TINAMIXレビュー
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まずは、この2点の図版を見ていただこう。

『蛇口』加藤雅喜
『エイリアン9』富沢ひとし
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図版1は加藤雅基の『蛇口』という'80年代の短編、図版2は『エイリアン9』第3巻からの引用である。くらべて見ればすぐに分かると思うが、ひじょうによく似た「内容」を描いたものだ。いずれも、主人公の女の子が不気味なものに驚き、逃げるというシーケンスである。女の子が自分から逃げ出していて、対象に追いかけられるわけではないところも共通している。

しかし、画面から受ける印象はおそろしく違う。

女の子のキャラクターの違いや、驚く対象の違いはもちろんある。しかしそれ以上に我々が感じるのは主体の運動の描き方の相違である。

まず、図版1の左ページ中段のコマで女の子は、「だっ」とひじょうに勢いよく走っているように見える。右ページで血なまぐさい死体を見たあと、左ページ上段のコマまでは主体に動きはない。それが一転して中段のコマで激しい運動が描かれる。その前に緊迫した顔のアップを挿入することで一拍の間を作り、静から動への落差を演出効果としている。いってみればホラーの常道だ。おそらくこの構図のままフィルムを撮影し、このコマ割りに従って編集しても不自然なものにはならないだろう。このコマ運びは、それだけ映画のモンタージュに近いものといえる。

一方の図版2、『エイリアン9』のほうはどうだろうか。

右ページから左ページ中段右のコマまでは、主人公がベッドの上からずり落ち、逃げ出す一連の動きを描いている。しかし、彼女はどのように動いているのだろうか? ひじょうにゆっくりと、床を這うように逃げているのだろうか。いや、それ以前にベッドの上で起き上がってから床に落ちるまでどのくらいの時間がたっているのだろうか。いざ考えてみると、それがよくわからないのだ。窓いっぱいに広がったエイリアン「ボウグ」を見あげたまま、しばらく動けずにいたのか、それともすぐにベッドからずり落ちたのか。そして、この構図のままフィルムを撮影することを想像したとしても、各々のカットの時間的な長さを決めることすらできないだろう。つまり、カットの割り方は「映画的」であるのにもかかわらず、映画のモンタージュとはなにかが異質なのだ。

では、この両者の違いをもたらしているものは何なのだろうか。

それをひとつひとつ解析していくことにしよう。

まず、コマによる画面の分割はほぼ共通していると言える。右ページが横2段、左ページが横3段組のコマ割りを基調としている。さらに、読者の視線が画面上を移動する軌跡もかなり似通っている。

一般に、読者はキャラクターの顔と吹き出しのなかのセリフ、描き文字(音喩)を目で追いながらマンガを読む。マンガ家はこれらの要素を巧みに配置することで読者の視線を誘導し、よどみなくマンガを読ませる。このときの視線の移動は物理的にマンガを読む時間を規定する。ひいては、読者が感じるマンガ内の時間もまた、ある程度これに規定される。これが大原則だ。

次に、コマ内の主体の向き。これも相当に似通っている。図版1はできるだけ図版2と要素の近いものを探したので当然ともいえるのだが、まったくの偶然である。

左ページ中段で主体は左に向かっている。そして、下段では右向きの運動が描かれている。図版1では同じ女の子の動きを連続して描写し、図版2では別のキャラクターが描かれているという違いはあるが、主体の向きという点では同じである。しかもこれが、いわゆる「ヒキ」のコマ、左ページの最後、次のページに読者を進ませるコマであることに注目していただきたい。ここで主体が左に向かっているということは、次のページでまたなにかが起ることを素直に読者に期待させるものである*。

ここで、読者の視点の誘導と、コマ内の主体の向きの移り変わりの共通点を長々と述べてみせたのは、この2人の作者、加藤雅喜と富沢ひとしの双方が一般に「コマ割りの生理」といわれる、マンガを読ませる上での基本的な技巧を使いこなしているということをいいたかったからだ。ひらたく言えば「上手い」ということだ。

ここまで確認をしたうえで、両者の「違い」の要素を考えてみよう。

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