TINAMIX REVIEW
TINAMIX
逆境哀切人造美少女電脳紙芝居『少女椿』

【第弐幕】人造美少女誕生

アニメに限らずどんなモノづくりにも共通して言えることだが、モノを作る上では数字を度外視して良いモノ、面白いモノにこだわる製作セクションと、これにセーブをかけ、売れるモノ・儲かるモノづくりを実現していく営業セクションとがある。もちろん、良いモノができて売れれば問題はないのだが、往々にしてこの両者は背反する。営業セクションをいかに説得しながら良いモノを作るか、このへんが製作セクションの腕の見せ所になるわけだ。

ところが原田氏によると、アニメの場合、ちょっと雰囲気が違うのだという。営業セクションである局や代理店の保守的な姿勢に対して、製作セクションであるアニメーターはとくに異議申し立てをするでもなく、逆に「好きな仕事をやってるんだから、おカネが貰えるだけでありがたい」と感じてしまうのだ、と彼は言うのである。その結果、局や代理店に対して「主張しない体質」がアニメーターに蔓延し、そこそこのセールスは残せるものの、面白味に欠けた新味のない作品ばかりが作られることになる。そんなふうに原田氏は言うのである。

こうしたアニメ界の閉塞状況に見切りをつけた原田氏は、この世界にはびこる「主張しない体質」を変えることを決意。所属していたプロダクションを飛び出し、「企業には絶対作れない作品づくり」を目標に掲げてアニメの自主製作を開始する。1979年に「シティノクターン」、1985年には「限りなき楽園」を発表。同年『二度と目覚めぬ子守唄』石井聰亙監督ただ一人の推薦を受け、PFFアワード入選。これを機に一挙に各界からの認知を取り付け、新作に取り組むことになる。この新作こそ、丸尾版『少女椿』のアニメ化だったというわけだ。

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(c)丸尾末広 霧生館

とはいえ、製作はそう簡単には進まなかった。製作母体となる映画会社が全く見つからなかったのである。当然といえば当然の話だ。なにせ丸尾版『少女椿』である。紙芝居版『少女椿』とは違い、鼠に性器を食いちぎられる場面にはじまって、フリークスの見世物一座あり児童虐待あり、殺人事件あり強姦ありの無茶苦茶な作品なのだ。一言で言って「火中の栗」を絵に描いたような作品であって、とてもではないがメジャーな製作会社がおいそれと手を出せる作品ではない。製作母体を訪ね歩き、邦画の独立プロからAV製作会社、衛星放送までを歴訪するもけっきょく全滅。「中学生の頃から貯めた」虎の子の貯金300万とプロダクションの退職金を全て注ぎ込んだ上、サラ金からの借金まで導入し、完全自主制作で製作に取りかかることになる。

さらに製作過程では、アングラ劇団ドキュメント映画制作プロダクション、さらにはSMクラブまでもが動員され、音楽はJ・A・シーザーが担当したという。つまり原田氏は、一般企業に見切りをつけたかわりに、オタクからアングラに至るまでの80年代末サブカルシーンを、製作母体として選び取ったことになる。時に1987年、バブルに沸き返る世間に背を向けての、暗黒の船出であった。

とはいえ、作業は困難を極めた。なにせ原作は単行本丸々1冊分。ほとんどの場面が止め絵に近い超リミテッドアニメとはいえ、作画は自らがたった一人で自宅で行い、外注は動画以降のみである。そのうえ尺は1時間近くに及び、たった一人で動画を描くなど狂気の沙汰に近い。さらには原作者の丸尾と連絡を取り合って「本来ならこう描きたかった」というシーンを描き足すなど、「これでもか」といわんばかりにクオリティの追究が重ねられたという。かくして狂気の幻燈師・原田浩氏の手になる人造美少女、少女椿・みどりちゃんはこの世に生まれ落ちた。『地下幻燈劇画・少女椿』の誕生である。着手から5年の歳月が経過した、1992年のことであった。

……と、まぁここまで苦労すれば、ふつうに上映して数をこなし、少しでも投資を回収しようと思うのが当然の発想である。だが、原田氏はこうした効率優先の発想を退けた。原田氏は通常のアニメとしてではなく、アニメとも演劇ともつかぬクロスジャンル的作品として、完成した『少女椿』を上映しようとしたのである。

ところが、この斬新な発想があだとなり、『地下幻燈劇画・少女椿』というフィルム自体、少女椿・みどりちゃんさながらの数奇な運命に巻き込まれていく。無論、この当時の原田氏は知る由もない。さて、みどりちゃんの運命やいかに。

>>第参幕

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主張しない体質
本当にそういう保守的な体質があるのか、あまりにも原田氏の個性が強烈すぎたのか……。アニメの制作現場を知らない俺には、ちょっとこのあたり判断がつきかねる部分ではある。

二度と目覚めぬ子守唄
不幸な生い立ちの出っ歯の少年が、ありとあらゆる苛めを受けるという筋の作品らしい。三里塚の実写フィルムの挿入など、さまざまな実験的手法が駆使されているという。

二度と目覚めぬ子守唄
「二度と目覚めぬ子守唄」
(c)霧生館

石井聰亙
1957年〜、映画監督。日大在学中に8mm作品『高校大パニック』を制作、1978年に沢田幸弘監督との共同演出によるリメイク版でメジャーデビュー(このリメイク版は自作でないとして、後にフィルモグラフィから削除)。パンキッシュな暴力描写とエンターテメント性の両立には定評がある。2000年には永瀬正敏・浅野忠信のコンビを主演に据え、『五条霊戦記』と『エレクトリック・ドラゴン 80000V』を公開。次回作は『箱男 BOXMAN』。

アングラ劇団
「パラノイア百貨店」をはじめ、「改造王国」、「漁火」、「月蝕歌劇団」などの面々が集結した。ちなみに「漁火」は、上海劇場の高木由美子が中心となり、少年王者館の智恵子らが参加した演劇ユニット。

ドキュメント映画制作プロダクション
『三里塚・辺田部落』などの「三里塚シリーズ」や、山形県上山市牧野に十三年間住み着いて撮った『1000年刻みの日時計』など、異色の作風で知られる「小川プロ」のほか、昭和天皇にパチンコを発射した奥崎謙三を追った『ゆきゆきて・神軍』、急進的CP(脳性小児麻痺)団体“青い芝”の街頭行動を記録した『さようならCP』などで知られる「疾走プロ」の面々が制作に参加した。

J・A・シーザー
TINAMIX REPORT「演劇実験室◎万有引力」を参照のこと。

J・A・シーザー
「J・A・シーザー」
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