日本ゼロ年展
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飴屋法水、あまりにゼロ年的な
飴屋法水
1961年生まれ。現代美術家、役者、ペットショップオーナー、演出家などの様々な顔を持つ。78年、唐十郎率いる状況劇場に参加。84年には東京グランギニョルを嶋田久作らと結成し、前衛的な演劇活動を展開する。90年代前半に「テクノクラート」を結成し美術界に登場。『血液交換計画』や『公衆精子計画』など、精子や血液、細菌などを実際に用いた作品を発表する。95年からは東中野の地下で「動物堂」を開店。日本では滅多に見られない珍獣の販売を行う。動物堂は99年から、国内初のフクロウ専門店としてリニューアルした。

いきなり別作家の話になるけれど、今展において会田誠の『ミュータント花子』が水戸芸術館の判断によって展示を規制されるという事件があった。そもそも同作品は鬼畜系ヘンタイ戦争マンガなので、そのいたるところに描かれた性器描写が、展覧会側の倫理コードに引っかかってしまったのだ。結局『ミュータント花子』は、屏風を折りたたみ一枚のフスマのような状態で第6室の壁に立てかけて展示されたので、一個所だけ明らかに不穏な雰囲気が終始漂い、そうなると結果的には会田誠大勝利! という感が無くもないのだけれど、この事件は端的に言えば「どの性器は芸術で、どの性器が猥褻か」というような厄介な問題をこちらに投げかけてくる。

飴屋法水は、このような物事の曖昧な線引きの隅を的確に突いてくる。今回展示された『契約公開』も、そんな曖昧な現代美術という制度を糾弾しているように見える。壁一面に貼られたのはタイトル通り、今回の展覧会に先立って、飴谷と主催者側が取り交わした契約書の類だ。これを前にすると、しみじみ展覧会とは文化事業である前にビジネスだな、と思わせられるのだけれど、飴屋がしつこく契約書の内容にこだわるのは、なにが猥褻でなにが芸術なのかわからないままに、ぱたんと閉じられた『ミュータント花子』のような、そんな美術が抱える曖昧で基準のつけようのない厄介な問題を浮き彫りにしようということなのだろう。

既成の枠組みをぐらつかせるという意味では、『インプリンツ・オブ・自分―あなたに対する100の質問』もおもしろい。会場に100の質問が書かれたアンケート用紙が置かれている。お客さんはそれぞれの答えを「あまり考えずに」用紙に書きこんでいく。書きこみが済んだものは、会場の机の上に無造作に積まれている。言ってみればそれだけの作品なのだけれど、書かれたものを読み比べて気づくのは、回答内容がどれも驚くほど似通っていること。韓国と言われれば真っ先にキムチを思い浮かべ、南の島と言われればハワイと答え、アメリカのスラングならファック・ユーとなる。「人間ひとりひとりの個性」を持ち上げてきた戦後民主主義のせいにするつもりはないけれど、人間はそれぞれまったく違った人格や内面を持っていると考えがちだ。自分は特別なんじゃないかとか、自分は絶対他人には理解されないとか。そんな勘違いや自意識過剰が蔓延し、それを見た保守論壇のおじちゃまが顔を真っ赤にして啖呵を切るわけだけれど。

『インプリンツ・オブ・自分』が淡々と暴き出していくように、個々の日本人の内面は、大部分が「日本」という場所やその中にある社会によって規定されている。作品中の質問に答えていく過程で、自分にあった「個性」のうすっぺらさに人は気づかされる。さらに積み上げられた他人の『インプリンツ・オブ・自分』を開いてみることで、「ああ、みんな結構おんなじ」と、自分をオートマチックに規定していく日本という場所と、知らないうちに刷り込まれた情報の存在に気づき、またドーンとなる。サンプリングされた昭和天皇の声が延々と流れる『ヤキイモトタコヤキトテンノウ』がまさしくそうであるように、「日本」という場所はやはり飴屋の作品にも顔を出してくる。飴屋が今回出品したのはどれも「現代美術的」な作品だったけれど、いちばん日本ゼロ年的で「悪い場所」に肉迫した作家は、飴屋法水だったのかもしれない。

(編集部/石原健太郎+相沢 恵)

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