずに首を振った。

 ひと息吸って、落ち着きを取り戻すように、一言だけでも言葉にする。

「……ありがとう、うれしい」

 そう言って、出来る限りの笑顔をつくってみた。和輝は少し照れていたみたいで視線がうまくあわなかった。スローモーションに微笑む彼の顔。予想以上に大きく輝きだした魂の光が、とても眩しい。思わず顔を背けてしまうほど、今の蛍には美しすぎる光。いつまでも浴びていたいと思う一方、取りこむ誘惑にも駆られる。

 胸の鼓動が激しくなる正体はいつになってもわからない。何かを求めるように震える手を和輝に隠しながら、ようやく言葉を紡ぐ。

「でもね……それ以上、言葉で表現したら、ダメ」

 震えは腕全体に及び、それを抑えようと肩を自ら抱く蛍を、さすがに和輝は気づいたようだ。

「どういう意味……寒いの?」

「違う……発作みたいなものなんだ、これ。あはは、やっぱり普通じゃないよね」

 苦しげに笑う。

「大丈夫かよ? どうにかなっちゃうのか?」

「ううん、違うの。わたしがね、あなたの魂を欲しがってるんだよ……和輝くん。あなたのその言葉で今、心のどこかにスイッチが入って、和輝くんの綺麗な気持ちがとても美味しそうに見えてしまう、やっぱり、異常だよね、こんなの。なくなればいいのにね、こんなチカラ」

 かつてなにも言わずに守ってくれた男、そして、最期に言い残した言葉。その言葉により、蛍は覚醒し、組織の追っ手をほぼ壊滅させた。

 蛍の本性を本能的に動かしてしまう、言葉での表現。

 愛しい魂の輝きを察知してしまうスイッチ。

 涙がこぼれ、蛍の感情が垂れ流しになる。言葉が奔流のように溢れた。

「嬉しいのに、わたし、嬉しいのに、それがどうして嬉しいのか、自信がもてない。こんなチカラなかったら、ホントの気持ちわかるのに」

 和輝は黙ってそっと、ハンカチをつかい、涙を拭き取った。

「ねえ、和輝くん、わがままをいっていい?」

 こくりと頷く。

「……もう会わないことにしようよ」

「……そんなに……」

「これから、先が怖い。いつかわたし、和輝くんを手にかけるかもしれない。そんな日が来るのすごくイヤ。もう二度と、あんなこと、したくないもの」

 そこまで言って、蛍は感情が落ち着いた。

 最初からそうすればよかったとばかりに納得顔で微笑む。逆に和輝が顔色悪く、影を落とす。

「……ごめんなさい、ほんとうに」

 うつむく和輝の顔を見上げ、そっと寄り、キスをした。

 

 踵を返し、風の様に去ってしまった蛍。

 その背中を見送りながら、呆然と和輝は立ち尽くした。感情に整理がつかず、ただ、立ち尽くしていた。

「ちょっといいか」

 その後ろからそっと声を掛けた男がいた。和輝は何気なくふりむく。二十台半ばだろうか、すらりとしながらも体を鍛えている風貌な男は和輝と並ぶなり、肩を叩いた。

「あいつを普通の体にする方法があるんだが」

 

 先日と同じように真っ暗な部屋に戻り、蛍は電気もつけずにやはりベッドに倒れこんだ。

 これでよかったんだと呟く。

 写真立てを覗き込み、もう一度、これでよかったんだよね、と同意を求めるも、返事はない。愛しているよの声がまだ息のあった義父に止めを刺すことになった。もう、あれはイヤなのだ。

 蛍に心を寄せている人間ほど、その愛情に比例して馴染む魂の輝き。そして、本能的にそれを求めてしまう業の深さを恨むも、そういう体にしたのも義父だった。蛍に惹かれるほど、より強いチカラを吸収することが出来る能力。

 なんで、こんな体に、と泣いても、変える方法なんてないのだ。死ぬ以外にない。

「……わたしだって普通の女の子でいたいのに」

 涙が無意識のうちにこぼれる。死んでしまう以外にないのだろうかと。

 ふと、携帯電話が震え、静寂が壊された。

 ハンドバッグの中でメール着信の主張をしている。和輝からだろうと思いながら、それを確かめるのが憂鬱になり、しばらく横になっていた。だが、それでも、気になって眠りにつけず、やはり、携帯を見てしまった。

 ――いい方法がみつかったんだ。

 その文面に一瞬、心臓が高鳴った。

 同時に湧き出す強烈な不安感が冷や汗を感じさせた。

 

 指定された場所はあの港だった。ポールとロープで方々が立ち入り禁止にされている。先日の闘いが原因だろうが、やはり今夜も海面は静かに波打つだけで人の声はない。

 コンクリートの波止場を歩いていると、昼間の格好のままで和輝は静かに立っていた。

 蛍の姿を見つけて、喜んでいるようではなかった。大切なことを迷っているような、苦しそうな瞳で蛍を見つめている。出会った頃の輝きはどこへいったのだろうとさえ蛍は思った。

 今夜は月が出て、少し離れていても存分にお互いの顔色が窺えた。二人の間を照らす月の光、彩られた世界に惑わされたように、蛍は見なくてはいけないものを見落とした。

「蛍、ごめん。これが正しい方法かわからない、でも、俺は――」

 和輝の声と同時に低周波が響いた。

 得体の知れない起動音が蛍の勘を刺激する。

 ただ、なにが起きてるかわからず変身を躊躇した。その瞬間、蛍の位置から三メートル四方のところが発光する。眩しい白い光。

 全身に寒気を感じ、急いで蛍は緑色の発光とともに変身しようするが、その光に反作用し、電流が走り、急に重力が強くなる。立つことさえ困難になり、膝と手を冷たいコンクリートにつっぱり、なんとか耐える。

 断続的に続く強い重力に蛍は悲鳴に似た声をあげながら、この謎のチカラの正体を見破った。

「……アンチ……フィール……ド」

 蛍の声に戸惑い、額に汗をかきながら、和輝は不安そうな視線を奥に隠れていた男に注いでいた。

「ホントに、蛍は無事に!?」

 慌てるように叫んでいた。声の先の人物になんとか視線を向けた蛍は愕然とし、思わずうつむく。

「上出来だ。これでこいつの足を止められれば、あとはなんとでもなる」

 影に隠れていたJは指を鳴らしながら、リモコンスイッチを投げ捨てた。ぽちゃんと海に落ちる音が響く。

「一度発動した後は装置を壊すか、対象者が失神するまで止まらない仕組みだ。よく出来てるだろ、これもお前の大好きな霧島センセイとやらの遺産の一つだ。よろこんで味わうんだな」

 アンチフィールドと呼ばれた装置によって動けない蛍にJは語りかけた。その目には、苦しみ、うつむき、何も言葉を紡がない蛍しか映らず、先ほどから大きな声で投げかける和輝の叫びはことごとく無視された。

「さて、今夜こそ、我が家に帰るときだ。いやいや、兄貴分としてはうれしいね。久しぶりに妹が戻ってくるってことは。仲間たちも待ち望んでいるしなあ」

 Jの言葉に反応し、蛍は唇を噛み締める。やがて、頭をあげると、Jの奥で和輝が決意したようにあさっての方へ走り出した。

「……和輝……くん!?」

 うまく言葉にならないのがさらに悔しさを強めた。和輝は思いっきり騙されているのだ。あのメールの内容がその売り文句だろう。

 影から監視されていた状況に気づけなかった、そんな自分の浮かれ具合がこのざまと言う結果であり、和輝を責めることよりも悔いが体を押しつける装置並みの重さをもっていた。

 だが、優越感に浸っていたはずのJの表情が一変した。

「小僧、何をするつもりだ」

「俺だって、蛍の役に立てるんだ!」

 資材置き場にあった鉄製の空コンテナを体一杯つかって押し、勢いをつけ、自らの体重を乗せながら、そのまま慣性に任せてコンクリートを滑る。その先にあるものは――。

「装置は止めさせん、うおお」

「…………逃げて!!」

 怒号と悲鳴が響き、空コンテナは装置の一歩手前でJの飛び蹴りで中心部から折り曲がり、進路を変えて海に落ちていく。だが、落ちていくコンテナに和輝の姿はなかった。

 Jは振り向くと、板台車をスケートボードのように乗りまわし、もう一つの装置へ近づく和輝の姿を見定めた。

「今、助けるから!」

「させるか!」

 装置にたどりつき、繋がれてるチューブを力の限り引きちぎろうとした和輝の脇腹に、コンクリートを駆けてきたJのブローが叩き込まれる。その衝撃は和輝の内臓をえぐり、体を吹き飛ばす。

 和輝の体はゴムボールのように倉庫のシャッターに激突し、同時に後頭部を打つ。口からどす黒い血と胃の内容物が溢れ、口元からシャツの襟、胸元を黒く染めあげる。

 だが、装置から放たれた白い光は消えた。

 また、月明かりだけがコンクリートと海面を照らす。

 Jは舌を打った。

 月明かりの下、緑色に発光した少女がそこに立っていた。

 銀の髪が揺らめき、金色の瞳が強い意志をもっていた。

 Jを一睨みし、蛍は滑るように和輝へ向かい、名前を叫びながら、体を抱き起こす。

「よか……った……助かっ……たんだ。俺の……せいで」

 内臓が破裂しているのだろう、ノドに血溜りでもあるのか、呼吸するのが苦しそうだった。

「和輝くんが無事じゃなかったら、意味がないの! だからっ!」

 会わないようにって言ったのに、と涙をこぼし、訴えたが、和輝は朦朧とした意識らしく、微笑むだけだった。その手だけが蛍を求めるようにゆらめき、蛍はその血まみれの手をぎゅっと握った。まだ、温かい。その瞳は再び輝きを取り戻していた。

「もっと……一緒に……いたいよ…………ほたる……」

 そこで事切れた。

 瞳の輝きが一瞬にして失われた。

 同時に、蛍は絶叫した。

 握った手を壊れるくらいぎゅっと握り締め、ただ、和輝の名を叫ぶ。

 だが、ふと、慟哭は止まり、震える蛍の体は和輝の頭を抱きしめた。

 そっと唇を吸う。

 黄金の光が和輝の唇から口移しで蛍に取りこまれていく。

 やがて、蛍を覆う緑色の発光は徐々に黄金色に染まり、その発光も強まっていく。燐粉のように黄金の粒子をばらまき、蛍と和輝を包む。

「なんだ、これは」

 Jは不審さをあらわにし、蛍に近づこうとしなかった。

「まさか、あの時と……」

 霧島博士の死んだあの時と状況が似ていると口にし、苦笑いを浮かべる。

 あの時、どれだけの手練れの兵隊が死んだか、Jは知っていた。数少ない生き残りのうちの一人がJであった。

「あんな少年が覚醒のキーを握るだと」

 まだ蛍は和輝を抱き、何事か呟いていた。

「これはなんだ! 答えろ、K」

 そっと和輝の体を地におろし、Jと向かい合った。

「わからないの? J兄さん」

 かつてのようにJを兄と呼んだ蛍の声に抑揚はなく、蔑むように。

「わたしはグリムリーパーKじゃない、霧島センセイの子、霧島蛍!」

 かつての名で呼ばれていたような声音で態度で、Jを睨みつける。

「ふふん、だいぶらしくなってきたじゃないか。俺はそういうお前が好きなんだ。さあ、兄さんと帰るぞ」

 すごむ蛍に感嘆し、Jは手招きするも、彼女は妖艶に微笑む。

「そう、少しでもそう想ってくれるなら、わたしはうれしい……死神として!」

 蛍の体ほど大きくなった弓に黄金の矢をつがえ、ぎりぎりまでふりしぼり、ひいた。

 黄金の輝きを身にまとい、矢はJめがけ一直線に飛ぶ。

 例のごとく、Jは両手でブロックし、弾こうと力を篭め、構える。

 矢は光とともに風を切り裂き、地をえぐり、あるいは暴風を起こしながらJの両手に突き刺さった。ブロックされ、一瞬勢いは止まるも、矢は黄金の光に包まれ、さらなる推進力を得たようにまだ突き進もうとする。それでも押さえ込もうとするJは踏ん張り、足がコンクリートにめりこんだ。

 力の干渉のすえ、弾かれたのはJの腕だった。勢いよく弾かれ、矢はそのまま直進し、Jの胸に穴をあける。衝撃の慣性に従い、Jの体は地を離れ、吹っ飛び、やがて背中から海に落着していった。

 すかさず蛍は地を蹴り、勢いをつけて海に飛び込む。

 苦しみもがきながら沈んでいくJの顔を見つめ、黄金色の粒子を大鎌に変化し、蛍は表情を変えずに鎌を振り下ろした。

 

 サイレンが鳴っていた。

 赤色灯がまわっていた。

 いつか見た光景が繰り返されていた。

 違うのはそこに和輝の亡骸があったこと。

 海面から顔を出した蛍は見覚えのある漁船に隠れた。また警察がやってきた。だれかが通報したのかもしれない。Jの持ちこんだ装置の光量を考えれば、当たり前かもしれない。

 和輝の亡骸をもう一度抱きたかったわがままを堪え、彼を常識的な世界へ帰すことに決意し、自分はそこに行くわけにいかないとやはり隠れるのだった。

 蛍はちいさな漁船の操舵席の裏、荷物置き場になっているところに身を隠す。

 蛍の体だけなら余裕でおさまった。

 それが無性に悲しくて、涙が止まらなかった。

 

 シートの影から漏れる黄金色の光の粒子は誰にも気づかれず、闇をたたえた海面にそっと健気に浮かんでいた。

 


 
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