日本ゼロ年展
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美しい旗
血に濡れた糸で結ばれてみたい/少女
会田誠
1965年生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修了後、レントゲン藝術研究所で開催された「フォーチューンズ」でデビュー。以後、洋画、日本画、現代美術、アニメ、マンガ等、現代の日本に分立している様々な表現形式を用いて、それら諸ジャンルの棲み分けを撹乱し、日本における美術の自律性を疑問に付すような創作活動を行う。また彼の甘いマスクとは裏腹の変態性はオタク性をはるかに凌駕した歪みを持つが、総体で見た場合、それらはかなり洗練されている。昨年、学生時代を含めた彼の全作品を収める作品集『孤独な惑星』を上梓。

「いろいろなデザイン」を標榜するだけあり、会田誠は洋画、日本画、現代美術、ポスター、漫画、セル画、戦争画、とにかく何でも描く作家だ。それゆえ漫画やセル画に限って抜き出してくれば、奇妙なオタク絵描きに見えなくもない。しかし彼が本当におもしろいのは、「いろいろな」糸を、絵画様式のみならず、時空を超えた「いろいろな」歴史や場所に結び持っているところにあるだろう。そして彼は、そのどれとも見事なまでに切れており、まるで自由な蜘蛛のようにぶらぶらと宙に浮いているのだ。

ところで蜘蛛がただ一つ断ち切ることの出来ない糸があるとすれば、それは自らの体内から吐出される糸――言い換えれば「現実」という生命の糸だろう。それがもたらす緊張は、いまこの日本に生きている限り、おそらく誰にでも共有されうる。日本ゼロ年展に出品された会田作品のうち、オタクである僕の「現実」と断ちがたく結ばれたのは、『戦争画RETURNS』中の一作『美しい旗』だった。セーラー服を着た日本人の少女と、チマチョゴリを纏った韓国人の女性が、互いの国旗を掲げて対峙する同作品は、簡潔に言って以下4点の理由で評価できる。

  1. 日本の民族衣装がセーラー服として描かれていること
  2. 肩が破れ、片足に包帯がまかれて、血が滲んでいること
  3. 戦時中であるにもかかわらず、スカートの丈が短いこと
  4. 少女の髪型がおかっぱであること

これらの指摘は、『美しい旗』という作品が太平洋戦争中に戦意発揚の為に描かれた『戦争画』でもそれをただ模倣したわけでもなく、90年代後半「日本の現実」の想像力下において描かれた『戦争画RETURNS』であることをなによりもまず明らかにしている。具体的に言及すると、民族衣装ならば和服、もしくは国民服を着ているはずだし、血の付着した包帯や短めのスカートには、今日的なフェティシズムの跡がくっきりと印されている。すると、あと問題になるのは4点目の「おかっぱ」だ。現代の十代少女にはきわめて稀で、むしろ戦中、戦前のありふれた髪型である「おかっぱ」。しかし、それこそが僕の心を捕えて離さない。

と言うのも、いま美少女デザインにおいて熱狂的な支持を受けている髪型こそが実は「おかっぱ」だからだ。その好例は、たとえばダントツ人気NO.1美少女ゲーム『痕』四姉妹の三女である柏木楓、少年マガジン連載『ラブひな』の中学一年生、前原しのぶの名前があげられる。しかも重要なのは、同じおかっぱでもかつてのワカメちゃん型とは違い、切り揃える長さ、角度、頬にかかる髪の質感にまで、かなり神経を行き届かせて描かれていることだ。『美しい旗』を捧げ持つおかっぱ少女の、髪の毛一本一本にまで込められた暗い情熱は、おかっぱ萌えの能天気なパッションに裏張りされた、同じ一枚の鏡に思える。それは僕たちの「現実」を映し出す。真に美しいのは日の丸ではなく、吹き抜ける風にはためく少女の黒髪のはずだからだ。とはいえ『美しい旗』や『痕』のおかっぱ少女に、死んだはずの歴史が幽霊的に再来――「RETURNS」している姿を見るのは、いささか大袈裟だろうか?

(編集部/相沢 恵)

戦争画
太平洋戦争中、報道班員として戦地に派遣された美術家によって描かれ日本の敗色が濃くなると描くこと自体が規制された。特権的な作家名をあげると藤田嗣治。彼は大戦後、日本美術協会から戦犯画家に指名されフランスに帰化。68年に死去した。戦争画自体は占領軍に押収され、日本美術家連盟の要望で51年アメリカに運ばれたが、70年に153点が「無期限貸与」として返還。現在東京国立近代美術館に収蔵されている。

戦争画RETURNS
太平洋戦争をテーマにした一連の絵画作品。現在も継続中。

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