No.1005495

ラブライブ! ~音ノ木坂の用務員さん~

ネメシスさん

2年くらい前に書き途中だったのをpc内整理中に発見。
スクスタが本日開始するということで、ちょうどいいかなぁと思い、本日に合わせて投下。

※月に関して7月から6月に変更します
後々、「7月に入って~」という描写いてれいて同じ月が2つ続いている感じになってました(汗

2019-09-26 09:27:53 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:675   閲覧ユーザー数:672

「すみません、注文良いですか?」

 

「はーい! 少々お待ちくださーい!」

 

ここは秋葉原のとある居酒屋。

夜の8時を過ぎて外も暗くなったというのに、店内はより一層と賑やかさを増している。

だというのに、今俺が座っているカウンター席は俺を含めて3人しか座っていない。

それぞれが2、3席ほど間を開けて座っているこのカウンター席の客たちは、俺を含めて皆一人で来ているのだろう。

対してテーブル席はすでに満員状態、むしろ椅子が足りなくて追加でいくつか使っている席もあるほどだ。

みんな仲のいい人たちを伴って来ているのだろうが、その休日のテーマパークのごとくぎゅうぎゅうに座ってるテーブル席では、俺だったら居心地が悪くなって食事も酒も楽しめる気がしない。

それでもあれほど楽しそうにしているのを見る限り、きっと彼らは俺とは違って居心地の悪さなど感じてはいないのだろう。

そんなテーブル席と厨房を店員がせわしなく行き来している。

この店の業務形態なんてわからないが、今は2人でホールを回しているようだ。

あれだけ大人数が矢継ぎ早に注文してくるのだから、店員もさぞかし大変なことだろう。

と、そんな対岸の火事を見るような気持ちでチラ見している俺である。

皆テーブル席に座ってくれているおかげで、俺達カウンター組は広々と座ることが出来るわけだ。

俺は忙しそうに動き回る店員に心の中でエールを送りながら、先ほど店員が持ってきたジョッキになみなみと注がれたビールに口をつける。

 

「……ング……ング……ング……はぁぁぁ」

 

この口の中に広がる苦味、炭酸が喉に与える刺激、そしてキンキンに冷えているはずなのに飲んだ後にアルコールでカーッと体が熱くなっていくこの感覚。

それが、またなんとも言えない幸福感を俺に与えてくれる。

まさに「たまらないなぁ!」というやつだ。

6月も半分以上過ぎ、梅雨のじめじめした空気の中にだんだん夏の暑さを感じるようになってきたこの時期は、このキンキンに冷えたビールが五臓六腑にこれでもかというほどに染みわたっていく。

そんな幸福感に浸りつつ、一緒に頼んでいたぶつ切りのキュウリを付け合せの味噌につけてポリポリと咀嚼する。

唐辛子が入っているようで、少しピリ辛なところがまたグッドだ。

口の中のものを飲み込み、まだ味噌の風味が残っているところで、すかさずビールに口をつける。

 

「……はぁ、美味い」

 

ビールが進む進む。

キュウリと唐辛子味噌の組み合わせは普通に食べても美味しいが、やはりビールと一緒に食べるのが一番美味しい気がする。

大ジョッキで頼んでいたのに、あっという間に無くなってしまった。

ジョッキに残った最後の一口をすすると、もうなくなってしまったのかと残念な気持ちが湧いてくる。

だけど、まぁ、いい。

最初の一杯はいつもこんなものだ。

 

「すみません、生大追加で。あと……シーフードサラダに、このピリ辛チキンってのも」

 

「はーい! ただ今、お持ちします!」

 

丁度近くを通った女性の店員に注文すると、忙しいだろうに先程から変わらない元気な笑顔で返してくれた。

2人の店員のどちらも女性ではあるが、今の店員は大分若そうに見える。

流石にこの時間帯に居酒屋で高校生がバイトというのも少し変な気がするし、おそらく大学生くらいだろうか。

この居酒屋は値段がリーズナブルで大学生も結構来ているらしい人気店ではあるが、あの看板娘がいることもその人気に一躍かっているのだろう。

若くて可愛くて、そして愛嬌もある。

そんな女性が気に入らない男などそうはいない。

奥に引っ込んでいく店員を見送りつつ、口寂しさを紛らわすためにキュウリをポリポリと齧る。

 

「……」

 

ワイワイと賑やかな声が耳に届く。

一人客ばかりなカウンター席だからだろうか、余計周りの音が大きく聞こえてくるような気がする。

俺はビールが来るまでの時間つぶしに、再びテーブル席をチラ見することにした。

すると奥の大きいテーブル席に座るスーツ姿の若者たちが見えた。

新入社員の歓迎会、にしては少し時期がずれてる気がするから、会社帰りの飲み会といったところだろうか。

隣の席の人と肩を組んだり、酒の一気飲み勝負のようなものをしたりと、何かいいことでもあったのか少しばかりテンションが高めである。

また別の所に視線を向けてみると、そこでは私服姿の若者たちが見えた。

さっきの店員と同じくらいの若さの人も混じってることから、おそらく大学のサークルの飲み会といったところだろうか。

前に見たスーツ姿の若者たちと同様に、テンション高く騒いでいる。

顔が赤らんでいるところから、そこそこ酒も入っているのだろう。

 

(うっわぁ、すごいペースで飲むなぁ)

 

その中で、かなり速いペースでグラスを空にしている若者がいた。

周りには空になっているグラスがいくつかあるのが見える。

酒に強い性質なのか、はたまた周りのテンションにつられて飲むペースが上がっているのか。

仮に俺があんなペースで飲んでいたら、翌日間違いなく二日酔いでベッドから起き上がれなくなるだろう。

俺が彼らくらいの年の頃は結構無茶な飲み方もできたものだけど、年々それも辛くなってくるのだから歳はとりたくないものだ……まだ27だけど。

そう考えている間に、また一つグラスが空になった。

周りはそれを見て歓声を上げ、もう一杯とその若者にすすめている。

若者は任せろと言わんばかりにグラスをもらって口をつけ……数秒後、ものすごい勢いでトイレに向かって駆けていった。

彼がちゃんと間に合うことを密かに祈るとしよう。

 

(ま、見てる分には楽しいもんだな)

 

俺は苦笑を浮かべ、視線を前に戻す。

基本宅飲みばかりであまり店で酒は飲まない方なのだが、このようにまわりの賑やかな声を聞き、楽しそうな姿を見ながら、それを肴に酒を飲むというのも中々悪くない。

 

(……落ち込んだ気持ちで一人酒っていうのも、美味くないしなぁ)

 

思わず溜め息がでそうになるところを、俺は咀嚼していたキュウリと一緒にグッと飲み込む。

そう、実をいうと俺こと松岡直樹(まつおかなおき)(27歳・独身)は、今これでもかというほど意気消沈していた。

理由はしばらく前から俺が働いている会社で起こっていた仕事上の問題。

22歳から務めている会社なのだが、最近どうにも営業がうまくいかず上司に叱られ続けていた。

しかし上手くいかなければ、挽回すればいいだけの事。

営業がだめだったならば事務仕事で取り返そうと、自分の分だけではなく周りの分も手伝い残業をしてまで仕上げた書類……は、ミスが多いとこれまた叱責を受けることに。

色々な会社を面接してようやく入れた会社で、そのぶんやる気は十分あったと思う。

自分のミスを挽回しようと色々と動き回りもしたが、結局そのやる気が空回ったのか、またミスをするの繰り返し。

それがあまりにも目に余ったのだろう、一ヶ月前にリストラの勧告を受けて本日めでたく退職と相成ったわけだ……こんちくしょうめ。

 

「生大、お待たせしました! それと、こちらがシーフードサラダになります。ピリ辛チキンのほうは、もう少しお待ちください」

 

「あ、どもです」

 

さっそく受け取ったビールに口をつけ、ゴクゴクと喉を鳴らす。

うん、やっぱり酒はいい。

嫌なことがあれば忘れさせてくれるし、いいことがあっても喜びを増してくれる。

酒に逃げるのはあまりいいことではないだろうが、こういう時くらいはいいだろう。

 

「……あ、このサラダ美味い」

 

贅沢にも大ぶりなエビがゴロゴロと入っていて、中々食べごたえがある。

マヨネーズで和えられていて地味に味も濃く、そのおかげでビールが進む。

この店は会社の先輩に新歓で連れてきてもらい、ふとそのことを思い出して久しぶりに来てみたのだ。

 

(味も俺好みだし、今度また来ようかな)

 

どうせしばらくは就活が続くのだろうし、就活で疲れたその帰りに来るのもいいだろう。

 

「……あれ、直くん?」

 

「……んぐ?」

 

次の品が来るのを待ちながらサラダに舌鼓をうっていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

振り返ってみると、そこには紺色のスカートスーツを着た、どこかおっとりとした雰囲気の女性が少し驚いたような表情で俺の方を見ていた。

 

「……あ」

 

その女性は見覚えがある、という次元ではなかった。

 

「……小鳩、さん」

 

「やっぱり直くんだ、久しぶりね」

 

そう言い彼女は嬉しそうに微笑んだ。

彼女の名前は“南小鳩(みなみこばと)”。

俺の10歳年上で、今住んでいるマンションの近所に住んでいる人だ。

それだけだと、ただの近所の知り合い程度に感じるかもしれないが実はそうではない。

こちらに引っ越してくるよりもずっと前、俺がまだ子供の頃に実家で生活していた時から付き合いがある人だ。

家が近くにあり家族ぐるみで関わりがあって、面倒見の良かった彼女に勉強を見てもらったり、一緒に遊んでもらったりと、よく世話になっていた。

子供心によく懐いていて、少し歳が離れていたけど“はと姉”と本当の姉のように慕っていたのを覚えている。

小鳩さんが大学に入る時に引っ越してからしばらく会っていなかったのだけど、それから数年後に秋葉原にマンションを借りて大学に通いだしてから少し経った時のこと。

大学からの帰り道に、ばったりと彼女と出会い再開を果たすことができたというわけだ。

……その傍らで小鳩さんの子供と思われる、小鳩さんに似たおっとりとした雰囲気の女の子と手を握っていたことに、少なくないショックを覚えた悲しい再会であった。

 

(俺の初恋だったんだけどなぁ)

 

当時はそのショックから少し小鳩さんを避けてしまっていたが、俺が住んでいる場所の近くに小鳩さん達の家があるせいで、かなりの頻度で顔を合わせることになったのは誤算である。

まぁ、最初はぎこちなかったけれど、何度も会っていたらいつの間にか普通に会話ができるようになっていたのだが。

あれからまた何年も経ってすでに吹っ切れた事と思っていたのだが、その時のことを思い出すと時々胸がちくりと痛むことがある。

 

(……吹っ切れてない証拠か。まったく女々しいな俺ってやつは)

 

そう思い、自分の情けなさに思わず苦笑が浮かぶ。

 

「直くん?」

 

小鳩さんは昔同様に俺のことを“直くん”と呼んでくる。

彼女としては今でも俺のことを弟のように思ってくれているのだろう。

俺にも昔のように、はと姉と呼んでもいいと言うのだが、どうにも昔のようにそう呼ぶ気にはなれなかった。

流石にこの年になってそれは少し恥ずかしいし……それに、やはりいろいろと思うところもあるから。

我ながら本当に女々しい限りである。

 

「……あ~、こんばんわ、小鳩さん。今、帰りですか?」

 

「えぇ、仕事が長引いちゃって。だから夕飯は外で、ね。あ、すみません、生中と刺身の盛り合わせを」

 

「はい、かしこまりました!」

 

近くを通った店員に注文すると、小鳩さんは俺の隣の席に腰を下ろす。

 

「事後承諾だけど、一緒にいいかしら?」

 

「……ははは、座っといて今更ですね。まぁ、俺は別にかまいませんよ」

 

「ふふ、ありがとう」

 

それから彼女のビールが届くと、今までのペースを遅めてちまちまと飲みつつ世間話に花を咲かせる。

こうして小鳩さんと一緒に酒を飲むのも久しぶりで、さっきまでの鬱屈とした気持ちもだいぶ和らいでいた。

そして話題は彼女の仕事の話に変わっていった。

以前聞いたことだけど、小鳩さんはこの近くにある“音ノ木坂学院”という女子校の理事長をしているそうだ。

……昔から頭がいいと思っていたけど、理事長をしてると聞いた時は流石に驚かされた。

 

「大変ですねぇ、理事長ってのも」

 

「まぁね。でもその分、遣り甲斐はあるのよ?」

 

そう言いウィンクを一つ。

もうすぐ40になる人だというのにまだ若々しくて、酒も入ったことで少し頬が赤らんでいるところがまた色っぽく、思わずドキッとしてしまう。

今が酒の席で本当によかった。

何せ、こちらも酒が入っているおかげで、顔が赤くなるのを必死に隠そうとせずに済むのだから。

しかし、思えば小鳩さんは本当に大変な仕事をしているものだ。

音ノ木坂は近年入学希望者が減少していて、近々廃校になるのではないかと、音ノ木坂の生徒だったという会社の女性達が噂しているのを聞いたことがある。

ジョッキに口をつける彼女の横顔を見ていると、若干疲労の色が見てとれた。

 

(……そういえば、音ノ木坂は小鳩さんの母校だったっけ)

 

小鳩さんが高校時代、地元から少し距離があった音ノ木坂に通うために、朝早くに出かけていたのを覚えている。

理事長として、そして個人としても愛着のある母校の廃校を防ぐために、彼女も頑張っているのだろう。

 

「そういえば、直くんの方は仕事はどうなの? うまくいってる?」

 

「……え、お、俺ですか?」

 

「えぇ。直くんは昔から頑張り屋さんだったから、無茶してないか心配なのよねぇ」

 

「あ、あー……えーと……」

 

仕事の話になった時点でこちらに話を振ってくることも十分予想できたことなのに、返しを何も考えていなかった。

 

「……じゅ、順調ですよ! 俺の方も大変なこともありますけど、充実してるっていうか?」

 

「ふーん?」

 

流石に「今日退職してきました、てへぺろ☆」なんて冗談でも言えるはずもなく、少し考えた俺は小鳩さんに嘘をつくことにした。

いや、「てへぺろ☆」なんて俺のキャラじゃないけど。

 

「……直くん」

 

「は、はい?」

 

「正直に答えて? 会社で何かあったの?」

 

「ッ!?」

 

小鳩さんのその言葉に、一瞬心臓が跳ねる。

彼女の方を見ると、真剣な表情を浮かべて俺の方を見ていた。

その瞳は俺の嘘など全て見通してしまいそうなほどに真直ぐで……。

 

「な、何言ってるんですか? 何も問題なんてありませんよ!」

 

「……直くん、知ってる? 直くんって嘘をつく時、視線が宙を泳いで相手の目を真直ぐ見れないの」

 

「え、そ、そんなはずは!?」

 

「それに焦り始めると、途端に貧乏揺すりを始めるのよ?」

 

「っ!?」

 

それを聞いて俺は咄嗟に足元を見る。

……が、俺の足は特に動いてはいなかった。

 

「 う そ ♪」

 

「……嘘、ですか……そうですか」

 

一気に脱力してカウンターにうなだれながら小鳩さんを見ると、そんな俺の様子がおかしかったのかクスクスと小さく笑みをこぼしていた。

 

「直くんとは昔からの付き合いだもの。何か嫌なことがあったんじゃないかって、それくらい予想できるわ。

……それで、話してくれる?」

 

「……」

 

(はぁ、まったく。敵わないなぁ)

 

思い返せば、俺は昔から小鳩さんに勝てた覚えがない。

いつもこちらが言葉巧みにかき回されて、最終的には小鳩さんに言い負かされてしまうのだ。

俺もそこまで口が達者ではないことは自覚しているけれども、流石に一度も勝てたことがないというのは男として少し悔しかった。

 

(こうなりゃ、もう自棄だ)

 

俺は残ったビールを一気に飲み干すと、店員にウィスキーを瓶で注文した。

こんな話、酔わずには話してられない。

俺が度数の強い酒を瓶で注文したことに、小鳩さんは何も言わなかった。

一人暮らしの俺を気遣ってか、会うたびに健康に気をつけろ、不摂生はいけないなどと言っていたあの小鳩さんがだ。

それはきっと、小鳩さんなりの気遣いなのだろうと思えた。

少ししてウィスキーと氷の入ったアイスペールが来ると、早速一杯目を作り景気付けグイッと一気に飲み込む。

強いアルコールが体内に入ったことで胃がカーッと熱くなり、体がフワッと軽くなったような気分になる。

俺はすぐさま二杯目を作り、今度はゆっくりと味わうように一口飲み込む。

特別、高い酒というわけではない。

というか今更ながら瓶の銘柄を見てみると、このウィスキーは俺が家でよく飲んでいる銘柄と同じ物のようだ。

そのせいか、この慣れ親しんだ味に少しだけ安心感が湧いてくる。

酒の力を借りて話し難い気持ちを薄めていき、そしてようやく準備が整った。

氷で冷えたグラスを両手で包み込むように持ちながら、琥珀色に揺れる水面をジッと見つめる。

そのままこれまでの出来事を振り返るように、俺はポツリポツリと言葉を零していった。

 

 

 

 

 

「……そう、大変だったわね」

 

そう言う小鳩さんの声は、とても優しかった。

 

「俺だって、がんばったんですよぉ? ……だけど、だけどぉ」

 

話しては一口酒を飲み、また話しては一口酒を飲む。

それを繰り返しているうちにどんどん感情が高ぶっていき、いつの間にか涙ながらに小鳩さんに話しをしていた。

泣き上戸なんて俺にはなかったはずだけど、この時だけはいつも以上に涙脆くなってしまっているようだ。

 

「……ねぇ、直くん。昔、私が直くんに言ったこと、覚えてるかしら?」

 

「えぇ? 小鳩さんが言ったことぉ? ……たくさんあって、どれか分からないですよぉ」

 

小さい頃から小鳩さんには教えてもらうことが沢山あった。

勉強の時も、家庭科の課題でエプロンを作った時も、鉄棒で逆上がりの練習をした時も……。

少し思い返すだけで、本当にいろいろなことを小鳩さんに教えてもらってきたのを思い出す。

 

「確か、春休みの時だったかしら。直くんの学校で、書道の課題が出された時があったわね。それで直くん、中々うまくいかなくてイライラしてたのを覚えてるわ」

 

「……あぁ、確かにそんなことも……あったなぁ」

 

「その時に言ったのよ? 確か、こうだったわね。『直くんの頑張り屋さんで一生懸命なのは良いところよ? だけど、何とかしよう何とかしようって焦って、逆にミスが多くなっちゃうの。だから……』」

 

「……あぁ」

 

小鳩さんの言葉を聞いているうちに、その時のことを薄らと思い出してきた。

確かその後は……。

 

「『何とかしようって必死になった時は、そんな時だからこそ一度目をつむって大きく深呼吸をして? 一度で駄目なら二度、それでも駄目なら三度。何度も大きく深呼吸をして、そして気分が落ち着いたらもう一度頑張ってみて? そうすれば、直くんならきっとできるはずだから』ってね?」

 

……そう、確かにそんなことを言われた覚えがある。

俺以上に俺のことを理解してくれていた小鳩さん。

そんな小鳩さんが、俺に送ってくれた言葉の一つがそれだった。

今思えばなんてことのない、特別でも名言というほどでもないありふれた言葉なのだけど、それでも小鳩さんのアドバイスを聞いて、うまくできた時はすごくうれしかった覚えがある。

まるでおとぎ話の魔法使いが使う魔法のように、小鳩さんから紡がれる言葉には不思議な力が宿っているのではないかと、子供心に思えたものだ。

そんなことがあってその頃の俺は、小鳩さんの言葉は無条件で何でもかんでも信じるようになっていた。

『はと姉が言うんだから絶対に間違いない!』なんて。

流石に今では、そんなことはないとわかっているけど。

我ながら盲目的だったと、当時を思い出して少し恥ずかしくもなるが、それだけ当時の俺は小鳩さんの言葉に力をもらっていたのだ。

……それなのに。

 

(なんで忘れてたのかなぁ)

 

会社で働いていた時も小鳩さんの言うように必死になって焦って、それでミスを繰り返していた。

我武者羅で他のことを考えられる余裕すらなかったのかもしれないけど、もしその時に思い出していれば、また違った結果が出ていたかもしれないのに。

今更ながら後悔の念が、心の奥から沸々と湧き上がってくるのが実感できる。

……それにしても確かそれを言われたのは、小学生のまだ低学年の時ではなかっただろうか。

 

「よく、覚えてたね。かなり昔のこと、らのに」

 

……あぁ、だめだ。

ビールで多少酔いが回っていたところに、ウィスキーまでハイペースで飲んでいたせいで少し意識が朦朧としてきた。

さっきから微妙に呂律もまわっていないし、口調までまるであの頃のように馴れ馴れしく……。

 

「ふふ、だって直くんとの思い出だもの。そう簡単には忘れないわよ♪」

 

もちろん直くんの恥ずかしい思い出もね、と楽しそうに言う小鳩さんに苦笑してしまう。

それはいったいどれの事だろうか。

思い返すだけで恥ずかしくなってしまうことも結構あるから、俺の恥ずかしい思い出に関しては早々に忘れてくれることを切に願うばかりだ。

だけど……。

 

「……ほんと、すごいや……小鳩さんは」

 

何年も前の話をそう簡単に忘れないと言ってのける小鳩さんは、本当にすごいと思えた。

俺なんて他にも色々と思い出があったはずなのに、今では中々思い出せないものもあるしまつだ。

 

(……でも、そっかぁ。覚えててくれてたんだ)

 

小鳩さんが俺との思い出を忘れずにいてくれた、そのことが何よりもうれしかった。

 

―――クラッ

 

(……あ、やばい。なんかすごく眠い)

 

今一瞬、意識が遠くなり頭がガクッと下がってしまった。

俺は額に手を当て、意識をしっかり保とうと頭を振る。

 

「そうだ。ねぇ、直くん。もし直くんがよければ、うちで働かない?」

 

軽く頭を振ってはみたものの、特に変化はないようだ。

 

(……って、あれ? 今、小鳩さんはなんて言ったんだ?)

 

「え? は、はたら……?」

 

「丁度、今働いている用務員の人が、近々退職することになっててね。それで、新しく誰か探そうと思っていた所だったの」

 

(……用務員? ……あぁ、さっきのは、働くって言ったのか……働く? ……俺が?)

 

「……俺が用務員? ……でも用務員なんて、何をすればいいか」

 

「大丈夫よ」

 

小鳩さんの優しい声が俺の耳に届く。

聞いていてどこか安心するような声色で、まるで子守唄を聞いているみたいだ。

……そのせいで、どんどん瞼が重たくなってきた。

 

「初めは誰だってそういうものよ。それに、その人は何十年も働いているベテランで、私もよく助けてもらっていたわ。

仕事を教えるのも上手で、とても優しい人なの。だから初めてでわからないからって、心配しなくても大丈夫。きっと助けになってくれるから」

 

「……そっかぁ…… ――――――」

 

「ッ!」

 

最後、小さく俺の口が動いた。

それは酔っ払いすぎて鈍っていた俺の頭には記憶されることのない、無意識に零れた本当に小さな呟き。

自分でも今何を言ったのだろうと、そんな疑問は浮かんでくる。

だけど、もはやそんなことを考える余裕はなく、かなり限界まできていた俺の意識はそこでプツリと途切れた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「……ん……むぅ」

 

私は隣で眠る直くんをジッと見つめていた。

度数の高いお酒をハイペースで飲んでいたのだ、酔い潰れてしまうのも無理はない。

自棄酒なんて体に悪いこと、本当なら止めた方がよかったのだろう。

だけど、大人ならお酒に頼りたくなってしまう時もあるのはわからなくもない。

 

(よっぽど辛かったのね)

 

俯せになって眠る直くんの頭に、自然と手が伸びていく。

少し癖のある髪質で、さわり心地がいいとはとても言えないのだけど、これがまたとても懐かしいさわり心地だった。

私は一人っ子だったから直くんが本当の弟みたいに思えて、昔は事あるごとにこうして撫でてあげたものだ。

 

「……」

 

『……そっかぁ……はと姉とまた一緒にいられたら……楽しいだろうなぁ』

 

さっき直くんが小さく洩らした言葉をふと思い出す。

ボソッと小さく零れたその呟きは、賑やかなこの居酒屋の中にもかかわらず、しっかりと私の耳には届いていた。

 

「……ふふ」

 

その呟きを思い出して少し頬が緩む。

特に私のことを“はと姉”と呼んでくれたこと。

直くんがそう呼んでくれたのは本当に久しぶりで、それがすごくうれしかった。

小さい頃は、毎日のように呼んでくれていたその呼び方。

旦那やことりと一緒に秋葉原に引っ越して来て、久しぶりに直くんと再会した時には、もう“小鳩さん”と呼び方が変わっていたから少し寂しかったのだ。

さっきのはきっと無意識の中で零れたものだったのだろうけど、それでも久しぶりに直くんの口からその言葉が聞けてうれしかった。

直くんも私のことを、本当の姉のように思ってくれているのだと実感できたから。

 

「えぇ、私も直くんと一緒に働くのが楽しみだわ」

 

いつまでも撫でていたいところだけど、遅くなりすぎると家族が心配する。

私は店員を呼んで直くんの分も会計を済ませると、携帯を取り出しタクシーを呼んだ。

 

「えっと、確か直くんの部屋はあそこだったわね。ほら、直くん起きて。そろそろ帰るわよ?」

 

「……う、うぅん……はと、姉ぇ……」

 

「……ふふ、直くんてば♪」

 

寝ぼけている直くんがまるで子供の頃のように見えて、ここで起こしてしまうのが何だかもったいなく思えた。

 

(もう少しだけ、このままでもいいかしら)

 

嘗てはよく目にしていた、直くんの無防備な寝顔。

互いに成長して大人になってしまった今では、中々見ることのできない貴重な瞬間だ。

 

(だから、もう少しだけ。ね?)

 

私はタクシーが来るまでの間、もう少しだけその表情を楽しむことにした。

 

(あとがき)

これで終了。まだ用務員さんじゃない? これからっ! これからなるんです!

一応連載物扱いにしようと思ってるので、短編タグはつけない方向で。

……今回はどれくらい続けられるかなぁ(遠い目

せめてキリのいいところまでは書きたい(願望

投下の頻度は不定期。

 

にしても、今まで待ってきたスクスタがようやく配信される日が来ましたねぇ、まさに一日千秋の思いというやつです。

やっとプレイできると私も楽しみにしていたんです……していたんですけどねぇ。

私のスマホ……対応外という……(涙目

流石に一つのアプリをするためだけに買い替えるのもあれですし、またしばらくスクスタができない日々が続きます。

その間、私は今までと変わらずスクフェス民。みんなのプレイ動画を歯ぎしりしながらなが見ることとします。

皆さんはぜひ楽しんでプレイしてください(血涙

 

さて、最後に登場人物の紹介です。

 

 

 

〇高松直樹(たかまつなおき)

この作品の主人公(男)。27歳。年齢=彼女いない歴。

小さい頃から南家とは家族ぐるみで付き合いがあり、南小鳩を姉のように慕っていた。

いつしか小鳩に淡い恋心を抱くも、勇気を出せず告白するには至らなかった。

なんとか自分の想いだけでも伝えようとラブレターを書きはしたものの、それも渡すことができないままとなっている。

 

小学3年の時に小鳩が大学に進学するために引越してしまい、自分の勇気の無さで関係が進展しなかった無念で人知れず枕を涙でぬらす。

高校を卒業すると同時に家を出て、大学に通うために秋葉原にマンションを借りて一人暮らしを始める。

大学生活が始まってしばらくした時、娘らしき女の子と手をつないだ小鳩と再会する。

その夜、好きだった人が人妻になってしまったことのショックで再び枕を涙で濡らした。

大学の長期休暇の時、ことりの家庭教師を小鳩に頼まれてしていたことがある。

その時、ことりの本気の泣き顔を見ることがあり、それ以降女子供が泣いているところを見ると、その時のことを思い出して放っておけなくなってしまう。

 

なお、小鳩への淡い恋心はいまだ残っていたりする。

今更想いを伝えるつもりなどないし、家族仲が良好な人たちの関係を壊したくない気持ちがあるため、早々に吹っ切ろうと思ってはいるものの、結局いまだに吹っ切れずにいる。

 

 

 

○南小鳩

音ノ木坂の理事長。親鳥さん。37歳。年齢、名前はオリジナル。娘がことりだから、鳥系の名前で付けてみた。

ついでに出てこないけど、南家の祖母は南雛(みなみひな)。

南家の御先祖様が大人になると大空を力強く羽ばたくことのできる鳥のように、立派に成長するようにという想いを込めて、生まれた女の赤ちゃんに名前を付けた。

それがきっかけで、南家の女性は鳥系でその雛に関係する名前をつけるようになった、という特に物語に関わることもないオリジナル設定。

いつか名前出るかなぁと、結構前から期待してたのにいつまでたっても出ないんだもの。

きっと、これから先も名前は出ないんだろうなぁ、ママンズ

 

高松家とは家が近所で昔から家族ぐるみで付き合いがあり、2人は10歳と年が離れていたが、小鳩は直樹のことを実の弟のようにかわいがっている。

なお、直樹の自分に向ける恋心には昔も今も全く気付いていないもよう。

好意は感じているが、それは実の姉に向けるようなものと思っている。

それゆえに相思相愛(兄弟愛的な)とは思っている。

きっと直樹の口から直接言われなければ、これから先も気付くことはないだろう。

ちなみに直樹の口から「好きです!」と言われても、「私も好きよ♪(姉弟的な意味で)」となるため、本気で想いを理解させるためには懇切丁寧に説明しなければならないという、どこかの鈍感系主人公のような性格を想像して書いていました。

美人で優しくて頭よくて理事長という高い地位があるとか超優良物件やん、普通にどこぞの主人公みたいやんと思った私です(なお既婚者)。

旦那と娘のことりと一緒に二階建ての一軒家に暮らしており、現在直樹が住んでいるマンションから徒歩で5分くらいの距離である。

 

 

 

〇南空(みなみそら)

小鳩の旦那。38歳。名前、年齢はオリジナル。小鳩さんを鳥系の名前にしたから、空でいいかという安直なもの。

多分出てこないだろうけど、設定だけ思いついたので書いておきます。

空と小鳩は同じ大学の先輩後輩。同じサークルで出会い、後輩の小鳩のことをいろいろ面倒を見ているうちに小鳩のことを好きになり、卒業式の時に想いを伝えた。

それから交際を続けていき、小鳩が大学を卒業したと同時に籍を入れる。

 

小鳩同様に一人っ子で、小鳩がよく直樹のことを話していたからか、次第に自分にとっても直樹のことを実の弟のように思うようになっていき、いつか自分も直樹に会いたいと密かに思っていた。

そのため小鳩が直樹と久しぶりに再会したといった時には一緒になって喜び、一人暮らしをする直樹を小鳩同様に気にかけていて、時間があるときには自宅に食事に誘ったりして少しでも関係を深めようと頑張っている。

 

仕事は、とある有名企業で課長をしている。

だれにでも優しく分け隔てなく接し、人付き合いがよく、面倒見もいい。

そのため学生時代から後輩からだけでなく、先輩にも良い印象を持たれやすい人だった。

趣味は料理で、家では小鳩と交代制で料理を作っている。

ことりや小鳩がおいしいと言ってくれるのが何よりうれしい。

直樹と出会ってからは、その中に直樹も含まれるようになった。

直樹を食事に誘った時に、小鳩とどちらが料理を作るかで少し争うことも。

 

……なお、直樹の小鳩への淡い恋心には気づいていないもよう。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択